chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
おやじのつぼ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/11/07

  • 京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その1。「三沢川」。複雑な都県境をクリアー。川崎市上下水道局第2取水系 (かんがいさく井)」。旧渡船場道馬頭観世音塔

    いよいよ多摩川に向かいます。「よみうりランド」から越えてきた都県境は、「三沢川」を渡り、「多摩川」方向へ。かなり、はしょりましたが、やっと。(「気象協会」HPより借用)○の複雑な都県境。主に東京都町田市と神奈川県相模原市、横浜市、川崎市との境界線。初めに「境川」沿いを歩き、その後、多摩丘陵を上がったり、下ったりしてここまでたどり着きました。駅前の案内図。4月21日(金)。晴れ。「京王よみうりランド駅」下車。大勢の若者が集まっています。「よみうりランド」に向かうのでしょうか?都県境標示のところへ。「三沢川←神奈川県横浜川崎治水事務所→東京都南多摩東部建設事務所」。対岸の標示。「よみうりランド」方向。崖になっています。「三沢川」(下流方向)。ここからスタート。多摩川に向かいます。対岸の深い森を背に、京王線のガ...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その1。「三沢川」。複雑な都県境をクリアー。川崎市上下水道局第2取水系(かんがいさく井)」。旧渡船場道馬頭観世音塔

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その7。「よみうりランド」。ゴンドラ スカイシャトル・空中散歩。都県境を空から?

    坂道を下り、右に折れると、「よみうりランド入口」へ。左側が稲城市。都県境は、目の前の「丘の湯プラザ」敷地内を抜け、「よみうりランド」、「ジャイアンツ球場」等へ進みます。その先、北東に広がる「小沢城址特別緑地保全地区」から「三沢川」へ向かいます。賑やかな歓声が響く「よみうりランド」。バスターミナルで小休止し、さてどうするか?膝も痛くなってきたので、ここでリタイヤー。空から都県境付近を眺めることにします。(「よみうりランド」HPより)「ゴンドラスカイシャトル」に乗って、「京王よみうりランド駅」まで空中探訪、ということに。「片道300円」。ジェットコースターが間近を通過します。「慶友病院」脇が都県境。「よみうりランド妙見堂」。左手を回り込むように都県境が続きます。「ジャイアンツ球場」。二軍戦を開催中、大きな声援...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その7。「よみうりランド」。ゴンドラスカイシャトル・空中散歩。都県境を空から?

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その6。ゴルフ場沿いの道が長く続く。川崎授産学園・ソレイユ川崎。よみうりゴルフ倶楽部。

    住宅地の道がなくなり、急にフェンスの中に。雨水用の溝でしょうか、鉄製のふたがかかった細道に。行けそうなので、歩いてみます。右手下の住宅地が見下ろせます。高台を歩いています。ひょっこり広い道に。左手に、「新ゆり展望の丘墓苑」。「TYCCコース管理事務所」。「東京よみうりカントリー倶楽部」のようです。左手一体にコースが広がっています。しばらく都県境になっているフェンス沿いの道を進みます。道の右には、「不法投棄厳禁」という川崎市の掲示板。左には、稲城市のものが。。(手前)川崎市と(向こう)稲城市のマンホール?この先で、都県境は、ゴルフ場の中に進んでいきます。振り返る。ゴルフ場沿いに進みます。右手の森。「向原の森公園」。「川崎授産学園」。川崎授産学園は、国際障害者年(1981年・昭和56年)に『人間の尊厳と社会的...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その6。ゴルフ場沿いの道が長く続く。川崎授産学園・ソレイユ川崎。よみうりゴルフ倶楽部。

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その5。麻生区金程。満開の藤の花。平尾山王橋児童公園。

    川崎市麻生区金程。前方に、「東京都稲城市」。振り向くと、「川崎市麻生区」。通りを渡って「麻生川」沿いに進みます。右手が川崎市、左手が稲城市。すてきな満開の藤の花。横に這わせています。「金程調整池」。川沿いに進みます。曲がりくねった道を進む。左に「平尾山王橋児童公園」。緩やかな上り坂。この先、山道風になります。左手が「宅地造成工事地域(稲城市)」。「よみうりランド」が造成主。都県境標。川崎市と稲城市の連名(→)。左手が川崎市に。森を抜けると、住宅地に。「よみうりゴルフ倶楽部」の広大なゴルフ場の脇をたどります。フェンス沿いに進む。(「今昔マップ」より)○が「新百合ヶ丘総合病院」、→が都県境。京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その5。麻生区金程。満開の藤の花。平尾山王橋児童公園。

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その4。新百合ヶ丘総合病院。麻生(あさお)川。

    住宅の脇の細道を進みます。都県境標。右手の畑地と奥の森。川崎というと臨海のコンビナート、大きな工場が立ち並ぶ印象(「京浜急行(京急)を利用して出かけることが多いため)が強いのですが、こうした農業地帯が広がっていることに驚きました。振り返る。東電の送電線。稲城市側(左)にも畑が広がる。「新百合ヶ丘総合病院」の裏手に出ます。都県境は、この先、左に折れていきます。病院を回り込みます。右手の森の中を都県境が続いています。「麻生(あさお)川」に出ます。下流方向。上流方向。森からの道が都県境?その道の東側に、稲城市平尾。振り返ると、川崎市側。この先からしばらくは、「麻生川」が都県境になります。左は、稲城市。多摩ナンバー。川の向こうは、川崎市。麻生川沿いに進みます。京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その4。新百合ヶ丘総合病院。麻生(あさお)川。

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その3。「平尾入定塚」・「平尾十三塚」。畑地。

    しばらく山道が続きます。右が川崎市、左下が稲城市。稲城市平尾。都会境標。右手には竹林や雑木林が。山道が終わり、公道に。この奥の森へは立入禁止区域。都県境にあたるの森の左手には、「平尾入定塚」跡、さらにその先には、「平尾十三塚」があります。「平尾入定塚」は、見逃してしまいましたが、「平尾十三塚」解説板。奥の森。平尾十三塚(ひらおじゅうさんづか)東京都稲城市平尾二丁目と、神奈川県川崎市麻生区五力田の境にある十三塚。東京都内で唯一、13基の塚全てが現存している十三塚である。稲城市平尾は多摩丘陵を造成して平尾団地が建設されるなど、丘陵地帯だが開発が進んだ地域である。平尾十三塚は、この平尾団地南側の造成を受けていない区域にあり、稲城市と川崎市との境界をなす丘陵稜線上に13の塚がほぼ東西向きに整然と並んでいる。一般的...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その3。「平尾入定塚」・「平尾十三塚」。畑地。

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その2。栗木台見晴し緑地。。平尾外周通り。

    道なりに山道を上がっていくと、ひょっこり、畑に出ました。農作業中の方に話を聞くと、「ここは、稲城だよ。右の森の向こうは、黒川。この辺一帯は、黒川と言っていたんだ。」「この先はどう歩けば?」「この先を進むと、十字路の道に出会うから、そこを左に曲がっていけばいいよ。」ということで、一安心。案内板。「あさお(麻生)ウオーキングマップ」。川崎市の立てたもの。「栗木台見晴し緑地」から階段を下りて住宅地へ。見上げると、けっこう急な階段。都県境は森の中に続きます。右上に「栗木台まみ沢公園」。都県境は左上から右下へ。そして、通りを横切ります。この道を上がります。川崎市の境界標。左は、稲城市若葉台。眼下は川崎市。振り返ると、右が稲城市に。黄色いガードが目印?稲城市のマンホール。右が川崎市、左が稲城市。振り返ると、右が稲城市...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その2。栗木台見晴し緑地。。平尾外周通り。

  • 京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その1。若葉台駅北口。三沢川。稲城市マンホール。

    4月14日(金)。曇り。「晴れ」の予報でしたが、黄砂のため薄曇り、ということに。京王線「若葉台駅」北口下車。駅前は、都県境が入り組んでいます。右手の店舗は川崎市麻生区黒川、左手のマンションは、稲城市若葉台。左手に、一部が都県境になっている建物。「ローソン」の裏手が都県境。都県境。「若葉台駅」を望む。北が「東京都稲城市」。南が「川崎市麻生区」。境界標。東京都のマーク(↓)。稲城市のマンホール。市章と市の木イチョウの葉。都県境は、正面奥、三沢川を越えて、南東に向かいます。「三沢川」。上流方向。三沢川は多摩丘陵内を流れて多摩川に注ぐ川であるが、三沢川の左岸は若葉台、向陽台という多摩ニュータウン地域となっている。三沢川流域の多摩ニュータウン開発に際して最も問題となったのは、多摩ニュータウンの雨水の処理方法であった...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その1。若葉台駅北口。三沢川。稲城市マンホール。

  • 小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その5。弓の橋。丘の上広場公園。多摩市・稲城市、川崎市。若葉台駅。

    ようやく東端に。「弓の橋」。「多摩東公園」(東京都多摩市諏訪)を結ぶアーチ橋。通りの向こうは、「多摩東公園」。「丘の上広場公園」(多摩市)。都県境界にある公園。「よこやまの道」の東順路の終点です。ここを右折し、京王線「若葉台駅」へ向かいます。この道が都県境になっています。境界標石。多摩市聖ヶ丘。右手は稲城市になります。「介護老人保健施設デンマークイン若葉台」(稲城市)。デンマークインとは?正式名称「デンマークINN」とは高齢者福祉先進国であるデンマークが掲げる「高齢者福祉3原則①自己決定の尊重②残存能力の活用③生活の持続性」を守り、「INN(小さなホテル)」のように気楽に高齢者の方々が宿泊し、食事をし快適な生活を送れるようスタッフ一同がおもてなしをする気持ちでサービスを提供することを願って名付けたものです...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その5。弓の橋。丘の上広場公園。多摩市・稲城市、川崎市。若葉台駅。

  • 小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その4。諏訪ヶ岳」の三角点。都県境。小田急線「はるひ野駅」。

    いったん下って、広場に出ます。「よこやまの道」碑。「瓜生黒川道」案内板。「多摩よこやまの道」に交差するこの山道は、川崎市麻生区の黒川と多摩市永山の瓜生を結んでいた江戸時代頃から近代にかけての往還道で、昭和の初めまで黒川の特産品であった「黒川炭」や「禅寺丸柿」などを八王子方面や江戸市中に運ぶ近道でもありました。また、武蔵六所宮(現大国魂神社)の神前に供える汁物を調整していた黒川の汁守神社前からこの尾根までの間に、「街道」を意味する「海道」の字名が今でも残っています。※町田市真光寺には、「飯守(いいもり)神社」という神社があり、ここは汁守神社の汁物に対して「飯物」を調製したと伝えられている。尾根道から黒川に向かう山道。「黒川はるひ野」解説板。「黒川」の名の由来は、川の水が澄んで川底が黒く見えたためと言われてい...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その4。諏訪ヶ岳」の三角点。都県境。小田急線「はるひ野駅」。

  • 小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その3。防人見返りの峠。「都県境」境界標。「古代東海道と丸山城」。

    「よこやまの道」解説板。左手の視界が開けてきました。前方の丘に向かいます。「防人見返りの峠」「防人見返りの峠」。右手は畑になっています。農作業中の人の姿も。「都県境」境界標?「よこやまの道」を歩いていて、初めて確認できました。右手には、深い森が続きます。「古代東海道と丸山城」。解説板からは、「よこやまの道」を南北に抜ける旧「鎌倉街道」が何本か通り、さらに東西を貫く「古代東海道」などの古道が残っている、とのこと。小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その3。防人見返りの峠。「都県境」境界標。「古代東海道と丸山城」。

  • 小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その2。よこやまの道。川崎市の最西端。西側順路・東順路分岐点。

