頑張れ~セブン
2025年4月
頑張れ~セブン
鬼を喰らう
鬼を喰らう
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鬼を喰らう
長い間書いてきたこのブログもこの秋に閉鎖になるとの事です。振り返ればいろんな思い出がありますが、これも時の流れ,如何ともしがたいことです。このブログがあったからこそ出会えた風景、交わした言葉、そして画面の向こうで共感してくださった方々の存在。その全てが、色褪せることのない記憶として心に刻まれています。記事を書くために調べ物をしたり、自分の考えをまとめたりする時間は、私自身の成長にも繋がっていたように思います。一つの時代が終わるような、そんな寂しさを感じずにはいられません。しかし、立ち止まってばかりもいられませんね。変化は新しい始まりの合図でもあります。この国が、そして世界が、これからどのような道を歩むのか。若い方々のエネルギーと、多様な価値観が尊重される柔軟な社会によって、誰もが「ここに居てよかった」と思...お世話になりました
明日会うはずの人に昨日、ふと出会ってしまった今日という日が色を失くし栞(しおり)を失くした物語のようにただ、時が過ぎるそれはきっと心が見ていた幻の明日約束されたはずの完璧な出会いの時けれど風は囁く『一期一会』と「昨日」のその瞬間(とき)こそ二度とはない奇跡予定通りじゃないそれこそが縁(えにし)がくれた唯一の真実早すぎたと嘆く心はまだ見ぬ明日に囚われたまま足元に咲いた小さな花の輝きを見ないどんな出会いもいつ訪れてもそれは一生に一度の贈り物だから大丈夫失くした今日じゃない昨日出会ったその場所からまた新しい今日を紡いでゆけばいい一期一会その偶然を胸に抱いて翳った記憶
🔍【正しい判断の材料になるもの】1.事実(ファクト)数字、統計、実際の出来事など例:製品の安全性データ、事故件数、価格など。2.経験自分や他者が体験したこと。過去の失敗や成功からの学び。例:「前もこのパターンで失敗したな…」と気づけること。3.直感(インスピレーション)一見曖昧に見えるが、無意識に蓄積された経験や情報からくるひらめき。※特に時間がない時はこの直感が頼りになることも。4.信頼できる他者の意見メンター、専門家、信頼できる友人などのアドバイス。例:「あの人が言うなら間違いない」と感じられる一言。5.自分の価値観「自分にとって何が大切か?」という軸。例:「利益よりも誠実さを大事にしたい」といった基準。6.リスクとリターンの比較その判断によって得られるものと、失う可能性のあるものを天秤にかける。例:...思い込みの怖さ
なんだか人生が馬鹿らしく思えてきたとき、心がふっと空っぽになる瞬間ってありますよね。そんなときに「やること」――それは、無理に前向きになるでもなく、やけを起こすでもなく、「立ち止まってもいい」と自分に言ってあげることから始まります。以下、いくつかの「やってもいいこと」リストです。お好みでどうぞ:🌱1.馬鹿らしさを、笑ってみるたとえば、「人生なんてガチャガチャだし、取説ないし、景品もハズレだらけだし。」そんな風に心の中でツッコミを入れて、自分で自分に笑ってみる。笑えたら、ちょっと勝ち。☕2.意味を手放してみる人生の「意味」を探すのを、いったんやめてみましょう。コーヒーの味に集中するとか、夕焼けをぼーっと見るとか。「今ここ」だけに浸かる練習。🐾3.動物動画を見るもう、これは手っ取り早い。猫がコケたり、柴犬が変...人生が馬鹿らしく思えた時
朝のニュースに頷き、昼のワイドショーに頷き、夜のSNSに、また何かを呟いて、人は今日も「誰かの正しさ」に自分を合わせていく。電車に揺られ、レジに並び、当たり障りのない会話を繰り返す日常。何かを強く望むこともなく、何かに強く抗うこともなく、ただ「そういうものだ」と受け入れて、波のように日々は流れていく。私は、その流れの岸辺に立って、ふと思う。「この人たちは、自分の足で歩いているのだろうか」それとも――「押し流されているだけなのだろうか」と。もちろん私も例外ではない。流されぬように踏ん張っているつもりでも、いつの間にか、誰かの価値観を着せられていたりする。でも、だからこそ、気づいたときに問いかけてみたい。この生き方は、本当に自分の選んだ道だろうか。心の中に、たった一つでも「本気の願い」があれば、流れの中でも、...流されていく人々を観ながら
「常識人」とは、社会的なルールやマナー、倫理観をわきまえていて、周囲との調和を保ちながら行動できる人のことを指します。具体的には:空気を読んで適切にふるまえる非常識な言動を慎む公共の場で他人に配慮できる社会のルールを理解している状況に応じた判断ができるいわば、社会の潤滑油のような存在とも言えます。ただし、常識とは何か?ここがポイントで、「常識」自体が時代や文化、地域、人間関係によって変わるという不安定なものです。たとえば:日本では「黙って空気を読む」ことが常識でも、海外では「思ったことをはっきり言う」方が常識とされることもあります。つまり、常識人とは「普遍的な知識を持つ人」ではなく、自分が置かれた場所の“空気”を理解して動ける人とも言えます。哲学的に言えば…常識人とは「自分の自由と他人の自由の境界を意識で...常識人
