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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

オニメ
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2007/08/13

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  • 21ピテカントロプス・エレクトス 麻屋与志夫

    21ピテカントロプス・エレクトスひとは歩くことによって人となっただとしたら悲惨の発疹がふきだすのを覚悟で告白する歩くことのできなくなったわたしはもう人ではないことは明白だ二足歩行でなくてもいい転ばぬ先の杖をついて街を歩け直立猿人の矜持にかけても歩けPithecanthropusエレクトスエレクトしなくなった股間の休息したままで茫洋と垂れさがったイチモツを風もないのに派手やかにゆらしながら街を歩け折節の翳りのなかから浮かび上がる恋人にならなかった恋人の女どもよ笑ってたもれまだまだおいらは生きているよ注名実ともに北斎画人を歳だけはこの六月で超えました。GGは今度は熊谷守一画伯を目指して生きていく所存です。画伯は九七歳まで生きていました。青木繁と上野の芸大で同期。本当なのだろうか。GGは今だ学成りがたし。麻屋与...21ピテカントロプス・エレクトス麻屋与志夫

  • 『愛猫リリに捧げる哀歌』 麻屋与志夫

    6月24日土曜日ルナがアンモナイトのように丸くなって寝ている。妻のベッドの足元に無防備に、ということは安心しきって寝ているのだ。そもそもネコは餌とトイレの始末をしてくれるひとを母猫とおもいこむ。かれこれ半世紀も猫と同棲している。息子が森山会館のまえでチャトラの子ネコをひろってきたのが初代のミューだ。そのころ妻は猫にふれることができなかった。あのむくむくして呼吸しているネコが怖くてさわれなかった。いまではルナにふれていると熟睡できるというのだ。ルナと妻と平和に寝ている姿がわたしをしんみりとした感情にみちびく。平和だなぁねと感じるのだ。ななにもない。なにも起きない。まいにち同じような日がつづく。これでいいのだ。三代目リリ、たった四年の短い命。リリをうしなった悲しみは、妻とわたしの合作。『愛猫リリに捧げる哀歌』...『愛猫リリに捧げる哀歌』麻屋与志夫

  • 毛玉を子ネコのうに思っているのかな。麻屋与志夫

    6月23日金曜日このところルナも衣替えの季節だ。ブラッシングしてやる>すごく毛が抜ける。ひとまわり小さくなったようにみえる。抜けた毛をボールに妻が丸めた。ふんわりとしたピンポンボールほどの大きさ。投げてやると両手でうけとめる。うまいものだ。そのジャンプした時の躍動感が、さすがだ。いかにもハンターらしい。ともかく飛んでいるトンボや蝶をつかまえてしまうルナだ。ルナは毛玉ボールをまるで子ネコをくわえて移動させる母猫の動作でもちあるいている。そして、部屋の隅にかくしてしまう。ときおり、水のみ皿のなかに、ポトンと落としたりする。毛玉だから沈まない。水もふくまない。でも、どうして水のなに入れるのだろう。まるで子猫に水のみ場を教えているようにわたしには見える。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます...毛玉を子ネコのうに思っているのかな。麻屋与志夫

  • あの黒白のノラチャンどこにいるの。 麻屋与志夫

    6月22日木曜日ノラチャンのためにおい固形餌が餌皿のなかで雨にぬれてしまっていた。昼過ぎもういちど、勝手口からのぞいたら皿から餌はながれだし地面にちらばっていた。待てどくらせどここぬノラチャンのことばかり思っている。まだ一日しかたっていない。でも一日千秋の思いだ。どこで、この雨をしのいでいるのだろう。昼頃小やみになったので、ノラチャンを見た場所までいってみた。しばらく待ってみたが、雨がまた降りだしたので家にもどる。暇な老人の戯けな行為とおもわれるかかもしれない。でもいそがしい。小説を書いたり本を読んだり英語のべんきょうをしたり、ともかくいそがしい。でもネコフリークのGGはネコのために過ごす時間は、食べモノで言えば別腹だ。もういちど、あの黒白の斑、ノラちゃんに会いたいな。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサ...あの黒白のノラチャンどこにいるの。麻屋与志夫