    農作業が進む田畑の路を歩き、山道に入ります。この先、国士館大のところで、都県境と再会します。この道を向こうから親子が自転車でやってきので、ビックリ!谷戸の最奥付近。都県境にもなっている「よこやまの道」に出会います。「よこやまの道」「よこやまの道」は、万葉集において多摩の横山と詠われた多摩丘陵の尾根部に位置し、「多摩の自然と歴史にふれあう道」を基本テーマに整備が進められてきました。既存の山路や尾根沿いに残された自然や緑を積極的に活かしながら、樹林内の散策路や休憩広場、多摩市域を一望できる展望広場等が整備され多摩丘陵や多摩ニュータウンの風景とともに、四季折々の自然に親しみ地域に残る史跡や伝説の歴史文化にふれあうことのできる全長約10kmの遊歩道です。よこやまの道の由来この万葉集は「赤駒を山野の中に放牧して捕ら...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その2。よこやまの道。川崎市の最西端。西側順路・東順路分岐点。

  • 小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その1。真光寺公園。町田いずみ浄苑。布田道。

    4月1日(土)。快晴。前回、最寄り駅だった小田急線「黒川駅」から歩き、尾根道まで上がって「真光寺公園」まで歩こうと思いましたが、上り坂をまた上がるのは、と・・・。小田急線「鶴川駅」から「真光寺公園」までバスで向かうことにします。「真光寺公園」。大きな公園。満開の桜の下、スロープの芝生で親子連れが走り回っています。正面の森の向こうに都県境があります。付近の案内図。東側(上)が川崎市、西側(下)が町田市。公園を回り込んで、都県境に向かいます。「川崎市麻生区」。振り返ると、「東京都町田市」。山道から「真光寺公園」へ続いた都県境は、道路を横断して進みます。町田市側を望む。急な階段を下ると、大きな墓苑が広がります。「町田いずみ浄苑」。広大な敷地。町田市と川崎市の境にある。桜の園らしく満開の桜。北側の道が都県境となっ...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その1。真光寺公園。町田いずみ浄苑。布田道。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その7。真光寺緑地。川崎市黒川青少年野外活動センター。黒川駅・読響。

    先に進みます。オッとつまずきそうになった!都県境石。「真光寺緑地」。都県境の尾根道は、この先、「真光寺公園」まで続きます。のんびりと尾根歩き。町田市真光寺地区。2つ並んだ境界標。散った桜の花びらと共に。散歩には、ほどよいアップダウンの道。しかし、尾根道を横切るのは、急な坂が左右に。左手下は住宅地、右手下は工業団地に。高圧電線の鉄塔。さて、そろそろ黒川駅への分岐点に。ありました!反対方向から歩いていると、目につきますが。都県境(尾根歩き)。今回は、ここまでに。右手の山道を下ります。四阿のところで、小休止。緑濃き尾根道。新緑の季節はもうじき。下りもけっこう急な坂道。左手に「しゃべりっちょ牧場」。子ども達の声が聞こえてきます。すると、山道を上ってくる若い会社員。大きな鞄を持って、あえぎあえぎ。「真光寺公園の向こ...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その7。真光寺緑地。川崎市黒川青少年野外活動センター。黒川駅・読響。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その6。桐光学園。

    尾根道が続きます。鶴川方面。左、眼下に住宅地。下り坂になり、一般道に。鞍部に。右手は「(川崎市)麻生区栗木」。左手側は、「町田市(広袴)」。再び尾根道に戻ります。右手の川崎市側。しばらく行くと、右手に「桐光学園」。左・眼下は、町田市。サッカーグランドでは、試合中。「桐光学園」は、サッカー、野球などの強豪高。勉強の面でも、神奈川県内のトップレベル。※卒業生に中村俊輔がいます。東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その6。桐光学園。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その5。リニア新幹線工事現場。

    田園風景が広がる。一転、大きな工事風景に。リニア新幹線の工事現場。《関連工事区間》①多摩川から町田市東部境まで→大深度地下トンネル(非常口を概ね5キロ間隔で設置)②町田市西部境から相模川まで→大深度ではない地下トンネル③相模川から山梨県境まで→山岳トンネル(相模川、串川、道志川は橋りょうで渡河)《車両基地》相模原市緑区鳥屋付近このうち、①の区間関連工事のようです。神奈川県内にできる新駅は、「橋本駅」付近になるようで、駅前では大規模な工事が続いています。「平和台北」バス停付近。地域の開発、発展、影響など、反対の動きもあって、まだまだ全線の完成、運用が見通せないようですが。この先で山道に入ります。振り返る。大きなグランドやテニスコートがあったところ。畑地。「美しい里山を守ろうたぬき一同」。川崎市側。町田市側。...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その5。リニア新幹線工事現場。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その4。住宅地をジグザクに進む都県境。ウグイスの姿を初めて確認。

    「グラウンド」を迂回します。当時は満開の桜の下。ぐるりと回り込むと、グラウンド内から進んできた都県境と再び出会います。右から来た都県境は左へ。都県境の道を進む。大きなお屋敷。「片平中町遺跡公園」。都県境の道沿いにあります。この階段の上にありますが、パス!川崎市のマンホール。住宅地をけっこう上り下りします。柿生駅方面を望む。能ヶ谷大地の丘緑地。右奥が都県境となります。住宅の右手に都県境があります。階段を下って右の道(都県境)に。道なりに進みます。道の向こうは、川崎市。奥は、川崎市麻生区、手前は、町田市能ヶ谷。農場に突き当たり、そこを左に。正面は、川崎市麻生区片平。すると、「ホーホケキョ」とさわやかな声が響いてきます。見上げると、〇。ウグイスの姿が。よく見ると、電線にとまっています。姿を見せない、といわれるウ...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その4。住宅地をジグザクに進む都県境。ウグイスの姿を初めて確認。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その3。町田市能ヶ谷。商船三井柿生グラウンド。

    迂回し、小田急線の踏切を渡ります。前方に、「川崎市麻生区」。振り向くと、「東京都町田市」。線路の向こうに都県境?(↓)。この建物「二輪屋」さんの先を上がって行きます。町田市能ヶ谷住居表示。白い部分は、川崎市麻生区。しばらくは町田市能ヶ谷内を進みます。都県境は、かなりジグザクです。この付近の今昔。2010年代のようす。住宅がびっしり。1970年代のようす。丘を切り崩して住宅地に。けっこう急な上り坂。高台の上に建物。崖の上が川崎市麻生区?右手の「イトーピア東公園」のすぐ東側に都県境。この先で、都県境は、西にジグザクのコースを進んでいく。「商船三井柿生グラウンド」。この大きなグランドの中をジグザクに進む都県境があります。(「マピオン」より)ジグザグの線が都県境。この先もジグザクに住宅地を進む「都県境」(町田市、...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その3。町田市能ヶ谷。商船三井柿生グラウンド。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その2。麻生川。都県境の水路。フェリシア高等学校。

    右岸側に都県境の標示。左岸側。「河川管理境界鶴見川」。左側の塀に沿って都県境(町田市と川崎市)が続くようです。都県境は、鶴見川から麻生川(「あそう」ではなく「あさお」)に移ります。鶴見川方向を望む。左が川崎市麻生区、右が町田市三輪町。麻生川に沿って進む。左が町田市、右が川崎市。麻生川(あさおがわ)主に神奈川県川崎市麻生区を流れる河川。鶴見川水系の支流である。東京都稲城市平尾と神奈川県川崎市麻生区金程との境界付近に源を発する。途中で小田急線の柿生駅の西150mの地点で片平川が流入し、神奈川県川崎市麻生区下麻生において鶴見川に合流する。一部で東京都町田市と麻生区の都県境を流れる他はほとんど麻生区内を流れる。・・・小田急小田原線の新百合ヶ丘駅~柿生駅間とほぼ並行して流れる地域の沿岸1.1kmに渡って桜並木があり...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その2。麻生川。都県境の水路。フェリシア高等学校。

  • 東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その1。恩廻公園。旧流路沿いの都県境。

    今回は、「寺家(じけ)ふるさとの村」の水車小屋付近から森の中に進んで都県境が、森から出たところから。前回の最寄り駅・東急線「市が尾駅」からバスに乗車、「下麻生」バス停で下車。帰りは、「小田急線「黒川駅」まで。鶴見川に架かる「水車橋」。橋を渡って右へ向かいます。「恩廻(おんまわし)公園」へ。右から合流する「真福寺川」。桜が満開。「恩廻公園」。「恩廻(おんまわし)公園建設の由来」。鶴見川は、以前蛇行しながらこの公園の敷地を流れていましたが、神奈川県は地元の方々の用地の提供、家屋の移転など多大なご協力を得て、昭和48年度(1973年)から昭和51年度までの間に河道を整備し、現在の姿にしました。県は、この河川改修工事によって生じた延長800㍍、面積2㌶の旧河川敷地に憩いの広場を建設するため、昭和52年度より工事に...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その1。恩廻公園。旧流路沿いの都県境。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その5。じけのたんぼぼう。「大池」。都県境の道。水車小屋。四季の家。東急田園都市線「市が尾」駅。

    「都県境」(町田市と横浜市)は、左手奥の方から進んできます。そこまで歩きます。じけのたんぼぼう。たんぼぼうって?たんぼぼうは横浜市青葉区寺家町にある、ふるさとの森のむじな池のすぐそばにあります。休耕田となってからは、大人の背より高い葦が生い茂り、太い樹も生えていました。そこをお借りしました。それから、子どもの様々な体験ができる場にすべく、草刈り、水路作り、ビオトープづくり、生き物調査に、ザリガニの駆除などをしています。そして環境が整えば、併合して稲作も行って農体験も行う予定です。それを当初から行なっているのは、子どものワークショップの会員の子どもたちとそのご家族と、ボランティアのみなさんです。目的は●子どもが自然と人に主体的に関わって喜びをつくり出せる環境をつくる。●子ど︎もの時にしか得られない貴重な体験...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その5。じけのたんぼぼう。「大池」。都県境の道。水車小屋。四季の家。東急田園都市線「市が尾」駅。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの道・むじな池。・・・

    鴨志田地区。西側(白紙の地域)は、町田市。周辺は、今でも緑豊か。この一帯は、横浜市青葉区にあり、中高層住宅や一戸建ての住宅が建ち並んでいます。1970年代のようす。日体大を含め、丘陵地帯の大規模な住宅開発が進められている。2010年代のようす。住宅が建ち並び、大きな街造りになっている。「鴨志田」住宅地区は、上部。おしゃれな飲食店などが。「鴨志田公園」から下っていくと、大きな森と、田畑が。懐かしい田園風景が広がります。「寺家田んぼ」。森の中の小道。「くまの橋」。「むじな池」。この辺一帯は、「寺家ふるさとの森」と名付けられています。「寺家ふるさとの森」。森を出ると、田んぼが見えてきます。寺家ふるさと村東京都町田市と川崎市に隣接し、雑木林の丘に挟まれた「谷戸田」と呼ばれる細長く伸びた水田が幾筋もある「昔ながらの...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの道・むじな池。・・・

  • 浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。

    隅田川越しのスカイツリー。やはり満開の桜も入れないと、シダレザクラの向こうに。29日は久々の晴れ。気温の上昇に伴って、雲も夏雲のような・・・。墨田区側に比べると、人通りは少ない。足もとには小さな花が満開。桜橋のたもとで。「ワシントン桜」。1912年(明治45年)、東京市(当時)はアメリカ合衆国ワシントンD.Cへ桜を贈りました。これらはポトマック河畔の桜として大切に育てられ、桜の名所として親しまれています。ここに植えてある桜は、桜橋の架橋(1985年ー昭和60年ー)にあわせて、ワシントンの桜(子孫木)の里帰りをじつげんさせたものです。・・・「桜橋」の下を眺めると、いました!都鳥(ゆりかもめ)の群れが。このところ、隅田川ではまったく見かけませんでしたが。一安心しました。鳥が悠々と大空を。「墨堤通り」の桜並木。...浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。

