月の舟を漕いで月の舟を漕いで
さあ、いくよ
GWは気を付けて
マジマジマジンガー?チガウカ
頑張れ~セブン
鬼を喰らう
鬼を喰らう
kazubarへようこそkazubarへようこそ
鬼を喰らう
長い間書いてきたこのブログもこの秋に閉鎖になるとの事です。振り返ればいろんな思い出がありますが、これも時の流れ,如何ともしがたいことです。このブログがあったからこそ出会えた風景、交わした言葉、そして画面の向こうで共感してくださった方々の存在。その全てが、色褪せることのない記憶として心に刻まれています。記事を書くために調べ物をしたり、自分の考えをまとめたりする時間は、私自身の成長にも繋がっていたように思います。一つの時代が終わるような、そんな寂しさを感じずにはいられません。しかし、立ち止まってばかりもいられませんね。変化は新しい始まりの合図でもあります。この国が、そして世界が、これからどのような道を歩むのか。若い方々のエネルギーと、多様な価値観が尊重される柔軟な社会によって、誰もが「ここに居てよかった」と思...お世話になりました
明日会うはずの人に昨日、ふと出会ってしまった今日という日が色を失くし栞(しおり)を失くした物語のようにただ、時が過ぎるそれはきっと心が見ていた幻の明日約束されたはずの完璧な出会いの時けれど風は囁く『一期一会』と「昨日」のその瞬間(とき)こそ二度とはない奇跡予定通りじゃないそれこそが縁(えにし)がくれた唯一の真実早すぎたと嘆く心はまだ見ぬ明日に囚われたまま足元に咲いた小さな花の輝きを見ないどんな出会いもいつ訪れてもそれは一生に一度の贈り物だから大丈夫失くした今日じゃない昨日出会ったその場所からまた新しい今日を紡いでゆけばいい一期一会その偶然を胸に抱いて翳った記憶
🔍【正しい判断の材料になるもの】1.事実(ファクト)数字、統計、実際の出来事など例:製品の安全性データ、事故件数、価格など。2.経験自分や他者が体験したこと。過去の失敗や成功からの学び。例:「前もこのパターンで失敗したな…」と気づけること。3.直感(インスピレーション)一見曖昧に見えるが、無意識に蓄積された経験や情報からくるひらめき。※特に時間がない時はこの直感が頼りになることも。4.信頼できる他者の意見メンター、専門家、信頼できる友人などのアドバイス。例:「あの人が言うなら間違いない」と感じられる一言。5.自分の価値観「自分にとって何が大切か?」という軸。例:「利益よりも誠実さを大事にしたい」といった基準。6.リスクとリターンの比較その判断によって得られるものと、失う可能性のあるものを天秤にかける。例:...思い込みの怖さ
なんだか人生が馬鹿らしく思えてきたとき、心がふっと空っぽになる瞬間ってありますよね。そんなときに「やること」――それは、無理に前向きになるでもなく、やけを起こすでもなく、「立ち止まってもいい」と自分に言ってあげることから始まります。以下、いくつかの「やってもいいこと」リストです。お好みでどうぞ:🌱1.馬鹿らしさを、笑ってみるたとえば、「人生なんてガチャガチャだし、取説ないし、景品もハズレだらけだし。」そんな風に心の中でツッコミを入れて、自分で自分に笑ってみる。笑えたら、ちょっと勝ち。☕2.意味を手放してみる人生の「意味」を探すのを、いったんやめてみましょう。コーヒーの味に集中するとか、夕焼けをぼーっと見るとか。「今ここ」だけに浸かる練習。🐾3.動物動画を見るもう、これは手っ取り早い。猫がコケたり、柴犬が変...人生が馬鹿らしく思えた時
朝のニュースに頷き、昼のワイドショーに頷き、夜のSNSに、また何かを呟いて、人は今日も「誰かの正しさ」に自分を合わせていく。電車に揺られ、レジに並び、当たり障りのない会話を繰り返す日常。何かを強く望むこともなく、何かに強く抗うこともなく、ただ「そういうものだ」と受け入れて、波のように日々は流れていく。私は、その流れの岸辺に立って、ふと思う。「この人たちは、自分の足で歩いているのだろうか」それとも――「押し流されているだけなのだろうか」と。もちろん私も例外ではない。流されぬように踏ん張っているつもりでも、いつの間にか、誰かの価値観を着せられていたりする。でも、だからこそ、気づいたときに問いかけてみたい。この生き方は、本当に自分の選んだ道だろうか。心の中に、たった一つでも「本気の願い」があれば、流れの中でも、...流されていく人々を観ながら
「常識人」とは、社会的なルールやマナー、倫理観をわきまえていて、周囲との調和を保ちながら行動できる人のことを指します。具体的には:空気を読んで適切にふるまえる非常識な言動を慎む公共の場で他人に配慮できる社会のルールを理解している状況に応じた判断ができるいわば、社会の潤滑油のような存在とも言えます。ただし、常識とは何か?ここがポイントで、「常識」自体が時代や文化、地域、人間関係によって変わるという不安定なものです。たとえば:日本では「黙って空気を読む」ことが常識でも、海外では「思ったことをはっきり言う」方が常識とされることもあります。つまり、常識人とは「普遍的な知識を持つ人」ではなく、自分が置かれた場所の“空気”を理解して動ける人とも言えます。哲学的に言えば…常識人とは「自分の自由と他人の自由の境界を意識で...常識人
