私の性格上“やりながら突っ込む”好きと決めたら(心が動いたら)飽きるまでやる。最初は誰しもわからない事はある。恥をかいても死にゃしない。と思ってるので例え、違うと言われてもへーそうなんだ。これ、違うんだ。終了で、少し調べて、またやってみてちょっと、さっきより良い感じ??で、休憩して、を繰り返す。自分で考えて工夫してもわからないことは調べてみる。聞いてみる。そして、必ず何をするにも先駆者がいることを忘れない。ブログだろうが、Googleだろうが、本でもとりあえず調べる、聞く。「教えてください」と言ってみれば基本的に教えてくださる。(着物の先生に聞くのはやめた方がいい。)知識が無くても、やってみたいことは片足だけ突っ込んでみる。できそうなら、両足入れてお風呂に入る要領ですこしづつ身体を慣らしていく♪わからない、できないって誰にでもあることだから。【一歩一歩進め】が私の座右の銘💞亀で良し。子供がいて、着物をバサバサと遊ばれてしまうから隠しながら、隠れながら着物の自主練をした。隠さなきゃ!隠れなきゃ子供が周りにいると、気が散って帯どころじゃない。普通の半幅帯ですら、巻けない。悔しいなぁって気
着物を着る機会は今まで1度もありませんでした。なんなら服に興味がなかった。ファッションセンス0、着れればなんでもいいとさえ思っていたんです。(笑)洋服に関しては実は今も着れればなんでもいいって思ってる節があります。でも、和服は違いました♪着物を見てるだけで素材が知りたくなる♪触ってみたい♪胸が高鳴る今まで思ってもいない自分を知った時楽しくて楽しくてたまらなかった。画像を見てるだけで、顔がにやけてしまうまだ着物を持っていないし、着物がどこで売ってるのか着付け小物すら、何をかって良いのかしらないのに。子供が小さくて家事と仕事が忙しくて高いから買えない着物を着れない理由を探して並べて諦めて。そんな日々が半年続きました。次女は3歳。やんちゃなきかん坊。お転婆「着物破りそう…」子供に綺麗な着物を見せてはいけない私は次女が2歳半で保育園が決まった事を起点にメルカリで着付け小物を探しました。「できるか、どうかなんてわからないけど着てみたい。」その心の声だけを頼りにメルカリで着付け小物一式を「一式」で出してる方を見つけて3000円くらいで購入。★帯枕★帯板★伊達締め★仮紐3本が入っていました。その当時
お店に並ぶ洋服は柄が同じでサイズが違う色違い、とサイズが違えど柄は同じはあるけども着物にはサイズ違いって昔の着物はない。昨今M、Lなど柄が同じサイズ違いが出てきてはいるけども今の世代のおばあちゃんたちが持っていた着物におそらくサイズ違いはない。私が着物を好きになって着物のサイト、かけずり回っているけども1度も一番最初に買った流水文様の水色の単衣は見つかったためしがない。きっと同じ着物にまた出会えるとメルカリで売ってしまったのだけど2年探してても見つかったことがない。着物って一期一会で手放すと手に入らないこの希少性がたまらない。世界で、1枚しかない服を纏えるって幸せすぎる💞自己満かもしれないけども。自己満でも、うまくなりたくて1回1回泣きそうになりながら着る練習をした最初は、長襦袢(着物の下着)さえ、うまく着れなくて衣紋は抜けないし腰回りはぐちゃぐちゃするしどこを引っ張れば、ピタっとなるのかあちこち触って動き回るから全然綺麗にならなくて泣きそうになった、いや、泣いていた・・・上手くなりたい上手くなる上手くなれる・・・きっと次はきっと・・次は・・・綺麗にならなくて小さい子供みたいに地団駄
私は今41歳なんですが、母が亡くなった日は看取れませんでした。いや、看取りませんでした。入退院を繰り返して私ももう子供がいたし介護、出産育児ともうへとへとでした。長女が生まれた年に母は逝きました。11年前。何度もひきつけをのような症状を起こし痙攣のような、てんかんのような症状を起こしそれでも父は在宅を諦めなかったけど私の出産を機に、訪問看護を依頼してそして、私は実家には帰らなくなった。あれから10年インスタの普及によりインスタを見ていた時一人の着物女性を目にする着物って素敵だな…と。食い入るように見ていたのかGoogle様が私の好みに合わせて着物女性をどんどん出してくる。「この人も綺麗💞」「この着物も素敵💛」これが、私の「着物沼」への第一歩だった。
