令和7年1月29日は、JRグループの累計日数が国鉄を超えた節目の日。JRは昭和62(1987)年4月1日発足から現在も続いているが、前身の国鉄は昭和24(1949)年6月1日から昭和62(1987)年3月31日までの38年間、のべ13,819日。更に歴史を遡ると国鉄の前は運輸省...
夏本番になると陽射しが強くなる前に用事を済ませたい。外へ出るにはそういう動機付けだけでもいい。今日の空には清々しさと蒸し暑い鬱陶しさが混じったあの空気感が・・・梅雨明けしたのだなぁを実感するには十分だった。 まだ現役のJR貨物のEF65PFが行く。 鉄道は大勢の人...
関東地方の梅雨が27日に明けたというニュースには驚かされた。自宅近所の紫陽花がこれから見頃を迎える前に夏の陽射しが来るとは思いもよらなかった。しかもセミも鳴いている・・・自力優勝もなくなった・・・まだ6月じゃないか。 「あじさい」電車運行は6月中旬からだが 鉄道は...
東北新幹線が開業して40年、現在の最高速列車はE5系「はやぶさ」で320km/h運転がなされている。開業時の200系による210km/h運転から100km/hのスピードアップが40年間の歴史でもある。200系「スーパーやまびこ」、E2系「はやて」を経て「300km/h運転」の時代...
今回の作品は平成3(1991)年に新製されたダブルデッカー車415系1900番台を先頭にした常磐線普通列車。中距離区間の着席機会を高める施策としてクロスシートの「ダブルデッカー」車が投入された路線は「酷電」として知られていた常磐線。連結位置等は後のE531系セミクロス車の組成位置...
令和4年6月23日は・・・日付の語呂合わせで「C623」の日。このブログでも幾度も紹介しているが、JR北海道発足後動態復元したC623号機が、函館山線 小樽~ニセコ間を運行した「C62ニセコ」号は今では伝説になっている程の大きな出来事だった。現役蒸機時代に縁がなかった世代としては...
エンブレムに差し込む光り、このエンブレムは昭和53(1978)年に誕生した三代目「VISTA CAR」30000系のもの。同期の車両が引退していく中、この近鉄の「二階建て車両」は2度のリニューアルを経て今も第一線で活躍中だ。 塗装変更の際、エンブレムは外されている。 ...
何事も見た目で良し悪しを決めるのは良くないが、外観の好き嫌いが分れる車両が特急「ひたち」「ときわ」に使用されているE657系。一見「ずんぐり、むっくり」な前面形状も撮り込んでいくと「かっこう良く見える」角度がみえてくる。さてこのアングルからのE657系は「かっこいい」と見えるだろ...
JR東日本がレール運搬用として平成29(2017)年に導入したキヤE195系気動車はJR東海キヤ97系をベースにした姉妹車種でロングレール用が0番台、25mの定尺レール用は1000番台となっている。従来の機関車+チキによるレール輸送に比べ「気動車」であることから機関車が不要になる...
進行方向を向いて景色を楽しみたい・・・というのは誰もが思うこと。だが去りゆく景色が好きな人もいる。この場面では列車の旅の楽しみ方は人それぞれ・・・というオチが良さそうだ。どこを向いていても昼下がりの遅いランチを楽しむことに変わりはないのだから。 小窓の0系食堂車は3両のみの珍車。...
今回はJR西日本500系の車内スナップ。あらためて車内を見てみると独特の車体断面故、圧迫感があると不評だった窓際席、荷棚も着席状態であればそれ程気にはならないことに気づく。特にグリーン車では半間接照明やセミアクティブサスペンションの採用により居住性は300系に比べ向上していた。そ...
関東では入梅したという。毎年の事とはいえ、この季節がやってくるとふと澄んだ青い空が恋しくなる。あと半年も経てばその「澄んだ青い空」が日常になるのだが、その時は何を思うのだろうか。もうすぐ夏至、一年の折り返しとなる節目だ。 新潟色のキハ47も思い出。 鉄道は大勢...
今日は「路面電車の日」、平成7(1995)年に制定された記念日で「ろ(路)でん(電)」と6月10日をかけているそうだ。一般には「路面電車」とひとくくりにされているが、LRT(ライトレール トランジット)に区分される専用軌道比率が高い路線と併用軌道の「路面電車」を比べると「路面...
「急行 佐渡」全盛期は1等車(グリーン車)、ビュッフェ車を各2両組み込みの12両だった 今回は平成15(2003)年6月に運行された「懐かしの急行」シリーズの「佐渡」。このリバイバル列車、編成は6両と往時を偲ばせるには物足りないが復刻されたヘッドマークが存在感を際立たせていた。そ...
