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スポーツエトセトラ https://blog.goo.ne.jp/nacky3791

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

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2024/05/15

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  • ブログ更新終了のお知らせ

    既報の通り、gooブログがサービスを終了することになりました。そこで、このブログも更新を終了することにします。結局この3~4年間はほとんど新しい記事をアップすることができず、放置した状態が続いていました。更新が途中で止まったままのネタもありましたし、ラグビーに関する記事などいろいろ書きたかったのですが、いろいろな事情でままならず。志半ばでの終了と相成りました。今後は新装開店ということで、noteに舞台を移したいと思っています。こちらで執筆してきた記事を加筆修正したうえで、新たにアップしていくつもりです。よろしければ以下のアドレスに覗きに来てください。https://note.com/deft_eel2787短い間ではありましたが、ご覧いただきありがとうございました。ブログ更新終了のお知らせ

  • 新装開店

    2021年より更新を続けてきた『データで探る野球史』ですが、このほど心機一転、野球以外のスポーツも取り扱うことにしました。 新たなブログタイトル名は『スポーツエトセトラ』(仮)。野球以外はラグビーがメインとなる予定です。 近々更新の予定ですので、今後ともよろしくお願いいたします。 スポーツランキング新装開店

  • 2023年千葉県出身プロ野球選手一覧

    ご無沙汰しております。およそ1年半ぶりの投稿となります。今回は今さらながら2023年版の千葉県出身プロ野球選手一覧となります。総勢52名でそのうち支配下選手は37名、育成選手が15名となります。プロ野球ランキング2023年千葉県出身プロ野球選手一覧

  • 2022年千葉県出身プロ野球選手一覧

    2022年ももう後半に入ってしまっています。このままだとあっという間にシーズンオフ。そこで今年度、NPBに所属する『千葉県出身プロ野球選手一覧』を掲載します。今回は他県出身で千葉県の高校を卒業してプロ入りした選手も含めました。◇は甲子園出場。総勢60名で、うちセ25名、パ35名。新人選手が10名もいました。千葉県内の高校を卒業してプロ入りした選手は39名で、千葉県出身で千葉の高校を経てプロ入りした選手は33名です。ポジション別では投手35名、捕手8名、内野手9名、外野手8名。チーム別では本拠地のあるロッテ、二軍の拠点がある日本ハムが9名ずつで最多タイです。市町村別では船橋市が6名でもっとも多く、続いて松戸市と八千代市が5名。千葉市、鎌ケ谷市、流山市が3名で続きます。県庁所在地の千葉氏が意外と少ないですね。...2022年千葉県出身プロ野球選手一覧

  • 1年3ヶ月ぶりの更新です。

    昨年の5月以降、仕事が非常に多忙を極めたために更新を中断しておりました『データで探る野球史』ですが、その間もたくさんの方に閲覧していただいています。不定期ながら、少しずつでも記事を投稿していければと思います。また、野球以外のネタについても投稿したい、という考えもありますので、ブログ名を変更する可能性もあります。今後ともよろしくお願いいたします。1年3ヶ月ぶりの更新です。

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢 高校別成績

    高校野球春季関東大会の千葉県勢の成績を振り返るシリーズ。前回は都県別の対戦成績をお送りしましたが、今回は高校別の成績をまとめてみました。春季関東大会は本日スタートしますので、データ自体は前回(2019年)までのものです。千葉県勢はこれまで39校が出場しています。順番は勝利数順となります。勝利数トップは、千葉県高校球界をリードしてきた銚子商。出場回数や優勝回数なども、いずれも県内では1位。夏の大会、秋季同様に圧倒的な成績を残しています。続いては秋季と同じく習志野です。しかしながら、春関で初めて決勝に進出したのは2010年で、安定して結果を残せるようになったのはここ10年ほどとなります。3位は古豪・千葉商。優勝はありませんが、ベスト4以上は4回です。4位は木更津総合(木更津中央)で、二ケタ勝利はここまで。さら...春季高校野球関東大会千葉県勢高校別成績

