孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
架蔵の日本語の雑学の本に、面白い項が有ったので紹介したい。 カレンダー・日めくりも今日一日を限りに 十二月 師走 クリスマス商戦もいよいよ本番スタート。河原町辺りのウインドーもクリスマス一色である。
百年前に分断された 佐竹家伝来の三十六歌仙の巻子二巻 何故切り分けられたか?。 明治維新前後の激動の時代、雄藩とは言っても、旧大名が其の家名を維持する事が出来たのは、徳川宗家を始めとした大大名だけ。
一昨日 栗塚旭さんが店にやって来た。用向きは判っていた。12月1日日曜日の午後 仕事場から幾らも離れていない烏丸 マンガミュージアムで、館長の荒俣宏氏と『新撰組血風録を振り返る』対談が有るので お時間
『核開発は、テロ行為』限定的な暴力・破壊工作をテロと考える凡庸な庶民には発想出来ない言葉 並の政治家・指導者が口にする事でも無いが、来日されたローマ教皇の発言となると、万金の重さと影響力が有る。
喪中につき 新年のご挨拶欠礼という葉書が 昨日また一通 今月二日 九十二歳で亡くなった 前田友一さんのご親族から届いた。 家族・親族だけで弔い事を済ませましたと、五日の日 息子さんが『大変長い
特別京都の事が詳しいなどとは思った事も無いが、ブログ記事には京都の事に付いて書いた事も多く、又その時代も多岐に渡っていると思うから、色々と京都の事を教えて頂きたいという人が、紹介を受けて柳居子の店に
眼や口ほどには働かないかも知れないが、手も人間の色々な行動とか 性格・性質を本来の目的以外に言い表す事が 結構沢山有る。術語や成句。諺などに数多く有る。思い付く言葉を 良い手・悪い手と分類するのも面
何某かの文を毎日掲載し続ける事は、どうしても物事を考えねば書き込めない事が多い。誰かの文を移し替えるだけなら、何の問題も無いたやすい事だが、自分自身の見解なり 感じ取った事を文に著す事は やはり内容
切干大根 千切りの煮物を時々作る。自分の食べる何倍もの量を作る。出来上がりの味の云々より、素材を洗ったり、切り刻んだり、煮たり焼くという手を加え 自分で作り上げていくというプロセスを 愉快とか愉しみ
毎土曜か 日曜の夜を 銭湯の日と決めて、一週間の内の一番のリラックス・タイムを過ごしている。先週は咳が酷く 銭湯に出掛ける気分にならず、昨夜水曜日の夜 咳も納まり風呂屋の暖簾をくぐった。 番台
最近 祇園町界隈を歩いていて、目に付くポスターが一枚ある。後姿だが 大勢の芸舞妓が同じ黒紋付きを着て一糸乱れず 前へ進む様を、大きく載せたポスター。後ろから撮るというのはなかなか小難い(こにくい)手法
体調不良で、滅多に叩かぬ医者の門戸を潜った。何処が悪いかと言うと。風邪でもないのに咳が止まらないとか 何となく疲れやすい 自宅に戻ると、布団敷いて早く横になりたい。休憩を挟まず3人のお客様に対応すると
昨日朝 珈琲屋で交した会話。いつも同席する友人の友人が久し振りにやって来て別テーブル二人だけで話をしていた。鹿児島の大学の農学部の先生と大部前に紹介されていた。『顎髭が随分白くなったね』と二人の会話
秋の空は変り易い。天気予報の精度が高くなったとは言っても 今日 今この場所が、晴れるか曇るか降るかは、神のみぞ知るという事だろう。 晴天神頼みのイベント〖岡崎とき灯り〗を主宰している 赤毛のOさん
朝の珈琲屋 観光シーズンともなると、店の外にまで行列が出来る程 空席待ちが並ぶ。昔は相席が基本だったから、今の様な混み具合は無かった様に思う。又コーヒーとトースト 後サンドイッチ・ジュース程度の注文
