私は統合失調症の中核症状である、「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」という、相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。過去のトラウマや強いストレスがかかった時、私は「自分の主観のみによる世界の意味付け」に囚われる(とらわれる)。「それはつまりこう
私は統合失調症の中核症状である、「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」という、相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。過去のトラウマや強いストレスがかかった時、私は「自分の主観のみによる世界の意味付け」に囚われる(とらわれる)。「それはつまりこう
私の願い「The Last One(欲しいものすべて)」とは、「オリジナル(真の一体性)」の所有権を取り戻すこと、であった。この世界の始まりに戻ろう。「神の子のパロディー(代用品)」となった自我が、オリジナルの神の愛を奪おうとすること、その特別性(代用品)の分離(ぶんり)が、
「人は一人では生きていけない」にも拘わらず(かかわらず)、統合失調症者は無意識に「他者の主観を排除する」。これは他人の意見に耳を貸さないということであり、他者とコミュニケーションする際に致命的となる。「赦し」とは、私とは異なる他者の主観を排除するのではなく
私の価値観で世界を変えるのではなく、私の価値観を変えないといけない。
自らの価値観を羅針盤(らしんばん)にしてドーパミン分泌の意欲のままに進んでいけば、そのうちしかるべき目的地にたどり着くだろうというのが、「私の感覚がそうだと言っている」ものであった。答えはただ迷子(まいご)になるだけで、妄想の中で彷徨う(さまよう)だけであった
自我とは、自らと(みずからと)関係のある、罪のもつ特別性を信じた「神の子の代用品」に過ぎない。「特別性は麻薬だ.....自我は数千年をかけて、人類を特別性の中毒にしてしまった。」にほんブログ村
私の統合失調症の分かり易い症状は幻聴だが、周囲の人間が「また症状が出ているよ」と思う症状に、私が不機嫌モードになって怒っているというのがある。不安になったり動揺したり心配や恐れ(おそれ)を感じたり酷く疲れている、というのも症状である。なぜ症状が出たのか? 誰
【私の心の真実は白日の下(はくじつのもと)に暴かれる(あばかれる)】
忌まわしい(いまわしい)過去の記憶。見たくないもの、消し去りたいもの、それについて言及してはならない、「アンタッチャブル(絶対不可侵の心の領域)」なものとして心の奥底に封印して鍵をかけた。しかし心の中でその存在を否認(ひにん)された心の影(シャドウ)は、無意識に
神が創造したままのオリジナルの神の子。彼は神の完全なる寵愛(ちょうあい)を受けている。しかし神と共に天国に居たある時、オリジナルの神の子である私が、もし神から分離(ぶんり)できて、自分で思い通りの自分になるというアイデンティティーを持てたなら、物凄く特別な存
【神の子の代用品である自我は、神の愛の代用品である「特別性」を欲する】
「僕らは生まれた意味を持たないパロディー(自我)仲間。いや違うか....お前には役割(やくわり)があったんだっけ...オリジナルの神の子の、『代用品』っていうご立派な役割がさぁ!」オリジナルの神の子のパロディー(代用品)である自我は、神の愛の代用品である「特別性」を欲
私はずっと身体の病気で嫌な思いをしていて、病気の苦痛のことで、火山の噴火みたいに、定期的に癇癪(かんしゃく)を起こしたり、問題を起こしていた。しかし私は、私の心の一部である、その病気の記憶を受け入れることができないので、その記憶は否認(ひにん)され、私の心の
劣等感(コンプレックス)とは、プライドがあるからその存在を認めたくないもの、見たくないもの、身体の病気を嫌がっている「私の心の一部(part of me)」である。劣等感(コンプレックス)は過去に達成できなかった理想や、失敗の感覚、酷い目にあった苦痛などによって構成され
劣等感(コンプレックス)とは、嫌がっている私の心であり、プライドがあるからそれが自分だとは認めたくない「私の心の一部(part of me)」である。私の理想から外れている「私の心の一部(part of me)」は、「生まれた意味を持たない」ものとしてその存在を否認(ひにん)され、
心の中の劣等感(コンプレックス)の、絶対的根拠(ぜったいてきこんきょ)となっているのが、病気である。自分に目を向ければ、そこに必ず嫌がってるものがあるのだから、病気は劣等感(コンプレックス)を証(あかし)するものとなる。私はその劣等感(コンプレックス)を見たくない
私は形象(かたち)の見た目しか見ておらず、内容である心を無視している
私は過去について、頭の中で文句(クレーム)を言う雑念が日常である。私の文句(クレーム)はすべて、過去について、頭の中のスクリーンに想起(そうき)された、形象(かたち)にまつわる話である。頭の中のスクリーンに想起された過去の、形象(かたち)が醜い(みにくい)。思い出さ
もし外の世界に、本物の答え(こたえ)を探すなら、あなたのすることは際限(さいげん)のない、対症療法(たいしょうりょうほう)である。そのようにして見つけたと思った答えは不完全であることが、いずれ解る(わかる)。完璧な答えは、心の内側にある。もしあなたが、外の世界で
私の心の中の抽象的(ちゅうしょうてき)な罪悪感が、心の中のスクリーンに投影(とうえい)されて、私が嫌がっていた過去の具体的(ぐたいてき)な出来事として、想起(そうき)されて苦しめられている。投影が見えている世界を作り出す。外の世界の他者に罪を見ている限り、つまり
私はエネルギーの無駄遣いでしかない、心の雑念(ノイズ)を止めたい
私はよく心の中の独り言で遊ぶことがある。それは自我の「混沌(こんとん)の法則」が頭の中のスクリーンに雑念として投影(とうえい)されたものである。その雑念をひとりで面白がっているのだが、「内容は混沌とした無意味な繰り返し」である。だがその雑念の言葉をちゃんと聞
透明なガラスの心に傷が入ってしまった時に、「絶対に許さない」となるのが精神の病気である。過去に起こった出来事についての、一見筋が通っているようにみえる、自分の心の中の被害者意識的理屈(ロジック)に、隠れている異常性が、「病気」である。奈落(ならく)へと続く下
