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2005/08/02

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  • 幕の引き方、あれこれ

    読了した北方謙三のエッセイ集のなかで、葛城ゆきがお気に入りの歌い手として挙げられていたので、先日の訃報に少し驚いた。癌であることを周囲にも知らせつつコンサートを続け、先月も歌ったという。亡くなる前病院へ向かう連絡をしたことから、覚悟も見えるような気がした。そんなふうな幕の引き方もある。人生に「幕を引く」わけではないが、吉田拓郎の実質的な引退発表にも心が動いた。自分より10歳年長なら無理もない。似たような年齢でもまだ衰えない者、かなり目立つ人と様々だが、表現者としては、どんな引き際、幕の引き方をするのかはとても大切だ、時々、ちょっと観たくなかったと感じる方々も多い。フォークソングからニューミュージックで育った年代が相応の齢になっているので、商業ベースでは成り立つのかもしれない。しかし人前で歌うレベルかどうか...幕の引き方、あれこれ

  • 「飲む」ことはエネルギーの証し

    巻末にある「初出一覧」をみると、2020年3月号の「小説新潮」が7編、あとは2021年1月号と書き下ろしがそれぞれ1編ずつである。小説だけでなくエッセイもあり、書名から予想されるように「酒のある風景」が共通している。「飲む」は酒に限る語彙ではないが、連想として圧倒的であることを今さら思う。『もう一杯、飲む?』(角田光代、他新潮文庫)冒頭の角田の小説「冬の水族館」もなかなか渋いが、個人的にはラズヴェル細木と小泉武夫のエッセイが好みだ。つまりは、様々なシチュエーションで登場する多様な酒や、珍しい酒、それらまつわる実話の方が興味深い。まあ、酒に関する恋愛沙汰のエピソードなドラマのようなことはなく、平凡な人生ゆえなのか。ただ、現職教員時代の思い出話はかなり多い。現状の世間の目があまり厳しく、暴露(笑)するのは控え...「飲む」ことはエネルギーの証し

  • ブッダとブタをお手本に

    呼吸法に興味を持ったのはいつだったか。日本語ブームの折の「斎藤孝本」もずいぶん読みこんだが、それよりもっと早い時期だった気がする。そう書いていたら、大学時代の保健体育か、と思い出した。息と身体の動きについて想起できるものが結構ある。器械体操やとび縄運動、そしてドル平泳法もそうだった。『息の発見』(五木寛之・玄侑宗久角川文庫)「息」が発音から「生きる」に通ずるとはよく言われる。死んでいることを「息をしない」と表すし、当然と言えば当然。慣用句にも「息を引き取る」があり、逆の「息を吹き返す」を考えれば、まさに息こそ生である。呼吸法はロングブームなのは、自然な行為を意識化して活動を高めるか、筋道が見えやすいからだ。だから、多種多様な呼吸法の教えがあり、書籍化などもされている。私も複数の本を持っている。この対話で二...ブッダとブタをお手本に

  • 読者は悲しい65歳以上

    『隣りの女』(向田邦子文春文庫)を読んでいたら、たまたまニュースであるテロップを目にした。「もはや昭和ではない」…内閣府が発表した男女共同参画白書の中で使われた言葉だそうだ。当たり前のように見えていて結構残っていることがあるから、キャッチフレーズに使われる。昭和を知りたければ向田作品だ。五編の短編小説集。不倫などと言わずに浮気。テイクアウトではなく出前。アパートの壁の薄い部屋。台所の包丁を使う音、そしてミシン。もちろん無くなったわけではないが、それらが醸し出す人間のねっとりした感じは遠い過去になった。昭和前半に生まれた人間に文章で伝わってくる情景は数多くあるもんだ。『生きるための辞書』(北方謙三新潮社)。馴染みはないが、顔ぐらいは知っていた。シリーズ化されたエッセイ集を初めて読む。豪快な生き方を「旅」「食...読者は悲しい65歳以上

  • 思いの外、慣らされている

    ふだんあまり使わない言葉がふっと頭をよぎることがある。もちろんそれは知っている言葉であり他人が口にしてもなんとも思わないのだ、自分の頭に浮かんだら、珍しいお菓子を食べたようなそんな気になる。昨日、そんな役割を果たしたのが「思いの外」。一度、味わったら繰り返し食べたくなるように使ってみた。今年も人間ドックへ。宿泊コースは、初日の検査が終わればラクチンである。夕食を終え、18時からのBSで「楽天vs日ハム」中継をみた。秋田県民にとっては待望の吉田輝星先発である。結果は5回一死で2失点の降板。「思いの外」よくやったではないか。テンポのよい投球だった。限界は見えるが期待も残る。さて、肝心の検査。馴染みの病院なのでストレスはないが迷っていることがあった。胃カメラである。失念していたが、以前ピロリ菌検査を受けて異状な...思いの外、慣らされている

