毒親育ちで毒親になりかけた私が、軌道修正を図るために泥臭く足掻くブログです。
【当時の話】 結婚もしたし、私も落ち着いたので両親も今までよりも柔和になって、もう少し風通しの良い関係になれるといいな、と本気で思っていました、この時は。 今までやいのやいの言っていたのは、私が結婚せず気ままにふわふわ暮らしているのが心配だからで、結婚して地に足のついた生活をすればもう心配もかける事ないし、両親も安心して自分達の事だけを考えられるから関係は良好になるだろう、と本気で思ってたんです、この時は。 でもね、違ったんです。違ったってことは、文句を言われていたのは私が独身だからでも気ままに仕事してふわふわ一人暮らししてるからでもなかったってことです。結婚しても文句言われるんです。じゃあ、…
【当時の話】 結婚式はとてもよかったですが、引っ掛かっているのは新婦の手紙を書く事になったのと(結婚式のプランで司会の人にごり押しされ、断れず)、母の↑の発言です。こういう発言って「いやお母さん照れてるのよ~」とか「謙遜してるだけじゃないの~?」とか言う方がいるんですが、自分の照れ隠しで子供サゲするのはおかしくない?って話ですよね。 総じてうちの母に言えることですが、自分のプライドとか立場とかを守るために、子供の事を平気で貶めるんです。自分アゲ子供サゲなんです。何故なら自分より子供は永遠に立場が下だと思ってて(言うことも聞くもの、何をしても文句を言わせない立場)、子供=自分を持ち上げる御輿だと…
【当時の話】 母が倒れたのと父が倒れたのは同じ年で、確かに高齢の母からしたら不安になってしまうのもわかるのですが、ぶっちゃけ29歳まで彼氏がいることにめちゃくちゃ文句言ってたくせに、自分の心を安定させたいためだけに「結婚の予定ないの?」「いい人いないの?」と見事な手のひら返しをしてくるんですよ。子供のライフイベントも、人一倍嫌がっていて、「何で結婚式なんかするんだ、みっともない」「人様に見せるものでもないでしょうが」とずっと言われていました(結婚式の打ち合わせの話をすると、毎回こう言われていた)。 母にとっては私の結婚式は「自分が人前にでなくてはならないから」やって欲しくない、ってことだったん…
本日二本目の記事です。 【当時の話】 親の放つ言葉の呪いとは本当に恐ろしい、この呪いは今でも私を苦しめています。私の先輩ママ友にも子供(女の子)に「お前デブなんだから」と笑いながらいう人がいたんですが、言われているその女の子は、「この人に何言っても無駄だし、人前で歯向かっても後が恐いしな」みたいに視線を落としてへらへらっと笑ったんですよね。何だか他人事とは思えなくて、ママ友に直接は言えませんでしたが、女の子本人には会うたびに所作や容姿などを誉めるような言葉をかけるようにしていました。何かが変わるわけではないかもしれないですが...(今は疎遠になっています)。 そのママ友のように「うちの母と似て…
【当時の話】 物理的な距離をとれるのはとても心強いことなんですが、それさえすれば大丈夫、心の平穏は保たれる、というほどの効果はこの頃はなかったように思います。 ただ結婚式とか引っ越しとかで忙しかったので考えずに済んでいたという感じでした。 それでも結婚とかのライフイベントには実家との関わりはつきものなので...その度にモヤモヤはしていました。夫の両親と両家交えての食事会などの時は、最中は全く普通なのですが(顔はこわばっている、特に母)終わってからの怒涛の愚痴ラッシュがね...。 もう結婚して家も出ているのに、電話や会う予定が近づく度に頭の中に母がじわじわとはびこり、精神的には全く距離をとれてい…
【当時の話】 この頃、毒親という言葉は知っていましたがどちらかというと「命にかかわる身体的な虐待をする親」なのだと思ってました。今は精神的虐待とか教育虐待とか色々言葉が出てきて、自分に当てはまるものがまだまだあるような気がします。 ↑この「実はそんなに毒親でもないのでは?」って思考は本当に害悪というか、これも歪みなのかわからないですけど、「自分がされてめちゃくちゃ傷ついた事、気持ち」を全然自分自身が尊重できていないんですよね。親が毒親かどうとかより、親からめっちゃいやな事をされてそれが今でも影響していて息苦しいのなら、もう毒親と呼んで切り離す準備をしてしまっていいんじゃないかと思う今日この頃で…
【当時の話】 前回の話で母の中で「女」にカテゴライズされたと書きましたが、その日を境に↑のような容姿や体型など「女性」の部分をめちゃくちゃディスられるという事がはじまりました。中学生では制服以外のスカートを履くと「太い足なんか出しやがって」と言われ、もちろんズボン以外買ってもらえませず、髪を伸ばす事も禁止されていました。(伸びてくると、うっとおしいから切るようにと散髪代金をくれてました) それを踏まえて高校に入ってからはすぐ週5でバイトを始め、私服や下着、自転車、化粧品など欲しかったものを買いそろえていましたが、それも母は気に入らなかったようで(お前が好きなものなんて買うな、生意気に、と言われ…
【当時の話】 母は私が小学校一年の時から、ランドセルを開けては手紙やメモ、交換日記などを確認して内容について私に言ってきていました。これ、翌日の授業の準備の手伝いでランドセル開けたのかな?と思ったのですが、教科書とかはそのままいじってなかったんですよね。私入学当初は弄られキャラでよく泣いていたので、学校の先生から親に連絡がいっていたのかもしれません。それで学校での様子を知りたくてランドセルを...という事かな?それなら、学校どう?とか聞けばいいだけの話ですね。この頃の母は仕事で遅かったので、学校の話を聞いたり言ったりする習慣はありませんでした。 あと、徹底的に私の友達付き合いを否定してきていま…