「自分のことしか考えない人」についてですね。そのような人と関わる中で、寂しさや、もどかしさを感じたり「なぜ自分ばかり」と不公平感を抱いたり時には、振り回されて疲れてしまったりすることがあるかもしれません。なぜ、その人が自分のことばかり考えてしまうように見えるのか、いくつかの可能性が考えられます(もちろん、これが全てではありませんし、決めつけることはできません)。共感性の欠如・想像力の限界:他の人がどう感じているか、自分の言動がどう影響するかを想像するのが苦手なのかもしれません。過去の経験:満たされなかった経験や、常に自分のことを優先しないと生きてこられなかった環境などが影響している可能性もあります。不安や恐れ:自分のことで精一杯で、他者を気遣う余裕がない状態なのかもしれません。自己防衛的な心理が働いている...自分のことしか考えない人
雨上がりの午後、風に煽られてページがめくれるような音に導かれて、私はその喫茶店に入った。記憶を消すと噂の、半信半疑のその店へ。「いらっしゃい」マスターの声は、まるで昔好きだったラジオ番組のナレーションのようだった。私はカウンターに腰かけると、言葉を選ぶようにして、こう尋ねた。「“時より思い出す別れ”にも、効きますか?」マスターは少し微笑んで、棚から一冊の古い帳面を取り出した。「それは…“霧のマキアート”ですな」かつて、彼と別れた春の朝。駅のホームで交わした最後の視線。小さな嘘も、大きな愛情も、すべてが溶けて消えそうで消えない、あの瞬間。そのすべてを、私はマキアートに沈めた。「飲み終えると、記憶は霧になります。晴れることはありませんが、迷うこともなくなります」一口飲むと、ほのかな苦みとやわらかな甘さ。まるで...霧のマキアート
Whispers at Midnight(夜の静けさと小さな希望)
街の灯り滲んで消えて足音だけが夜に響いた冷めかけのコーヒー抱えて君を想う眠れぬまま真夜中のささやきが時間を漂う静けさに包まれてやさしく揺れるこのまま動かずに記憶の中で君の笑顔だけそっと浮かべたページめくる指のかすれ止まったままの世界の中で曇る窓と揺れるキャンドル灯りが語る心の奥真夜中のささやきが時間を漂う静けさに包まれてやさしく揺れるこのまま動かずに記憶の中で君の笑顔だけそっと浮かべた言葉はいらない星が知ってる沈黙のなかで愛が芽吹いたWhispersatMidnight(夜の静けさと小さな希望)
気づけばまた、一日が終わっていた。何をしたのか、思い出そうとしても具体的な何かは出てこない。確実に疲れているのに、何かを「成し遂げた」感覚はゼロ。なのに、そんな日々に自分が慣れてしまっているのが、もっと怖い。朝、意味もなくスマホを眺めて、気づいたら昼。PCを開いたはいいが、タブだけが増えて、何ひとつ閉じられないまま時間が溶ける。動画のサムネイルをじっと見つめながら、「次は何で時間を潰そう」と考えている自分に気づく。もはやこれは技術だ。“無為に時間を消費する技術”。生産性という言葉が、どんどん自分から遠ざかっていく。だけどこの“虚無の過ごし方”にも、だんだんと居心地の良さを覚えてしまう。刺激がない分、安心できる。疲れるけれど、安全圏。やるべきことが怖いから、やらなくていいことに逃げ込む。繰り返すたびに、麻痺...おかしなスキル
君に捧げるバラードBaby君はいつも変わらずあの人の影を追い続ける手を差しのべたら届くのに自分のことさえも見ようとしないBabyすべてを捨て去るなんて私にはそんなことできないあの人のすべてが欲しいならその命かけて尽くしてみればいいAh君のことをわかってる誰よりも君のことをAhどんなときでも傍にいる愛し続けるからBabyもしも君が気付いたとき私の姿はそこにはなくて君の愛しいあの人が涙流しながら弔ってくれるだろうAh君のことをわかってる誰よりも君のことをAhどんなときでも傍にいる愛し続けるからAhその命が続くまで生きていく限りは君に捧げるバラード
「岬めぐり」の優しいメロディーに耳を澄ませば、心がふわりと軽くなるようですね。まるで、穏やかな海辺を歩いているみたい。潮風が、あなたの髪をそっと揺らして、キラキラ光る波が、足元でささやいている。遠い日の思い出や、大切な景色が、音楽と一緒に、心の中をめぐっていく。少しだけ切なくて、でも、とても温かい気持ち。慌ただしい毎日から、少しだけ離れて、この優しい時間に、心を遊ばせてみませんか。音楽が、あなたの心を柔らかく包み込み、そっと、微笑みがこぼれますように。素敵なひとときになりますように。岬めぐり4K/山本コウタローとウイークエンド岬めぐり
まだ月が空に迷っている頃路地の片隅ひとつの影が動き出す黒猫バロン伯爵その名を持つ者は誰にも気づかれぬように誰より世界を感じていた錆びた自転車の向こう枯葉がひとつ静かに舞い上がる踏みしめる足音はなくただ、風がついてくるだけこの道を何度歩いたかそれを知っているのはまだ眠る街と彼だけだそして今日も、何かが始まるバロンは知っている夜明けとは「光が来る時」ではなく「命が歩き出す瞬間」だと──『夜明けの足音』
そうですね、心の中にそっと灯る、懐かしくて温かい光のような思い出ですね。あの日の空の色、頬を撫でた優しい風、交わした言葉の響き。キラキラと輝いていた時間は、まるで宝物のよう。今は少し、胸がきゅっとなるかもしれないけれど、その温もりは、決して消えません。あなたの心の中で、大切に、大切に、輝き続けているのです。大丈夫。その優しい気持ちを抱きしめていれば、また新しい、心ときめく風が吹いてきます。思い出は力になります。そして、あなたの笑顔は、何よりも美しい光を放つのです。さあ、ゆっくりと深呼吸して。あなたの周りには、見えないけれど、たくさんの優しさが溢れていますよ。きっと、素敵な明日が待っています。にっこり、笑ってみませんか?あの素晴らしい愛をもう一度