今回の作品はドレインを纏う「雨宮21号」。現役時代は知る由もないが、この森林鉄道の蒸機を見るために「丸瀬布森林公園いこいの森」を訪れたのは平成3(1991)年の5月のこと。そこには活きている蒸機が残されていた。観光資源とはいえ道内で動態保存されている蒸気機関車はここだけなのだ。 ...
今回は定点撮影を狙って、久しぶりに訪れたメトロ銀座線の銀座駅でのスナップ。お洒落になったプラットホームで、’80年代の定点を探そうと試みたがこれが難物。ホームドアからでは全く絵にならなかったが、壁面を見ると1980年代の街並み。そう、ここだ!あの頃の街を思い出しながら・・・それが...
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令和7年1月29日は、JRグループの累計日数が国鉄を超えた節目の日。JRは昭和62(1987)年4月1日発足から現在も続いているが、前身の国鉄は昭和24(1949)年6月1日から昭和62(1987)年3月31日までの38年間、のべ13,819日。更に歴史を遡ると国鉄の前は運輸省...
6月10日にJR東日本からリリースされた「夜行特急」構想には驚かされた。「ひたち」「ときわ」用E657系10両を種車に全個室グリーン席へ改造するというが「寝台車」でないことがミソ。イメージとして「サロンエクスプレス東京(14系700番台)」+「カシオペア(E26系)」+「サフィー...
今回は京成カラーに衣替えした元新京成8800形。今のところ唯一の新塗装編成なので沿線にはカメラマンが・・・ところが誰もいない。コンサバ的なカラーリングは、良くも無く、悪くも無くという評価が分かれるが、以外と8800形に似合っているように思うのは私だけだろうか。 ...
今回の作品は元新京成N800形をコンデジ(GR-DⅡ)のスクエアサイズで撮ったもの。引き付けながらカメラを軽く動かしている。カメラの液晶モニター越しに見ただけではわからなかったが、PCに取り込んでみるとそこそこのクオリティが出ているのには驚いた。京成カラーになる前のピンク列車の勇...
今回は京成上野駅でのスナップ。相変わらずチケット購入の列は続くが、気になるのは次発13:00発のスカイライナーに間に合うのかということ。こういう時、頼りになるのはスマホ情報か動物的カンで乗変?要は臨機応変、融通が効くかどうか。旅先のトラブルやハプニングも時が経てば笑い話になる。 ...
今回は長期ストックしていた荷物に残されていたスライドで、小岩菖蒲園で撮影したもの。 なぜボツ扱いにしたのか、今の視点で振り返ってみると・・・わからない。当時は菖蒲にピントを合わせた方が良かったという判断だったのだろうが、とにかく救い出せた事に感謝だ。更に驚いた事は、決して良好な保...
行先表示がLED表示になって多言語による案内が増えてきた。今回の京成上野駅は日本語、英語、中国語、韓国語と忙しく表示が変わっているが、JR東海では日本語と英語のみの表示に留まっている。会社方針の違いといえばそれまでだが、インバウンド需要に対してのサービスのあり方として興味深いとこ...
今回はオールドカメラと期限切れネガネガカラーの組み合わせ。デジタルが一世風靡している昨今ではある意味「風変わりな」アプローチでの作品。カメラはYASHICA35 f2.8という レンジファインダー機でレンズは45ミリF2.8。聞くところによると木村伊兵衛氏がアサヒカメラ誌上で「レ...
いすみ鉄道の4/14付HPでキハ52形気動車が引退することがリリースされた。JR西日本 大糸線からいすみ鉄道へ転入した老雄キハ52、振り返ってみれば東日本大震災が発生した2011年のGWから運行開始して昨年まで「全般検査を迎えない」よう休車をかけて延命してきたいすみ鉄道の企業努力...
「鉄道ジャーナル」最終号、最後までジャーナルらしさを貫いたのは見事だった。久々に手にした印象は文字が多いなあ・・・だったが。 締めくくりはN700S にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。 撮影は鉄道...
京阪本線 古川橋駅に下車すると飛び込んで来たのが木製の腰掛。素材も然ることながら、とにかく長い。座ると腰の収まりがいいので、自然とお行儀良くなるという訳だ。こういう発見は気持ちに余裕ガあってこそ。あくせくしていては見落としてしまう。 この腰掛の満席状態を見たくなる ...
今回のJR東日本415系1500番台は、国鉄末期の軽量ステンレス車体、ボルスタレス空気バネ台車等一見211系風だがメカ類は415系というユニークな車。その中でも民営化後に製造された最終ロット(1524-1531)では交流60Hz区間に入線しないことから主変圧器を50Hz専用へ変更...
