嫌なことがあって腹が立った時、二者択一の選択肢が生じる。その被害者意識そのまんまに粗暴な言動や振る舞いをして相手を責める(せめる)か?それとも、赦し(ゆるし)たくないと思っているその瞬間(とき)に、あえて「心を変える決断」をして赦す(ゆるす)か?責めることは、「
今日 | 05/31 | 05/30 | 05/29 | 05/28 | 05/27 | 05/26 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(IN) | 11,628位 | 11,877位 | 11,954位 | 11,380位 | 11,041位 | 11,022位 | 11,060位 | 1,039,928サイト |
INポイント | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 70/週 |
OUTポイント | 0 | 10 | 20 | 0 | 0 | 0 | 10 | 40/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
メンタルヘルスブログ | 143位 | 146位 | 155位 | 137位 | 133位 | 131位 | 129位 | 30,933サイト |
統合失調症 | 17位 | 18位 | 18位 | 18位 | 18位 | 15位 | 16位 | 1,215サイト |
今日 | 05/31 | 05/30 | 05/29 | 05/28 | 05/27 | 05/26 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(OUT) | 30,806位 | 31,406位 | 28,559位 | 20,302位 | 15,535位 | 14,989位 | 14,552位 | 1,039,928サイト |
INポイント | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 70/週 |
OUTポイント | 0 | 10 | 20 | 0 | 0 | 0 | 10 | 40/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
メンタルヘルスブログ | 533位 | 554位 | 478位 | 282位 | 221位 | 216位 | 212位 | 30,933サイト |
統合失調症 | 70位 | 71位 | 69位 | 52位 | 47位 | 48位 | 46位 | 1,215サイト |
今日 | 05/31 | 05/30 | 05/29 | 05/28 | 05/27 | 05/26 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(PV) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,039,928サイト |
INポイント | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 70/週 |
OUTポイント | 0 | 10 | 20 | 0 | 0 | 0 | 10 | 40/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
メンタルヘルスブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 30,933サイト |
統合失調症 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,215サイト |
嫌なことがあって腹が立った時、二者択一の選択肢が生じる。その被害者意識そのまんまに粗暴な言動や振る舞いをして相手を責める(せめる)か?それとも、赦し(ゆるし)たくないと思っているその瞬間(とき)に、あえて「心を変える決断」をして赦す(ゆるす)か?責めることは、「
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)」の障害がある。これは無意識に「他者の主観を排除(はいじょ)する」という、コミュニケーションの障害のことです。私は言いたいことがあった時、相手の心の感じ方を無視して一方的に言ったりする。私に「主観を排除さ
私たちは何者なのか?どこから来てどこへ行くのか?私たちの正体は、肉体でも脳でもデータでも従来の意味の心でもない、「たった一つの想念」である。統合失調症患者が好んで使う物差し(ものさし)が、大学受験の偏差値である。高い偏差値のことを「頭のいい」と、接頭語(せっ
「赦したくない」と思っている抵抗感の中で、あえて「心を変える決断」をすること、これが「赦し」である。
過去の嫌な記憶が思い出されて、赦し(ゆるし)たくないと思っている時は、赦す(ゆるす)のは難しい。しかし赦しが最も必要とされるのは、まさにその赦して(ゆるして)いない瞬間(とき)である。したがって最も赦しが必要とされる瞬間(とき)に、その赦しが不可能であるはずがない
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害」がある。自分とは異なる「他者の主観を排除する」という特性がある。他者の主観を排除してしまったら通信はできても心の通った(かよった)コミュニケーションはできない。私が例えば承認欲求からブログやエック
