chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
masao
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/10/30

arrow_drop_down
  • カンボジア紀行 アマゾン電子出版しました

    カンボジア紀行宮本正男はじめに18年前のアンコールワット紀行を編んでみた。過去の旅は時間という竈で美味しいスープに仕上がる。回想しながら編んでいく作業はこの上なく楽しい。アンコールワットとアンコールトムをひとまとめにしてアンコールワット紀行としている。アンコールワットは寺院でアンコールトムは王宮の意だ。アンコール朝の中興の祖ジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手した。石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると。1933年の調査によって中央祠堂床下からブッダの像が発見された。建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡や、ヒンドゥーの神像があることからは大乗寺院から後にヒンドゥー化したものか。三島由紀夫や開高健の作品に触発され...カンボジア紀行アマゾン電子出版しました

  • 『幼年期の終わり』と仏教的解脱 オーバーマインドと宗教の行き着く先

    アーサー・C・クラークのSF小説『幼年期の終わり』は、異星人オーバーロードによる地球支配を描きながらも、その背後にあるテーマは「人類の進化と宗教の変遷」だ。本作で「地球上のすべての偶像崇拝的宗教が支持されなくなり、東洋の素朴な宗教のみが残った」と明言されている。「仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教といった偉大な宗教はすべて消え去る、無数の小さな宗派だけがあった。」この記述を読み解く上で、最も重要なのはオーバーマインド(Overmind)の概念である。オーバーマインドとは、人類が最終的に到達する「集合意識体」であり、個々の人間の意識が統合され、物質的な存在を超越した純粋な精神的存在へと昇華することを意味している。この概念は、仏教の「無我(アナッター)」や「解脱(ニルヴァーナ)」と極めて近いものがある...『幼年期の終わり』と仏教的解脱オーバーマインドと宗教の行き着く先

  • 佐々木閑と紀野一義 カルトに対する態度

    佐々木閑氏はそれぞれ好みの宗教信仰を持てば良いという態度だがカルトについて言及している。他の宗教を一切認めないという宗教は必ず暴力性を持つようになると断言する。イスラムとキリスト教について、あるいはオーム真理教を念頭に置いている。もう一つはその宗教の存続期間だという。短いものは生涯をかけるに値しないとも。これは結果論的だがそうだろうなと思う。紀野一義氏も戦後に山口に寄宿した時熱心にキリスト教を勉強した期間があると述べている。牧師の高木さんと親友であり、互いの親交を深めている。他の宗教について批判的な言葉をあまり聞いたことがないが創価学会については触れていて、一度問答にやってきた青年部の面々をもっと勉強してからこいと言ったことを講演で述べている。オームについても触れていた気がするが忘れた。いずれ思い出した時...佐々木閑と紀野一義カルトに対する態度

  • データセンターのエネルギー使用量を30%削減できる ?! 常に人が走り回らないようにする?

    下記の記事すごく興味あるなあ。しかし「製造工場のパイプラインを再調整して、常に人が走り回らないようにするようなものです」という謎めいた言葉ではよくわからない。https://www.datacenterdynamics.com/en/broadcasts/dcd-energy-sustainability/2025/what-does-a-green-data-center-really-look-like/Linuxコードの変更によりデータセンターのエネルギー使用量を30%削減できると研究者が主張研究者らは、Linuxのコードを30行変更するだけで、一部のデータセンターのエネルギー使用量を最大30パーセント削減できる可能性があると主張している。カナダのウォータールー大学のコンピューター科学者は、多くのデ...データセンターのエネルギー使用量を30%削減できる?!常に人が走り回らないようにする?

  • 紀野一義と佐々木閑 変わることへの態度

    佐々木閑氏は初期仏教の特に律の専門家なので釈迦が言ったこと以外の言説を認めない。そのため大乗も認めない。(しかし、人がどちらを好もうがそれはお好きにどうぞとの態度なので偏頗な考えの持ち主では決してない)紀野一義氏は人がどうしてもそうあって欲しいとの願いを認める。禅だけでは収まりのつかない時もあり、そういう時は念仏を唱えるという。そして仏教界の異端児である暁烏敏を愛し、山頭火を愛する。収まりのつかない時もあるというのがいいなと思う。浄土真宗のある偉い学者が釈迦以前にも仏教があったと講演したことを肯定的に取り上げている。「異安心と言われますかね」と言いながらさらりと仏教界がひっくり返るようなことを言う。佐々木閑氏は比喩とかメタファは本質的に正しくないという。説明上使う時もあるがあまり良くないという。紀野一義氏...紀野一義と佐々木閑変わることへの態度