快適な気分やメンタルヘルスの健全性をもたらすのが「グッドエナジー」という概念
『GOOD ENERGY(グッドエナジー)セルフケアでつくる最強の「代謝力」』著者のケイシー・ミーンズはスタンフォード大学医学部を主席で卒業した女性医師です。ケイシーが言うには、現在の医療は薬物を投与したり手術をするという治療的介入を行うことで収入になり利
私は「人間の価値には順位(じゅんい)がある」という、人間をランク付けするという幻想を無意識に信じていた。私が日常の雑念で特定の人を心の中で馬鹿にして、精神を安定させようするのは、「人間の価値のランク付け」という幻想を信じているからです。詐欺に引っかかるのは
私が日常の雑念で考えることは「ミイラ取りがミイラになる」がごとく全て「私の一部(Part of me)」となる
私が無自覚(むじかく)に信じてしまっている、自我の混沌(こんとん)の法則に、「幻想(げんそう)には順位がある」というものがある。それは私の日常で、心に浮かぶ雑念(ざつねん)として、頭の中のスクリーンに投影(とうえい)されている。その正体は「人間の価値には序列(じょれ
投影(とうえい)は『グラデーション(段階的変化)』で発現(はつげん)する。心の最も深いところでの、無意識で完全に抽象的(ちゅうしょうてき)で形の無い、「罪悪感」か?「赦し(ゆるし)」か?の二者択一(にしゃたくいつ)の心の選択領域(せんたくりょういき)が、投影の起点(きて
心の中で光を選択する者は、この闇の世界で、光の地から来る者、すなわち「光をもたらす者」となる。
この世界に参加して干渉(かんしょう)するための門(ゲート)は、私たちの心である。通常は頭の中に浮かぶ言葉や感情が、意識的(いしきてき)な心の起点(きてん)となっている、と思われている。しかし実際はそれよりも更に深いところに心の起点がある。無意識で完全に抽象的(ちゅ
心の中での、抽象的な形の無い、光か?闇か?の二者択一の選択肢
この世界の起点(きてん)は過去から生じているのではなく、この世界に干渉(かんしょう)するための門(ゲート)の向こう側であるあなたの心が原因となって生じている。抽象的(ちゅうしょうてき)な形の無いあなたの心が投影(とうえい)されて、結果である具体的(ぐたいてき)な形あ
私には過去のトラウマがある。しかし、その苦痛の記憶は、私が頑な(かたくな)に執着(しゅうちゃく)している、歪んだ(ゆがんだ)解釈(かいしゃく)であり、真実ではない。私が過去について、その解釈を頑なに信じている限り、それは私の心の中の暗く重い「訂正不可能(ていせいふ
不快感がある時、他人のことを悪く考える傾向にある。彼の言動や振る舞いが、私の不快感の原因だという考えが、私の主観的(しゅかんてき)には正しいように思えてしまう。「なぜなら私の感覚がそうだと言っているからだ。」心の中の自我が語る言葉は私が無意識に信じている内
私には愛されなかった過去がある。心の古傷が疼く(うずく)時、私は承認欲求からインターネット上に書き込みをすることで、他者から「愛されること」で心の傷を修復しようとしていた。しかし他人から「愛をもらおうとする」この方法は、他力本願(たりきほんがん)であり、上手
心の中枢(ちゅうすう)にある映写機(えいしゃき)から、頭の中のスクリーンに向かって映像が投影(とうえい)されている。私が他者に罪があると信じれば、その罪が私の心の中枢の映写機のフィルムに宿り、頭の中のスクリーンに映像が投影されて、実際に他人に罪があるとしか見え
私には愛されなかった過去がある。しかしそれはすでに過去のことで、私は心の中で「今、愛すること」を選択できる。誰を?何を?どこで?は問題ではない。私は今、条件を付けずに「愛すること」ができる。「愛すること」ができるのは、心の中に「愛がある」ことの証(あかし)
私は幼い頃、愛されなかった過去があり、そのことを代償(だいしょう)するための、承認欲求がずっとあった。承認欲求、それは「愛されたい」という願望。心の中の大切なものが欠落している感覚。誤解されがちだが、欠落した心を埋められるのは、他人から「愛されること」では
メンタルヘルスは脳の代謝(たいしゃ)の健全性に強く依存する。全身の細胞及び脳は血糖を代謝することで活動エネルギーを得ている。血糖はそのままでは細胞の中に入っていかず、細胞の壁にはドアがあって、鍵であるインスリンが細胞壁の鍵穴に入るとドアが開いて細胞の中に血
嫌な人は誰にでもいるものだ。だが彼の嫌なところと、全く同じものが、私の内側にあることは知らなかった。私の心の内側に見たくないものがあり、私自身によって否認(ひにん)されたものが、外の世界の彼に投影(とうえい)されて映し出されている。私の心の内側の、その闇の部
誰かと些細なことで喧嘩になった時に、事のあらましを想起(そうき)して、自分は間違っていなかったと、怒りと裁きと咎めと非難に囚われ(とらわれ)ることが、自我の謀略(ぼうりゃく)なのです。ドス黒い感情に心が囚われることこそが、神が創造したままのオリジナルの神の子の
よくあることですが、自分の自我の解釈(かいしゃく)を信じていることの根拠として、統合失調症者は自分のことを「頭がいい」と確信している傾向にある。インターネット掲示板などで誹謗中傷されたり攻撃された際に、自分のことを「頭がいい」と思ってるなら無意識にごく自然
過去に自分が味わった苦痛の責任の所在(しょざい)として、相手の罪を自分の心の中で立証(りっしょう)することは、達成不可能であり、ましてやその罪を相手に認めさせて罪悪感を感じさせようとするのは、2重に不可能なことを達成しようとしていることになる。これは非常に苦し
まず自分の心の間違いを認めて、他者を赦す(ゆるす)ことで、自分自身が赦される(ゆるされる)
私は自分の自我は善良だと誤解していた。過去のトラウマを思い出す時、私は自分を庇うために被害者意識を持って、私の自我の言い分を信じる。しかし、自我の言葉は私自身を苛立たせる。私はこの腹が立つ責任が他者にあると誤解している。私は自我を信じることで、間違った解
かつて私たちの遥かなる故郷である天国で、神は神が創造したままの神の子に「すべてを授けていた」。だがある時、神が創造したままの神の子「以上」になりたいという、小さな狂った考えが神の子の心に生じた。こうして私たちは神が創造したままのオリジナルの神の子ではなく
Can you keep a secret? (秘密を守れますか?)
