孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
本サイトでも 度々取り上げている ユーチューバー 「ヘアカット ハリー」さんの 柳居子が外人客の 顏剃りをしている動画のアクセス数が、本編・続篇・シャンプー編の合計が 1000万を越えていた。 彼
今年 八十歳の誕生日は、十年一度の台替わり 傘寿とやらで、考えられない程多くの方から お祝いの品や メッセージ 又お声掛けを頂き 例年の誕生日とは 様変わりだった。 数多く頂いたプレゼントの中
新聞の第一面は、国民皆が知るべき事 内容詳しく判らなくても 経済・外交等 掲載内容の軽重を考えると、重厚な記事で纏められていると考えていた。 ネットで知る情報は、自分にとって重要 又 興味の赴く
毎朝 新聞の折り込み広告を手札型くらいの大きさに たたみ 其れを指し込んで ビニール袋に詰め込んで 其れを珈琲屋のウェイトレスに 「はい、ゴミ」と言って手渡す。 目と指先のトレーニング 綺麗にたた
子供の頃や 若かった頃の遊び場 遊び仲間を思い出すと、今の子供の遊びは、随分違うように思う。柳居子は弟が一人いるだけだが 仲間には兄弟姉妹の沢山居る友も居て、一年上は怖かったが 三・四年上の 遊び仲
『都会の喧騒を逃れて 静かな田舎暮らしをしたいと思うが 如何思う?』と、問われた事が有った。 『喧騒が如何いう意味が判らないが、都会暮らしの利点と言うのは 田舎に移り住んで始めて判る事で 年取って
コツコツと 主業である理容の仕事を続けてきた。社会貢献と言うと 大袈裟だが 世の爲 人の爲になる様なことをしてきたかだろうか? 反省の意味も込めて つらつら考えると やはり理容の仕事を介しての 人間関
ビットリオ デシーカー監督の作品に 『昨日・今日・明日』という映画が有った。デシーカの映画は見逃さず見ていた心算だが 作品内容を思い出せない。見逃した映画だったかもしれない。昨日 yesterday・今日toda
十年以上前に テレビが潰れた時 新しいのを買おうと思ったのだが 買いそびれている内 テレビ無しでも普通に生活が出来るなと気付いた。元々仕事終えて帰宅 寝るまでの僅かな時間帯 又 テレビで取り上げる番
見ず知らずの人に声掛けする事が多い。 老若男女問わず 此方から声を掛ける事が出来るのは、腰や背が曲った柳居子の老体の発する言葉 先ずは無難な事しか言わないだろうと相手も最初から 警戒心を持たないの
昨日お越しの客人の一人、特に面白かったのは、オーストラリアからやって来た髭面の大男 遠来客の殆どが、ユーチューブとか SNS 情報を見てくる人ばかりだが、偶然前を通り掛かって 階段を上がってやって
昨朝 珈琲屋の隣席に座った 顔馴染みから『大国町て どの辺りですか?』と尋ねられた。よく聞く町名だが、咄嗟に所在地が判らない。スマホの検索も不得手 答え様がない。 『市内には大国町は沢山有るから 通
先日 ゴリラの先生の散髪をしていた時の会話の中で、 『子供の頃は、周囲に親以外の大人が居た 又 兄弟姉妹が沢山居たから それは一つの社会訓練になったかも知れませんね。』 と言ったら 『田舎の中学校
毎月一回 整形外科の先生に、注射を受ける。 骨密度を高めるとか 下がらない様にが目的で 両腕に注射されるのだが、 ご大層な薬らしく 万札出して千円少々の釣銭 保険適用が無ければ この何倍もの額を払わね
年寄の独居 現役の仕事を持ち。食に掛ける時間は有っても なかなか家の掃除が出来ない。 家で過ごす時間はベッドの上が多いから 埃で体の具合が悪くなる事は無かろうとたかを括っている。 不要と思うもの
久し振りに 栗塚旭君と、街で出逢った。体調が悪いと聞いていたが、相変わらず大きな よく通る声でご挨拶。『一年半程前から 癌の診断が下り 余命も告げられてますが 未だ生きている事で 医者が吃驚していま
