孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
今の季節 陽光が西の山に完全に沈み切った頃 愛用の三輪自転車に乗って家路へペタルこぎだす。 頭上に煌々と輝く月を戴く 日によって違うが 鴨川に掛る橋の上から見る月には 絵心 歌心を導かれる様な思い
昨日の日曜日は、何時も通り 祇園町北側 切り通しのコーヒー店で、カールフレンド奢りのコーヒーを頂いて、丁度昼飯の時間 石段下の『いづ重』で鯖寿司でもと思って出掛けたが、注文殺到に人出足らず 予約のお持
定点観察の様に、町並みを同じ視点で見続けていると、住む人・店を張っている人 テナントの貸し借りとか町並みの変化が このところ著しい。特に我々の世代が 若い時 繁華街として毎夜繰り出していた街が跡形な
京都の地名という表題で 東京でお話をさせて頂いた。地名が長く其の侭残るという事が、歴史の証言者としての役割を果たしていると改めて思う事が有る。 新開地 山を削り平坦にしたり 農地を転用して 人の
架蔵の小冊子 『新聞と写真に見る京都百年』の中に、大正七年十一月三日 大阪朝日新聞に、当時大流行していたスペイン風邪の事を報じていた。 〖京都に於ける流行性感冒の蔓延は、止まるところ知れず 西陣
総理大臣が、国民に選ばれた人々の代表であっても、国の最高権力者 且つ責任者で有る事は、自他ともに 国民皆が認める事である。しかし幾ら在任が長くても 歳月が経てばその席を立ち去る人でもある。自分の出来
床屋稼業の成り立ちは、まず健康で有る事。 体が売物の様な仕事かと思う。長く臥したり 病院入退院は、床屋も現役を離れた人の事で、体の丈夫が床屋現役の第一条件下と思う 体の部位で 床屋稼業で何処が
年寄が寄ると、月日の経つのは早いなぁ という話題が度々出てくる。『もう いくつ寝るとお正月』待ち焦がれる日々の一日は限りなく長い。 長じて月末になれば 金繰りの心配とか 所帯を持つ身の責任の様な事を考
昨日もいつも通り 時々 時代祭の行列に 遮られながらも 一日走り回った日曜日だった。東山馬町の山手 九十三歳のお年寄りの出張の散髪から始まった。 其の後 野村美術館で開催中の『茶花展』に出掛ける。メ
17年間を越える 一日の休みも無くブログ記事の連載が、何故続いているのか 我ながら不思議に思う事が有る。還暦過ぎ『何か文を書いていると惚けの進みが遅くなるよと友人の医師に言われたり 他にきっかけとなる
柳居子の店で出てくる話題は、正直言って、何が飛び出すか判らない面白さが有る。 昨日お越しの客人との会話の流の中で、『信長と秀吉・家康の三人の内 誰が一番傑物だと思う?』散髪の最中に聞かれた。 床屋の
平安神宮の秋の大祭 時代祭は、葵祭・祇園祭と並び 京都の三大祭りと言われるが、其の歴史は浅く 未だ百三十年にも満たない新しい祭りである。 天皇の東京移御で、京都の消沈している意気を高めようと、大
お顔が広いですね、とか 大変な人脈を築かれましたね という事を時々言われる。 友達になって下さいと頼んだ事等 一度も無いし 左程顔が広いなんて 考えた事も無い。 随分前 散髪にお越しだった 泉孝
昨日は、実に嬉しい客人がお越しになった。 ニュヨークから見えた 髭の濃い長身の御大尽という雰囲気の人だった。 旅行前に散髪をされたのか 余り裾の毛は伸びてはいなかった。癖毛で扱いの難しい頭髪と髭 最
谷村新司氏の 作詞作曲になる 〖昴〗という曲が有る。唄い出しは、 「眼を閉じて 何も見えず 哀しくて眼を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものは無し・・・・・・」 柳居子は 生まれつきか 寝
岡崎の 京セラ美術館で開催中(京都展は昨日が最終日)だった〖日本伝統工芸展〗の入場券を頂いて、丁度岡崎界隈を自転車でウロウロしていたついでに拝見した。 伝統と言うのは、物事を伝えていく意味では、
