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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 山スキーヤーたるもの・東吾妻山

    プラ靴のコバを締め具に合わせてカチリと押すと靴は装着される。あとは流れ止めを巻くだけになる。ゲレンデスキーでもないのでステップインの締め具ではない。これで板は自らが外さない以外はまず外れない。しかし転んでも踵が固定されていないので足が捻じれる事もなく大事に至らない。つま先から母指球までが板に固定され、踵は常時解放されているというテレマークスキーは至って単純な構造だ。 歩くときはスキーの裏に滑り止めを貼る。シールと呼ばれるナイロン生地は巡目には抵抗なく逆目には毛が立つ。これを利用して斜面を登る。昔はアザラシの皮、そしてモヘアを使ったのでスキンとも呼ばれる。シールを貼れば体感では直登は斜度二十度を…

  • 僕だって入りたい・・

    ここの所すこしばかり断捨離で物を捨てる作業をしていたので妻も自分も疲れ気味だった。これからシャワーを浴びるのもなにか味気ない。すこし芯から休めないか、そう話して今日は銭湯の日にした。 行きつけの銭湯は数カ所あり、基本的にはそれをぐるぐる回っている。今日は最も小さくて家庭的な湯を選んだ。番台は時間替わりで男性と女性に入れ替わる。自分達よりは十歳は年上だろう。たいてい女性の番台さんにあたる。 彼女は犬好きで風呂から出て家内を待つ間、僕はいつも彼女と立ち話をしている。なぜ犬好きと知ったかと言えば、我が家の犬が車の中で吠えている事をいつも気にかけくれているからだった。 「ほら、ワンちゃん吠えているわよ…

  • 魔法の調味料

    パスタは美味しい。初めて食べたのは何時だろう。母親が作っていたものが最初だろう。それはフニャフニャの麺をケチャップで炒めたようなものだった。大学の学生食堂ではミートソースのスパゲティがあった。挽肉のソースが美味しかった。がこれまた柔らかな麺だった。が250円という値段は魅力的だった。それは「スパミ」と略して呼ばれ多くの学生から人気があった。食べ終わると口の周りが赤茶になるので女子学生を前にする時は無意識で手で口を拭っていた。 初めてそれらしいパスタを食べたのは渋谷だった。壁の穴という名前のレストランだったろうか。それはソフト麵にミートソースをかけたものではなくもっと手が込んでいた。とても美味し…

  • ちいさな祈り

    車に乗りオーディオを鳴らした。メモリーカードにはジャンル分けした好きな曲が入っている。その時はソウルミュージックのフォルダだった。アレサ・フランクリンが熱唱している。彼女の歌声は自分にある風景を思い出させてくれた。 カトリックの友人と教会に行った。彼女は壁にかかったイエスの像を前に膝まずき十字を切っていた。それは自然な所作だった。ステンドグラスから光が漏れて床にいくつもの彩を作っていた。ひんやりとした空間で、厳かだった。自分は何をしたらよいか分からなかった。何のお祈りをしているのかなどは分からない。ただ祈れる相手がいて祈ることがあるという事が素晴らしいと思った。 アレサの歌っている内容を知りた…

  • 万引き

    何故そんな気持ちになったのか分からない。もう大学生活もひと月を残すだけになっていた。別れがたい仲間たちもみなそれぞれに就職が決まり新しい世界へ行くことが決まっていた。故郷に帰る友もいれば東京で働く事を選んだ友もいた。それぞれだった。 世田谷は下北沢が自分達の根城だった。友人のアパートがあり自分はずっと入り浸っていた。渋谷は学校のある街で、青山通りを渋谷駅に向かいセンター街の飲み屋に行くことが多かった。その日も渋谷で飲んで、下北沢まで戻ってまた飲んだ。そこで解散となったが三人残った。自分はもう一人の友とともに友人のアパートに行くことにしていた。狭い路地を三人で千鳥足だった。彼のアパートの手前にコ…