中学校1年か、そこらのころ「たまごっち」が流行ってさたまごっち、欲しくて父に頼み込んで買ってもらったたまごっちごはんあげたり、遊んであげるとちびちっちからおやじっちになったりだんだん成長していく今みたいにカラーじゃなくてモノクロだけど、かわいいくてずっとお世話してた。でも、あれ、飽きるんだよね(笑)そして飽きてほおっておくと死んじゃうの(笑)今のたまごっちもそうなのかな??私、ゲーム好きじゃないけどあれは夢中になったな。たまごっち(笑)今もあるのかな。
毎日、自分は何のために生きてるのか?迷うことが多かった。なんで生きてるの?自己啓発の本を読めば読むほど泥沼化する自分自分とは何で?自分はなんで生まれてきたのか。今思うと自己肯定感が底辺だった、と思う。それもそのはず、私は親からほめられたこともないし。小学校も中学校も休みがち好きなことをして遊んで家にいたけどいつも不安だった。不安を払拭してくれる親も母は私が小学校一年の時にアルツハイマーになり5分前の事を覚えることすらできない状態毎日毎日同じ質問を繰り返していた。「なんで生きてるのか、わからないけど、ボケたくない・・・」と、思った。母は、私が子供であることも忘れている状態。何度言っても忘れてしまう。母が入院していたころは、おむつやら尿道カテーテル?などでお漏らしをなんとかできていたが・・小学校2人の子供のいる家に、自分でトイレすらいけない母が退院した。もちろん私たち兄妹は途方に暮れるが母のおむつを替えたり、ごはんをたべさせたり自分のことを構ってる余裕もなかった。そんな私にコミュニケーション術などあるわけもなく、友達はいなかった。友達欲しい・・・友達と話したい・・・これが私を猛烈に「趣味欲
私は「趣」という字が好きでサイト名もネットショップの屋号名も「趣」を入れた。「心トキメクもの」「心が指し示すもの」頭で考えた好き、何か裏があっての好きではない。心が先にどんどん引き込まれていくもの。子供のころから動物が大好きで中学生の時にトイプードルを飼ってから犬の虜になったが生き物を趣味というのは、少し違うと思った。可愛いけども、散歩が必要だったりしつけで悩み倒したり、生き物は与えてくれるばかりじゃない。それから「趣味」を探し回った。ネットで見るようなオシャンな〝DIY〟とか〝アクセサリー作り〟とか柄じゃなかったし。自分のセンスなんて皆無だと思っているのでやろうという気にもならない。本を読むのが趣味と建前上言っていたが趣味と言うほど読んでもない(笑)音楽が好きとも言っていたが当時流行っていた曲をカラオケで歌い倒してストレス発散してただけ^^「何か打ち込める趣味が欲しい。」今思えば趣味=友達探し昔の私は人と一緒のいることが〝楽しんでる〟〝充実している〟と勘違いしていたから趣味は、持つべきものそして人生を楽しく生きると思い込んでいた。
幼いころから趣味と呼べるようなものは何もなかった私が趣味と言える物が見つかった。趣味ってどうやって見つけるんだろう?そんな風に思っていたのに・・・でも、40歳だからこそ、今出会えたんだって思ってる。40歳の私にしか感じられない心の旅。心の趣。親がアルツハイマーで母の面倒を見なきゃいけなかったから学校を休んだら学校でハブかれて、不登校になった手先も頭も不器用で何をしてもみんなと同同じようにはできなかった。いつも親に怒られてばかりの私。でも、ちゃんと結婚もして子供もいる。ありがたい。そんな私の趣味つづく
ここのサイトは、基本的に光の趣味の部屋。私が好きな物、幸せの場所。日頃の喧騒を忘れてポカポカ、お散歩をしたり少しおでかけをしたり。嫁でもなく、親でもなく、子でもない。光の部屋。お気軽に見ていってくださいね(^^)
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