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  • 【4月30日】

    悪魔の寵児は悪魔の手毬唄が終わるころから雑誌連載が始まって、そのエログロなところが論議を起こしたといいます。確かに殺された女は裸体で組み合わされた男(やはり死体、あるいは蝋人形)との行為中、あるいはエロ写真撮影中という状態であるので、そういう所はあるかもしれませんが、大団円で金田一が話す推理の中身は、短編では味わえない本格的な内容であると感じ、面白かったです。横溝の作品の常として、犯人は最後に青酸カリを飲んだりして自殺する事が多いのですが、やっぱりとっつかまって留置場に入れられるところを描いてほしかったなあと思います。犯人にも犯罪を犯す一抹の理があるということなのでしょうか。「悪魔の寵児」横溝正史角川e文庫【4月30日】

  • 【4月29日】

    金田一耕助の今日は悪魔の寵児です。1958年の作品で文庫1冊の長編です。長編はけっこう有名な作品が多い横溝正史ですが、この作品はあまり有名ではないのかなと思います。おどろおどろしいと言えばそうだし、男と女の絡みが多いので獄門島や八つ墓村、本陣殺人事件などと比べてトリックで読ませるという感じは(半分読んだところでは)しませんね。【4月29日】

  • 【4月28日】

    今日の金田一耕助は中編4編の入った首です。一気に読んでしまいましたね。同性愛をテーマにしている生ける死仮面、悪魔的な女が出てくる花園の悪魔、骨から人の顔を再生する今でも通用するような蝋美人は等々力警部とのいつもの話。首は磯川警部が出てきて、ちょっと疲れたから山奥の温泉にでもと金田一と磯川警部が出かけた岡山の山奥でのおどろおどろしい殺人事件。首が獄門島、八つ墓村に通じる山奥の怖いお話というところです。「首」横溝正史角川e文庫【4月28日】

  • 【4月27日】

    金田一耕助、七つの仮面(他6編)を読了。樋口一葉と比べてスカスカ読めますね。昭和35年頃の作品が主ですが、半裸の女性死体とかけっこうエロティックな殺人があるのは時代性でしょうか。金田一耕助の鮮やかな推理というよりも、何となく事件が解決してしまったという作品が多かった気がします。その中では薔薇の別荘が耕助らしい推理ものだったと思います。「七つの仮面」横溝正史角川e文庫【4月27日】

  • 【4月26日】

    Amazonからメールがあって、KindleUnlimitedの案内で、去年金田一耕助の無料バージョンを全部読んだのですが、Unlimitedになったもの3冊を紹介していました。ので、これを読むリストに入れて早速読んでいます。事件ファイル14の7つの仮面という文庫。頃は昭和35年頃で、発表した媒体がそうだったからだと思いますが、女性死体が半裸だったり、割り方エロな描写が多いですね。【4月26日】

  • 【4月25日】

    樋口一葉は家長として樋口家を支えるために、困窮の中から文學で食べようと志しました。そういう理由で始めた文學ですから、当初はいいものが無かったのですが、多くの人と交わるうちに文學の才能を開花させます。大つごもりで大きく認められて、明治28年を中心とする1年は奇跡の1年と言われ、たけくらべ・にごりえなどの代表作を怒涛のように生み出し、そして逝きました。25歳です。露伴や西鶴に影響を受けて、擬古文という文体で書かれているので、なかなかとっつきにくいのですが、まあ慣れるとそれなりに一葉の世界に入れます。全部で8編収納されていますが、どれもそれなりにおもしろく、十三夜、たけくらべが特に印象深い作品でした。「にごりえ・たけくらべ」樋口一葉新潮文庫【4月25日】

  • 【4月24日】

    山と渓谷5月号を読みました。上高地特集です。上高地は槍・穂高・常念の入り口ですが、山屋でなくても周辺のホテルに泊まって散策するというのもいい場所です。でも最近は散策路にも熊が出るんで、熊鈴は必須ですね。【4月24日】

  • 【4月23日】

    ちょっと医者に行った待ち時間潰しに、おとといの山行に持って行った小松左京短編集を読んで、読みかけだった長めの短編「神への長い道」を読みました。21世紀人が冷凍保存術で56世紀に目覚めます。35世紀(3500年)眠っていたわです。科学も当然進歩していて、恒星間飛行も実現していますが、物理法則はそれなりに守られていて、100光年先の惑星系に冷凍されて行って帰ってくると、地球は200年経っているわけで、浦島効果みたいなことが起きると言うのはSFとしてよくできていると思います。3500年経つと人類も進化していて、会話も通じません。21世紀語は古代語になっています。今のAIが3500年後に地球を、人類をどう変えているのか、この小説を読んで興味が絶えませんでした。【4月23日】