私たちが見ている世界というのは、映写機(えいしゃき)である無意識の「心の闇」が投影(とうえい)されて、頭の中のスクリーンに映し出されたものである。私が不快感から不満や文句を言う時、「何かがそれに先行していたはずである」それが無意識の「心の闇」です。私はなぜ不
分かり合えない心の、途方もない「隔たり」こそが、投影の本質である
特別性の投影(とうえい)によって我々に見えている、数々(かずかず)の諸問題(しょもんだい)は、他者との「心の隔たり(へだたり)」の中で起こる。分かり合えない心の、途方(とほう)もない「隔たり」こそが、投影の本質(ほんしつ)である。その問題は遡る(さかのぼる)と、場合に
神が創造したままの神の子のオリジナルの「たった一つの想念(そうねん)」からの分離(ぶんり)が、この世界と私たちの自我を作った。分離による投影(とうえい)が作り出した時間と空間の中で起こる問題が、それが自分との「宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)137億年」という、いかに
「欲しいものすべて」は他人の中にそれを認めて、分かち合うことでしか自分のものにはならない
私たちの心の中には2つの視点が存在する。一つは分離の想念である特別性の自我の視点。もうひとつは溶け合う心であり「欲しいものすべて」である「たった一つの想念」の視点。自我の特別性の目的とは、自分だけがより多く独占することである。より多くでなければならない、何
私たちの遥かなる故郷である天国での、神と神の子の本来の関係では決して伴わない感覚は、全て「特別性(とくべつせい)」である。優越感や劣等感や攻撃や被害者意識や損得勘定や復讐心や承認欲求などは、全て「特別性」であり分離の悪夢である。過去のトラウマを思い出して被
私がかつてネット上で実現しようとしていたのは「特別性」というゴールである。それまでの人生で味わった辛酸(しんさん)と苦痛の全てが報われる(むくわれる)瞬間。万来(ばんらい)の拍手と称賛(しょうさん)と栄光の瞬間を欲していた。その「想いは届かない」。なぜならその「
かつて私たちの遥かなる故郷である天国で、神と私たち神の子の間で交わされて(かわされて)いた愛がオリジナルの関係である。だが天国に居た神の子の心に小さな狂った考えが生じた。私は天国で神に、「私が作った私の自我を、神が創造したままのオリジナルの神の子以上である
私には雑念が常にある。その一つにネット上の特定の統合失調症者に対する蔑み(さげすみ)の雑念がある。私は雑念がざわつくと、彼のyoutubeを見て、彼の低能力を確認して、彼の無価値性を見てそこに優越感(ゆうえつかん)を感じている。更に彼に対して「いじわる」をする思考実
嫌なことがあって腹が立った時、二者択一の選択肢が生じる。その被害者意識そのまんまに粗暴な言動や振る舞いをして相手を責める(せめる)か?それとも、赦し(ゆるし)たくないと思っているその瞬間(とき)に、あえて「心を変える決断」をして赦す(ゆるす)か?責めることは、「
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)」の障害がある。これは無意識に「他者の主観を排除(はいじょ)する」という、コミュニケーションの障害のことです。私は言いたいことがあった時、相手の心の感じ方を無視して一方的に言ったりする。私に「主観を排除さ
私たちは何者なのか?どこから来てどこへ行くのか?私たちの正体は、肉体でも脳でも物質でも従来の意味の心でもない、「たった一つの想念」である。統合失調症患者が好んで使う物差し(ものさし)が、大学受験の偏差値である。高い偏差値のことを「頭のいい」と、接頭語(せっと
「赦したくない」と思っている抵抗感の中で、あえて「心を変える決断」をすること、これが「赦し」である。
過去の嫌な記憶が思い出されて、赦し(ゆるし)たくないと思っている時は、赦す(ゆるす)のは難しい。しかし赦しが最も必要とされるのは、まさにその赦して(ゆるして)いない瞬間(とき)である。したがって最も赦しが必要とされる瞬間(とき)に、その赦しが不可能であるはずがない
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害」がある。自分とは異なる「他者の主観を排除する」という特性がある。他者の主観を排除してしまったら通信はできても心の通った(かよった)コミュニケーションはできない。私が例えば承認欲求からブログやエック
「他者の主観を排除する」統合失調症の相互主観性の障害がある状態では赦し(ゆるし)は困難
統合失調症の私には無意識に「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。これは自分の心を守るために「他者の主観を排除している」のだが、これによって「人の話が聴けない状態」になり「赦し(ゆるし)が極めて困難となる」。
過去のトラウマを思い出して苦しくなった時、その過去の出来事について考え続けることは、必ず、「気分を損なう(そこなう)」という「損失(そんしつ)」を伴う(ともなう)。過去は毎回違った形(かたち)で想起(そうき)されるから、思い出される出来事の見かけが違っているのだか
罪悪感の投影(とうえい)をすることは「他人のせいで気分が損なわれている感覚」を引き起こす
罪悪感とは不快なものである。私が無意識に罪悪感を感じ取ると、不快感、イライラ、不安感、恐れが生じる。その後、私は外の世界を凝視(ぎょうし)して、他人の中に不快感の原因を見ようとする。この「自分が苦しいのを他人のせいにする」罪悪感の投影(とうえい)は「無意識」