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢 都県別対戦成績

    これまで、1948年から2020年までの、春季高校野球関東大会における千葉県勢の全成績を振り返ってきました。今回は過去の72回の大会(2020年は中止)の成績について、対戦した都県別ごとにまとめてみました。試合数、勝利、敗戦、勝率、準決勝以上の成績の順です。同県対決1回(1975年準決勝、銚子商対習志野)を除いた数字となります。現在まで6つの負け越しで、勝率が5割を割っています。80年代までは大幅に勝ち越していたのですが、90年代後半から00年代前半にまったく勝てなかった時期があり、そこで勝敗が逆転してしまい現在に至っています。栃木、群馬、山梨には勝ち越していますが、その他の都県には分が悪い感じですね。最も多く対戦しているのが神奈川ですが、大きく負け越し。埼玉、東京相手にも、苦しんでいる感じです。関東の中...春季高校野球関東大会千葉県勢都県別対戦成績

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(2015年~2020年)

    千葉県勢の過去の春季関東大会の戦績を振り返るシリーズ。今回は2015年~2020年となります。2015年は専大松戸が連続出場を“5”にまで伸ばしたものの、初出場の沼南とともに初戦敗退に終わっています。16年は校名が変わった東海大市原望洋と、16年ぶりの春関となった千葉黎明がそろって準々決勝に進出しました。17年は専大松戸と15年ぶりの春関となる千葉敬愛が出場も、2年ぶりにW初戦敗退に終わっています。18年は地元・千葉開催。4校のうち3校が初戦を突破し、この年の夏に3回戦に進出する木更津総合が、春関では県勢5年ぶりとなるベスト4進出を果たしています。19年はセンバツで24年ぶりに決勝進出を果たした習志野が推薦で出場権を獲得も、初戦で大敗。県大会準優勝で3年連続の春関となる専大松戸が、ベスト4進出と意地を見せ...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(2015年~2020年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(2011年~2014年)

    千葉県勢の過去の春季関東大会の戦績を振り返るシリーズ。今回は2011年~2014年となります。千葉開催となった2011年は、2年連続で決勝に進出した習志野が春関初制覇を達成します。泉澤涼太、木村光彦、在原一稀、大野駿らの“複数投手制”に加えて、粘り強い打線が持ち味で、この年の夏の甲子園でもベスト8に進出しました。また好投手・上沢直之がエースを務める専大松戸も準々決勝に進出しています。12年は専大松戸・松戸国際が代表と、松戸市からのアベック出場を実現。初出場の松戸国際が、8強に進出しています。13年は東海大望洋と、これで3年連続出場となる専大松戸がWで準決勝に進出。これは春関に2代表を送り込めるようになった75年以来で、38年ぶり2度目の快挙でした。ちなみに、75年は開催県で4校が出場していますので、2代表...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(2011年~2014年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(2007年~2010年)

    千葉県勢の過去の春季関東大会の戦績を振り返るシリーズ。今回は2007年~2010年となります。この頃になると、秋、春ともに関東でも結果を残すようになっていきました。千葉県勢として初めてセンバツに2代表を送り込んだ07年は、丸佳浩、大島寛之らを擁する千葉経大付が、県勢では21年ぶりとなる春の関東大会制覇を果たします。08年は齋藤圭祐、内藤大樹らを中心に好チームを形成した千葉経大付が、センバツで県勢では13年ぶりとなる準決勝進出の快挙。春関にも推薦で出場しましたが、県大会でその経大付を決勝で大差で下し優勝した木更津総合が、経大付に続いてで2年連続で春関Vを達成。強打の捕手・地引雄貴がチームの要でした。09年は初出場の千葉明徳が、東海大望洋と揃って準々決勝へ。10年は高校ナンバーワン捕手と評価された山下斐紹をチ...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(2007年~2010年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(2001年~2006年)

    千葉県勢の過去の春季関東大会の戦績を振り返るシリーズ。今回は2001年~2006年となります。99年から02年まで、千葉県勢は春の関東大会で4年連続で2校揃って初戦敗退と、暗黒時代が続くことになります。ちなみに、秋季関東大会でもこの4年間でわずか1勝。センバツも00年から03年まで、4年連続で代表校を送り込めませんでした。これは1968年以降では最長記録となっています。一方、夏の甲子園では99年に柏陵がベスト8、00年に東海大浦安が準優勝、01年は習志野が2勝を挙げるなど好成績を残しており、「関東大会で勝つこと」が課題となっていました。地元開催となった03年はさすがに意地を見せ、4校中3校が初戦を突破。エース・大場翔太を擁して県大会を制した八千代松陰が県勢では5年ぶりとなるベスト8に進出しています。04年...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(2001年~2006年)