自転車で 街中を徘徊していると、街並みの変化に気付く事が多い。自動車は安全運転に加え スピードが速い。 自転車は、街並み観察スピードとしては適宜 其の場に止まって ゆっくり観察する事も出来る
加藤登紀子の作詞・作曲になる 『時代遅れの酒場』という曲をベースに『時代遅れの床屋』という替え歌を作った事も有る。自他ともにに世に遅れを取っている事を自覚するシーンが 続出している。 約束していた
最新情報を求め続けている事がある。 ロス郊外の山火事である。 親しくしている彼女の家にまで 燃え広がらないか 彼女からのアップ記事には 車で15分か 20分位の距離が有ると言っていたが 風向き次第
最初の成人式の頃は 小正月十五日と決まっていたが今は違う。 昨日は日本全国成人の日とやらで 定休日だったが。月曜日思い込んでお越しの客人の散髪を午前中頑張る。 お仕事でルーマニアに 三・四か月赴任
昨年末 三十日『俳句談議』という一文を載せた。祇園町の珈琲屋さんで、 お茶屋『吉うた』の女将さんと二週間ぶりにお目に掛かった。 季語入りの八句が難しいと 『さのさ』ならと 柳居子の爲に一首作って
年賀状 昔は沢山届いたのだが、今年は三十通程 其の内の何枚かは、広告と思しき 料理屋さんや商店から それ以外の年賀状で一番印象深かったのは、幼馴染 子供の頃 共に学んだS君から届いた一枚。 此方
京都市内に住む 京都市民とは課税対象から外れるのだが、市内の宿泊施設の利用容に対して、宿泊税最高一万円という記事が一面トップに載っていた。従前の最低課税額は据え置きだが 範囲を狭め 宿泊金額に
理髪店の店頭 クルクル回るアメン棒 広告看板の謂われは、ヨーロッパの先進国では、〖病は 悪い血が引き起こすと考ええ 血抜き 瀉血措置が 理髪師が理容外科とその仕事を引き受けた事に由来する。アメン棒全
幼名 子供の時の名前を、年取るに従って 名乗りを変えるのが常識とされた時代が 長く続いた。 牛若丸が義経に 木下藤吉郎が秀吉に 元服や出世に伴って名乗りを変えたり 名を頂く事も有ったが、そもそも名
生誕120年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅 岡崎国立近代美術館で開催中の 招待券を頂いた。 もう亡くなって四十年ほどになるが 生前お元気だつた頃 週に一・二度お目に掛かり お声掛けした事
地元紙 京都新聞が、戦後八十年 巡り糸のサブタイトルの下 『我が家はアスファルトの下』という終戦間際の強制疎開の事を取り上げていた。御池通りで書店を開いていた人の娘さんからの投書を基に 御池通りの事
食品スーパーの商品展示の話題が出た。 昔は 泥付の一個売り 南瓜とか白菜 季節物でも 農家が作ったものを其の侭 店頭に並べていた様に覚えているが 全く今は違う。包装材も昔は 古新聞とか肉類は竹の皮で
昨日 二日は、去年の仕事をしていた。 確定申告の書類作りは、例年正月休みの仕事になっている。年寄一人が、隠居仕事の様に限定された仕事をしているのだから、僅かな額だが 確定申告の出来る事が 我が身現役
勝手な理屈をつけて、このところずっと年賀状を出していない。横着な事に 頂いた年賀状に返信すら出していない。 我々の年代になると、新年を寿ぐという意味は薄れてきて、未だ年賀状を書く元気は残ってます
明けまして おめでとうございます。良き年をお迎えの事と拝察申し上げます、 私は いよいよ八十歳台に突入 昨日とか去年と同じ事が出来たら 有り難い事と思いながら 今年も過ごそうと思って居ます。宜し
「ブログリーダー」を活用して、柳居子徒然さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も