心の内側の闇が外の世界に映し出されて問題となって見えている。私たちは問題に直面(ちょくめん)した時、腕力、知力、お金などの「力(ちから)」で問題を解決しようとする傾向にある。お金の力(ちから)で健康になれるかというと、健康に良い食べ物を買うよりも、健康に悪い食
私が他人を批判したり他人の悪口を言う時、本当は私の心の中のやましさを直視したくないのです。私の心の中の見たくない部分、それに触れたり、それについて言及(げんきゅう)してはいけないアンタッチャブルな絶対不可侵(ぜったいふかしん)の心の領域、それがやましさです。
ネット掲示板の私についての誹謗中傷や悪口を見る時、私自身の心の闇が映し出されたものとしてその掲示板は存在している。誹謗中傷や悪口が効いてしまうのは、私自身にやましいところがあるからです。だけどそのやましい心を私は見たくない。それを認めてしまったら私の方が
ストレスホルモンである血中コルチゾールレベルを下げることで気分が快適になる
体内に慢性炎症(まんせいえんしょう)があると炎症を抑える(おさえる)為に、ストレスホルモンである血中コルチゾール濃度が上昇する。この血中コルチゾールレベルが常に高いと脳はストレスを感じる。血中コルチゾールレベルが高くても短期間なら問題ないが、慢性的に血中コル
私についての誹謗中傷のネット掲示板に何が書いてあるか気になって見たくなった時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。私がネット掲示板の私への誹謗中傷を見る直前に、「何かがそれに先行していたはずである」。それは私の無意識の「心の闇」の疼き(うずき)
私が気分が悪い時というのは、私の心の中の見たくない部分が疼いた(うずいた)時です。この心の中の見たくない部分が「心の闇」です。この不快感をもたらす見たくない「心の闇」を私の中から除外(じょがい)するために、他者の中に私が嫌がってるものを見ることで、私は私の心
私たちの正体は「たった一つの想念」である。見かけの上辺(うわべ)はそうは見えず、私たちは別個(べっこ)の分離(ぶんり)した肉体であるかのように見えている。私が嫌な人、バカにしている人、蔑んでる人は、私が認めたくない「私の一部(part of me)」を映す鏡です。彼らを鏡
赦し(ゆるし)ていない心の状態(じょうたい)で、赦さ(ゆるさ)ないことを選択し続けるのはあまりにもeasy(イージー)です。赦し(ゆるし)とは、最初から赦している精神状態で、何の抵抗もなく赦す(ゆるす)という簡単なものでもない。嫌だった過去を思い出した瞬間というのは、常(
言葉によって傷ついたり腹が立つ原因は、相手の言葉の意味にあるのだと私は誤解していた。気付くべきである。その体験に私がした解釈(かいしゃく)は、私の無意識の「心の闇」の投影(とうえい)であったと。「相手が私の心の触れて(ふれて)はいけない部分に触れた。」この解釈
自分についてのネットのSNSの誹謗中傷を見る時、見えているそのまんまに判断するなら、誹謗中傷を書いた人が悪い、と考えるのが普通だろう。しかし、ここで解釈(かいしゃく)の訂正が必要になる。私が誹謗中傷を見る時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。そし
赦し(ゆるし)によって罪は実在せず、苦痛の本当の原因はこれから訂正可能だと気付ける
僕は高校の頃に重度の慢性炎症になっていて、その病気の苦痛のストレスでクタクタに疲れていて高校を辞めたかったのですが、母親が僕を無理矢理学校に通わせて、更に学校に通うために重い副作用のある治療を嫌だったのに強要したのです。無理強いされたせいで高校卒業後も病
人は事実に怒るのではなく、それを酷いと解釈することによって腹を立てるのです
私たちは嫌な事があっても、反射的に怒っているのではなく、出来事の意味を理解しようとしているうちに、酷いと解釈(かいしゃく)することによって腹を立てるのです。これは自分では自覚できないようなプロセスで為される(なされる)。ネットや陰口などで誹謗中傷されている場
私は過去のトラウマを思い出した時、それがいかに酷い話だったかを考える。そして被害者意識で解釈(かいしゃく)して、その酷い話が真実だったと確信(かくしん)している。「なぜなら私の感覚がそうだと言っているから」です。だが酷いと解釈することによって、「それをそのよ
私は私の誹謗中傷のネット掲示板を見て気分が損なわれる(そこなわれる)ことがある。しかし気分が損なわれた原因のように見えているネット掲示板を見る直前に、「何かが先行していた」はずである。それは「私には何かとても大切なものが欠けている」、という心の欠乏(けつぼう
私には病気の過去のトラウマがある。私がトラウマを思い出す時、反射的に自分を庇う(かばう)ために、自分が苦しいのを人のせいにする。この苦痛の責任は私にはない、相手が処罰されるべきで、私は救われるべきだと。私は自分を庇うために他者を憎むのだが、それは逆効果であ
口に出さなくとも、頭の中のスクリーンに映し出された誰かを憎悪して、悪く思ったり心の中で批判することは投影(とうえい)である。投影とは、無意識の「心の闇」である憎悪が自分の頭の中のスクリーンに映し出されて、イメージされた他者をそこで憎んで、悪口を思い浮かべた
私は時折(ときおり)、心の中で「カス、バカ、間抜け」と、他者に酷い言葉で悪態(あくたい)をつくことがある。私はその心の中の言葉に罪悪感を感じて、精神的に体裁(ていさい)が悪いので、心の中でポジティブな言葉で上塗り(うわぬり)しようとする。「言葉を間違えた」ことが