  • 目の毒

    都内の街角で見かけてしまった。思わず足を止めて見とれた。バイク乗りを辞めて15年以上経つ。しかし今でも密かに心の中におき火が残っている。それは時々燃える。 自分がバイクに熱心に乗っていたのは1980年代から2000年あたりまでだった。当時のバイクにはレーサーレプリカもあればDOHC四気筒のスポーツ車もあった。自分が選んだのは当初はSOHC二気筒という使いやすい商用車のエンジンを載せたアメリカンバイクだった。本当は一気筒エンジンのオフロードバイクに乗りたかったのだが、脚が短いので諦めてしまった。あまり好きでなかったバイクはやはり手放す。そしてとうとう200㏄のオフロード車に乗り換えた。赤のホンダ…

  • 変わりゆく街

    駅前に降りたのは四年振りだった。コロナになる前、ライブ直前のつめでこの街の音楽スタジオに頻繁に通っていた。ライブまで数週間に迫った頃、中国から端を発したウィルスは未曽有のものとなり、世の中は停止した。バンドのアンサンブルは完成していたがライブハウスはキャンセルした。そして堰を切ったように自分には激動が待っていた。早期退職、新たな職場、ガン罹患。再度退職。自分の全ては白紙になり癌治療でつるつる禿げげ頭になった。 久しぶりに降りた駅前には工事のシートが張られそこに重機が数台動いていた。どんなビルが建っていたのかも思い出せないのだが場所柄お洒落なカフェも入っていたのだろうか。路地裏に入り込みスタジオ…

  • 尾翼のマーク

    飛行機が好きだ。第二次世界大戦で使われた飛行機が特に好きだ。また小学生の頃はそんな好奇心を満たしてくれる書籍も多かった。日本海軍エース坂井三郎空戦記に始まり、本土防空戦、そしてバトル・オブ・ブリテンからドイツ本土防空戦、さらに数年前に友から借りたフィンランド空軍記まで。一体何冊の本を手にしたのだろう。そしてそんな軍用機のプラモデル作りは小学生から学生時代に熱中したがいまでも開封待ちのキットがある。 もちろん現代の軍用機も魅力ある。少し古いがベトナム戦争でのファントムとミグの空戦記録やヘリコプターを本格的に使ったヘリボーン作戦も胸が弾む。映画トップ・ガンマーヴェリックも手に汗握った。戦争というそ…

  • 好奇心と探究心

    玄関に停まっている車を見て色々な方が反応する。宅配便のドライバー氏。訪問診療の医師、様々だ。だれもが「いいですね」と言い、続いて「納期はどうでしたか?」と聞いてくる。車など多くの人にとっては移動手動に過ぎないがそこに様々な方向性を持つ趣味が加わると「好きな人にはたまらない」という車が出てくる。スポーティなクーペや豪華なミニバン、クラシックな車など嗜好は様々だ。 車の免許を持つ前から興味はブレずに変わらない。ウィリスジープ、初代ビッグホーン、ランクル40、ランクル70、ダイハツラガー、そして古いレンジローバー…。こう憧れた車を書き続けると自分の好きな車種が浮かび上がる。箱。頑丈。無骨。質素。泥。…

  • 借り物と自分の物

    世界最高峰のオーケストラがウィーン・フィルとベルリン・フィルであることは周目の意見が一致するところだろう。カラヤン、ベーム、バーンスタインからアバド、オザワ。そしてムーティ、メータ、今ではラトル、ティーレマンときら星のような指揮者が並ぶ。彼らのお陰で輝いたのか、あるいはオケがすごいのでマエストロたちが集まったのかはわからない。多分相互作用だろう。 自分の所有する録音はウィーン・フィルが多い。蒼古というべきか伝統的と言うべきか、あの響きを求めるとそうなってしまった。ムジークフェラインザールで響く彼らの音はさように魅力的だ。 トップオーケストラの団員の楽器はやはり数億円もするような高価なのだろう、…

