孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
手習いは、特に文字の書き方を習う事。文字は知っていても 他人の眼に晒しても判読できる程度の字が書けたらと思う事がよくある。十六年近く五千七百を超えるブログ記事を書いてはいるのだが キーボードへ直接打ち
罪・咎を問われるほどの事では無いと思うのだが、明らかに公序良俗に反する事を時々やらかす。若い人には全く関係の無い事だが、後期高齢者二年目の柳居子の世代や少し上の世代は、他人に語る事無く 人知れず悩ん
木屋町蛸薬師西に、大黒屋という蕎麦屋が在った。久しく出掛けない内に店を閉じていた。若い頃は毎夜の様に出掛けた店だった。この店で知遇を得た友人も数多く居たが殆どは鬼籍の人 会計のレジを通りぬけ 店の奥
『朝敵』という言葉が有る。 天皇・朝廷に反旗を翻す事とされている。天皇自らが敵と断じる事は少ないと思うが、絶対権威を廻る権力者の闘争と捉えると判り易い。第二次世界大戦では、連合国軍が朝敵に当たると思う
昨日午後お越しの客人は、イスラエルの人。京都市内に住んでいて、滅法日本語が堪能 本当に海の向こう人かなという感じ。 『私は一昨日七十七歳になったから 貴男が期待する様な仕事が出来るか如何か判らない
仕事場・自宅との往復を、電動アシストの三輪自転車を利用する様になって、帰路沿い 一寸時間が早いと立寄る店が有る。 川端今出川下がる東側 ケーヨーデイツ川端店 俗に言うホームセンターである。この手の店
誕生日祝いが、昨夜も続いていた。 喜寿の七十七歳とは言え こんなにたくさんの人々に誕生日を祝ってもらう様な人間なのか? 一寸不思議な気分になっている。 先週 馴染みの「松長」の若女将から『24
昨日 七十七歳の誕生日には、数多くの皆様に お祝いや励ましのお言葉を頂き 又お祝いの品をお届け頂いたり有り難うございました。お一人ごとお礼を申し上げるのが本義では有りますが、数多く同じ文を書く事も何
十日程前にお迎えした客人 柳居子の店では珍しい年若い青年。 岐阜に勤め先が有り、京都に来る機会を作っては 柳居子の店に学生時代からお越し頂いている。 この人の曾祖父さんの頃からの縁が有る。柳居子
一昨年 東京で『床屋談議』という会を始めて開いて頂いた時、京都の遊廓の話をした。其の関連で祇園町南の花街が昔は 建仁寺の末寺が廃仏毀釈 国家神道の擁立の爲 取上げた土地を遊廓の管理下に置くという思い
お迎えした客人の内、印象深く心に残っているのは、交した会話だけでは無く 他とは違う特別の思いをした事が因となる事が有る。 お召しになっていた服 日本画家『福田平八郎』氏がお越しになっていた頃 柳
時代は進化していると思いがちだが、時代遅れが悪い事では無く 正しいという評価が大きくなると 時代は退化しているとも言えるかと思う。 生まれ育って同じ場所で、生涯を過ごせるという幸せを感じつつ 京
銭湯の脱衣場から浴室に向かうまでの壁面 横長の鏡に映しだされた自分の体を見て、愕然とする程の老醜 腰の曲がった老い耄れが,ヒョコヒョコと歩く様みて、銭湯への足が遠退いた。最近は横長鏡の無い銭湯を探し
物を書いて、事を人に伝える仕事は、プレッシャーのかかる大変な仕事と思う事が有る。読者・視聴者に伝え 信じられない程の数多くの人を勇気づけるとか、行動規範になったりする。自分の書いた 伝えた事で何かを
床屋稼業は、客待ちの仕事である。仕事スペースと客待ち 客が順番待ちに座る椅子との間は 仕切りをするべしと云う様な法規制も有った。又理容所以外での仕事も 病人さんや理容所へ来られない人の特例が設けてあ
美しい風景や事物を見る事の幸運を『眼福』と言う。眼で見て幸せと思う感覚と、耳で聞いて 心地よい 印象深く残るという幸運を、眼福に対して『耳福』とは、言わないようだ。眼から入った印象より耳から入ったモ