  • 「汝が性のつたなさをなげけ」麻屋与志夫

    6月21日水曜日いつもの散歩道、カーブミラーのある場所。ミラーのポールの向こうに、なんとなんと子ネコがいた。生後三か月くらい。この街にはノラちゃんはほとんどいないと昨日書いたばかりだ。黒と白のぶち。直射日光を浴びてゲンナリと地べたに横になっている。元気がない。ネコfreakのGGとしては「汝が性のつたなさをなげけ」とすておけない。家にもどって固形餌を持参した。ポールの根元にそっとおく。警戒してよってこない。夕暮れ時、もう一度いってみた。餌は一粒残らずたべてあった。これから猛暑が続く。どうやって生きながらえるのだろう。わが家からは100メートルの距離。カミさんが裏木戸口に固形餌と水を置いた。気づいてくれればいいのだが。ネコは人間の嗅覚よりはるかにすぐれているらしい。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで...「汝が性のつたなさをなげけ」麻屋与志夫

  • ルナチャンだっこしてよ。 麻屋与志夫

    6月20日火曜日ひんやりとしたネコベッドでルナが寝ている。このところの猛暑日でさすがに妻のベッドのすそには寝なくなった。ネコベッドはわたしの枕元のソファり上に置いてある。ルナの寝息が聞こえる。今朝はいない。おやっ、思い妻のベッドに近寄って見た。いた。すその方でアンモナイトのようにまるくなっている。すこし肌寒いような朝だ。ルナはいままで共棲してきたネコとは全く違う。わが庭に迷い込んで来た街ネコとは異なっている。まず膝の上にのってあまえない。冬、寝床にもぐりこんでこない。ダッコにいたっては、ものの10秒くらい。で、逃げてしまう。ゴロゴロのどを鳴らさない。ともかく、人に慣れてあまるということがない。今朝はそれでも朝茶をのんでいるわたしのあしもとで香箱座りをしていた。こういうルナの姿態を見てるだけでわたしは充分癒...ルナチャンだっこしてよ。麻屋与志夫

  • 卒寿のGGの父の日の雑感 麻屋与志夫

    6月18日晴まだだ。まだ歩ける。まだ前に向って歩ける。そう心で呟きながら歩きつづけている。母校である北小学校の正門までは歩きたい。往復二十分の距離。このところ調子が悪くちょっと無理みたいだいだ。弁天さんの池に泳ぐ鯉や亀をみて、折り返している。十分はかかる。小説をかくための体力を温存しておくためには歩いて体力を維持するほかにない。DR.にはあまり無理しないようにいわれている。でも一時間くらい歩けないことには、どこへも外出できない。宇都宮くらいならいけるかな。日光はむりだろうな。そんなことより、東京へ絵をみにいきたいのだが、これは、なおさら無理無理。毎日そんなことを考えながら歩いている。ルナがワンちゃんだったらリードをつけていっしょに歩けるのにな。今日は『父の日』。わたしは、仏壇と向かい合って、毎日、こうして...卒寿のGGの父の日の雑感麻屋与志夫

  • コイの病、コエの病、方言はややこしいな。 麻屋与志夫

    6月17日土曜日若い時からコイの病になやまされている。こう書くと、恋の病と思われるだろうが。声の病のことだ。北関東の方言では、声と恋が混同してしまう人がいる。ごたぶんにもれずわたしもそうだ。声の病が、恋の病に聞こえる。扁桃腺が弱く直ぐに声がかれてしまう。がさがさした声で人と話すのはみっともない。GGになっても、よく喉をはらす。扁桃腺の摘出手術は若い時してもらった。それでも喉が腫れる。ルゴールを付けたり。嗽をしたり。トローチを舐めたりするが大した効果はない。声の病にきく薬はないのだろうか。お医者様でも草津の湯でも声の病には効かないと。……そう、聞こえてしまうのだろうな。GGは猫は飼っていますが、エヌは飼っていません。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで...コイの病、コエの病、方言はややこしいな。麻屋与志夫

