駿府城公園から臨済寺へ向かう途中にある若宮八幡宮。 こちらもも徳川家康ゆかりの神社として知られています。 境内の大楠は、樹齢1000年以上と伝えられています。 家康は、鷹狩りの道中に度々ここに立ち寄り、大楠の木陰で休息をとったと伝えられています。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング
静岡市葵区の紺屋町に鎮座する小梳神社(おぐしじんじゃ)は、奈良時代以前の由緒をもつ古社です。 静岡駅からわずか200m。繁華街の一角にあります。竹千代(後の徳川家康)が人質として駿府に来たとき、まずはこの神社に立ち寄り、服装を改め武運長久の祈願をしてから、今川義元と対面したと伝えられています。その後、徳川家康が天下を統一し駿府城にとどまるにあたり、代々徳川家の守り神である大己貴命と天照大神の2柱を合祀して、駿府城の守護神として尊崇されてきました。平安時代初期のころから少将井神社とも呼ばれました。 小梳神社 小梳神社は、俗に少将井宮(少将井社)、略して「少将さん」と呼ばれ、駿府城の守護神として崇…
宝台院は、日露戦争時には、ロシア兵の捕虜収容所となりました。本堂は、旧国宝でしたが、1940年(昭和15年)1月15日の静岡大火で焼失。現在は、モダンな建物となっています。 本堂内陣は、天井の高い本堂で、本尊の両脇には徳川家康の旗印で使っていた「厭離穢土」「欣求浄土」の文字が並んでいます。本尊は白本尊と呼ばれ、芝増上寺の黒本尊と共に家康の守り本尊となった阿弥陀如来立像(国・重要文化財)です。白本尊と呼ばれる由来は、金箔の下に白い胡粉が使われていたからと言われています。若き日の家康像として注目されている家康公の自画像(市・重要文化財)も所蔵しています。(宝台院HPより)かしく坊の辞世唄がうまかっ…
また、宝台院は、江戸開城後に、徳川慶喜が1年間近くを謹慎した場所としても知られます。 江戸城は、慶応4年(1868)4月11日に新政府軍に明け渡され、彰義隊や旧幕臣の暴発を恐れた慶喜は、11日午前3時に寛永寺大慈院を出て水戸へ向かいました。水戸では弘道館の至善堂にて引き続き謹慎した後、7月に徳川家が駿府に移封されると、7月23日、慶喜も駿河の宝台院に移って、明治2年9月28日までの約1年間を宝台院で謹慎されました。これにより、徳川家による政権は幕を閉じ、以後、幕府制度や征夷大将軍の官職は廃止され、慶喜は日本史上最後の征夷大将軍となりました。徳川慶喜公謹慎之地石碑には、当時の緊迫した状況が記載さ…
「ブログリーダー」を活用して、shizuyashizuさんをフォローしませんか?