2023年6月
第三イメージ論を述べていたころの赤尾兜子の句に私は、たびたび涙を流すことがあった。前衛俳句の最前線にいたようにも思われていた俳人だが私はそのようには思ってはいなかった。いま思えば兜子はモンタージュ俳句の基本を忠実に実践していたのであろうと私は思う昨今である。ここに私の記憶に残る思いを述べた記述があった。壮年の暁(あけ)白梅の白を験(ため)す赤尾兜子昭和46年「歳華集」の中に収録されたこの句。兜子の存在そのものを問いかける姿のなんと純粋で悲しく痛々しいことか。壮年期の始まりに汚れきったこれまでの人生を白い梅花に問いかける仕草こそ素直であり、より必死に生きてゆこうとする姿でもある。人間の一生を考えていてふと思うことがある。幼年期、少年期、青年期、壮年期、晩年期と経てゆく過程で生まれたままの素直な心はその社会経...素直さ純粋さを自死するまで棄てなかった俳人赤尾兜子
本物感を強めることは私性に徹すること。俳句は三人称、二人称では書かないのです。我々、私達でもなく、あなた、君でもない、常に私もしくは僕なのである。そして起承転結でもなく、導入部、展開部、終結部という五・七・五の俳句的展開の表現である。これは知的興奮を引き出すにもっとも良い表現であるから…。次の句を見ていただきたい。野に詩の無き日よ凧を買ひもどる今瀬剛一「俳句」平成17年2月号より。私の周りを克明に語り、探し出してゆく事により「私」を語る…これは映画やテレビのシナリオにおける基本である。ここに佇む作者の一抹の空虚感は、たた単に寂しく虚しいだけではなかったのだ。喧騒の都市を離れて野原へ癒しの心を求めて旅に出たのであろうか。それらは「野に詩の無き日よ」の俳句言葉で理解できる。今瀬剛一さんの自句自解が私の心を誘っ...俳句は私を表現する文芸
俳句の感情表現は心が無で白くなけれは、本心は表面には出てきにくいもの。それらは直情表現になり、全ては説明言葉になる。俳人個々の信条は私言葉になり、真実感がない、詩にはならないで作り言葉になる。内心が無色透明だからこそ、すべてを目にする俳人の心に受け入れられるのである。俳句言葉は作者自身の存在感を正面で受け止めた瞬間の純粋感である。ここには感覚としての無色透明な気持ちを感じさせてもくれる。だが、疲れた心を真っ白の心へと変革する過程で心を磨き損ねると作者自身、自分自身を見失ってしまうこともある事を考えねばならない。自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人もいることを私は思い出していた。俳人永井陽子である。世に知れ渡るのは歌人としてなのだが。1999年2月より40日間肺炎で入院しているが、2000年1月2...自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人永井陽子
前衛俳句を論考するに及びよく聞かれることがある。その俳句たるやもう亡び去ってどこにもないではないかと、よく聞かれる。確かに…そのように正面切って詰められると答えに困ってしまうことがある。答えと言っても理論らしく説明したところで解ってもらえるような単純なものでないのが前衛だと思っているので別に気にはならない。ただ言えることは誰にでも作れるものではない句。過去より現在までにおいて誰も作ってはいない句、その人のみの独特の発想なり感受で、その人でなければ絶対作れない句が前衛俳句だと、私は思っているから現在も前衛俳句は人それぞれにいっぱいあると思いたい。ところで当時、物議をかもした前衛俳句と呼称された作品が如何なるものであったかを紹介することから論考に入りたいと思う。雨をひかる義眼の都会死亡の洋傘島津亮帰る円盤孵る...前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)
神戸は坂の街である。元町より下山手通り、中山手通り、山本通りを斜めに横切るとこのあたりより坂の道に出る。更に先へと坂を上ると北野町に出る。洋風建築のテラスがまぶしく輝く。風見鶏のある館が目に届く。かって私はここへ何回も鬱を棄てに来た。…はるかぜにとびのる構え風見鶏庸晃人間関係に疲れ果て現実の社会にもついて行けず、身も心もボロボロになったとき一人きりの時間を求めて佇んでいた。20代後半の青春期をこの坂道を歩くことによって心を癒していたのだった。この思い出の坂道を今ゆっくりと上り、眼前の海原を見ている。今しがたまで覆われていた霧はいつか姿を消していた。青い海が、そして坂の上に暖かくある林が私をかっての青春へと誘う。死んでもいいなど云い合う霧笛のおおんおん坂口芙民子この人の俳句を思い出していた。昭和39年第7回...文体改革のパイオニア…俳人坂口芙美子
私の俳句の先生は一生涯を純粋な心で一杯の人だった。常に汚れ切った社会と闘い誠の心を俳句に表現する俳人だった。その俳人は、或いは文芸人の名は伊丹三樹彦。昭和35年頃より現代俳句を革命に等しいまでに変革させた人。だがその根底にあってそれを支えていたのは心の純粋性であった。屍室まで抱きゆく菊を看護婦嗅ぐ伊丹三樹彦この純粋に物事を見つめることの出来る態度を私は純粋に見詰めた。純粋に見詰めることによって社会への参加を健全に考えた。いまそのことを見詰めるにおいてもどれだけ伊丹三樹彦が純粋であったか、自解の言葉でもわかる。「…結果は身寄りをもたずして、病院での老衰死を迎えたようである。何とも哀れであった。実母は僕を手放したあと、淋しさの余り、他人の子を貰って育て上げた。がその息子からも何故か顧みられなかったとか。不幸の...俳句における純粋さとは何?