  • 熊谷守一、モリさんと生活態度だけはそっくりだ。 麻屋与志夫

    6月14日水曜日よろけた。道端のポールにすがった。ザラっという鉄さびの感触。見上げると円形の鏡。そうかここにあったのだ。カーブミラー。膜がかかったように汚れている。そしてさらに薄汚れた男の姿。顔には白い無精ひげ。roundshoulders、肩をおとして貧相。slouch、猫背。疲れ切った顔。カーブミラーのなかの姿。なんとオイラではないか。尾羽打ち枯らした姿。これはもう、書きかけの「卒塔婆翁」をはやく完成させなければとあせった。だって、どうみたって芸術家の、小説家の姿ではない。昨日見た熊谷守一をモデルにした映画。「モリのいる場所」の俳優の山崎努。老いたりといえども、芸術家としての勇姿。GGはなんとかけはなれているのだろう。似ているのは家に閉じこもって生活しているくらいだ。いや、猫、蟻、カマキリ、揚羽蝶、に...熊谷守一、モリさんと生活態度だけはそっくりだ。麻屋与志夫

  • おいらは猫並みの生存価値なの。麻屋与志夫

    6月9日金曜日夜半の雨がまだ降り続いているジャンバーをきて登山帽をかぶりゴミだしにでた。ルナの飛びだしを警戒しながら玄関を開ける。深岩石の塀が雨にぬれて薄青くなっている。大谷石とほとんど変わらないのだが、すこしばかり肌理がこまかく、雨にぬれるとかくれていた淡青色がうかびあがってくるのが好ましい。GGはバカだから雨の中プラスチックのゴミ袋をさげたまたたずんでいた。強力な腐臭でわれにかえった。三日ほどまえだ。不意に寝室に小さなネズミがあらわれた。ルナがさわいでいるので妻がきづいた。とつぜんなりひびくケタタマシイ絶叫に、おっとり刀でかけつけてみるとカミさんがふるえている。地震雷火事カミさんのわがやではあるが、彼女にも弱いものがある。それがネズミ。まえにもブログに書いたがハンターであるルナにネズミを捕獲させてやり...おいらは猫並みの生存価値なの。麻屋与志夫

  • 幻のカレーライス 麻屋与志夫

    古き良き時代のカレーライスの思い出です。幻のカレーライス1二階の照明の輝度をおとす巨大なピクチャー・ウインドウの彼方雪の日光連峰は夜の果てに霞む眼下の晃望台の街は人影がとだえた満目蕭条ときおり野獣の眼光を光らして車が通るただそれだけで今日も無事なんとなく終わる階下の客の声もまばらになるレジスターの音もとだえがちだひとり窓に孤影を映すもう「ソラリス」もネオンをおとす時刻厨房に降りて川澄さんにカレーライスを御馳走になるかな冬の夜閉店まぎわのじぶんの店で太っちよ中年がカレーライスをすするさまにならないんだなぁいまは昔四分の一世紀もたっちまったけど日比谷の有楽座の前にニュートウキョウってレストランがあったカレーライスがうまいので友だちとよくでかていったコーヒーが五十円くらいカレーライスは百円だったかな一か月働いて...幻のカレーライス麻屋与志夫

  • 幻のカレーライス3 麻屋与志夫

    6月8日幻のカレーライス3あの日あの時のことを日記にけた「ここからこの日の彼女のことから小説を書こう」彼女は、なぜ故郷にかえったのか待っている男がいたのだろうかいまだに彼女はぼくの小説にはあらわれないぼくはいたずらに肥厚しレストランのマスター川澄さんの激辛のカレーライスをたべても涙はうかんでこない今日もぶじなにごともなく閉店することができたなにもおこらなかったそれを幸せとする歳になっている二階の照明を消して階下への階段を下りよう幻のカレーライス3麻屋与志夫

  • 幻のカレーライス 2 麻屋与志夫

    幻のカレーライス2あるときゲルピンで街にでたいつもの店のまえに立っていたカレーライスをたべたいふつかもろくなものをたべていない店のショーウインドウを眺めていたら真っ赤なコートを着たいつものウエトレスがでてきた「わたしがごちそあするわ」話を交わしたのはそれがはじめて「めぐんでもらうようでわるいから」「失礼ですがいくらあるの」「五十円」卓についていると大盛のライスのわきに福神漬けをたっぷりとのせカレーライスがはこばれてきた「わたし急ぐのでどうぞごゆっくり」ひとりぼっちの食卓でカレーをたべていたら仲間がどやどややってきた「泣いているのかおまえ」「ああカレーが目にしみた」かれらは笑った彼女にとってあれが最後の給仕だった翌日五十円返してまたカレーをたべようと店にいった彼女は故郷にかえったという雪深い新潟の故郷で彼女...幻のカレーライス2麻屋与志夫

