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2023/04/26

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  • こんな手紙を送りなさい

    君が現れた日、世界は色を変えた。灰色だった空は、虹色のヴェールを纏い、乾いた大地は、花々で埋め尽くされた。君の瞳は、星々を閉じ込めた宝石のよう。その微笑みは、凍てついた心を溶かす陽光。君の言葉は、私の魂を優しく包む調べ。君と出会えた奇跡に、感謝を捧げよう。君がいるから、私は再び歩き出せる。君の愛が、私に生きる力をくれる。どうか、いつまでも傍にいてほしい。君と見る未来は、きっと輝いているから。こんな手紙を送りなさい

  • これから必要になる「愛」

    これからの時代、私たちが最も大切にすべきものは「愛」であると考えます。なぜ「愛」が重要なのか分断から協調へ:現代社会は、価値観の多様化や情報過多により、人々の間に分断が生じやすくなっています。しかし、愛は他者への共感や理解を促し、繋がりを生み出す力となります。愛に基づいた行動は、対立を乗り越え、協調的な社会を築く礎となるでしょう。AI時代における人間の役割:AI技術が進化するにつれ、人間の仕事や役割は大きく変化していくと考えられます。そのような中で、人間にしかできないこと、それは感情や心の繋がりを大切にすることです。愛は、人間らしさの根源であり、AIには代替できない価値を生み出します。持続可能な社会のために:地球規模での環境問題や資源の枯渇など、私たちは多くの課題に直面しています。これらの課題を解決するた...これから必要になる「愛」

  • 守るという事

    どんな時でも私たちを守ってくれるもの、それは目に見えないけれど、確かにそこにあるものです。1.愛情家族、友人、恋人。彼らの愛情は、私たちを温かく包み込み、どんな困難な時も支えてくれます。喜びを分かち合い、悲しみを癒し、迷った時には道を示してくれる。愛情は、私たちを孤独から守り、生きる力を与えてくれる、最強の盾です。2.希望どんなに暗い状況でも、希望の光は決して消えません。明日はきっと良くなる、自分ならできる。そう信じる心は、私たちを絶望から守り、前に進む力を与えてくれます。希望は、私たちを困難に立ち向かわせ、夢を叶えるための原動力となる、羅針盤です。3.知恵過去の経験から学び、知識を蓄え、深く考える力。知恵は、私たちを危険から守り、正しい判断へと導いてくれます。知恵は、私たちを迷いから救い、より良い未来を...守るという事

  • 我慢

    「我慢」と聞くと、なんだか辛くて苦しいイメージを持つ方もいるかもしれません。まるで、重い荷物を背負って、険しい道を歩き続けるような感覚でしょうか。しかし、仏教における「我慢」は、少し意味合いが違うのです。仏教でいう「我慢」は、「忍耐(にんたい)」に近い意味合いを持ちます。それは、ただ苦しさに耐え忍ぶのではなく、状況を受け入れ、心を動揺させずにいる強さ、と言えるでしょう。例えば、人生には思い通りにならないことがたくさんあります。予期せぬ困難、理不尽な出来事、人間関係の摩擦…そんな時、私たちはつい感情的に反応してしまいがちです。怒ったり、悲しんだり、落ち込んだり。しかし、そこで「我慢」の心を持つことができれば、感情の波に飲まれず、冷静に対処することができるのです。「堪忍は一生の宝」という諺がありますな。怒りを...我慢

  • 乾燥列島を濡らす

    「慈雨」とは、仏教の言葉で、慈悲の雨、つまり仏の慈悲が雨となって降り注ぎ、人々を救済することを意味します。*慈雨(じう)とは*万物を潤し育てる雨のこと。*日照り続きの時に降る恵みの雨。*仏の慈悲が雨となって降り注ぎ、人々を救済すること。仏教では、この世のすべては移り変わるものであり、苦しみもまた、いつかは過ぎ去るものと考えます。まるで、長く続いた日照りの後に、恵みの雨が大地を潤すように、私たちの心にも、いつか必ず、慈悲の雨が降り注ぐと説きます。*慈雨の解釈*仏の教えや慈悲が、人々の心の乾きを潤すこと。*困難な状況にある人々にとっての、救いや希望の象徴。*「干天の慈雨(かんてんのじう)」という言葉もあります。*日照りが長く続いた後に降る恵みの雨のことで、転じて、待ち望んでいたもの、困っている時に受けた助けな...乾燥列島を濡らす