「自分のことしか考えない人」についてですね。そのような人と関わる中で、寂しさや、もどかしさを感じたり「なぜ自分ばかり」と不公平感を抱いたり時には、振り回されて疲れてしまったりすることがあるかもしれません。なぜ、その人が自分のことばかり考えてしまうように見えるのか、いくつかの可能性が考えられます(もちろん、これが全てではありませんし、決めつけることはできません)。共感性の欠如・想像力の限界:他の人がどう感じているか、自分の言動がどう影響するかを想像するのが苦手なのかもしれません。過去の経験:満たされなかった経験や、常に自分のことを優先しないと生きてこられなかった環境などが影響している可能性もあります。不安や恐れ:自分のことで精一杯で、他者を気遣う余裕がない状態なのかもしれません。自己防衛的な心理が働いている...自分のことしか考えない人
雨上がりの午後、風に煽られてページがめくれるような音に導かれて、私はその喫茶店に入った。記憶を消すと噂の、半信半疑のその店へ。「いらっしゃい」マスターの声は、まるで昔好きだったラジオ番組のナレーションのようだった。私はカウンターに腰かけると、言葉を選ぶようにして、こう尋ねた。「“時より思い出す別れ”にも、効きますか?」マスターは少し微笑んで、棚から一冊の古い帳面を取り出した。「それは…“霧のマキアート”ですな」かつて、彼と別れた春の朝。駅のホームで交わした最後の視線。小さな嘘も、大きな愛情も、すべてが溶けて消えそうで消えない、あの瞬間。そのすべてを、私はマキアートに沈めた。「飲み終えると、記憶は霧になります。晴れることはありませんが、迷うこともなくなります」一口飲むと、ほのかな苦みとやわらかな甘さ。まるで...霧のマキアート
Whispers at Midnight(夜の静けさと小さな希望)
街の灯り滲んで消えて足音だけが夜に響いた冷めかけのコーヒー抱えて君を想う眠れぬまま真夜中のささやきが時間を漂う静けさに包まれてやさしく揺れるこのまま動かずに記憶の中で君の笑顔だけそっと浮かべたページめくる指のかすれ止まったままの世界の中で曇る窓と揺れるキャンドル灯りが語る心の奥真夜中のささやきが時間を漂う静けさに包まれてやさしく揺れるこのまま動かずに記憶の中で君の笑顔だけそっと浮かべた言葉はいらない星が知ってる沈黙のなかで愛が芽吹いたWhispersatMidnight(夜の静けさと小さな希望)
気づけばまた、一日が終わっていた。何をしたのか、思い出そうとしても具体的な何かは出てこない。確実に疲れているのに、何かを「成し遂げた」感覚はゼロ。なのに、そんな日々に自分が慣れてしまっているのが、もっと怖い。朝、意味もなくスマホを眺めて、気づいたら昼。PCを開いたはいいが、タブだけが増えて、何ひとつ閉じられないまま時間が溶ける。動画のサムネイルをじっと見つめながら、「次は何で時間を潰そう」と考えている自分に気づく。もはやこれは技術だ。“無為に時間を消費する技術”。生産性という言葉が、どんどん自分から遠ざかっていく。だけどこの“虚無の過ごし方”にも、だんだんと居心地の良さを覚えてしまう。刺激がない分、安心できる。疲れるけれど、安全圏。やるべきことが怖いから、やらなくていいことに逃げ込む。繰り返すたびに、麻痺...おかしなスキル
君に捧げるバラードBaby君はいつも変わらずあの人の影を追い続ける手を差しのべたら届くのに自分のことさえも見ようとしないBabyすべてを捨て去るなんて私にはそんなことできないあの人のすべてが欲しいならその命かけて尽くしてみればいいAh君のことをわかってる誰よりも君のことをAhどんなときでも傍にいる愛し続けるからBabyもしも君が気付いたとき私の姿はそこにはなくて君の愛しいあの人が涙流しながら弔ってくれるだろうAh君のことをわかってる誰よりも君のことをAhどんなときでも傍にいる愛し続けるからAhその命が続くまで生きていく限りは君に捧げるバラード
「岬めぐり」の優しいメロディーに耳を澄ませば、心がふわりと軽くなるようですね。まるで、穏やかな海辺を歩いているみたい。潮風が、あなたの髪をそっと揺らして、キラキラ光る波が、足元でささやいている。遠い日の思い出や、大切な景色が、音楽と一緒に、心の中をめぐっていく。少しだけ切なくて、でも、とても温かい気持ち。慌ただしい毎日から、少しだけ離れて、この優しい時間に、心を遊ばせてみませんか。音楽が、あなたの心を柔らかく包み込み、そっと、微笑みがこぼれますように。素敵なひとときになりますように。岬めぐり4K/山本コウタローとウイークエンド岬めぐり
まだ月が空に迷っている頃路地の片隅ひとつの影が動き出す黒猫バロン伯爵その名を持つ者は誰にも気づかれぬように誰より世界を感じていた錆びた自転車の向こう枯葉がひとつ静かに舞い上がる踏みしめる足音はなくただ、風がついてくるだけこの道を何度歩いたかそれを知っているのはまだ眠る街と彼だけだそして今日も、何かが始まるバロンは知っている夜明けとは「光が来る時」ではなく「命が歩き出す瞬間」だと──『夜明けの足音』
そうですね、心の中にそっと灯る、懐かしくて温かい光のような思い出ですね。あの日の空の色、頬を撫でた優しい風、交わした言葉の響き。キラキラと輝いていた時間は、まるで宝物のよう。今は少し、胸がきゅっとなるかもしれないけれど、その温もりは、決して消えません。あなたの心の中で、大切に、大切に、輝き続けているのです。大丈夫。その優しい気持ちを抱きしめていれば、また新しい、心ときめく風が吹いてきます。思い出は力になります。そして、あなたの笑顔は、何よりも美しい光を放つのです。さあ、ゆっくりと深呼吸して。あなたの周りには、見えないけれど、たくさんの優しさが溢れていますよ。きっと、素敵な明日が待っています。にっこり、笑ってみませんか?あの素晴らしい愛をもう一度