「他者の主観を排除する」統合失調症の相互主観性の障害がある状態では赦し(ゆるし)は困難
統合失調症の私には無意識に「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。これは自分の心を守るために「他者の主観を排除している」のだが、これによって「人の話が聴けない状態」になり「赦し(ゆるし)が極めて困難となる」。
過去のトラウマを思い出して苦しくなった時、その過去の出来事について考え続けることは、必ず、「気分を損なう(そこなう)」という「損失(そんしつ)」を伴う(ともなう)。過去は毎回違った形(かたち)で想起(そうき)されるから、思い出される出来事の見かけが違っているのだか
罪悪感の投影(とうえい)をすることは「他人のせいで気分が損なわれている感覚」を引き起こす
罪悪感とは不快なものである。私が無意識に罪悪感を感じ取ると、不快感、イライラ、不安感、恐れが生じる。その後、私は外の世界を凝視(ぎょうし)して、他人の中に不快感の原因を見ようとする。この「自分が苦しいのを他人のせいにする」罪悪感の投影(とうえい)は「無意識」
心の内側の闇が外の世界に映し出されて問題となって見えている。私たちは問題に直面(ちょくめん)した時、腕力、知力、お金などの「力(ちから)」で問題を解決しようとする傾向にある。お金の力(ちから)で健康になれるかというと、健康に良い食べ物を買うよりも、健康に悪い食
私が他人を批判したり他人の悪口を言う時、本当は私の心の中のやましさを直視したくないのです。私の心の中の見たくない部分、それに触れたり、それについて言及(げんきゅう)してはいけないアンタッチャブルな絶対不可侵(ぜったいふかしん)の心の領域、それがやましさです。
ネット掲示板の私についての誹謗中傷や悪口を見る時、私自身の心の闇が映し出されたものとしてその掲示板は存在している。誹謗中傷や悪口が効いてしまうのは、私自身にやましいところがあるからです。だけどそのやましい心を私は見たくない。それを認めてしまったら私の方が
ストレスホルモンである血中コルチゾールレベルを下げることで気分が快適になる
体内に慢性炎症(まんせいえんしょう)があると炎症を抑える(おさえる)為に、ストレスホルモンである血中コルチゾール濃度が上昇する。この血中コルチゾールレベルが常に高いと脳はストレスを感じる。血中コルチゾールレベルが高くても短期間なら問題ないが、慢性的に血中コル
私についての誹謗中傷のネット掲示板に何が書いてあるか気になって見たくなった時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。私がネット掲示板の私への誹謗中傷を見る直前に、「何かがそれに先行していたはずである」。それは私の無意識の「心の闇」の疼き(うずき)
私が気分が悪い時というのは、私の心の中の見たくない部分が疼いた(うずいた)時です。この心の中の見たくない部分が「心の闇」です。この不快感をもたらす見たくない「心の闇」を私の中から除外(じょがい)するために、他者の中に私が嫌がってるものを見ることで、私は私の心
私たちの正体は「たった一つの想念」である。見かけの上辺(うわべ)はそうは見えず、私たちは別個(べっこ)の分離(ぶんり)した肉体であるかのように見えている。私が嫌な人、バカにしている人、蔑んでる人は、私が認めたくない「私の一部(part of me)」を映す鏡です。彼らを鏡
赦し(ゆるし)ていない心の状態(じょうたい)で、赦さ(ゆるさ)ないことを選択し続けるのはあまりにもeasy(イージー)です。赦し(ゆるし)とは、最初から赦している精神状態で、何の抵抗もなく赦す(ゆるす)という簡単なものでもない。嫌だった過去を思い出した瞬間というのは、常(
言葉によって傷ついたり腹が立つ原因は、相手の言葉の意味にあるのだと私は誤解していた。気付くべきである。その体験に私がした解釈(かいしゃく)は、私の無意識の「心の闇」の投影(とうえい)であったと。「相手が私の心の触れて(ふれて)はいけない部分に触れた。」この解釈
自分についてのネットのSNSの誹謗中傷を見る時、見えているそのまんまに判断するなら、誹謗中傷を書いた人が悪い、と考えるのが普通だろう。しかし、ここで解釈(かいしゃく)の訂正が必要になる。私が誹謗中傷を見る時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。そし
赦し(ゆるし)によって罪は実在せず、苦痛の本当の原因はこれから訂正可能だと気付ける
僕は高校の頃に重度の慢性炎症になっていて、その病気の苦痛のストレスでクタクタに疲れていて高校を辞めたかったのですが、母親が僕を無理矢理学校に通わせて、更に学校に通うために重い副作用のある治療を嫌だったのに強要したのです。無理強いされたせいで高校卒業後も病
人は事実に怒るのではなく、それを酷いと解釈することによって腹を立てるのです
私たちは嫌な事があっても、反射的に怒っているのではなく、出来事の意味を理解しようとしているうちに、酷いと解釈(かいしゃく)することによって腹を立てるのです。これは自分では自覚できないようなプロセスで為される(なされる)。ネットや陰口などで誹謗中傷されている場
「ブログリーダー」を活用して、REVIVERさんをフォローしませんか?