  • 久々の晴れ間。隅田公園の桜も満開。人出もたくさん。

    スカイツリーと満開の桜。枝垂れ桜。右は首都高。ソトオリヒメ。ベニユタカ。シダレザクラ。隅田公園にて。満開の桜の下。お昼時なので、親子連れがお弁当を広げています。外国人の姿も見かけます。隅田川の土手のソメイヨシノも満開。満開の桜の下、そぞろ歩き。隅田川を行き来する観光船・大型ボート。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0b/84f25e509b2ab12bae8318e4ca363361.jpg">久々の晴れ間。隅田公園の桜も満開。人出もたくさん。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。「こどもの国」。横浜美術大学・日本体育大学。鴨志田公園。

    かつての尾根道を進みます。この通りは、「こどもの国通り」。道の右側(川崎市側)は眼下に広がります。足もとのマンホールは、町田市。左に折れ、「三輪青葉公園」沿いに。右手では、TBSの「テレビスタジオ(緑山スタジオ)」を建設中。右下が開けてきます。遠くに丹沢山塊が見えます。この付近で、都県境は、左手にある「こどもの国」の敷地内に進みます。「こどもの国」沿いの道。「こどもの国」正門。こどもの国神奈川県横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪町に跨って所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設。戦時中、当地は旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であり、敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されていた。後に返還を受けると、195...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。「こどもの国」。横浜美術大学・日本体育大学。鴨志田公園。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。

    対岸へ回ります。アシの茂みにシラサギ。都県境は直線で南へ。この付近の今昔。2010年代のようす。東側は緑地帯。1880年代のようす。鶴見川はほぼ現状のまま。「精進場橋」から上流を望む。※この橋は、右岸、左岸とも町田市三輪町に接しています。右岸にある「鶴見川河川管理境界」標。右(下流)が東京都(町田市)、左(上流)が神奈川県(川崎市)。対岸(左岸)に見える「管理境界」標。振り返ると、右手のブロック塀が境界線のようです。この先、都県境の道はたどれそうもないので、「精進場橋」からの道に迂回します。左手に立派なお屋敷。町田市消防団のところを右折します。この辺が都県境?ちょっと都県境をかすめて進むと、左手に「ジップゴルフアリーナ」。そのまま広い道を直進すると、その先で都県境に合流しますが、ゴルフ場脇の緑地帯を歩きま...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。

  • 小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。真光寺川。町田市能ヶ谷。開戸親水ひろば。

    東京地方。散り始めた「ソメイヨシノ」が雨に打たれています。花冷えという感じ。散る桜を愛でる外出も出来ず、・・・。「都県境」を探る旅の続きの報告を。このところの変化の激しい時節。ちょっと季節感がずれてしまっているかもしれません。3月11日(土)。快晴。鶴川駅下車。「鶴見川」の前回地点から、再開。「睦橋」。対岸は、町田市になりますが、すぐ都県境は、鶴見川左岸から北に向かいます。東京都と明示。この道が都県境。右が川崎市、左が町田市。左は、鶴川駅のホーム。都県境は、線路を横切り、向こう側に進むので、回り道をします。○の部分が入り組んだ都県境になります。見て分かるとおり、行政区分がはっきりしていて、川崎市にはまったく関わっていない。↓が線路の向こうの都県境。交差点を右折します。「真光寺川」沿いに。小田急線のガードを...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。真光寺川。町田市能ヶ谷。開戸親水ひろば。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その7。河川管理境界。川崎市麻生区。旧流路。tamaki niime。大正橋。

    この付近の都県境は、鶴見川の旧流路沿いになっています。そのため、鶴見川をはさんで、町田市と横浜市が入り組んでいます。下流を望む。小田急線の手前で都県境は左に折れる。「河川管理境界鶴見川」。←横浜川崎治水事務所川崎治水センター→東京都南多摩東部建設事務所ここにも記されているように、神奈川県側は「川崎市麻生区」となります。左にある旧流路沿いの遊歩道へ。右手に見えるマンションは、川崎市麻生区。正面奥が小田急線。小田急線沿いに戻ります。小田急線沿いの道がしばらくは都県境。左にユニークな建物が。コロナ禍だから、関東に初の直営店。東京町田の洞窟みたいな家がtamakiniimeの第2の拠点に!有限会社玉木新雌2021年6月6日21時10分tamakiniimeTOKYOMACHIDAオープンのご案内播州織の産地・...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その7。河川管理境界。川崎市麻生区。旧流路。tamakiniime。大正橋。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。鶴見川。

    「玉川学園」まで緩やかな上り坂。都県境の道になっています。高校生達がすごい勢いで坂を下っていきます。小田急線「玉川学園前駅」に向かっているのでしょう。都県境は、玉川学園内を通り、和光大学方向に進みます。(「今昔マップ」より)かつては丘陵地帯。それが今では。※「玉川学園」は、小田急線をはさんで(丘で越えて)、東西に大きく広がり、正門は「玉川学園前駅」の北口を出たところにある。東口案内所から構内へ。都県境の道は公道のようです。校舎が並ぶ。この建物は、町田市に属しています。右手に、「教育博物館」。この建物は、横浜市青葉区に。創立者が生んだ「全人教育」を実践すること、それが玉川の教育創立者小原國芳が1921年に開催された八大教育主張講演会で「全人教育」を提唱し、100年が経ちました。その間全人教育を教育方針に掲げ...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。鶴見川。

  • 仙台屋。江戸彼岸。オオシマザクラ。・・・そして、向島百花園。荒川ではマラソン大会。

    墨堤通りの桜もようやく咲き始めました。ヨウコウ(陽光)。センダイヤ(仙台屋)。エドヒガン(江戸彼岸)。オオシマザクラ(大島桜)。帰り道に「向島百花園」に寄ってみました。ここもめっきり春らしい装いに。カンヒザクラ(寒緋桜)。木瓜。ふりそでやなぎ。三椏(みつまた)。水面にてっぺんだけを映すスカイツリー。やっと春めく園内。さんしゅゆ。サンシュユ(山茱萸)ミズキ科ミズキ属の落葉小高木。中国原産で、春先に葉が出る前に黄色い花を咲かせ、秋にグミに似た赤い実をつける。別名でハルコガネバナ、アキサンゴ、ヤマグミとも呼ばれる。山茱萸(サンシュユ)は漢名(中国植物名)で、この音読みが和名の由来である。日本名の別名ハルコガネバナ(春黄金花)は、早春、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることからついた呼び名で、日本植物学者の牧野...仙台屋。江戸彼岸。オオシマザクラ。・・・そして、向島百花園。荒川ではマラソン大会。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上ると東玉川学園町。かつての尾根道。

    右手にあるお店のところで、都県境は、鋭角で折れていきます。下方の△のところ。右下から来て、左下へ。賑やかな通りをかすめるように、鋭角に折れて行きます。右手にある「都市再生機構奈良北団地」は、横浜市青葉区奈良。曲がったあと、振り返る。(写真で)通りの右側は、町田市成瀬台地区。この先で、右折します。右は横浜市青葉区、左は町田市成瀬台。町田市成瀬台の住宅地。町田市「中央通り」。ここを右折します。団地のところで、小休止。正面にある急坂を上ります。と、広い道に。住居表示。「町田市東玉川学園」の住宅地が広がります。右手は横浜市緑区・保存地区の森。眼下は、横浜市青葉区方面。右下は、「モアクレスト玉川学園」(横浜市青葉区)。横浜市青葉区。かつての尾根道・都県境を進みます。左下に町田市玉川学園の町並みが広がります。丹沢・大...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上ると東玉川学園町。かつての尾根道。

  • 春の気配に誘われて。隅田公園。枝垂れ桜。少年野球・サッカー。てんやわんやのお店造り。「みやび」。

    3月19日(日)。快晴。一昨日からの寒の戻り、冷たい雨のあと、今日は打って変わって春らしい暖かさ。春の気配に誘われて、隅田川の桜見物に。まだ2分咲き、といった感じですが、それでもけっこうたくさんの人たちが。まだ風が冷たくて、「春爛漫」とまではいきませんが、・・・。枝垂れ桜が満開。日曜も仕事なのか、サラリーマンが桜の下で。歩道沿いには、ユキヤナギ。グランドでは少年野球の大会が開かれ、大勢の少年少女が勢揃い。掛け声を掛け合ってウオーミングアップ。こちらのグランドではサッカーの試合が。二分咲きの桜をバックに。隅田川ではモーターボートが水しぶきを上げて下流に向かっています。墨田区側の堤では「さくらまつり」の準備で大忙し。各町内会のテントが張られ、雪洞が飾られ、飲み物や食べ物準備など、大慌てで準備を進めています。こ...春の気配に誘われて。隅田公園。枝垂れ桜。少年野球・サッカー。てんやわんやのお店造り。「みやび」。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。遠く丹沢山塊。奈良谷戸橋。

    左は住宅地、右は都県境になっている緑地帯。この付近(町田市側)の宅地開発は、丘陵地帯の一部を切り崩しての大がかりなものでした。1970年代のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)2010年代のようす。北西側はすっかり住宅街に。1880年代のようす。都県境はほぼそのまま。フェンス沿いに都県境。緑地(横浜市)。ユニークな建物。「studiogalleryPlannnet」。急な階段。西側方向を望む。久々に見つけた「飛び出し坊や」。遠く丹沢山塊が。一番左が「大山」(のはず)。頑丈なフェンスでガードされている緑地帯。この先、こういう光景をしばしば見受けます。「都県境」標石。来た道を振り返る。切通しの道路を越えて向こう側へ。階段下にいる人の背丈と比べると、けっこうな上り階段ということが分かります。横浜市青葉...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。遠く丹沢山塊。奈良谷戸橋。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。都県境の尾根道。風の広場。都県境の標石。「まむし注意」。

    右が住宅地(横浜市)、左が森(町田市)。町田市成瀬5丁目。梅が満開。坂道で振り返る。まもなく左手が開けてきます。町田市街地。広場で保育園児が遊ぶ。起伏があって面白そうに走り回っています。「成瀬尾根の山岳展望図」。左から右へ、箱根連山、丹沢、御坂、南アルプス、大菩薩、奥秩父、奥秩父、奥武蔵まで一望できる、とのこと。西側には雲が多く、大山など丹沢山塊はよく見えましたが、その他は確認できず、残念!尾根道が都県境になっています。都県境を示す標石。右が横浜市、左が町田市。農地が左右に広がっています。横浜市側。町田市側。分かれ道を左に。足もとには、境界を示す標石が順々に埋め込まれています。町田市の標石。市章が刻まれています。これは、横浜市の市章。「風の広場」に到着。横浜市側には梅が満開。「源流の森保存地区横浜市」。源...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。都県境の尾根道。風の広場。都県境の標石。「まむし注意」。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その2。恩田川。吹上の石仏。高台の街並み。成瀬山吹特別緑地保全地区。

    恩田川・上流を望む。奥に見えるのは、町田市立総合体育館。桜が満開時にはさぞかし。対岸は、町田市成瀬。高台から長津田駅方面を望む。広い通りに出ます。「横浜市青葉区」。ちょっと戻ると、「吹上の石仏」。この付近に都県境があります。振り返ると、「東京都町田市」。高台を通っている都県境に向かいます。目の前には、けっこうな階段が。振り返る。頂上から南を望む。西を望む。この辺の方々は、いつもこの上り下りを・・・。車でも怖いくらいの坂道。隅田川以東のまったく起伏のない、平坦な土地に住む人間にはもう疲れる!※上り下りする道は、荒川などの川に架かる橋を越えるところしかありません。この道が都県境となります。(右側)横浜ナンバー(左側)多摩ナンバー。振り返り、振り返り、・・・。住宅地のはずれに、「成瀬山吹特別緑地保全地区」。名称...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その2。恩田川。吹上の石仏。高台の街並み。成瀬山吹特別緑地保全地区。