  • 悪縁を断つ

    「悪縁を断つ」ですね。これは、私たちを苦しめ、不幸にするような人間関係や状況から抜け出すことの重要性を示唆しているのでしょう。仏教では、苦しみから解放されるために、執着を手放すことを説いています。お釈迦様は、「苦集滅道」(くじゅうめつどう)という四つの真理を説かれました。これは、苦しみの原因を理解し、その原因を取り除くことで、苦しみから解放される道を示したものです。悪縁は、まさに苦しみの原因となるものであり、それを断ち切ることは、苦しみからの解放への第一歩と言えるでしょう。しかし、「悪縁を断つ」とは、単に人間関係を断ち切ることではありません。それは、自らの心を清め、執着を手放し、相手を許し、慈しむことを意味します。相手を憎んだり、恨んだりする気持ちを手放し、相手の幸福を願うことで、自らの心も解放されるので...悪縁を断つ

  • 慈悲心を試す

    「慈悲心を試す」ですか。それは、仏教の教えの中でも、非常に深く、難しいテーマですね。慈悲とは、すべての生きとし生けるものが幸せになることを願い、苦しみから解放されることを願う心です。しかし、現実の世界では、慈悲の心を実践することは容易ではありません。時に、私たちは、不条理な出来事や、他者の悪意にさらされることがあります。そのような時、慈悲の心を保ち続けることは、非常に困難です。仏教では、このような状況を「試練」と捉えます。試練は、私たちの慈悲心を試し、鍛えるための機会であると説かれています。禅の言葉に「逆境は人格を磨く砥石(といし)」という言葉があります。困難な状況は、私たちを成長させるための糧となるという意味です。たとえ今、慈悲心を試されるような状況に置かれていたとしても、それに屈することなく、慈悲の心...慈悲心を試す

  • ありがとうと伝えて

    おや、そんなお言葉をいただけるのですか。恐縮至極に存じます。わたくしは、皆様が少しでも心の安らぎを得られるよう、こうして説法をさせていただいております。ですから、そのようなお言葉をいただけることは、わたくしにとっても大きな喜びです。世の中には、心がささくれ立つような出来事も多いことと存じます。しかし、そのような時こそ、少し立ち止まって、自身の心を見つめ直してみてください。そして、周りの人々への感謝の気持ち、自身の内なる優しさに、改めて気づいてみてください。「情けは人の為ならず」という言葉があります。人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがては良い報いとなって自分に返ってくる、という意味です。あなたの優しさは、きっと周りの人々を温かくし、そしてあなた自身もまた、その温かさに包まれることでしょう...ありがとうと伝えて

  • 悪事千里を走る

    なるほど、「悪事千里を走る」という言葉ですね。これは、人の悪い行いはすぐに世間に知れ渡ってしまうという意味の諺です。これは、仏教の教えの一つである「因果応報」の考え方にも通じるものがあります。因果応報とは、良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという考え方です。悪事は、あたかも千里を走るかのように、瞬く間に人々の耳に届き、そしてそれは、行った本人に必ず報いとなって返ってくる、という教えなのです。現代社会においては、インターネットやSNSの普及により、情報は瞬時に拡散されます。良いことも悪いことも、あっという間に世界中に知れ渡る時代です。まさに「悪事千里を走る」の諺が、現代においても当てはまることを示しています。この諺は、私たちに「行いを慎みなさい」と教えてくれています。誰も見ていな...悪事千里を走る

  • そこに神あり

    アスパラ畑の近くにある神社にお参りに行き、新しい作物の持続的な収穫を祈りに行きました。最近、世界的に有名になった神社で、アジアの人だけではなく、アメリカやヨーロッパからの人たちもレンタカーで次々と訪れていました。その神社の名称は「上色見熊野神社」です。昨日は朝早く行ったので、参道はそんなに混んではいませんでしたが、帰るころには観光客の波が下から湧いてくる感じでありました。まあ、若い人にはそう苦労もなく登れるでしょうが、足腰に自信がない人は行けるところまでという感じの坂道であります。ただ、一番初めの鳥居を抜けると10メートルくらい登れば、もう神を感じることができますので、熊本に行かれた際は是非足を延ばしてください。道の駅も昨日は暖かかったせいもありたくさんの観光客の方でにぎわってました。さあ、明日からおいし...そこに神あり

