孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨日は土曜日の営業日。来客の多い曜日では有ったが、午後三時間程店を閉じて 『泉孝英先生を偲ぶ会』に参加した。 三百四十人程が参加 献花が終わって立食形式のパーティ会場 大勢の人 懐かしい顔とか 何故
昨夜は、朝の珈琲屋仲間で 柳居子より一世代か 半世代若いメンバーのお祝いの会を開いた。 十人程の人数だったが、おおいに盛り上がった。 社会の第一線から ほぼ退いている世代が、これから大変な仕事を
柳居子が、楽天ブログサイトに 連載を続けている記事は、大勢の人の眼を汚しているとは言え 他人の思索に影響を与えるとか 人を煽る様な意図は全く無く 只 自分の忘備録の心算で書き続けている。 この年 こ
三月は、特に遠来の外国人客の多い月となった。 昨日時点で 延べ50人を越えた。未だ4日残しているが 営業日数25日 孝準計算で一日二人はやって来る勘定になる。 先日も 店の直ぐ傍で スマホの画面と
都会に住んでいると、雨は出掛けるに傘一本余分の荷となり 又 鬱陶しいと感じる人が多いかと思うのだが 自然と向き合う農作業などは 雨が降らぬと一大事。 祈雨 日照りが続いて農作業に停滞が出た時は。神仏
昨日 店を開いて、最初にやって来たのは客人に非ず 親しくしている友人のF君。『今日は、ご報告とお礼に参りました。』と言う。 彼との付き合いは結構長いが 彼の仕事内容は余り詳しくは知らないのだが、今
昨日は 色々と出先で、大勢の人とお話を交した。 今 京都で一番忙しい こうじさんと、朝ご一緒に珈琲を飲んで、昼少し前 祇園 切通しの進々堂で、ガールフレンド三人と四方山話を交していて、松井新市長の
幸いにして、殆どの日本人と同じく 逮捕され警察の取り調べという経験は無い。罪を犯したとされる者に対する警察の取り調べに対して、日弁連 弁護士連合会が、取り調べに立会人の申し入れをしたそうだ。 冤罪の
気候 気温等に敏感に反応するのは、未だ若い証しになるのだろうか? 呆けの酷い老人が、真夏でも寒い寒いと着重ねていた事思い出す。 真冬に薄い着物で徘徊しているお婆さんに出逢った事も有る。暑さ寒さを体感
松井こうじ さんに、東京で『京語りの会』と言うのを 五回開いて頂き,其の内の一回 京都の地名の表題のお話をした。幾つかの場所 栃の由来とか 元々住んでいた人の話し等を喋ったのだが、準備した話題の内 こ
先日 新京極 誓願寺での集まりが有った時、 架蔵の緑紅叢書に『新京極の話し』京を語る会 昭和三十四年発行中に 誓願寺の江戸時代の風景画が載っていたのを思いだし 久し振りに本を開けた。 本堂を中心に
新聞を定期購読をされて無い人とは 関係の無い話題だが゛店に配達された地元紙を朝の珈琲屋に持ち込んで、挟まれている折り込み広告取り出して、丁寧に四隅揃えて折り畳み 八分の一か十六分の一彼の大きさ 手札
秀吉は、乱後(応仁)荒廃して散在していた多くの寺を 東京極大路の東側 北は一条から南は六条・七条近くまで お寺ゾーンという不思議な街区を創りだした。時の大権力者 どの様な無理難題でも通用すると思われ
昨日日曜日 恒例のブログプリント版の配達中 店の近くで 帽子を深めに被った男に、『ご無沙汰 元気にしてるかー』と声掛けられた。 幼馴染でも無ければ 通った学校が一緒でも無かった。年齢すら柳居子よ
京都大学大学院哲学科では、柳居子の店の事が評判になっている様で、昨日お越しの客人は 台湾の出身だが 京大の大学院哲学の専攻に在籍されていた様で、 少し前 柳居子の店に 先輩か同輩の紹介でお越しにもな
