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2022/11/07

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  • JR成東駅~横芝駅。その6。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    商家。来た道(旧道)を振り返る。左から来ました。街道筋らしい家並み。横芝駅に向かいます。横芝上町郵便局。右奥に大きなおうち。右手に国道126号。「←銚子匝瑳東金千葉→」。※匝瑳=そうさ。難解地名の一つ。商家。商売はしていないようです。国道126号を渡ります。「国道126号」:千葉県銚子市から東金市を経由して、千葉市稲毛区に至る一般国道。総武本線の踏切を越えます。「第一千葉銚子街道踏切」。※「総武本線」は、佐倉から単線になります。横芝駅前。今回はここまで。駅に向かいます。総武本線「横芝駅」。西方向。帰途の車窓より。山裾をたどるように旧道は進んでいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c2/30ff9b23765b543a25d52fa6227...JR成東駅~横芝駅。その6。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR成東駅~横芝駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    出桁造りの商家。現役の酒屋さん?昔、田舎によくあった「よろず屋」さん的存在。隣には土蔵。左手に槇の生垣が続きます。大きなおうちが多い。奥には田んぼが広がる。国道126号に合流します。「八田本村入口」の看板。田んぼの向こう、西方の山すそに集落があります。「八田砦」跡などがあるようです。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)国道から左の道に入ります。途中、「多古」への道と分かれる。右手に大きな木造の建物。「こさく呉服店」。その隣に「金刀比羅神社」。上町三叉路。明治時代、この付近には、沼地が広がっていました。(1880年代)「琴平神社」があります。沼地に挟まれた微高地に街道が通じ,集落が形成されていきます。※当時の表記では、「従銚子港至千葉町道」とあります。(現在)坂田池がかつての沼地。南部は、鉄道、住宅地や田...JR成東駅~横芝駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR成東駅~横芝駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    「国道126号」に出ます。国道の向こう側に旧道から続くような道があります。旧道かと思いましたが、そうではないようです。※このかんの歩きで、銚子往還と国道との関連は、左折していく道が旧道となるようです。国道から遠く東を望むと、踏切を電車が通過中。国道126号線。交通量は激しい。丘の上には、山武望洋中学校。「県道62号」と交差。「←成田・(銚子連絡道路)松尾横芝IC」。この先で左に分かれる旧道に入ります。右手に「天然醸造古谷糀店」。「生みそ特製こうじ味噌甘酒漬物糀」などを製造販売しています。道を挟んで、長屋門の旧家。ゴミ収集箱に「生子宿区」と。この付近の集落は「生子宿」。「生子宿」は何と読むか?「はだかじゅく」と読みます。またしても難解な地名に出会いました。「生子宿不動尊堂」。旧道らしい落ち着いた街並み。<i...JR成東駅~横芝駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR成東駅~横芝駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    車も少なく、ほとんど人とも出会わない旧道。「木戸川」を渡ります。田園地帯が広がります。「木戸川」下流・小松交差点付近は、河津桜が咲きそろう花見の名所になっています。(2024/3/1「山武市観光協会」HPより)下流方向。陽光の下、のんびりと。住宅が続きます。浅間神社庚申塔(山武市有形文化財)。解説版。旧道はまだ先に続きます。国道126号にコンビニや食堂があるので、ここから右折していったん国道に。バス停「田越」。「仲よしドライブイン」。看板が剥げかかり、古びた建物ですが、けっこうお客さんの車が入ってきます。旧道に戻ります。上空に航空機の音が頻繁に。↓。成田空港を出発する航空機が多い。九十九里浜に抜けていくルート。旧松尾城御殿表門。立派な長屋門。民家の表門になっています。藩主の居館として建築された御殿の表門。...JR成東駅~横芝駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR成東駅~横芝駅。その2。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    左手に「光明寺」。「銚子往還」道。裏手の小山。右手に「らぁ麺富士虎屋」。らぁ麺富士虎屋・富士虎(黒)。富士虎(白)。2022年12月15日にオープンした大髙醤油直営の醤油ラーメン屋です。お子様からお年寄りまで幅広い年齢層に気軽に醤油を味わってもらうというコンセプトの元、毎週木曜日金曜日のランチタイム11:00〜15:00(L.O.14:00)の営業となります。また、ラーメン屋「富士虎屋」は大髙醬油の味を楽しんで実感していただくためのラーメン屋だけではなく、地元山武市の魅力を充分に実感してもらえるよう併設の直売店では大髙醬油の商品はもちろんのこと近隣地域の商品も取り扱っています。(「大髙醤油」HPより)「大髙醤油」のトラックが停車中。左手のおうち。槙の生垣が連なっています。「公園」入口。バス停「富田東」。駒...JR成東駅~横芝駅。その2。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR成東駅~横芝駅。その1。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    3月15日(金)快晴。銚子往還歩きの第3日目。成東駅(船橋~千葉~大網~東金~成東)に到着。「成東駅」は「東金線」の終点と同時に、「総武本線」の駅でもあります。※総武本線名称は上総国(かずさのくに)・下総国(しもうさのくに)と武蔵国(むさしのくに)を結ぶことに因む。1972年(昭和47年)、錦糸町駅から東京駅まで地下トンネル化が完成した後(総武快速線)は、「東京駅~銚子駅」となる。錦糸町駅で分岐して御茶ノ水駅に至る支線(総武緩行線)、小岩駅(新小岩信号場駅)から分岐して金町駅および、越中島貨物駅に至る貨物支線を持つ。電車内や駅構内の旅客案内上は主に千葉駅から銚子駅の区間がこの名称で呼ばれる。成東駅前の案内板。伊藤左千夫の生家などをたどる道(成東駅~東金駅)のようです。※伊藤左千夫の歌碑が錦糸町駅前(ここで...JR成東駅~横芝駅。その1。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • 「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その6。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