  • カンボジア紀行 ハイライト1 旅の自画像

    写真の中心には、古代クメール建築特有の石造りの門が映し出されている。門には精巧な彫刻が施され、高く積み上げられた石柱がその構造を支えている。奥にそびえ立つ塔には、巨大な「観音菩薩」の顔が刻まれており、それぞれが四方を向いている。この表情は穏やかで優しく、訪れる者を静かに見守っている。これらの顔は、慈悲や平和の象徴とされ、しばしば「クメールの微笑み」として知られている。中央の門の右手には、一体の石像が確認できる。この像はかつて完全な姿を保っていたと考えられるが、現在は首や一部の細部が破損しており、長い年月の経過を物語っている。クメール帝国時代の建築物は、主に砂岩を使用して造られており、長年の風雨や熱帯気候の影響によって細部が損なわれている。しかし、その風化した姿は、遺跡の悠久の歴史と時の流れを感じさせ、訪れ...カンボジア紀行ハイライト1旅の自画像

  • 紀野一義と佐々木閑 救いの違い

    紀野一義から学んだ法華経宮本正男いずれも稀代の仏教伝道者で尊敬するお二方だがどこが異なるかをシリーズで追求する試みをこのブログで行って行きたい。今回は救いについて。佐々木閑氏は仏教に例えば観音による救いや阿弥陀の救いなどということは一切釈迦は説いていない、だからそういう救いはないので仏教に求めても無駄だという。つまり現世利益はないと諸法無我の立場から断言する。多くの動画で一体何回繰り返されたことだろう。紀野一義氏は死ぬ時には母親や父親などが迎えにきてくれるから何にも怖いことはないよ、安心して逝きなさいと話す。これほど大きな違いをみせる両氏だが佐々木閑氏の釈迦は救いなどということは説いていない、一切の煩悩を離れて再び輪廻しないことのみが仏教だという。つまり大乗仏教は仏教ではない、別の宗教であると言いたいのか...紀野一義と佐々木閑救いの違い

  • モロッコ紀行 電子出版で発売開始しました

    モロッコ紀行宮本正男目次はじめにマラケシュジャマ・エル・フナ広場ベリーダンスイブサンローランの別邸食べ物街の風景フェズ・メクネスボルビリスロバゼリージュ(モロッコタイル)幾何学模様アイットベンハドゥアトラス越えアガディールリッサニから砂漠へタルーダントからエッサウィラへカスバ街道はじめに18年前の世界旅行で自ら撮り溜めたモロッコ写真を回顧しながら紀行を編んでみた。荒涼とした砂漠の風景と80歳のミュージシャン、ローマ帝国の夢の跡で悠然と草を喰むロバ、アトラス声で見かけた老農夫、幾何学模様のタイル、混沌の熱狂ジャマ・エル・広場、青の洗練の極地イブ・サンローラン別邸、映画を思い出すカスバ街道やアイット・ベン・ハドゥなどなど、思い出すたびに懐かしい。2025年1月23日パタゴニア紀行宮本正男マチュピチュ紀行宮本正...モロッコ紀行電子出版で発売開始しました

  • モロッコ紀行ハイライト2

    この背の高い老人がバンドのリーダーでジャジューカ風の音楽を演奏する。推定70くらいで片目は見えないが一晩中精力的に演奏する。ときどき飛んでみせる。リッサニから砂漠を車でやってきて夜演奏し翌朝帰っていく。この老人は特別背が高く10等身に見える。サハラ砂漠は三度訪れている。モロッコの南側アトラスを越えた処にリッサニという街がある。そこから車でさらに南に向かうと砂漠にはいる。赤茶けた固い砂地が延々と続く。ときおり刺のある背の低い草がほんの少ししょぼしょぼと生えているがあとは荒涼とした風景だ。こんななにも道案内のないところをどうやって目的地まで行くのか。どうやら地面にうっすらと残る轍の痕跡を辿っている。慣れた道でも見失うことがあるらしい。ある時は道を見失った。といっても、もともと道はないのだが。車が砂丘をジャンプ...モロッコ紀行ハイライト2

