統一教会系日刊紙「世界日報」の社説
統一教会の何が悪いか。こんな記事もある。文鮮明はこのように言っている。「戦時中、日本人は韓国人の女性を連行し、性奴隷にした。その罪を償わなければならない」と。それで合同結婚式で、日本人女性と韓国人男性を結婚させ、日本人の女性を性奴隷並みに虐待させた?????と合同結婚式で夫婦となって幸せに生活している人も多いとも聞くが。これが事実なら由々しき事だが、日本人女性に「贖罪として韓国人男性と結婚するよう」な意識を醸成させたのは、そもそも朝日新聞の「慰安婦記事」ではなかったか。統一教会の合同結婚式を叩くなら、朝日新聞も同罪ではないか?「韓国人に謝罪せよ」と朝日新聞が煽った
(今日8月15日終戦の日これも数年前書いた記事の再掲です)Oさんが亡くなられたとの知らせ。91歳でした。以前戦争中のことをお聞きしました。Oさんは戦時中愛知一中(現旭丘高校=東大医学部進学率No.1)に在籍していた。「愛知一中」というと、数年前、NHKでも紹介された「予科練総決起事件」があった学校です。昭和18年7月、校長や教師らが「国家の危急存亡の時」と生徒の愛国心を炊きつけたことで、3、4年生の生徒全員が「海軍の飛行予科練習生」への志願を決め、校長に提出した。これにあわてたのは親たち。一中は名古屋でもエリートが集まる学校だった。親としてみれば、わが子は「末は博士か大臣か」と期待していたのに、一兵卒として散るだけの「特攻」に志願するというのはなんとしても止めたいけれど、正面きっては口にできない。当時の新...「愛知一中」OBのOさんに聞く
2015年に書いたブログの再掲です。今ネットで検索しても下記の本は出てきません。「私が見た憲法」より『欽定憲法下の中学校』村上宏1927(昭和2)年兵庫県生まれ。2013年6月11日記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・空襲の激化に伴い、敵機の目をごまかすため「白いビルの壁には黒い色を乱雑に塗るように」との通達に従って、C中学の校史には「竿の先に雑巾を付け、屋上の胸壁から乗り出してコールタールを付けた」という生徒の体験談がある。その一方で、私(村上氏)が居たD校(現神戸市、当時は武庫郡魚崎町)は、「校舎を目立たなくしたって、運動場が目立ってまるわかりだ。バカなことはやめとけ」と校長が一蹴したと「記念誌」に書かれている。この校長先生は、軍人養成校への進学を勧めに来た軍人を前...真実を語る勇気
日韓友好団体の会合で、日本と韓国の歴史をまとめたDVDを見せられた。その中で、日本が韓国を侵略、植民地化したこと。「福沢諭吉もそれに同調していた」とあった。これには一言申し上げたい。福沢諭吉は、明治18年(1885)『脱亜論』を書いて、清や朝鮮を見限ろうと考えた。「…筆者からこの二国[清・朝鮮]をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。幸い国の中に志士が現れ、国の開明進歩の手始めに、われらの明治維新のような政府の大改革を企て、政治を改めるとともに人心を一新するような活動があれば、それはまた別である。もしそうならない場合は、今より数年たたぬうちに亡国となり、その国土は世界の文明諸国に分割されることは、一点の疑いもない」。福沢諭吉は決してアジアを蔑視してこの文章を記したのではな...福沢諭吉は「侵略主義者か?」に答える。
以前中日新聞に連載されていた「天佑なり」は高橋是清が主人公。これまで「日露戦争」も、戦略、戦術のみで語られてきたが、その裏で、戦費調達のために、高橋是清が外債のとりつけなど、いかに努力してきたかを知る上で興味深かった。「日露戦争」は国家予算の7倍もの戦費を要した。信じられないほどの額だった。日本がロシアに勝利したのは、ロシアのバルチック艦隊より優秀な、当時最新鋭の艦船や大砲を調達していたからだった。そのためには、外国での公債発行などでの資金調達が必要だった。そうした経済面での話は今まであまり論じられてこなかった。そういえば、私が勤務していた千代田生命は明治37年、日露戦争開戦の年に創業された。当時、相前後して数十社もの保険会社が設立されたが、これも日露戦争の戦費調達の為だった。生命保険の契約は30年という...日露戦争の勝利が太平洋戦争の敗戦を招いた