  • 代名詞禁止法

    ねぇ、あれとって。そこにあるでしょ。これ見て、これ。あの事だけどさ・・。 そんな会話が続くと何故か苛立たしくなるのは脳腫瘍を摘出するための外科手術の影響でなにかの「緒」が切れたからなのだろうか?頭を開き病巣を取り出しホチキスで縫合してからは、まるで思考回路がショートしたかのように持ち前の短気さに拍車がかかった。とばっちりを受けたのは生活を共にする家内だった。 あれって何?これって?そこって何処?あの事って何の事? 少し考えれば、一握りの想像力を働かせれば済む話なのに頭には幾つもの?が湧く。実はあれこれそれが概ね分かっていることもあるが、最初からきちんと系統立てて話してほしいのでそう言ってしまう…

  • 桜の夜

    桜の花びらが舞っている。夜風が冷たい、それが花びらをこの時期まで枝にとどまらせたのだろう。やや強い風に枝からはらはらと離れて気まぐれな空気の中を泳いでいた。 三十三年前の今日。ちょうどこの時間帯に自分達は六本木のトラットリアに居た。気取らぬ店だった。学生時代の友人が二人で仕切ってくれた。男の友人はそれがプレッシャーだったのか、何度かトイレに行っていたという。女性の友人は笑顔でそつがなかった。それは自分達二人がごく近しい人たちだけを呼んだ小さなパーティだった。 どんな料理が出たのかも、立食だったのかも覚えていない。ただ女性の友人が伝手を使いその店を貸し切りにしてすべてをアレンジしてくれた事、そし…

  • 角刈り禁止

    千円を機械にいれるとカードが出てくる。それを手にして待合の長椅子に座る。先客三名か。今日は二人体制だな、少し待つな、と足を組んだ。見慣れた風景だが壁の但し書きに目が行った。 「当店では角刈りとそれに相当する髪型のカットは受け付けておりません」と。 なぜか笑ってしまった。金を払うのだから注文通りやってくれ、といった野暮な話ではない。角刈りと言う言葉を少し懐かしく思い出したからだった。 角刈りにサングラス。するとショットガンが欲しくなる。角刈りにドスとなると腹に白いサラシを巻いてほしい。渡哲也に菅原文太、高倉健。そんな往年のスターが思い出された。スクリーンから男気が匂い出てくる俳優さんだった。 頭…

  • フリーになって欲しいこと

    バリアフリーは随分と一般化してきた。自分がもし家を建てるのならバリアフリーにするだろう。つまらない事でも高齢者は足が引っかかる。カーペット一枚の有無が転倒リスクを左右する。ましてや部屋と部屋の間の扉周りの建具で段差があるとやはり危ない。それは高齢者が住む家なら誰もが直面する話だ。階段や玄関のステップは初めから段差ありきなので手摺がつく事もあるし歩く方も心して歩くだろう。そんなことで障害を避けるような工夫が家やショッピングセンター、駅などでは進んでいる。 もう一つ、進んで欲しいなと思う事がある。それはレストランやカフェ、宿泊施設などでの犬連れの話だ。宿泊施設など犬宿泊OKという宿が増えてきた。が…

  • 折れたうどん

    香川県生まれの自分がうどんに求めるものは二つ。強いコシの麺と金色に光るイリコ出汁だ。冷たく戴くときは余りこだわりが無い。物心ついたころには香川のうどんは暖かいものばかりだったから。 コシは大切に思う。関東のうどんを目にしたときに真っ黒い汁に驚き口にしたときの歯ごたえの無い麺にはさらに驚いた。その意味で数年前に知った武蔵野うどんは気に入った。見ようによっては赤みを帯びた麺は歯ごたえがあり小麦の香りも野趣あふれる。これは暖かい肉つけ汁で頂く。 自宅でうどんを作るとなるとイリコダシは粉末も手に入るが、あの麺は遠い世界だ。尤も、ものの本によると小麦粉と水と塩があれば、あとはこねて足踏みするとある。興味…

