孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
ラッシュと言うのか 遠来の客人は今月四月だけで 五十六人お越し頂いた。日本人のお客様に見放されたのか? 南米・アフリカ以外からお越しの方 否 ブラジルからも一人居られた。 色々な国の 色々な価値
珍しく夢を見た、懐かしい人の顔が出てきた。「居戸の節チャン」父柳居の時代からの客人 60年位はお越し頂いていたと思う 仮に月に一度お越しだとしても 12×60 年間十二回のご来店 一回一時間 60年
カットや顔剃りの料金が幾らかという 初めて見えた遠来の客人に対しては、其々の財布の事情とか、理髪の仕事に対する価値観 又何時も出掛ける理容室の価格の差等も有るから 出来るだけ判り易く説明するのだが゜
ご年輩の客人との会話では、戦後生まれか 戦前・戦中の生まれかという話題が時々出る。昭和20年 (1945)1月生まれの柳居子は戦中生まれ 誕生から7ヵ月後に終戦を迎えた。 我々一般的な終戦 戦争が結わ
K・M様 『貴方のお誘いが無かったら、京都から東京まで出掛けて、一介の床屋の親爺が、大勢の貴顕の前で 喋るという事は無かったと思います。朝の珈琲屋の丸テーブルで、最初に御誘いのお話の出た時の事を覚
年取ったなぁ 情けないなぁと思う事が、続けて四件も起った。 昭和三十年代からご贔屓。ご来店頂いていた方から、お店に伺うのが一寸難しくなってきたので、散髪にご足労お願い出来ますか?と電話が有り、昨
聞き惚れると言うのは、こういう事かという経験をした。春夏秋冬を柳の木に託した長唄『柳の四季』を昨日東京で聞かせて貰った。今藤長一郎丈 高らかに唄い上げるという洋楽とは 趣が違うが、陰に籠るというので
毎朝出掛ける珈琲屋の所在地 町名は『道裕町』という名が付いている。比較的最近とは言っても江戸時代 上杉家の藩邸が有り 極最近まで 光浄寺という西門徒系のお寺が在ったが 今は無い。近世以前 この町内に
週一度 昼食を食べに出掛ける 高倉御池の『松長』の大女将とは、時々一緒にカラオケに出掛ける 一歳年上のガールフレンドだが、時々『あんた 一体何者なの?。』と言われる。 『怪しい者では無く 一介の散髪
少し理容の仕事の専門的な話題になるのだが、言葉の通じない外国からやって来る多くの人の髪の毛切るとき考え付いた事が有る。自分が相手の立場に立てば、評判の良い店と知ってやっては来たが、一抹不安感は有ると
何時もご贔屓の客人 コンビニの系列店を経営されている。二十四時間営業だから 勤務のシフトを聞くと、中々大変な様だ。若い時は軽くこなせた事がだんだんと重荷になって来る。 先日お越しの時は、飛びっきり
昨日 朝一番にお迎えした客人は、頭の毛全て剃って 顔も剛毛 一体いつ仕事が終わるのかと思うほど、剃刀動かし続けた.有り難うというアクションは左程大きくは無かったのだが 例のメッセージ帳に 英文で少し
昨日 日曜日、 街中を自転車で徘徊していて、一番眼に付いたのは、花水木が綺麗に咲き誇っていた。子供の頃は花水木という木を意識した事が無かったから、我々の眼に触れる所には植えられて無かったのだるう。
会話や対話 又 拙いが毎日の書き連ねは、何の気負いも無くこなせていると思うのだが、自分一人が大勢の人前で喋るという一方通行の話しと言うのはなかなか慣れるという事が出来ない。わざわざ自分の話を聞きに大
親の代からご贔屓になっていて、柳居子自身も中学生の頃から、英語の手ほどきをして頂いていた方が、生前 柳居子に託された懸案の一件 色々な人の手を煩わし 紆余屈折もあつたが。 理想的 これ以上の解決策は無
