令和7年1月29日は、JRグループの累計日数が国鉄を超えた節目の日。JRは昭和62(1987)年4月1日発足から現在も続いているが、前身の国鉄は昭和24(1949)年6月1日から昭和62(1987)年3月31日までの38年間、のべ13,819日。更に歴史を遡ると国鉄の前は運輸省...
今回の作品は昭和58(1983)年5月信越本線 豊野付近を行く直江津行き特急「あさま」。あらためて見ると鉄道に関しては大きく変わった。路線はJRへ、更に北陸新幹線開業によってこの区間は第三セクターしなの鉄道 北しなの線となり「あさま」の愛称は新幹線へ、走る189系電車は形式消...
災害によって長らくバス代行が続いていたJR只見線 会津川口~只見間が10月1日に全線復旧する。赤字ローカル線を上下分離方式で復旧させる初めての例となる只見線。どういうビジョンで運営されていくか今後の成り行きに注目したいところだが不通となった10年間は絶景として賞賛される「沿...
運命の悪戯とは言い過ぎかも知れないが、東急から8500系の最後を飾る編成が「青帯」を巻いた8637編成であることがリリースされている。昭和62(1987)年よりPR車として活躍している同編成が、来年1月の運用終了まで「ハチゴープロジェクト」による各種のイベントの主役として最後まで...
5月25日は食堂車の日、初めて登場した1899年5月25日に由来するものだが案外知られていない記念日のひとつかもしれない。長距離列車に欠かせない供食サービスだった食堂車も今ではクルージングトレインに残るのみ。これも時代の流れではあるが「食堂車を支持」する層には幼少期に食堂車と接点...
臨時急行「ニセコ」、1991年の時刻表ではニセコ駅10:22発だった 撮影の際、単独行かグループ行かによってアプローチが全く異なる事は良くある事。今回の作品でもその傾向が残っている。この時はグループ行だったが、雲ひとつない羊蹄山を背景に列車を入れ込むというコンセプトで構図を創った...
平成11(1999)年7月16日は寝台特急「カシオペア」の運行が開始された日。今回の作品は上野発1番列車に遭遇した日暮里駅で記録したもの。ホームで狙っていたカメラマンにとっては次発となる「北斗星1号」の回送列車と被ってしまったのは残念だったろうが鉄道写真に失敗はつきもの。失敗を受...
いすみ鉄道のHPによると11月27日をもってキハ28形の定期運行が終了するという。振り返ってみると平成25(2013)年にJR西日本からいすみ鉄道に譲渡された後、約9年8ヶ月も運行に供されたことは驚きでもあり、保守管理に関わったいすみ鉄道には感謝の一言に尽きる。噂レベルでは全般検...
今回のスナップは平成6(1994)年頃撮ったもの。当時はプリペイド式の「オレンジカード」、自動改札機とリンクした「IOカード」もアピールされていたが基本、乗車券は「きっぷ」。近郊区間は券売機、優等列車や長距離乗車券は「みどりの窓口」という棲み分けができた時代だった。ところがその光...
上野発00分は「ひばり」「ひたち」、04分「つばさ」、30分は「はつかり」「やまびこ」の時代・・・ イラストマークにはその記憶が残っている。 東北新幹線開業直前の昭和53(1978)年から上野口485系特急は12両と9両で揃えられていた。9両は磐越西線「あいづ」運用に充当される...
上野駅16番線は「上野特急時代」ではエース番線。古くは「ひばり」「はつかり」、東北・上越新幹線開業後は「あさま」「白山」、北陸新幹線開業後には「ひたち(スーパー、フレッシュ)」用のホームだったが上野東京ライン開業によって「ひたち・ときわ」の多くが高架ホーム発着になり、地平ホーム発...
「緑の新幹線」から始まった東北・上越新幹線(再掲) JR東日本のPRによると鉄道開業150年事業の一環として「懐かしの200系カラー新幹線」が登場するという。E2系1編成に「200系風」の塗装を施すということだが、デザインを見る限り今まで実施されなかったことが不思議なくらいまとま...
今回の作品は昭和52(1977)年20系客車の急行「十和田」転用に際して誕生した座席車ナハ21形。種車はA寝台車ナロネ21形で下段寝台となる向い掛けの座席を再利用しており、4人着席には狭かったが本来の2人利用ではシートピッチも広く座り心地の良い座席車だった。ナハ21形は後に山陰線...
路線のステップアップとして単線⇒複線⇒電化⇒高規格化という流れが王道だと思われていたが鉄道開業150年を境に大きな転換期が来るようだ。それが電化⇒非電化という動きで、近くでは今秋の西九州新幹線開業後、上下分離式に移行するJR九州 長崎本線 肥前浜~諫早間では電化設備が撤去される。...
