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2022/11/07

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  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その9。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    かつての宿場町の雰囲気。長須賀。「べにや」。右折します。この通りにも昔風の建物があります。商家風の建物が多い。ところで、館山市とは?中世には戦国大名・里見氏がこの地を治め、1580年(天正8年)、里見義頼は、水軍の拠点として利用していた館山湾を望む独立丘に館山城を築いた。現在は城山という名で呼ばれるこの独立丘には、里見氏の築城以前にも城館が構えられ、ここから館山という名で呼ばれていたようである。館山城は曲亭馬琴『南総里見八犬伝』の舞台ともなっている。1591年(天正19年)、里見義康は里見氏の本拠を館山城に移すと、城山の周囲に家臣の居住地を造るとともに、その北側に商人・職人を集めて海に面した城下町を形成した。1781年(天明元年)、稲葉正明が加増を受けて大名となり、1万石の小藩として館山藩が立藩する。ただ...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その9。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その8。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    海沿いから田園地域へ。バスは、国道128号線を進みます。※旧道は残っていて、国道から分かれて進むところがあります。途中、「伊南房州通往還」旧道を通り、「丸山川」を越えます。※丸山川南房総市丸山地区の北端、嶺岡山地中央部愛宕山南西麓の二ツ山に挟まれた谷を水源とする。同じく愛宕山を水源とする愛宕川を合わせた源流部は「千葉県酪農のさと」として公園や観光施設が整備されている。平安時代より軍馬牧場として放牧が盛んであったこの地(峯岡牧)が江戸時代に幕府直轄となり、1728年(享保13年)に八代将軍徳川吉宗がインド産乳牛3頭の飼育を開始し、「白牛酪」として乳製品や傷薬を製造したことが日本における酪農の始まりとされていることから「日本酪農発祥の地」とされ、1963年(昭和38年)5月に千葉県史跡に指定された。「国道12...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その8。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    三原川河口にある「和田サーフ橋」。国道脇には村社・浅間社の石柱と元禄16年の大地震の記念碑(句碑)があります。ただし、かなり摩滅していて判読できません。碑の裏には、地震の被害のようす等が記されている、とのこと。解説板を設置して頂けると、ありがたい。元禄地震は元禄16年11月23日(西暦1703年12月31日)の未明に発生した。地震の規模はマグニチュードM7・9〜8・2とされ、1923(大正12)年の関東地震(M=7・9)よりやや大きい。大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられている。ただし、規模や震源域、地殻変動などは大正関東地震よりも大きいものであった。大規模な地盤変動を伴い、震...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • 2月12日。向島百花園・梅まつり。満開の梅やしき。メジロ。

    向島百花園・梅まつり開催中。しろかが。べにとうじ。べにちどり。鮮やかな紅色。白梅、紅梅と色とりどりで満開。東京スカイツリー。福寿草(ふくじゅそう)。メジロ二羽が梅の枝に。飛び回って花の蜜を吸っています。花から花へ、枝から枝へ、梅の木から他の梅の木へ。目まぐるしく飛び移るメジロ。見知らぬ中型の鳥が木の枝に。近所の公園の花壇も満開の花々。地元の方々が丹精込めて育てています。2月12日。向島百花園・梅まつり。満開の梅やしき。メジロ。