  • 高齢でプロ野球入りした選手ランキング(51位~75位)

    「高齢でプロ野球入りした選手ランキング」の3回目は、51位から75位です。このあたりから、27歳でプロ1年目を迎える選手がメインとなります。野手で目に付くのは川端崇義です。1年目にいきなり規定打席に到達、114安打を放ちましたが、2年目に故障で不振に陥ると、以降はレギュラーに届かず。年齢のカベには勝てなかったという印象です。真喜志康永は堅守の内野手。遅いプロ入りだったため現役生活は長くはなかったものの、引退後はコーチとして1度もユニホームを脱ぐことなく、現在に至ります。投手では西川慎一。近鉄、阪神では左殺しの中継ぎを任されました。98年には61試合に登板しています。現役生活11年と、息の長い投手でしたね。渡辺正和はプロ入り後しばらくは低迷しますが、34歳となった00年に突如60試合に登板するなど、左のセットアッ...高齢でプロ野球入りした選手ランキング(51位~75位)

  • 高齢でプロ野球入りした選手ランキング(76位~100位)

    「高齢でプロ野球入りした選手ランキング」の2回目は、76位から100位です。→101位~122位※★は現役選手を表します。この表に出ている選手の大半は、26歳でプロ生活をスタート。さすがに若手とはいいがたい年齢ですね。さて、野手で目を引くのは、引退した選手の中でいうと中島輝士ですね。オリンピック日本代表の4番で、即戦力の長距離砲として鳴り物入りでのプロ入りでした。金属バットの影響か、思ったほどの成績は残せませんでしたが、それでも3割近く打った年もありましたし、光るところは見せてくれています。鷹野史寿は近鉄ではレギュラーには届きませんでしたが、新球団・楽天の1年目は貴重な戦力として、積極的に起用されていましたね。岡村隆則は代打や守備固めなどで、西武黄金時代の前半期、バイプレーヤーとして支えていました。投手に目を移...高齢でプロ野球入りした選手ランキング(76位~100位)

  • 高齢でプロ野球入りした選手ランキング(101~122位)

    今回からは新たなシリーズとして、「高齢でプロ野球入りした選手ランキング」をお送りいたします。※★は現役選手を表します。以前から、高年齢でプロ入りする選手「オールドルーキー」に興味を持っておりました。一リーグ時代、まだ社会人野球の方がレベルが高いとされていた時代では、プロを敬遠したり、ピークを過ぎてからプロの世界に飛び込む選手も少なくありませんでした。八幡製鉄で強打者として活躍、37歳でプロ入りした大岡虎雄(大映→松竹)、35歳でデビューした戸倉勝城(毎日→阪急)らが該当します。ただ、日本のプロ野球が成熟し、レベルがはっきりとプロ>アマとなると、素材がよく、なおかつ伸びしろのある10代~20歳前後の選手が重宝され、下り坂となる20代半ば以降の選手は、どうしても避けられがちとなります。アマチュアの選手にとっても、大...高齢でプロ野球入りした選手ランキング(101~122位)

  • 2020年千葉県の高校出身プロ野球選手一覧

    以前、2020年度の千葉県出身プロ野球選手一覧を掲載しました。→セ・リーグ編→パ・リーグ編千葉県の市町村出身者、という基準で一覧にまとめています。※その後の調査で楽天の山下斐紹が千葉県の中学出身であることが判明したため、一覧に加えたうえで修正しています。しかし、ここ10数年の千葉県の高校野球のレベルを図るためには、千葉の高校を出て、プロ入りした選手をまとめるべきと考え、今回は「千葉県の高校出身」のプロ選手一覧として紹介します。総勢34名(高卒から直でプロ入りしたのは16名)となります。しかし、セ・リーグが少ないですね。ヤクルトが頑張っていますが。ちなみに、2020年度に登録されている(外国人、育成含む)プロ野球先週は930名。割合としては全体の3.65%。多いのか、少ないのか。これは改めて、全都道府県に広げて調...2020年千葉県の高校出身プロ野球選手一覧