『日本のいちばん長い日』映画にもなった。私の叔父、牧原源一郎は、運輸大臣「小日山直登」の秘書官だったので、『小日山直登氏を偲ぶ』という本を出して、当時のことを書き残しています。牧原源一郎小日山直登運輸通信大臣「8月14日は午前10時から閣議が開かれる予定なので、各大臣は総理官邸に集まっていた。そこへ、「全員即刻参内せよ。平服でも苦しからず」と。豊田軍需大臣、太田文部大臣は開襟シャツだったので、「いくらなんでも、陛下の午前にこのままで出ることはできない。君のを貸せ」というので、私は早速脱いで、ワイシャツとネクタイを差し上げた。両大臣はそれを着けて参内された。そのため、私は一足遅れて宮内省裏玄関に駈け付け、そこで待機していた。しばらくして、皇族方を始め重臣閣僚が大勢戻って来られた。皆、真っ赤な顔に涙が光ってい...秘書官が見た「日本のいちばん長い日」昭和20年8月14日
8月15日終戦記念日。毎年アップさせていただいております。再掲です。私の伯父牧原源一郎は、終戦時国会議員で小日山直登運輸大臣の秘書官だった。小日山直登氏は、戦局不利となった昭和20年5月、東条英機の後を受けて組閣された鈴木貫太郎内閣で、満鉄総裁から運輸大臣に登用された。小日山氏は会津出身で、大臣就任とともに、同郷の代議士牧原源一郎を秘書官としたのである。その牧原源一郎が『小日山直登を偲ぶ』という本を遺している。それによると、「小日山運輸大臣は、秘書官(牧原源一郎)を伴って、九州各県の慰問のため、7/18東京を発ち、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、宮崎、大分と1週間かけて巡回。帰途、広島に立ち寄った。西部司令官の畑俊六元帥、広島県知事の高野源進氏もともに同郷人(会津出身)であったから、その夜、会食を共にした。この...運輸秘書官の見た終戦秘話
私の父「牧原五郎」は、昭和16年春、慶応大学を卒業して東京電力に入社。勤務わずか4ヶ月で徴兵。8月に故郷の会津若松65連隊に入隊し、12月に支那へ。満州の新京で士官候補生として経理学校に通い、主計少尉として、中支、南支までひたすら行軍。「徐州徐州と軍馬はなびく~」の歌の通り。父は「主計少尉」だったので、食料や衣類の手配が職務だから直接戦闘に加わることはなかったようだが、何回か敵の襲撃を受けて、死に目に遭っている。多くの部下、戦友を失ったが、「自分は、一人も人を殺すことはなかった。そのおかげで、無事帰還できたのでは」という。記録によれば、昭和19年から終戦までで2,000人が亡くなっている。しかし、その内戦死は630人で、他は戦病死。つまり、コレラやマラリア、そして餓死。なんということだ。「毎日コレラで何十...父の終戦
私の父は昭和16年3月に慶応大学を卒業し、8月に故郷の会津若松第65連隊に入隊した。田舎のこと、学士上がりの一兵卒は、上官からにらまれた。父の『従軍記』の中に、上官に呼び出され、「貴様は慶応か。福沢諭吉は国賊だ。許せん」との理由で、往復ピンタどころか、顔が腫れあがるまで、さんざんに殴られた」という記述がある。「福沢諭吉・国賊」で検索して、一件だけみつけた。2009年の「福沢諭吉展」に関連するサイトです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福澤が「国賊」と言われた時代がありました。昭和戦前・戦中の時期です。慶應義塾は「国賊福澤諭吉」の創立した「自由主義者の巣窟」といわれた。自粛自粛、統制統制という波の中で、自由主義などというのは禁句という空気が満ちていました。そのこ...福沢諭吉が“国賊”呼ばわりされた?
戦時中は“国賊”といわれた福沢諭吉先生。戦後は一転して、「朝鮮、台湾の植民地化を是認した侵略主義者だった」と、批判されるようになった。批判された論文は、福沢諭吉の『脱亜論(だつあろん)』。これは、1885年(明治18年)『時事新報』に掲載された「社説」で、「無署名」だったが「福沢諭吉」の寄稿とされ、近年になって「福澤諭吉は朝鮮と中国を蔑視し、侵略、植民地化を肯定した人種差別主義者であった」というような批判の声が出てきた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<福沢諭吉『脱亜論』の要旨>日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。西欧諸外国から見れば、日本も中国・朝鮮と同列に見られる。しかし、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、...福沢諭吉の「脱亜論」は今日でも通じる
「ロス疑惑=三浦和義事件」を覚えてますか?「ロス疑惑」とは、1981年アメリカのロサンゼルスで三浦和義と妻が何者か銃撃され、妻が死亡する事件があり、三浦和義が保険金目当てで仕組んだのではないか?とされる疑惑のことです。週刊文春の追求で、三浦和義は「ロスで妻の一美さんが殴打され負傷した事件を仕組んだ」として逮捕されましたが、銃撃事件に関しては証拠不十分で、2003年に無罪となりました。釈放から10年後2008年2月のにサイパンに旅行に行き、そこでアメリカの捜査当局に逮捕され、サイパンからロサンゼルスに移送されたその日に、ロサンゼルス市警内の留置所で自殺したことになっています。が、浦の弁護人のマーク・ゲラゴスは「遺体を検視した病理学者が自殺ではなく他殺であったと結論づけた」と言ってます。「三浦和義、ついに観念...疑惑の銃弾うやむやにされた三浦和義事件