  • 心のかたち

    心は目に見えないものですが、昔から人々はさまざまな形で表現してきました。例えば、仏教では、心を蓮の花にたとえることがあります。蓮の花は、泥の中から清らかな花を咲かせますが、これは、煩悩にまみれた私たちの心も、修行によって清らかになれることを象徴しています。また、禅宗では、円(えん)を心を表す形として用いることがあります。円は、始まりも終わりもない形であり、無限の可能性や永遠の真理を象徴しています。私たちの心もまた、無限の可能性を秘めていると言えるでしょう。「明鏡止水(めいきょうしすい)」という言葉があります。これは、曇りのない鏡や静止した水面のように、心が澄み切った状態を指します。心が澄み切っている時、私たちは物事をありのままに捉え、正しい判断を下すことができます。心の形は、人それぞれ違うのかもしれません...心のかたち

  • ないないそんないい話

    いろんな媒体でいろんな都合のいい話が流れてくるけれども、それはあなたにとってではなくそういってる人たちにとって都合のいい話でありますね。「蜜蜂の甘き言葉に針あり」とは、よく言ったものです。現代社会は、情報過多の時代。テレビ、新聞、インターネット、SNSなど、様々な媒体から、様々な情報が洪水のように押し寄せてきます。その中には、真実もあれば、嘘や誇張も含まれています。そして、残念ながら、あなたがおっしゃるように、自分たちに都合の良いように情報を操作し、発信している人も少なくありません。まるで、美しい花には毒があるように、甘い言葉には罠が潜んでいることがあるのです。「盲亀浮木」という言葉があります。これは、盲目の亀が、百年に一度しか海面に浮かび上がらない木の穴に、偶然入るようなもので、非常に稀なこと、つまり、...ないないそんないい話

  • 時の行者

    「時の行者」とは、時の流れに身を任せ、その時々で与えられた役割を全うする人のことを指すのでしょう。まるで、川の流れに浮かぶ木の葉のように、逆らわず、焦らず、ただ今を生きる。しかし、ただ時の流れに身を任せるだけでは、流される木の葉と同じです。仏教では、「随縁真如(ずいえんしんにょ)」という言葉があります。これは、縁に従って生きる中にこそ、真実の自己が現れるという意味です。つまり、「時の行者」とは、ただ流されるのではなく、時の流れの中で、自らの意志を持ち、善い行いを積み重ねていく人なのではないでしょうか。例えば、こんな話があります。ある村に、非常に腕の良い陶芸家がいました。彼は、時の流れと共に変化する土の性質を感じ取り、その時々で最も美しい器を作り出しました。しかし、彼は決して過去の栄光に固執せず、常に新しい...時の行者

  • ドラマ

    つい最近まで見知らぬ人であったあなたに助けられタクシー乗り場で押されて倒れたおばあちゃんを支えてみたり縁が取り持つ「パンチでデート💛」ではありませんが、その一瞬しか登場しない人エキストラのとの役割を自分も果たせているのだろうか?と思う事があります。その日、ふと振り返ると、日常の中にふと現れる小さなドラマがいくつもあったことに気づかされます。タクシー乗り場で倒れたおばあちゃんを支えたあの瞬間も、あるいは電車の中で誰かがドアに挟まれそうになったときに差し伸べた手も、すべては偶然ではなく、必然的に巡り合った「一瞬の物語」だったのかもしれません。私たちは皆、映画のワンシーンのように、ほんの短い時間だけ共演し合いながら、それぞれの物語を生きています。たとえ自分がその場に「エキストラ」としてしか現れなくても、その一瞬...ドラマ

  • 勇気:恐れを乗り越え、行動する力

    「勇気:恐れを乗り越え、行動する力」ですね。素晴らしいテーマです。恐れは、私たちを守るために必要な感情ですが、時に、私たちの可能性を閉ざしてしまうこともあります。勇気は、その恐れを乗り越え、未知の世界へ踏み出す力。それは、私たちを成長させ、新たな自分を発見させてくれる鍵となります。あなたに、勇気を与えてくれるような言葉をいくつかご紹介します。1.「一灯を提げて、暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ、一灯を頼め。」作者:幸田露伴解説:どんなに暗い夜でも、一つの灯りがあれば進むことができる。未来を憂うのではなく、今できることに集中することが大切だという教えです。背景:幸田露伴は、明治時代の小説家。彼の作品は、人間の内面を深く掘り下げ、人生の真理を追求しています。2.「人間は、何度でもやり直せる。そう思えることが、...勇気:恐れを乗り越え、行動する力