  • トランプ大統領の政策 アメリカ第一主義と中国封じ込め

    トランプ大統領は根底に「中国の脅威」に対する強い深い危機感があり、これが就任演説における経済・軍事・技術の各分野に反映されている。彼の「アメリカ第一主義」はやや時代錯誤的なスローガンに聞こえる。西部開拓史になぞらえて領土を拡張し、奴隷制度を打ち破った歴史に学ぼうと鼓舞するのはちょっと前では苦笑を持って聞かれたのではないか。ところが就任演説ではスタンディングオベイションを持って迎えられた。これは驚くべき変化だと思う。我々が尖閣問題や台湾問題を気にするもどこか人ごとに感じている脅威をトランプ大統領は身で感じており、これが就任演説の公約になっている。石油やガス掘削規制は今そこにある危機を回避するために方向転換する。移民問題やパナマ問題は米国の国富や国力を減らすので倫理よりも喫緊の対応を急ぐ、グリーンランド、パナ...トランプ大統領の政策アメリカ第一主義と中国封じ込め

  • トランプ大統領就任演説メモ

    トランプ大統領就任演説で宣言している具体的な項目を抜粋メモしてみた。驚くべき公約が盛られている。お利口ちゃんでいたためにパナマで中国につけいられた悔しさが溢れている。コロナもこの場では中国を原因国だと挙げていないがWHO離脱で思いは伝わる。ウクライナに戦争援助しているが畏怖されない米国では介入に大きな効果がない、畏怖される国になれば自ずから解決されると云うことだろう。戦わないことが成功だと評価されると云うのも深い意味を持つ。ウクライナさらには台湾でもこのやり方で行くことを示唆しているように思った。経済制裁も実効あってのものであり、米国にエネルギー資源やレアメタルがなければロシアや中国に経済封鎖もザルになる。グリーンランドやカナダ問題も来るべき中国との覇権争いを見越したものだろう。火星へ星条旗を立てることも...トランプ大統領就任演説メモ

  • モロッコ紀行ハイライト 1

    目の前に広がる砂漠の風紋。風が作り出す鋭い稜線は大地が持つ長い歴史の年輪のようだ。ここがかつて海の底であったことを思うと、無限に広がる砂の波も、どこか懐かしさを帯びてくる。風に運ばれ、ゆっくりと形を変える砂丘のふもとには、アンモナイトの化石を売る商人たちが訪れる。数千万年前の海の記憶を、こうして手に取ることができるのも、砂漠の魅力のひとつだろう。そんな悠久の砂の波を見ながら、ふと落語の「三題咄」を思い出した。人の名、モノ、地名の三つを組み合わせ、即興で物語を紡ぎ出すあの話法だ。もしここで「モロッコ」「ヘディ・ラマー」「携帯電話」という三題を挙げれば、すでに実在する物語が浮かび上がる。ヘディ・ラマー、映画史に名を刻むオーストリア出身の女優。その美貌の陰には、無線技術の革新者としての顔があった。彼女は最初の結...モロッコ紀行ハイライト1

  • モロッコ 2006年旅の自画像

    18年前モロッコでの自画像的ショットです。モロッコ紀行を編集していてなんと懐かしい。壮麗な門を背にして広がる光景は、人々のエネルギーに満ち溢れている。絢爛たる装飾が施された門は、その美しさで訪れる者を圧倒するが、それ以上に目を引くのは門前に集う人々の活気だ。誰もが何かを語り合い、時には声を張り上げ、賑やかな喧騒が響き渡る。門の前には、商人たちが道具や商品を並べている。フードを被った伝統的な衣装の人々が歩き回る一方で、カジュアルな服装の若者たちが談笑している姿が見られる。この場所は、過去と現在が交錯するモロッコの縮図そのものだ。遠くで聞こえる交渉の声、笑い声、そして何かを売り込む商人たちの叫び声が混ざり合い、この門前広場に独特のリズムを生み出している。その中心には、時折真剣な表情で何かを議論している集団も見...モロッコ2006年旅の自画像