  • 雨のち晴れ、そして雨

    車で西に向かっていた。自分はその地にある建物に品物をいくつか届けようとしていた。しかし前日の天気予報では中部地方から東海地方にかけて雨予報で所により強い雨とあった。普段より時間がかかるなと覚悟して早めに家を出た。西には強い雨の予報があり、それは東へ移動してくる。その中を自分は東から西へ行こうとしている。 敢えて火中の栗を拾いに行くようなものだな、と考えながらハンドルを握っているとすぐに雨が降ってきた。気圧の谷へ向かっているのだからその通りだった。のどのような谷筋の道に入ると雨は激しくなり霧も多かった。霧の中に先行者のテールライトが滲んで危険だった。自分はフォグランプを点けた。誰もが慎重に走って…

  • 性に合わぬこと

    「三万すった」、そう友はタバコを手に諦め顔で戻ってきた。軍艦マーチが店外に流れだしていた。僕はその向かいのハンバーガー店で時間をつぶしていたのだろうか。彼に一度だけ付き合って店の中に入ったことがある。千円札を自販機に入れると手にした皿に数センチの銀玉が出てきた。ジャラジャラとそれを機械のトレイに流し入れた。手のひらでグリップを握りを右に回すと球が弾けだされてきた。ピンやチューリップの羽にあたりながらそれは下まで落ちて吸い込まれた。勇壮な音に反して玉は数十秒で無くなった。俺には無理だな、と思い店外に出た。 父親が世を去り半年以上経過した。様々な手続きがあった。父には僅かながらの残したものがあった…

  • 信じる事に決めた・福之記13

    抗癌剤の治療が決まった時、自分は家内に犬用のバリカンを持ってきてもらった。病院の浴室で鏡を見ながら自分の頭を丸刈りにした。薬で毛が抜けるのなら自ら短くしようと。さっぱりした。が、毛根はなかなかしたたかで、意外にも抗癌剤に耐えた。しかしその後の脳への放射線治療は強力で、全ての髪の毛は無くなった。 その後多少は髪の毛は伸びたが、大砲の弾丸の様な髪形を維持している。寝ぐせもつかずドライヤーも不要。直射日光の暑さと冬の寒気は帽子で防ぐ。それ以外は全く気楽なのだった。自分で出来るだけバリカンを掛ければよい、と決めていたがどうしても後頭部はうまくいかない。ハゲのくせに生えているところはしっかり伸びる。一カ…

  • 雲間の菩薩 

    樹林帯を抜け出すと灌木帯だ。随分と手を焼かせてくれた。崩れやすい尾根道を注意して進む。足場の目安を立て露岩に手をかけて体を上げた。それ以上高い場所はここにはなかった。朝から曇っていたが薄くなった空気の狭間がゆっくりと解けた。いったん緩むと呆気なく、その網目からこぼれる光が足元に転がった小さな標識を浮かび上がらせた。かつては柱に括り付けられてたであろう木の札は風で飛ばされたのか、塗料も禿げそこに書かれた山の名前も明瞭ではなかった。しかしよく見るとそこには先輩のペンネームが記されていた。辛うじて判読できた。 縞田武弥はそれを見てああようやくここまで来ることが出来たか、とザックを下ろし呟いた。背中か…

  • 図書の旅39  約束の国への長い旅

    ●約束の国への長い旅 篠輝久著 リブリオ出版 1988年 一本のレールが続いていた。それは壁に向かっていた。壁にただ一つある門を抜けると広大な敷地だった。そこにはレンガで作ったマッチ箱のような建物がいくつも整然と並んでいる。その箱はすぐにも倒壊しそうに思えた。中に入ると陰鬱だった。この地は北緯50度はある。冬でもないのに凍てついた。 ユダヤ人を初めてそれと認識したのは三十歳代だった。マンハッタンの街頭だった。黒い帽子、黒いスーツに伸ばしたヒゲ。何から何まで黒尽くめでとても分かりやすい姿だった。自分はイスラエルとパレスチナの問題をしっかり理解していない。知っていることは戦後にユダヤ人が彼の地に建…