  • 東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門の処刑の地。恩田川。河川管理境界。都橋。

    今回からしばらく。多摩丘陵を上がったり、下ったり、迂回したり・・・。多摩川に出るまでは、けっこう起伏に富んだコースとなりそうです。前回のところから、歩きを開始。都県境は左から右へ横切る。右折すると、この細道が都県境。左が町田市、右が横浜市。突き当たりを左折すると、右手のこんもりとした森の一角に、墓碑が2つ。正面は、日露戦争で戦死した兵士を悼む碑。解説板。「日露戦争の旅順港攻略作戦・白たすき決死隊・中野好治の忠魂碑」。司馬遼太郎の描く日露戦争『坂の上の雲』・旅順要塞第3次総攻撃乃木と伊地知がやった第3次総攻撃ほど戦史上愚劣な作戦計画はない。相変わらず要塞に対する玄関攻撃の方針を捨てず、その作戦の全てを日本人の勇敢さのみに頼った乃木司令部というのは、ただ「突撃せよ」と死を命ずるのみで、計画と判断の中枢であると...東急「長津田駅」~小田急「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門の処刑の地。恩田川。河川管理境界。都橋。

  • 小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。横浜市。こどもの国線。長津田駅。

    いったん国道246号の東南に進んだ都県境が再び西側に移ります。「横浜みどりの森(墓園)」の西をかすめるように進みます。住宅街を歩くことに。都県境からは西に外れてしまいますが。左の森が都県境。テニスクラブの素敵な建物。さらに、都県境は、「森村学園」の西側を進みます。生徒がたくさん下校中。東急田園都市線「つくし野駅」。右手奥が都県境。この付近で、線路を越えて都県境が来ます。都県境を進むと、JR横浜線に突き当たり、さらに、東急長津田検車区へ。横浜線の踏切を通り、跨線橋で向こう側に。横浜線。正面が東急田園都市線。大きな車両基地。右手、中央付近を都県境(町田市と横浜市)が通っています。長津田駅方向へ。横浜市のマンホール。この付近が都県境?すでに横浜市内に。横浜ナンバーの車。横浜市のマンホール。ベイブリッジがモチーフ...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。横浜市。こどもの国線。長津田駅。

  • 小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。横浜町田インター。町田市辻。国道246号。旧大山街道(馬の背)。

    この付近の今昔。2010年代のようす。鋭角に折れる都県境。1880年代のようす。当時から鋭角に折れている。「横浜町田IC」付近の込み入った道を避けて、迂回し、インターの北側に。東名の向こう側のラブホテル街。東名を走っているとき、短い距離で「神奈川県から東京都」、「東京都から神奈川県」と標示されるところです。料金所へ向かう道路に沿って、回り込みます。「横浜町田料金所」。その手前で、都県境の道に復帰。左が町田市、右が横浜市。振り返る。この付近もホテルが建ち並ぶ。横浜市のマンホール。「町田市辻」交差点。ここは、「八王子絹の道」歩きで通過しました。奥から来て、東名入口交差点から南に向かいました。今回は、右折して「国道246号」を進みます。左側に「道祖神」。「渋谷(まで)29㎞長津田(まで)3㎞」。「すずかけ台駅こ...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。横浜町田インター。町田市辻。国道246号。旧大山街道(馬の背)。

  • 小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。道祖神・左義長。五貫目町。東名高速道路。

    鶴瀬橋。対岸は、神奈川県大和市。一つ下流にある「鶴間橋」から左に折れて「国道246号線」をくぐります。境川下流を望む。横浜市のマンホール。ここは、横浜市瀬谷区。中央に市章。地紋はYokohamaの「Y」と「O」をイメージしている。「目黒」交差点。左折すると、右手に「五貫目道祖神」。解説板。五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)現所在地より約300㍍西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。現在の道祖神は徳川後期安政三年丙辰八月と記され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行き来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代より平成の今日迄、毎年1月14...小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。道祖神・左義長。五貫目町。東名高速道路。

  • 向島百花園で、うぐいすの初音を聴く。隅田公園。河津ザクラ。オオカンザクラ。木蓮。

    百花園を出て、隅田公園へ。百花園を出たとたん、「ホーホケキョ」と。園内から聞こえてきました。これぞ、「うぐいすの初音」。一瞬、春を感じました。姿を見せず、啼く鶯。その初音を聞くことができ、何だか気分がいい。「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスが…(「東京新聞2020年11月12日07時19分」より)「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスがその年の春に初めて鳴く声のことである。「初音」が昔から大切にされたのは人々の春を待つ心からだろう。春を待つようにウグイスの初声を待つ▼永井荷風が季節の音について書いていた。夏の夜の下駄(げた)の音。油紙で張った傘に時雨のはらはらと降りかかる響き。荷風にとってそういう懐かしい音は時代とともに消えてしまった。「わたくしは蝉(せみ)と蟋蟀(...向島百花園で、うぐいすの初音を聴く。隅田公園。河津ザクラ。オオカンザクラ。木蓮。

  • 向島百花園。梅が散りはじめ、残念! でも、雪割草やかんひざくらが。松の菰外し作業。いよいよ春本番。

    7日。快晴。向島百花園を久々に訪問しましたが、残念!梅は、ほぼ散っていました。松の菰外しの作業が進んでいました。すっきりした松。片付けの作業中。遠くに「スカイツリー」。足もとにはフキノトウが花を咲かせています。小さな「雪割草」が、これは、「おおまつゆきそう」。「ぼけ(木瓜)」。奥に「かんひざくら」。いよいよ春本番。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/83/54e24d3e3d7aa2431313a904872dd997.jpg">向島百花園。梅が散りはじめ、残念!でも、雪割草やかんひざくらが。松の菰外し作業。いよいよ春本番。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その4。東急田園都市線。横浜水道「水管橋」。境川ともお別れ。

    「国道16号線」バイパスの「境川道路橋」が見えてきます。「二津屋橋」。右岸の旧地名から。「東急田園都市線」鉄橋。左(上り)が「南町田グランベリーパーク」駅方向、右(下り)が「つきみ野」駅方向。横浜水道「水管橋」。解説板。水管・口径1500㎜3条橋長・56m完成・昭和49年(1974年)3月この水管橋は、道志川から取り入れた水や相模湖にためた水を川井浄水場や西谷浄水場まで運ぶ溜の導水路の一部です。3本のうち1本は道志川の水、2本は相模湖の水を運んでいます。最初に水管橋が造られたのは明治20年(1887年)で、当時は口径22インチ(560㎜)と口径18インチ(460㎜)の2本の管が川を渡っていました。左から右に流れている。※手前の水管(1本)は、神奈川県内広域水道企業団の上水管で、酒匂川系統の飯泉取水堰から伊...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その4。東急田園都市線。横浜水道「水管橋」。境川ともお別れ。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その3。満開の梅。大規模な遊水池工事。ふよう。カワセミ。

    迂回路で見かけた旧流路の土手。その先、左手のおうちの庭先で、色んな種類の梅の花が咲きそろっています。ちょっとお邪魔して、よく見ると、メジロがたくさん(○)。この先を右折、境川沿いの道に戻ります。工事用のフェンスが続く。「町田市立定方寺公園」。庭先で見かけた「ふよう(芙蓉)」。(「枯れ芙蓉」)。(「Wikipedia」より)。枯れたあとの姿も印象的です。※「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。大きな通りに出てきました。対岸(右岸)は、「神奈川県大和市」。左岸は、「東京都町田市」。「境川金森調整池工事のお知らせ東京都建設局」。「鶴間橋」。上流の工事現場を望む。ここからは、左岸沿いの「境川ゆっくりロード」を歩きます。左岸は町田市。カルガモ。この先で、保育...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その3。満開の梅。大規模な遊水池工事。ふよう。カワセミ。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その2。

    シラサギなどの水鳥の姿。水辺テラス。一連の護岸工事では、こうした施設も整備されています。カルガモ。大きな鯉の群れ。錦鯉も混じっています。旧流路跡。この跡に囲まれた一画が相模原市に。(↑)「神奈川県相模原市南区上鶴間本町」(↑)。右側は、町田市。「上鶴間橋」。対岸は、相模原市南区上鶴間本町。微妙に入り組む都県境。「東京都管理地」。振り返る。右(左岸)が町田市、左(右岸)が相模原市。先に進むと、左手に「境川広場」、「防災市民いこいの広場」と続きます。振り返る。鶴金橋から鶴間橋までの間、この先工事箇所で大きく迂回します。「鶴金橋」。この付近の左岸は、旧流路に沿って相模原市が大きく入りこんでいます。旧鶴金橋があるようです。2010年代のようす。旧流路に囲まれた地域が、相模原市に属しています。旧流路跡。梅が満開に。...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その2。

  • 小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その1。谷口橋・鹿島橋・千寿橋・境橋。原町田。

    小田急線で町田駅まで。JR町田駅側に回り込み、「境川歩き」を再開します。2月26日(日)。快晴。駅付近も都県境が複雑に入り組んでいます。駅前のデニーズは、相模原市。ヨドバシカメラは、町田市内。境川。「谷口橋」。この付近は、相模原市内。さて、境川の下流に向かって。「鹿島橋」。対岸は、相模原市。「千寿橋」。ここからは、しばらく境川が都県境となります。「原町田境橋広場」。※「原町田」鎌倉時代頃より鎌倉街道が通っていたが、江戸時代半ば頃までは鎌倉時代に宿の置かれた本町田が中心で、この地域は農地や原野が広がっていた。江戸時代後期頃、八王子から横浜へ生糸を運ぶための絹の道や、東海道・大山街道の脇往還がこの地を通り物資の中継地となったため、次第に生糸取引や宿場として栄えるようになり、製糸・織物・乾物を中心とした商業も盛...小田急線「町田駅」」~東急田園都市線「長津田駅」。その1。谷口橋・鹿島橋・千寿橋・境橋。原町田。

  • ソウタ。今と昔と。

    今日も元気なソウタ君。相変わらず箱好き。この間も、大きめの箱だけでなく、窮屈でも・・・。ここも窮屈そう。そんなソウタ。家に来たときは・・・、生まれて一ヶ月余り。手のひらに乗せられたほど。ジジと一緒に寝ているソウタ。埋もれています。ジジと同じくらい。それが今、ジジと比べると、この大きさ。ジジをもてあそぶ。少し垂れ目ぎみで、クリクリした眼は変わらず。アンズと相変わらずケンカしながらも、元気です。ソウタ。今と昔と。

  • 京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その6。カワセミ。シラサギ。横浜線。小田急線。

    横浜線の鉄橋をくぐります。相模原市側の緑地。「古淵鵜野森公園」。町田市側には、家庭菜園が。そして、保全林地区。川をのぞき込んでいる方がいるので、側に近づくと、指差しして、「ほら、枝の所にカワセミが」。↓。○獲物を見つけたのか、ものすごい早さで川面へ。すぐまた枝の所に。市街地で見かけるとは、思いも寄りませんでした。左手に「横浜線」。JRの敷地境界標。シラサギ。足もとには、小さな紫の花。金柑?町田市役所。遊歩道にあった「市役所まであと何㎞」というプレートが歩きの励みになりました。境川。「神明橋」。対岸は、相模原市。「共和橋から5.5㎞」。この標示にも励まされました。両岸には、住宅が建ち並ぶ。振り返る。「幸延寺橋」。遠くに小田急線の鉄橋が。ここまで、都県境は、境川をはさんで両側に入り組んでいます。はん濫危険水位...京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その6。カワセミ。シラサギ。横浜線。小田急線。

  • 京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その5。大がかりな遊水池工事。右岸に入り組む町田、左岸に入り組む相模原。