私は時折、過去の嫌な記憶を思い出して、間違った解釈(かいしゃく)をして、その考えを信じてしまうことがある。これは私が気付かないようなやり方でなされる。無意識の「心の闇」が自分の頭の中のスクリーンに投影(とういえい)されて、映し出されたイメージを憎悪することで
私は過去に達成できなかったことを思い出して、何々が原因で出来なかったと、憎悪(ぞうお)に囚われる(とらわれる)ことがある。しかし頭の中のスクリーンに映し出された人物を憎悪することは、自分自身の心を呪うことです。なぜなら私たちの正体は「たった一つの想念(そうねん
私には私が蔑んでる(さげすんでる)人のインターネット上の日記(ブログ)をチェックしたくなるという、「心の闇」の衝動がある。その人のネット上の日記を読んで、その人の卑小(ひしょう)さを確認することで、私の「心の闇」は悦び(よろこび)増大するのです。「心の闇」が増大
「私は頭が良い」というプライドが、自分の頭の中の間違った考えを妄信(もうしん)させている。
私は頭の中で自我が語る言葉を信じてしまう。「私は頭が良い」というプライドが、自分の頭の中の間違った考えを妄信(もうしん)させている。そして頭の中の絶え間ない独り言に耳を傾け続けて、それが有害であるのにその考えを信じてしまうのです。冷静になって考えれば、自分
血液中のコルチゾールレベルが上昇すると、脳はストレスを感じて不快な気分になる。しかし主観的には誰かのせいで不快なのだと解釈して、グルグル考えてしまう。原因は血液中のコルチゾールレベルの上昇にあるのだから、いくら考えても無意味である。コルチゾールレベルを押
他者の誤り(あやまり)を「罪」と見なすか、「間違い」と見るか。罪と見るということは、それが訂正不可能であり赦されない(ゆるされない)ことをしたと裁く(さばく)ことです。一方間違いは訂正可能である。その誤りはすでに赦されている(ゆるされている)。私が他人の間違いを
神と神の子の「オリジナルの関係」の「代替品(だいたいひん)」があり得るという幻想。それが特別性の承認欲求であり、代替品の関係として機能しない相手を私は憎悪する。だけど この世界中探したって「オリジナルの関係」の代わり(かわり)は無かったもし「たった一つ願いが
「心の闇」による欠乏感が強い程、問題の演出もより強大なものとなる。
私たちが見ている目の前の世界というのは、映写機(えいしゃき)である無意識の「心の闇」が投影(とうえい)されて、頭の中のスクリーンに映し出されたものである。私が不快感から不満や文句を言う時、「何かがそれに先行していたはずである」それが無意識の「心の闇」による欠
統合失調症者は「他者の主観を排除する」私は無意識の心の闇が疼いて(うずいて)、嫌なことを思い出して不快感を感じる時がある。その時、無意識の「心の闇」からくる不快感から逃れて、私が救われるために相手に罪悪感を与える目的で、苦情や文句を言う。この時、自分の言葉
私には私が蔑んでる(さげすんでる)人のインターネット上の日記(ブログ)を見たり、私の誹謗中傷のネット掲示板を見てしまうという心の闇がある。メリットが何も無く心を蝕む(むしばむ)だけだと分かっていることをするのはネット依存症なのです。だがこれらの蔑んでる人のブロ
今思うことは、私の価値観による考え方には欠けているところがあるということです。損得勘定がありますが、私がお得だと思って選択していることは、最善の利益ではない。私は結局、損したという私の価値観で文句を言うのです。この世界はイリュージョン(幻影)である。このイ
私が自分の自我に従って(したがって)しまう理由。それは、自我が「私を信じればお前だけは助けてやる」「私を信じれば、お前だけが得(とく)をすることができる」と心の中で私を幻惑(げんわく)してくるからです。私は何か得をしたような気分になる。自分の自我の考えているこ
統合失調症の症状が悪化している時は、自分がどう思うかが全てになっていて、つまり心の中が主観的(しゅかんてき)になり、同時に「他者の主観が排除(はいじょ)されている」。私は高校時代に病気で嫌な思いをしたトラウマがあり、時折そのトラウマを思い出し親に文句を言うの
パソコンのインターネットの世界に、私が蔑んでる(さげすんでる)人物が居て、彼の中に卑小(ひしょう)さを見て悦ぶ(よろこぶ)という闇の心が私にはあります。その後、必ず私の心に違和感が生じて、私についての誹謗中傷の掲示板を見てしまうのです。これには真の因果律(いんが
私は統合失調症であり「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」傾向があり、相互主観性(そうごしゅかんせい)の欠如がある。このように文章を書いている時でも自分の主観だけで書く傾向にある、私の文章は「読み手の主観を排除する」傾向にある。私の文章を読んだ人がど
統合失調症者がブログ(ネット上に公開できる日記)で、最初の内は自分の書いた日記に対して、リップサービスにせよ好意的なコメントが書き込まれて、幸せな世界を手に入れたと思っていたら、ある日自分に対して否定的な悪意あるコメントが書き込まれ出して、自分の世界が崩壊
統合失調症者は人と話をしている時でも「他者の主観を排除している」。統合失調症者は他者の主観『I(アイ)』が自分の心に侵入してくると、異物もしくはジッター(イライラさせられるもの)と判断して、自分の心の中から「他者の主観を排除する」のです。統合失調症者はルールに