  • 栄光は君に輝く

    東北新幹線はなかなか列車種別が多く県庁所在地駅も通らないものもある。「はやぶさ」を選ぶと東京からは大宮だけに停まりその先は仙台までノンストップになる。栃木の県庁所在地・宇都宮も、福島の交通要所・郡山も、県庁所在地の福島にも停まらない。時速300キロを超えて走るのだから風景はたちどころに流れていく。東北新幹線は青森に向かって左側の窓際に座るのが好きだ。山の眺めを堪能できる。下り列車だと朝日を浴びて、上り列車だと残照を背に山が浮かび上がる。日光白根山・男体山・女峰山、福島に入っては安達太良山、盛岡を過ぎると岩手山と、既知未知の山々があっという間に右から左へ去っていく。福島駅を通過する手前で僕はいつ…

  • フキ三昧

    子供の頃、原っぱにたくさん咲いていた名も無い花を姉は無心に摘んでいた。それは小さな花束になり持ち帰ると母は「マーガレットね」と言うのだった。姉の嬉しそうな顔と花を摘む後ろ姿はよく覚えている。眼の前の路傍の草の前にしゃがんでプチプチと音を立てている妻の姿を見てそんなことを思い出した。 妻は目ざとくフキを見つける。流石にフキの芽はもう無くなり花も終わりかけている。大きすぎる花は天麩羅には不向きに思える。そこで今朝は芽や花ではなく茎を摘んだ。 すぐにそれは花束のようになった。茎を煮物にするのは美味しい。野生の茎はスーパーで見かけるような立派なものではなくその径は1センチに届かない。しかしそれでも十分…

  • 桜並木の見沼用水

    埼玉県の見沼公園あたりの風景を知ったのは誰かのブログだったろうか。いや、ランドナーというキーワードで検索したWEBサイトだったかもしれない。ランドナーとは今流行りのカーボンやアルミのロードバイクではなく、鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのついたクラシックなデザインの自転車を指す。早く走る為の自転車ではなくゆっくりと旅をする自転車だ。そんな自転車の愛好会の会合が見沼の公園で開催されていたことを思い出したのだった。見沼の地は埼玉県大宮市、いや、今はさいたま市は大宮の東側にあるという認識だった。 東大宮に住む知人の家に行く所用があり折角行くのだから自転車で行ってみようと思った。自分の街からは片道70…

  • 羽やすめ

    次回のバンドのリハーサルに向けてベースギターの練習をしていた。新しい曲の音をようやく拾えた。まずは曲を流して全体像を掴みたい。リズム楽器はノリが大切で音源を流しながら体で拍子をとって弾いていた。曲の途中で止めると体の中のグルーブ感が止まってしまうのでそれは嫌だった。 窓の外を見ながら弾いていると数軒隣の地デジアンテナに目が行った。アマチュア無線をやっているので人様のアンテナは気になる。目が留まったのはそこに二羽の鳥が止まっていたからだった。練習を止めたくは無いが、僕は鳥をじっくりと観察しようと思った。 四月になったのにここ数日雨が続いていた。つられて気温も寒かった。今朝早くにそれはようやく止ん…

  • 薄いコーヒー

    ♪冷えだした手のひらで包んでる紙コップはドーナツ屋の薄いコーヒー ほっと一息は良いものだった。僕には陶器のカップに入った目の前のそれは歌の様には薄くは感じられなかった。 駅前のドーナツ屋は店舗統廃合だろうか、一度廃業し違うテナントが入っていた。しかしいつの間にか同じ場所で少し大きな店舗として再開店していた。 妻と知り合うきっかけはそんなドーナツ屋だった。会社の近くの交差点で、とても一人では食べられないような長い箱に入ったドーナツの袋を下げている女性が目に止まった。同じ会社の同期入社だった。小柄な彼女には不似合いに大きなドーナツ袋。見られちゃったというような笑顔は、話しかけてみようという気持ちを…