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」8月7日放送の第30回で、新納慎也さん演じる阿野全成が殺された。特異なキャラで視聴者からも愛されていた全成が壮絶な最期を遂げ、私的にもショックが大きい。実は「阿野全成」は、虚無僧史を研究し続けてきた私としては、かねて関心を持っていた人物。「中国唐代の普化禅師を祖とする普化宗は、鎌倉時代、紀州由良の開山法燈国師覚心によって日本に伝えられた」とする虚無僧の伝記は、『虚鐸伝記国字解』に書かれ、一般に流布された。その書のはしがきに「虚鐸伝記という書は遁翁の作で、阿野中納言家に伝ったものを山本守秀が解読し、寛政7年(1795)出版した」と書かれており、「阿野中納言公縄(1728-1781)」の朱印が押されている。そこで「阿野」氏についてネットて調べたところ、すごいことがわかりました...「鎌倉殿の13人」阿野全成のご子孫は今
昨年の8月は、オリンピックとコロナのバカ騒ぎで、広島・長崎の原爆も終戦も、御巣鷹山日航機墜落事故もぶっ飛んだか。テレビではほとんど報道されなかった。日航123便墜落の真相元日航客室乗務員青山透子さんが当時の新聞や、関係者への取材などをもとに「なぜ日航123便は墜落したのか」というテーマを執拗に追っている。5つの「なぜ」。第1の「なぜ」。「後部圧力隔壁損壊」が事故原因とされたが、圧力隔壁が損壊したら機内与圧が急激に低下し白い水蒸気のような気体が充満し、乗員、乗客は気を失う。とても遺書を書くことなどできない。第2に、「墜落現場の特定がなぜ遅れたか」。複数の人の通報で墜落現場は特定されていたのに、二転三転した。それは御巣鷹山に誰も近づけないようにしたのではないか。第3の「なぜ」は、救助の遅れ。米空軍の中尉が、1...御巣鷹山日航機墜落事故から36年
毎年載せている記事です。衝撃の告発。「御巣鷹山に墜落した日航123便はミサイルで撃墜された」でも、誰も騒がない。無視無視虫虫蒸し蒸し蒸しえぇ~い蒸し暑い。1985年8月12日、羽田を発った大阪伊丹空港行「日本航空123便」は、当初から不自然な報道が繰り返された。私も終日テレビを見ていて疑問を感じていた。当初、「相模湾で尾翼が発見された」と、たしかに報道されていた。海に浮かぶ尾翼の映像を私は見ている。隔壁の破損ではなく「尾翼」が落ちたのだ。なぜ尾翼が落ちたのか。「ミサイルで撃ち落とされた」のだという。当時、相模湾では米軍と海上自衛隊が演習を行っていた。標的物を飛ばして、それに向けてミサイルを発射するはずだった。その標的が運悪く日航機の垂直尾翼に当たってしまった。その標的に向かってミサイルが飛んでいく。あわて...日航機123便はミサイルで撃墜された!?
日航機123便が御巣鷹山に墜落したした際、NHKニュースが「長野県警によると、待機していた自衛隊員が何者かに銃撃されて、射殺されました」と報じた。しかし、すぐ後に「自衛隊員が射殺されたというのは誤報でした」というテロップが流れたとも。いや、「射殺されたのではなく、自殺だった」とのニュースが流れたとも。現場での自衛隊員の死者は二人とも三人とも。数名とも。はたしてそんな事が本当にあったのだろうか。そして、そして、墜落事件の翌月9月に2人、12月にも2人、その後の1年間で、なんと90人もの自衛官が自殺しているという異常さ。これは何を意味するのだろうか。事件の真相を知る者たちの口封じではなかったか。おそろしや。日航機123便墜落関連か、相次ぐ自衛隊員の不審死
御巣鷹山、日航機墜落事件。あえて「事故」ではなく「事件」と言おう。事故調査委員会がまとめた報告には多くの疑問が残る。日航機墜落事件から35年。ことの真相を問う本が何冊か出ている。「123便は、自衛隊により撃墜された」。当時、自衛隊は、標的機を飛ばしてミサイルで打ち落とす訓練をしていた。その標的機が、近くを飛んでいた日航123便の尾翼に当たって、尾翼が吹き飛ばされた。相模湾に落下した尾翼はすぐに発見されテレビでも放映されていたのを私も見た。しかしその後この映像は放映されなくなった。日航機の墜落現場はすぐ特定されたが、自衛隊はあえて別の場所を公表し、マスコミや民間の救助隊の到着を遅らせ、その間に、生存者の救助より、標的機の残骸の回収を優先させた。さらに、数十名もいた生存者を火炎放射器で焼き殺した。救助に当たろ...御巣鷹山の真相。日航機は自衛隊により撃墜された!?
