孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
我々の親の世代、押しなべて兄弟姉妹が多かった。父柳居は八男だが姉が六人居る十四人兄妹の末っ子。一番上の二回り二十四歳年の離れた姉の乳を飲んでいたと聞かされていた。家の中での生存競争と言うと大袈裟だが
一昨日土曜日 仕事終えて参加した忘年会 新顔も居る事とて、皆が自己紹介をする事になった。制限時間三十秒 多分以前にいつ終わるとも無い話をする人が居たのだろう。中々三十秒で自分語る事は難しい。話しの不
オーバー・ツーリズムという言葉を最近よく耳にする。海外から沢山の観光客がやって来るのは、経済効果も上がり結構な事と喜ぶ半面、余りの数の多さに 本来其の地に住んでする人との摩擦とか、バッティング状態に
今年の十大ニュースと言うのも。序々に我々の世代になると 何となく興味が失せてしまい、あの事件・あの出来事は今年起ったのか? と、云うようなお粗末な事になって来ている。若い時の様に強烈な刷り込みが出来な
朝の珈琲屋て 出た話題。 駐米大使をされていた人に、『閣下』と呼びかけて大変喜ばれたという話しからの派生で、猊下と閣下はどちらが上かと言う論議になった。 陛下と呼ばれる人は、天皇 皇后 上皇
読売一面 編集手帳 コラム欄の一文が面白かった。 『コラムを書く仕事を始めて以来 机が片ついた事がない。手許に置きたい本を、記事を書くパソコンの両側に積み上げる癖が抜けない。大判の辞書や歳時記も含ま
戦後 日本に進駐(占領)した連合国軍(米軍)の、高級将校用の居住に、木造洋館のお屋敷風の民間の家が、数多く接収されてその役目を果たした。 今 御池烏丸近くのハートンホテルの建っている場所 確か鳩居堂
ここでは何を喋っても。此処だけの話し 洩れる事が無いという信頼関係が出来ると、胸襟(きょうきん)を開いた色々な話しが出てくる。 長く通って頂くお客さんの場合 其の人の一代記が書けるほど、辿り来し道の
『枯葉舞い 星を頂き 乗る始発』今朝は曇天 星ひとつ見えなかったが、道路には 色とりどりの枯葉が道を彩っていた。始発のバス通勤を始めてもう四年になる。判を押したような同じ刻限 同乗仲間と言うのが出来る
本当だろうか? 一部分だけでは無いか? 没記事の筆頭は? 時勢に流されてはいないか? 新聞報道は、取材記者の努力とか良心の詰まったモノだから 丁寧に読まねばと思う反面 新聞最盛期の何分の一かのスタッフ
自分自身は、口下手の性質(たち)だと思う。喋り終えてから,もつと上手に言いたい事を相手に伝えられたのではと思う事が しばしば有る。喋るのはリアルタイム。立て板に水を流すが如くに 物事考えながら喋る事の
我々(七十歳台)の世代が、よく聴いたり たまに唄ったりする歌は、演歌とかニューミュージックと言われる分野でも我々が意味の判る言葉 ストーリーが有って、また其の表現も人情の機微とか 歌を介して慰めとか
先日、本サイトの「京都の会」と言う記事中に、高瀬川が大仏造営の資材運びに使うため作られた運河 通船路と言う事を書いたが、『京都にも大仏さんが有ったのですか?』という質問を複数受けたので、大仏の事を知
大学入試共通テストの記述式をめぐるゴタゴタは、最終学歴が中卒の柳居子には、全くの門外漢でよく判らない。判らぬ侭にパスするのは敬遠と取られるのも残念だから メディアの伝えることを拠り所に少し書いてみる
十二月 師走は、忠臣蔵のシーズンでもある。柳居子は忠臣蔵の『蔵』の一字を、主君の仇を打ち払した 太石内蔵助の蔵を取った 忠臣 内蔵助以下四十七士と言う意味に取っている。 巷間伝わる忠臣蔵のイメ