  • 携帯電話の元祖をモロッコで発見

    モロッコ紀行を編集していたら携帯電話の元祖を発見した。ガラスケースの中に展示された1910年製の手動電話機は、その古びた革ケースと金属部品が時の重みを感じさせる。小型で持ち運び可能な形状は、野戦通信や遠隔地での連絡手段として使用されていたのだろう。もし軍事用途で使われていたとすれば、まさに「携帯電話」の元祖ともいえる存在だ。1910年当時、モロッコにとって電話は近代化の象徴であった。しかし同時に、それはフランスやその他の列強が行政や軍事を支配するためのインフラでもあった。展示されている1910年の手動電話機は、その背景に列強とモロッコの緊張関係を物語る貴重な証人といえる。革ベルトの留め具やねじれたコードには、幾度もの使用を経た傷や擦れが刻まれており、当時の人々の生活や戦地での通信手段を想像させる。第一次世...携帯電話の元祖をモロッコで発見

  • Digitale Vorrunde International Piano Competition for Pianists Kronberg 2025

    DigitaleVorrunde InternationalPianoCompetitionforPianistsKronberg2025孫のDigitaleVorrunde InternationalPianoCompetitionforPianistsKronberg2025応募用演奏です。DigitaleVorrunde InternationalPianoCompetitionforPianistsKronberg2025

  • 佐々木閑と紀野一義 面食らう我と縁起の説明だが

    佐々木閑氏は繰り返し繰り返し我はどこにもないという。五蘊のどこにも我がないと繰り返す。死んだ後も仏教で説くところの輪廻はいわゆる魂のような実体?を伴った形では存在しない、従い、そういう意味での輪廻はないと氏は述べる。輪廻は当時のインドの常識であり、わかりやすくそれに従っただけだと。では何が輪廻するのか、あるいは輪廻するように見えるのか。我なるものの実体がなければ一体何が輪廻するように見えるのか。氏は輪廻を引き起こすものは縁起だという。別名で業というと。わたし流の解釈では人は死ぬと業によって縁起の中に溶け込む。大宇宙を一つの方程式(関数)で表すと溶け込むのでどこを探しても我は見つからないが縁に触れて再び輪廻する。此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。此(これ)が生ずれば彼...佐々木閑と紀野一義面食らう我と縁起の説明だが

  • ベトナム紀行 出版しました

    はじめに2006年3月に訪れたベトナムへの旅はすでに19年が過ぎわたしは喜寿と呼ばれる年になりました。ようやく旅の記憶を遡行して紀行文としてまとめてみました。2006年につれあいと出発した世界漫遊の旅の始めにベトナムを選びました。若い頃に毎日のように新聞を賑わしたベトナム戦争の記憶は消えることなく脳裏に焼き付いています。そのベトナムに平和が訪れてどうなったのかをこの目で見たい。長い歴史を持つこの国の遺産を眺めたい。メコンデルタの悠久の流れの中でどのような生活が営まれているのか。写真はわたしが撮ったもので、紀行文は拙ブログ(まさおレポート)の文章を下敷きにChatGPTをアシストに使って編集しました。2025年1月12日はじめにハロン湾水上生活船室街角風景フエフンジャン河フエ城ティエンムー寺ミンマン帝廟カイ...ベトナム紀行出版しました

  • 腰痛対策で水中歩きを試みる

    昨年11月11日にお風呂の王様でのぼせて転倒して翌日から腰痛を発症した。幾分ましになってきているが座った後の立ち上がり時にまだ痛みがある。そこで今日はスポーツクラブのプールで水中歩行とマッサージジャグジーを合計1時間やった。これって久しぶりで、バリ滞在時は毎日やっていたのに既に10年近く怠っていた。さあ会員になって少しばかり柔軟性を取り戻さねば。腰痛対策で水中歩きを試みる

  • 佐々木閑と紀野一義 色に対する関心の度合いが異なる

    頭を悩ます色即是空空即是色の色について両氏の違いを覗いてみると興味深い。佐々木閑氏は初期仏教を中心に研鑽を積んでこられた方であり色の解釈に非常に深く細かく説明をする。色は二通りの意味があると言う。色かたちが一つ、物質という意味がもう一つあると。色かたちは視覚から見ている。物質との意味は現代の物理学的な説明になる。瑣末なことを、どうでもいいじゃないか、そんな感想に対して氏は激しく憤るように見える。仏教は細かく細かく見ないと見えて来ないらしい。紀野一義氏は色についてさらりと説明していた気がするが、空も色も色々な議論があるが深入りはしませんと言っていた。どちらかが正しいとは比較しない、どちらも面白いなとわたしは思う。紀野一義氏は救済に重点を置き、佐々木閑氏は一切皆苦の覚悟の上での病院としての立場を取る。このこと...佐々木閑と紀野一義色に対する関心の度合いが異なる