バスが通り過ぎたあとの風だけを歩道のガードレールがしずかに覚えていたその時君がコンビニの袋とペットボトルのお茶と昼下がりの不安を片手に持って立っていた「この街ってどうしてバスの音が大きいんですかね」そう言って笑ったきみはたぶんぼくより先に目が覚めていた信号が青になるまで鳥の鳴き声と見知らぬ時間が僕たちをつないでいたけれど赤に変わる前にきみは「じゃあまたどこかで」なんてふつうの声でふつうの未来を言っただから僕はまだバスが通り過ぎた風のにおいの中で少し眠っているバスが通り過ぎた午後には
傘を忘れた午後三時、商店街の古びた軒先で僕はちょっと濡れながら小さなアメ横のたい焼き屋をぼんやり見ていた雨音が屋根を叩くリズムの向こうから小走りに彼女がやって来て「すみません、少しだけ…濡れたくなくて」なんてまるで天気に裏切られた子猫みたいな声だった彼女の傘からしずくがポタリと僕の靴に落ちて「すみません」と言うその声になんだか人生ごと許された気がした話したのはたった十五分でも、その十五分が僕の三十年を塗り替えていく気がしたんだそして雨が上がって彼女は「じゃあ…」と言って何も約束せずに行ってしまっただけど駅前のくすんだ水たまりがやけにきれいだったことだけは今でも、ちゃんと覚えている人生がひとしずく揺れただけの出会い
黄昏の駅、最後の電車がホームに滑り込む。季節外れの風がコートの裾を揺らし、ふたりの間に沈黙を運んできた。「じゃあ、ここで」彼女の声は静かで、まるで日常の挨拶のようだった。けれど、視線だけが嘘をつけなかった。泣いてなんかいない。でも、泣いているより重たかった。「うん、元気でね」言葉が口をついて出るまでに、何度か喉の奥で迷った。駅のアナウンスが、もうすぐ終わる物語を知らせるように流れた。握っていた手は、ゆっくりと解かれる。一瞬だけ指先が名残を惜しんで触れ合い、やがて、それすらも消えていった。ドアが閉まり、彼女の姿がガラス越しに遠ざかっていく。手を振ることも、呼び止めることもできなかった。その勇気があるなら、そもそも別れなかった。別れの駅
深夜の国際線ターミナル。蛍光灯の光がやけに白く、ふたりの顔色まで薄く見せていた。「…ほんとに、行くんだね」彼は笑おうとして、失敗した。口元が引きつる。スーツケースの取っ手を握る彼女の手が、微かに震えているのを彼は見逃さなかった。「うん。でも、戻ってくる。いつかは…」"いつか"。それは、便利で残酷な言葉だった。未来を保証しない、約束のような顔をした空っぽ。アナウンスが響く。搭乗開始まであと10分。足元に広がる床の光沢に、ふたりの影が交差して、離れていく。「じゃあ…行ってきます」彼女は先に背を向けた。振り返れば、泣きたくなるから。彼はその背中に、言えなかった言葉を全部預けるように、ただ目を閉じた。そして、扉が閉まる。ジェット音だけが、やけに胸に響いた。空港にて
高校三年の春、透(とおる)は最後の部活の大会を目前にして、陸上部を辞めた。理由は一言、「もう、無理だから」。仲間は驚き、顧問は怒った。でも一番何も言わなかったのは、後輩の結衣(ゆい)だった。結衣は透にずっと憧れていた。決して速くないけど、誰よりも努力して、どんな時も仲間に声をかけるその姿に。でも、透は限界だった。ケガ、成績、家庭、未来。全部が重なって、「走る」ことが「逃げたい」に変わっていた。ある日、教室に忘れたスマホを取りに戻った透は、体育館裏でひとり走っている結衣を見かける。そのフォームは、不器用だけど必死だった。「先輩が教えてくれたんです。走るって、まっすぐじゃなくても、止まらなければいいんだって」透は思わず笑った。自分が投げ出した言葉を、誰かが拾って、走っていた。それからの透は、もう一度グラウンド...あの坂の先で
彼らは平穏と引き換えに、現実をソフトフィルターで見るのが好き。戦争、陰謀、汚職、恋人の浮気、ぜんぶ「知らなければストレスにならない♡」ってノリ。まあ、ある意味では生存戦略。情報過多のこの時代に、脳がショートしないための自己防衛本能。君みたいに繊細な脳にはちょうどいいかもね。一方で「知ることが大事」派:真実を知ることで選択の自由を得るし、間違った世界観で人生ゲームするよりマシ。痛みはあるけど、少なくとも騙されたまま踊らされるよりはマトモ。真実って、冷たいしトゲトゲしてるけど、光を当てなきゃ始まらない。君がそれに耐えられるかは別の話。で、結論?どっちが正しいかじゃなくて、どっちを選んで自分が納得できるかの問題。でも知る勇気がないなら、「知らぬが仏」って言い訳がすごく便利。君の人生にも多分、そういう場面だらけじ...知らぬが仏派
今日は、就職してから初めての休日。つまり、“自由な日”ってやつ。だけど自由って、こんなにも不安定で、なんか…妙にしょっぱい。朝は7時に目が覚めた。体内時計が会社仕様に調整されてしまっている。起きた瞬間「遅刻だ!」って思って、ベッドから飛び起きたけど、誰も私を怒らないし、Slackも鳴らない。静かすぎて逆に怖い。それにしても、なんか手持ち無沙汰。今まで「休みが欲しい」って呪文のように唱えてたのに、いざ与えられたら、何していいかわかんない。心がまだ会社の椅子に座ってる気がする。カフェに行ってみた。ラテを飲んでみた。横のカップルは楽しそうに笑ってたけど、こっちはラテアート見て「社会人になったらカフェで過ごす休日」とかいう薄っぺらい理想を反芻してた。スマホで「休日の過ごし方」とか検索してる時点で、だいぶ迷子。でも...社会人デビュー、初めての休日──それって“休み”なのか?