先日我が家の玄関灯が切れて点かなくなったので、じっと見ていると白色電球の仄かに灯る温かさの良さを、私自身が感じていることを思いだしていた。そして何時しか、かってはあった神戸の年末行事を思いだしていた。神戸ルミナリエ。コロナ封じでその恒例も見ることはなくなった。もともとは神戸淡路大震災の復興であったが私の眼中にはある。色混ぜて万華曼陀羅ルミナリエ庸晃真っ暗な中に光彩を放つ長い万華、そこには予期せぬ夢が待っていた。混ざり合った光りたちはお互いを見せ合い助けあっているかに混じりあう。これは神戸のもつ華やかさでもあり、また暖かな町の心でもあろう。「神戸ルミナリエ」は。2週間で約500万人が訪れる。旧居留地一帯を光りのオブジェで奏でる。震災の鎮魂を記念しての開催。JR神戸線元町駅は18時前になると急に人数が増えてく...ルミナリエの思い出
俳句には、その時の目視の状況によって動詞の使い方は変わる。表現は小説などの散文における表現とは異なる。17音という特殊な文体のためただ単なる一字といえども、その目的によって,動詞の使い方によって意味が変化する。しっかりした用法の知識がなければ、本来の動詞の役目ははたせないのだ。その具体例を示して、その違いを書きたい。いる…生きているものとしての存在感ある…生きたものではなく、体温のない存在感同じものの存在感を問う言葉にしても作者の個性によっては生者となったり、死者となったり、「いる」「ある」の使い分けをする。身近な形としていくつか、例をあげてみるが、「魚がいる」「魚がある」、このふたつの区別は水に泳いでいる魚は「ある」ではなくて「いる」である。このようにことばひとつを選ぶときにも、表現する場によっては「あ...俳句における動詞は使い方で意味が変わる
何故にいまも俳句を作すのであろうか。…そう思ってひとり静かに珈琲を飲んでいた。真昼の我が家。秋の日差しが部屋に置かれる午後。私の心が最も純粋になれる時間でもある。身も心もばらばらになってゆく私を、私なりに、それも密かに私を取り戻す。すべての心が浄化されてゆく時間である。謂わば句を作るに一番相応しい私になれている時間なのである。そして私は、畳に置かれた秋日を瞳に入れながら、亡母を思い出していた。けしきがあかるくなってきた母をつれててくてくあるきたくなった母はきっと重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろうこれは八木重吉の詩である。この詩のタイトルは「母をおもう」。そのときである。私には思ってみたこともない或る思いが目覚めていた。純粋性とは、人間の美しさとは、私は私自身に問いかけていた。この文章を俳句に戻すが...心はきれいに…浄化の俳句言葉
2007年2月14日朝のことであるが私にとっては忘れられない思い出がある。24時間勤務を終えて施設を出ると身体ごと吹っ飛ばされる。不意打ちというただならぬ出来事。ふたたび両足で踏ん張るも身体はぐらぐらと揺れて不安定。なんとその時30メートルの風速であったとは…翌日新聞にて知る。春一番であった。だが私がこの強風に必死に耐えたのはほんの一瞬であったが一生を社会の強風と闘いながら生きた俳人がいる。門田泰彦「青玄」同人。その一生を結核と闘い暮らす日々。再起をはかるもまた再発入院を繰り返す生活であった。その姿はまわりの人々に生きる勇気と活力を与え続けていた。いっそ強風とならば辛酸やわらぐ葦門田泰彦自分自身を「葦」と捉え自分自身を自ら放棄しようとしたその心。…ここには人間のもろさを示している。生きてゆかねばと思う気持...あめんぼに自分の私性を託す俳人門田泰彦