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1976年~1980年)

    過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第5弾。今回は1976年~1980年となります。対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。黄色は優勝、銅色はベスト4を表します。甲子園2連覇の栄光から一転、77年から86年までの10年間、千葉県勢は夏の甲子園でわずか3勝しか挙げられませんでした。79年には、68年から78年まで11年続いていた、センバツの連続出場記録も途絶えてしまいます。同時期、68年から78年までの関東勢のセンバツ出場回数を数えると、茨城4、栃木5、群馬2、埼玉2、神奈川5、山梨はゼロ。関東の中で、千葉県勢の実力が突出していたかが分かりますね。それだけに、寂しが感じられます。そんな「暗黒時代」を招いた理由を考えてみます。まず、参加校が激増したこと。77年に103校と...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(1976年~1980年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1972年~1975年)

    過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第4弾。今回は1972年~1975年となります。対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。黄色は優勝、鼠色は準優勝、銅色はベスト4を表します。74年に銚子商が、75年には習志野が全国制覇。2年連続で千葉県代表チームが夏の甲子園で優勝を勝ち取るなど、千葉県が一気に「野球どころ」として認知された、まさしく黄金時代。甲子園とは無関係の春の関東大会でも、すべての年でベスト4以上に進出するなど、いかに当時の千葉県勢のレベルが高かったかが分かります。72年は記念大会でもないのに、なぜか1県2代表。春の県大会優勝・成東は毎年のように上位に進出しながら、銚子商の厚い壁の前に甲子園に届かず「悲運の成東」と呼ばれたほどのチームでした。しかし、春の県大会準...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(1972年~1975年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1964年~1971年)

    過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第3弾。今回は1964年~1971年となります。対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。銀色は準優勝、銅色はベスト4を表します。65年には銚子商が夏の甲子園で準優勝、67年には習志野が県勢初の全国制覇を達成しますが、春の関東大会では64年から67年まで、4年連続で初戦敗退と今一つ。それでも、ホスト県となった68年の第20回では意地を見せます。記念大会のため、1県から2校、地元千葉からは4校が出場。県営(千葉寺)と市営(千葉公園)を会場に行われました。4年ぶりに出場した1位校で、県勢としても15年ぶりにセンバツ出場を果たした銚子商、初出場の新鋭・木更津中央(現・木更津総合)はベスト4進出と、地元開催としては最低限の結果を残しています。...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(1964年~1971年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1958年~1963年)

    今回は、過去の春季高校野球関東大会における千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第2弾です。対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。黄色は優勝、鼠色は準優勝を表します。58年は前年の秋、春と県大会2連覇を果たした銚子商が初優勝。決勝では日大一を相手に、延長12回の死闘を制しての制覇でした。また、これが千葉県勢初の春季関東大会優勝となります。この夏の甲子園、第40回記念大会のため1県1校が甲子園に出場できることになりました。そのアドバンテージを活かして銚子商が優勝を果たし、夏の甲子園初出場を決めています。59年は木更津一(現・木更津)が初戦敗退。そして60年は長生一(現・長生)が5年ぶりに出場。大正15年、第12回大会から参加している伝統校ながら甲子園経験ゼロ、まったくの無名校ゆえダークホース的存在でしたが...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(1958年~1963年)

  • 春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1949年~1957年)

    今回からは新シリーズとして、過去の春季高校野球関東大会における千葉県勢の成績について紹介します。対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。銅色はベスト4、鼠色は準優勝を表します。本来ならば、現在は関東大会進出に向けた春の県大会がたけなわというところですが、今回は残念ながら県大会、関東大会ともに中止となってしまいましたね。気を取り直して、過去の大会について振り返っていきましょう。高校野球は1948年の秋から、全国を9地区に分けた大会が行われるようになり、春季の関東大会はこの1949年からスタートすることになります。秋季大会は途中から東京が離脱しますが、春季大会は関東の1都7県すべての地区の代表校が参加する形となり、現在に至ります。センバツへの出場権がかかった秋と違って、春は注目度がどうしても低くなり、夏に...春季高校野球関東大会千葉県勢成績(1949年~1957年)

  • 高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1973~1977年)