「自分が苦しいのを人のせいにする」というのは割と一般的だ。過去に嫌な出来事があった。起こった事は変えられないし、その時に苦しむのは不可避(ふかひ)です。だがこれはキッカケに過ぎない。その後、それがトラウマとなることで、思い出す度に何度でも苦しむことになるの
SNSにおける承認欲求とは?これは一見人気者になりたいだけで悪い事ではないように思える。
SNSや掲示板での文章だけのやり取りというのは見た目の形態(けいたい)だけの通信だ。何しろ文面からは背後にある心の内容は読めないのだから。私に見えるのはSNS上の形態(かたち)だけでありそれが私の快不快を左右する。心のこもってない内容の無い形態(かたち)だけのリップ
私たちの遥かなる故郷である天国で神と神の子である私たちは幸せな日々を送っていた。だが天国に居た神の子の心に小さな狂った考えが生じた。「私が作った私の自我を、神が創造したままのオリジナルの神の子以上であると認めろ」この要求をしたとたん、私はパロディーとして
過去の嫌な体験を思い出す時、私は自分の心を守る為に反射的に被害者意識に囚われて、あの人のしたことが原因で苦しんだ、と思い込んでいる。自分の心の中の空虚感、欠乏感、罪悪感が外の世界に映し出されて、その世界の中心に居る私は何にも悪くないのに、彼の落ち度のせい
嫌な事を心の中で他人のせいにしていると、それが世界に映し出されて、他人が自分を批判していると感じるようになる。心の中で他人を責める者だけが、自分がいつも批判されているように感じるのである。もし心の中で他人への文句が浮かんだのなら、「その酷い内容の話を信じ
精神疾患とは脳の生化学的な代謝の異常です。どれほどの精神療法を施したとしても、この脳の生化学的な反応を改善しないと無駄であることがわかっている。脳を構成する脂質で一番必要とされているのがDHAなどのオメガ3脂肪酸であり、長期間オメガ6脂肪酸とトランス脂肪酸の摂
過去のトラウマを思い出す時、自分を庇う為に被害者意識で頭の中でストーリーを再現して、それを理解しようとしているうちに腹が立ってくるのです。被害者意識という点で主観的であり、内容も脚色(きゃくしょく)されているのだが、私は酷い話の小説の作者のようなものです。
根本的なエラーは 「私は頭が良い、なぜなら私の感覚がそうだと言っているからだ」にある。
主観的には朝、地平線から太陽が昇る(のぼる)と経験されているも拘わらず(かかわらず)、客観的には太陽の周りを地球が自転しているのが真実です。過去の上手くいかなかったトラウマについて考える時、「なぜなら私の感覚がそうだと言っているからだ」を絶対的根拠として、I t
主観的には文句を言うことが正しいように感じられても、客観的には間違っている
過去の嫌な出来事について文句を言う時、私の被害者意識は正当なものだと「私の感覚がそうだと言っている」しかし、主観的には私の文句が正しいように感じられても、やはり客観的には私は間違っているのである。そして私の心が間違っているのが真実だという確信がある。こう
私がネットで誹謗中傷される原因となったのが「特別性の承認欲求」
私がネットで誹謗中傷される原因となったのが「特別性の承認欲求」です。この人生が始まった理由。それはかつて天国で神からは拒まれた「特別な好意」を、この世界の他者に求めたということです。分離によって私の心と神の心に不一致が生じた。それは私の「私は愛さないが、
過去の嫌だったことを思い出すと、反射的に自分を庇う(かばう)ために被害者意識に囚われる(とらわれる)。自我はその嫌だった過去を理由に、私が心に憎悪の意思を持つことを強要してくる。そして私は、心の中に憎悪の他に選択肢は無いと誤解し、私は正しいのだと騙されて(だま
目の前に世界を知覚(ちかく)する直前に何かが先行していたはずである。その何かとは、「心の闇の投影」である。これが世界の因果律(いんがりつ)の根底にある。心の中の見たくないもの、触れてはいけないもの、それについて言及してはいけないアンタッチャブルな絶対不可侵の
私たちの遥かなる故郷である天国で、かつて神と私たち神の子が至福の時を共有した接し方(せっしかた)が、私たちのオリジナル(本来)の関係です。それは見た目の形式主義のことではなく、喜びがあふれて止まらないPerfect feeling(完璧な感じ)の精神状態を伴う。だが天国で幸せ
私は統合失調症の中核症状である、「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」という、相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。過去のトラウマや強いストレスがかかった時、私は「自分の主観のみによる世界の意味付け」に囚われる(とらわれる)。「それはつまりこう
私の願い「The Last One(欲しいものすべて)」とは、「オリジナル(真の一体性)」の所有権を取り戻すこと、であった。この世界の始まりに戻ろう。「神の子のパロディー(代用品)」となった自我が、オリジナルの神の愛を奪おうとすること、その特別性(代用品)の分離(ぶんり)が、
「人は一人では生きていけない」にも拘わらず(かかわらず)、統合失調症者は無意識に「他者の主観を排除する」。これは他人の意見に耳を貸さないということであり、他者とコミュニケーションする際に致命的となる。「赦し」とは、私とは異なる他者の主観を排除するのではなく
自らの価値観を羅針盤(らしんばん)にしてドーパミン分泌の意欲のままに進んでいけば、そのうちしかるべき目的地にたどり着くだろうというのが、「私の感覚がそうだと言っている」ものであった。答えはただ迷子(まいご)になるだけで、妄想の中で彷徨う(さまよう)だけであった