  • バルセロナ紀行 電子出版しました

    写真167枚紀行文50000文字バルセロナ紀行宮本正男目次ボローニャから列車で3カサ・ミラ7カサ・バトリョ8バルセロナ大聖堂40街角の食事45カタルーニャ美術館53ピカソ美術館56さりげない風景62カタルーニャ音楽堂69カサ・レオ・モレラ75グエル公園77波型の柱廊86パビリオン93ガウディ・ハウス博物館96サグラダ・ファミリア129ハイライト抜粋ユーレイルパスを手に、次なる冒険に心を弾ませていた。広がる線路は私たちを誘い、イタリアからスペイン、バルセロナへの列車の旅を決意した。イタリアの魅力に既に浸りつつ、次の章はスペインだ。列車から降り立った瞬間に感じたのは、これまでの旅路の疲れよりも、これから始まる冒険への期待感だった。ガウディの傑作が待つ街、そして1992年のオリンピックで世界にその名を轟かせたバ...バルセロナ紀行電子出版しました

  • 佐々木閑 紀野一義 テーラワーダを語り現代の僧侶を語る

    佐々木閑氏は初期仏教の学者でありたびたびタイなどに出かけて修行生活に参加されている。托鉢と食事風景を詳細に話している。座る順序が仏道に入った順序で厳格に守られていることや午後になれば一切の飲食ができないことなど。衣は糞ぞうえと言って元は死体から頂いたものを再利用していたことなどを。紀野一義氏は法華経中心の伝道者だがやはりテーラワーダを日本に招いたときに世話役をして接している。テーラワーダの方々が昼が近づいてくると大変そわそわされるのをユーモラスに語っている。まだ社会経験のない年端の行かない男子が極端に大事にされることに対しては日本の寺での小僧の修行時代と余りの違いに言及されている。スポイルされるのではないかとの老婆心を持たれたようだ。佐々木閑氏もインドで仏教が広まる過程で象に乗って外出する僧がいたことに触...佐々木閑紀野一義テーラワーダを語り現代の僧侶を語る

  • 紀野一義 佐々木閑 両氏の違いと共通点

    佐々木閑氏は「私は劣等感の塊みたいな人間だった」紀野一義氏は「人生は、ええなあ、ええなあ超楽天主義で生きよう」と全く両極端のことをいう。佐々木閑氏は仏教で救済を求めるのは無理筋という。初期仏教を信奉する氏はこの世での全ての欲望つまり煩悩を断ち切っていくことで再び輪廻しない涅槃に入ることが仏道修行の最終目標だと。だから万人向きではない、この世での成功や人生の喜びを断ち切ることが目標の病院だという。病院だから病が癒えれば退院して人生の喜びを求める人生に復帰しなさいと言いたそうだ。紀野一義氏は法華経の信奉者で戦争中はお題目をあげて、あるいは観音に祈り、死地をなん度も潜り抜けた。仏教伝道はその体験に裏打ちされたものだ。しかし法華経一辺倒ではなく円覚寺の朝比奈老師や南禅寺の芝山老師を生涯の師とした。また法華経だけで...紀野一義佐々木閑両氏の違いと共通点

  • 市場環境の変化に対応した通信政策の在り方 最終答申(案)に対する意見募集 パブコメ

    下記のパブコメを総務省に提出しました。インフラシェアリング会社にも公益事業特権を与える案に賛同しています。長年の間企業サイドで通信政策に関与し、現在は企業に属さない自由な一国民として最終答申(案)に賛同いたします。防衛費財源としてのNTT法廃止議論から端を発した通信政策の在り方議論が市場環境の変化に対応した本答申に結実しています。NTTの市場支配力を抑制し、参入企業の育成を重視する考え方を踏襲してきた従来の通信政策からNTTを世界トップレベルの企業として成長させ、日本の経済力向上に寄与させるという新たな視点が打ち出されています。同時に競合各社にとって近い将来の自動運転時代に死活問題となるであろうアクセス系の開放にも、自民党提案の国有化民営化4案からインフラシェアリング会社にも公益事業特権を与える案が新たに...市場環境の変化に対応した通信政策の在り方最終答申(案)に対する意見募集パブコメ