    「新中里橋」。ここにも大きな遊水池。都市化が進み、流入する水量が増え、境川の治水のため、大がかりな遊水池工事、護岸工事がこの先、下流でも進められています。そのため、川沿いの遊歩道(「境川ゆっくりロード」)も迂回する箇所が数カ所あります。一方で、流路跡が公園に。振り返る。ほぼ直線化された流路。家庭菜園のところも。「境橋」。対岸の左手は、相模原市ですが、右手は町田市。境川の右岸奥に食い込んでいる。1880年代のようす。○が町田市に属する。2010年代のようす。森の手前が旧流路。(「今昔マップ」より)右岸は、緑が多い。大きく曲がる水路跡上の住宅地(対岸)。遊水池。左岸に多いのは、町田市側の急激な都市化による流水量の増加とみられる。一方で、相模原市側は丘陵地帯が多く、自然のままの森などが目立ちます。「境川橋」から...京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その5。大がかりな遊水池工事。右岸に入り組む町田、左岸に入り組む相模原。

  • 京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その4。遊水池。両国橋。鯉。本宿・(原)町田。

    流路跡が大きな遊水池に。平常時の流れは少ないですが、大雨が降ると、忽ち氾濫する危険がある川のようです。「両国橋」。旧プレート?境川に架かる橋として、何カ所か「両国橋」があります。護岸工事がまだ続く両岸。一ヶ所にまとめられ、整備された道祖神等。橋の向こうは、相模原市。左右に大きな森が。左岸は、「境川山根特別緑地保全地区」。「境川ゆっくりロード」。「根岸橋」。ところどころ、旧流路跡が小公園風に。親水施設(相模原市)。川面に下りられる。大きな鯉の姿が。左岸側には細長く大きな遊水池。「上宿ほほえみ公園」。いよいよ町田市の中心街へ近づいてきたようです。ここで、「町田市の歴史」江戸末期以降、町田が発展した大きな理由は、『絹の道』にある。八王子は江戸時代から繭や生糸の産地であり、さらに甲州や上州など大生産地からの集積地...京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その4。遊水池。両国橋。鯉。本宿・(原)町田。

  • 京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その3。護岸工事。梅。常矢橋。カルガモ。

    左岸の工事は、次の橋まで。この工事が終わると、右岸側になるようです。右岸側の工事。梅が咲き始めたようです。相模原市内。ときやばし。この橋を渡って、再び左岸へ。ところで、「ときや」はどういう漢字を書くのか?境川左岸の町田市常盤町・相模原市中央区上矢部2丁目と右岸の相模原市中央区上矢部2丁目・5丁目とを結び、橋名は両岸地区名から一文字ずつを冠とした命名のようです。※「矢部」という地名は、境川をはさんで両側にあります。まだ行程の半分ほど。左岸の梅は、ほぼ満開に。崩れ落ちている堰堤。のどかな田園風景。振り返ると、山も遠くに。カルガモが何羽も。対岸の小さな森。この付近の都県境は、境川の旧流路に沿って、複雑に入り組んでいます。左岸にある「相模原市淵野辺本町」のおうち。右岸の相模原市。シラサギが餌を探す。川面には、以前...京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その3。護岸工事。梅。常矢橋。カルガモ。

  • 京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その2。境川ゆっくりロード。メジロ。

    「小山(おやま)橋」。下流を望む。「境川ゆっくりロード」。左岸沿い(町田市側)を歩きます。野菜即売所。「町田市立小山小学校」裏。「大和市南部学校給食・・・」と書かれた倉庫。大和市は、相模原市の南東部にある市。もらい受けたものか?「上中村橋」。右が相模原市、左が町田市。桃の木にメジロが2羽(○)。久々に見ました。しばらく観察。かつての流路跡?。公園風なところも。上流を望む。「中村橋」。右手は高台になっています。かつての河岸段丘?流れは比較的澄んでいます。「町田市水道局」。鉄管が渡されています。途中まで階段が。実は、右岸の一部が町田市になっています。そのためのもの?この先、都県境は境川の中央ではなく、右岸沿いになっています。「高橋」。ここで、今度は、都県境が左岸沿いになります。この付近、都県境は、微妙に入り組...京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その2。境川ゆっくりロード。メジロ。

  • 京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その1。大正橋・昭和橋・平成橋。梅林。

    今回は、京王線「多摩境駅」から横浜線「町田駅」まで。2月18日(土)快晴。前回までのところへ。「多摩境駅」改札口から「境川」に向かうのに、けっこうな階段と坂道。駅に向かう人は、上り坂に階段。振り返ると、見上げるほど高い。さらに車が、何台もカーブの坂道を勢いよく下りてきます。境川方面から来る人にはけっこう大変そうで、すれ違ったご年配の方、杖を突いてけっこう辛そうでした。エスカレータとかエレベータとかは設置されていないのででしょうか?・・・さて、境川沿いの遊歩道を歩きます(左岸)。しばらく「境川・都県境」が続きます。自転車や歩行者が行ったり来たり。川面にはシラサギ。歩いている途中、けっこう水鳥を見かけました。境川には多くの橋が架かっています。「大正橋」。この付近は、桜並木に。振り返る。氾濫水位板。境川では、大...京王線「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」。その1。大正橋・昭和橋・平成橋。梅林。

  • 春のような陽気に誘われて。向島百花園。その2。隅田川にも春が。

    スカイツリー。園内も春らしく。水緩む季節に。足もとには鉢植えの梅の古木。カリン。隅田川にも行ってみました。ユキヤナギ。小さな花と綿毛。紅千鳥。滝廉太郎「花」碑。春のうららの隅田川のぼりくだりの船人が櫂(かい)のしづくも花と散るながめを何にたとふべき見ずやあけぼの露(つゆ)浴びてわれにもの言ふ桜木(さくらぎ)を見ずや夕ぐれ手をのべてわれさしまねく青柳(あおやぎ)を錦おりなす長堤(ちょうてい)にくるればのぼるおぼろ月げに一刻も千金のながめを何にたとふべき隅田川。珍しく船の姿がありません。それにユリカモメの姿も。それでも、土手脇に菜の花が満開。墨田区側の隅田公園内の池が大規模改修中。それで水鳥たちも姿を消したのでしょうか?工事用のコードが架けられて。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne...春のような陽気に誘われて。向島百花園。その2。隅田川にも春が。

  • 梅まつり。春のような陽気に誘われて。向島百花園。

    3年ぶりの「梅まつり」。少し時期が早かったせいか、今ひとつ咲きが遅い感じでした。瓢箪は自家製?それでも訪問客が。紅千鳥。花香美。足もとには、フキノトウ。福寿草。ふよう。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/60/2ee61cc865f5f7c0874f6906aa68b50e.jpg">とうばい。かごしまこう。梅まつり。春のような陽気に誘われて。向島百花園。

  • アンズ。すばしこくて、じっとしていない。まん丸な目で。

    じっと見つめて、暗い外を眺めて何を思う。こういうポーズが多い。ソウタと同じで、ヒモが大好き。ソウタは、コタツの外。アンズは、というわけ。アンズ。すばしこくて、じっとしていない。まん丸な目で。

  • 神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その6。青木家住宅。両国橋。多摩境駅。

    左手奥に大きなお屋敷が。寄ってみます。「青木家住宅」。「建立年代は、当家にある文久2年の祈祷札と同時代と推定される。・・・名主造りと呼ばれる住宅である。」「幕末期に建立された書院座敷を有する地方豪農の上層大型民家で、建物と屋敷構及び庭園は、水戸の弘道館と下屋敷を摸して造られたと伝えられている。」※文久2年=1862年。東側から。江戸時代初期に至るまでの青木家(屋号「本家」)の沿革は不詳の所が多いが、江戸時代後半から大きく屋を伸ばし幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育振興、勧農などに貢献している。特に青木正太郎(一八五四〜一九三二年)は自由民権家として活躍した。当家は多摩丘陵最南部の一隅に位置し、屋敷地の前を町田街道旧道が走っている。裏の丘陵に接した平地の中央やや西寄りに南面した主屋(...神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その6。青木家住宅。両国橋。多摩境駅。

  • 神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その5。長寿橋。横浜線鉄橋。相原駅。多摩境駅。

    境川に近づくと、かなり湾曲した流れが続いています。屋敷の周りを流れる。けっこう深い流れに。「長寿橋(人道橋)」。対岸の住宅地に渡る橋のようです。すぐ上流にある橋。下流方向。人工的に深く掘り下げたものなのか?「町田街道」から対岸を望む。右岸側は低くなっています。小高い丘に「長福寺」。低温米倉庫が右手に。この付近では、曲がりくねりながら、左岸側にある「町田街道」とつかず離れず。「パンの木」。こちらは、「木のカフェ」。「新境橋」より下流を望む。すぐ側を流れていますが、町田街道が境川を渡ることはありません。境川は、この先しばらく街道と離れて行きます。対岸(相模原市)方向。左岸(町田市)側の茂み。この先で、再び街道に近づき、横浜線の鉄橋となります。左が「橋本駅」方向。右が「相原駅」方向。大谷石造りの倉庫。左に折れて...神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その5。長寿橋。横浜線鉄橋。相原駅。多摩境駅。

  • アンズとソウタのこの微妙な関係。ソウタ。加湿器に、小さな空き箱に、ゴミ箱に、・・・

    この微妙な関係が。この二人。昨日。夜中の3時過ぎから追いかけっこ。1階から2階、さらに3階と階段を上がったり、下がったり、大騒ぎ。人が寝ていようとお構いなし。ドスンと乗っては行ったり来たりの二人。朝起きて見ると、テーブルの上のものはカレンダーからリモコン・・・、皆、下に落ちています。朝起きて、明け方はすごかった、と、家族中が寝不足気味ということに。今日は、関東地方には大雪警報。住まい周辺は、みぞれ程度で済みましたが。猫たちは、気圧の変化に敏感なようです。特に雨降りが予想されると、けっこう暴れ回ります。蒸気に吸い寄せられて、・・・。今度は、小さな箱に入りこむ。孫の遊び道具が入っている小さな箱。孫が帰った後、そのままにして置いたら、さっそく。でかい図体を押し込んで。「猫は液体である」ことを証明するような。飽き...アンズとソウタのこの微妙な関係。ソウタ。加湿器に、小さな空き箱に、ゴミ箱に、・・・

  • 神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その4。「川島橋」。直線化された流れ。「新田橋」。「二国橋」。相原。

    護岸工事が完成していますが、曲がりくねった流れはそのまま。来た道を振り返る。「川島橋」。橋も改修されています。この付近は、直線化され、かつての流れの跡は、遊水池になっています。左手が境川。直線化された流れ。左岸側は、相模原市。河川敷地の使用の注意書き(神奈川県津久井土木事務所)。高い護岸に囲まれた境川沿いの遊歩道へ。両岸には、住宅が建ち並ぶ。遊歩道も両岸に。「新田(しんた)橋」。ここからは、蛇行した流れになっています。小公園風。流れは、左(上流)から右(下流)へ大きくカーブしています。「二国橋」から。川沿いに歩くことができないので、「町田街道」に出ます。橋のたもとに「道案内の地蔵」。「北八王子道・東橋本道・西高尾道・南津久井道」。「相原十字路」交差点。「町田街道」。「相原」という地名が「境川」をはさんで、...神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その4。「川島橋」。直線化された流れ。「新田橋」。「二国橋」。相原。

  • 三寒四温。木瓜(ぼけ)。フキノトウ。福寿草。

    木瓜(ぼけ)。『三寒四温』という言葉、耳にしたことがある方が多いのではないのでしょうか?春先のイメージが強い気もしますが、実は元々冬の気候を示す言葉なのです。もとは中国の冬の気候三寒四温とは、冬の時期に寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の言葉で、寒暖の周期を表しています。もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられました。冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。日本では春先の天候を示すことが多い春先の天気のイメージ。日本の冬は、”3日間寒い日が続いた後に4日間暖かい日が続く”という周期が現れることはほとんどありません。その代わり、日本では早春になると低気圧と高気圧が交互にやっ...三寒四温。木瓜(ぼけ)。フキノトウ。福寿草。