  • 【4月22日】

    今日は雑誌の日でした。NEWSWEEKを読んで(韓国の人口減の特集)、ビックコミックオリジナルを読みました。日本の少子高齢化も大きな問題ですが、韓国のそれは日本よりも厳しい状況です。人口というのは一度減少の域に達すると、なかなか復帰しないものです。中国もそうですね。核家族化が進むともう大家族には戻らないのです。日本もいろいろな補助金制度が拡充されていますが、そう言うことで戻るならどの国も苦労しないのです。【4月22日】

  • 【4月21日】

    山行にいってきました。大月駅のすぐ近くにある岩殿山という低山をさらっと登ってきました。低山ですが礫岩でできた岩山で、中央高速道からもその岩壁が見えます。稚児落としというほうに縦走すると、ここから見る一枚岩はなかなか見もので低山とは思えません。手がかりがないのでフリークライミングも難しそう。大月まで片道3時間。今日は小松左京の短編集を持っていきました。今回の短編集は東浩紀編のものです。Kindleで読んでいるのでたいした大きさではありませんが、紙版はかなりの厚みで山行に持っていこうとは思いません。【4月21日】

  • 【4月20日】

    今日はなんだかんやと忙しく活字休養日でした。【4月20日】

  • 【4月18日】

    今日の樋口一葉は十三夜とたけくらべです。十三夜とは陰暦13日のことで、嫁いだ先の嫁いびりに耐えかねて実家に戻った阿関(おせき)が訥々とその実情を訴えるものの、実父に今は帰ったほうがいいと諭されて人力車に乗って帰ろうとしますが、その車夫がかつての恋人。二人が別れた後の車夫の生き様を聞いて改めて胸に感情を持って別れる話です。たけくらべはまさに代表作ですね。幸田露伴、森鴎外の激賞を受けた作品です。吉原で育つ思春期の子供達の話です。このたけくらべでは最後に主人公の美登利がおきゃんな女の子から急に暗くなってしまいますが、(一葉は別にどうだと書いていないので)その理由をめぐって文学界を二分する話になっているそうです。かたや初潮があったから、かたや男と最初のことがあったからということで、まあどっちでもいいのですけどね。【4月18日】

  • 【4月18日】

    久しぶりに昔の日本文学を読みたくなって、樋口一葉のにごりえを読んでみました。、だけで文をつないでいく昔の文体なので読みにくいところもあるのですが、これも味です。飲み屋の女給と貧困の夫婦の話です。女給「力」は通行人に寄ってけと客引きしますが、なんかこんな生活ってと絶望しています。貧困夫婦は2畳ちょっとの長屋住まい。夫源七が力の店に飲みに行くのですが、とにかく金がなく、酒もほどほどにしてほしいと女房に言われ、やがて離婚へとなります。源七は力に言い寄って断られ、力を殺し自分は切腹します。という話で、明治初期の底辺レベルの生活者の話となっています。【4月18日】

  • 【4月17日】

    政治の最重要課題として少子高齢化対策がありますが、異次元の対策という首相の掛け声は全く上手くいきそうにありません。人口から読む日本歴史は日本の人口の21世紀を章立てしています。原本は1983年に、文庫版は2000年に出されましたが、そこに書かれていることは、人口停滞は文明システムの成熟化によるものだということです。しょうがないんですねこれは。そして性・年齢・障害・民族・国籍の差別をなくして(バリアフリー)寛容な社会を作ることだと提言しています。21世紀前半は新しい時代に適合的なシステムを模索する時期だといい、失敗を乗り越えて進む必要があるといいます。小手先の補助金政策で人口が増えるというものではないのです。選挙政策としては有効なのかもしれませんが。「人口から読む日本歴史」鬼頭宏講談社学術文庫【4月17日】

  • 【4月16日】

    日本の人口は今1億人を切る方向に雪崩をうっていますが、1億人を超えたのはつい最近の昭和でした。では縄文時代はいかほどだったのか。縄文時代で最も温暖だった縄文中期は野山の木の実も豊富でお陰で人口も増え、20万人を超える位だったとか。特に東日本に人口が寄っていました。その後寒冷化して一気に人口は減ります。縄文晩期には10万人を切ってしまいます。弥生期に入って稲作の定着が始まると人口は持ち直し、60万人位になったそうです。【4月16日】

  • 【4月15日】

    昨日は鎌倉の歴史を読みました。多く語られていませんが、治承・寿永内乱(源平合戦を歴史学的にはこういうのだそうです)では未曾有の飢饉が起きていました。多くの死者が京に溢れましたが、武士も兵糧集めに苦労して、源平共に戦いが1年ほど中断したんですね。かように日本史は気候に大きく左右されてきました。日本史は人口から読むと通史と違った面がわかります。本棚の奥にあった人口から読む日本史に取り掛かっています。【4月15日】