  • 佐々木閑と紀野一義 業を積まない善業

    佐々木閑氏はYouTubeで大量の阿含経講義を行なっている。実に大量だ。この努力は大変なものだ。紀野一義氏もまたぜんしょうあんなどで生涯を通じて膨大な講義を行なっている。そして現在でもYouTubeでほとんどを視聴する事ができる。紀野一義氏は没しての後もYouTubeでわたしの心を温めてくれる。佐々木氏は現役でやはり聴くことが楽しみに。佐々木閑氏は布施、善業、陰徳の講義で承認欲求のある善業は業を積む行為であり、いいねを求める気持ちは陰徳ではなく涅槃への道ではないと言う。それはわかっていながらやはり視聴数は気になると苦笑している。紀野一義氏は小林秀雄と話をしたかったとして、本当はそんなことどうでもいいことなんだがと言い、反省を述べながら、でもそうしたい自分がいると複雑な心境を述べている。これだけの人でも承認...佐々木閑と紀野一義業を積まない善業

  • AI お絵かき遊び

    銀のブレスレット無彩色の花陶器幻想カラファテ湖の夕映え透明な花芦屋滴翠館AIお絵かき遊び

  • 佐々木閑と紀野一義 両氏の死生観から断章

    お二方とも寺の息子だ。初期仏教と法華経をそれぞれがよりどころとされている。しかし共通点を探っていくと興味深いことが見えてくる。今回は死をどう考えるかについて。佐々木閑は死、特に自死について、周りを悲しませることでありやらない方が良い。しかしブッダの弟子の一人の涅槃への道として自死をした人の逸話を引いて、仏教的には一つの選択しとしてギリギリの状況ではブッダも認めていると説く。どうやっても解脱に到達できない男の最後の手段として自死をしたケースをブッダは特別の非難をしていないそうだ。こんなことよく話せるなと思うが仏教的真実を語って置かなければとの強い信念がそう語らせるのだろう。タブーに近い話であろうし、物議を醸すことを承知でこのように語ることが氏の真骨頂なのだろう。つまり仏教を信仰するとということは上っ面だけの...佐々木閑と紀野一義両氏の死生観から断章

  • ネトフリ じいさんず 初めての銀行強盗 を観た

    愉快なコメディで、わたしと同年輩やそれ以上の年齢の仲良しじいさん3人が年金中止でパイが食えなくなることに憤慨し銀行強盗を思いつく。そして成功しめでたしめでたしで終わる。たわいのない筋であり毒にも薬にもならない、がははと笑い飛ばして以上終わりなのだが妙に後を引く。必殺仕掛け人をご存知だろう、藤田まことが闇の仕掛け人で、悪人を非合法にバッサバッサと始末していく。悪に悪を持って成敗していくのが痛快で、非現実だがなってみたいナンバーワンではないかと。じいさんずでは悪人の成敗では無い。巧妙な社会システムで年金ストップされる理不尽さにだれも傷つけずに銀行強盗に挑むのだ。そういうわけで筋は相当異なるのだがわたしの頭の中では必殺仕掛け人のジャンルに入る作品なのだ。改めて成敗ものが鉄板ネタだと確信したね。アリバイ作りとして...ネトフリじいさんず初めての銀行強盗を観た

  • 2025年1月1日 明けましておめでとうございます

    過去のブログで新年を振り返ってみた。これは娘が一歳の時か。バリのスミニャックで砂遊びしている。まもなく17歳で大学受験を目指す。お節の酒をもっとくれと催促するおバカな娘だが、早いものだと感慨に浸る今年のお正月でした。今年のお節はつれあいの力の入った作品で、陶芸家の友人が贈ってくれた夫婦ぐい呑みで玉乃光を呑んだ。昨年は暮れに風呂でのぼせて目が眩み転んで腰を打ったらしく腰痛を経験した。正月を迎えて急激に回復し始めた。こんなことが生きる上で貴重に思える。腰痛の人がいたら行って大丈夫だよきっと治るからと賢治風に励ましてあげたい心境だ。2006年に数々のリスクを顧みず敢行した世界旅行の紀行もイタリアマチュピチュと発行してようやく公約?を果たした。今年は早々にモロッコベトナムカンボジアバルセロナ紀行を完成したい。Ch...2025年1月1日明けましておめでとうございます

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、masaoさんをフォローしませんか?

ハンドル名
masaoさん
ブログタイトル
団塊亭日常
フォロー
団塊亭日常

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用