Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほとゝぎす 松尾芭蕉 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女の句を連想してしまう。郷愁を誘う母のイメージと現実の母とは全く違うということがある。郷愁を誘う京のイメージと現実の京とは全く違うということ
2025年7月
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほとゝぎす 松尾芭蕉 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女の句を連想してしまう。郷愁を誘う母のイメージと現実の母とは全く違うということがある。郷愁を誘う京のイメージと現実の京とは全く違うということ
Ryo Daimonji Blog古家にもの新らしき団扇かな 高浜虚子 俳句は物に即して詠まないと感覚が実を結ばない。下五のかなは上五へと循環するように置く。古びた家に団扇の新しさが己が存在を妙にくっきりと示している。つかの間目を止めた瞬間の感覚である。この句、
2025年7月
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Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほとゝぎす 松尾芭蕉 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女の句を連想してしまう。郷愁を誘う母のイメージと現実の母とは全く違うということがある。郷愁を誘う京のイメージと現実の京とは全く違うということ
Ryo Daimonji Blog古家にもの新らしき団扇かな 高浜虚子 俳句は物に即して詠まないと感覚が実を結ばない。下五のかなは上五へと循環するように置く。古びた家に団扇の新しさが己が存在を妙にくっきりと示している。つかの間目を止めた瞬間の感覚である。この句、
Ryo Daimonji Blog雨に出す蝸牛の肉龍太無し 小澤實 梅雨どきの激しく降る雨に蝸牛が這っている。その季節は夏の勢いに満ちているのだ。蝸牛もまた活き活きと角を出しあたりを伺う様子で元気に満ちている。同時に作者は敬愛した飯田龍太の不在を感じる。思い出
Ryo Daimonji Blog己が火を木々の蛍や花の宿 松尾芭蕉この句の「木々」が気になった。大きな木ではないと思う、柳やそういった低雑木だろうと思う。その中に紛れて点滅している。己が「火」も気になるのだが他に表現する字も思いつかない。「花の宿」がきれいすぎてこれ
Ryo Daimonji Blog草むらや蟷螂蝶を捕らへたり 高浜虚子 草むらに蟷螂が蝶を捕らえているよ。と秋の一風景を切り取っている。なんでもないことのようだが、蟷螂が蝶を捕らえた瞬間ということを見た人は少ないのではないだろうか、丹波住まいの私にしてもありそうでない
Ryo Daimonji Blogセイタカアワダチサウ秋草に入るや否や 小澤實 小澤實先生の〈翁に問ふプルトニウムは花なるやと〉にしても私は理屈がすぎて俳句と認め難い。ところが先生の素朴にピュアな感覚を思うとコクンと諾う何かがある。背高泡立草はいわゆる秋の七草には入
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月雨 松尾芭蕉 日の道とは、地球から見て太陽の移動経路のことで、葵の花の傾きがこの道に沿っていると、俳句の観察美を詠んでいる。立葵が先まで咲くと梅雨が明けるのだと、何度も聞いてきたが、今年もことのほか暑い。
Ryo Daimonji Blog嵐山の闇に對する蛍かな 高浜虚子 嵐山には自転車で行けるほどのところに下宿していて、時々出かけた記憶がある。桂川、保津川を挟んで嵐山の山は近い。夕暮れると一体は闇となり、人を寄せ付けない迫り方ををする。そこに蛍が飛んでいる。幻想的とか
Ryo Daimonji Blog蟻地獄雨一滴のひびきけり 小澤實 この句の上五「蟻地獄」が夏の季語である。冬場であっても死に絶えているわけではなく静かに生き耐えているらしい。ともあれ蟻地獄にとって雨の一滴といえども落ち入れば大事で、あたふたとより奥へ幼虫は逃げること
Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog大粒の雨になりけりほとゝぎす 虚子 大粒の雨になってしまったなあ、と時の天気を詠嘆して見せる。それはそれでその時の呼吸があっていいのだが、大粒の雨の最中にほととぎすが鳴くものか、私は疑問に思うのだが、むしろそこに虚子さんは軽い驚きを感
Ryo Daimonji Blog鉄階にいる蜘蛛智慧をかゞやかす 赤尾兜子 鉄の階段に住んでいる蜘蛛はそこでも美しく輝く巣を張って生きている。その蜘蛛の巣の輝きがすなわち蜘蛛の智慧と言えるのである。と句意を解して見た。 私にとって問題は、(毎日新聞社版『名句の所以』著
Ryo Daimonji Blog酔て寝むなでしこ咲る石の上 芭蕉 なでしこの咲いているそばの石の上で、ほろ酔いで寝ようではないか。と一応の解釈をしてみるのだが、解説(小学館『芭蕉全句』)に小野小町・僧正遍昭の贈答歌「岩の上に旅寝…」による。とある。その意味合いにこそ真