バスが通り過ぎたあとの風だけを歩道のガードレールがしずかに覚えていたその時君がコンビニの袋とペットボトルのお茶と昼下がりの不安を片手に持って立っていた「この街ってどうしてバスの音が大きいんですかね」そう言って笑ったきみはたぶんぼくより先に目が覚めていた信号が青になるまで鳥の鳴き声と見知らぬ時間が僕たちをつないでいたけれど赤に変わる前にきみは「じゃあまたどこかで」なんてふつうの声でふつうの未来を言っただから僕はまだバスが通り過ぎた風のにおいの中で少し眠っているバスが通り過ぎた午後には
傘を忘れた午後三時、商店街の古びた軒先で僕はちょっと濡れながら小さなアメ横のたい焼き屋をぼんやり見ていた雨音が屋根を叩くリズムの向こうから小走りに彼女がやって来て「すみません、少しだけ…濡れたくなくて」なんてまるで天気に裏切られた子猫みたいな声だった彼女の傘からしずくがポタリと僕の靴に落ちて「すみません」と言うその声になんだか人生ごと許された気がした話したのはたった十五分でも、その十五分が僕の三十年を塗り替えていく気がしたんだそして雨が上がって彼女は「じゃあ…」と言って何も約束せずに行ってしまっただけど駅前のくすんだ水たまりがやけにきれいだったことだけは今でも、ちゃんと覚えている人生がひとしずく揺れただけの出会い
黄昏の駅、最後の電車がホームに滑り込む。季節外れの風がコートの裾を揺らし、ふたりの間に沈黙を運んできた。「じゃあ、ここで」彼女の声は静かで、まるで日常の挨拶のようだった。けれど、視線だけが嘘をつけなかった。泣いてなんかいない。でも、泣いているより重たかった。「うん、元気でね」言葉が口をついて出るまでに、何度か喉の奥で迷った。駅のアナウンスが、もうすぐ終わる物語を知らせるように流れた。握っていた手は、ゆっくりと解かれる。一瞬だけ指先が名残を惜しんで触れ合い、やがて、それすらも消えていった。ドアが閉まり、彼女の姿がガラス越しに遠ざかっていく。手を振ることも、呼び止めることもできなかった。その勇気があるなら、そもそも別れなかった。別れの駅
深夜の国際線ターミナル。蛍光灯の光がやけに白く、ふたりの顔色まで薄く見せていた。「…ほんとに、行くんだね」彼は笑おうとして、失敗した。口元が引きつる。スーツケースの取っ手を握る彼女の手が、微かに震えているのを彼は見逃さなかった。「うん。でも、戻ってくる。いつかは…」"いつか"。それは、便利で残酷な言葉だった。未来を保証しない、約束のような顔をした空っぽ。アナウンスが響く。搭乗開始まであと10分。足元に広がる床の光沢に、ふたりの影が交差して、離れていく。「じゃあ…行ってきます」彼女は先に背を向けた。振り返れば、泣きたくなるから。彼はその背中に、言えなかった言葉を全部預けるように、ただ目を閉じた。そして、扉が閉まる。ジェット音だけが、やけに胸に響いた。空港にて
高校三年の春、透(とおる)は最後の部活の大会を目前にして、陸上部を辞めた。理由は一言、「もう、無理だから」。仲間は驚き、顧問は怒った。でも一番何も言わなかったのは、後輩の結衣(ゆい)だった。結衣は透にずっと憧れていた。決して速くないけど、誰よりも努力して、どんな時も仲間に声をかけるその姿に。でも、透は限界だった。ケガ、成績、家庭、未来。全部が重なって、「走る」ことが「逃げたい」に変わっていた。ある日、教室に忘れたスマホを取りに戻った透は、体育館裏でひとり走っている結衣を見かける。そのフォームは、不器用だけど必死だった。「先輩が教えてくれたんです。走るって、まっすぐじゃなくても、止まらなければいいんだって」透は思わず笑った。自分が投げ出した言葉を、誰かが拾って、走っていた。それからの透は、もう一度グラウンド...あの坂の先で
彼らは平穏と引き換えに、現実をソフトフィルターで見るのが好き。戦争、陰謀、汚職、恋人の浮気、ぜんぶ「知らなければストレスにならない♡」ってノリ。まあ、ある意味では生存戦略。情報過多のこの時代に、脳がショートしないための自己防衛本能。君みたいに繊細な脳にはちょうどいいかもね。一方で「知ることが大事」派:真実を知ることで選択の自由を得るし、間違った世界観で人生ゲームするよりマシ。痛みはあるけど、少なくとも騙されたまま踊らされるよりはマトモ。真実って、冷たいしトゲトゲしてるけど、光を当てなきゃ始まらない。君がそれに耐えられるかは別の話。で、結論?どっちが正しいかじゃなくて、どっちを選んで自分が納得できるかの問題。でも知る勇気がないなら、「知らぬが仏」って言い訳がすごく便利。君の人生にも多分、そういう場面だらけじ...知らぬが仏派
今日は、就職してから初めての休日。つまり、“自由な日”ってやつ。だけど自由って、こんなにも不安定で、なんか…妙にしょっぱい。朝は7時に目が覚めた。体内時計が会社仕様に調整されてしまっている。起きた瞬間「遅刻だ!」って思って、ベッドから飛び起きたけど、誰も私を怒らないし、Slackも鳴らない。静かすぎて逆に怖い。それにしても、なんか手持ち無沙汰。今まで「休みが欲しい」って呪文のように唱えてたのに、いざ与えられたら、何していいかわかんない。心がまだ会社の椅子に座ってる気がする。カフェに行ってみた。ラテを飲んでみた。横のカップルは楽しそうに笑ってたけど、こっちはラテアート見て「社会人になったらカフェで過ごす休日」とかいう薄っぺらい理想を反芻してた。スマホで「休日の過ごし方」とか検索してる時点で、だいぶ迷子。でも...社会人デビュー、初めての休日──それって“休み”なのか?