  • 【4月14日】

    日本史の合戦では騎馬兵というのがよく出てきますが、その嚆矢は源平合戦ですね。義経の鵯越だったり、馬の機動性がよく活写されます。しかし、当時の日本馬は背高140㎝弱で現代のサラブレッドよりも20㎝も低かったのです。ポニーといえるレベルです。ここに人と鎧で90キロもあったとされる武士が乗っても、よたよたと走るばかりで、全力疾走は100mもできなかったらしい。ましては逆落としのようなことは不可能で(そもそも馬は下り道が大嫌い)、畠山重忠は馬の前足を担いで下ったとされるくらいです。大河ドラマではあらあらしい騎馬隊が演出されますが、そんなことは明治期までなかったのでありますね。騎乗の武士はその最大瞬間速度をいつ出すかを念頭に(さらに騎射する)戦っていたそうです。「源平合戦の虚像を剥ぐ」川合康講談社選書メチエ72【4月14日】

  • 【4月13日】

    なんか読むものないかなと本棚を眺めていて、20年前に買った選書が面白そうなので読み直すことにしました。去年は散々読んだ平安から鎌倉にかけての話で、源平合戦の虚像を剥ぐというものです。我々の知っている源平合戦は弱っちい西国武士が逞ましい東国武士にコテンパンにやられてしまう、というもので、平家物語が平家が滅びるのは必然なんだという語られるのを受け入れてきたわけです。そこはそうではないんだよという話です。【4月13日】

  • 【4月12日】

    百名山の著者、深田久弥はいつもの仲間と北杜市の茅ヶ岳登山中に脳出血で亡くなりました。早すぎる68歳。この時の様子を書いたのが藤島敏男で、深田の生涯もっとも山行を共にしました。29回だそうです。略歴を見ると、作家藤島泰輔の父であり、なんと孫はジャニーズの副社長藤島ジュリー景子だそうです。さて後半には小西政継、長谷川恒男、加藤慶信、中嶋正宏が並びますが、当時の日本を代表するアルピニストで、日本山岳会を引っ張った人たちですが、みな雪崩、滑落で亡くなりました。畳の上で死なないというのは、武士の死に様に似ていますね。「山は輝いていた」神長幹雄編新潮文庫【4月12日】

  • 【4月11日】

    山は輝いていたを半分まで。80年代の話ですが、山はその頃も今も変わりません。でもそこに住んでいた人たち(山間の住民)はすっかり変わっているだろうと想像できます。【4月11日】

  • 【4月10日】

    山ブームは日本で何度かありますが、1980年代、つまり昭和最後の頃の山は輝いていたと言えるそうです。現在はSNSのおかげで誰もがリアルタイムに山のことを発信しています。今山小屋でどんなおかずが出ているかなんてのも可能です。でも、1980年代はSNSどころかケータイも存在しません。山のことを発表するとしたら文章で残すしかありません。自分の日記に書き付けることはできますが、人に読んでもらうのは至難の業です。80年代が輝いていたというのは山のことをプロの文章家のみならず、登山者も深く思考して文章化し読まれていたからですね。SNSのように思いつきではありません。読んでいて味わいが全然違いますね。今のライターの記事は事実の羅列に終始しています。掘り込んだ文章を書けるライターはなかなかいません。山は輝いていたは元山と...【4月10日】

  • 【4月9日】

    今日も体調不良でベッドで臥せっておりましたが、こういう時はいわゆる本というよりは、雑誌をiPadでパラパラめくるのが楽ですね。面白そうなのを探して、去年の4月の歴史人の増刊で関東戦国史のすべてを読みました。戦国時代は関東から始まったというもので、室町幕府の関東出先ともいえる鎌倉公方と上杉管領の主導権争いが、やがて北条氏、武田氏、長尾氏(当初は上杉を名乗っていない)の介入を招いて争乱となるわけです。上杉旧守体制と北条との戦いである河越(川越)城の興亡や、長尾景虎と武田信玄は二人とも小田原城を攻略しようと戦っています。今川義元が横死した時は、武田と北条と徳川にいいように領土を取られましたが、武田信玄が死んだときも徳川、北条、上杉(長尾)がなだれ込みます。そして信長が死んだときはもう混乱の極みですね。やがて秀吉...【4月9日】

  • 【4月8日】

    遅ればせながらビックコミックオリジナルを読み、dマガジンで星ナビ5月号や風景写真3・4月号など読み溜まった雑誌を読んでいました。体調が最悪で頓服を飲みながらダラダラ横になって過ごしていました。【4月8日】