    過去の高校野球千葉大会のベスト8を紹介するシリーズ。久しぶりの投稿となります。今回は1973年~1977年です。夏の甲子園、74年と75年、2年連続甲子園全国制覇。千葉県高校球界にとって、まさしく黄金時代。最良の時代であったといえるでしょう。またこの5年間、いずれも秋季関東大会で上位に進出し、センバツ出場を果たしています。この時代の出場枠は関東が2~3、東京が1~2。つまり、関東大会で最低でもベスト4に進出しなければ、出場権は勝ち取れませんでした。ちなみにセンバツの重要な選考基準となる秋季関東大会への出場枠は、76年までが1県1校(地元開催時のみ2校)。最低でも1勝しなければなりませんでした。千葉県勢の関東大会のこれまでの全成績については、いずれ書きたいと思います。また甲子園に出ているのは、銚子商、習志野、千葉...高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校(1973~1977年)

  • 2020年千葉県出身プロ野球選手一覧(パ・リーグ編)

    今年度のプロ野球界に選手登録(支配下・育成含む)されている千葉県出身者の一覧を紹介するシリーズの後編。今回はパ・リーグ編です。背番号の隣の◎は新人、出身高校の隣の★は甲子園経験者です。色がついているのは育成選手となります。データ元は『12球団全選手カラー百科名鑑』(廣済堂出版)。この本は出身地が都道府県だけでなく、市町村まで掲載されています。さすがに千葉に本拠地を置くロッテを有するだけあって、人数は27名とセ・リーグのほぼ倍の数となっています。また、だいたい各球団に必ず千葉県出身の主力選手がいる感じですね。また27名中21名が県内の高校出身であることも、セとの違いを浮き彫りにしています。甲子園経験者は県外の高校出身者が多数を占める、というのはセとあまり変わりませんね。ちなみに、もっとも千葉県出身選手の在籍選手が...2020年千葉県出身プロ野球選手一覧(パ・リーグ編)

  • 2020年千葉県出身プロ野球選手一覧(セ・リーグ編)

    今回は少々趣向を変えまして、今年度のプロ野球界に選手登録(支配下・育成含む)されている千葉県出身者の一覧を紹介しようかと思います。まず前編はセ・リーグ編です。背番号の隣の◎は新人、出身高校の隣の★は甲子園経験者です。ちなみにデータ元は『12球団全選手カラー百科名鑑』(廣済堂出版)です。この本は出身地が都道府県だけでなく、市町村まで掲載されています。掲載基準は、出身中学の所在地(中学が私立の場合は卒業した小学校)です。五十嵐亮太は北海道生まれですが、小学校卒業時は千葉市在住でしたので含めています。そこで、この本で千葉県出身となっている選手を調べ、一覧としました。もともと子供のころから本書のファンで、千葉県出身選手一覧を毎年作っていました。私が小学生の頃は30名前後でしたが、現在はロッテのように千葉県に本拠を置くチ...2020年千葉県出身プロ野球選手一覧(セ・リーグ編)

  • 千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(3)

    今回は1977年~80年です。77年は3名。古屋は高校時代、秋・春、夏と決勝で銚子商に跳ね返された木更津中央のエース兼クリーンナップとして活躍。3年春にハワイ代表を迎え撃った千葉県選抜チームでは、4番(3番は掛布)を任されています。大学では途中から野手に専念。プロでは日本ハムの主砲として活躍し、85年には33本塁打をマークしました。野崎はこの年の夏の甲子園代表・千葉商のエースでしたが、プロでは登板ゼロ。荻原は高校時代は特筆した活躍を残していませんが、プロでは83年に17試合に登板しています。78年は4名。森は76年のロッテ1位指名を拒否。入札制となった最初のドラフトで4球団から指名を受け、抽選で西武への入団が決まりました。高校時代(科学技術工高)は最後の夏は肩の故障もあり、本領を発揮できず。大学、社会人では名門...千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(3)

  • 千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2)

