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2022/11/07

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  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その8。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    この付近から「伊南房州通往還」(旧道)のようです。この先で国道128号を横断します。「助八そば鴨川店」。海から離れた道を進みます。左奥に水平線。静かでのどかな田園風景。右手に山が迫る。この地域は、純農村地域?新興住宅地の雰囲気も。振り返る。この道が、かつては主要道であったことがわかります。水準点(15.5)。旧家の趣のおうち。集落に入っていきます。木造の素敵なおうち。「←180m江見海岸」。海岸方向。この付近の今昔。(現在)国道128号線(赤線)が東西に直線で延びる。(1880年代)東側にずれがある。岩場続きの海岸。JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その8。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    この先、内房線と国道128号を陸橋で越えていきます。スイセン。内房線。「」方向。振り返る。左奥に内房線「山生(やもうめ)橋梁」。途中、露出した岩に、貝の化石の跡があります。※剥がれた部分に貝。この先、旧道は右に折れて進みますが、右折せずにそのまま歩いてしまいました。この付近の今昔。(1880年代)太線が「伊南房州通往還」。直角に曲がる道筋。(現在)赤い線が国道128号。現在の旧道は複雑に進む。※「江見太夫崎」は町村合併で付けられたもので、もともとは、「太夫﨑(村)」であった。そして、「道の駅鴨川オーシャンパーク」脇へ。旧道は、この施設の向こう側、海側を進んでいきます。旧道方向。ユニークな建物。鴨川オーシャンパークは、南房総の観光の主要幹線となる国道128号線沿いにあり、鴨川のとれたての海の幸、山の幸を販売...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    浅間宮の常夜燈。左はツナツリ(綱吊り)で、昔はここに大きな「綱吊りの松」があり、この先の「天面(あまつら)村」への悪病・悪霊などの侵入を防いでいたという。※「綱吊り」=「道切り」道切り疫病が流行らないように行うところが一般的ですが、災いを封じると豊作になるという考えから、五穀豊穣を願って道切りを行うところもあります。正月から2月にかけて多く行われます。疫病神は道を通ってやってやってくると考えられていたので、むらの出入り口にあたる道で行われました。わらの大蛇(市川市国府台辻切り)しめ縄・手桶・サイコロ・蛸(飯岡町三川浜辻切り)男女一対の武者人形(君津市大坂鴨畑人形だんご)大草履(富津市関尻綱つり)道切りの形は、百足や蛇や龍の形をした太綱をむら境の木に掛けるタイプや、綱を道を横切るようにわたし、男女一対の人形...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    この先で、右からくる「国道128号」に合流します。その先、「房総鴨川温泉是空-ZEKUU-」。おしゃれなホテル。海の絶景を目の前に究極の癒し体験“海旅”を叶える都心から東京湾アクアライン経由で車を走らせること約1時間半、千葉県鴨川の荒磯に寄り添うように造られた湯宿。この地屈指のオーシャンビューが魅力だ。完全プライベート空間の貸切露天風呂など、館内のあらゆる場所から、海の壮大なパノラマを間近で見渡せる。もちろん、すべての部屋からもこの唯一無二の景色を満喫。なかでも、是空棟に設えられた半露天風呂付きの客室が好評だ。“密”を避けた“おこもりステイ”にも最適。是空でしか味わうことのできない究極の“海旅”を体験したい。(「旅色」HPより)振り返る。岸壁上に建つのは、「是空」。国道から右の坂道へ。地層が露出しています...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    バス停「仁右衛門島入口」。左折し、仁右衛門島へ向かいます。仁右衛門島(にえもんじま)千葉県鴨川市太海の沖合約200mにある島。全島砂岩よりなる周囲約4kmの島で、千葉県では最も大きな島かつ唯一の有人島である。源頼朝や日蓮の伝説で知られ、個人所有ではあるが千葉県指定名勝となっているほか、新日本百景にも選ばれている。島主である平野仁右衛門の名に因み、この名前になったといわれている。夏涼しく冬暖かい風光明媚な自然の楽園。金銀針茄子(キンギンハリナス)という珍しい植物もみられる。島の南側は荒々しい海岸線がみられ、自然の防波堤の役割も果たしている。《伝説》代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主が推定で38代目。治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    海と山と畑と複雑に入り組む。県道に出てすぐ右の細い道に入ります。住宅地への坂道。坂道の向こうに海。県道に合流。左手にある案内板。※鴨川市太海地区の、昔の名前は「波太(なぶと)」。明治ごろまで、ここは波太と呼ばれていた。今でも、ここは波太の頃と変わらず、のんびりとゆるやかな時間が流れている。「泊まれるレストラン波太オルビス」。鴨川市天津にて地魚寿司&民宿を31年間営んできた「中乃見家」が太海海岸に生まれ変わり「波太オルビス」となりました。一流ホテルやオーベルジュで修業をしたフレンチシェフと、千葉の海の食材を知り尽くしたベテラン寿司職人が見事なハーモニーで美食の皿を提供します。(この項、「」HPより)県道を振り返る。「曽呂川」河口。「なぶとばし」。「内房線」の鉄橋。その奥は、「国道128号」。「ブルースカイ鴨...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    行き先案内板。「↑弁天島→鴨川松島→仁右衛門島」。右手に妙昌寺、急坂の上に八雲神社。鴨川漁港。仁右衛門島方向。左に海を眺めながら、ゆっくり上り坂を。眼下には、「鴨川松島」。大小七つの島(荒島こうじま・弁天島べんてんじま・鵜島うじま・雀島すずめじま・波涛根島はとねじま・猪貝島いがいじま・海獺島あしかじま)の総称であり、宮城県の松島を思わせる景観からその名がついた。中央に「雀島」。魚見塚展望台から鴨川松島。(「」HPより)振り返る。スイセン。少し下ったあと、右の上り坂になっている旧道に入ります。住宅の向こうに海が。南国風な木々。振り返る。海側にある小山。この先、右に上っていくと、「魚見塚展望台」に行けますが、省略。下り坂になると、前方が開けてきます。車道に合流します。正面の丘の上には、「JOSAI」(城西国際...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