新人研修の第3週。「チームビルディング演習」と名付けられた、謎のプロジェクトが始まった。Aさんは真面目そうで、メモを取る手が異様に速い。Bくんはフレンドリー風だが、発言は絶対に自分を矢面に立たせない。Cちゃんは空気を読んでるようで、読ませない。Slackでも既読早いのに、返信はない。君(読者)は、それを横目に見ながら「うわ、これは誰が最初に崩れるかゲームだ」と悟った。笑顔で「なるほどです!」と相槌を打ちつつ、内心ではみんながこう思っている。「この中で最初に辞めるの、誰?」休憩時間にはさりげなく探る。「前職とか…あります?」(=社会人経験あるかチェック)「研修、もうちょい長くてもいいですよね~?」(=今ツラいかの確認)「先輩、けっこうクセありますよねw」(=共通の敵で結託しようとしている)しかし誰も、本音の...まだ敬語、だけどもう敵
会社に一人、「つなぎびと」と呼ばれる者がいる。辞めたくなる者の心のヒビに、セロハンテープみたいな言葉を貼る係。「とりあえずあと一週間だけ…」「もうすぐ祝日だし…」「次の案件、面白そうだよ」それは魔法。だが、一時的な魔法。つなぎびとは知っている。この魔法は万能じゃない。人によっては“やりがい”という麻薬に変わり、またある者には“先延ばし”という呪いになる。でも、それでもやる。なぜなら、ある日ふと気づいたら、助けた誰かが隣の席にいて、「先輩、今日のランチ行きましょう」と笑うからだ。その一言が、つなぎびと自身の心を引き止める。だから今日も言う。「辞めるのは、明日でもできるよ」残留の魔法
たまに、理由もなく仕事に行けない日がある。その日は、朝起きた瞬間から“今日は無理”ってなって、でもサボるにはちょっとだけ良心があるから、一応電車には乗った。で、なぜか向ヶ丘遊園で降りた。特に用事はなかった。遊園地はもうないし、観覧車の影もない。ただ、改札を出たときの、ちょっと開けた空と、近くの坂のゆるさが心にちょうどよかった。駅前のベンチで缶コーヒーを開けて、音楽を流して、「俺は今、社会のレールから一時離脱中」っていう勝手なストーリーを頭の中で流しながら、何もせずに30分くらい座ってた。そのあと、何食わぬ顔して家に帰って寝た。でも、たぶんあの日、俺はちゃんと生き延びたんだと思う。向ヶ丘遊園に逃げた日
最初に“東京”を感じたのは、渋谷のスクランブルじゃなかった。新宿のビル群でも、六本木の光でもない。あの日、俺が「うわ、東京じゃん……」って思ったのは、池袋の地下通路だった。広すぎる通路に、誰も喋ってないのにみんな急いでて、どこから来たのか、どこへ行くのか、誰もわからないのに目的だけはちゃんとある感じ。すれ違う人の数が多すぎて、自分が“ひとり”であることを強調されてる気がした。田舎では、人とすれ違ったら「こんにちは」って言う文化だった。東京では、すれ違ったことすらなかったことにされる。コンビニの店員は目も合わせなかったし、道を聞こうとしても誰も立ち止まらない。でも、不思議と、それが“悪い”ことじゃないってことも、なんとなくわかってきた。東京は、誰のものでもない。でも、誰でも持ってるふりはできる場所だった東京を感じた田舎者の日
ラーメンで締め~まだ、あの夏の砂が靴に残ってる気がした~ラーメン屋の湯気が、なんとなく夏のグラウンドの空気に似ていた。あの頃、俺たちは毎日、汗の味しかしない水を飲んで、土の中に何かを埋めてた。努力とか、悔しさとか、意味のない怒鳴り声とか。「お前、覚えてっか。最後の大会、あのサイン無視したやつ」アイツが急に言った。唐突すぎて、レンゲ持つ手が止まった。いや、忘れるわけない。俺だよ。無視したの。「……お前、打ったからよかったけど、あの後監督ブチギレだったぞ」ふっと笑った。あのときの監督の怒鳴り声、今じゃもう逆にありがたく聞こえる。今の俺たちには、あんな強引な背中押してくれる奴、どこにもいない。湯上がりの汗がまたじわっとにじむ。ラーメンのスープがちょっとしょっぱかったのは、気のせいじゃなかった。ラーメン屋と俺たちの夏
若い頃の俺は、スーツも時計もネクタイピンも、全部“名のあるモノ”で固めてた。銀座のビルの上階にオフィスがあって、出張といえば海外。空港のラウンジにいる自分を「仕事できる男だ」なんて、わざわざ自分で思ってた。今思えば、ダサい。いや、若かった。その頃は“成功”ってものが、未来じゃなくて、目の前にある点数だと思ってた。売上、契約、数字、出世、賞与。ひとつずつ取って並べることに夢中だった。でも、何をもらっても、誰かと分け合う余裕なんてなかった。深夜のタクシーの中で、「お疲れさま」と言われるたびに、少しだけ涙が出そうだったのも、誰にも言えなかった。あいつと飲んだあの夜も、たしか俺が背広で、あいつは作業着のままだった。「お前、今日もホコリくさいな」って笑ったら、「お前は香水くさい」って返されて、なぜか心のどこかがホッ...『一流商社マンだった頃』