3月のダイヤ改正でひっそりとフェードアウトしたのが横須賀・総武快速線のE217系。サヨナラ運転や惜別イベントも無く運用から離脱するのが近年の流行なのだろうか。大袈裟なセレモニーで見送られるより、普段着のまま去っていく。そういう去り方も悪くない。 伝統のセミクロス席もE217系で終...
3月のダイヤ改正で函館本線 函館―長万部間からキハ40形気動車の運行が終了した。国鉄末期(1977~82)から、道内各地に酷寒地仕様車(100番台)150両が投入され普通列車の体質改善に貢献したが経年による陳腐化、老朽化は如何ともしがたいというところだろう。今回の作品は、平成22...
忘れられていた作品たち。これらは2010年デジタル一眼レフの習熟運転を兼ねてカバンに忍ばせていたカメラで撮ったもの。地元の人からは見慣れた車両も関東人からは眩しく、これ地域の特性と思えば興味がわいてくる。一撮影終えてから仕事モードに。この当時、作品の出来如何は良き動機付けとなって...
陸上自衛隊松戸駐屯地の桜並木は、新京成時代から有名なスポット。だが令和6年と7年を比べてみると一目瞭然、花のボリューム感は枝の伐採によって失われているではないか。これはしたり。昨年、記録して良かった・・・。 R7.3.31撮影 R6.4.10撮影 にほんブログ村 鉄道は大勢の...
JR東日本からE26系客車が6月に引退することがPRされた。上野-札幌間の寝台特急「カシオペア」として運行されていたのが平成28(2016)年3月まで、以後は団体臨時列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」のツアー列車として東日本管内を周遊していた。引退理由は車輌老朽化もさる...
3月20日過ぎに見頃を迎えた河津桜を観れるとは、こいつぁ春から縁起がいい。背景の電車は「いつもの」がいい。そのオチは「E231系」。これでいい。 「列車」と「電車」でいうと通勤形は後者、 国鉄時代は「国電」。 今、総合...
全廃が伝えられていたJR東日本の電機のうち、EF64が1両、EF81が4両がダイヤ改正後も残るという噂が飛び込んできた。「役目が残っている」という理由だそうだが、具体的には首都圏向けの新製電車の回送、廃車の回送,そして「カシオペア紀行」等の団体列車牽引が主になると推測される。双頭...
宗谷本線の抜海駅が15日のダイヤ改正で廃止される。鉄道ファンからは利尻富士が眺める252.5キロポスト付近の駅として有名だが、1日の乗降人員は1名程度では廃止も止むなしというところだろう。残念なのがJR側がこの駅のホーロー製駅名票を撤去していること。そこには廃止予定駅から看板類等...
今回はJR鹿島線屈指のビューポイント、霞ヶ浦の北浦橋梁を行く特急「あやめ」。ここは全長1295.8mの橋をどうまとめるかが構図つくりのポイントとなるが、やはり橋を渡る長大編成列車を狙いたい、となるとターゲットは鹿島臨海鉄道 神栖方面からの通称「鹿島貨物」になる。ちなみに最短2両の...
JR北鎌倉駅から円覚寺に向かう参道は避暑地の雰囲気があった。今回の作品は、踏切にスカ色113系が来るまで数本待って撮ったもの。全てが自然体。其の雰囲気が伝わるだろうか。 踏切待ち にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第一...
今回は2000年3月31日に引退したJR東日本「スーパーエクスプレス レインボー」のFINAL列車。レインボーには二台の専用機がいるが、この日ばかりは下り先頭にロイヤルエンジンEF5861号機が立った。レインボー実働13年間の中で大きな環境変化は新幹線開業。主たる運用線区だった奥...
今回のキハ40の3連は函館本線 銀山駅で撮ったもので今の「ニセコライナー」のきっかけとなる快速「マリンライナー」編成。長らく道内を網羅したキハ40にも世代交代の波は確実に広がっており、4/1現在JR北海道でキハ40の運用が残るのは、宗谷本線、函館本線(函館付近のみ)、日高本線、...
今回はサロ180-1001、181系直系最後のグリーン車サロ180-101号車を耐寒耐雪改造1000番台化したもので101番時代は「あさま」「あずさ」、1001番では「とき」に使用された。外観上の特徴として181系と485系には125mmの車高差があり「とき」3MG化に際しては車...
今回はオロ14 701,昭和58(1983)年に14系座席車からの改造で誕生した欧風客車「サロンエクスプレス東京」のコンパートメント車。車内は 6人用個室5室 が設けられており「お座敷世代」の次の「ミドル層」をターゲットにした車両だった。晩年は ジョイフルトレインの整理で「お座敷...