  • 幻のカレーライス 麻屋与志夫

    幻のカレーライス1二階の照明の輝度をおとす巨大なピクチャー・ウインドウの彼方雪の日光連峰は夜の果てに霞む眼下の晃望台の街は人影がとだえた満目蕭条ときおり野獣の眼光を光らして車が通るただそれだけで今日も無事なんとなく終わる階下の客の声もまばらになるレジスターの音もとだえがちだひとり窓に孤影を映すもう「ソラリス」もネオンをおとす時刻厨房に降りて川澄さんにカレーライスを御馳走になるかな冬の夜閉店まぎわのじぶんの店で太っちよ中年がカレーライスをすするさまにならないんだなぁいまは昔四分の一世紀もたっちまったけど日比谷の有楽座の前にニュートウキョウってレストランがあったカレーライスがうまいので友だちとよくでかていったコーヒーが五十円くらいカレーライスは百円だったかな一か月働いて四千円の時代ぼくら芸術家のエッグにはたい...幻のカレーライス麻屋与志夫

  • ルナちゃんは肩が凝らないの、悪夢はみないの。麻屋与志夫

    6月3日土曜日雨悪夢。ウナサレタ。妻におこされた。3時。そのまま早すぎる起床。金縛りにあい、悪魔に日本カミソリで刻まれる夢だった。思うに、10時間ほど、昨日はパソコンにむかい小説を書いた。疲れがでたのだろう。筋肉がつかれるのはスポーツのあとだけではない。ルナは耳聡い。GGを追いかけて来た。離れに閉じ込めたままにしておくのは可哀想。固形餌。一つまみあげたいのだが。やめた。餌は計量してカミさんあたえている。「ルナがデブ猫になったらどうするの」叱られるのはいやだ。目下わが家は、かみさんの完全支配下にある。それにしても、ルナの元気なこと。さっそく部屋のすみずみを獲物を探してあるいている。ルナちゃん。肩が凝らないの。悪夢はみないの。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。...ルナちゃんは肩が凝らないの、悪夢はみないの。麻屋与志夫

  • ねらった獲物はかならずしとめる。 麻屋与志夫

    6月2日金曜日朝から雨つくづくハンターなのだと思う。ルナが目線の先に小さな虫が飛んでいるのをとらえた。「とびついたけど、だめだったの」虫は床に落ちたが、逃げてしまった。GGが書斎兼寝室にはいっていったとき。ルナは鼻づらを床にこすりつけるように。ひくくかまえて。部屋のすみずみをさがしあるいていた。逃がした虫をさがしている。まさに狩人の執念。獲物がおおきかろうがちいさかろうが。関係ない。いちど、狙った獲物はかならずしとめる。ルナだったら猫だ。かならず、つかまえる。その執念たるや、恐るべし。明け方までさがしあるいていた。寝床で明け方おきあがった。GGはおどろいた。ルナがまだ虫をさがしていた。「ぱぱ、もうあきらめたら」「趣味として書いていたら」「あまり苦しそうでみてられないわ」娘や妻に慰めともとれる言葉をかけられ...ねらった獲物はかならずしとめる。麻屋与志夫

  • ルナちゃん、お庭で遊びましょう。 麻屋与志夫

    6月1日木曜日野良猫を見かけなくなった。猫好きのGGにとってはうれしいやら悲しいやら複雑な気持ちだ。散歩していて猫ちゃんを見かけるのは楽しい。よってきて足元にすりすりされるとぞくぞくする。やせほそって毛並みもあれて汚れている猫に出会うと憐れをもよおす。いつも携帯している固形餌を人目に触れないよう注意してそっとあげる。わが家のアメショウはもちろん室内飼い。本当は猫どうしで遊べる多頭飼いが望ましいのだが。いまでは絶えずそうしてきた。エサ代もこのところ値上がりしてGGの酒代をおびやかしている。暖かな気候になった。ルナは庭にでるのがたのしそうだ。GGが靴を履く音がするとどこにいても、すっ飛んでくる。横25縦2メートルの狭い庭だ。先祖は広大なアメリカの荒野や農家の納屋などでネズミを狩ることを習性としてきた。だから、...ルナちゃん、お庭で遊びましょう。麻屋与志夫

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