Ryo Daimonji Blog鶏の築地をくづす日永かな 虚子 この句のポイントは、「築地」小さな山を鶏が崩す、と読んでみたが「つきじ」は海や沼の埋立地、で「ついじ」は土塀のこととあった (ネット)。地名の意味もあるが、俳句の意味、風情としては「土塀」と解するのがまず
Ryo Daimonji Blog阿修羅の鵜女体とききしあはれさよ 渡辺桂子 阿修羅は六道のひとつ。人と地獄、餓鬼、畜生との間にある境地とある。人に縄で縛られ懸命に鮎を取りそれを横取りされる鵜に己と同じ雌と聞きあはれと思うとともに、ある種の共感を俳句にした。
Ryo Daimonji Blogいでや我よきぬのきたりせみごろも 芭蕉 まづ上五「いでや」を理解したい。「いでや」で感動詞で「さあ!」ほどに解した。さあ!我に、良き布が来たぞ、良い服とでも訳すのか、蝉のころも、つまりせみの羽のように涼しいころもだ。と贈られた服を喜
Ryo Daimonji Blog住みなれし宿なれば蚊もおもしろや 虚子 芭蕉一門に内藤丈草という俳人がいて「血を分けし身とは思はず蚊のにくさ」と言うのがあった。確かに蚊は自分の血を吸っておりそこを血を分けた、と言えばなんとも身内の如き、感は出る。しかし虚子さんの句の
Ryo Daimonji Blog人殺ろす我かも知らず飛ぶ蛍 前田普羅 前田普羅は1884年(明治17年)東京生まれ、早稲田大学英文科中退、横浜裁判所勤務とある (ウキペディア)。人を殺すかもしれない、という不安は令和を生きる私たちにとっては普通に抱く不安と言えるのではない
Ryo Daimonji Blog鰹売いかなる人を酔すらん 芭蕉 貞享四年(1687)頃では鰹という魚はさほど高級魚ではなかったらしい。そして、その鰹を売ろうと人を口車に乗せる輩もいたようだ。利のために人を騙す、今も昔も欲に取り憑かれた人間は徒然草あたりに絶好の教材として
Ryo Daimonji Blog人行かぬ舊道せまし茨の花 虚子 田舎の道には新旧があって旧道を少し外して立派な国道や県道があったりする。久しぶりに旧道に入ってみると、雑草や雑木に狭められた懐かしい道が数十年昔のまんまあったりする。特に狭くなったわけではないのだがひど
Ryo Daimonji Blog恋を得て蛍は草に沈みけり 鈴木真砂女 蛍に託して満ち足りた己の恋を草に沈むと表現した。蛍に託すことで人間の愛欲の儚さを自覚するのであり、草に沈むとすることでささやかではあるが、私たちのしとねの美しさを官能的に表現し切った。奇しくも今
Ryo Daimonji Blog五月雨に鳰の浮巣を見に行む 芭蕉 梅雨の雨どきに、田んぼの水加減を見に行ったり川からの取り込み口を見に行ったり気忙しいことである。時にそういう作業の途中増水に足を取られたりの高齢者がいて注意喚起に躍起である。この句は鳰の浮巣を見に行
Ryo Daimonji Blog短夜の星が飛ぶなり顔の上 虚子 この句を読んで、流れ星が作者にとても近くに感じられた。それもそのはず、前書に野宿とある。夏の短い夜を野宿しているのである。野宿という非日常に夜空も流星も身近に生き生きと迫ってくるのだ。〈短夜の山の
Ryo Daimonji Blog亀の子のすつかり浮いてから泳ぐ 高田正子 いわゆる銭亀といった小さな亀は重量がなくその浮力だけで十分に浮くのである。そしてともかく手足を動かすのでそれが泳いでいるように見える。この句、すつかり浮いてからとそのさまを切り取るが、どの
Ryo Daimonji Blog髪はえて容顔蒼し五月雨 芭蕉 貞享四年(1867)『続虚栗』。五月雨つづきのこのごろ、髪もはえ、顔も青白く精彩を欠いている。貞享四年と言えば芭蕉、数え44歳とある。身を構わぬこともあろうがこのような自分を俳句にすることも珍しく興味深いことで
Ryo Daimonji Blogほとゝぎす月上弦の美濃路行く 虚子 美濃の街道を行く頃には空には上弦の月がかかってをり、ほととぎすの声が聞こえた。さて、この場合のほとゝぎす、月上弦の二重季語はどう解すべきか、私はこの句の主季語を上弦の月と解し、ほとゝぎすを従たる季語と
Ryo Daimonji Blog黴の書に占魚不換酒の印存す 上村占魚 解説を読むと(小澤實著『名句の所以』)すぐにああそうかと合点がいく。最初「占魚不換酒」がわからなかった、なあんだ本を売って酒代に換えないこと、その決意表明の印が古くなった自書にあるってことだ。 今
Ryo Daimonji Blog五月雨や桶の輪きるる夜の声 芭蕉 五月雨が降って湿度が増したのであろうか、どれかの桶のたがが切れたようである。そういう音がした。そしてその音は人の悲鳴のような声にきこえるのだ。解説によると、竹製のたがには湿気が大敵だという(小学館『芭
Ryo Daimonji Blog子規鳴き過ぐ雲や瀧の上 虚子 子規が鳴きながら飛び過ぎて行く、その雲が瀧の上を過ぎて行く。この過ぐが双方にかかっているのだ。むしろそれより問題は、子規、瀧は双方共に夏の季語だ、こういう二重季語はいかがなものか。いわゆる異種の二重季語は
Ryo Daimonji Blogかほに塗るものにも黴の来りけり 森川堯水 解説で作者は貧しい境涯と向き合った、とある。顔に塗る化粧品なのだろうが、それを使う作者の妻はおそらく捨てずに使ったのだろうと推測されている。そこまで読むのもおもしろくもあるが、私は化粧品にまで