嫌なことがあって腹が立った時、二者択一の選択肢が生じる。その被害者意識そのまんまに粗暴な言動や振る舞いをして相手を責める(せめる)か?それとも、赦し(ゆるし)たくないと思っているその瞬間(とき)に、あえて「心を変える決断」をして赦す(ゆるす)か?責めることは、「
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)」の障害がある。これは無意識に「他者の主観を排除(はいじょ)する」という、コミュニケーションの障害のことです。私は言いたいことがあった時、相手の心の感じ方を無視して一方的に言ったりする。私に「主観を排除さ
私たちは何者なのか?どこから来てどこへ行くのか?私たちの正体は、肉体でも脳でもデータでも従来の意味の心でもない、「たった一つの想念」である。統合失調症患者が好んで使う物差し(ものさし)が、大学受験の偏差値である。高い偏差値のことを「頭のいい」と、接頭語(せっ
過去の嫌な記憶が思い出されて、赦し(ゆるし)たくないと思っている時は、赦す(ゆるす)のは難しい。しかし赦しが最も必要とされるのは、まさにその赦して(ゆるして)いない瞬間(とき)である。したがって最も赦しが必要とされる瞬間(とき)に、その赦しが不可能であるはずがない
私は統合失調症であり「相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害」がある。自分とは異なる「他者の主観を排除する」という特性がある。他者の主観を排除してしまったら通信はできても心の通った(かよった)コミュニケーションはできない。私が例えば承認欲求からブログやエック
統合失調症の私には無意識に「他者の主観(しゅかん)を排除(はいじょ)する」相互主観性(そうごしゅかんせい)の障害がある。これは自分の心を守るために「他者の主観を排除している」のだが、これによって「人の話が聴けない状態」になり「赦し(ゆるし)が極めて困難となる」。
過去のトラウマを思い出して苦しくなった時、その過去の出来事について考え続けることは、必ず、「気分を損なう(そこなう)」という「損失(そんしつ)」を伴う(ともなう)。過去は毎回違った形(かたち)で想起(そうき)されるから、思い出される出来事の見かけが違っているのだか
罪悪感とは不快なものである。私が無意識に罪悪感を感じ取ると、不快感、イライラ、不安感、恐れが生じる。その後、私は外の世界を凝視(ぎょうし)して、他人の中に不快感の原因を見ようとする。この「自分が苦しいのを他人のせいにする」罪悪感の投影(とうえい)は「無意識」
心の内側の闇が外の世界に映し出されて問題となって見えている。私たちは問題に直面(ちょくめん)した時、腕力、知力、お金などの「力(ちから)」で問題を解決しようとする傾向にある。お金の力(ちから)で健康になれるかというと、健康に良い食べ物を買うよりも、健康に悪い食
私が他人を批判したり他人の悪口を言う時、本当は私の心の中のやましさを直視したくないのです。私の心の中の見たくない部分、それに触れたり、それについて言及(げんきゅう)してはいけないアンタッチャブルな絶対不可侵(ぜったいふかしん)の心の領域、それがやましさです。
ネット掲示板の私についての誹謗中傷や悪口を見る時、私自身の心の闇が映し出されたものとしてその掲示板は存在している。誹謗中傷や悪口が効いてしまうのは、私自身にやましいところがあるからです。だけどそのやましい心を私は見たくない。それを認めてしまったら私の方が
体内に慢性炎症(まんせいえんしょう)があると炎症を抑える(おさえる)為に、ストレスホルモンである血中コルチゾール濃度が上昇する。この血中コルチゾールレベルが常に高いと脳はストレスを感じる。血中コルチゾールレベルが高くても短期間なら問題ないが、慢性的に血中コル
私についての誹謗中傷のネット掲示板に何が書いてあるか気になって見たくなった時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。私がネット掲示板の私への誹謗中傷を見る直前に、「何かがそれに先行していたはずである」。それは私の無意識の「心の闇」の疼き(うずき)