今回の作品は今月3日に撮影した新京成の「ふなっしートレイン」。この日は13:00頃の通過だったが「モロ順光」な時間帯だったため、正面に架線の影があたってしまっている。これはしたり。順光では影の処理が難しい。 快走!「ふなっしートレイン」 鉄道は大勢の人が利用する公...
今回の作品は日付に因んで旧形国電クモハ54。この108号車はロングシートのモハ60036をセミクロスシートに改造した後、昭和28(1953)、34(1959)年の二度の車両形式称号規程改正によってクモハ54形へ改番されている。旧形国電は同一形式でも仕様によって異なるグループ分けが...
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令和7年1月29日は、JRグループの累計日数が国鉄を超えた節目の日。JRは昭和62(1987)年4月1日発足から現在も続いているが、前身の国鉄は昭和24(1949)年6月1日から昭和62(1987)年3月31日までの38年間、のべ13,819日。更に歴史を遡ると国鉄の前は運輸省...
6月10日にJR東日本からリリースされた「夜行特急」構想には驚かされた。「ひたち」「ときわ」用E657系10両を種車に全個室グリーン席へ改造するというが「寝台車」でないことがミソ。イメージとして「サロンエクスプレス東京(14系700番台)」+「カシオペア(E26系)」+「サフィー...
今回は京成カラーに衣替えした元新京成8800形。今のところ唯一の新塗装編成なので沿線にはカメラマンが・・・ところが誰もいない。コンサバ的なカラーリングは、良くも無く、悪くも無くという評価が分かれるが、以外と8800形に似合っているように思うのは私だけだろうか。 ...
今回の作品は元新京成N800形をコンデジ(GR-DⅡ)のスクエアサイズで撮ったもの。引き付けながらカメラを軽く動かしている。カメラの液晶モニター越しに見ただけではわからなかったが、PCに取り込んでみるとそこそこのクオリティが出ているのには驚いた。京成カラーになる前のピンク列車の勇...
今回は京成上野駅でのスナップ。相変わらずチケット購入の列は続くが、気になるのは次発13:00発のスカイライナーに間に合うのかということ。こういう時、頼りになるのはスマホ情報か動物的カンで乗変?要は臨機応変、融通が効くかどうか。旅先のトラブルやハプニングも時が経てば笑い話になる。 ...
今回は長期ストックしていた荷物に残されていたスライドで、小岩菖蒲園で撮影したもの。 なぜボツ扱いにしたのか、今の視点で振り返ってみると・・・わからない。当時は菖蒲にピントを合わせた方が良かったという判断だったのだろうが、とにかく救い出せた事に感謝だ。更に驚いた事は、決して良好な保...
行先表示がLED表示になって多言語による案内が増えてきた。今回の京成上野駅は日本語、英語、中国語、韓国語と忙しく表示が変わっているが、JR東海では日本語と英語のみの表示に留まっている。会社方針の違いといえばそれまでだが、インバウンド需要に対してのサービスのあり方として興味深いとこ...
今回はオールドカメラと期限切れネガネガカラーの組み合わせ。デジタルが一世風靡している昨今ではある意味「風変わりな」アプローチでの作品。カメラはYASHICA35 f2.8という レンジファインダー機でレンズは45ミリF2.8。聞くところによると木村伊兵衛氏がアサヒカメラ誌上で「レ...
いすみ鉄道の4/14付HPでキハ52形気動車が引退することがリリースされた。JR西日本 大糸線からいすみ鉄道へ転入した老雄キハ52、振り返ってみれば東日本大震災が発生した2011年のGWから運行開始して昨年まで「全般検査を迎えない」よう休車をかけて延命してきたいすみ鉄道の企業努力...
「鉄道ジャーナル」最終号、最後までジャーナルらしさを貫いたのは見事だった。久々に手にした印象は文字が多いなあ・・・だったが。 締めくくりはN700S にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。 撮影は鉄道...
京阪本線 古川橋駅に下車すると飛び込んで来たのが木製の腰掛。素材も然ることながら、とにかく長い。座ると腰の収まりがいいので、自然とお行儀良くなるという訳だ。こういう発見は気持ちに余裕ガあってこそ。あくせくしていては見落としてしまう。 この腰掛の満席状態を見たくなる ...
今回のJR東日本415系1500番台は、国鉄末期の軽量ステンレス車体、ボルスタレス空気バネ台車等一見211系風だがメカ類は415系というユニークな車。その中でも民営化後に製造された最終ロット(1524-1531)では交流60Hz区間に入線しないことから主変圧器を50Hz専用へ変更...
