上の記事を書いた頃、私は従来の写真表現とは異なる、動的で現象的な写真表現のあり方について夢想していた。それからしばらく経って、写真は初めから現象として存在しているということに気がついた。考えてみれば当たり前のことである。この「現象としての写真」という考え方は現代のメディア環境において、写真そのものが常にどこかで生成、流通、改変されながらその現在地や姿を常に変化させていること。そして、車の窓から眺めた風景のように、私たちが(文字通り)目の前に刻一刻と移り変わる仮設的な風景として写真を見ていることからも、あまり的外れなものではないように思う。 氾濫する写真の環境的な前面化は、視界の写真化