    「安房鴨川駅」から「江見駅」までの歩き旅。船橋~安房鴨川の往復を特急「わかしお」を利用しての旅。安房鴨川に着いたのが午前11時少し前。そこからの歩き。帰路は、「江見駅」から安房鴨川。そこから午後3時半過ぎの特急で。「大人の休日倶楽部」を利用したので(往復で200㌔を超えますので)、3割引で大いに助かりました。1月19日(金)。あいにくの曇り空時々晴れ。しかし、強い風もなく、穏やかな日和でした。安房鴨川までの車窓から。「安房鴨川駅」。駅前の通りを進み、「伊南房州通往還=房総東往還」に出ます。ここは、曲尺手になっていました。小湊方面からだと、右折して、すぐ左折します。この角に道標があったのですが、見落としました。商店と住宅が建ち並ぶ街道を進みます。左側は海岸。バス停「前原海岸」。典型的な曲尺手。「加茂川」。上...JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    鴨川市観光案内図。駅周辺は何もありません。西側にはイオンなど大きな店舗もありますが。鴨川市マスコット。安房鴨川駅は、「外房線」と「内房線」の境目の駅。どちらも下りの終点駅。上り「(内房線)館山・木更津・千葉方面(外房線)茂原・千葉・東京方面」の始発駅に。ほとんど1時間に1本。21時で終電。外房線に乗って帰ります。(「上総一ノ宮」で「東京」(京葉線経由)行きの電車に乗り換え、さらに「蘇我」で内房線「千葉」経由、総武線「船橋」まで。)「安房天津」。「木更津行き」の電車(外房線~内房線)。「安房小湊」。帰路。新茂原駅を通過後、「新茂原貨物駅」跡を電車内から撮りましたので、付け足します。「旧新茂原貨物駅」跡。右手に見えてきます。本線からの分岐線。今回、途中から「バス旅」になりました。風光明媚な房総。「おせんころが...JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    港の方へ戻ります。大波が来ると、水しぶきを浴びそう。海の中、緑の海藻。崖が海に迫る。ここで大地震が起き、津波に見舞われたら逃げるすべがなさそう。振り返る。遠くに弁天島。大海原を望む。「安房小湊駅」に向かいます。奥に「鯛の浦遊覧船乗り場」。「吉夢」玄関に飾られた写真。「日本の夕陽百景の館」。小湊漁港。この交差点を左に折れて駅に向かう。と、バス停があり、まもなく来たバス。「安房鴨川駅」(終点は、「仁右衛門島」)まで行く、とのこと。飛び乗ってしまいました。※「安房天津駅」を通過して、安房鴨川駅まで。この先は、バスの車窓からの風景。海岸伝いに進むバスの車窓からは、左手に海が広がります。小さな漁港をたどりつつ・・・。※途中のバス経路は「伊南房州通往還(房総東往還)」と重なっています(言い訳がましいですが)。けっこう...JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その6。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    小湊漁港内。正面奥は、鴨川方向。「遊歩道」案内板。「鯛の浦遊歩道」先端。小弁天島。右端の島は、大弁天島。昭和皇后の短歌を刻んだモニュメント。水際まで下りてみました。そこには、こんな風に穴の空いた石がたくさんあります。