「風呂行くか?」それが、5年ぶりの再会一発目のセリフだった。もっとこう、「久しぶり」とか「生きてたか」とかあるだろうと思ったけど、あいつは昔から大事なことを雑に言うやつだった。駅から少し歩いた古い銭湯。入り口のガラス戸に「ゆ」の文字が貼ってある。なんかもう、それだけで笑えてきた。脱衣所で、あいつがいきなり言う。「俺さ、白髪すごくなっただろ。」「知るかよ」って言いながら、鏡を見たら俺のほうがひどかった。湯船で肩までつかって、天井を見ながら、二人とも黙る。話すことはあっても、話したいことは今じゃない。「コーヒー牛乳飲むか?」「いや、フルーツ牛乳にしてくれ」「まだそれ好きなんか、お前」「好きって言うか、なんか安心するじゃん」そう言いながら、牛乳片手に縁側みたいなベンチに座って、少し冷たい風を感じた。あいつがふと...「たまには、風呂でも行くか。」
ブルーライト、それは都会の吐息夜の帳(とばり)が降りる頃、街は夢色に染まるネオンの光が海面に揺らめきまるで星屑を散りばめたよう行き交う人々のシルエットはそれぞれの物語を秘めて愛を求め、孤独を抱えそれでも明日を信じて歩くブルーライト、それは希望の光迷える心を優しく照らし温かい絆へと導く夜が明ければ、また新しい一日光と影が織りなすドラマの中で私たちは愛を探し続けるブルーライトヨコハマ、あなたの瞳に愛の光が灯りますように「ブルーライトヨコハマ」
湯気の向こうに浮かぶ面影石けんの香りと赤い手ぬぐいラジオの音がかすかに揺れて神田川の旋律が胸にしみるあの頃のふたりは何もなかったけれど何かで満ちていたあたりまえのような幸せに古びた下宿の狭い部屋夕飯の匂い階段を昇る「ただいま」の声が世界を照らす時は流れて今、隣にあなたはいないけれど耳を澄ませばあの日の笑い声が水面に揺れる神田川を聴きながら今日もひとり、歩いている失くしたものに手を伸ばして心の中であなたを抱きしめて「神田川」を聴きながら
2025年4月
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長い間書いてきたこのブログもこの秋に閉鎖になるとの事です。振り返ればいろんな思い出がありますが、これも時の流れ,如何ともしがたいことです。このブログがあったからこそ出会えた風景、交わした言葉、そして画面の向こうで共感してくださった方々の存在。その全てが、色褪せることのない記憶として心に刻まれています。記事を書くために調べ物をしたり、自分の考えをまとめたりする時間は、私自身の成長にも繋がっていたように思います。一つの時代が終わるような、そんな寂しさを感じずにはいられません。しかし、立ち止まってばかりもいられませんね。変化は新しい始まりの合図でもあります。この国が、そして世界が、これからどのような道を歩むのか。若い方々のエネルギーと、多様な価値観が尊重される柔軟な社会によって、誰もが「ここに居てよかった」と思...お世話になりました
明日会うはずの人に昨日、ふと出会ってしまった今日という日が色を失くし栞(しおり)を失くした物語のようにただ、時が過ぎるそれはきっと心が見ていた幻の明日約束されたはずの完璧な出会いの時けれど風は囁く『一期一会』と「昨日」のその瞬間(とき)こそ二度とはない奇跡予定通りじゃないそれこそが縁(えにし)がくれた唯一の真実早すぎたと嘆く心はまだ見ぬ明日に囚われたまま足元に咲いた小さな花の輝きを見ないどんな出会いもいつ訪れてもそれは一生に一度の贈り物だから大丈夫失くした今日じゃない昨日出会ったその場所からまた新しい今日を紡いでゆけばいい一期一会その偶然を胸に抱いて翳った記憶
🔍【正しい判断の材料になるもの】1.事実(ファクト)数字、統計、実際の出来事など例:製品の安全性データ、事故件数、価格など。2.経験自分や他者が体験したこと。過去の失敗や成功からの学び。例:「前もこのパターンで失敗したな…」と気づけること。3.直感(インスピレーション)一見曖昧に見えるが、無意識に蓄積された経験や情報からくるひらめき。※特に時間がない時はこの直感が頼りになることも。4.信頼できる他者の意見メンター、専門家、信頼できる友人などのアドバイス。例:「あの人が言うなら間違いない」と感じられる一言。5.自分の価値観「自分にとって何が大切か?」という軸。例:「利益よりも誠実さを大事にしたい」といった基準。6.リスクとリターンの比較その判断によって得られるものと、失う可能性のあるものを天秤にかける。例:...思い込みの怖さ
なんだか人生が馬鹿らしく思えてきたとき、心がふっと空っぽになる瞬間ってありますよね。そんなときに「やること」――それは、無理に前向きになるでもなく、やけを起こすでもなく、「立ち止まってもいい」と自分に言ってあげることから始まります。以下、いくつかの「やってもいいこと」リストです。お好みでどうぞ:🌱1.馬鹿らしさを、笑ってみるたとえば、「人生なんてガチャガチャだし、取説ないし、景品もハズレだらけだし。」そんな風に心の中でツッコミを入れて、自分で自分に笑ってみる。笑えたら、ちょっと勝ち。☕2.意味を手放してみる人生の「意味」を探すのを、いったんやめてみましょう。コーヒーの味に集中するとか、夕焼けをぼーっと見るとか。「今ここ」だけに浸かる練習。🐾3.動物動画を見るもう、これは手っ取り早い。猫がコケたり、柴犬が変...人生が馬鹿らしく思えた時