    真亀川の土手から廃線跡(片貝駅方向)を望む。向こう岸(東金駅方向)に行くため、県道の橋を渡ります。あぜ道から橋台跡を望む。田植えの準備が進む。「真亀川」下流方向。新しい橋を建設中。土手の部分も工事中なので、県道から回り込んで、廃線跡の水路の出会いまで歩きます。県道沿いの「ラーメン自動販売機」。最近、はやっているようです。水路になっている廃線跡。「真亀川」方向。東金市浄化センターの用水路として転用したもののようです。幅は思ったよりも広い。「東金駅」方向。用水路となっている廃線跡。水路脇の道を歩きます。南側に広がる田畑。しだいに住宅地に入っていきます。ボケの花。「堀上(ほりあげ)」駅は、どの付近にあったのか?↓が「堀上駅」(があったところ)。(「今昔マップ」より)この先、広い「国道126号」を越えて、廃線跡は...「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その6。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

  • 「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その5。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

    通りを越えて、廃線跡を進みます。しばらく進むと、砂利道に。この先は、土手(路盤)に戻る。脇道から廃線跡を望む。振り返る。立て看板は、「関東天然瓦斯」の看板だった?舗装された、生活道路に。振り返る。微妙なカーブが線路を彷彿とさせる。都内では見かけない消火栓。少し広くなったところ。菜の花が満開に。この付近に家徳駅があったようです。右の↓が「家徳」駅、左が「堀上」駅。(「今昔マップ」より)両側に家並みが続きます。この先、廃線跡は田んぼの中の道に。右が線路跡(路盤)。歩いている道は線路跡ではありません。線路跡にはけっこう草が生い茂り、歩くのを躊躇。唯一の遺構・橋台跡を発見。片貝駅方面を望む。東金駅方面を望む。↓が橋台跡。「真亀川」に突き当たります。廃線跡はこの先は、水路となって東金駅方向へ進みます。「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その5。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

  • 「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その4。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

    「西」駅から次の駅跡へ。廃線跡としてけっこう広く残っています。県道に接近する廃線跡。振り返る。田植えの準備が始まっています。廃線跡の部分?黄金のすすき(?)の波。振り返る。足元には車線のデザイン。右手は住宅。左は田畑。右手に大きな公園。九十九里町と東金市の境。バス停。駅の跡ではなさそうです。ここまでが遊歩道(九十九里町)。振り返る。この先は廃線跡の堤になります。県道の方に迂回して進みます。「九十九里町」ともお別れ。東金市入り。踏み跡があります。遠くに車が駐車中。刈られた土手を歩く。真夏時の草がいっぱいのときには、歩きにくそう。右手は工場。左手には水田が広がる。あぜ道に咲く紫の花。新しい広い道を通過。荒生(あらおい)駅跡?廃線脇の草。これは?この先で廃線跡は藪の中に隠れてしまいます。来た道を振り返る。再び廃...「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その4。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