  • 神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その3。遊水池。「下馬の橋」。「ゆうやけ橋」。

    かつて蛇行していた流れの跡や周辺が遊水池として整備されています。左に本流。「下馬の橋」。橋の南40m程に「下馬梅」と云う、橋名の由来となる史跡案内が在りました。1590年(天正18)八王子城が秀吉の軍に攻め落とされた際に、築井城へ向かう伝令武者が築井城の落城を知らされ、落胆して此処で下馬した時に、ムチ代わりに使っていた梅の枝を地面に突き刺しました。其の後、此の枝が根付き花を咲かせたという伝説から下馬梅と云われています。当時の梅は樹齢により枯れており、新たに植樹された梅が茂っています。(この項、「ぶらっと遡上探索」境川-FC2https://freedomwalk.blog.fc2.comHPより拝借)この先、広々とした地点に。護岸工事が完成し、両岸には遊歩道があります。蛇行した流れはそのまま。右岸の広場は...神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その3。遊水池。「下馬の橋」。「ゆうやけ橋」。

  • 神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その2。蛇行する流れ。町田街道。

    この付近のようす。右に折れて境川沿いを歩きます。この川が都県境とは見えません。このあたりの水量は少ない。広い道に出ます。「川境(かわざかい)橋。橋の向こう(右岸)は「神奈川県相模原市」。こちら(左岸)は東京都町田市。通りを渡り、境川沿いの道を。対岸は、相模原市。左岸は、ほぼ町田市。町田市のマンホール。中央に市章、周りに市の花サルビアの花を放射状に描いている。町田市は、マンホールのデザインを公募し、カラフルなものにしました。そのいくつかを紹介。(「」HPより)この先からは激しく蛇行します。左の通りは、町田街道。※町田街道江戸後期から明治期には、八王子を集荷地とし横浜港の輸出を結び最大の貿易商品絹を運ぶ街道(いわゆる八王子街道・神奈川往還)として繁栄し、現在は「絹の道」と名づけて記念している。八王子と横浜のほ...神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その2。蛇行する流れ。町田街道。

  • 神奈川中央バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その1。境川上流。雨降。

    今回から都県境を南に転じて、神奈川県相模原市と東京都町田市との境界、「境川」を歩くことにします。2月4日(土)。快晴。京王相模原線の終点「橋本駅」。どうせなら、都営新宿線の始発駅「本八幡」から橋本行きに乗っていこうか、と。「本八幡」を8:00に出て、「橋本」に着いたのは、9:37。途中、「新宿」まで各駅停車、「調布」から先も各駅に停車。けっこう乗りでがありました。乗客も入れ替わり立ち替わり。やっと駅に降り立ち、しばらく待って、神中バスに乗り、「大地沢青少年センター入口」バス停まで。着いたのが10:30頃。少し上流まで歩き、都県境になっている「境川」を確認し、スタートです。ここから「多摩川河口」までの道のりということに。右手に「蕎麦処川崎」。このお店は町田市相原町。目の前に流れる「境川」が都県境。境川。小さ...神奈川中央バス「大地沢青少年センター入口」~京王線「多摩境駅」。その1。境川上流。雨降。

  • 立春。2月4日。「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅 はせを」。

    今日が節分、そして明日が「立春」。立春二十四節気の一番目。2月4日〜2月18日頃一年のはじまりは立春からと考えられていました。そのため、節分や八十八夜など、季節の節目の行事は立春を起点として定められています。梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の兆しがところどころで見られます。七十二侯でいうと、初侯 2月4日〜2月8日頃東風解凍はるかぜこおりをとく暖かい春の風が、冬の間張りつめていた氷を解かし始める頃。次侯 2月9日〜2月13日頃黄鶯睍睆うぐいすなく「ホーホケキョ」と、ウグイスが馴染みのある美しい鳴き声で、春の到来を告げる頃。その年の一番初めに聞くウグイスの声を「初音(はつね)」といいます。末侯 2月14日〜2月18日頃魚上氷うおこおりをいずる春の暖かさで湖や川の氷が割れ、氷下で泳いでいた魚が氷の上に跳...立春。2月4日。「春もやゝけしきとゝのふ月と梅はせを」。

  • ソウタ・三態。箪笥の上。段ボールの中。ジャケットの下。・・・

    いつもやんちゃなソウタ。箪笥の上に。出かける準備をしていると、じっと。何を見ているのか?段ボールが届くと、空箱にさっそく。出たり入ったり、ふたが閉まると、その中でじっと。今度は、モフモフの服にじゃれて。それに飽きると、毛づくろいをして、おやすみ。ソウタ・三態。箪笥の上。段ボールの中。ジャケットの下。・・・

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その5。茶どころ通り。霞川。金子駅。

    都県境になっている茶畑内の農道を歩きます。入間市側の茶畑。青梅市側の茶畑。「茶どころ通り」を横切ります。昭和61年、市制施行20周年記念事業の一環として市民より愛称の募集を行い、「茶どころ通り」と名づけられました。一面の茶畑の中を続くこの道からは、冬の真っ白な富士山、奥多摩、丹沢の山並みが展望でき、空の広さを感じさせます。(「」HPより)茶どころ通りは、茶畑の中を通る約6キロメートルの一本道。(「入間市観光協会」HPより)今回歩いたところは、西のはずれに当たります。集落に近づきます。左手、茶畑内に都県境。左に「東京都水道局北部中継ポンプ場」。その施設の東の小川が都県境になっています。この先の集落が東京都と埼玉県になります。この住宅地は、入間市木蓮寺地区。都県境になっている道。右が青梅市、左が入間市。この先...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その5。茶どころ通り。霞川。金子駅。

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その4。狭山茶。

    「青梅市自立センター就労支援事業所」の前の道を西に向かいます。青梅市自立センター就労支援事業所関係する法律に基づき、原則として18歳以上で雇用されることの困難な障害者の方に対して、社会生活に必要な支援および訓練を行い、就労に結びつけることを目的とします。就労支援事業所にあっては、就労移行支援と就労継続支援(B型)の二つを兼ね備えた多機能型とし、それぞれの事業にあった内容で進めていきます。(「」HPより)※昨年春、この施設ではありませんが、青梅市内の「自立支援施設(青梅市新町3丁目)」で、職員による日常的な暴力・虐待があり、入所者(当時30)が死亡したことが報道されました。右手の道を進むと、都県境になるようですが、この先に、牧場があります。正面にある「圏央道」の方向に進みます。「青梅スタジアム」。そこを左折...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その4。狭山茶。

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その3。

    この道が都県境。来た道を振り返る。左が埼玉県入間市、右が東京都瑞穂町。「埼玉県入間市大字寺林字表山」。都県境は、正面のゴルフ場方向へ。頭上には相変わらず飛行機の騒音が。左に折れて進みます。ゴルフ場の縁が都県境のようです。奥がゴルフ場。栗原新田交差点。ここを右折します。右手奥に都県境。JR八高線の手前、龍泉寺脇の道を入ると、ゴルフ場からの都県境の道に。壁沿いの道。都県境になっている細道。左に進むと、八高線をくぐり抜けるトンネルが現れます。屈んで歩くしかない、きわめて天井の低いトンネル。頭上が八高線。振り返る。都県境歩きでは貴重な体験をします。八高線、飯能方面に行く電車が通過中。抜けると、畑が広がります。雑木林や竹が続く道。農作業の道なのでしょうか?轍の跡が。都県境は、この先、南西に折れ、すぐ鋭角で北西に進み...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その3。

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その2。国道16号線。梅の古木。二本木上宿の道標。

    「国道16号線」の手前に、瓦屋さん。鬼瓦。小学生の頃、家の近所に大きな瓦製造業がありました。社会科見学で訪問したことがありますが、今ではどこにあったかも定かではありません。瑞穂町大字駒形富士山88。三州瓦(さんしゅうがわら)愛知県(旧・三河国)で生産されている粘土瓦。石州瓦、淡路瓦と並ぶ「日本三大瓦」の一つ。現在は西三河が生産の中心となっているが、20世紀半ばまでは東三河でも生産が盛んであった。三州瓦の日本国内シェアはトップであり、日本の年間瓦生産総数の約60%を占めている。良質の三河粘土が産出され、東日本の需要地に近いという利点もあって、全国の瓦に占める三州瓦のシェアは1965年(昭和40年)の24.5%から1980年(昭和55年)には34.4%、1995年(平成7年)には47.9%まで上昇している。三...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その2。国道16号線。梅の古木。二本木上宿の道標。

  • 西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その1。めだか屋。不老川。

    今回は、西武線「小手指駅」から西武バスに乗り、終点の「宮寺西」から歩き始めます。○が「宮寺西」バス停付近。左の大きい道路は「国道16号線」。西に向かって進みます。狭山丘陵から西、平地をジグザクに進んだ都県境と、この付近で合流します。入間市宮寺。この右手奥が都県境。「めだか屋」(入間市宮寺)。大岳山が正面遠くに(↓)。茶畑の向こうに富士山(↓)。左手は、東京都瑞穂町。右は、入間市。不老川。上流方向。下流方向。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a9/b957ee3ce7eba4003a0e20a5b0ad3c87.jpg">不老川(としとらずがわ、ふろうがわ)東京都及び埼玉県の主に武蔵野台地上を流れる一級河川。荒川水系新河岸川の支流である。東京都...西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その1。めだか屋。不老川。

  • 冬牡丹。楊貴妃・「長恨歌」。冬至梅・唐梅。八重・一重寒紅。まゆみ(檀)。さるすべり(百日紅)。・・・、そしてユリカモメ。

    「向島百花園」。入口に紅白の冬牡丹。牡丹:別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」「名取草」「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」など多数。原産地は中国西北部。花を観賞するために栽培されている。・・・。元は薬用として利用されていたが、盛唐期以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。たとえば、『松窓雑録』によれば、玄宗の頃に初めて牡丹が愛でられるようになったものの、当時は「木芍薬」と呼ばれていたと記載される。また、隋の煬帝や初唐の則天武后が牡丹を愛でたという故事がある。ただし郭紹林はこれらの故事を慎重に検討し、虚構であると結論づけている。清代以降、1929年までは中国の国花であったとされるこ...冬牡丹。楊貴妃・「長恨歌」。冬至梅・唐梅。八重・一重寒紅。まゆみ(檀)。さるすべり(百日紅)。・・・、そしてユリカモメ。

  • やっぱり仲良くないのかな、アンズとソウタ。人なつっこいソウタ、どうもそうではないアンズ。

    朝のひととき。そっぽを向くアンズ。遊ぼうよ、というソウタに。無理矢理近づくと、箪笥の上に。下のテレビ台に。それでも、コタツの中では仲良く寝ている時も。一安心。ソウタ。目線が合うと、猫じゃらし持参の上で、遊んで、と。ソウタの七つ道具の一つ。一人遊びも得意。今度は、ジジ。結局、飽きて、本人は、ベッドの上で毛繕い。そして、スヤスヤ。アンズは、コタツの中で、ゆっくりと(寝ています)。やっぱり仲良くないのかな、アンズとソウタ。人なつっこいソウタ、どうもそうではないアンズ。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。番外編。青梅街道。日光街道。箱根ヶ崎駅。

    青梅街道に出ました。モニュメント。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/fb/387b9647eefe1f153ccb0cc17a774327.jpg">「旧日光街道」と標示された信号機。「箱根ヶ崎」は、「旧日光街道=八王子千人同心街道」と「青梅街道(旧)」とが交わるところです。二つとも歩いたので、久々の「箱根ヶ崎」です。青梅街道。JR八高線「箱根ヶ崎駅」。西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。番外編。青梅街道。日光街道。箱根ヶ崎駅。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その8。出会いの辻・六道の辻。旧日光街道。青梅街道。