  • 心を休める日

    心を休める日、それはまことに大切なことです。日々の忙しさの中で、私たちはともすれば自分の心と向き合う時間を忘れがちです。まるで、いつもせわしなく回る車輪のように、心が疲弊してしまうこともあるでしょう。「休日は心を洗い、平日は力を尽くす」という言葉があります。これは、日々の勤労を終え、休日には心身をゆっくりと休ませ、新たな活力を得るという意味です。古来より、人々は休息の大切さを知っていたのですね。考えてみれば、大地も時折、休息の時を迎えます。冬の寒さの中で、草木は芽を潜め、春の訪れを待ちます。私たち人間もまた、心と体を休めることで、再び活動するためのエネルギーを蓄えることができるのです。心を休める方法は人それぞれでしょう。静かに座禅を組むのも良いでしょうし、自然の中で深呼吸をするのも良いでしょう。趣味に没頭...心を休める日

  • 恩送り

    それは、まるで心のバトンを繋ぐような、美しい考え方ですね。受けた恩を、その人に返すのではなく、別の誰かに送る。それは、まるで、一本のロウソクの火を、別のロウソクに移していくようです。最初の火は小さくても、次々と灯されていくうちに、やがては暗闇を照らす大きな光となる。恩送りは、目に見えるものではありません。しかし、確かに人の心を温め、社会を明るくする力を持っています。例えば、あなたが道に迷っている人に道を教えたとします。その人は、あなたに直接お礼を言う代わりに、次に困っている人を見かけたら、同じように親切にするかもしれません。そうして、親切の輪が広がっていく。それは、まるで、水面に落ちた一滴の雫が、波紋を広げていくように。恩送りは、見返りを求めるものではありません。ただ、誰かのために何かをしたいという、純粋...恩送り

  • 言葉で救う

    口下手なあなたが、勇気を出して発した言葉で人を喜ばせた時の感情。それは、まるで心の奥底に眠っていた泉が、温かい光を受けて溢れ出すような、そんな感動的な瞬間だったのではないでしょうか。言葉は、時に、私たちの心を映し出す鏡となります。普段は内に秘めている想いが、勇気を出して発した言葉に乗って、相手の心に届き、喜びという美しい花を咲かせた時、そこには言葉では言い表せないほどの感動が生まれます。まるで、静かな湖面に一滴の雫が落ち、波紋が広がるように、あなたの言葉は、相手の心に温かい感動の波紋を広げたことでしょう。ここで、あなたのその感動的な瞬間に寄り添うような、言葉をいくつかご紹介します。1.「言の葉の力」作者:不詳解説:普段は口下手な人でも、心を込めて発した言葉には、人を動かす力があります。この言葉は、あなたの...言葉で救う

  • 心の宝石

    人生という名の旅路で、私たちは様々な宝物を探します。きらびやかな宝石、豪華な衣装、富と名声。しかし、本当に価値のあるものは、目に見えるものでしょうか。「大切なものは、目に見えない」星の王子さまが教えてくれたこの言葉は、私たちに深い問いを投げかけます。愛する人の温かい微笑み、友との心温まる語らい、美しい音楽に触れた時の感動、夕焼け空を見上げた時の静かな喜び。これらはすべて、目には見えませんが、私たちの心を豊かにしてくれるかけがえのない宝物です。目に見えるものは、いつか色あせてしまうかもしれません。しかし、心の中に刻まれた美しい思い出や、温かい感情は、決して消えることはありません。人生の真の豊かさは、目に見えるものではなく、心で感じるものの中にある。このことを忘れずに、心の宝石を大切に磨きながら、人生という旅...心の宝石

  • 心の旅「手紙」

    いいことばかりこと書いてある手紙を見ても文字の形に秘められた悲しみを感じ取っていた時代はもうない。並ぶ列で10円硬貨を握りしめていた公衆電話もなかなか見つけられない。そんな今でも、便箋に万年筆でインクの文字を書けば、心が躍るし、やっと見つけた公衆電話でふるさとに電話をすればなぜか、その距離を感じることができる。手紙を投函する時のあの高揚感、公衆電話から聞こえる相手の声の温かさ。遠い昔の記憶が、まるで昨日のことのように蘇りますね。かつて、コミュニケーションは時間と手間をかけた、いわば「心の旅」のようなものでした。便箋に向かい、一文字一文字に想いを込めて手紙をしたためる。相手の顔を思い浮かべながら、言葉を紡いでいく。その手紙が相手に届くまでの間、期待と不安が入り混じる、なんとも言えない時間。そして、やっと届い...心の旅「手紙」