フェイスブックの仲間内で、洛中・洛外の線引きが話題に登っていた。京都の事を『洛』と冠したり後ろに付けて『京都』の事を表わす字句も多い。洛中・洛外の線引きの問題は、時代によって大きく変化してきた。一昨
もう十日足らずで。喜寿を迎える様な歳になり果てると、師を兼ねた友人関係と言うのは、殆ど見当たらず あの世とやらが有るのなら再会が待ち遠しい人が沢山居る。来る人拒まず 去る人追わずに徹してきたから 今
2010年の11月と言えば 11年余り前だが、『調味料』という一文を本サイトに載せている。 調味料という分野も、僅か11年で、大きく進化している様に感じられる。 昔載せた記事を一部再録する。 ・・
言葉としては知っていても、如何いう意味か 何を言い表す言葉か 全く判らない言葉が有る。『みおつくし』漢字表記は『澪標』になる。 『澪(みお)』という字は 古く万葉集にも載っている昔の人は当たり前の
生者必滅は世の習い 人の世の儚さを言い表した仏教用語だが、人の営みも又同じという事では無いかという意味にも取る事が出来ようかと思う。 店を二階に上げて、真向かい乾物屋の大屋根 瓦の整った並びを
仕事を始める時間、職種によつて随分開きが有る。店の在る姉小路通り 一番早くスタートするのは「平野豆腐店」作り置きをしない製造直消費が豆腐の一番美味しい食べ方と 正月も二日の日から頑張っていた。昨日・
昨日 一人のお客様取り掛かって直ぐに 始めてお越しと思われる客人が入って来られた。『一人で仕事していますので 丸々お一人分の時間待って頂く事になりますが?』というと 『どの位待たねば。』と仰るから『
紀州の碩学『南方熊楠』の事は、何度か本サイトに取り上げている。特に熊野に行幸のあつた昭和天皇に、同好の学士として学術標本を献上した時の紙箱がキャラメルの箱だった。其の事は天皇が懐旧談として明かされた
同年配の客人をお迎えすると、年寄りの定義の様な話題の上がる事が時々ある。色々なタイプの年寄が居られる。責任の大きい仕事を未だ現役一線で頑張っている人も居れば、左程体が弱っているとは思わないが デイケ
一月六日 今日あたりは、消防出初式が全国的に行われているかと思う。 江戸時代の後期 化政時代と言われた時代、洒落本・草草紙の人気作家『式亭三馬』は、『競って虚をあきない 争って虚を買うと思えば 虚ほど
子供の頃や 若い時に迎えるお正月と、年取ってから迎える正月休み 全く違うように思う。 一応現役で一人で店を切り盛りしていると、休みの続く事が逆に再起動の妨げにならないかという思いがするのだ。近隣の同
何度か書いた記事だが、其の記事読んで柳居子の真似をした人が、確認しただけでも六人居られる。皆さん続けておられる様だ。又同じことを書いていると思われたらスルーされたら結構。 毎年新しい読者の爲に載せて
正月休みも自宅より店に居る事が多い。訪ねてくる人は皆店にやって来るし、自宅は髙く積まれた本とラジオが有るだけ、家は寝に帰るだけという感じ。 店で掛ける冷暖房の費用は、営業上の必要経費て゛処理できるが
京都人の気質と 大阪人の其れは 近くに位置するにも関わらず、少し違えなと思う事が有る。其れは『諧謔(かいぎゃく)』ユーモアを解する態度が違うと思うのだ。笑い転げて皆が大笑いする 例えば吉本の舞台の様
明けまして おめでとうございます。良き年お迎えの事と拝察申し上げます。 私事乍 元旦の夜明け前から、左足親指の付け根辺りから足首に掛けて激痛が起こりまして、時々起るコムラカヘリとは違う痛さに戸惑い
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と