自我とは、自らと(みずからと)関係のある、罪のもつ特別性を信じた「神の子の代用品」に過ぎない。「特別性は麻薬だ.....自我は数千年をかけて、人類を特別性の中毒にしてしまった。」にほんブログ村
私の統合失調症の分かり易い症状は幻聴だが、周囲の人間が「また症状が出ているよ」と思う症状に、私が不機嫌モードになって怒っているというのがある。不安になったり動揺したり心配や恐れ(おそれ)を感じたり酷く疲れている、というのも症状である。なぜ症状が出たのか? 誰
忌まわしい(いまわしい)過去の記憶。見たくないもの、消し去りたいもの、それについて言及してはならない、「アンタッチャブル(絶対不可侵の心の領域)」なものとして心の奥底に封印して鍵をかけた。しかし心の中でその存在を否認(ひにん)された心の影(シャドウ)は、無意識に
神が創造したままのオリジナルの神の子。彼は神の完全なる寵愛(ちょうあい)を受けている。しかし神と共に天国に居たある時、オリジナルの神の子である私が、もし神から分離(ぶんり)できて、自分で思い通りの自分になるというアイデンティティーを持てたなら、物凄く特別な存
「僕らは生まれた意味を持たないパロディー(自我)仲間。いや違うか....お前には役割(やくわり)があったんだっけ...オリジナルの神の子の、『代用品』っていうご立派な役割がさぁ!」オリジナルの神の子のパロディー(代用品)である自我は、神の愛の代用品である「特別性」を欲
私はずっと身体の病気で嫌な思いをしていて、病気の苦痛のことで、火山の噴火みたいに、定期的に癇癪(かんしゃく)を起こしたり、問題を起こしていた。しかし私は、私の心の一部である、その病気の記憶を受け入れることができないので、その記憶は否認(ひにん)され、私の心の
劣等感(コンプレックス)とは、プライドがあるからその存在を認めたくないもの、見たくないもの、身体の病気を嫌がっている「私の心の一部(part of me)」である。劣等感(コンプレックス)は過去に達成できなかった理想や、失敗の感覚、酷い目にあった苦痛などによって構成され
劣等感(コンプレックス)とは、嫌がっている私の心であり、プライドがあるからそれが自分だとは認めたくない「私の心の一部(part of me)」である。私の理想から外れている「私の心の一部(part of me)」は、「生まれた意味を持たない」ものとしてその存在を否認(ひにん)され、
心の中の劣等感(コンプレックス)の、絶対的根拠(ぜったいてきこんきょ)となっているのが、病気である。自分に目を向ければ、そこに必ず嫌がってるものがあるのだから、病気は劣等感(コンプレックス)を証(あかし)するものとなる。私はその劣等感(コンプレックス)を見たくない
私は過去について、頭の中で文句(クレーム)を言う雑念が日常である。私の文句(クレーム)はすべて、過去について、頭の中のスクリーンに想起(そうき)された、形象(かたち)にまつわる話である。頭の中のスクリーンに想起された過去の、形象(かたち)が醜い(みにくい)。思い出さ
もし外の世界に、本物の答え(こたえ)を探すなら、あなたのすることは際限(さいげん)のない、対症療法(たいしょうりょうほう)である。そのようにして見つけたと思った答えは不完全であることが、いずれ解る(わかる)。完璧な答えは、心の内側にある。もしあなたが、外の世界で
私の心の中の抽象的(ちゅうしょうてき)な罪悪感が、心の中のスクリーンに投影(とうえい)されて、私が嫌がっていた過去の具体的(ぐたいてき)な出来事として、想起(そうき)されて苦しめられている。投影が見えている世界を作り出す。外の世界の他者に罪を見ている限り、つまり
私はよく心の中の独り言で遊ぶことがある。それは自我の「混沌(こんとん)の法則」が頭の中のスクリーンに雑念として投影(とうえい)されたものである。その雑念をひとりで面白がっているのだが、「内容は混沌とした無意味な繰り返し」である。だがその雑念の言葉をちゃんと聞
透明なガラスの心に傷が入ってしまった時に、「絶対に許さない」となるのが精神の病気である。過去に起こった出来事についての、一見筋が通っているようにみえる、自分の心の中の被害者意識的理屈(ロジック)に、隠れている異常性が、「病気」である。奈落(ならく)へと続く下
『GOOD ENERGY(グッドエナジー)セルフケアでつくる最強の「代謝力」』著者のケイシー・ミーンズはスタンフォード大学医学部を主席で卒業した女性医師です。ケイシーが言うには、現在の医療は薬物を投与したり手術をするという治療的介入を行うことで収入になり利
私は「人間の価値には順位(じゅんい)がある」という、人間をランク付けするという幻想を無意識に信じていた。私が日常の雑念で特定の人を心の中で馬鹿にして、精神を安定させようするのは、「人間の価値のランク付け」という幻想を信じているからです。詐欺に引っかかるのは
私たちは何者なのか?どこから来てどこへ行くのか?私たちの正体は、肉体でも脳でも物質でも従来の意味の心でもない、「たった一つの想念」である。統合失調症患者が好んで使う物差し(ものさし)が、大学受験の偏差値である。高い偏差値のことを「頭のいい」と、接頭語(せっと
過去の嫌な記憶が思い出されて、赦し(ゆるし)たくないと思っている時は、赦す(ゆるす)のは難しい。しかし赦しが最も必要とされるのは、まさにその赦して(ゆるして)いない瞬間(とき)である。したがって最も赦しが必要とされる瞬間(とき)に、その赦しが不可能であるはずがない