朝寝坊のデーターを取っている訳ではないが、思い返すと 大体銭湯に出掛けた翌朝 ふと目が覚めると、常ならもう朝食を済ませ、出掛ける準備も全て整っている午前四時三十分過ぎ 何時も聴くラジオ番組と違うイン
昨日お迎えした客人、暫く間が空いていると思っていたら、足を引き摺って店に入って来られた。一月ほど入院していてねという話し『知らぬ事とは言いながら、お見舞いにも上がらず失礼しました。』『知らせたら鋏と
内海航路 岡山県玉野市と香川県高松市を結ぶ 宇高連絡航路が、明日十五日の運行を以って、百九年の歴史を刻んで閉じることになったと報じていた。 航路廃止を発表した十一月十一日以降 最後に一度という乗
昨夜は京都の会。恒例の開宴前の柳居子の『京都一口噺』以下の如し 『皆さん 今晩は。今日は京都の人も殆ど知らない京都の裏話をしたいと思います。 鴨川の西 木屋町通りに沿って 高瀬川という川が流れて
人間 皆 生まれついての顔貌が有る。笑顔良し 人から好感を持たれる得な質の人が居る。笑顔一つで緊張が解けたり、場の雰囲気が暖かくなる。 又笑わない事を売りにしている人も居る。 『モンティ』事 モンゴ
配慮の欠けた対応を二件も続けて起してしまって、少々気落ちしている。 言っても良い事。言わなくても良い事。言ってはいけない事。内容が事実で有っても、相手の気を害する様な事は、言わない・書き送らないと云
自宅に帰り着くまでの道 バス停軽い上り坂の四百メートル程。昨日は肩にリュックを背負い 両手空けて歩いていて、ふと道路に落ちているゴミと言うのが、どの様な物が どれだけの量落ちているのか? 下らない事
満ち足りなくとも、努力すれば報われるという時代が有った。そういう時代が有った事を知っていることが、幸せか不幸せかは判らないが、今は違う。 師走の風景に輻輳する事だが、町の景色が今は全く違う。笛
師走の風物詩の様になっている、京舞井上流の〖事始め〗の挨拶の風景は、恒例の如くメディアも取り上げる。未だお正月にもなっていないのに『おめでとうさんどす。』の華やかな声が飛び交う。 ご挨拶の印と
師走 十二月 師とは誰 誰が走るのか? 十二月の異名「師走」は、他の月の異名とは、少し違うように思う。師とは、教師でも無ければ医師でも無い 師匠と呼ばれる人でも無く 坊主 僧侶の事らしい。 年
字数制限を付けた情報交換ツールが蔓延(はびこ)ると、まともな日本語が話せなくなるとか、書けなくなるという事を 本サイトに度々書きこんでいる。 起承転結の無い 起と結だけとか 結だけ 極端なのは、イメー
十三年前 本サイトに、同窓会開催心得帳 と言う一文を載せた。小・中学校の同窓会の世話を、万年幹事の様に引き受けていた事も有り、会の世話を大層な事と考えない程手練れとなっていた。 今もう少しで後期高齢
新聞を読んでいて時々、『あれっ』と、思う記事に出くわす事がある。よく問題視する伝え方では無く、伝える内容其の事に我々の持つ常識と言うのか 価値観とか倫理の面から 大きく外れる内容の記事が載ると、柳居
一昨日 フォークソング・ライブ会場へ早く着き過ぎて 時間待ちに直ぐ近くに先月オーブンした 『ユニクロ河原町三条店』の店内隈なく見て回った。 身に纏うモノ 衣装に限らず時計などにも関心が向かない性
昨日 日曜日は朝から大忙し。何と言っても師走 師で無くとも走り回らねばならない。とは言っても 家に居て安閑と過ごす事も出来るのだが、何となく頼まれごととか、浮世の義理捌きと云うような会合・催事に出掛
中曽根康弘元総理大臣の訃報を、新聞各紙は一斉に第一面に大きく取り上げていた。「戦後政治の総決算」とか「旧国鉄を始めとする公営企業の民営化」「ロナルドレーガン米大統領との親交は日米関係の強いつながりを
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