  • 歯磨き・福之記12

    ドリフの「八時だよ全員集合」が大好きだった。番組の最後では出演者一同がステージに並び「いい湯だな」を歌うが、そこで一番人気のカトチャンがこう言う。「歯みがけよ」と。しかし歯磨きは好きではなかった。痛いし面倒くさかった。色気づき口臭が気になる頃、お好み焼きの青のりが気になる頃、それは高校か大学の頃だったが、丁寧な歯磨きはその頃にようやく定着した。今も面倒くさがり屋だが、歯間ブラシや糸ようじで歯の隙間を綺麗にし歯ぐきから出血すると嬉しくなる。ガン病棟ではしかし歯ぐきから血が出るほど力を入れて歯磨きせぬようにと言われた。抗癌剤で白血球が大幅に低下しており雑菌感染を懸念してだった。 親の入れ歯を見た時…

  • 捻じれたチェーン

    油まみれの指先を見て思い出した。香川で自転車屋をやっていた祖父の指だった。子供の頃毎夏遊びに行くといつも祖父はパンクを直しチェーンに油を指していた。その彼の指先は真っ黒で石鹸で洗ってもとれていない。もはや地肌の色と化していた。黒い手指に笑顔で遠来の孫を歓迎してくれていた。 ロードバイクのブレーキがキュウキュウと異音を立てていた。雨上がりだから気にしなかったが晴天でも鳴る。交換時期だった。ブレーキはゴム素材だから柔らかいとも思うが、そのまま使っていると金属のリムが壊れる事もある。それは避けたい。金属の船にゴムのシューが嵌っている古いタイプのブレーキパッドは今はネットでも入手が難しく一体成型品が多…

  • 親指サイズ

    娘から妻にラインが来た。「円形脱毛症になった」と。それなら自分もなった、直ぐに治るよ、と話したが「相変わらずね。あなた私の円形脱毛症を見つけて指摘したでしょ、結婚前の話よ」と妻は続けたのだった。 すっかりそんな出来事は忘れていた。まだ二十代前半だったのだからか、あるいは交際相手が無遠慮に指摘したからか、確かに彼女は傷ついたのかもしれなかった。 自分の円形脱毛症は明らかにストレス起因だった。三十代の頃、勤務していた会社の事業部はグループ会社との間で事業合併が行われ、外部からの社員が混ざるようになった。異文化交流とは日本人が昔から苦手としていた分野ではないか、まさにそれだった。上司はそんな外部から…

  • ザノースフェイスのマウンテンパーカー

    自分がアウトドア趣味に目覚めた1980年代とは少し混沌としていたな、と思う。国内外の文化が混じっていた。アウトドアのファッションとしての話だ。 ハイキングや山登りは昭和30年代から流行り始めたようで当時は英国スタイルなのかツイードのジャケットを着て登っていたようだ。だが1980年代の登山の格好はさすがにツイードジャケット姿は見なかった。がチェックのウールシャツに霜降りのニッカボッカは高尾駅や奥多摩駅、秦野駅・伊勢原駅あたりでよく見かけた。ザックは蟹の様な頭陀袋であるキスリングが辛うじて残っていたが直ぐにそれは消えて行った。 そんな時期にアメリカ文化が入って来たのだろう。フレームザック、バンダナ…

  • 腹帯

    友人の娘さんが妊娠されたという。結婚後三年目と言う話だった。その娘さんは母である友には妊娠三カ月でそれを告げたそうだがしばらくは口外しないようにと言われたという。安定期に入り旦那さんからそれを夫の実家に伝えたそうだ。 腹帯などは今も使うのかなぁと水を向けると彼女は続けた。「早速来たらしいのよ、娘の旦那の実家から腹帯が。今時はそんな時代でもないのにねぇ」と。想像がついた。その話を妻にしたら、私ももらったでしょ腹帯、お義母さんから、と言われた。今なら怒ってそれを母につき返していただろうが、あの頃は疑問に思わなかった。古い価値観に凝り固まっている母だからわかる。当たり前のことをしたのだろうと。 今も…

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