3月のダイヤ改正でひっそりとフェードアウトしたのが横須賀・総武快速線のE217系。サヨナラ運転や惜別イベントも無く運用から離脱するのが近年の流行なのだろうか。大袈裟なセレモニーで見送られるより、普段着のまま去っていく。そういう去り方も悪くない。 伝統のセミクロス席もE217系で終...
3月のダイヤ改正で函館本線 函館―長万部間からキハ40形気動車の運行が終了した。国鉄末期(1977~82)から、道内各地に酷寒地仕様車(100番台)150両が投入され普通列車の体質改善に貢献したが経年による陳腐化、老朽化は如何ともしがたいというところだろう。今回の作品は、平成22...
忘れられていた作品たち。これらは2010年デジタル一眼レフの習熟運転を兼ねてカバンに忍ばせていたカメラで撮ったもの。地元の人からは見慣れた車両も関東人からは眩しく、これ地域の特性と思えば興味がわいてくる。一撮影終えてから仕事モードに。この当時、作品の出来如何は良き動機付けとなって...
陸上自衛隊松戸駐屯地の桜並木は、新京成時代から有名なスポット。だが令和6年と7年を比べてみると一目瞭然、花のボリューム感は枝の伐採によって失われているではないか。これはしたり。昨年、記録して良かった・・・。 R7.3.31撮影 R6.4.10撮影 にほんブログ村 鉄道は大勢の...
JR東日本からE26系客車が6月に引退することがPRされた。上野-札幌間の寝台特急「カシオペア」として運行されていたのが平成28(2016)年3月まで、以後は団体臨時列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」のツアー列車として東日本管内を周遊していた。引退理由は車輌老朽化もさる...
3月20日過ぎに見頃を迎えた河津桜を観れるとは、こいつぁ春から縁起がいい。背景の電車は「いつもの」がいい。そのオチは「E231系」。これでいい。 「列車」と「電車」でいうと通勤形は後者、 国鉄時代は「国電」。 今、総合...
全廃が伝えられていたJR東日本の電機のうち、EF64が1両、EF81が4両がダイヤ改正後も残るという噂が飛び込んできた。「役目が残っている」という理由だそうだが、具体的には首都圏向けの新製電車の回送、廃車の回送,そして「カシオペア紀行」等の団体列車牽引が主になると推測される。双頭...
宗谷本線の抜海駅が15日のダイヤ改正で廃止される。鉄道ファンからは利尻富士が眺める252.5キロポスト付近の駅として有名だが、1日の乗降人員は1名程度では廃止も止むなしというところだろう。残念なのがJR側がこの駅のホーロー製駅名票を撤去していること。そこには廃止予定駅から看板類等...
今回はJR鹿島線屈指のビューポイント、霞ヶ浦の北浦橋梁を行く特急「あやめ」。ここは全長1295.8mの橋をどうまとめるかが構図つくりのポイントとなるが、やはり橋を渡る長大編成列車を狙いたい、となるとターゲットは鹿島臨海鉄道 神栖方面からの通称「鹿島貨物」になる。ちなみに最短2両の...
JR北鎌倉駅から円覚寺に向かう参道は避暑地の雰囲気があった。今回の作品は、踏切にスカ色113系が来るまで数本待って撮ったもの。全てが自然体。其の雰囲気が伝わるだろうか。 踏切待ち にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第一...
今回は2000年3月31日に引退したJR東日本「スーパーエクスプレス レインボー」のFINAL列車。レインボーには二台の専用機がいるが、この日ばかりは下り先頭にロイヤルエンジンEF5861号機が立った。レインボー実働13年間の中で大きな環境変化は新幹線開業。主たる運用線区だった奥...
今回のキハ40の3連は函館本線 銀山駅で撮ったもので今の「ニセコライナー」のきっかけとなる快速「マリンライナー」編成。長らく道内を網羅したキハ40にも世代交代の波は確実に広がっており、4/1現在JR北海道でキハ40の運用が残るのは、宗谷本線、函館本線(函館付近のみ)、日高本線、...
今回はサロ180-1001、181系直系最後のグリーン車サロ180-101号車を耐寒耐雪改造1000番台化したもので101番時代は「あさま」「あずさ」、1001番では「とき」に使用された。外観上の特徴として181系と485系には125mmの車高差があり「とき」3MG化に際しては車...
今回はオロ14 701,昭和58(1983)年に14系座席車からの改造で誕生した欧風客車「サロンエクスプレス東京」のコンパートメント車。車内は 6人用個室5室 が設けられており「お座敷世代」の次の「ミドル層」をターゲットにした車両だった。晩年は ジョイフルトレインの整理で「お座敷...