新人研修の第3週。「チームビルディング演習」と名付けられた、謎のプロジェクトが始まった。Aさんは真面目そうで、メモを取る手が異様に速い。Bくんはフレンドリー風だが、発言は絶対に自分を矢面に立たせない。Cちゃんは空気を読んでるようで、読ませない。Slackでも既読早いのに、返信はない。君(読者)は、それを横目に見ながら「うわ、これは誰が最初に崩れるかゲームだ」と悟った。笑顔で「なるほどです!」と相槌を打ちつつ、内心ではみんながこう思っている。「この中で最初に辞めるの、誰?」休憩時間にはさりげなく探る。「前職とか…あります?」(=社会人経験あるかチェック)「研修、もうちょい長くてもいいですよね~?」(=今ツラいかの確認)「先輩、けっこうクセありますよねw」(=共通の敵で結託しようとしている)しかし誰も、本音の...まだ敬語、だけどもう敵
会社に一人、「つなぎびと」と呼ばれる者がいる。辞めたくなる者の心のヒビに、セロハンテープみたいな言葉を貼る係。「とりあえずあと一週間だけ…」「もうすぐ祝日だし…」「次の案件、面白そうだよ」それは魔法。だが、一時的な魔法。つなぎびとは知っている。この魔法は万能じゃない。人によっては“やりがい”という麻薬に変わり、またある者には“先延ばし”という呪いになる。でも、それでもやる。なぜなら、ある日ふと気づいたら、助けた誰かが隣の席にいて、「先輩、今日のランチ行きましょう」と笑うからだ。その一言が、つなぎびと自身の心を引き止める。だから今日も言う。「辞めるのは、明日でもできるよ」残留の魔法
たまに、理由もなく仕事に行けない日がある。その日は、朝起きた瞬間から“今日は無理”ってなって、でもサボるにはちょっとだけ良心があるから、一応電車には乗った。で、なぜか向ヶ丘遊園で降りた。特に用事はなかった。遊園地はもうないし、観覧車の影もない。ただ、改札を出たときの、ちょっと開けた空と、近くの坂のゆるさが心にちょうどよかった。駅前のベンチで缶コーヒーを開けて、音楽を流して、「俺は今、社会のレールから一時離脱中」っていう勝手なストーリーを頭の中で流しながら、何もせずに30分くらい座ってた。そのあと、何食わぬ顔して家に帰って寝た。でも、たぶんあの日、俺はちゃんと生き延びたんだと思う。向ヶ丘遊園に逃げた日
最初に“東京”を感じたのは、渋谷のスクランブルじゃなかった。新宿のビル群でも、六本木の光でもない。あの日、俺が「うわ、東京じゃん……」って思ったのは、池袋の地下通路だった。広すぎる通路に、誰も喋ってないのにみんな急いでて、どこから来たのか、どこへ行くのか、誰もわからないのに目的だけはちゃんとある感じ。すれ違う人の数が多すぎて、自分が“ひとり”であることを強調されてる気がした。田舎では、人とすれ違ったら「こんにちは」って言う文化だった。東京では、すれ違ったことすらなかったことにされる。コンビニの店員は目も合わせなかったし、道を聞こうとしても誰も立ち止まらない。でも、不思議と、それが“悪い”ことじゃないってことも、なんとなくわかってきた。東京は、誰のものでもない。でも、誰でも持ってるふりはできる場所だった東京を感じた田舎者の日
ラーメンで締め~まだ、あの夏の砂が靴に残ってる気がした~ラーメン屋の湯気が、なんとなく夏のグラウンドの空気に似ていた。あの頃、俺たちは毎日、汗の味しかしない水を飲んで、土の中に何かを埋めてた。努力とか、悔しさとか、意味のない怒鳴り声とか。「お前、覚えてっか。最後の大会、あのサイン無視したやつ」アイツが急に言った。唐突すぎて、レンゲ持つ手が止まった。いや、忘れるわけない。俺だよ。無視したの。「……お前、打ったからよかったけど、あの後監督ブチギレだったぞ」ふっと笑った。あのときの監督の怒鳴り声、今じゃもう逆にありがたく聞こえる。今の俺たちには、あんな強引な背中押してくれる奴、どこにもいない。湯上がりの汗がまたじわっとにじむ。ラーメンのスープがちょっとしょっぱかったのは、気のせいじゃなかった。ラーメン屋と俺たちの夏
若い頃の俺は、スーツも時計もネクタイピンも、全部“名のあるモノ”で固めてた。銀座のビルの上階にオフィスがあって、出張といえば海外。空港のラウンジにいる自分を「仕事できる男だ」なんて、わざわざ自分で思ってた。今思えば、ダサい。いや、若かった。その頃は“成功”ってものが、未来じゃなくて、目の前にある点数だと思ってた。売上、契約、数字、出世、賞与。ひとつずつ取って並べることに夢中だった。でも、何をもらっても、誰かと分け合う余裕なんてなかった。深夜のタクシーの中で、「お疲れさま」と言われるたびに、少しだけ涙が出そうだったのも、誰にも言えなかった。あいつと飲んだあの夜も、たしか俺が背広で、あいつは作業着のままだった。「お前、今日もホコリくさいな」って笑ったら、「お前は香水くさい」って返されて、なぜか心のどこかがホッ...『一流商社マンだった頃』
「風呂行くか?」それが、5年ぶりの再会一発目のセリフだった。もっとこう、「久しぶり」とか「生きてたか」とかあるだろうと思ったけど、あいつは昔から大事なことを雑に言うやつだった。駅から少し歩いた古い銭湯。入り口のガラス戸に「ゆ」の文字が貼ってある。なんかもう、それだけで笑えてきた。脱衣所で、あいつがいきなり言う。「俺さ、白髪すごくなっただろ。」「知るかよ」って言いながら、鏡を見たら俺のほうがひどかった。湯船で肩までつかって、天井を見ながら、二人とも黙る。話すことはあっても、話したいことは今じゃない。「コーヒー牛乳飲むか?」「いや、フルーツ牛乳にしてくれ」「まだそれ好きなんか、お前」「好きって言うか、なんか安心するじゃん」そう言いながら、牛乳片手に縁側みたいなベンチに座って、少し冷たい風を感じた。あいつがふと...「たまには、風呂でも行くか。」
