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2005/08/02

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  • 心情グラグラで右左

    対談した二人の名前を見れば、ほぼ内容は予想される。興味深く読めたし考えに共感できたこともある。ただ、こう書いてしまうと「ああ、お前は…」という見方が固定される。それがこの国の大きな不幸である気がするし、自分自身もなかなか脱け出せない感覚がある。ジャーナリズムに対する向き合い方も同様だ。『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか』(望月衣塑子×佐高信講談社+α新書)この対談でもやや思想的な区分が示されているが、メジャーな新聞など私たちが目にする報道のほとんどには、何かしらの先入観が入り込んでいる。だから「〇〇新聞は読まない」といった判断をする人も少なくない。一個の人間が受け入れられる情報には限りがあるから、現実問題として、それは仕方ないだろう。官房長官時代の菅前首相と望月記者とのやりとりはずいぶんマスコミを騒がせた...心情グラグラで右左

  • 待合室のソファで味わう

    指定された待合室のソファに腰を下ろし、借りてきたばかりの本を開いた。『メロンと寸劇』(向田邦子河出書房新社)である。「食いしん坊エッセイ傑作選」と添えられているので、まあ気楽に読み流すにはいいだろう、そんな気分でページをめくる。上手いねえ、この人…と昭和の大脚本家に何を今さらというような感覚が湧いた。冒頭のエッセイは「昔カレー」と題された、カレーにまつわる思い出のあれこれを綴った文章だが、三、四行読んだだけでその流れに魅せられた。もちろん、以前にも小説など読んだ記憶がある。飛行機事故で急逝した女性作家、恋多きだったかどうかのイメージは定かでないが、死後も多くの出版物があるこの作家に改めて「見つめられた」気がした。貴方は「記憶」をどんなふうに調理しますか。エッセイの上手い書き手を料理人に喩えるのは珍しいことではな...待合室のソファで味わう

  • 器からの妄想は…

    先日『人間の器』を読みながら、つらつらと思い浮かべた。いわゆる「器の大きい」人には、なりたくてなれるものでもないし、ほぼ青年期から壮年期で見通しがつくのではないかと予想する。自分がそう称されることはなかったし、これからも有り得ない。それにしても、人間の精神を入れ物に喩えるのは面白い。ただ、器とは容量の大小が決定的だったのは昔の話ではないか、と少しイチャモンをつけてみよう。まずは「形」。丸や四角といった単純なものから様々に派生する。入れ口があり、溜まっていくという要素を満たせばいいわけだ。そして「色」も無限に考えられる。いや、その前に器を作る「材質」が問題ではないか。金属製のがっちりしたもの、樹木で出来た素朴なもの、ガラスということもある。ゴム、シリコンなど最近の素材も考えられるか。もちろん、ここでイメージしてい...器からの妄想は…

  • 残念諦念皐月中旬日記

    5月13日(金)昨夜メールがあって来週の某小での読み聞かせが中止になったと聞く。残念。また拡大の兆しか。休校情報も入る。今日は「愛犬の日」ということで犬関連の紹介をブログで行う。明日以降の沖縄についても検索。午後から今年のワークショップ構想を練る。アイデアは沢山あるが課題も多く、まだ形になっていない。5月14日(土)朝のうちに図書館ブログアップ。「ぶどうパン」が食べたくなり開店に合わせて某スーパーへ行ったが陳列されていない。情報の幅を考える。午後から知り合いの火葬へ。あれほどの参列者の数は初めてだった。だからこそやるせない。迷ったがブログへ吐き出した。FBで翻訳機能を使ったらトラブル。少し慌てた。5月15日(日)沖縄本紹介を昨日に続けて図書館ブログへ。今日は久々に少し高い買い物をネットでするのであれこれ検索し、...残念諦念皐月中旬日記

  • 今週の手習いから

    『人間の器』(丹羽宇一郎幻冬舎新書)を読んだ。俗にいう「器の大きさ」という点では甚だ自信がない。だから、大小でなく形や色はどうだろうと逃げ口上を浮かべながら、読みきった。『ちくま』誌のコラム「見えるものについて」と題された文章の一節。これも視点かとは思うが、見えるという語の深さも示している。こちらは新潮社の『波』のコラム。自著のPRのための文章のようだが、共感できる。自分にとっては「さらしていこう」という主張をアピールすることが欲求か。今週の手習いから