朝のニュースに頷き、昼のワイドショーに頷き、夜のSNSに、また何かを呟いて、人は今日も「誰かの正しさ」に自分を合わせていく。電車に揺られ、レジに並び、当たり障りのない会話を繰り返す日常。何かを強く望むこともなく、何かに強く抗うこともなく、ただ「そういうものだ」と受け入れて、波のように日々は流れていく。私は、その流れの岸辺に立って、ふと思う。「この人たちは、自分の足で歩いているのだろうか」それとも――「押し流されているだけなのだろうか」と。もちろん私も例外ではない。流されぬように踏ん張っているつもりでも、いつの間にか、誰かの価値観を着せられていたりする。でも、だからこそ、気づいたときに問いかけてみたい。この生き方は、本当に自分の選んだ道だろうか。心の中に、たった一つでも「本気の願い」があれば、流れの中でも、...流されていく人々を観ながら
「常識人」とは、社会的なルールやマナー、倫理観をわきまえていて、周囲との調和を保ちながら行動できる人のことを指します。具体的には:空気を読んで適切にふるまえる非常識な言動を慎む公共の場で他人に配慮できる社会のルールを理解している状況に応じた判断ができるいわば、社会の潤滑油のような存在とも言えます。ただし、常識とは何か?ここがポイントで、「常識」自体が時代や文化、地域、人間関係によって変わるという不安定なものです。たとえば:日本では「黙って空気を読む」ことが常識でも、海外では「思ったことをはっきり言う」方が常識とされることもあります。つまり、常識人とは「普遍的な知識を持つ人」ではなく、自分が置かれた場所の“空気”を理解して動ける人とも言えます。哲学的に言えば…常識人とは「自分の自由と他人の自由の境界を意識で...常識人
「自分のことしか考えない人」についてですね。そのような人と関わる中で、寂しさや、もどかしさを感じたり「なぜ自分ばかり」と不公平感を抱いたり時には、振り回されて疲れてしまったりすることがあるかもしれません。なぜ、その人が自分のことばかり考えてしまうように見えるのか、いくつかの可能性が考えられます(もちろん、これが全てではありませんし、決めつけることはできません)。共感性の欠如・想像力の限界:他の人がどう感じているか、自分の言動がどう影響するかを想像するのが苦手なのかもしれません。過去の経験:満たされなかった経験や、常に自分のことを優先しないと生きてこられなかった環境などが影響している可能性もあります。不安や恐れ:自分のことで精一杯で、他者を気遣う余裕がない状態なのかもしれません。自己防衛的な心理が働いている...自分のことしか考えない人
雨上がりの午後、風に煽られてページがめくれるような音に導かれて、私はその喫茶店に入った。記憶を消すと噂の、半信半疑のその店へ。「いらっしゃい」マスターの声は、まるで昔好きだったラジオ番組のナレーションのようだった。私はカウンターに腰かけると、言葉を選ぶようにして、こう尋ねた。「“時より思い出す別れ”にも、効きますか?」マスターは少し微笑んで、棚から一冊の古い帳面を取り出した。「それは…“霧のマキアート”ですな」かつて、彼と別れた春の朝。駅のホームで交わした最後の視線。小さな嘘も、大きな愛情も、すべてが溶けて消えそうで消えない、あの瞬間。そのすべてを、私はマキアートに沈めた。「飲み終えると、記憶は霧になります。晴れることはありませんが、迷うこともなくなります」一口飲むと、ほのかな苦みとやわらかな甘さ。まるで...霧のマキアート
街の灯り滲んで消えて足音だけが夜に響いた冷めかけのコーヒー抱えて君を想う眠れぬまま真夜中のささやきが時間を漂う静けさに包まれてやさしく揺れるこのまま動かずに記憶の中で君の笑顔だけそっと浮かべたページめくる指のかすれ止まったままの世界の中で曇る窓と揺れるキャンドル灯りが語る心の奥真夜中のささやきが時間を漂う静けさに包まれてやさしく揺れるこのまま動かずに記憶の中で君の笑顔だけそっと浮かべた言葉はいらない星が知ってる沈黙のなかで愛が芽吹いたWhispersatMidnight(夜の静けさと小さな希望)
気づけばまた、一日が終わっていた。何をしたのか、思い出そうとしても具体的な何かは出てこない。確実に疲れているのに、何かを「成し遂げた」感覚はゼロ。なのに、そんな日々に自分が慣れてしまっているのが、もっと怖い。朝、意味もなくスマホを眺めて、気づいたら昼。PCを開いたはいいが、タブだけが増えて、何ひとつ閉じられないまま時間が溶ける。動画のサムネイルをじっと見つめながら、「次は何で時間を潰そう」と考えている自分に気づく。もはやこれは技術だ。“無為に時間を消費する技術”。生産性という言葉が、どんどん自分から遠ざかっていく。だけどこの“虚無の過ごし方”にも、だんだんと居心地の良さを覚えてしまう。刺激がない分、安心できる。疲れるけれど、安全圏。やるべきことが怖いから、やらなくていいことに逃げ込む。繰り返すたびに、麻痺...おかしなスキル