はて?生きた貝が穴を空けるというケースがあります。これはボーリングシェル(穿孔貝せんこうがい)と呼ばれる貝が、柔らかい砂岩や泥岩を削ったり、あるいは酸で石を溶かして穴を明けたものです。石に穴を開ける貝としてはタガソデガイモドキ、トマヤガイ、カモメガイ、モモガイ、キナマツカゼガイ、イシマテガイヤエウ、メノハナガイ等があり、貝の大きさやによって穴の径や、角度が変わってきます。一般的な磐笛の多くはこの貝由来のタイプをいい、酸に溶けやすい石灰岩や泥岩や砂岩の場合が多く、深い穴が特徴です。岩(磐)笛磐笛...JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    小湊山誕生寺総門。誕生寺は、日蓮聖人生誕の地に建治2年(1276)に建立されました。明応7年、元禄16年の2度の大地震、津波により水没したこともあり、寺域を現在地に移して堂舎を再興しました。宝暦8年(1758)の大火で誕生寺の諸堂は焼失しましたが、宝永3年(1706)に建立と伝えられる「仁王門」のみ焼失をまぬがれました。県内でも最大規模の仁王門で、創建時の様子をとどめている貴重な建造物として、平成9年に県の有形文化財として指定されました。また、日蓮聖人が下総の富木常忍の妻に宛てた「富城殿女房尼御前御書」は、日蓮聖人58歳の時の御真筆と思われ、聖人の閲歴を知る上で貴重な資料として県の有形文化財に指定されています。他に、本堂と祖師堂に安置されている中世期の「木造日蓮聖人坐像」2軀は、日蓮聖人の古肖像として重要...JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    背後には山が迫っています。房総の海が広がる。内房では対岸に三浦半島が見えますが、はるかかなたまで海が。雀島。磯釣りが盛ん。この付近から海沿いの道から山中の道(峠道)になります。隧道を抜けると安房小湊の町へ。隧道の先は森の中へ。木洩れ陽の中を下っていく。隧道を振り返る。林道風な道。隧道の上を進む旧道?住宅が現れます。左手は廃墟?正面奥に「誕生寺」が見えてきます。誕生寺。裏手の方から歩いて来たようです。JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    古びた木製の案内板。「←・・・誕生寺→」。この付近の今昔。明治以前、山側に古道があったが、その後は、ほぼ廃道。明治以降から唯一の道となる。(「今昔マップ」より)※1969(昭和44)までは、国道128号線として位置づけられていました。さて、旧道(「伊南房総通往還=房総東往還」)を海沿い(崖沿い)に歩くことに。振り返る。「大沢漁港」から北の道は、廃道に近い。眼下に房総の海が広がる。風もなく、穏やかな日差しのもと。車も行き来するので、ちょっと怖い。頑丈なガードレールはあっても、左は垂直の崖が続く。右手は崖。コンクリートで固められているが、そうでないと、・・・。「落石注意」の看板が随所に。しかし、地震などで崩壊したら、にっちもさっちもいかなくなりそう。それでも雄大な景色を堪能しながら歩きます。振り返り、振り返り...JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

