孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
何方にも関係の無い事だが、柳居子自分自身の三月のトピックと言うのは。途切れることなく海外からやって来る客人の数。三月はとうとう営業日二十五日を上回る三十四人 今日も予約が入っているから、確定三十五人
子供の頃 家の前に在る乾物屋に、時々物乞いに来る 杖をついた老人が居た。 道路挟んで二本有った電信柱の影で、乾物屋の店の人が気付いてくれる まで 一時間でも二時間でもじっと待っていた。何時も貰うのは
姉夫婦の介護をしている友人の話を聞いた。 姉夫婦は 岩倉の一戸建てに住んでいたのだが、姉の足の具合が悪くなり、バリアフリーの生活が楽になるかと、白川通りバス停近くのマンションに引っ越した。外出は
お茶屋の大女将との会話の中で、『最近の若い人は、美空ひばりを知らない人が、沢山いますなぁ。』と言われ『時々 カラオケのお伴をするけど 軍歌とか戦時歌謡という厭戦歌も 姿・形無く消えたねぇ。』『検索し
悪しき習慣になった様だが、仕事の日 休日に関わらず、自宅に帰り着くと必ずベッドに横になる癖がついた様だ。自転車で帰り着いて一寸一服と言うのが、座るか横になるかの差だが体が求めているのだろう。 其の侭寝
政《まつりごと》特に、平和な日本故の外交の事。又財政問題等に付いても、我々の実生活から 余りにもかけ離れた存在の様な感じがして、税の配分も額の単位が我々の生活感覚では理解出来ないのだ。 コロナ騒
自宅前 琵琶湖疏水松ヶ崎線 哲学の道下流 疏水沿いは、今が桜の真っ盛り 今朝は雨中にも関わらず 花びらが一枚も落ちていない 膨らんだ蕾も枝に付いているから、九分咲き 九・五分咲きと言ったところか。
古文化財や古美術品の展観を 見に出掛けて、図録を買い求めて思う事だが、展示の実物より 図録に載っている画像の方が格段綺麗と言うのが常だ。 判り易く見る人を飽きさせない様な編集がされている様に感じる
人 其々に興味・関心の在り処が違う事を知っているが、加齢に従って興味・関心が移り替わる人が居る事も事実だと思う。 若い時 何故あんなに夢中になっていたのか 醒めてしまうと若かったのだなぁの一言で解決
昨日は「春分の日」店は祝日の定休日ではあったが、珈琲屋から戻ると、開店準備をした。営業中を示すクルクル回る案内塔は廻さなかったが、扉さえ開けておけば 絶対誰かが入ってくると思ったのだ。 遠来の客
ご年輩の客人の多い柳居子の店や、朝の珈琲屋仲間は、男性が殆どだが、﨟(ろう)長けた 御婦人が座り話を交す事も有る。会話の中に出てくる言葉と言うのは、その意味を正しく理解して使う事が大事だが、例え其の
京都の社寺仏閣は、皇・仏千年並立と言う事も有り。皇室と繫がりの在る神社や寺が数多く在る。維新後は明治の新政府が皇室の影響力を高める目的で 新造の神社も在る。小さな祠で祀られていたのが 大神宮のご神体
一人で仕事をしていると、間をおかず続けてお越しの客人 特に後から入って来た人への気遣いに気分的に疲れる。 先に仕事をする客人に対しても、急いで手抜き仕事と思われない様に、立ちまわらねば為らないという
桜の開花が伝えられているのに、今朝は一寸肌寒い。季節の移ろいは一直線では無い。 ストーブを片付けるタイミングは、今朝の様な寒さのぶり返しが有ると、未だ片付けなくて良かったと思う。 暑さ 寒さに感
国会議員に選ばれながら、一度も登院する事も無く 再々の呼び出しにも一切耳を貸さず 挙句議員資格を取り上げられ あまつさえ著名人に対する名誉棄損とやらで逮捕状の出た男。 議会制度が始まって以来の最大の汚
眼の良い人には、眼の悪い弱い人の苦労とか日々の営みの大変な事は、判らない。想像すら出来ない。年を取って眼が弱って来るのは 加齢現象 致し方無い事と受け入れる事が出来ても 生まれつきとか事故などで視力の
スエーデンの世界平和追及委員会と云う様な名称の 全世界の兵器の輸出入の動向を調査する機関が、先日発表したところでは、過去三年間とそれ以前の三年間との比較で、兵器の輸出入は如何変わったかを報じていた。