ブルーライト、それは都会の吐息夜の帳(とばり)が降りる頃、街は夢色に染まるネオンの光が海面に揺らめきまるで星屑を散りばめたよう行き交う人々のシルエットはそれぞれの物語を秘めて愛を求め、孤独を抱えそれでも明日を信じて歩くブルーライト、それは希望の光迷える心を優しく照らし温かい絆へと導く夜が明ければ、また新しい一日光と影が織りなすドラマの中で私たちは愛を探し続けるブルーライトヨコハマ、あなたの瞳に愛の光が灯りますように「ブルーライトヨコハマ」
湯気の向こうに浮かぶ面影石けんの香りと赤い手ぬぐいラジオの音がかすかに揺れて神田川の旋律が胸にしみるあの頃のふたりは何もなかったけれど何かで満ちていたあたりまえのような幸せに古びた下宿の狭い部屋夕飯の匂い階段を昇る「ただいま」の声が世界を照らす時は流れて今、隣にあなたはいないけれど耳を澄ませばあの日の笑い声が水面に揺れる神田川を聴きながら今日もひとり、歩いている失くしたものに手を伸ばして心の中であなたを抱きしめて「神田川」を聴きながら
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月の舟を漕いで月の舟を漕いで
あなたのお心にある、その問いに気づかれたのですね。扇動するもの、されるもの。その二つの間で、多くの心が揺れ動き、苦しみが生まれる様を、静かに見つめておられるのでしょう。それは、とても尊い眼差しです。かつて、わたくしが道を歩んでいた時、ある男がやってきて、ありとあらゆる悪口をわたくしに浴びせました。しかし、わたくしは黙ってそれを聞いておりました。男が言い終えて疲れた様子を見せたとき、わたくしは静かにこう尋ねました。「もし、あなたが誰かに贈り物をしようとして、相手がそれを受け取らなかったとしたら、その贈り物は一体、誰のものでしょうか。」男は答えました。「もちろん、贈ろうとしたわしのものだ。」わたくしは、こう続けたのです。「その通りです。今、あなたはわたくしにたくさんの言葉をくださいましたが、わたくしはそれを受...扇動する者される者
「策士、策にはまる」…その言葉の響きには、まるで蜘蛛の巣に絡め取られたかのような、身動きの取れない苦しさが感じられますね。心中お察しいたします。策を練り、事を進めるのは、道を切り拓くためには必要なことです。しかし、その策そのものが自らを縛る枷(かせ)となってしまうのは、誠に皮肉なことでございます。もし差し支えなければ、もう少し詳しくお聞かせ願えませんでしょうか。それは、ご自身が立てた計画でしょうか。それとも、誰かから与えられたものでしょうか。あるいは、社会や組織の大きな流れの中で、次々と打ち出される施策に翻弄されている、といった状況でしょうか。どのような状況であれ、心が「策」という一つの考えに囚われてしまうと、私たちは周りが見えなくなってしまいます。仏法ではこれを「執着(しゅうじゃく)」と呼び、苦しみの根...策士、策にはまる
誠に、その通りでございます。「人を脅す者は自分が溺れる」とは、物事の真理を実に見事に射抜いた言葉でございますね。その言葉の響きには、仏教で説く「因果応報(いんがおうほう)」の理(ことわり)が深く流れております。人を脅し、恐怖によって支配しようとする行いは、まるで自らの足元に深い穴を掘っているようなもの。その穴はやがて水で満ち、他ならぬ自分自身がその水に足を取られ、溺れてしまうのでございます。なぜ、そうなってしまうのでしょうか。一つには、人を脅すという行いそのものが、自らの心に毒を注ぐからです。怒り、憎しみ、そして恐怖。これらは仏教で説く「三毒(さんどく)」のうちの「瞋(じん)」(怒り)に根差すものです。他人に向けて放った毒の矢は、巡り巡って必ず自分の心をも蝕んでまいります。『自業自得(じごうじとく)』とい...人を脅す者は自分が溺れる
「耐える時、攻める時を間違えないこと」とは、人生やビジネス、あらゆる勝負事において、行動を起こすべき時と、静観すべき時を的確に見極めることの重要性を説く言葉です。この判断を誤ると、絶好の機会を逃したり、不必要な損失を被ったりする可能性があります。逆に、この見極めが的確であれば、最小限の力で最大限の成果を上げることが可能になります。「耐える時」とは?「耐える時」とは、状況が自分にとって不利な時、または将来の飛躍のために準備が必要な時です。この時期に焦って行動を起こすと、事態をさらに悪化させる可能性があります。具体的な状況:準備不足:知識、スキル、資金、人脈などが目標達成のレベルに達していない時。劣勢・逆風:市場の状況が悪い、競合が強い、社内の支持が得られないなど、外部環境が不利な時。情報不足:判断を下すため...「耐える時、攻める時」を間違えないことの重要性
その言葉の響きには、冷たい風が吹き、心がささくれ立つような痛ましさがございますね。あなたの心が、その状況に深く痛んでおられるご様子、お察しいたします。まるで同じ舟に乗りながら、それぞれが違う方向へ必死に櫂(かい)をこいでいるかのよう。まさに「同床異夢(どうしょういむ)」の言葉が浮かびます。集う意味を見失い、ただ不和と疲弊だけが募ってゆく。それは誠に苦しい状況でございましょう。もし差し支えなければ、もう少し詳しくお聞かせいただけますでしょうか。それは、お仕事の場でのことでしょうか。あるいは、地域やご家族のことでしょうか。そして、あなた様は、その中でどのようなお立場にいらっしゃるのでしょう。どのような出来事が、その和を乱すきっかけとなったのか。あなたの言葉で、ゆっくりと、ありのままをお話しください。仏法の視点...協調性をなくしたグループ