  • 森節を味わう…その2

    61「ここへ来て良かった、という肯定こそ、幸せの手法である」常に現状を称賛する「奥様」を語りながら自分は違うと、このようにうたう。98「気持ちは伝わらないが、気持ちがあることだけは知ってほしい」一見、身も蓋もない言い方に見えて、森節は聴いていると心が落ち着く。99「楽しさを育てよう。」この章は実に読みごたえがある。「楽しさの種」を探して見つけることから始まるそれは、まさしく人生謳歌の気がする。「楽しさの素晴らしさを信じること」…これは歌に通ずるなあ。森節を味わう…その2

  • 森節を味わう…その1

    「森節(もりぶし)」と言えば♪おふくろさんよぉ、おふくろさん♪をイメージしてしまうが、ここでは作家森博嗣の書く文章、言い回しを指している。この著のまえがきに、著者自身がそう「言われたりする」と記してある。そこを読み、ああなんとなくわかるがその正体は…と感じてしまい、読書の目的となった。『つぶさにミルフィーユ』(森博嗣講談社文庫)具体例は、まえがきにすでにある。「本を読む価値」について述べている一節だ。「読んで忘れてしまっても良い。忘れるには、一度覚えなければならない。覚えて忘れることは、なにも覚えないことよりもずっと価値がある。それは、生まれて死ぬという生命の価値と等価だろう」・・・ここにある一種の小気味よさだ。また独特のユーモアセンス。「挫折」という語をよく使う者に対して「これだけすぐに挫折できる人間は、本当...森節を味わう…その1

  • 世の中で一番悪いバカヤロー

    ほんの少し思いを書いてみたけれど、書くほどにもやもやがつのる。だから、書きかけて止めたのだ。しかし、このことだけは叫ばねば、収まりがつかない。亡くなった者に対して、こんなふうに言いたくなるのは、おそらく初めてのこと。「バカヤローだ。大バカヤローだ」その訳は、ずっと前にこのブログに残していた。世の中で一番悪いこと世の中で一番悪いバカヤロー

  • 運命を決めるのは歴史だ

    この文庫は4年ほど前の発刊だが、今この書名をみると少し複雑な心持ちになる。自分が高齢者の括りに入るまで生きてきて、今ほど将来に不安を抱いた時は正直なかった。震災のときは確かに動揺したけれど、暗鬱さは現在の方が強い。言うまでもなく、感染症と世界情勢がその理由となる。照らし合わせて読んだ。『日本の「運命」について語ろう』(浅田次郎幻冬舎文庫)歴史物、中国物を多く書いている著者なので、付随して調べたことを講演会で話すことが頻繁にあるらしい。その記録をもとに編集された一冊だ。第一章が「なぜ歴史を学ぶのか」と題され、プロローグ的に自身の生い立ち等が記されている。個人に引き寄せて考えてみても「運命」を決めるのはやはり「歴史」だ。それはさておき、国史として興味深くなるほどと頷くことがいくつかあった。一つは江戸末期のペリー来航...運命を決めるのは歴史だ

  • 100年後にあってほしい遠足

    表紙絵の宇宙飛行船と書名だけで、うきうきするような一冊だ。帯に「2019年は、月面着陸成功50周年記念イヤー」とあり、あのアポロ11号がすぐ瞼に浮かぶ。もう100年経たないうちに実現するだろうか。いやい、や感染症で現実の遠足もままならないし、世界情勢も不安だらけ…そんな気分を吹き飛ばしたい。『みらいのえんそく』(ジョン・ヘア作椎名かおる・文)あすなろ書房2019.6「つきにちゃくりく!」から始まるこの物語は、最終の宇宙船シーンを除き、全て月面上で展開される。どこの学級にもいそうな、一人後からとぼとぼついていくタイプの子。お絵描きをしている間に寝てしまい、その間に宇宙船は飛び立ってしまう。「しようがない」と、またお絵描きを始めるその子の周りには…。全体的には言葉(文字)が少ない。しかし、絵で十分にストーリーがつか...100年後にあってほしい遠足

  • いっぽんばしをわたり…

    昔どこかで見た記憶があるような、ないような。今、手元にあるのは2003年3月で36刷となっているので、人気本なのは確かである。124cm×184cmの小さな版、わずか24P。見開き左ページに「~~~わたる」と一行の文章があり、右が絵だ。幼い子に読み聞かせする形だろうと思うが、アイデアがひらめいた。『いっぽんばしわたる』(五味太郎)絵本社1979.11「ぴょんぴょんわたる」とウサギの絵、「ならんでわたる」で鶏の親子の絵、ここはすうっと入るが「からんでわたる」で蛇が橋に巻き付く絵となる。ここで気づくのは、「ならんで」と「からんで」の韻を踏んでいることだし、絵が出てきてこそわかるという当然のこと。では、絵が待たされたら…と想像してみた。この版型だと教室では大型テレビに映すしかない。その制限を逆に活用する手があるのでは...いっぽんばしをわたり…