  • 梅雨時の独り視聴者委員会

    録画したままになっていた「ズームバック×オチアイ」を観た。「新しい戦争、その先へ」と題された内容は、考えさせられた。情報戦とはよく言われることだが、そうした展開は昔からあった。結局、人を動かす「言葉」「ことば」(二種類使い分けられていた)の力は大きい。「伝え方」のテクノロジーをどう生かすか。その番組で落合陽一が柳宗悦にシンパシーを感じていることを知り、少し意外な感じを持った。もちろん民藝運動に詳しいわけではないが、「民」の文化にどれだけ敬意を払うか、この視点を生きていくうえで取り落としてはいけないと改めて思う。それは地球規模、国家規模はもちろんだし、日常でこそ見据えたい。9年前の夏民藝の聖地と言われる場所で緩い見方ながらNHKドラマ「今度生まれたら」を楽しんでいる。内館牧子原作なので予想はついたが、類型的...梅雨時の独り視聴者委員会

  • 単純に測れない姿を見よ

    昨日の朝刊文化欄に久しぶりにK先生の文章が載った。数年前にかつて勤務した学校の職員等による集まりがあってお会いした折は、多少足腰が弱っていたように見えたが、相変わらずにこやかにお話をされていた。今回のエッセイも非常に淡々としてはいるが、先生独特の観察眼を駆使され達意の文章になっている。プール清掃の季節…2009.6.16という日付があるK先生とは何度も作文の審査をご一緒させていただいた。印象深いのは、競技スポーツと作文審査の違いを語られたときのことだ。今、図書館ブログで続けている町文集作品紹介をしており、当時発刊代表だった先生の巻頭言も読み直す機会があり、懐かしく思い出した。同時にずいぶんと時代が流れたと改めて思う。先生は陸上競技の走り幅跳びの順位ならば、距離の測定は専門家でなくともできると書いたうえで、...単純に測れない姿を見よ

  • 超乱読で作り笑顔を

    『文豪たちが書いた泣ける名作短編集』(彩図社)を読む。太宰治の『眉山』に始まり、菊池寛の『恩讐の彼方に』まで計10篇。半分は未読の作品だった。「泣け」はしなかったが、まあ味はあるわな…やはり芥川の『蜜柑』はドラマだ…鴎外『高瀬舟』の深い色調は独特だ…と、このような感想しか持てずに読了だ。文藝春秋誌がかつてSPECIALとして出版した2冊を再編集した『老後の真実』という文庫。健康や経済、住宅から恋愛まで、その道の専門家が「新しい常識」を記してある。脳研究者池谷裕二の「歳のせいで物忘れがひどいという誤解」は真面目に読み入った。要は思い込みをなくす…それが老いへ向かう唯一の姿勢だ。このシンプルな表紙絵に惹かれつい手にとった。『満月笑顔はすべてを解決する』(佐藤康行河出書房新書)。「心の専門家」と称する著者の経歴...超乱読で作り笑顔を

  • 最も伝えたい「にゃーご」

    3年ぶりにこの絵本を取り上げてみた。図書館に勤め始めボランティアグループと一緒に学校へ出向いた2回目、初めての1年生で読み聞かせた大型絵本だ。物語性があり、ユーモア、やさしさの詰まっている名作だ。今、改めて読むと、キャラクター色が強く出ているので、自分好みだし声には合っていると思う。『にゃーご』(宮西達也鈴木出版)「ネコにおそわれないように」という先生の注意を聞いていない3人組のねずみ。ネコが出合いに発した大きな「にゃーご」という声を平然と受け止め、桃狩りに誘う。その言葉に釣られて行動をともにするネコの計算高さと迂闊さが入り混じる。桃狩りが終わり帰路で欲望を果たそうと「にゃーご」と叫んだのだが…。他者を信じて疑わない、そして他者の状況に思いを寄せる、素直であっけらかんとした3匹のねずみ。ネコとしての欲望は...最も伝えたい「にゃーご」