  • 【4月7日】

    震災の大火災の中、上野の山には多くの避難民が集まりましたがここには上野動物園があります。今のような大きさはないものの、猛獣もいました。動物園は動物の確保に最大の努力をし、餌の調達にも苦労しました。水は井戸水が豊富にあったそうです。これは避難民にも配られました。猛火が上野の山の下まで迫った時、園内に避難民を入れる寸前まで行ったそうです。もしそうなったら、鳥類は皆食べられてしまっただろうと・・。そして猛獣も射殺することも予定されたそうです。それには至りませんでした。しかし、20年後、大戦の中で動物たちは結局射殺されてしまいました。最後に一文「治にいて乱を忘れず」易経が紹介されています。平和な時こそ、乱に備えよ。まさに今に必要な言葉です。「関東大震災文豪たちの証言」石井正巳編中公文庫【4月7日】

  • 【4月6日】

    この3日間発熱と咳で思うように生活できていません。横になっているのですが、かと言って本をこの際読もうと思っても集中力が続きませんね。NHKプラスでニュースを見ているのが楽です。【4月6日】

  • 【4月5日】

    関東大震災で起きた悲劇の一つに大逆事件があります。大逆事件は関東大震災と因果関係は無いのですが、どさくさに紛れて起こされた事件です。当時の最危険人物とされていた(社会主義者、アナーキスト)大杉栄が震災後2週間ほどたって妻の伊藤野枝と甥っ子共々憲兵隊に連行され、惨殺死体として井戸で発見されたものです。主犯は憲兵隊長甘粕大尉でしたが、彼は投獄後しばらくして保釈され、やがて満州映画理事長として満州を裏で牛耳る人物となりました。この大逆事件を綴ったのが、大杉の近所に住んでいて近所付き合いもあった内田魯庵、女性活動家平塚らいてうなどです。朝鮮人虐殺についても吉野作造が載っています。情報が現代よりも極端に少なかった当時、噂、流言により民衆が策動されて行ったことを語っています。この大震災を契機に、ラジオ放送が本格化する...【4月5日】

  • 【4月4日】

    文豪が感じた関東大震災ですが、与謝野晶子は麹町の自宅は残ったものの、源氏物語に関する原稿が、駿河台の文化学院というところに置いてあって、灰燼に喫してしまったことを嘆いています。原稿は土中に保存すべきだったと。また、野上彌生子は上野の大学図書館が燃えて、35万冊とも70万冊ともいわれる書物が消失したことを、頭上に舞ってくる紙片から知って嘆きます。与謝野晶子の原稿もさることながら、知の宝庫が逸失したことは日本にとっての損失でした。【4月4日】

  • 【4月2日】

    今日の関東大震災は久米正雄、谷崎潤一郎、小泉登美です。小泉登美は女性ですが、作家でもなんでもなくこの一文のみが残されていてその後の詳しいことは不明だそうです。しかし、本所被服厰跡で罹災し、人々が焼け死んでいく中で死体の下に潜り込んで助かった人です。久米正雄は京都で変事を聞き、中央線経由信越線経由で川口までやってきます。後から後から人が乗り込んでくる様はすごいものがあります。谷崎潤一郎は箱根で被災します。箱根ホテルから小涌園ホテルまでバスで移動中、タッチの差で落盤から逃れます。横浜に行きたかったのですが、根府川の東海道線(当時は熱海線)崩落で行かれず、三島、沼津と廻って船で横浜に行ったそうです。谷崎は大の地震嫌いで、この震災の後関西に移住します。細雪などの作品で作風が変わったそうです。【4月2日】

  • 【4月2日】

    昨年は関東大震災100年ということで色々な関連本がでました。去年買っておいた関東大震災文豪たちの証言を読み始めました。大正12年当時は多くの文豪がいてそれぞれの経験を文にしています。その中でもフランス大使ポール・クローデル(詩人・劇作家)の一文は、横浜港の船と大火の様子を描いていて、つい東京の被服厰跡のことばかり印象に残る大震災ですが、東京よりも実は被害の大きかった神奈川のことがよくわかります。【4月2日】

  • 【4月1日】

    dマガジンで雑誌を拾い読みでした。イタリア編のまっぷるとか、先日はMacBookAirを手に入れましたが、Mac初心者なのでMacの取説のようなムックと月刊MacFan。昨年登山誌のPEAKSが隔月刊になりましたが今年はMacFanが隔月刊誌になりました。この雑誌は世界で唯一(残った)Mac専門誌だそうですが、そのことと雑誌業界の衰退もあるでしょうねえ。【4月1日】

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