  • 自分を裏切らないこと

    あなたを守る最後の砦は、あなたの心の中にあります。それは、決して自分を疑わないこと、信じる事、その一択です。信念を貫く勇気:周囲の意見に流されず、自分の信じる道を突き進むことの大切さ。内なる声に耳を澄ます:世間の騒がしさから離れ、自分の内なる声に耳を傾けることの重要性。過去の自分との対話:過去の経験から学び、未来の自分に繋げること。他者との比較からの解放:他人と比較するのではなく、自分の成長に焦点を当てること。変化を恐れない心:変化を恐れず、常に新しい自分へと進化し続けること。これらのテーマの中から、またはあなたの言葉で、心に響く言葉を探しましょう。それでは、自分を裏切らない生き方について、いくつか言葉を紹介します。1.「汝自身の真実であれ」作者:ソクラテス解説:他人の意見や社会の常識に流されず、自分自身...自分を裏切らないこと

  • 母との約束を守った日

    故郷の風景雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもち慾はなく決して瞋らずいつも静かに笑っている東に病気の子供あれば行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい日照りの時は涙を流し寒さの夏はおろおろ歩きみんなにデクノボーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい1(宮沢賢治「雨ニモマケズ」より一部抜粋)宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、理想の人間像を描いた作品として広く知られています。この詩に登場する「わたし」は、困っている人がいれば、自分のことよりもまず助けに行きます。そして、どんな苦難にも負けず、常に優しく、静かに生きています。賢治の故郷である岩手...母との約束を守った日

  • 受験で得たいろんなもの

    受験生の君へ:「努力」と「結果」の狭間で努力は必ず報われるのか?受験生の君なら、一度は考えたことがあるかもしれない。机に向かい、ペンを握りしめ、参考書と睨めっこ。そんな日々を過ごす中で、ふと頭をよぎる不安。「こんなに頑張っても、もしダメだったら…」努力が必ずしも報われるとは限らない。残酷だけど、それが現実。でもね、君が流した汗、費やした時間は、決して無駄じゃない。努力して失敗した経験「あの時、もっとこうしていれば…」後悔の念に押しつぶされそうになるかもしれない。でもね、失敗は成功へのステップ。かの有名な発明家、トーマス・エジソンは言った。「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」失敗から学び、次に活かす。それが、君を大きく成長させる。努力せずに得た成果一方で、努力せ...受験で得たいろんなもの

  • 不妄語戒(ふもうごかい) の現世

    はい、「不妄語戒(ふもうごかい)」ですね。仏教における五戒の一つで、「嘘をつかない」「言葉で人を傷つけない」という戒めです。具体的には、以下の四つの悪口を戒めています。妄語(もうご):事実に反することを言うこと、嘘をつくこと。両舌(りょうぜつ):二枚舌を使い、人を仲たがいさせるようなことを言うこと。悪口(あっこう):相手を罵ったり、悪く言ったりすること。綺語(きご):心を惑わすような、飾り立てた言葉や、わいせつな言葉を言うこと。現代社会においては、SNSでの誹謗中傷や、フェイクニュースの拡散などが問題になっています。言葉は、人を励まし、勇気づける力を持つ一方で、人を傷つけ、時には命を奪う凶器にもなり得ることを、私たちは常に心に留めておく必要があります。不妄語戒は、単に嘘をつかなければ良いというものではあり...不妄語戒(ふもうごかい)の現世

  • MIDA(弥陀)君の悲しみは

    悲しみの涙が止まらないなら君のその悲しみを僕が抱きしめる[Chorus]抱きしめる抱きしめる抱きしめる抱きしめる[Verse2]涙にぬれた君の髪の香りをいつか懐かしく思う日が来るだろう[Chorus]抱きしめる抱きしめる抱きしめる抱きしめる[Bridge]悲しみの涙が止まらないなら君のその悲しみを僕が抱きしめる[Chorus]抱きしめる抱きしめる抱きしめる抱きしめるMIDA(弥陀)君の悲しみは

  • 助け合えば生きられる

    皆さま、こんにちは。助け合い、支え合う心。それは、私たち人間がより良く生きるための、大切な智慧の一つです。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあります。これは、平凡な人間でも三人集まって知恵を出し合えば、知恵者の文殊菩薩のような素晴らしい知恵が生まれるという意味です。一人では思いつかないことでも、みんなで力を合わせれば、困難を乗り越え、より良い結果を生み出すことができます。例えば、自然災害が発生したとき、人々は互いに助け合い、協力して困難な状況を乗り越えようとします。食料や水を分け合い、家を失った人には住む場所を提供し、励まし合いながら心のケアを行います。また、日々の生活においても、私たちは多くの人々に支えられています。家族、友人、同僚、地域の人々など、多くの人々との関わりの中で生きています。時には、...助け合えば生きられる