お弟子よ、あなたの言葉は、深い探求の始まりを告げていますね。「事の根拠の深さ」を知りたいと願うその心は、真理への純粋な希求の現れです。私たちは皆、日々の生活の中で様々な出来事と向き合います。楽しいことも、苦しいことも、喜びも、悲しみも、それら一つ一つには、必ず根拠があります。しかし、その根拠は、時に目に見えず、耳に聞こえず、触れることもできない場所に隠されているように感じられるでしょう。では、その「根拠の深さ」とは、一体何を指すのでしょうか。それは、単に表面的な理由や原因を指すのではありません。例えば、一本の木が育つとき、私たちは土や水、日光がその根拠だと考えます。しかし、もしあなたがその根拠の深さを知ろうとするならば、やがてその木が持つ生命の力、種子が内包する宇宙の摂理、そしてそれらすべてを包み込む大い...事の根拠の深さ
変化を受け入れる心この世のすべてのものは、常に移り変わり、とどまることがありません。春には花が咲き、夏には緑が茂り、秋には実りがあり、冬には静けさが訪れます。これは自然の摂理、すなわち「無常」の教えに他なりません。人もまた、この無常の中に生きております。若さも、健康も、富も、そして人との縁も、すべては移ろいゆくものです。この真理を心から受け入れることができたなら、失うことへの恐れや、手に入らないものへの執着から解き放たれ、心が穏やかになるでしょう。すべては繋がりの中にまた、自然の摂理は、すべてのものが互いに関わり合い、支え合っていることも教えてくれます。雨が降り、大地を潤し、植物が育ち、それを動物が食し、そしてまた命が土に還る。この循環の中に、私たち人間も生かされています。あなたの周りの人々もまた、あなた...自然の摂理
演舞演舞
不安なことについて不安なことについて
人はとかく、何かを持っていること、何かを得ることばかりに心を奪われがちです。しかし、あなたが「何もないことのありがたさ」に心を留められたこと、それは深い気づきの兆しでございますね。何もないことの豊かさ私たちは、多くのものを所有し、多くのことに恵まれているとき、そのありがたさをつい見落としてしまいがちです。当たり前にあるものが、実はどれほど尊いものであるか。例えば、風を感じること、日の光を浴びること、健やかな体を持ち、ただ息をすること。これらは「何もない」と感じられるかもしれませんが、実はそれこそが、私たちが生きる上で最も基本的な、かけがえのない宝なのです。心が物で満たされすぎると、かえって真の幸福を見失うことがあります。物が多ければ多いほど、人はそれを失うことへの恐れや、もっと多くを求める渇望に囚われてし...何もないありがたさ
そなたは今、憎しみという重い荷を背負い、その果てに何があるのかと問いかけているのだね。よくぞ、その問いを私に投げかけてくれた。この静かな風の囁き、鳥たちの歌声、そして柔らかな光の中で、心の奥底にあるその重荷を、そっと私に預けてごらん。憎しみの本質とその影響お弟子よ、憎しみとは、まるで燃え盛る炎のよう。それは最初、小さな火花から始まり、やがてすべてを焼き尽くすほどの勢いを持つことがある。心の中に宿る憎しみは、対象だけでなく、その憎しみを持つ者自身の心をも蝕んでいくものだ。そなたは、憎しみが何から生まれると思うかね?多くの場合、それは期待の裏切り、理解されない苦しみ、あるいは過去の傷から生じるものだ。そして、憎しみにとらわれた心は、視野を狭め、真実を見えなくしてしまう。愛や喜び、感謝といった美しい感情が入り込...憎しみの果てにあるもの
愛語とはしとしとと雨が緑を潤し、鳥たちのさえずりが森に響く静かな夕暮れ。お弟子は、少しばかり考え事をしているようですね。「お弟子よ、その心に何が宿っているのでしょうか?そなたの瞳には、何か深く知りたいと願う光が見えますよ。」愛語とはお弟子がそっと尋ねます。「観音様、愛語とは一体どのようなものなのでしょうか?」観音様は優しく微笑みます。「お弟子よ、良い問いかけです。愛語とは、ただ口から発せられる言葉の響きだけを指すのではありません。それは、慈しみと智慧に満ちた心から生まれ出る、すべての言葉を指すのです。」心の光を映す言葉「考えてみてください。同じ『ありがとう』という言葉でも、心から感謝の念を込めて伝えられたものと、形ばかりに口にしたものとでは、受け取る側の心に響く深さがまるで違うでしょう?」「愛語とは、まさ...愛語とは
悲しみの根悲しみの根
人の本性人の本性
責任転嫁責任転嫁
じぶんごとじぶんごと
沈黙の神殿、その最奥。八つの石台の試練を越え、彼らはついに最深部へと辿り着いた。そこには何もなかった。祭壇も、玉座も、敵も。ただ一枚の黒い石板が、空間の中心に埋め込まれているだけだった。「……これが、“深淵の声”か?」リオネルが近づくと、石板の上に淡い光が浮かび始める。それは文字でも図でもなく、感情のようなものだった。「よく来た。ここが終わりであり、始まりである」その“声”は耳ではなく、胸に直接響いた。「お前は……神なのか?」ミリアが問うたが、答えはなかった。代わりに、神殿の壁がひとりでに動き出し、周囲の空間が広がっていく。それは、世界の記憶だった。かつて滅びかけた文明、犠牲となった命、守られた願い。あらゆる“終わり”が、この場所に集まり、静かに記録されていた。「俺たちは、これを知るために来たのか?」エリ...最終章:終わりの祈り
