孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
マスク着用の御婦人から 何人も『今日は。こんばんは。』の挨拶を受けるが、何処の何方か全くわからない。眼の化粧だけで済むから其れだけ念入りに時間掛けておられるのか 又 流行りは眼に重点の化粧か 特定の
同音異句は、数多(あまた)数える事が出来るのだが、違字同音ほぼ同句は数少ないと思う。 始発バス仲間 日本語の勉強熱心で、柳居子の喋った判らない言葉 直ぐスマホの検索を駆使して、判らない言葉やそ
特別安普請をした訳でも無いが、店の水回りに不具合が出て、一週間程変則営業になった。人間も三十年以上変わらず使おうとすると、多少のトラブルが出るモノだが、鉄筋コンクリート造りと言うのは厄介なもので、導
ツタンカーメン王が、十八歳で死んだことは、解読された象形文字でも 発掘された王のミイラの 医学的所見でも明らかだが、其の死因を日本に於けるエジプト学のブームの先鞭をつけた 酒井伝六氏が五十年程前に論
始発のバスに乗って店に向かい、毎朝の日課となっているブログ記事を書き上げパソコンに打ち込み 記事に対する調べもの 特に名前とか年月日の確認作業も結構手間取る。一段落付くと朝の珈琲屋へ出掛ける。少なく
先日 読売の一面 編集手帳の欄に、ほんま(本真) 関西人がよく使う言葉を、神戸市の児童相談室を訪れた12歳の女児に対する職員の対応を 本当の事「ほんまの 話しやでー」と、前書きの様に載せていた。
もう殆ど使われる事も無い『精進落し』 判っている様で、詳しくは知らない言葉『精進』 勿論仏教用語 多分サンスクリット語の漢訳か? ひたすら仏道修行に励む事が本意と思われるが 今よく使われる事例としては
今朝は、昨晩早く寝たにも関わらず、目覚めが遅かった、いつも3時には眼が覚めてラジオの歌番組を聴いたり、起床 寝床を離れてからもゆっくりと朝の支度をするのだが、ふと枕元の時計を見ると3時58分を指して
過日『聚楽第 梅雨の井物語』という本を頂いた。著者直々では無いが、著者と親しい人からの頂き物である。 秀吉が天正十四年に造営を始めて、天皇の行幸を仰ぎ 秀次の居城となって僅か九年後の文禄四年
若い時 判らない事が有れば、何の衒いも無く 判るまで尋ねる時『若輩で何も知りませんので。』という断りをよく言っていた様に思う。 若いという意味の言葉を自分に対しては殆ど使わなくなった。後期高齢者に
先月の事だったか、何処かのスキー場が 雪不足の爲 例年通りの開場が出来ないと、雪乞いの神事をしたとか伝えていた。二月に入ってから 少しは降って来てスキー場も安堵 胸を撫で下ろしている事だろう。それで
昨夜は、祇園町のお茶屋の勝手口から上へあげて貰って、目の見えない犬にも吠えられず、大女将と、色々な話を交わす事が出来た。 一寸事情があって、京都の花街の話しを集めている。本サイトでも何度か取り
新型コロナウィルスによる肺炎の 罹患 感染者・発症者・死者数の国別比較表が、紙面に載ると、少し不機嫌な気分になる。その数字が各国比較して読み取れる数字と思えないからだ。報じない伝えない 発表しないは
店に始めてお迎えする 若い世代のお客様に対しては、最初に断りを言う事にしている。『爺さん一人が営業している店。昔はどの様な仕事も上手にこなす事が出来たが、七十五歳 もう手も落ちて、お好みの髪型に刈る
毎朝 午前四時の定時ニュースの前に、全国の天気概況を伝える二・三分の時間枠が有る。洗濯物(主に店で使うタオル類)を、庭に干すか 室内に吊り置くかの判断を下す 拠り所情報だから 必ず聞く。 沖縄
百年以上前の、必要に迫られての大流行 大特需 新型肺炎予防のマスクの増産とか輸入の支援に国が乗り出した。 1918年 大正7年も 全世界の人がマスク着用の異常な年だった。後にスペイン風邪と名付けられ
ブログ記事の連載を始めて、五年目 『よく五年間も続いたね。』と、お祝い激励のメッセージを集めて友人が一冊の冊子にしてくれた。 店にお迎えする客人でもある 十歳ほど年嵩の人で、毎日ブログサイトの
昨日は祝祭日の仕事休みの日でもあって、未だ陽の高い内に家に帰り着いたので,終活ならぬ古い本の整理をしようと思い立った。整理と言うのは残す本と破棄する本との選分けという事である。 大きく分けて 柳居
時々 生まれ育った所を、一歩も離れずに生涯を過ごすなんて 柳居子さん贅沢な人ですね。と言われる事がある。外に出て羽ばたく能が無かっただけですよ。と言っておくが、そう云う事許されるのは やはり特別の環
寝室のカレンダー 一月分捲り忘れて 十日経ってやつと二月がやって来た。それにしても 月日の経つのが早い。命の残余が短くなると,生物としての人間の本態かと言うと 今の若い人に聞いても、日の経つのが異様に
柳居子は仕事中 特に顔剃りの時以外は、マスクを着用しない。何故ならば毎朝 珈琲屋の同卓 直ぐ隣に座る 呼吸器内科の泰斗と言われる先生のマスク姿を見た事がない、また其の隣りに座る サルコイドーシスとい
父 柳居は、陸軍砲兵中支派遣軍として、武漢三鎮と言われた 武昌・漢口・漢陽に、暫く駐留していた様で、その当時の事を時々話していた、今武漢市となっているこの地域は 三つの都邑(とゆう)を統合して一つの
丑三つ時、真夜中午前二時過ぎ ふと眼が覚めると ラジオから旧い時代のシャンソンが流れていた。ボリューム少し上げて聞き入る。 映画『パリの屋根の下』の主題歌か挿入歌か? アルベール・プレザンが唄っ
毎週木曜日 始発の市バス同乗仲間 ウクライナ出身のカテリナちゃんと 手料理の交換を始めて一年は経たないが、半年はゆうに超えていると思う。その間 手料理交換の無かったのは 七月三十一日 千日詣りに出掛け
従兄弟の一周忌の廻向 法要を告げる手紙が届いた。営業日だが仕事休んで出掛ける予定にしている。 廻向という言葉、死者の冥福を祈る 法事とか法要の案内に使われる以外には馴染みの無い言葉では有るが、架
世界保健機構の発表と云うのが 最も権威ある正しい発表と受け取っていた多くの殆どの人が。今回のコロナウイルス肺炎に関する発表・コメントを聞いたり知ったりで 其の信憑性を疑う人や WHOという組織とか設立
昨日 日曜日も、街中ウロウロ 人が訪ねて来たり、百貨店での書道展の展観を見に出掛けたり ブログ記事プリント版を届けたりで、夜 万歩計の表示は一万六千歩を越えていた。 祇園甲部や祇園東のお茶屋さんや
二月の京都は 観光客も少なく閑散期と言われたのは昔の話し 今は年中賑わいを見るのだが、コロナウイルス性肺炎が影響しているのか 売り上げが大きく落ち込んできている業種も有ると言う。マスク業界は降って沸
木屋町三条とか先斗町辺りは、若い頃の徘徊の地で、妙に懐かしく想いだす人。思い出す店が幾つも在った。バーやクラブなどの飲屋は一代限りの店が多く掴んだ顧客と経営者が一緒に年を取り 長年ご贔屓頂きましたが
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の