日曜日は、普段より余程早く家に帰り着く事が多い。 陽の高い内少し昼寝をして、眼が覚めて何をするかと言うと、料理というご大層なものではないが 何かを作っている。勿論 弁当のおかず 作り置きも有るのだが
四人足して三百歳を越えるか超えないか 男性は柳居子一人 午後の珈琲タイム 男女間の垣根は取り払われて、年寄りの本音タイム。 『年取って エー事て何も有りまへんなー』から始まった会話は、積年の体験に基
若い時は、酷い花粉症に悩まされていたが、ここ十年程 歳を取るに従って、花粉に感作しなくなつたのか 何事も無く過ごしていたのだが、ここ二・三日 眼が無性に痒くなつて 鼻水も出てきて。もう卒業した心算の
一昨日 カルフォルニアからやって来た客人は、柳居子が仕事を始めてから 記憶にない巨躯 身長こそ6フィートと言ってたから180㎝程だから 其れほど長身では無いのだが、肉の付き具合が日本人には無い大きさ。理
自分の娘より 年若い女性と話しを交す仲となり、結婚して子供が出来ても 途切れる事無く 細い紐帯で繋がっている人が何人か居る。 時々子供を連れてやって来る 『大きくなったね。』『はい お蔭さまで。』
コロナの規制緩和のお蔭で、このところ遠来の客人が多い。今月に入ってからだけでも もう十人を数える。 リピーターも結構多い。おそらく京都市内で年寄一人が営業している理髪店の中では、一番外人客の多い店だと
新聞の折り込み広告は、曜日によって内容が変る。一つの業界各社一斉に広告を打つ方が効果的と見るのか? 選択肢を広げるという狙いも有るのかと思う。 例えば土曜日は 不動産売買の広告で、新聞本紙より嵩たか
『末は、博士か大臣か』子供の立身出世を願う 親の思いが込められた言葉では有るが、博士の濫造 大臣の失言続きのていたらくを見る事も多くなり もうこの言葉は、ほぼ死語領域に入っている。 博士は学位の最上
犬は、有史以前から人間と相関関係が有ったと思われるのだが、最近は飼い犬が年取って 寿命が尽きかけると、死を見るのが忍びないとか、子供に死を見せるのが可哀想とか考える人がいる様で、老犬の処分を頼んだり
今朝は所用も有って、店への出勤ルートが少し変わって、今出川通り真っ直ぐ烏丸迄走った(自転車) 百万遍と出町を早朝五時過ぎの様子を具に見て、活性・沈滞の差異を感じる事が出来た。 過って、河原町今出
時々言われる事で、昨日もバッタリ出逢った知人に、『本当に 柳居子さんは、お顔が広いですね。』と一言。 自分自身で顔が広いなんて余り考えた事も 意識した事も無いのだが,傍目で見ると、そう見えるのかも知
柳居子より少し年嵩で、長年ご贔屓の客人と 頭刈りながらの先日の会話 『私も とうとう職歴が六十年を越しました」という話しをしたら、『六十年の間に何人程の頭を刈ったの?』と尋ねられた。返事に窮するとは
京都市内 屈指の繁華街と言われる 河原町・三条・寺町・新京極等の 柳居子のシマと言うのか 縄張りと云う様な生活圏で、最近気になる事の一つにに、廃業に伴う空き店舗 テナント募集の広告である。往時新京極
新京極 誓願寺の五十五世 策伝和尚の事は、何度も本サイトに取り上げているのだが、落語の祖と言われた策伝の『醒睡笑』は笑い話では有るが、其の時代の世相とか庶民の営みを伝えてくれる。面白い話が次から次に
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
昨日は営業日だったが、午後三時間程店を閉じて出掛ける先が有った。 誉田屋 山口源兵衛君のお店の奥座敷で、SPレコードの世界的コレクター三浦武氏のSPレコードを聴く会が催された。 柳居子がお声掛けした
昨日の朝 珈琲屋の帰り道 柳馬場六角に在るコンビニに立寄った。朝食が極端に早いから 仕事前に少し口に入れるものを買うのが 習いになっている。 三輪自転車に施錠して店に入ろうとしたら 色黒の短パン
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