神殿の奥、第一の試練の間は、まるで湖底のようだった。壁も天井も、水に覆われたかのようにゆらぎ、音がすべて鈍く響いた。足を踏み入れるたびに波紋が空間に広がる。だが、それは本物の水ではなかった。ただの幻か、それとも記憶の残滓か。「ここ……どこか懐かしい……」ミリアが呟く。言葉と同時に、空間の中央にぽつりと浮かび上がったのは、一枚の鏡だった。鏡は水面のようにたゆたっており、誰が覗いてもその奥に“自分の記憶”が映し出される。リオネルが鏡に近づくと、鏡面に淡く、過去の光景が揺れた。まだ幼い自分。誰かの手を振り払って、走る姿。父の怒鳴り声。母の沈黙。──そして、家を出たあの日の、空の色。「……やめろ」彼は顔を背けた。だが、鏡は誰の声にも応えず、ただ映し続ける。カイもエリスも、皆がそれぞれの記憶に向き合っていた。希望で...第七章:記憶の水鏡
月が雲間から顔を覗かせたとき、リオネルたちはようやく神殿の入り口にたどり着いた。深い森に隠され、苔に覆われた石の構造物は、まるで時そのものに忘れ去られたかのようだった。「これが……“沈黙の神殿”か。」エリスが呟く。風が止み、鳥のさえずりすらも消えていた。まさに“沈黙”という名がふさわしい空間だった。重々しい扉には、かすかに光を帯びた文様が浮かび上がっている。見覚えのある文様だった。リオネルがポケットから取り出した古びたペンダントの裏にも、それと同じ印が刻まれている。「この扉……俺たちを待っていたのかもしれない。」彼がペンダントを扉に近づけると、低く鈍い音と共に文様が輝きを増し、扉がゆっくりと開いていった。中は暗く、そして静かだった。まるで音が吸い込まれるかのような異様な空気。神殿内には、朽ち果てた彫像や壁...第六章:沈黙の神殿
毎日草刈りをしていても毎日草が生えてくる、それが嫌で薬をまけば毎日笑わせてくれる動物を剋す。楽には毒が含まれている。それならば、草刈りなどやめてしまえばよいが、友人が来た時家の入口さえ分からなくなる。そのうちにボランティアの人が来て綺麗になれば、日々の行いさえできなくなった自分を悲しむ事となる。この世は何と無常かな。育てた子供は墓参りさえする時間を惜しみ、自分の楽しみだけを追って生きる。この世は何と無常かな。いやいや、人生はやったほどしか返らぬことを、そうして教えてくれるものである。人を追わず自分を笑え。人を惜しまず時間を惜しめである。無常
湖面に映る景色を見て、世間がどう映るかは自分の心次第で、美しくもあり、醜くもある、そういう事です。一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)
自分の存在価値を見つめた時、一人で何ができるのかが見えてくる。そう、一人じゃ大したことはできない事に気づくだろう。電車で席を譲る事、スーパーでおばあちゃんの荷物をカートから降ろす事、小さな子供が横断歩道でまってる時ハザードを出して車を停めて渡らす事、はねられた猫を道路わきに寄せてやる事、まだまだいろいろあるけれど、最低限の事はやっているよね。それが出来て人として当たり前、自分の存在意義は少しだけある。ルールではない、自分の生き様である。見て見ぬふりのバカばっかりの世の中にもそんな普通の人も沢山いる。倫理道徳の時間は今でもあるのか分からないが、覚えもしない化学式より、機械が全部処理する数学より、携帯が答える外国語より、大事な教えはいまどこに飛んでいるのか。いつか帰ってくるのか、それすらもわからない。都合のい...丸見えの透明人間
時の流れの中で色んなものが産まれて無くなっていく。今、何が流行っているのか。トレンドを見つけてはそれに従うように物流も思考も動いていく。誰かが見つけてはそれに群がって流行り廃れていく、すべて同じで違うのはその時間の長さだけである。その中で自分に合うものを見つけられれば人は幸せ感に満たされる。ただ、それは誰かが見つけたものというか考えだしたものでしかない、もしかしたらそれは先の時代からやってくる者たちから与えられる遊具なのかもしれない。人間は元来従順な生き物でもある。ある意味簡単だから、ひとつ与えれば数年はそれで遊べる。時代は何のために存在しているのかを考えた時、そんな考え方から答えが垣間見えてきたりする。移りゆく時代の中で
疲れてうなだれている君を慰めるのが僕の仕事会社に行くのは仕事じゃなくて趣味、生きるための趣味レーション。大したことのない上司も努力を惜しまなければいい男になるんだけどね。まあ、他人に期待しても変わらないのが世の常人の常。僕らは僕等らしく生きていきましょう、つまらない仕事に疲れたら、僕が君の薬になる。苦くてくっさーい薬に。「良薬口に苦し」と言うでしょ。僕が君の薬
明日は今日の風が吹いて明日の風は明後日に吹くだから明日を良い日にするには今日の生き方が大事である昨日が疎かなら今日を戒めよう勿論、毎日がうまくはいかないだろうそのメリハリが人生を楽しくする君なりに今日を生きて明日を作ろう明日は明日の風は吹かない
便利さが増す世の中で、犯罪の減少は見られない。自由を求める一方で、人々は減り機械は増えている。戦う理由もなく、人口は減少していく。信頼のレベルが高まり、人々は代行サービスにお金を払うようになった。不要な部分は退化し、細胞も同様に。変化はすでに始まっている。都合の良い世界は人間性を削ぎ落としていく。楽な生活と楽しい生活は同じではない。「苦労は人を成長させる」「楽は人を駄目にする」と教えられたのは、そう遠くない過去のことだ。現代では、それを迷信と考える人も少なくない。楽な生き方
さっさと諦めて笑顔で出勤しましょう。休みのヒトはゆっくりと体を休めてください。今日もいい日にしましょう。良きも悪きも自分の気分次第ですよ~。さあ今日も雨