先日 理髪の仕事を長く続けて来られて どの様な生活の信条とか お考えをお持ちですか? というインタビューを受けた。通訳を介しての質問だから、通訳の女性の問題も有ると思ったので、出来るだけ判り易く伝える
一寸旧い本に、祇園祭の山鉾巡行のコースに付いて書いた項が有ったので紹介したい。 昔から同じコースかと云うと さに非ず、結構コースも変っているし 十七日 二十四日 後先の巡行を合同の時も有った。 山
TRADITIONAL nevertheless INTERNATIONAL
京都市中京区に在る 店の立地が判らなくなる 考えられない事が続出している。 ご贔屓頂き 東京での京語りの会にもご同道頂いた客人が土曜日の午後 店にお越しになったが。先客が二人 体の大きい髪の毛の色
諧謔(かいぎゃく)という言葉は、ほぼユーモアという外来語に取って変わってしまった。ユーモアと云うのも相手次第で、理解力が無いというのか 全く通用しない人も居る。 大分前に亡くなった客人 生真面目な方で
花冷えと言うのだろうか 昨日も今朝も寒い。起きると直ぐに灯油ストーブに火を入れる。出掛ける時は、完全冬装束 朝に合わせば昼が暑い 昼に合わせば朝程でも無いが 晩も寒い。只 確実に日の出が早くなってい
NHKのラジオ放送 福祉に携わる女性へのインタビュー番組。特別興味が有って聞いていたつもりはなかったのだが、懐かしい歌番組の次の放送で、スイッチ切らずに音声が流れていた。 インタビューと言うの
幾ら髪の毛が伸びたと言っても、三千丈も伸びるもので無い事は判っている。インドの苦行者でも生涯髪を切らなくても 身長の三倍程度である。一丈は三メートル程 李白の『白髪三千丈』の五言絶句は 誇張の極め
相変らずの名前の連呼 政策提案とか改革の具体策は聞こえてこない。高らかに謳い上げても、其の費用の目途の話し 税を下げたら しわ寄せは誰に及ぼすのか そういう話は一切出てこない。そう云う事を言う人は小
父 柳居が、若い現役で仕事をしていた時は、気骨のある人だつた。自分の信念が正しいと思った事は。相手構わず通す人だった。 未だ店内に料金表を掲げていた頃 初めて入って来た一見の客が、料金量を見て
柳居子の 行動半径に於ける 今朝の桜の現況は、満開過ぎて落花盛んと言ったところ 電動アシスト三輪自転車のペダル漕ぎながら一首浮かんだ 『散る花を 詠める人有り 桜花 散らねば組めぬ 花筏かな』
中国からの訪日観光客に対する コロナ規制が明日から緩和されるらしい。 訪日の観光客や滞日の外人さんの御来客が 柳居子の店の様な小さな しかも老人一人の隠居仕事に大勢お越しになる。 昨日はオーストラ
昨日 ブログのプリント版を配達していて。店の町内 最高齢に為られるのか○○子さんに出逢って話を交した。 日差しが暖かくなって、日向ぼっこの感じ。娘さんが近くに住んでいて母親宅前に車を置いているから 何
昨夜 久し振りに友人の経営する中華料理屋へ所用が有って出掛けた。閉店間際要件だけを伝える心算だったが、店員に席に案内されて『ご注文はと聞かれ、』『お任せ』と言うと《酢豚・焼飯・スープが出てきた。
昨日お越しの客人との会話。柳居子と同年配 古くからのご贔屓である。 『あんたとこの 家の前の桜も ぼちぼち満開か?』と聞かれた。『はい、何日か前に、九部咲き まだ開花直前の膨らんだ蕾も有るから 九・
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の
今の時代 物事が多数決で決まる。我々の参政権の行使 なり代わって代表として選出する 議員とか首長の選出も 例え一票の差であっても 多数決という前提の決まりで、物事が動いて行く。 論議を尽くしたと