猫も杓子も一時期 持て囃されたiPS細胞を使った再生医療の新薬開発を進めている 京都大学iPS細胞研究所の 山中伸哉所長が。日本記者クラブでの記者会見の模様を、朝日新聞だけが取上げていた様だ。 再生
歌舞伎や浄瑠璃の演目を、知った被りで声上げて読むと、大恥搔く事がある。漢字表記だが、読みには助詞 其れも準体助詞 並立助詞とか終助詞とか 慣用読みと言うのか 平仮名読みが間に挟まる。 書き記されてい
次作は時代小説を書くという若い作家と交した会話。 ものの考え方とか価値観の尺度と言うのは、今を生きる自分自身が感得するものが基準になるかと思う。昔の人が如何いう考え方をしたか? 今と大きく違う
佐竹本歌仙切れ断簡の特別展観を見終わって、一階メインホールに常設の仏像の立ち並ぶ壮観に見入っている人達の所作に あっ 成程と気付いた事が有った。 其の日 朝早く始発バスに乗り込む前 バス停近くの 北
京都の秋は、色々と出掛ける所が有って結構な事だ。 昨日はFB仲間二人と他幼馴染一人の四人で、京都国立博物館で開催中の佐竹本三十六歌仙の断簡を見に出掛けた。 職掌は少し違うのだが、仕事の対象物として歌仙
普通 リサイタルとか演奏と言う催事は、殆どの場合 開場時間が来れば会場に入り 歌唱なり演奏が終わると 拍手で、出来が良ければ拍手鳴りやまず アンコール一曲唄うか奏でて、お開きになるのが 当たり前の事
親しく家族ぐるみのお付き合いのある女性 大学院博士課程で、京都市の終戦間際の強制疎開をテーマに論文を書いた人が居る。未だ強制疎開の事を喋る事の出来る当事者が辛うじて残っていた頃で。御池通り界隈の古老
従姉妹から、「喪中につき 新年のご挨拶は 失礼させて頂きます。』という葉書が届いた。四月に亡くなったご亭主は、やせ細って見るかげないという衰えを見なかった。只 ホスピスに入院する前に会ったのが最後だ
我ながら 良いお遊びを見つけたものだと思う。元はと言えば必要に迫られて、料理本見ながら両親の三食を柳居子が数年間作ったという経験もあつたのだが、夜の巷(ちまた)を、徘徊するような事が皆無となって、読書
ブログ記事の連載を続けていて、「あぁ 良かったなぁ」と思う事が時々ある。 毎日の記事を纏めたプリント版に、発刊毎 葉書に感想文を書いて送って頂く九十歳近いご婦人 御主人に差上げていた物を 旦那さ
庭に根を張っている金木犀と梅の枝が、伸びるに任せて隣家の庭に はみ出して来ると。何となくはみ出し分だけでも切り払わねばと、焦りの気分になる。 庭師を入れるような大層な庭でも無ければ 庭に回す余裕は無
連休 雨の心配も無さそうと判断 奈良国立博物館で開催中の正倉院展に出掛けた。令和の即位の記念展観と言う事で、展示物もレベルの高いものばかり。 柳居子の一番のお目当ては『鳥毛立女の屏風絵』 朝九時
歌手 越路吹雪が世を去って早いもので この七日 四十年の歳月が流れるという。出掛ける機会がめっきり減ったカラオケでも必ず彼女の曲を一曲は唄うという紛れ無きファンである。越路の芸名から越後路の出身の様
テレビを全く見なくなって、もう10年位になるだろうか。仙人のような暮らしをしている。自宅は 本と新聞とラジオ以外は何も無い。唯一テレビに接するのは、時々出掛ける銭湯の番台の正面に据え付けられたテレビだ
其の人の母親の代から、至って親しくしていた小料理屋の女主人は。柳居子と同じ年。ご亭主はサラリーマン引退してから随分になる。母から継いだその料理屋を廃業してからも結構な歳月が流れている。 近くに
「ブログリーダー」を活用して、柳居子徒然さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