私が気分が悪い時というのは、私の心の中の見たくない部分が疼いた(うずいた)時です。この心の中の見たくない部分が「心の闇」です。この不快感をもたらす見たくない「心の闇」を私の中から除外(じょがい)するために、他者の中に私が嫌がってるものを見ることで、私は私の心
私たちの正体は「たった一つの想念」である。見かけの上辺(うわべ)はそうは見えず、私たちは別個(べっこ)の分離(ぶんり)した肉体であるかのように見えている。私が嫌な人、バカにしている人、蔑んでる人は、私が認めたくない「私の一部(part of me)」を映す鏡です。彼らを鏡
赦し(ゆるし)ていない心の状態(じょうたい)で、赦さ(ゆるさ)ないことを選択し続けるのはあまりにもeasy(イージー)です。赦し(ゆるし)とは、最初から赦している精神状態で、何の抵抗もなく赦す(ゆるす)という簡単なものでもない。嫌だった過去を思い出した瞬間というのは、常(
言葉によって傷ついたり腹が立つ原因は、相手の言葉の意味にあるのだと私は誤解していた。気付くべきである。その体験に私がした解釈(かいしゃく)は、私の無意識の「心の闇」の投影(とうえい)であったと。「相手が私の心の触れて(ふれて)はいけない部分に触れた。」この解釈
自分についてのネットのSNSの誹謗中傷を見る時、見えているそのまんまに判断するなら、誹謗中傷を書いた人が悪い、と考えるのが普通だろう。しかし、ここで解釈(かいしゃく)の訂正が必要になる。私が誹謗中傷を見る時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。そし
僕は高校の頃に重度の慢性炎症になっていて、その病気の苦痛のストレスでクタクタに疲れていて高校を辞めたかったのですが、母親が僕を無理矢理学校に通わせて、更に学校に通うために重い副作用のある治療を嫌だったのに強要したのです。無理強いされたせいで高校卒業後も病
私たちは嫌な事があっても、反射的に怒っているのではなく、出来事の意味を理解しようとしているうちに、酷いと解釈(かいしゃく)することによって腹を立てるのです。これは自分では自覚できないようなプロセスで為される(なされる)。ネットや陰口などで誹謗中傷されている場
この2年間ほど統合失調症に「考え方を変える」という心理的なアプローチをしましたが、頭の中で堂々巡り(どうどう)に至りました。僕はこの心理的アプローチしか検討していなかったのではなく、サブシステムとして食事と運動による脳のコンディションの改善という「生化学的(
心の闇の中で誰の腕をつかんだのだろうか?それは神が創造したままのオリジナルの神の子。私のオリジナル。私の心の中に居る彼に名前をつけた。彼の名前は『Luke』ルークは光の地から来るもの、すなわち「光をもたらす者」の意味彼の姿を心の中に復元させよう。心の復活だ。
彼に差異(さい)を見て愉悦(ゆえつ)しようとしたり、羨ましさを感じるのではく、神が彼を見ているような目で彼を見るべきだ。その時「キミは”ゾッとするほど美しい彼の心が伝わってくる感覚”を感じ取ることができる」それは彼を見るあなたの目に神性なる愛が宿っているから
私はこの文章を書いている前夜に、他人の不幸を思い浮かべて、それと比較して自分は優位性があると、「他人の不幸は蜜の味」と愉悦(ゆえつ)を感じていたのですが、これは自我が与える快楽なのです。そして今朝、私は牢獄に居るような気分で目覚めた。私たちはひとつなのだか
この物理世界に自由はない。心は自分自身を闇に縛る(しばる)ことができる。これが心に限界をもたらす。精神病のフィーリングとは不自由な心である。頭の中で自分で考えている理屈が間違っており、これによって私は心が不自由になっている。私たちの本来の状態である神が創造
自我の存在は「欠乏(けつぼう)の原理」に基づいて(もとづいて)いる。まず心の中に欠乏の原理によって「恐怖・不安・文句・嫌がってる心」が生じる(しょうじる)。そしてその自我の欠乏感が投影(とうえい)されて、外の世界に映し出された嫌なものを見て「やっぱりそうか」と確