【当時の話】 これ以前に、職場の年上の方(お子さんのいる女性)に母の話をして「お母さんだってつらいのよ~」「どこのお家も多少はあることだよ」と言われたことがありました。(包丁の一件も「あ、おおげさおおげさ!お母さん本気じゃない!」と言われました) その時私は「いくら包丁を突きつけられても母の行動は共感されるもので、私は母に反抗的な子供ってだけでつらい気持ちに共感はされないのか?」と思い、それ以降は母の話を他人にするのはやめました。 100歩譲って母もつらいということは理解するとして、自身がつらいときは子供を恫喝しても良いって?それはただのサンドバッグでは? 子供が泣けば「泣くな!」、楽しくはし…
【当時の話】 この頃は自分の気持ちとか主張を受け止めてもらえないと、秒速で絶望していました。絶望してすぐに諦めるのですが、親に自分の気持ちを受け止めてもらえなかった時よりも、夫や友人に受け止めてもらえなかった時の方がダメージが大きく、時としてそれが怒りに変わることも多かったです。夫にはよくぶちギレていたのですが、大分後に田房永子さんの本に出会って、「ああ、そういうことだったのか」と安堵しました。 最近は本当にキレなくなったんですよ!!当時は本当に余裕がなかったんです...些細な事で瞬間的にパーンとキレて、「ああ、母親そっくりだ...!」とめちゃくちゃ自己嫌悪に陥ってあっぷあっぷの最中にまた何か…
【当時の話】この出来事について思うのは「母はどうしたかったのか?」なんですが(十中八九八つ当たりだとは思うんですが)、母はただ怒りにまかせて後先何も考えず喋ってるだけで、「包丁は持ち出したけど、ただの冗談でしょ~」ぐらいの軽い感じかなと思ってます。子供からしたら冗談じゃ済まされないですけど! こういうのは大抵原因は別のところにあって、イライラしている時に子供がトリガーを引いてしまっただけだったりしますよね。(あとは年齢的に更年期だったかも) 実際母はこの行動を覚えておらず、私が詳細を話して「覚えてないの?」と言うと 「だからなんだ」 「何か腹がたってたんだろう、知らんけど」 「古い話なんていち…
【当時の話】 私が小学校の三年~四年あたりが、母は一番不安定だったような気がします(↑の頃です)。学校から帰ってくるとたばこを吸っていたり(母は喫煙者ではない)、電子レンジに箱ティッシュが入っていたり(暖めていたっぽい)、今回のように包丁を持ち出していきなりぶちギレてくることも度々ありました。こういう展開になる度に、私は母にどう対応すればいいか頭のなかでぐるぐる考えながら、言葉を発していました。恐らくこの頃から「母の機嫌を損ねないような発言」をするようになっていたと思います。それでもキレる時は避けられないのですが...。 大人になってから、どうやらこの頃は父と母がゴタゴタしていたという事を兄か…
【当時の話】 買い物に行ったときの状況は思い出せなかったのですが、ひき肉と何かを間違えたこと、それと怒りに満ちた顔で下唇を噛みしめながら、ひき肉のパックを床に叩きつけて何度も両足で踏みつけている母の姿ははっきり思い出しました。 兄はあんまりこういう時動揺しなかった気がします。今思えばそれはそれで良くない状態だったんじゃないかなあ、年も結構上だったので色々わかっていたのかもしれません。 ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします! ↓↓こちらもポチッと応援よろしくお願いします! ランキング参加中毒親育ち ランキング参加中(実は)毒親持ち... ランキング参加中漫画ブログ
【当時の話】 何で家に竹刀があったのかわからないけど、当時の母は私が言うことを聞かないとよく竹刀を持ち出して脅してきました。これが怖くて...この耳元で風を切る音がなんとも言えず恐くて震え上がっていました。 まあ、母からしたら「仕事に遅れたくないから」って事だと思うんですけどね。でも他にやり方あったでしょうに。 後にこの件に関して母に「何で竹刀まで持ち出してきたの?」と聞いたことがあります。母の返答は「あの時代はあれが普通だった」というものでした。 ...え、えぇ~!!? ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします!!
【当時の話】 「何で私はこの考えに至ったのだろう」とか「何でこの状況になったんだ?」とか考え出して、すっごい嫌なもの思い出しちゃってしばらく暗い気持ちになるのですが、それだけじゃいかん!ともっともっと嫌なものに向き合いまくって、色々処理できなくなって脳のメモリーがパンクして終わる、というのを四半世紀程くりかえしています。 この時も思い出してから長いこと落ち込みました。 最近はアウトプットを覚えたので、少しだけ処理が早くなりました(多分)。 ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします!
【当時の話】 これまでに幼児と関わったことがほぼなく、こんな出来事も初めてでした。 嫉妬や不公平だという思いと同時に「子供は泣いてもやさしくするものではない」みたいな認知の歪みが無意識にあったのだと思います。 感情的にカッとなるというより、ヒヤリとした冷たい感情が涌き出た感じです。(分かりにくい) ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします!
改めまして、松村いこいです。 このブログは自身の体験を元に描いております。お見苦しい点もあるかと思いますが、よかったら読んでください!ブログ初心者で右往左往しておりますので、更新は不定期です...!よろしくお願いいたします! ↓↓ポチっとしてもらえたら、励みになります!応援よろしくお願いします!
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