    今回は1974年~76年です。千葉県高校球界全盛期らしく、上位で指名される選手が目立ちます。1974年は指名6名、ドラフト外1名。2年夏の甲子園は作新学院の怪物・江川卓に投げ勝ち、3年夏は5試合で1失点の快投で全国制覇の原動力となった土屋が、ウェーバー順3番目で1位指名。高校生では1番目の指名で、その評価の高さが伺えます。プロでは主に中継ぎとして活躍しました。続いて、5番目で土屋の銚子商の2年先輩・根本が指名。下級生時から好投手として知られ、強豪校のエースとして2年夏に甲子園ベスト8、3年春にはベスト4に導いています。プロでは76年に3勝をマーク。長谷川は高校時代、宇佐美和雄との2本柱でチームの5季連続ベスト4進出に貢献。日産では高校時代に対戦した成東出身の藤田康夫とともに、主戦格として活躍しました。プロでは7...千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2)

  • 千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1)

    今回から新シリーズとして、1965年にスタートしたドラフト会議で指名された、すべての千葉県高校出身者を紹介していきたいと思います。※ドラフト外でプロ入りした選手も含めています。まず第1回目は、1965年(昭和40年)~1973年(昭和48年)です。選手名でグレーとなっているのは指名を拒否した選手。球歴で緑色となっているのが、高校在学時に指名された選手で、数字はドラフト指名順位となります。1965年の記念すべきドラフト会議では、夏の甲子園準優勝の立役者であるエース・木樽と主砲の阿天坊、習志野の4番・斎藤が3位で指名。また習志野のクリーンナップ・谷沢、64年の都市対抗で橋戸賞を受賞した社会人野球の強豪・日本通運のエースである田中が指名されます。ただ、プロ入りしたのは木樽と斎藤のみ。このころのアマ野球選手にとって、プ...千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1)

  • 学生野球協会結成記念大会(その2)

    今回は『学生野球協会結成記念大会』の後編です。前回は第10回まででした。今回の表では第12回からとなっていますが、第11回(及び第16回)を表に入れるのを忘れたわけではありません。当初は関東地区の学校のみで固めていた大会でしたが、徐々に北海道・東北、東海、北信越などに出場枠が拡大。すでに会場も神宮に固定されており、いわば『春の東日本神宮大会』ともいうべき、それなりに規模の大きな高校野球大会となっていました。ちなみに高校の部の出場校は10~11校。このあたりも学生野球協会主催の、現在の『秋の神宮大会』の原型となっていることが分かります。話は戻りますが、選考もそれなりに厳しくなっており、ある程度実力がある、と認められた学校しか選ばなくなったようです。ただ前回も書きましたように、選考基準が結構あいまいな感じがしますね...学生野球協会結成記念大会(その2)

  • 学生野球協会結成記念大会(その1)

    ずっと放置してきましたが、8ヶ月ぶりの更新となります。今回は、かつて春に関東地区で行われていた『学生野球協会結成記念大会』です。ピンとこない方も多いでしょう。この大会は昭和23年に、大学と中学(高校)の野球関係者により結成された『日本学生野球協会』のスタートを記念してはじめられたものです。最初の年は春と秋に大学のトーナメント大会が行われ、翌昭和24年の第3回から年1回、春(4月上旬)に大学と高校のトーナメント大会が開催されるようになりました。最初は関東のみだったようですが、東海、北信越、北海道、東北など、東日本の精鋭が出場するようになったようです。今回は第3回から第9回(昭和30年)までの、千葉県勢の成績をご紹介します。記録については『甦る熱闘』(千葉日報社)を参考にしました。第3~5回については選考基準が不明...学生野球協会結成記念大会(その1)

  • 高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1968~1972年)

    今回は1968年から72年までの、千葉大会のベスト8一覧です。オレンジ色はセンバツ出場校を表しますが、53年以来ご無沙汰だった春の甲子園にも、68年に実に15年ぶりに出場。以来、5年続けてセンバツにコマを進め、この当時、千葉県勢のレベルは関東の中でもトップクラスにあったことが分かります。なお、関東大会の千葉県勢の成績については、いずれ取り上げるつもりです。そのセンバツですが、71年に出場した木更津中央(現・木更津総合)がベスト4に進出します。この時期、木更津中央が安定して上位に食い込んでいますが、習志野が67年に初の全国制覇を果たしたことで、千葉県の高校球界も一段と活気づき、新興勢力にも「頑張れば自分たちにもチャンスがあるのでは」と勇気を与えた証といえるでしょう。成東もこの時期、毎年のように甲子園にあと一歩、と...高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校(1968~1972年)