  • 「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その3。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

    随所にベンチなどが設置されています。「関東天然瓦斯」。南関東ガス田のうち千葉県茂原市を中心とした一帯の鉱区の採掘権を所有し、水溶性天然ガスの採取・販売及びヨウ素の製造・販売を営んでいる。可採埋蔵量973億立方メートルと推定される合計714平方キロメートルの鉱区で、天然ガス採掘権を有する。ただし、天然ガスの生産は地盤沈下をもたらすため、千葉県との協定に基づいて制限している。可採埋蔵量は、現在の生産量の600年分にあたるという。※房総東往還歩きのとき、茂原付近で「大多喜ガス」の大きなガスタンクを見ましたが、廃線後の九十九里鐵道の敷地もこの会社の所有地になっているのでしょうか。農家の間の道を抜けて行きます。左方向。右方向。この広い土地には、駅舎でもあったのでしょうか?左手に田んぼが広がります。右手にはバスが通る...「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その3。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

  • 「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その2。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

    東金駅まで向かって出発です。右の道路は廃線跡ではありません。左の住宅が廃線跡に建てられたもの。敷地が四角でなく、細長い三角形になっています。左手が軌道跡。→が線路跡。上が「片貝駅」。通りを越えると、廃線跡は右にカーブします。この先で、遊歩道になります。自転車道と歩道と分離。遠くに大きなガスタンク。「九十九里町」とある。千葉県は、南関東ガス田の中心地で天然ガスが採取される地域。九十九里町では、地元の天然ガスを原料とした都市ガスを供給しています。交差する道路の足もとには、九十九里町の町章とガスバルブ。用水路を越えます。現役の頃からあったのでしょうか?振り返る。周囲には田んぼが広がります。「きどうみち」。営業当時のようすはどうだったのでしょう?九十九里鉄道線は、千葉県東金市の東金駅と山武郡九十九里町の上総片貝駅...「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その2。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

  • 九十九里鐵道廃線跡(片貝~東金)。その1。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

    かつて、JR東金線「東金駅」から九十九里浜の「片貝駅」まで「九十九里鐵道」線がありました。※「九十九里鐵道」現在はバス専業であるが、社名に「鉄道」が付くのは、1926年(大正15年)から1961年(昭和36年)までの間、東金駅から九十九里町の上総片貝駅までを結んでいた鉄道路線(1931年まで軌道)を有していた名残である。鉄道路線は千葉市や山武郡成東町(現・山武市)への延長も計画されていたが実現せず、1961年3月1日に廃止された。その後も社名に「鐵道」の名を残し、バス停名には片貝に「駅」が冠されるなど、鉄道の名残が見られる。※九十九里鐵道線は、千葉県東金(とうがね)市の東金駅と山武(さんぶ)郡九十九里町の上総片貝(かずさかたかい)駅を結ぶ8.6㎞の路線。廃線跡は、九十九里町側は「遊歩道(軌道道(きどうみち...九十九里鐵道廃線跡(片貝~東金)。その1。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