誰もが自分の無罪性を信じているのではなかろうか?だが他人の中には卑小(ひしょう)さや罪を見ることには抵抗が無い。このようにして自分は無罪だが他人は有罪だという状態を理想的だとみなす。この不公平な状態を好むことが私たちをイリュージョン(幻影)の世界に閉じ込める
過去のトラウマを思い出した時、自分を庇う(かばう)為に被害者意識で考えるのですが、この赦せない(ゆるせない)気持ちが自分自身の心にかけた呪いなのです。私は相手を呪ったのかもしれないが、自分のことは庇おう(かばおう)としたのであり、自分を呪う意図はなかったのだと
「キミには聴こえるか? 彼の心の祈りが?彼の願いが?頼む、彼を理解してやってくれ。そして彼の願いを叶えてやってくれ。キミにはそれができる」よく精神病者が「人の役に立てる人間になりたい」と言う。そういう人間になることを、キミが本当に望むのなら、お互いの心が
妄想とは間違った考えに囚われていることです。妄想が真実だから力があるのではない。その間違った考えを真実だと思い込むことで、自分で妄想に自分を支配する力を与えている。自分の考えていることが間違っていると、自分で気付くことによって妄想は止められる。にほんブロ
誰にでも間違いは起こるものだが、間違いは訂正可能である。答えは存在する。被害妄想とは間違った考えを訂正できない精神状態のことです。間違いは誰にでも起こる。「今自分は間違った考えをしている」と自分で気付ければ妄想は訂正可能になります。にほんブログ村
過去のトラウマを思い出した時、自分を庇う(かばう)ために被害者意識で私が考えていることは客観的に見て間違っている。更に自分を庇うための被害者意識が私自身の苦しみの本当の原因である心の闇を増大させてしまう。まず他者を赦し、次に自分の心の闇を恐れずに直視するこ
被害者意識でネガティブになって考え込んで言動や振る舞いにそれを出すと大抵酷い結果になります。自分の考えていることを客観的に見て、間違ったことを考えていると自分で気付き、そこで被害妄想を止めれば、言動や振る舞いに出ないので、何も起こらなかったのと同じになり
自我が頭の中で語る言葉の原理は『Only I think this way(そう思うのは私だけ)』であり、その正しさを支えているのは「私は頭が良い」というプライドです。これが自我という心の闇であり、自我を支えている正しさの「絶対的根拠は嘘だらけ」です。内なる心のリンク(繋がり)、
私がかつてネットの世界で探求していたのが特別性の承認欲求であった。特別性とは神からは拒まれた特別な承認をこの世界の他者に要求するというものです。それはイリュージョン(幻影)の夢の世界が私の目の前に表れて、その中で「より多くの何かを求める」ということ。何が?
自分は何にも悪くないのにあの人のせいで甚大(じんだい)な苦痛を味わったと、被害者意識に囚われている時、それでも、自分の理屈の正当性よりも、相手の幸せを願う気持ちがあれば、必ず赦す(ゆるす)ことができる。にほんブログ村
外の世界に誹謗中傷を見る時、そこに目が釘付けになるが、その時、自分の内側の「心の闇」の存在には気付かない。外の世界に酷いことが書かれているというが、同じものが自分の内側の「心の闇」にある。誹謗中傷とは自分の内側の「心の闇」が投影されて外側に映し出されたも
過去のトラウマを思い出した時、無意識に自分を庇う為に被害者意識で考え出す。自分は悪くなくて他人が悪いという、頭の中で自分の自我が言ってることを理解しようとすると、段々腹が立ってくるのです。この時にできるだけ早く、考えてる内容が間違ってると自分で気付けると
神と神が創造したままのオリジナルの神の子の関係を神聖な関係という。ある時、神の子がオリジナルの神の子であることを辞めて、自分で思い通りのパロディーの自分になれたら、物凄く特別な存在になれるという妄想を抱いた。そう思った途端に神の愛が感じれなくなり、パロデ
あの人のせいで苦しんだと思っている時が一番苦しいですが、彼に罪悪は無かったと赦そう(ゆるそう)という目的を持つなら、必ず赦せる時が来ます。その時、本当の原因が見えるようになり、解決策が授けられる。この世界を駆動しているのは心なのです、真の因果律とは物理法則