  • 高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1963~1967年)

    仕事がバタついている間に、今年の千葉大会も終わってしまいました。さて、今回は1963年から67年。いよいよ、千葉県勢の黄金時代に突入です。1965年、銚子商が県勢で初めて夏の甲子園の決勝に進出。惜しくも敗れましたが、地元は大フィーバーだったようですね。さらに1967年には、習志野によって深紅の大優勝旗が江戸川を渡り、史上初めて千葉県にもたらされました。3年間で2度の決勝進出ということで、千葉が野球処という認識も全国に広まったのではないでしょうか。木更津中央(現・木更津総合)がにわかに台頭の兆しを見せています。そして、真の黄金時代を迎えるのですが、それについては次回に書きます。ちなみに、“天台”こと千葉県野球場もこのころ誕生し、1968年の夏の大会でこけら落としされました。あわせて、千葉寺球場も県営から一球場に。...高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校(1963~1967年)

  • 高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1958~1962年)

    仕事が忙しくなってしまったため、更新が大幅に遅れました。今回は1958年から62年までの、千葉大会のベスト8進出校一覧です。銚子商が安定して強さを発揮していることが分かります。一方でこの時期、千葉県勢は甲子園ではまだあまり勝てていませんでした。センバツは1953年に出たっきりですし、夏もベスト8には進めていません。1959年から、夏の大会は茨城県勢との東関東大会で代表を争うことになりますが、59年、60年と2年続けて甲子園を逃すなど、停滞期にあったといえるでしょう。さて、県内に話を戻すと、千葉商大付や千葉経済(現・千葉経大付)といった私立勢が少しずつ台頭してきています。また、木更津一(現・木更津)や長生一(現・長生)などの公立勢も上位進出をうかがうなど、それなりに活気を感じますね。高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校(1958~1962年)

  • 高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1953~1957年)

    ここまで、データらしいデータをご紹介できていないことに気が付きました。どちらかというと歴史モノなのかな、という感じですので、今回よりブログ名を『スポーツ史探訪』として、さまざまなスポーツの歴史について追っていく形にして、不定期に書いていこうかと考えています。さて、今回は高校野球千葉大会の年度別ベスト8進出校のPART2『1953年~1957年』です。1952年の秋季大会では銚子高が優勝し、関東大会でも準優勝。翌年、千葉県勢初のセンバツ大会出場を果たすことに。なお、このセンバツからは「銚子商」に校名変更となっています。また、夏の大会では52年から5年連続で甲子園出場を勝ち取るなど、南関東大会でライバル・埼玉県勢を圧倒。そのほかのトピックとしては千葉商、成田、銚子商が相変わらず強いのですが、1955年には長生一(現...高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校(1953~1957年)

  • 高校野球千葉大会 年度別ベスト8進出校(1948~1952年)

    自身で作成したデータを紹介するシリーズの第2弾は、高校野球千葉大会の年度別ベスト8進出校一覧です。夏の千葉大会(千葉予選ではなく、あくまでも千葉大会です)の組み合わせも決まりましたし、タイミングとしてもちょうどいいでしょう。かつて、歴代の千葉の高校野球の歴史について追えるサイトがありました。面白かったのですが、いつの間にか閉鎖してしまったようです。だったら自分で作ろうということで、手元にある『蘇る熱闘』(広川善任著、千葉日報社)をひもとき、新制高校による千葉県高等学校野球連盟が結成された1948年(昭和23年)以降の大会のベスト8校をご紹介していこうと思います。ちなみに、『蘇る熱闘』は1948年から1981年までの千葉の高校野球の歴史が事細かく書き記されている分厚い書籍です。子供の時、クリスマスプレゼントで親に...高校野球千葉大会年度別ベスト8進出校(1948~1952年)

  • 1973年生まれのプロ野球選手たち(5)