君に捧げるバラードBaby君はいつも変わらずあの人の影を追い続ける手を差しのべたら届くのに自分のことさえも見ようとしないBabyすべてを捨て去るなんて私にはそんなことできないあの人のすべてが欲しいならその命かけて尽くしてみればいいAh君のことをわかってる誰よりも君のことをAhどんなときでも傍にいる愛し続けるからBabyもしも君が気付いたとき私の姿はそこにはなくて君の愛しいあの人が涙流しながら弔ってくれるだろうAh君のことをわかってる誰よりも君のことをAhどんなときでも傍にいる愛し続けるからAhその命が続くまで生きていく限りは君に捧げるバラード
「岬めぐり」の優しいメロディーに耳を澄ませば、心がふわりと軽くなるようですね。まるで、穏やかな海辺を歩いているみたい。潮風が、あなたの髪をそっと揺らして、キラキラ光る波が、足元でささやいている。遠い日の思い出や、大切な景色が、音楽と一緒に、心の中をめぐっていく。少しだけ切なくて、でも、とても温かい気持ち。慌ただしい毎日から、少しだけ離れて、この優しい時間に、心を遊ばせてみませんか。音楽が、あなたの心を柔らかく包み込み、そっと、微笑みがこぼれますように。素敵なひとときになりますように。岬めぐり4K/山本コウタローとウイークエンド岬めぐり
まだ月が空に迷っている頃路地の片隅ひとつの影が動き出す黒猫バロン伯爵その名を持つ者は誰にも気づかれぬように誰より世界を感じていた錆びた自転車の向こう枯葉がひとつ静かに舞い上がる踏みしめる足音はなくただ、風がついてくるだけこの道を何度歩いたかそれを知っているのはまだ眠る街と彼だけだそして今日も、何かが始まるバロンは知っている夜明けとは「光が来る時」ではなく「命が歩き出す瞬間」だと──『夜明けの足音』
そうですね、心の中にそっと灯る、懐かしくて温かい光のような思い出ですね。あの日の空の色、頬を撫でた優しい風、交わした言葉の響き。キラキラと輝いていた時間は、まるで宝物のよう。今は少し、胸がきゅっとなるかもしれないけれど、その温もりは、決して消えません。あなたの心の中で、大切に、大切に、輝き続けているのです。大丈夫。その優しい気持ちを抱きしめていれば、また新しい、心ときめく風が吹いてきます。思い出は力になります。そして、あなたの笑顔は、何よりも美しい光を放つのです。さあ、ゆっくりと深呼吸して。あなたの周りには、見えないけれど、たくさんの優しさが溢れていますよ。きっと、素敵な明日が待っています。にっこり、笑ってみませんか?あの素晴らしい愛をもう一度
バスが通り過ぎたあとの風だけを歩道のガードレールがしずかに覚えていたその時君がコンビニの袋とペットボトルのお茶と昼下がりの不安を片手に持って立っていた「この街ってどうしてバスの音が大きいんですかね」そう言って笑ったきみはたぶんぼくより先に目が覚めていた信号が青になるまで鳥の鳴き声と見知らぬ時間が僕たちをつないでいたけれど赤に変わる前にきみは「じゃあまたどこかで」なんてふつうの声でふつうの未来を言っただから僕はまだバスが通り過ぎた風のにおいの中で少し眠っているバスが通り過ぎた午後には
人から当てにされない事である。人を当てにしているとそのうち当てにされない事となる。「空」とは嘘の世界ではない。空しさとは
もともと魚だった人間はそのうち足が生えてきたことであまり泳げなくなっただから水が嫌いになった雨の日の記憶は大体暗いものが多いでもよく考えたら雨の記憶はいつも繊細で静かなものが多い池の水面を踊るあめんぼうイヤホンから流れてくる音楽に合わせて泳いでいるように見える心地よいけれどイヤホン外して聴こえる雨音の方がその踊りとシンクロしているように見えるのは人の水の記憶のせいなのかもしれないあめんぼう
毎日必ず一回はやってくる人との出会いたとえば君と出かける時君に何かを伝える物語が起きる「ほらね、優しいでしょみんな」とか「ほら、叫んでるでしょみんな」とか。いろんな人の赤裸々な思いが伝わるような出来事が起きるそれはすべて、頑張る君を励ますストーリー、心を広く持てばどんなことさえ、その謎が解けてくるでしょう。ワンストーリー
練習の成果を発揮する舞台を設定しよう。圧倒的な力をみなさんにお見せしましょう。並みじゃない事の一つや二つあるでしょう。100メートルを7秒で走ったら世界一だし、200キロのボールを投げたらキャッチャーもとれないし、そんなだったらまず捕獲されていろんな実験されるので、爪を隠してきたけれどね~我慢するのも疲れたのでほんの少しだけ披露しましょうよ、ねえ、そこのあなた・・・。実践
人に言われて気づくことではないけれど拾うものと捨てるものを間違えてはいけない拾うのはゴミとか人の心とかだが捨てるのはプライドとかである誰かが有名になってそのまねをしても功徳はない人には分があるので捨てないと拾えないものであるだから拾いもしないが捨てもしないのが一番自分の為には楽な人生になる現代ではまさにそういう人が多いから当たり前の事が凄いことになっているのである。落ちている100円を拾う時にポケットから零れ落ちる500円に気づかないようなものである拾うのではなく捨てるもの