  • それは、望んだ道なのだ

    いろいろな忙しさ、いや楽しさのせいで読書は捗っていない。読みかけの本が二つあるが、GWになって読了と言えるのは、また次の2冊だけだ。『君の夢僕の思考』(森博嗣講談社文庫)『議論の余地しかない』(森博嗣講談社文庫)そしてこれらはフォトエッセイという形で、しかも今までの著書からの引用をもとに編集されたもの。量的にはずいぶんと少ない。ただ『議論の・・・』には巻末に糸井重里が「ぼくの森博嗣さんのたのしみ方」という文章を寄せていて、これが興味深かった。「森博嗣さんのことは、これまで『消費』の達人として鑑賞してきたのです。」と糸井は書く。また「金遣いのかっこいい人」という表現もしている。この言い方は、いわゆる「生産に価値がある」といった常識的思考に、ゆさぶりをかけてくれる。糸井が使う「消費」ということを、突き詰めて考えてみ...それは、望んだ道なのだ

  • きっと五月は忙しい

    一週目が過ぎて、何が忙しかったかというと、確かに昨日は久しぶりのフルタイム超の出勤だったので、目一杯働いた気がした。さらに帰宅すると、ドアの前で待ち構えていたように孫二人に捕まり、ジャケットを抱えたまま夕刻の道を「危ないから…」と叫び続けるひと時となり…。何とか今日は早朝から春山へ。短時間だがリフレッシュできた頭で、唐突に思いついた今日のお題には、もちろん訳がある。五月に始動することがたくさんあるからだ。とりあえず迫っているのは、月曜からスタートする(できるとは思うが…)読み聞かせだ。年度の締め括りの2月がコロナで出来なかったので、気合いも入る。しかも相手は一年生。さらに図書館事業の様々な交渉や連絡調整などが多くある。二年間コロナに振り回された感があり、やや様子見のスタートとしたので、ピッチを上げる必要がある。...きっと五月は忙しい

  • こどもの日に小さく決意

    最初、この句を見た時、こんなふうに思った。「自分は、どのくらい子どもに時間を使うことができたのか」この反省めいた想念を考えていること自体が、あまい。と思ったのは、自分もまだ親であると、ごく当たり前を気づいたからだ。しかも、「親の親」でもある。時間は有効に。もちろんお金も有効に。そして、次の一句で、とどめを刺す。まず、やろうと決めたら、すぐにだ。「こどもの日」に小さく(笑)決意する。こどもの日に小さく決意

  • 桜日記2022.5.4

    毎年この時期に必ず足を運ぶ廃校跡地へ。桜はまだ咲いていた。しかし、見ればわかるように、かなり傷みが酷い。以前の姿を知る者にとっては、年毎につらくなってくる。ちなみにこれは全体像だが、ちょうど10年前(5/6)に撮ったものである。帰り道の北沢道路が、もうすぐ山桜と芽吹く木々を見せてくれたことが救いである。こうして少しずつ景色は移っていく。心に留めておきたい姿と、このあといくつ出逢えるだろうか。桜日記2022.5.4

  • 長かった4月の訳は…

    昨夜は家人と「4月は長かったなあ」と顔を見合わせた。何の因果か「農耕節食者(笑)」と保健所から指定され、自宅待機ということになった。二人暮らしの家庭であるが、近くにいる身内とも接触できない。リアルタイムで個人日記を公開するのも憚られ、収まった今見直すつもりでアップしてみる。まだ半月ちょっとしか過ぎていないが、懐かしい気さえする。4月8日(金)前日夕刻に職員から家族がコロナの濃厚接触者になったので…と連絡があり、出勤後はその対応に気忙しかった。幸いなことに午後からは出勤できる態勢になった。ところが2時前に、我が家から孫が感染し陽性だったと電話があり慌てた。始末をして帰宅。念のため、抗原キットで検査。夫婦ともに陰性だったが保健所からの連絡を待たなければならない。4月9日(土)快晴。今年初めて洗車をする。天気のわりに...長かった4月の訳は…

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