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害」がある。自分とは異なる「他者の主観を排除する」という特性がある。他者の主観を排除してしまったら通信はできても心の通った(かよった)コミュニケーションはできない。私が例えば承認欲求からブログやエック
統合失調症の私には無意識に「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。これは自分の心を守るために「他者の主観を排除している」のだが、これによって「人の話が聴けない状態」になり「赦し(ゆるし)が極めて困難となる」。
過去のトラウマを思い出して苦しくなった時、その過去の出来事について考え続けることは、必ず、「気分を損なう(そこなう)」という「損失(そんしつ)」を伴う(ともなう)。過去は毎回違った形(かたち)で想起(そうき)されるから、思い出される出来事の見かけが違っているのだか
罪悪感とは不快なものである。私が無意識に罪悪感を感じ取ると、不快感、イライラ、不安感、恐れが生じる。その後、私は外の世界を凝視(ぎょうし)して、他人の中に不快感の原因を見ようとする。この「自分が苦しいのを他人のせいにする」罪悪感の投影(とうえい)は「無意識」
心の内側の闇が外の世界に映し出されて問題となって見えている。私たちは問題に直面(ちょくめん)した時、腕力、知力、お金などの「力(ちから)」で問題を解決しようとする傾向にある。お金の力(ちから)で健康になれるかというと、健康に良い食べ物を買うよりも、健康に悪い食
私が他人を批判したり他人の悪口を言う時、本当は私の心の中のやましさを直視したくないのです。私の心の中の見たくない部分、それに触れたり、それについて言及(げんきゅう)してはいけないアンタッチャブルな絶対不可侵(ぜったいふかしん)の心の領域、それがやましさです。
ネット掲示板の私についての誹謗中傷や悪口を見る時、私自身の心の闇が映し出されたものとしてその掲示板は存在している。誹謗中傷や悪口が効いてしまうのは、私自身にやましいところがあるからです。だけどそのやましい心を私は見たくない。それを認めてしまったら私の方が
体内に慢性炎症(まんせいえんしょう)があると炎症を抑える(おさえる)為に、ストレスホルモンである血中コルチゾール濃度が上昇する。この血中コルチゾールレベルが常に高いと脳はストレスを感じる。血中コルチゾールレベルが高くても短期間なら問題ないが、慢性的に血中コル
私についての誹謗中傷のネット掲示板に何が書いてあるか気になって見たくなった時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。私がネット掲示板の私への誹謗中傷を見る直前に、「何かがそれに先行していたはずである」。それは私の無意識の「心の闇」の疼き(うずき)
私が気分が悪い時というのは、私の心の中の見たくない部分が疼いた(うずいた)時です。この心の中の見たくない部分が「心の闇」です。この不快感をもたらす見たくない「心の闇」を私の中から除外(じょがい)するために、他者の中に私が嫌がってるものを見ることで、私は私の心
私たちの正体は「たった一つの想念」である。見かけの上辺(うわべ)はそうは見えず、私たちは別個(べっこ)の分離(ぶんり)した肉体であるかのように見えている。私が嫌な人、バカにしている人、蔑んでる人は、私が認めたくない「私の一部(part of me)」を映す鏡です。彼らを鏡
赦し(ゆるし)ていない心の状態(じょうたい)で、赦さ(ゆるさ)ないことを選択し続けるのはあまりにもeasy(イージー)です。赦し(ゆるし)とは、最初から赦している精神状態で、何の抵抗もなく赦す(ゆるす)という簡単なものでもない。嫌だった過去を思い出した瞬間というのは、常(
言葉によって傷ついたり腹が立つ原因は、相手の言葉の意味にあるのだと私は誤解していた。気付くべきである。その体験に私がした解釈(かいしゃく)は、私の無意識の「心の闇」の投影(とうえい)であったと。「相手が私の心の触れて(ふれて)はいけない部分に触れた。」この解釈
自分についてのネットのSNSの誹謗中傷を見る時、見えているそのまんまに判断するなら、誹謗中傷を書いた人が悪い、と考えるのが普通だろう。しかし、ここで解釈(かいしゃく)の訂正が必要になる。私が誹謗中傷を見る時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。そし
僕は高校の頃に重度の慢性炎症になっていて、その病気の苦痛のストレスでクタクタに疲れていて高校を辞めたかったのですが、母親が僕を無理矢理学校に通わせて、更に学校に通うために重い副作用のある治療を嫌だったのに強要したのです。無理強いされたせいで高校卒業後も病
私たちは嫌な事があっても、反射的に怒っているのではなく、出来事の意味を理解しようとしているうちに、酷いと解釈(かいしゃく)することによって腹を立てるのです。これは自分では自覚できないようなプロセスで為される(なされる)。ネットや陰口などで誹謗中傷されている場
私は過去のトラウマを思い出した時、それがいかに酷い話だったかを考える。そして被害者意識で解釈(かいしゃく)して、その酷い話が真実だったと確信(かくしん)している。「なぜなら私の感覚がそうだと言っているから」です。だが酷いと解釈することによって、「それをそのよ
私は私の誹謗中傷のネット掲示板を見て気分が損なわれる(そこなわれる)ことがある。しかし気分が損なわれた原因のように見えているネット掲示板を見る直前に、「何かが先行していた」はずである。それは「私には何かとても大切なものが欠けている」、という心の欠乏(けつぼう