今回は「発掘ネガ」からの1枚。昭和52(1977)年の上野駅10番ホームの光景だが気になったのが半分写っている隣の451系で普通や国電の発着の11番ホームになぜ急行という?から。調べてみると9時台に上り急行「ときわ1号」/下り急行「ときわ4号」が11番ホームから発着することがわか...
PRによると合併後の新京成線は「松戸線」となり、4月以降車両は順次京成カラーに模様替え、駅ナンバリングも京成の続番になるという。合併後のシナジー効果に期待というところだ。 キャラクターもありがとう にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第...
今回は103系1000番台のモハ103 1001。地下線乗入対策車の1000番台としては113系1000番台に次いでのもので、超多段式制御器CS40と自然通風式抵抗器の採用が特徴だった。地下鉄千代田線での運用はトンネル内放熱の問題から、15年程で電機子チョッパ車203系に置き換え...
今回の作品は平成4(1992)年8月、豊肥本線でのキハ185系特急「あそ」。同年7月にJR四国から20両が転入して一ヶ月後の作品。以来30年、使い勝手のよさもあって九州に馴染んでいるキハ185系もその間エンジン機関、車内アコモ更新がなされ現在も豊肥本線・久大本線系統特急、三角線「...
今回は上野発青森行の特急 鳥海。昭和57年上越新幹線開業に際して青森行特急「いなほ」の列車名を改称したもので、下り列車は上野発10:30、上越、信越、羽越、奥羽各線を経由し青森には21:13着という10時間超えの長距離列車として新幹線上野開業までの運行だった。あらためて検証して...
今回はJR東海キハ85系の中間車キロハ84形。名前のとおりグリーン席と普通席との合造車で高山線「ひだ」用として製造され、グリーン席は定員32名確保のためシートは2+2配置となっている。後に「南紀」用に誕生したキロ85形では1+2配置とグレードが上がったが定員は30名に抑えられた。...
今回は鹿児島本線時代の肥後二見~上田浦間をいく475系普通列車。この区間、九州新幹線開業によって第三セクター肥薩おれんじ鉄道に継承されているが、電化区間でありながら旅客列車は気動車によって運行されている。電化設備はここを貨物列車が通過するために維持されている形態は、西九州新幹線開...
今回は、函館山線の蘭島~余市間をいくキハ56+キハ27。国鉄時代は北海道内急行列車が行き来した函館山線も北海道新幹線札幌延伸によっての発展的廃線、バス転換というシナリオで進んでいた。ところが小樽~余市間でいえば乗務員不足に起因するところのバス転換が赤信号。更には新幹線工事の年単位...
今回の作品は、閉鎖された貿易センタービルの展望台から旧芝離宮恩賜公園を見たもの。JR浜松町駅近隣という立地の良さは、さながら都会のオアシスのようだ。手前の新幹線0系は 「こだま」。この当時(1994)は0系、100系から300系へ移行期。いよいよ270km/h「のぞみ」時代に変わ...
西武秩父線と秩父鉄道の接続駅は西武秩父駅と御花畑駅。両駅の位置関係は目と鼻の先で、新101系電車が停車しているのが西武秩父駅。一見逆走に見えるライオンズカラーの4000系が進入するのが御花畑駅2番線。池袋から寄居・長瀞方面への直通列車は西武秩父駅には停車せず渡り線を経由し乗降駅は...
国鉄時代の修学旅行用車両は、155、159、167系電車が知られているが、キハ58系列でも32両が修学旅行用(800番台)として製造されている。主に東北・九州に配置された事から都市部には縁の無かった車両だが、今回のように一般車と混成されて上京する例がみられた。列車は上野7:10発...
時はGW真っ只中、公共交通も年末年始、お盆と並ぶ恰好の書き入れ時。この時期には多くの臨時列車が増発される中、ファンの関心事は「どの車両が使われるか」ということ。注目はJR東日本の元「踊り子」の185系電車。他は元「あずさ」「かいじ」のE257系、「いなほ」のE653系、西日本68...
初めて津軽海峡を渡ったのは昭和63(1988)年。2月に青函連絡船で函館往復、GWに青函トンネルを急行「はまなす」で通過して「一本列島」を実感した。今回の作品は乗車した「はまなす」牽引のDD51形を客車から撮ったもの。連絡船を介さず青函を列車移動できたことは感慨深かった。当時東京...
国鉄特急のヘッドマークのフォントは旧「こだま」以降、国鉄書体と称される特太ゴジックをべースとした文字マークが標準だった。ところが昭和44(1969)年に信越特急「あさま」編成が田町電車区から長野運転所へ移管して以降、今回の丸ゴジックをベースにしたフォントのヘッドマークが登場、国鉄...