    瑞穂町の住宅地に向かいます。「狭山湖堰堤から7.0㎞」。富士山が意外に近くに。「出会いの辻」へ。案内板。庚申塔。「六道庚申塚」と「六道の辻」解説板。この庚申塚は、江戸時代後期の文化10年癸酉(1813年)に武州多摩郡石畑村下組(瑞穂町石畑地区)の人々によって建立されたものです。・・・当時この場所は、旧石畑村と隣村との境界にあたり、村境の「サエの神」(守り神)を祀るのにふさわしいところでした。また、この場所は古くからの交通の要衝で、幾筋もの道が開かれ交差しています。・・・ここは昔から「六道の辻」と呼ばれていました。「六道山」の名称も、これに由来します。・・・当初、庚申塔の脇には榎が植えられ茂っていましたが枯死し、現在はその後植えられた二代目の榎が大きく茂っています。坂下に「瑞穂農芸高」が。「遺跡広場」解説板...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その8。出会いの辻・六道の辻。旧日光街道。青梅街道。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その7。野山北・六道山公園。御判立。展望台。

    しばらく進むと、「三方入(御判立)ゲート」。解説板。御判立(ごはんだて)この場所は、諸説ありますが、昔、村と村とを往来する幹線道路の要所で、江戸時代三ツ木村と勝楽寺村の境目の目印が立てられていたそうです。また、武蔵村山市史によると役所からの連絡などを掲示する場所として定められ、それを守る番小屋があったとも伝えられています。ここから都県境は、北に向かうため、探索出来ず。この先、歩く道は、都県境の道ではなく、東京都瑞穂町になります。来た道を振り返る。「瑞穂町大字畑・・」。左に行くと、「赤坂」。右は水源用地(立入禁止)。左は、奥深い森。猿久保にある案内板。→が「都県境」。けっこう急で深い谷。うち捨てられ、朽ち果てた車。ここまで持ってくる(乗ってくる?)だけでも、大変なはず。「六道山公園展望台」へ。中央、遠方に白...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その7。野山北・六道山公園。御判立。展望台。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その6。野山北・六道山公園。

    「村山温泉かたくりの湯」バス停から再開。狭山丘陵一帯には、5つの都立公園があります。都県境にもなっている「狭山公園」「八国山公園」とたどってきました。ここからは、「野山北・六道山公園」。野山北・六道山公園は、首都圏に残された「緑の島」都立狭山自然公園の西端にあり、雑木林と谷戸(丘陵に切れ込んだ谷間)の組合せによって、豊かな自然が残された都立で最大の都市公園です。カタクリの群生地やホタルの生息地、里山民家や岸たんぼといった、貴重な里山の風景が広がっており、里山の生活や文化を体験できるほか、ハイキングや野鳥観察、森遊びなど様々な楽しみ方ができる公園となっています。(この項、「」HPより)「冒険の森」脇の山道を進み、尾根道へ。右手の道を進む。尾根道の途中までが、都県境になっています。藤棚の休憩広場付近で丘陵地帯...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その6。野山北・六道山公園。

  • ある日のソウタ。現在、体重5.2㎏。好奇心旺盛。

    人なつこいソウタ。かまって欲しい。パソコンをやっていると、ドッサリと座り込む。と、テレビの向こうが気になるのか。何にもないや。重たいので、しなっている。何やっているの?TVをチラッと見て、つまらないや。アンズに近寄ってきて、何かあるの、この下に、と。宅配便が届くと、空箱に。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/69/8186257890a99b1dd921888dc5eefe1a.jpg">箱の中から。ある日のソウタ。現在、体重5.2㎏。好奇心旺盛。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その5。かぶと橋。落ち葉の散策路。

    「多摩湖通り」に沿った道を進むと、右手に「藤棚の休憩広場」。来た道を振り返る。この付近で、都県境は西へ進み、狭山丘陵の中に入り、野山北・六道山公園の尾根づたいになります。そこまでの道は歩けないので、「多摩湖通り」から分かれ、右の道を進みます。「かぶと橋」「武蔵野の森」。頭上にカブトムシのモニュメント。振り返る。「境界点標示東京都」。尾根道(都県境)直下にある「村山温泉かたくりの湯」方面に進まず、そのまま坂を下ってしまいます。すぐ、住宅地へ。来た道を振り返る。住宅地の坂道を下る。武蔵村山市のマンホール。中央に市章、下に「ひがしむらやま」。亀甲模様?武蔵村山市全図。「石橋供養塔」。近くを流れる「空堀川」に関係するものか?青梅街道へ。武蔵村山市役所。ここまで順調に着きました。まだお昼前。さてどうしたものか?運良...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その5。かぶと橋。落ち葉の散策路。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その4。狭山湖(山口貯水池)。くぬぎ橋。

    狭山湖(山口貯水池)に向かう道路。狭山湖(山口貯水池)は、ここからは望むことは出来ません。狭山湖(山口貯水池)埼玉県の南中部に位置する所沢市と入間市の境界にまたがり、東京都の水がめとして昭和9年に完成した人造湖で、正式名称は「山口貯水池」です。周辺は県立狭山自然公園になっており、春はソメイヨシノやヤマザクラなどの2万本もの桜、秋は紅葉、湖面に映る木々や富士山、さらにバードウォッチングなども楽しめます。四季の美しい情景は、埼玉の「自然百選」や「ダム湖百選」に選ばれています。(「埼玉県公式観光サイト」より)狭山湖の歴史狭山湖(山口貯水池)は、はじめから湖だったのではないことを知っていましたか?市内を流れる柳瀬川の上流をせき止めて作られた人造湖(じんぞうこ)なのです。そもそも、狭山湖の底には勝楽寺村(しょうらく...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その4。狭山湖(山口貯水池)。くぬぎ橋。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その3。多摩湖橋。慶性門。

    小さな河川が貯水池に流入します。そのため、この先、けっこうたくさんの橋が出てきます。「こぶし橋」。ただ水面は見えません。周辺の木々になぞらえて付された橋の名のようですが。それにふさわしい絵柄。伐採した木がたくさん。右手に長屋門が見えてきます。左手遠くに湖面。「多摩湖橋」を渡ります。「慶性門」。慶性門明治45年(1912年)、ここに貯水池が建設されることになりました。村山貯水池(多摩湖)になったところに住んでいた人々は、移転しなければなえりませんでした。上貯水池は大正13年(1924年)に、下貯水池は昭和2年(1927年)に完成しましたが、その間に湖底にあった160戸余りの家々が移転してきました。慶性門は、石川の谷(現在の上貯水池の西部)にあった慶性院山門で、寺院の門としてはあまり一般的ではなく「長屋門」の...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その3。多摩湖橋。慶性門。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その2。「西武園ゆうえんち」。西武山口線。西武球場。

    「遊園地」内に劇場風の建物。「夕陽館」。「ゴジラ・ザ・ライド大怪獣頂上決戦」というアトラクションをやっているらしい。昭和時代のようなノスタルジックな雰囲気作りの「ゆうえんち」。右には、西武球場に向かう「西武山口線」。元々は1950年(昭和25年)に開業した多摩湖ホテル前駅とユネスコ村駅を結ぶ単線「おとぎ線」を走る、「おとぎ電車」という名称の遊戯施設で軌間762mmの「軽便鉄道」だった。1952年(昭和27年)に「おとぎ線」を地方鉄道法に基づく地方鉄道に転換し「山口線」と改称したが、「おとぎ電車」の名はその後も用いられた。運賃は西武鉄道の他の一般鉄道路線とは別建てで大人片道200円、子供片道100円で営業時間は9:30から17:30まで。当初は蓄電池機関車(バッテリーロコ)だけだったが、1972年(昭和47...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その2。「西武園ゆうえんち」。西武山口線。西武球場。

  • 西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その1。多摩湖駅。多摩湖(村山貯水池)。

    「西武園駅」。下車した中高年の男性が次々と向かう先は、右手にある「西武園競輪場(場外)」。それを横目に見ながら先に進みます。この付近からは、この道路が都県境になっています。右が埼玉県所沢市、左が東京都東村山市。右に「西武園ゆうえんち」。眼下に西武線「多摩湖駅」。駅周辺には、住宅地が広がっています。(「Wikipedia」より)村山貯水池・多摩湖周辺の鉄道の変遷。そういえば、少年時代、「ユネスコ村」に来たことがあります。「狭山公園」。「排水路トンネル」。トンネルの向こうに、「多摩湖・村山貯水池」。新東京百景、東やまと20景として東大和市のシンボルとなっている多摩湖は、桜と紅葉の名所として知られ、憩いの場として親しまれています。大正5年から昭和2年の間に建設され、水没移転や経済面で非常に歴史的な価値の高いもの...西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その1。多摩湖駅。多摩湖(村山貯水池)。

  • 向島百花園。春の七草。隅田川・桜橋。ユリカモメ。

    1月4日。晴れ。今年最初の向島百花園。三々五々連れ立っての人々。それぞれの歩調の一歩初明り令和5年。「癸卯(みずのとう)」の年。献上七草籠。あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがためスカイツリー。元旦。孫達は、最上階の展望台まで上がった、とか。今年は、「梅祭り」も開催できそうな。隅田川に架かる「桜橋」へ。台東区側の「桜橋船着場」にユリカモメの群れ。鳩も一緒に。オオバン?川面に。スカイツリー。両国橋花火の賑わい。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/03/210b47ed673a2b579796af217f9986e1.jpg">テラスには、隅田川の浮世絵がいくつか。向島百花園。春の七草。隅田川・桜橋。ユリカモメ。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園駅」。その6。「今半」おせち。都立八国山緑地その3。サルノコシカケ。西の入口広場。西武園。

    明けましておめでとうございます。今年のおせちは、「今半」。それぞれ美味しく食べました。子供の家族、孫達が勢揃いの一日でした。じいさんは、お酒三昧。日本酒やウイスキー、ワインに・・・。それぞれが楽しんでいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/2f/c99a7205fffb6771e1843c520012cb4e.jpg">中央のお酒。都立八国山緑地。「サルノコシカケ」が。一般に、「猿の腰掛け」の名の通り、樹木の幹に無柄で半月状の子実体を生じるものが多いが、背着生のものや、柄とかさとを備えるものもある。子実体は一般に堅くて丈夫(木質・コルク質・革質など)であるが、一部には柔らかな肉質のものもある。胞子を形成する子実層托は典型的には管孔状をなして...西武線「秋津駅」~「西武園駅」。その6。「今半」おせち。都立八国山緑地その3。サルノコシカケ。西の入口広場。西武園。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園」。その5。都立八国山緑地。あおぞら広場・ほっこり広場。西の広場。西武園。

    所沢市側は都県境直下まで家並みがあります。広場に出てきました。眼下に東村山市の家並み。「あおぞら広場」。犬を連れ、散歩する女性。東南に市街地が広がります。ベンチで小休止し、西のゴール目指して、眼下に、ほっこり広場。右は、所沢市側。尾根伝いにのんびりと。振り返る。ということで、今年のブログも、終わり。皆さん、良いお年を。ソウタ。アンズ。仲良く新年を。西武線「秋津駅」~「西武園」。その5。都立八国山緑地。あおぞら広場・ほっこり広場。西の広場。西武園。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園」。その4。都立八国山緑地。将軍塚。

    「都立八国山緑地」案内図。八国山は標高89.4メートルの狭山丘陵の東端にある山です。その頂きから上野(かみつけ)・下野(しもつけ)・常陸(ひたち)・安房(あわ)・相模(さがみ)・駿河(するが)・信濃(しなの)・甲斐(かい)の八国が見渡せることから、その名が付いたとされています。新田義貞(にったよしさだ)鎌倉討伐や武蔵野合戦などが行なわれた場所で、山のふもとには久米川古戦場碑があり、山頂には将軍塚が残されています。(「」HPより)たどる道が、都県境(緑地の北限)になっています。「八国山緑地」東側。「同」西側。明治以来、都県境に変化はありません。振り返る。所沢市内。右手が所沢市。緩やか坂道を上がっていきます。埼玉県側の案内板。この案内板には、「埼玉県狭山丘陵」とあります。右が埼玉県、左が東京都。「元弘青石塔婆...西武線「秋津駅」~「西武園」。その4。都立八国山緑地。将軍塚。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園」。その3。柳瀬橋・二柳橋・二瀬橋・勝陣場橋。八国山緑地へ。

