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「首切地蔵」 ・所在地/丹波市山南町谷川山田315-1 (当地の首切地蔵由来説明板より) 首切地蔵は、今から約800年前の平安時代の末、平家が最後の砦と頼んだ宇治川の合戦にも敗れ、攻め入る源氏の大軍の前になす術もなく、命かながら京都を逃れ、一時神戸福原に匿って再起を計ったが、これも叶えなく一の谷に逃れた。 なかでも哀れみを止めたのは、平家一門に連なる公卿やその姫様達であった。 昨日までの栄蓽の夢破れ娑婆の無常を感じつつ人目を恐れ、丹波路へと逃れて行った。 その頃、近隣丹波東山には城主 形瀬近江守の築く鍋倉山城があり、近隣に勇名を馳せていた。 丹波路に迷い込んだ公卿や姫様達はしばしの憩いを求めて…
高源山「雲龍寺」 ・所在地/三木市上ノ丸9-4 ・宗派/曹洞宗 ・本尊/釈迦如来 この寺は、寺伝によれば957年(天徳2年)天台宗の僧良源によって創建されたという。 その後、平安時代後期の保元 年間(1156-1159年)に兵火にあって荒廃したが、鎌倉時代後期に赤松氏によって復興され、1322年(元享2年)後醍醐天皇により現在の山号に改められた。 室町時代には別所氏の帰依を得た。1578年(天正6年)豊臣秀吉による兵火により焼失したが、秀吉が寺領を安堵されている。 三木城主の別所長治公の首塚 昭和48年(1973年)3月、別所公奉賛会の努力で首塚の修復と玉垣の設置、さらに照子夫人の霊を合祀され…
東渓山「安国寺」 ・所在地/加東市新定851 ・山号/東渓山 ・宗派/臨済宗妙心寺派 ・本尊/十一面観世音菩薩 ・創建年/暦応2年(1339年) ・開山/固山一鞏 ・開基/足利尊氏 ・別称/播磨安国寺 ・足利尊氏が後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために日本全国68か所に建てた安国寺のひとつ。 本堂 鐘楼 本堂前の境内には美しい 枯山水庭園 手入れもよく行き届いています。 石造りの一休さん 足利義教の首塚 苔に覆われた首塚には、宝篋印塔が築かれている。
近松門左衛門「おさん茂兵衛」のヒロインである、おさんの森 @ 丹波市
「おさんの森」 ・所在地/丹波市柏原町柏原 一般道路から少し入った旧但馬街道際にあるため、なかなか見つけるのが大変でした。 近年では、恋の成就にと若者の参拝も多いようです。
《安国寺の続編》 安国寺本堂から西に少し離れた田圃の法面に木々に囲まれてひっそりと佇む 「足利義教の首塚」 苔に覆われた首塚には、宝篋印塔が築かれている。
「観音寺」(かんおんじ) ・所在地/加東市家原14-4 ・山号/大悲山 ・宗派/臨済宗妙心寺派 ・本尊/11面観音菩薩 墓所は本堂の左側にある 赤穂四十七義士墓所 墓碑の配置図 墓所の正面に浅野家四代の墓碑 浅野家墓碑に向かって右手前が大石良雄(内蔵助)の墓碑 浅野家の向かって左手前が内蔵助の息子の大石主悦の墓碑 他の義士の墓碑は、3墓碑を囲むように並んでいます。 浅野家の墓碑の左手にはがきの木 昔はこの木の葉に文字を刻み込み、文書や葉書代わりに使用されていたそうです。 悲しい出来事で心苦しく感じました。