差し伸べていた手をゆっくりと放すことが成長へのおおきなステップです。私の場合は極端で手を振りほどくことの方が多いのですが、いつまでも補助輪付きの自転車ではスピードも出ないし、遠くへも行けません。子供が独り歩きできるようになると、寂しさもあるでしょうが、その背中のたくましさに感動して納得することが大事なのだといつも思います。一人歩き
すべての物語はおはようからはじまる月曜の朝は特に大事で「おはよう」と口にすると自分の中で何かが始まる準備をするものである。相手は花でもいい、できれば返事が返ってこない方がいい、相手の気持ちを考えなくていいから。私の場合、額に入れて机に置いた絵に「おはよう」そこから、また新しいページがはじまる。おはようから始まる
自然の中でもそうであるように危険なものほど美しい見とれるほどの絶景は常に明と暗の背中合わせであり人も美しいものほど危険な刃を隠し持っているものである危険なほど美しい
躊躇している暇はないどこにも余裕などない学べそれしか恐怖に打ち勝つ道はないのだから学べ
泣き止んだ子供を送り出すように生きていくのは一時しのぎとはいえ、ほっとする瞬間である。気が付けば体のどこかに傷を負い、それも手当てする暇もなく次の課題が待っている。満身創痍が何年も続けばなかなか笑ってはいられない。だが、まだやることはたくさんある。自分に課した課題は途中で投げ出さないから、今がある。さあ、ひとつづつクリアしていこう。いつかは竜宮城へいけることだろうから。ひとつづつ
今年は猫がやたらと庭に遊びに来る。「これ、避難しに来るんじゃね~」と言うくらい集まったと思うと必ず大きな地震が来る。たまたまではないと思えるのは猫のみならず、蛇とか蜂とかも集まる。今年の女王バチ捕獲は異常である。毎日2、3匹は獲れる。納屋が壊れそうなので避難してきた動物の為に直そうと決めることにした。まあ、動物が避難してくるという事は我が家の庭は安全という事であろう。すべて想定内という生き方を目指して生きていきたいものです。猫の集会
昔、駒沢の246沿いにあったコーヒー専門店。今もあるのか知らないけれど、そこのブレンドコーヒーは美味しかった。その香りがたまらなくてその店でしばらくバイトもした。懐かしさがこみ上げるけれど、その店を探すことも行くこともしなかったのはどうしてだろうと思う。あれから何十年もいろいろ変わっていったことだろう。ましてや、自分の味覚も怪しいものだ。だから、美味しい珈琲の店として自分の中のナンバリングにとどめておくことが大事なことであろう。美味しい珈琲
好き放題に生きて他人を傷つけていた事も知らないうちに助けられていた事も私の為に身代わりになってくれた事も気づく時が遅すぎないようにあたりまえを無くして生きていく事慣れるならそっちのほうにして歩こうか今日から
そんなストーリーもある。哀しいことも楽しい事の中にも、せめて最後は・・・何でもない幸せはいきなり人生の波にさらわれる事もある。まさか、とか、そんな、とか非常や無常は諸行の中にある。だから、いつも慎重に生きなければならない。後悔だけは暫く胸を焦がし続けるから。せめて最後は
蕾の時、どれほど心待ちにしていたことだろう咲き始めの時、春の訪れに心が踊り満開の時、みんなとの別れが始まりそしてまた花びら舞い散る時新しい人生に夢を乗せる風が浚う様に雨が促すように舞い散る花びら
結局開き直れば元の木阿弥。数年の努力も水の泡。数十年の努力は重荷に変わる。なぜか、捨てれない弱さがそこにあるからです。最近の馬の中には念仏を聴く馬もいるそうで、古の諺さえ通用しない世の中になりました。知ったかぶりなど何の意味もなく、人から嫌われるだけの事であります。意味のない行
遠くに見えるオアシスはどこまで行っても着くことはない。なぜなら、自分の作る幻影でしかないから。もしも、そこにつくことができたら一瞬の克服感、達成感、があり、次の瞬間またすぐ絶望が始まる。人生はその繰り返しであるならば、オアシスはいつも遠くにおいて、そこを目指す喜びを感じなさい。そうすれば、日々、頑張って生きられる。そこにある喜び
魔法使いが降りてきて「どうだい、金が欲しくないかい」と囁いてきた。「欲しい欲しいください」とみんな口を揃えた。「そうかい、じゃあその代わり私に何をくれるかい?」と魔法使いは答えた。「私の持っている金と命以外なら何でもあげます」とお願いした。「そうかい、わかったよ、では・・」と言ってこの世界は変わった。さて、どこの国の何の交換話しでしょうかね~。裕福さと貧しさと
小さなアリからすれば人間が走るだけで周りは大地震である。そこでアリは言う「どうして最近、地震が多いのか?」巣穴もどんどん壊れていく。それとおんなじ事で規模が違うだけじゃないかと思えば、恐怖よりも心構えが先に立つ。自然の摂理に予想はつくものではない。まだまだ、わからない事の方が多い世の中なのだから。心配よりも強い心は地震だけの話でもない。大地を蹴る
負けないめげない振り向かない泣かない叫ばない裏切らない現代の教えの中に何一つ存在しない要素のような気がする尊きもの