    都県境は、まだまだ旧所沢街道を越えて南西に進みますが、道が不明なところもあり、柳瀬川の右岸(東村山市)を歩くことに。「柳瀬橋」。柳瀬川(上流)。「二柳橋」から。対岸は、埼玉県所沢市。現所沢街道。この付近で都県境は、柳瀬川に。ポリオ研究所(株式会社BIKEN)東京事業所―ポリオワクチンの研究及び製造拠点―。(東村山市久米川)西武線新宿線をくぐります。二瀬橋交差点。対岸は、所沢市久米。「二瀬橋」が架かる柳瀬川が都県境。東村山市マンホール。市章と市の木ツツジのデザイン。「勝陣場橋」からの柳瀬川。下流方向。ここから、都県境は北西に進みます。左折した道の右手の緑地が都県境。いよいよ都県境になる「八国山緑地」の道をたどることに。西武線「秋津駅」~「西武園」。その3。柳瀬橋・二柳橋・二瀬橋・勝陣場橋。八国山緑地へ。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園」。その2。秋水園・とんぼ工房。「光あまねし」碑。秋津橋。

    秋水園。ごみ焼却施設、リサイクルセンター、し尿希釈投入施設、とんぼ工房、グランド。さらに、ふれあいセンターが併設されています。※「秋水園ふれあいセンター」秋水園周辺住民の交流を促進し、地域社会の発展と文化の向上、及び地域住民の福祉の増進を図ると共に、資源が循環して利用されるまちづくりを目的とします。(「」HPより)とんぼ工房。秋水園には、皆さんの家から出された家具などの粗大ごみが日々運び込まれていますが、その中には修理をすればまだ使えるものや、少しの工夫で活用できるものがたくさんあります。とんぼ工房は、それらのそのまま「ごみ」として処分してしまっては「もったいない」ものに手を加え、再生できる家具等の修理・廃材の再利用を行なう施設です。運営団体である「とんぼサポーター2」が、廃材を使った木工品の製作を行って...西武線「秋津駅」~「西武園」。その2。秋水園・とんぼ工房。「光あまねし」碑。秋津橋。

  • 西武線「秋津駅」~「西武園」。その1。松戸橋。淵の森緑地・トトロの森。(「都県境を探ってみる。第9回目)

    12月25日(日)快晴。風もあまりなく、穏やかなお天気。日本海側、北日本の人たちには申し訳ないほど。秋津駅に10時頃到着。最近は、最寄りの交通機関の関係(特に鉄道)で距離を伸ばせません。ますます軟弱に。所沢の観光案内板。歩く道は、図の下の方、所沢市と東京都東村山市と境。都内は、真っ白になっています。左は東村山市、右が所沢市。東村山市のマンホール。図柄は村山貯水池の取水塔。村山貯水池(多摩湖)の所在地は東大和市。それが、東村山市のマンホール蓋に描かれているのか?ここで取水した水が東村山市にある「村山浄水場」に送水されるということから。中央下に「ヒ」と「ム」をハトの形に図案化した市章がある。所沢市のマンホール。中央に、ヤマノイモ科の多年生つる草の「野老(ところ)」の葉を図案化し、周りをカタカナの「ワ」3つで囲...西武線「秋津駅」~「西武園」。その1。松戸橋。淵の森緑地・トトロの森。(「都県境を探ってみる。第9回目)

  • 武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その5。柳瀬川・空堀川。カワセミ。秋津駅。(「都県境を探ってみる。第8回目)

    カワセミ(○)。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3c/ef40c8c020d15e88b25dfa6922f12ffc.jpg">武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その5。柳瀬川・空堀川。カワセミ。秋津駅。(「都県境を探ってみる。第8回目)

  • 武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その4。柳瀬川を遡る。その2。(「都県境を探ってみる。第8回目)

    松柳橋。ここで、再び清瀬市に。境橋。空堀川。武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その4。柳瀬川を遡る。その2。(「都県境を探ってみる。第8回目)

  • 相変わらず好奇心旺盛で、獲物狩りの好きなソウタです。

    獲物を見せに。さっさと放り出して、今度は、なんだこれは?階段に上がって。放り投げて、気がついたら、水飲みの皿の中に落としていました。ふやけてしまったパン(のおもちゃ)。年賀状の印刷を始めると、プリンタに興味津々。くわえようとのぞき込む。以前に比べて格段に少なくなった年賀状。今回もあっという間に印刷終わり!相変わらず好奇心旺盛で、獲物狩りの好きなソウタです。

  • 武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その3。柳瀬川を遡る。(「都県境を探ってみる。第8回目)

    柳瀬川は、護岸工事、河川改修が進み、流れもきれい。川沿いに遊歩道も整備されています。振り返る。対岸の向こうには、武蔵野線が。釣り人の姿も。ところどころに人工的に段差などが設置され、流れに変化が生まれる。洪水防止でしょうが、工夫があります。桜並木の下を進む。花見の時期には、さぞかし賑わうことでしょう。この先、対岸の向こう、「清瀬金山調節池」から金山橋をはさんで、「清瀬金山緑地公園」まで、大きく回り込むように清瀬市エリアが広がります。※柳瀬川右岸を歩いたため、この二つは、訪問していません。「清瀬金山調節池バードウォッチング」。「清瀬金山緑地公園」。(いずれも「Wikipedia」より拝借)対岸は、「清瀬金山調節池」付近。前方に「金山橋」が見えてきます。金山橋下から「清瀬金山緑地公園」を望む。振り返る。対岸右奥...武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その3。柳瀬川を遡る。(「都県境を探ってみる。第8回目)

  • 冬至。我が家の猫たちは、・・・。

    こたつから、頭だけ出して。ジジを見つけ、ジジにじゃれつくも、そのうち、カーペットの暖かさに、<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ab/bce3284a780eaab72f0d01dd4085ba97.jpg">寒さの冬も自由自在。冬至。我が家の猫たちは、・・・。

  • 武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その2。円通寺長屋門。城前橋。滝の城跡。再び柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)

    都県境でもある「柳瀬川」沿いに進もうとしましたが、土手上は通行禁止。来た道から武蔵野線をくぐり、西に向かいましたが、なかなか柳瀬川に近づけません。清瀬市内を歩くことに。畑が広がる。円通寺長屋門。もとはかやぶきでしたが戦後瓦葺になおしました。武蔵野平野部の長屋門は比較的小さいのですが、この長屋門は規模も大きく、柳瀬川・滝の城を背に、清瀬古道に沿って建っている白壁・板腰は目の姿はあくまで端正です。大扉の閂やくぐり戸のおさえ等に昔の工夫がしのばれ、基本的な使用目的が守られています。円通寺の記録に「長屋門天保十五甲辰年十一月二十五日上棟再建」(一八四四年拾食宥傳の代)とあり、手直しはされていますが、この時建てられたものが今に伝えられているものと考えられます。(清瀬市教育委員会掲示より)円通寺に通じる坂道。のどかな...武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その2。円通寺長屋門。城前橋。滝の城跡。再び柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)

  • 武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その1。柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)

    今回は、JR武蔵野線「新座駅」から西武線「秋津駅」まで。「川越街道」から左折します。前回、「新座貨物ターミナル」で途切れた「都県境」。この先から続きます。「清戸番所跡」付近。清瀬市旭が丘6丁目。歩く道が都県境で、背中側が新座市内。都県境に当たる「柳瀬川」へ。「東京都下水道局清瀬水再生センター」。この向こう側が「柳瀬川」。右手、柳瀬川沿いの、何面もグランドがある、大きな「清瀬内山運動公園」を回り込む。真っ白な富士山(↓)が遠くに。前回歩いた方向を望む。さらに「関越道」脇を進み、やっと柳瀬川にたどり着くも、新しい橋を建設中で立入禁止。やれやれ・・・。「清瀬下宿ビオトープ公園」に寄り道。「柳瀬川回廊」案内板。柳瀬川沿いに歩く予定ですが、ここから柳瀬川に架かる「清柳橋」に出ます。下流方向。上流方向。右から合流する...武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その1。柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)

  • 向島百花園。冬枯れの。それでも草花は元気に。江戸菊もまだ咲いて。

    今朝、東京も初氷。そんな悠長な状態ではない。新潟県。ものすごい大荒れ、大雪で大変な状況が続いているようです。向島百花園は、薄曇り。冬支度の松とスカイツリー。12月17日(土)の午後。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/8e/2e06e8282205491097167412a3d8e31a.jpg">左から、「春日」「宿一本」「星月夜」「雲雀の夜」。「雲雀の床」。「遠見の桜」。「嵯峨の光」(嵯峨)。「肥後菊」。かんつばき。向島百花園。冬枯れの。それでも草花は元気に。江戸菊もまだ咲いて。

  • 隅田公園。冬の風物詩。ユリカモメ。芭蕉・伊勢物語。・・・

    本格的な冬の到来を告げるかのようなユリカモメが、隅田公園にやってきました。赤いくちばしと脚が目立つ白色が鮮やかなカモメ全長40cm。冬鳥として、全国の河、河口、湖沼、海岸に至る水辺に来ます。赤いくちばしと足がきれいな小型のカモメの仲間で、水上に群がる姿は白い花が一面に咲いたようです。在原業平や和泉式部の古歌に登場する都鳥(みやこどり)はこの鳥で、東京都の鳥に指定されています。江戸時代には考えられなかったウォーターフロントは、ユリカモメの目にどう映っているのでしょう。何でも食べるたくましさを持っていて、そういえば東京都のゴミ捨て場の新・夢の島にも、廃棄物をつつく姿が見られます。日本を去る4月中旬頃には、頭が黒い頭巾をかぶったようになります。カモメ類ではいちばん内陸にまで飛来する鳥で、海岸から数10キロも入っ...隅田公園。冬の風物詩。ユリカモメ。芭蕉・伊勢物語。・・・

  • ある日の猫たち。おとなしいアンズ、活発なソウタ。いろんなことに興味津々。

    そのうち、ソウタが本棚の上に、床からトントン上がって。それを見上げる、アンズ。アンズの食べ残しをせっせと。和箪笥の上のアンズ。下から一気に上まで上がります。上がれないソウタは見上げるのみ。プリンタを使い始めると、プリンターに興味あり。ソウタ。プリントされた紙が出てくるのをじっと。ガチャガチャという音に興味があるのか、用紙が出てくるのに興味があるのか。今度は、カーペットに潜り込む。蛇口から水を飲むソウタ。満足顔?得意じゃないアンズ。北日本や日本海側と比べ、穏やかな天気が続いた東京地方も寒くなってきました。いよいよ冬本番。ある日の猫たち。おとなしいアンズ、活発なソウタ。いろんなことに興味津々。

  • 西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その8。JR武蔵野線。貨物ターミナル。「金太郎」。野火止。(都県境を探ってみる」第7回目。)

    「関越道」の上を越えます。「UR清瀬旭が丘団地」が続く。住宅地を抜けると、農地が広がります。遠くにJR武蔵野線。この道が都県境に。右が新座、左が清瀬。清瀬市のマンホール。市の木ケヤキがデザインしてある。農家らしいおうち。「十文字学園サッカーグラウンド」。新座市側には「十文字学園女子大学」キャンパスが広がります。振り返る。右が清瀬市、左が新座市。「武蔵野線」に突き当たります。貨物ターミナルになっています。都県境は、ここを横断し、線路の向こうにつながっていきますが、今回は、ここで終了。右に曲がり、JR新座駅に向かいます。大型トラックも行き交い、砂埃が舞う道路。新座市菅沢2丁目になります。新座市のマンホール。土にまみれながら。市の花こぶしで市章を囲み、周りに市の木モミジの葉を配している。機関車が貨車を牽引して。...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その8。JR武蔵野線。貨物ターミナル。「金太郎」。野火止。(都県境を探ってみる」第7回目。)

ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?

ハンドル名
おやじのつぼさん
ブログタイトル
おやじのつぶやき2
フォロー
おやじのつぶやき2

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用