    今回。前回の「勝浦駅」から「行川アイランド駅」までは電車(二駅「鵜原」「上総興津」)で移動。そこから「おせんころがし」を歩いて、「安房鴨川駅」まで歩くことにします。「行川アイランド駅」。下車したのは、小生のみ。日陰にあるせいか、よけい寂しい雰囲気。「行川アイランド」駅2006年(平成18年)度の1日平均乗車人員は19人であり、県内のJR駅の中では最も少なかった。1990年代前半は200人超であったが、1994年に200人を割ってからは、年々減少の一途をたどっている。駅名の通り実質的に行川アイランドの来園のための専用駅で、閉園後は一気に利用客が減少した。「行川アイランド」1964年8月13日に開園してフラミンゴショーの人気などから1970年に年間117万人もの入場者数を記録し、外房線に行川アイランド駅が設け...JR外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第8日目。)

  • JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

    朝市通り沿いに商家。朝市通りを振り返る。魚市場に向かいます。観光案内図。勝浦魚市場。水揚げする活発な時間を終え、静かなひととき。「仲本町朝市通り」。振り返る。今回はここまで。勝浦駅に向かいます。「勝浦タンタンメン」広告。勝浦のタンタンメンは、当地の海女さん・漁師さんが寒い海仕事の後に、冷えた体を温めるメニューとして定着してきました。メニューの特徴は、通常のゴマ系と違い、醤油ベースのスープにラー油が多く使われたラー油系タンタンメン。具材はミジン切りの玉ネギと挽肉が入ることが一般的で、お店によってニンニク、ニラ、ネギが入ったり、スープも味噌ベースのお店もあったりと各店が特色を生かしたメニューを提供しております。熱血!!勝浦タンタンメン船団船団長の磯野典正です。2011年に勝浦市をもっと元気にと立ち上がった市民...JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

  • JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

    商店が立ち並ぶ通りへ。昔ながらの商家。空き家?ここは商いをしているようです。振り返る。「松の家」。国の登録有形文化財に指定されている旅館。江戸時代創業の純和風の当館・松の家(本館は国の文化財)は、こじんまりとした小さな古い宿です。設備など大きな温泉旅館さんやホテルさんにかないませんが、勝浦近海の新鮮な海の幸をリーズナブルにご提供致しますとともに、自然と心の安らぐ家庭的な雰囲気を持ってお客様をおもてなし致します。夜。正面のようす。中のようす。(この項、「」HPより)通りを進むと、左奥に「日蓮宗本行寺」。日蓮宗寺院の本行寺は、長寿山と号します。本行寺は、大同2年(807)に僧空海が創建したと伝えられ長寿院と号していましたが、暦応2年(1339)当地へ教化に来た宝乗院日続が、当寺を真言宗から日蓮宗へ改め、長寿山...JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

  • JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

    部原海岸。部原漁港に寄ってみます。小さな漁港。漁船が数隻。突堤では釣り人が。背後に迫る岩山。街道に戻り、先を行くとトンネルが見えてきます。北側入口から南側を望む。南側の扁額には「風早隧道」とあります。来た道を振り返る。「箱岩」が海中に。豊浜港。ここを左折して海岸方向へ。「水準点」。かつての街道であったことが分かります。海岸沿いの道。勝浦の市街地に入っていきます。前方にこんもりした山。前方頭上に高架橋。左手に使用不能のアパート。勝浦市とは勝浦は古くから漁師町として栄えた。中心部の勝浦地区にある勝浦漁港は銚子漁港に次いで千葉県第2位の漁獲量であり、カツオの漁獲量は関東地方の漁港では最大である。日本三大朝市のひとつである勝浦朝市や、かつうらビッグひな祭りなど、祭事・催事も盛んである。ご当地ラーメンとして2015...JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

  • JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

    今回は、夕方から予定があるため、一駅間のみの歩き。1月5日(金)。晴れ。外房線「御宿駅」。ホームに海女さんの像があることに気づき、パチリ。房総の海女(あま)は、三重県和具、石川県輪島市舳倉島と並んで「日本の三大海女」として知られていました。房総の中でも外房の御宿と南房総市白浜は代表的な地域で観光面でも有名でした。しかし海女が全盛期だったのは1960年代あたりまでで、今はこの地に海女さんはいません。(「月の沙漠記念館」HPより)さて、この先、「国道128号」にはトンネル(隧道)が4つほど続きます。路肩もなく、車も行き来があり、危険。※旧道は山道で、後半は道なき道になるようなので、最初から遠慮。国道を歩くことにしていました。(「今昔マップ」より)駅前にタクシーが停まっていたので、事情を話すと、「けっこう危ない...JR外房線「御宿駅」~「勝浦駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第7日目。)

  • 初春。向島百花園。春の七草。スカイツリー。もうじき「梅まつり」。

    新年を迎えた向島百花園へ。東京地方は昨日も快晴でした。能登半島地震は悪天候の中、捜索が続けられていますが、なかなか進みません。道路など寸断されたライフライン、復興支援も困難さが増しているようです。そんな中、暖かく、風もない午後の向島百花園。七福神廻りの人出も。「献上七草籠と百花園」。明治時代、その当時のお得意様の方々の中に九條家(のちの大正天皇の皇后様となられました節子姫のご生家)がありまして、年末になると七草籠をお届けしておりました。その後、明治33年に節子(さだこ)姫が大正天皇の皇太子妃になられると、七草籠を宮内庁にお届けしまして、妃殿下のもとにさしあげていました。それが献上七草籠のはじまりで、毎年当園の職員が手作りで育てた七草を籠に盛り込んで、新年に皇室に献上しています。春の七草。こちらにも、冬らし...初春。向島百花園。春の七草。スカイツリー。もうじき「梅まつり」。

  • JR茂原駅~本納駅。廃線跡を探る。その4。新茂原貨物駅跡。(「房総東往還」を歩く。番外編。)

    引き込み線は外房線本線から左へカーブし、「阿久川」左岸沿いに進んでいました。航空写真での「新茂原貨物駅跡。」全景(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。現在の様子。建物が残っています。かつての正門か?外房線踏切近くに道路上の線路跡。外房線・本納駅方向。右に貨物駅・駅舎跡。草むらから覗くと、プラットホーム上部。地面は、コンクリートで覆われています。現在は、資材置き場。周囲は田園地帯。北側から望む。すっかりさび付いた線路。構内信号機。北側の踏切に行ってみます。本線からの引き込み線。本納駅方向。貨物駅へ。道路上の線路。今回は、ここまで。「本納駅」まで歩きます。※「伊南房州通往還(房州東往還)」で歩いた道を戻る。本納駅。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4...JR茂原駅~本納駅。廃線跡を探る。その4。新茂原貨物駅跡。(「房総東往還」を歩く。番外編。)

  • JR茂原駅~本納駅。廃線跡を探る。その3。新茂原貨物駅跡まで。(「房総東往還」を歩く。番外編。)

    バラストが残されている線路跡。線路跡に残る標識(↓)。鉄道標識のようですが、詳細不明。旧敷地内にある標識。「管理者関東天然瓦斯株式会社」。旧線路の地中には、天然ガスのパイプが敷設されているようです。新茂原貨物駅方向。右手の鉄柵は、鉄道由来のもの。旧貨物線・線路跡。振り返る。左が線路跡の草むら。この付近では、線路跡が明確。(「三井化学」方向。)外房線方向を望む。「三井化学工場」方向を望む。線路跡はこの先埋もれてしまいます。外房線方向。外房線との分岐点。線路跡。カーブしているようすが分かります。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/7e/17c42bd4e06d6e77ca61239ac5e08a72.jpg">跨線橋下。遠くに新茂原貨物駅(跡)が見...JR茂原駅~本納駅。廃線跡を探る。その3。新茂原貨物駅跡まで。(「房総東往還」を歩く。番外編。)

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