    1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの最終回は、11月以降に生まれた選手です。人数の少なさを見て、早生まれが不利、ということが何となくわかる結果ですね。それでも粒ぞろいな感じです。この中ではやはり、三浦大輔投手の存在が際立っています。プロ生活25年、補足な額という感じでした。ピッチングスタイルはともかく、見た目は若々しかったですね。また、松中信彦選手も忘れ難いですね。社会人時代(新日鉄君津)から見ていましたが、とにかく飛ばす力がケタ外れでしたね。ただピークが終わるのが早すぎたような感もあります。2000本安打は行くだろうと思っていたのですが。礒部公一選手はバッティングが上手かったですね。楽天の第1期メンバーとしても活躍しました。坪井智哉選手は大卒、社会人経由ながら1000本近くヒットを放ちました。見...1973年生まれのプロ野球選手たち(5)

  • 1973年生まれのプロ野球選手たち(4)

    1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの第3弾は、9月~10月生まれとなります。ここでは何といってもイチロー選手ですね。日本での通算打率.353、そしてメジャー通算3089安打。前人未到の偉業といえるでしょう。このような素晴らしいアスリートと同じ時代を生きることができたことは、誇りですね。日本人の野球選手としては、ナンバーワンといっても過言ではありません。それ以外にも、この表には優れた選手がいます。例えば、小笠原道大選手。フルスイングを武器に日本ハム、巨人では優勝に貢献しました。そして、石井一久投手。90年代のサウスポーとしては球界トップクラスといっていいでしょう。この2人は千葉県出身で、特に石井投手は高校時代も注目されていました。さらに、清水隆行選手はまさしく“巧打者”。巨人では長く中心打者として活...1973年生まれのプロ野球選手たち(4)

  • 1973年生まれのプロ野球選手たち(3)

    1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの第3弾は、7月~8月生まれとなります。ここでは何といっても、ノリこと中村紀洋選手でしょう。国内での安打、本塁打、打点はナンバーワンの成績です。人気もありましたし、世代を代表する選手の一人といえます。また、小坂誠選手は俊足と攻守で、やはり立派な成績を残しています。小柄ながら、味のある選手でしたね。名将・野村克也監督の息子であるカツノリ選手もいます。コーチとしても息が長いですね。投手では、門倉健投手が先発投手として長く活躍しました。また、萩原淳選手は野手から投手に転向した変わり種です。結果として、選手としての寿命を延ばしましたね。次回は9月~10月生まれです。1973年生まれのプロ野球選手たち(3)

  • 1973年生まれのプロ野球選手たち(2)

    1973年生まれのプロ野球選手を紹介するシリーズの2回目は、6月生まれです。この中では何といっても藪田安彦投手ですね。ロッテでは先発、中継ぎ、抑えとさまざまなポジションで活躍したほか、メジャーにもチャレンジしています。川越英隆投手はオリックスでは先発の一角を任されていましたね。岡本克道投手はリリーバーとして強豪のホークスを支えていました。野手では塩崎真選手。地味ですが、好守好打でチームに大いに貢献していたという記憶があります。なお、養父鉄投手は73年生まれで最後にプロ入りした選手です。29歳のでプロ入りだったため、わずか1年のキャリアでした。次回は7月・8月生まれです。1973年生まれのプロ野球選手たち(2)

  • 1973年生まれのプロ野球選手たち(1)

    最初の記事は、タイトル通り『1973年生まれのプロ野球選手たち』となります。私自身、1973年生まれで野球好きということもあり、同い年(1973年度生まれ:4月2日~1974年4月1日)の選手には若いころから注目していたのです。彼らが高校3年でドラフト指名対象者となった1991年のドラフトは、いわゆる“ドラフト外”がなくなり、プロ野球選手となるためにはすべてドラフト指名を受ける必要が生まれました。ドラフトされた選手は、基本的に翌日のスポーツ紙に生年月日や球歴とともに掲載されます。調べやすくなったこともあり、91年以降、73年度生まれのドラフト指名者をチェックし続けていくことに。結果として、実に92名の同い年の選手が、プロのユニホームにそでを通しました。そして今年。この73年度生まれの最後のプロ野球選手であるイチ...1973年生まれのプロ野球選手たち(1)

  • 初めまして

    はじめまして。このたび、ブログをスタートすることになりましたイズミと申します。これまで趣味で調査して作ってきた(作っている)スポーツやその他のユニークなデータを、こちらでご紹介していければと思っています。毎日、というわけにはいかず、不定期とはなりますが、出来る限り更新していくつもりです。第1弾は今週中にアップしますので、改めましてよろしくお願いいたします。初めまして

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