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    国道128号を越え、斜めに旧道を進みます。角のところに、「房州みやげひものかわはぎくじらのたれ中村鮮魚店」という看板。「くじらのたれ」とは?「くじらのたれ」は、くじら肉をたれに漬け込んで干した千葉県南房総の郷土料理。見た目は炭や海苔のように真っ黒で、木の皮のような見た目である。「くじらのたれ」に使用されるクジラは体長12メートルほどのツチクジラという種類である。鎌倉市内の遺跡から出土する多くの鯨骨の存在などから、鎌倉時代後半の13世紀頃から室町時代14世紀~15世紀頃までには、房総で沿岸捕鯨が始められていた可能性が考えられている。各地で「網取り法」での捕鯨が主流になっても、ツチクジラが深くまで潜るため網取り法が適さず、一貫して「突き取り法」でおこなってきたことが南房総地域の捕鯨の特徴的である。捕鯨は昭和の...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    内房線「和田浦駅」。フェニックスの大木。木の元に菜の花。待合室で休憩。抽象画が飾られています。※「道の駅和田浦WA・O!」に展示されている全長26メートルのシロナガスクジラの骨格標本。ここ南房総では、17世紀頃から小型船による沿岸捕鯨が行われてきました。そして現在でも、6月から8月に掛けてツチ鯨の漁が行われています。シーズンになると、捕獲された鯨とその解体を見る為、各地から多くの人々が訪れます(捕鯨の予定などは、捕鯨の会社外房捕鯨さんのブログに情報が掲載されます)。捕鯨は早朝出航し、当日の夕方は捕獲した鯨を曳航して港に帰り(当日出航の当日帰港)、鯨はそのまま熟成させるため、一晩寝かせます。翌日の早朝、鯨の体長などの計測したあと日の明けぬうちから解体が始まります。解体には、大きな包丁(薙刀のよう)を持った男...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    往還(旧道)に戻ります。右手奥に満開の桜の森。水準点。すばらしい槙の生垣が続く。「花嫁街道・黒滝ハイキングコース」案内板。《花嫁街道の由来》山間にある上三原の集落と海辺の集落との交流道、古くは塩汲みの道から生活物資の往来、学校への通学路として利用され、かつては花嫁行列もここを通って嫁いでいったことから、近年ハイキングコースとして整備され花嫁街道と呼ばれるようになった。昔とは多少道筋は変わってはいるが、歴史は古く、今でも経文石、じがい水、猿渡り、馬井戸、駒返し、桟敷塚(馬駆け場)等の地名が残されている。上三原集落も歴史は古く、頼朝伝説に出てくる名馬「スルスミ」を産出したといわれる磑(スルス)森集落、里見伝説の残る五十蔵集落、竹の中集落の竹は浜の漁業の必需品である満漁籠。魚樽の材料として売るために植栽され生活...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    満開の桜が間近に。このブログを掲載したときには、早くも東京などでも「河津ザクラ」などが咲き始めた、というニュースがありましたが、このときに、今年初めて満開の桜を見ました。※東京地方も、その後、寒気が入りこみ、雪模様に。坂道を上がっていきます。と、満開の桜並木。散策にやってくる人も。遠く、南房総の海が見下ろせます。ここは、抱湖園。全国的に有名な花の産地である南房総市和田町にある「抱湖園」は、当地に花栽培をもたらした偉人、間宮七郎平が開いた庭園です。元々薬剤師であった間宮七郎平は、花づくりによって半農半漁で生計を立てる民を救いたいという想いから、花栽培に取り組みました。安房で初めて花栽培に成功し、自らくわを持って山を切り開いて花木を植栽。この際に植えられた寒桜は、旧暦の元日朝に咲くことから「元朝桜」と名付けら...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    眼下に南房総の海が。鴨川市から南房総市に入ります。「またどうぞ鴨川へ」。南房総市南房総市は、千葉県の南部に位置する自治体である。関東地方および千葉県最南端。南房総観光圏の観光都市。市域は森林セラピー基地、海岸部は南房総国定公園に指定されている。本地域が位置する安房地域は718年(養老2年)に上総国から分かれ、明治初期まで安房国と呼ばれていた。国府は旧三芳村に置かれ、条里制の遺構も見られる。かつては多数の荘園があり、これらは中世末まで統治者の交代を繰り返した。戦国時代に入り、15世紀中頃に里見氏が安房統一を果たし、戦国末期に館山城を築城し、安房国統治の拠点とした。江戸時代初期、里見氏は江戸幕府により1614年(慶長19年)に改易され、以降この地は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治された。近代に入り、1...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

    1月27日(土)晴れ。房総東往還(伊南房州通往還)最終日。《往路》船橋~安房鴨川(「新宿わかしお」7:25―9:36)(「安房鴨川駅」にて)~江見~南三原―(バス)―館山※9時50分に着いた「江見駅」から「南三原駅」までは歩き。《復路》館山~船橋(「新宿さざなみ」16:02―17:39)(「館山駅」にて)※今回も「大人の休日倶楽部」利用で、乗車券・特急自由席を合わせ、3割引き。「江見駅・江見郵便局」に下車。郵便局は閉まっています。旧道に復帰します。海方向。左に折れます。洲貝川。内房線の鉄橋。河口(海)方向。しばらく進み、「国道128号」に合流します。バス停「野田」。「HOTELMAKAI」。ハワイ風リゾートホテル。(「同」HPより)「一期屋」。閉店したようです。国道から右に入ります。ふと左の柱に※「綱吊り...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

  • 2月3日(土)晴れ。隅田公園。「梅の散歩道」。メジロ。ユリカモメ。

    雪模様の東京。近所の高校も早めに下校させていました。2月3日(土)、向島百花園から隅田公園(浅草側)へ。今日のお天気とは打って変わった日差し。ここは、満開の梅も目立ちます。「東京スカイツリー」。梅の花を求めて「メジロ」が来ていました。「隅田川」。ユリカモメ。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a4/be1cd237c01aa5c826ef43e8bdb52edf.jpg">2月3日(土)晴れ。隅田公園。「梅の散歩道」。メジロ。ユリカモメ。

  • 向島百花園。2月3日・節分。

    2月3日(土)。朝から風は冷たいが、上天気。向島百花園へ。梅はどのくらい開花しているか?門脇の梅。白加賀と一重寒紅。手前の公園には、「八重寒紅」が満開。「道知辺(みちしるべ)」。園内の梅の満開は、まだまだ先のよう。この「白加賀」は満開間近。「八重寒紅」。日当たりなどによっても、開花時期が異なるようです。山茶花。「東京スカイツリー」。「唐梅」。日だまりと梅を求めて三々五々訪れる人々。「うめ(月影)」。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/55/3af03e9b69fc1cb72a35bfac79c1f7e2.jpg">向島百花園。2月3日・節分。

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その9。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    右折すると、「江見駅」。その角にあるおうち。南国風の大木。フェニックス(Phenix)カナリーヤシ:古代エジプトの想像上の鳥で、不死鳥と訳される。フェニックスはアラビアまたはフェニキアに住み、史実タキトゥスによれば、500年毎に太陽の都ヘリエポリスを訪れ、生命の終わりが近づくと香木を山と重ねて火をつけ、自らを焼き、たえなる歌声とともに死に至るといわれている。そしてその灰の中から蘇るのが次代のフェニックスであり、同時に二羽のフェニックスはこの世に存在しない。ギリシア語のフォイーニックスは、フェニキア、紫、ナツメヤシの三つの意味を持つ。そこで、生地はフェニキア、王者の色としての紫の色を身にまとうといい、勝者のシンボルとしてのナツメヤシと同一視される。「江見駅」・「江見駅郵便局」。2019年(令和元年)7月1日...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その9。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

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