「統一教会は霊感商法で評判を落としたので、名称変更を認めてもらうために、自民を応援した」などと、騒がれているが、これもマスコミの事実誤認、誤報らしい。フジテレビ系「日曜報道THEPRIME」(日曜・午前7時半)。番組では、前川喜平元文部科学事務次官が5日に「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題を巡る野党合同ヒアリング」に出席し、2015年、統一教会が世界平和統一家庭連合へ名称を変更した経緯を証言したことを報じた。スタジオでは1997年に旧統一教会が名称変更を当時、宗務課長だった前川氏に相談したが、霊感商法など社会的に問題があることから名称変更の「申請を出さないで欲しい」と教団に伝えたことを報じた。この方針は18年間、踏襲されたが教団から15年6月に改称の申請があり、文科省の外局の文化庁は同年7月に受理し...「統一教会の名称変更」について、何が悪いのか
拙僧は節操のない虚無僧でござる。「赤旗」もとっていれば、統一教会の「世界日報」も、双方から頼まれるままにとって読んでいる。実は、知人には共産党もいれば、統一教会の会員もたくさんいるから、双方から頼まれてのことではあるが。虚無僧の元祖一休の「この橋(端)渡るべからず=右にも左にも偏らず」が信条であるから、連日のマスコミの「統一教会つぶし」には首肯できない。あきらかに異常である。今や「統一教会と接触のあった自民党議員が吊るし上げにあっている。魔女狩りだ。はて、統一教会員が自民党議員の応援をして何が悪いというのか。なら創価学会員が公明党議員の応援はどうなのだ。各企業の労働組合員が野党の応援をしているのはどうなのか。さまざまな業界、各団体がそれぞれの利権をめぐって支持者を決め一票をいれるよう運動している。神道系の...統一教会の何が悪いのか?その4
拙僧は節操のない虚無僧でござる。「赤旗」もとっていれば、統一教会の「世界日報」も、双方から頼まれるままにとって読んでいる。実は、知人には共産党もいれば、統一教会の会員もたくさんいるから、双方から頼まれてのことではあるが。虚無僧の元祖一休の「この橋(端)渡るべからず=右にも左にも偏らず」が信条であるから、連日のマスコミの「統一教会つぶし」は、私の目には異常にしか見えない。「霊感商法」が違法というなら、神社のお札やお祓いはどうなるのだろう。伊勢神宮ではあくまで「寄付」と称しているが、垣内参拝では10万円くらいは包まなければならない。「参拝することで、家内安全、無病息災」が約束されるわけではない。「宝くじ」が当たるわけではない。だとしたら神社は詐欺集団ではないか。「正月にお参りしてお札を買わなければ、災いが起こ...統一教会の何が悪いのか?その3
拙僧は節操のない虚無僧でござる。「赤旗」もとっていれば、統一教会の「世界日報」も、双方から頼まれるままにとって読んでいる。実は、知人には共産党もいれば、統一教会の会員もたくさんいるから、双方から頼まれてのことではあるが。虚無僧の元祖一休の「この橋(端)渡るべからず=右にも左にも偏らず」が信条であるから、連日のマスコミの「統一教会つぶし」には首肯できない。あきらかに異常である。8月8日に放送された『ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、「元大阪府知事の橋下徹氏(53)が全国霊感商法対策弁護士連絡会の紀藤正樹氏(61)に論破された」とネットで騒がれている。そのシーンを私は見ていないが、紀藤氏の「フランスの反カルト法のような法律を導入すべき」という提言に、橋下徹氏は「(信者が)信じているのはしょうがない。だから教義内容...統一教会の何が悪いのか?その2
拙僧は節操のない虚無僧でござる。「赤旗」もとっていれば、統一教会の「世界日報」も、双方から頼まれるままにとって読んでいる。虚無僧の元祖「一休のこの橋(端)渡るべからず=右にも左にも偏らず」が信条なのである。実は、知人には共産党もいれば、統一教会の会員もたくさんいるから、双方から頼まれてのことではあるが。共産党員も統一教会員も人間的にはみな良い人たちである。統一教会員は意外にも多い。だから、巷間統一教会へのバッシングが盛んであるが、うっかりそれに乗せられて「統一教会」を非難するわけにはいかない。霊感商法が問題になったのは、もう20年以上も前のこと。今では壺を売るようなことは一切ない。私自身「献金」を勧められたことは無い。そういう立場で、統一教会の最近のバッシングについて考えてみたい。ネットで検索して、次の記...統一教会の何が悪いのか?
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