努力が報われるというのは、幾つ位まで通用する言葉なのか? 幾ら努力しても、報われる日数が少なければ 努力の報いを享受する期間が無ければ 言葉 成句としては 成り立たないと思う様な 老残になり果てた。
ベッドに横になりながら ラジオ番組を聞き流しているうち 『おはよう』とか 『おはようございます。』 という朝のご挨拶が何時ごろまで使えるのかという疑問を 色々と視点を変えて アンケート調査も交えて
十七歳の時のアルバムの一枚に、毎朝出掛ける珈琲屋で、珈琲を飲み干す写真が出てきたから 六十一年以前から 毎朝この店に通っている証になる。 学校へは通わず まるで珈琲屋が学校の如くに。 長年通ってい
『群雄割拠』という言葉が有る。英雄が其々の位置で、並び立つと云う様な意味かと思う。 今朝の新聞各紙 スポーツ紙に至るまで 藤井 聡太氏の 棋界に於ける地位 最高峰の八冠を達成したという記事で 湧
夜半 目覚めて ラジヲのスイッチを入れると。天気予報を報じていた。大陸からの高気圧に覆われて 今日は一日晴天との事。洗濯したタオルを外に干す事が出来るなぁ等と聞き流しい居たが、深夜放送午前二時から五時
山極寿一総合地球環境学研究所長(前京大総長)が、地元紙「天眼」欄に 『通リ過ぎる街から 憩う街へ』という一文を寄せておられた。 最近 手を繋いで歩く姿が、増えてきたとご指摘。 それは何処かに繋かっ
先日 朝の珈琲屋の柳居子の隣りの席に、東京からやって来た出版・メディア関係の仕事をしている人が座った。フェイスブック繫がりが有る。 柳居子徒然のプリント版を何枚か差上げたのだが、プリント版もウエブサ
左程 忙しい土曜日では無かったが、自宅に帰り着くと直ぐに横になりたくなって 八時前から、今朝五時過ぎまで寝込んだ。丑三つ時、掛けていた夏蒲団だけでは 寒さを覚え 毛布一枚加えた。 四・五時間寝て、
コロナ禍の及ぼした影響は、果てしなく大きいと思う。完全に終息した訳では無い今の時点でも 世の中のシステムが複雑になった分 直接・間接影響を受ける人の数が 昔とは比較にならないと思うのだ。 約一世紀
昨日お越しの客人との会話 ご来店歴は古く、又 楽天のブログ記事『柳居子徒然』を、スタート時から しっかりと読んで頂いている。 『普通 読み物と云うのは 本や新聞でも書いた人を直接には知らないケース
京都市民の間で 毎年秋開かれる『区民運動会』と云うのは、選手としての参加は元より 運動会を見に行く老若男女関係なく 日頃顔合わせの機会が少なくなった今の世相の中で、ご近所顔合わせで 旧交を温めあう大
廃墟探訪というサイトが有る。時々覗き見るのだが、過って沢山の人が住んでいて 其の地で仕事もして 人々の営みの場で有った所が。色々な事情の重なりで誰も住まなくなって 荒れ果てて 建物全体が、草木に覆われ
京都市立芸大の洛西(沓掛)から、京都駅前に移転を報じていた。洛西から駅前移転の ゴーサインが手たのは、市内東山区から洛西へ移転した時の学長で 移転に伴う諸々の一切を取り仕切られた 梅原猛さんが未だご
『日本語がお上手ですね。』と 遠来と思しき客人に言ったら『とんでもない』という返しが有った。相手の言う事を打ち消すのに とんでもない 『この言葉が 瞬時に出てくる事が 我々には考えられない程 日本語
九月の仕事納めが土曜日になり、ご来店控えの様な手帳をパラパラと捲っていて、 今更のように驚くのが、遠来の客人の多い事。 九月の三十日間は、日曜祝祭日六日が加わりクルクルと営業中を示す回転看板を回した
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の
今の時代 物事が多数決で決まる。我々の参政権の行使 なり代わって代表として選出する 議員とか首長の選出も 例え一票の差であっても 多数決という前提の決まりで、物事が動いて行く。 論議を尽くしたと
昨日やって来た 地元紙の記者との会話は、遊廓の話しで盛り上がった。 『今を生きる人の眼から見ると、方々に存在した遊廓を、昔の人は余程好色漢だったと考えるかも知れないが、誰もが有る一定の年齢になると、