JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その9。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)
かつての宿場町の雰囲気。長須賀。「べにや」。右折します。この通りにも昔風の建物があります。商家風の建物が多い。ところで、館山市とは?中世には戦国大名・里見氏がこの地を治め、1580年(天正8年)、里見義頼は、水軍の拠点として利用していた館山湾を望む独立丘に館山城を築いた。現在は城山という名で呼ばれるこの独立丘には、里見氏の築城以前にも城館が構えられ、ここから館山という名で呼ばれていたようである。館山城は曲亭馬琴『南総里見八犬伝』の舞台ともなっている。1591年(天正19年)、里見義康は里見氏の本拠を館山城に移すと、城山の周囲に家臣の居住地を造るとともに、その北側に商人・職人を集めて海に面した城下町を形成した。1781年(天明元年)、稲葉正明が加増を受けて大名となり、1万石の小藩として館山藩が立藩する。ただ...JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その9。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)
2024/02/17 18:48