  • JR東金駅~成東駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    バス停「」。左手のお店。「田舎ずしことぶき」。「田舎ずし」とは?立ち寄ってみます。大きな巻物。30㎝以上。太さは10㎝。恵方巻のはしりのような?その大きさにビックリ!玉子太巻き、太巻き寿司。玉子の太巻きの具は干瓢と玉子、でんぶ、玉子の方には椎茸が入ってます。巻き寿司の中で絵を作るのが蘇我や千葉辺りの昔ながらの風習ですが、そこまで凝ってなく、素朴で田舎っぽさがあります。他にも、うずら豆の煮物などのお惣菜がケースの中に並んでいます。巻きずしはけっこうな大きさなので、持って帰るには・・・。煮物を二種類、購入します。甘さもほどほどで、美味でした。バス停「波切不動」。左手高台に、「波切不動」。成東下町の標高30メートルの小丘「石塚山」(石塚の森)の中腹の岩石上に、成東山不動院長勝寺本堂が建てられています。入母屋造り...JR東金駅~成東駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR東金駅~成東駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    しばらく県道を進みます。左の旧道へ。古びた方向案内板。この角にもあります。「関東ふれあいの道」。ため池「東池」。西側には「根蔵池」「姫島池」。旧道はもう少し進みますが、県道に戻ります。バス停「根蔵(ねぞう)」。県立成東高校モニュメント。開校当時、学校と県道を直接つなぐ道路はなく、生徒は曲がりくねった小道をたどって登下校していたが、登下校時の混雑や雨天・霜解け時のぬかるみが大きな問題となっていた。これを解決するため学校と県道を結ぶ100間の道路建設を計画していたが、用地の買収をめぐって地主との折り合いがつかず、建設の目途がたっていなかった。1910年になって、地域有力者の仲介などもあって用地の買収が成立し、11月16日から職員・生徒を動員して建設工事がはじまり、12月24日に完成した。翌年、皇太子嘉仁親王(...JR東金駅~成東駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR東金駅~成東駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    街道筋らしい家並み。バス停「東金商業入口」。「←↑→」。角に大きなお屋敷。「千葉学芸高等学校」。県道から分かれ、左の道に。ここでも水路沿いに進む。変わりやすい雲行きに。昔ながらの家並み。「真亀川」沿いのレストラン。「kawanosaki」。古民家の店で隠れ家風。(「食べログ」より)左奥にあります。県道に合流する手前に、キンカンの実がすずなり。趣のあるおうち。里山風景。県道に合流。「公平幼稚園」。1974年(昭和49年)4月、旧公平小学校の西半分を使用し、公平幼稚園が開園。園庭は、かつての小学校の校庭の大きさだったのですね。園舎も小学校の校舎のまま?右手は九十九里浜平野。小高い森。バス停「姫島」。JR東金駅~成東駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR東金駅~成東駅。その2。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    バス停「片貝県道入口」。九十九里浜・片貝に向かう県道。商家が建ち並ぶ。西北に向かう県道。街道の両側に古くて立派な商家造りが続きます。(写真を取りそこねたおうちも多い)なまこ壁。「上行寺」山門。「←東金簡易裁判所」。立派な土蔵造り。「村井綿店」。見事な看板建築。「田中家具店」。1930年(昭和5年)築。黄金色のモルタル塗り。側面、正面とデザインが見事。先に進みます。まだまだ古い町家がありそうです。二軒とも素晴らしい。手前が看板建築、奥が出桁造りの商家。バス停「金半前」。朱塗りのおうち。軽トラも朱塗り。一方では洒落たお店も。「SUNNYDAY」。左手に「田間神社」。この神社の上が、かつての城址に。土塁と空堀で区画された主郭と、細長い第二郭が並ぶ直線連郭状の城跡で、現在城山団地となる一帯にも、「山小屋」と呼ばれ...JR東金駅~成東駅。その2。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR東金駅~成東駅。その1。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

    「東金駅」。駅前の案内板。今回から、JR東金線「東金駅」から「成東駅」までの報告。かつて東金駅から九十九里浜まで鉄道が敷かれていました。↑が軌道跡。「今昔マップ」より。九十九里鉄道線は、千葉県東金(とうがね)市の東金駅と山武(さんぶ)郡九十九里町の上総片貝(かずさかたかい)駅を結ぶ8.6㎞の路線で、1961年に廃線となりました。1926年の開業後、成東(なるとう)町(現・山武市)や千葉市への延伸は実現しませんでした。九十九里鉄道では、小さな車体の単端式ガソリンカーが使われていました。客車の前面にフォード社製のエンジンを取り付け、バックができない構造のため、終点で向きを変える必要がありました。廃線間際には、鉄道と並行する未舗装の道路に自社の定期バスも運行し、列車と交互に運行しました。乗客が上総片貝駅で尋ねる...JR東金駅~成東駅。その1。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

  • JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

    「東金」。東金の(かつての)中心街に入っていきます。バス停「」。この付近の今昔。(1880年代)。東金街道沿いに町屋がり、東南側は畑地が広がる。(現在)駅を中心に市街地が発展。※「東上宿」は、かつての宿場としての地名ではなく、街道筋にある「上宿」との関連。東金市江戸時代には徳川将軍家(徳川家康、徳川秀忠)が八鶴湖へ鷹狩に訪れ、東金御成街道、東金御殿などを整備し、宿場町・問屋街として栄えた。その後も山武地域(山武郡市)の拠点都市として、農業・商業を中心に発展してきた。市の中心駅東金駅と県庁所在地の千葉駅は東金線-外房線で約35分で結ばれている。また、朝夕は京葉線経由で東京駅発着の通勤快速も運行されている。バス輸送においても、東京駅・千葉駅への直通バスが、東関東自動車道-京葉道路-千葉東金道路経由で運行されて...JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

  • JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

    右手に「ヰセキ関東甲信越千葉事務所」。かなり大きな営業所のようです。左手には「旬菜らーめんえむず」。地元食材、トマトなどを用いた創作ラーメンがウリ。バス停「市立西中学校入口」。正面奥は、「東金九十九里有料道路」高架。下の流れは「北幸谷川」。高架橋をくぐり、正面の道を進みます。道路脇の用水路蓋の上を歩きます。水路脇が旧道になっている場合がよくあるようです。槙の生垣。立派なお屋敷が続きます。正面を左に曲がります。東金線の踏切を渡ります。「第三東金街道踏切」。「東金駅」方向。「福俵駅」方向。JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

  • JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

    「銚子往還」としての旧道は、国道を渡った正面の道のようですが、左に見える国道脇の道(旧道)に進んでしまいます。この道も旧道のようです。すぐ国道に合流します。この付近の今昔。(現在)現在も旧道として残されている。(1880年代)新堀地区への道が旧道。朽ちたバス停。東金市へ。九十九里浜らしい広告。「なめろう」。イワシやハマグリなど海の恵みが豊かな千葉県ですが、千葉の海産物といえばやっぱりアジが代表的ですよね。千葉では昔からアジが豊漁で、なめろうは千葉の代表的な郷土料理として広く知られています。あまりのおいしさに、ついお皿まで舐め尽くしてしまいたく──というのが由来の「なめろう」。なめろうは、アジやイワシ、サンマなどの青魚を薬味や味噌などと一緒に包丁で叩いて作ります。味噌など塩気を含む調味料と一緒に叩くことで粘...JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

  • JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

    年季の入ったおうち。看板建築風。バス停「大網下宿」。大きく右折します。その先を左折。「曲尺手(桝形)」。宿場を抜けて田園地帯へ。田畑が広がる。かえもん・ジョブファーム直売所。里山風景が広がる。クラフト工房。「南白亀川」を渡ります。南白亀川(なばきがわ)千葉県の房総半島東部九十九里平野を流れる二級河川。南白亀川水系の本流である。地理・環境大網白里市小西付近の丘陵面に源を発し東流する。間もなく両総用水を越えて、東金市との境界を南下する。東金線を越えると川幅が広がり、多くの支流を集めながら東へ進む。周囲は水田と畑が混ざって分布しており、複数の頭首工によ取水されている。東金市との境界で再び南へ折れ、小中川を合わせると茂原市に入る。赤目川を合わせると今度は長生郡白子町に入り、観音堂橋・白子町役場付近で東へ折れる。古...JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

  • JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

    今回から「銚子往還(街道)」歩きの報告。成東までは、「東金線」、成東からは房総本線を利用しての歩きとなります。第1日目2月9日。晴れ時々曇り。手始めに「大網」から「東金」までをあるくことに。北風が冷たく、体感的には寒い。南房総歩きとは、けっこう異なるようです。「大網駅」。右は「東金線」。「駒込」交差点。ここをスタート地点とします。右(南)に進むのが「伊南房州通往還(房総東往還)」、左(北)に進むのが「銚子往還」。「外房線」のガードをくぐります。「落合橋」から「小中川」上流。「南白亀川(なばきがわ)」の支流。下流方向。大網白里市のマンホール。太平洋に面している大網白里市の名勝九十九里浜海岸に朝日が昇るデザイン。旧市街地を進む。バス停「市役所入口」。町時代の「役場前」というバス停名も。房総半島独特の小山。宿場...JR東金線「大網駅」~「東金駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第1日目。)

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