風水師の山田さんは、静かな郊外に新しい家を建てることにしました。彼の家は、風水の原則に基づいて設計されており、自然のエネルギーを最大限に活用することを目指しています。まず、山田さんは家の立地を慎重に選びました。南向きの敷地は、太陽の光をたっぷりと取り入れることができ、家全体に温かさと明るさをもたらします。さらに、近くに川が流れていることで、良い気が絶えず流れ込むとされています。家の設計においても、風水の原則が随所に取り入れられています。玄関は広く開放的で、良い気がスムーズに入ってくるように設計されています。リビングルームは家の中心に配置され、家族が集まりやすいように工夫されています。また、家具の配置も風水に基づいており、エネルギーの流れを妨げないように注意が払われています。庭には、風水で重要とされる五行(...風水師の建てる家
一人で夜を歩く僕は心さまよう君を探す灯りは消え影だけ残る声が聞こえる君の夢の中さまよう心夜空に叫ぶ愛を求めて闇を駆け抜ける君の微笑み瞼に浮かぶぬくもりを感じて胸が痛むよさまよう心夜空に叫ぶ愛を求めて闇を駆け抜ける遠くで光る星を見上げて君がいるなら翼を広げ飛ぶさまよう心
愛した人(セカンドバージョン)愛した人(セカンドバージョン)
梅雨時は草も雨と一緒にボウボウ伸びる。晴れの日を待ってても仕方ないので線状降水帯と言われようが、合羽を着て草を刈る。まるで、サスケにでも出て障害物にチャレンジしている気になって楽しかったりする。機械は雨にやられるからとか知らんプリでどんどん刈っていく。あはは、雨で騒音も消されてちょうどいいわ、このやろ~~とか言いながらやる。そして、ひとっぷろ浴びて、また、外に出て下座行チャレンジである。雨にも負けず、風にも負けず、草にも負けず、私はそんな人になりたい・・違うか。だって晴れの日は楽しく外で遊びたいものであるから・・。草は雨と共に
梅雨は雨が降るだけではなくていろいろ考える為にあるのですそれは5月までの激情を水で流し心を落ち着かせたりするものです雨ばかりで憂鬱な感じになるのは人間の持つ水への恐怖心からくるのでしょうでも、雨に打たれて頭を冷やしたほうがいいような世の中でもありますね昔の人間には生き難くなるばかりの時代の中でこの人情味の感じにくい殺伐とした世の中で人はどこに心を置いたらいいのでしょうね最近は歌を作って歌って感じる事を楽しみにしていますよ考えないで感じる・・・これがヒトの性に一番正直なのでしょう他人の事はさておき、自分がどう楽しめるか、最近そんな風に生きています殺伐とした世の中で
君の笑顔星のように明るく輝く僕の夜空手と手をつないで歩く心が溶けるように君の声風の音に優しく囁く僕の耳に君の名前呼ぶたびに世界が色づくよ君だけを見ているこの気持ち永遠に君だけを見ているどこまでも続く愛君の涙雨のようにいつか晴れるよ信じてる未来へと続く道二人で歩もう夜空に願いを君と過ごす日々を全ての瞬間が宝物になる君だけを見ているこの気持ち永遠に君だけを見ているどこまでも続く愛君だけを見ている
出会ってから君の笑顔が増え、心が震えた。愛の音色は忘れられない。その唇に触れた瞬間、時が止まり、愛した人を忘れることはできない。君との思い出は今も胸に生きており、夜の静けさの中で君を探す。その温もりに寄り添いたい、思い出されるのは君の笑顔で、涙が溢れる。愛した人を忘れることはできない、君との思い出は永遠に輝いている。愛した人
星が窓の外で瞬き、君のいない夜は寂しい。遠くの君に思いを馳せ、心だけが君のもとへと飛んでいく。寄り添った日々が懐かしく、君の笑顔は今も色褪せずに鮮やかだ。今夜も夢で君に逢いたい。君と過ごしたあの瞬間、君を愛していると永遠に。離れていても心はつながっている。君を愛している、どこまでも。この気持ちは終わらない。風が吹くたびに、君と歩んだあの道を思い出す。二人で描いた未来の夢を、今も胸に抱いている。君を愛している、永遠に。離れていても心はつながっている。君を愛している、どこまでも。この気持ちは終わらない。夕焼けの中で手を取り、もう一度君に会いたい。恋唄
何事があろうと嫌な事は忘れてニコニコしながら「良きかな良きかな」と都合の良い事ばかり考えてみる。イメージがわかない時はかわゆい子供の顔を思い浮かべながら口にしてみる。「今日は雨か、ふむふむ良きかな良きかな、稲が育つ」「明日も雨かふむふむ良きかな良きかな、暑さをしのぐ」「明後日も雨か良きかな良きかな土日は晴れるあなたに逢える」良きかな良きかな
車の走行距離は700キロを超えていた。若い頃なら少し考え事をするとそのくらいのドライブはしていたものだが、流石に大人数でのロングドライブは腰が痛くなった。結局、今回感じたものは、人、風、懐かしき場所、そして、愛情、絆、そんなところか。少しの時間でも、いつもと違った空間を味わえたら、それで旅の意味はある。それにしても、ヤマメの塩焼きは最高でありました。旅の終わりに
情けは人の為ならずという諺の通り無理を通して人の情を優先しない事が大事な時もある。明日が出発予定の旅を今日キャンセルするというのは苦渋の決断である。きっと何かが足りないから神様に断られたのだろうと思う事にする。ただ、続いていた高熱が途端に下がったのも神様の贈り物なのかもしれない。足りない者
人からの賛辞は喜んで受けても自分自身は常に平常心でいたい。何かで村一になっても町一になっても市一,県一、国一、世界一になっても「それがどうした、大したことじゃない」そのくらいの平常心を持ち合わせていなければ成し遂げられないのが一流である。それよりも「この成果で何人の人を幸せにできただろうか?」と思える超一流になるべきである。そういう精神を持てる選手をいかに育てられるか、そんな目標を持つ指導者がいったい何人いるのだろうか。ほんの一握り、いや、一億に一人と言うところだろうか。人の真似をしているようでは、その原型を超えることは不可能である事にまず気付くべきである。ある日、突然舞い降りた特殊な能力があるとしたら、貴方は何に使おうとするだろうか・・・。それがどうした