地元 地銀の出身で、傍系の損保の社長をしていて 毎朝の様に珈琲を飲みに来る人が居た、沢山有る髪の毛 真っ黒に染めて、現役ですぞ という雰囲気。柳居子の座る常連席から離れた ガーデン席に近い席で 一人
面と向かっては、思った事見境なく 相手に喋る柳居子だが。その場に居ない人の話しは 聞こえても良い話題に限定して喋る様にしている。伝える人の脚色も有ると思うし 世間は 広い様で狭い。特に人の交わりが長
先年 叔父の年回忌の法要が、東福寺の塔頭の一寺で有り参加したのだが,直会(なおらい)の席を変える爲 下京區に在る料亭にタクシーで移動した時 予約 発注のタクシー会社 以外のタクシーが2台も来て、少し気
一人で出来る仕事の量と云うのが 何となく判って来る。客人をお迎えしてゆっくり仕事をして お見送りして 一寸休憩 掃除や使ったタオルの処理等 一通り済ませて、次の客人を迎える事が出来たら良いとは思うの
柳居子自身より 年嵩の客人の数が、どんどん減ってきている。次の誕生日が来れば 八十路 現役の様な顔をして、仕事の出来る事が 有り難い事と感謝している。 先日お越しの 長い間ご贔屓の客人『あんた
昨日 日曜日は 画家 井上よう子さんの個展と 晴佐久浩司さんの 長唄・三味線のお浚いの会に出掛けた。 絵も三味線も門外漢では有るが、毎週のように 色々な人の作品や出演を 度々見続けていると 素人は素
先日 朝の珈琲屋の会話の中、友人がある会合に出た時出た話題で 『一時市民』という言葉 常住では無いのだが、宿泊でも無い 短期間とか度々 京都好きの人に 何か対応出来ないか と言うような話が出たそうだ
京都には 既に伝説の人となった ホームレスが居た。新京極 四条 河原町 三条 のエリアを徘徊していた。四十年程前のこの界隈を良く知る人は ああ、あのホームレスね。と風体も顔も思い浮かぶ男である。
柳居子と ほぼ同じ年代の御婦人から 相談事のお話を受けたのだが、一寸梃子に合わない案件だったので。其の道の専門と言える親しい友人を紹介した。 相談事が無事片附いて 大層喜んで頂き わざわざ墨書の
初めてお越しの客人からは、店歴・業歴を聞かれる事がある。仕事に取り掛かる前 柳居子は自分の年齢を明かし、今風のトレンディーなカットは無理と実情を話します。 本来伝えるべきで無い事を 予め相手に伝える
子供の頃 毎日出掛ける所が本屋だった。 横町御池通りを越えた西側には「虎石文庫」という子供向けの貸本屋も有った。 最近でこそ 読み切る根気も減退して 部分読みの様なよみ方をする事か多い。 一気に読
自転車通勤の 往復路 今の季節落し物のナンハ―1 は、手袋の片手分。 殆ど毎日の様に落されているから 全体では途方もない数字になるのではと思う。 値の張る 又 頂き物でも 片方落して 遺失届(落
日曜日恒例の ブログプリント版の配達は、一寸時間が掛った。一軒一軒 声掛けられたのだ。京都市の発刊の市民新聞が、松井こうじ新市長の登場を大きく一面に取り上げ、二ページめに 出自の中京の旅館の次男とし
先週は 夜出掛ける事が二回も有り、睡眠時間が極端に短く、昼 店で居眠りして 御客さんに『ぼちぼち散髪に掛ってんか。』と、起された事も有った。 昨夜は 明日は店の定休日 何時もは二時・三時台に『あ
引っ越しを 何度も繰り返している。住飽きたという理由で引っ越しをした事は、一度も無いのだが。 若い時 四柱推命 生れ年月日で生涯を占うという人に、自分の先の運命を尋ねた事が有った。確か『駅馬』
常の年より 一日長いとはいえ あっという間に二月が終わった。何をしたと言う事も無く 平々凡々と過ぎ行く日々を有り難く思って居る。仕事は現役 毎日誰かと話しを交し 替わりなく過ごす事 柳居子の歳として
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行