  • 悪態吐く独り視聴者委員会

    いやあ、それにしても今回は酷いなあと悪態を吐きたくなってきた。もちろん高尚な話題ではない。NHKのいわゆる朝ドラのことだ。前クールの「カムカムエブリバディ」もその前の「おかえりモネ」も指摘したい点はあったにしろ、振り返れば見所が多い内容だった。それらと比較できないほどに、今回の「ちむどんどん」は出来が悪い。本土復帰50周年という意味づけもあったろうし、沖縄という舞台は頻度の高い設定だ。主人公が故郷での体験を経て都会へ向かい活躍するという、朝ドラ不動?のパターンは納得できても、どうにも穴の多さが気になってしまう。以下、三つに絞って悪態を述べてみよう。まずは、主要なキャラクターたちのあまりに鮮明な単純さであろう。主人公暢子の前向きさや快活さを描こうとしているのはわかるが、あまりにも短絡的な姿に映る。演技がどう...悪態吐く独り視聴者委員会

  • 「味を追う」とはいったい何か

    リサイクル本コーナーにあったので何気なく取った一冊。少しだけ小説は読んでいるが、食に関するエッセイも面白そうだ。するっと読みつつもどこか物足りなく、内容も繰り返しが多い昭和期の身辺雑記だなあと残念に思っていたとき、ある箇所を読み、全体像が俯瞰して見えてきた。こういう体験も貴重な一つだ。『味を追う旅』(吉村昭新潮文庫)それは「食べる?」と題された一文。古くからの知り合いで後輩のK君と一緒に飲んでいる時、彼が前夜帰宅して妻から「あなた、夕ごはん、食べる?」と訊かれたことに対して腹立ち、その感情に深く同意したという内容だった。取るに足らない些細な会話に垣間見える、人間の本性の根深さを感ぜずにいられない。著者とK君には「終戦前後の食うものも食えない頃」の共通体験がある。K君の妻とは年齢の差があり、そこに齟齬が生じ...「味を追う」とはいったい何か

  • 散読な再読で思い知る

    「散読」などという語はない。「読み散らす」という意味で使おうとしたが、それだったら「手当たり次第にたくさんの本を…」となり、そうたくさんではないし、まあ「散漫な」この頃の状況に当てはまっているのでヨシとするか。かえってギリギリ心に残っていく一節やら考えやらが拾えるのかもしれないなどと…。『三省堂国語辞典のひみつ』(飯間浩明新潮文庫)。著者が脚光を浴びた頃読んだ。今回、再び開いたのはドラマ「持続可能な恋ですか」で主人公の父親が辞書編纂者という設定で、勤め先が三省堂そのままになっており、多少そうした場面もあったので、また興味が湧いた。新語を拾う醍醐味に共感する自分がいる。若者ことばの代表格「やばい」の項で思い出す。プラスの意味としての「やばい」は、心を揺らす状況に対する警戒感が底にある。40年以上も前のシラケ...散読な再読で思い知る

  • あの頃もあの時も…

    数日前、痛みが続いているベッドの中で思い出した。かつてホームページ(ブログ以前に)をアップしていた頃に、「気まぐれ日録」と称して、漢字一字のタイトルをつけエッセイ風に書き散らしていたことがある。これは結構新しい?ホームページ表紙だ。これよりずっと前の表紙データは今は不明だその中に「痛」と題した文章の記憶がある。個人的な集録にも載せていたはずと、改めて引っ張り出してみた。少し長いが再掲してみる。========11月25日「痛」23日の朝から胃痛に悩まされた。なかなか収まらず、横浜方面への職員旅行へ出かけたはいいが、一人早めの帰宅となってしまった。痛みには結構強いほうと思っていたのだが、耐えているとやはり体力を消耗するらしい。痛み防止のためしょっちゅう食べ物を口に入れていたわりに、体重が少しおちていたことに...あの頃もあの時も…

  • 痛みで五月が暮れてゆく

    5月25日(水)先週末からの腰痛(からの足・膝痛)が一向に改善しない。土曜にかかりつけ医でレントゲンを撮り薬を処方してもらったが、もう一度相談しに行く。夜間も酷いので座薬を追加された。ところがあまり効き目がない。今日は勤務予定がないので良かったが、今後の段取りをどうするかと焦りもあり、辛い一日となった。5月26日(木)秋田市での県総会だったが欠席し、通常勤務で月替わり展示や防災関連本の紹介を進める。職員の家族にご不幸があり不意のことで驚く。天気は相変わらずいいが、公私ともに多難な下旬だ。気晴らしに読んだ向田邦子のエッセイ集が面白くブログを久しぶりに書き込む。別のことに集中すると痛みを一瞬忘れられる。5月27日(金)久しぶりに雨。午前は来月の図書館だよりの製作を終了。ブログアップの準備をする。午後から1時間ほど、...痛みで五月が暮れてゆく

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