悲運を伝える首切地蔵 @ 丹波市山南町
「首切地蔵」 ・所在地/丹波市山南町谷川山田315-1 (当地の首切地蔵由来説明板より) 首切地蔵は、今から約800年前の平安時代の末、平家が最後の砦と頼んだ宇治川の合戦にも敗れ、攻め入る源氏の大軍の前になす術もなく、命かながら京都を逃れ、一時神戸福原に匿って再起を計ったが、これも叶えなく一の谷に逃れた。 なかでも哀れみを止めたのは、平家一門に連なる公卿やその姫様達であった。 昨日までの栄蓽の夢破れ娑婆の無常を感じつつ人目を恐れ、丹波路へと逃れて行った。 その頃、近隣丹波東山には城主 形瀬近江守の築く鍋倉山城があり、近隣に勇名を馳せていた。 丹波路に迷い込んだ公卿や姫様達はしばしの憩いを求めて…
2023/06/07 16:56