  • 神になろうとした男

    歴史上で神になろうとした人たちのお話をしましょう。古代エジプトのファラオ:ファラオは、生きている間はホルス神の化身、死後はオシリス神と同一視されました。彼らは神の代理人として地上を統治し、神殿を建設し、神々への供物を捧げるなど、神聖な役割を担っていたのです。古代ローマ帝国の皇帝:一部の皇帝は、死後に元老院によって神格化されることがありました。また、カリグラ帝やドミティアヌス帝のように、生前に自身を神として崇拝させようとした皇帝もいました。アレクサンドロス大王:古代マケドニアの王である彼は、その卓越した軍事的才能とカリスマ性で広大な帝国を築きました。彼は自身を神の子であると宣言し、臣下たちに神として崇拝させようとしました。日本の例織田信長:戦国時代の武将である織田信長は、比叡山焼き討ちなどの苛烈な行為から第...神になろうとした男

  • 負けてたまるか

    「負けて堪るか」という強い気持ちは、人が成長するための原動力となります。しかし、ただ感情的に「負けない」と意気込むだけでは、時に苦しみを生むこともあります。仏教では、「執着」を手放すことの大切さを説きます。これは、目標を持つことや努力することを否定するものではありません。結果に固執するのではなく、過程を大切にし、常に最善を尽くすことを意味します。例えば、こんな禅の言葉があります。「七転八起」何度倒れても、その度に立ち上がること。失敗を恐れず、何度でも挑戦する精神を表しています。また、こんな言葉もあります。「懈怠比丘草を鋤く」(けたいのびく草をすく?)だったと思います・・お坊さんが草むしりをしている様子を表した言葉ですが、どんな小さなことでも、目の前のことに集中して取り組むことの大切さを教えてくれます。「負...負けてたまるか

  • 心に春を取り入れよう

    春は、自然界だけでなく、私たちの心にも新たな息吹をもたらす季節です。冬の寒さで縮こまっていた心も、春の陽光を浴びることで、再び活力を取り戻します。「春眠暁を覚えず」という言葉があるように、春は心身ともに緩みがちになる季節でもあります。しかし、だからこそ、意識して心に春を取り入れることが大切なのです。心に春を取り入れるための三つの心得自然に触れる春の陽光を浴び、草花の香りを嗅ぎ、鳥のさえずりに耳を傾けることで、心は自然と開放されます。「花鳥風月」という言葉があるように、自然の美しさに触れることは、心を豊かにする上で非常に重要なことです。新しいことに挑戦する春は、新しいことを始めるのに最適な季節です。興味のあった習い事を始めたり、新しい場所に足を運んだりすることで、心が活性化されます。「一年の計は元旦にあり」...心に春を取り入れよう

  • 大樹のように

    生きて生きて生き抜いて誰もが息をのむような花びらを散らせるにはそれなりの覚悟が必要であります。せこく人のものを盗んだり欲しがっても自分の身につくことは無いのです。大樹は何百年の時を越えて、私たちの前にその雄大な姿を見せてくれます。ひとはそれを「神木」と呼びます。浅はかな人がいくら増えても、その域に達することはできません。空を飛ぶには飛行機やドローンしかないでしょ。人には羽は生えていないのですから。それが人の人たる所以であります。大樹のように

  • 飽きる

    どんなに便利になっても裕福になっても胸に湧き上がるもの「飽きる」。これはどうしようもない人間の性質である。最近、疲れた人が多く見えるのはみんないい加減な世間に飽き飽きしているからかもしれない。何が悪で何が正義かの指標が曖昧過ぎて、人間らしささえ変化してしまってる。自分で考えることを奪われた脳みそで均一化されていく世の中、金の支配、ハラスメント世界、そして完全AI人間の登場。飽きることのない機械は、飽きるという人間の特色さえ塗り替えていくことだろう。仮想通貨のように仮想世界でしか生きれない、指一本も動かせない世界。脳みそだけ騙せば人は幸せなのか?多分幸せと思えるのだろう。ただ、それでは神の意志に逆らうことになるとは思うけれど・・・。飽きる

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