今回は「発掘ネガ」からの1枚。昭和52(1977)年の上野駅10番ホームの光景だが気になったのが半分写っている隣の451系で普通や国電の発着の11番ホームになぜ急行という?から。調べてみると9時台に上り急行「ときわ1号」/下り急行「ときわ4号」が11番ホームから発着することがわか...
PRによると合併後の新京成線は「松戸線」となり、4月以降車両は順次京成カラーに模様替え、駅ナンバリングも京成の続番になるという。合併後のシナジー効果に期待というところだ。 キャラクターもありがとう にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第...
今回は103系1000番台のモハ103 1001。地下線乗入対策車の1000番台としては113系1000番台に次いでのもので、超多段式制御器CS40と自然通風式抵抗器の採用が特徴だった。地下鉄千代田線での運用はトンネル内放熱の問題から、15年程で電機子チョッパ車203系に置き換え...
今回の作品は平成4(1992)年8月、豊肥本線でのキハ185系特急「あそ」。同年7月にJR四国から20両が転入して一ヶ月後の作品。以来30年、使い勝手のよさもあって九州に馴染んでいるキハ185系もその間エンジン機関、車内アコモ更新がなされ現在も豊肥本線・久大本線系統特急、三角線「...
今回は上野発青森行の特急 鳥海。昭和57年上越新幹線開業に際して青森行特急「いなほ」の列車名を改称したもので、下り列車は上野発10:30、上越、信越、羽越、奥羽各線を経由し青森には21:13着という10時間超えの長距離列車として新幹線上野開業までの運行だった。あらためて検証して...
今回はJR東海キハ85系の中間車キロハ84形。名前のとおりグリーン席と普通席との合造車で高山線「ひだ」用として製造され、グリーン席は定員32名確保のためシートは2+2配置となっている。後に「南紀」用に誕生したキロ85形では1+2配置とグレードが上がったが定員は30名に抑えられた。...
今回は鹿児島本線時代の肥後二見~上田浦間をいく475系普通列車。この区間、九州新幹線開業によって第三セクター肥薩おれんじ鉄道に継承されているが、電化区間でありながら旅客列車は気動車によって運行されている。電化設備はここを貨物列車が通過するために維持されている形態は、西九州新幹線開...
今回は、函館山線の蘭島~余市間をいくキハ56+キハ27。国鉄時代は北海道内急行列車が行き来した函館山線も北海道新幹線札幌延伸によっての発展的廃線、バス転換というシナリオで進んでいた。ところが小樽~余市間でいえば乗務員不足に起因するところのバス転換が赤信号。更には新幹線工事の年単位...
今回の作品は、閉鎖された貿易センタービルの展望台から旧芝離宮恩賜公園を見たもの。JR浜松町駅近隣という立地の良さは、さながら都会のオアシスのようだ。手前の新幹線0系は 「こだま」。この当時(1994)は0系、100系から300系へ移行期。いよいよ270km/h「のぞみ」時代に変わ...
西武秩父線と秩父鉄道の接続駅は西武秩父駅と御花畑駅。両駅の位置関係は目と鼻の先で、新101系電車が停車しているのが西武秩父駅。一見逆走に見えるライオンズカラーの4000系が進入するのが御花畑駅2番線。池袋から寄居・長瀞方面への直通列車は西武秩父駅には停車せず渡り線を経由し乗降駅は...
国鉄時代の修学旅行用車両は、155、159、167系電車が知られているが、キハ58系列でも32両が修学旅行用(800番台)として製造されている。主に東北・九州に配置された事から都市部には縁の無かった車両だが、今回のように一般車と混成されて上京する例がみられた。列車は上野7:10発...
時はGW真っ只中、公共交通も年末年始、お盆と並ぶ恰好の書き入れ時。この時期には多くの臨時列車が増発される中、ファンの関心事は「どの車両が使われるか」ということ。注目はJR東日本の元「踊り子」の185系電車。他は元「あずさ」「かいじ」のE257系、「いなほ」のE653系、西日本68...
初めて津軽海峡を渡ったのは昭和63(1988)年。2月に青函連絡船で函館往復、GWに青函トンネルを急行「はまなす」で通過して「一本列島」を実感した。今回の作品は乗車した「はまなす」牽引のDD51形を客車から撮ったもの。連絡船を介さず青函を列車移動できたことは感慨深かった。当時東京...
国鉄特急のヘッドマークのフォントは旧「こだま」以降、国鉄書体と称される特太ゴジックをべースとした文字マークが標準だった。ところが昭和44(1969)年に信越特急「あさま」編成が田町電車区から長野運転所へ移管して以降、今回の丸ゴジックをベースにしたフォントのヘッドマークが登場、国鉄...