今日は父の日である。私にとっては思い出の多い日である。そして悲しみと、それに伴って家族の絆の深い日でもあった。今日の朝が来て、いろんな思い出が蘇っては消える。家族の温かさ、私には絆の深さが想いだれてくる。私のブログを思いだしていた。平成20年6月11日の記述である。父の日の父の貧乏子に詫びるこの作品は昭和48年の句である。街には「神田川」の歌がながれていた。南こうせつの語りかけてくる言葉と曲に心の救いを求めていた時代であった。私の生活も家賃を支払うと、給料の残りでは暮らしてはゆけない時代であった。長男10歳。長女6歳。子供たちは元気だったが、私の心は真っ暗だった。そんなある日だった。夕食時、私の目の前の食卓に小さな包みが置かれていた。それは子供たちが少ししかないお小遣いの中からふたりで出し合い買ってくれた...父の日の思い出
一口に季語といってもその扱いの難しいのは情感の施しが如何になされているかであるが、季語を強める要素としての補助的なアイロニー言葉もある。風に落つ楊貴妃桜房のまま杉田久女「久女句集」昭和27年より。この句の注目点は「房のまま」の言葉である。正にこの句を素晴らしいものしているのは、根底に敷かれてあるアイロニー言葉の深みである。その言葉こそが「房のまま」なのだ。桜と言えば、その花びらの一枚一枚の美しさに注目をあつめるのだが、この句は「房のまま」の塊なのだ。まるで風に抵抗するように塊となる桜の房の存在感。これこそ作者が主張したかったアイロニーなのである。これは桜と言う季語の印象を強くするものであった。楊貴妃桜は八重桜なのだが、なるほどこの花桜は、どっしりとしていて重厚感がある。風圧により落花するときも風に逆らって...俳句のアイロニー言葉とは
2021年の神戸新聞文芸短歌1月・2月・3月・4月・6月・7月・9月・11月・12月の入選歌を紹介させていただきます。児島庸晃★1月入選歌(2021年1月25日朝刊掲載)恵方へと前へ前へとまだ前へまっすぐ真っ直ぐ凡人歩く★2月入選歌(2021年2月22日朝刊掲載)冬の雨ハープの弦になってゆく心の棘をやわらかくして★3月入選歌(2021年3月1日朝刊掲載)目に梅花こころの汚れ抜く時刻うふふふと笑む生きてきたぼく★4月入選歌(2021年4月9日朝刊掲載)私語にして四月の風はよく喋る老年は背を立て先急ぐ★6月入選歌(2021年6月7日朝刊掲載)レシピには新芽と若葉眼は晩年触覚立てて僕五月行く★7月入選歌(2021年7月14日朝刊掲載)若葉風連れて都心の谷間行くこころして一日始まる朝★8月入選歌(2021年8月9...神戸新聞文芸短歌入選歌(2021年)
日々の生活の中で本来の人間の心を真に維持してゆくのが、どれほど大変なことなのか。春日が私に囁きかけてくる部屋の隅でその日差しを見詰めていた。そしてその傍に置かれた新聞を見詰めていた。その新聞の連日の見出しに心が縛られていることに、自分自身が壊れてゆかない事を願った。戦争は未だに終わってはいなかったのだ。昭和20年に戦争は終了している筈なのに…。かって観たイタリア映画の記憶が蘇る。その題名は「ひまわり」。第二次世界大戦後の心の傷が人間不信を呼び起こし男女の心が徐々に離れてゆく、そのような1970年のイタリアの反戦映画でした。大戦後のウクライナでの撮影であったことを思いだしての日々。多数の戦死者が埋葬された広大な土地、キーウより南へ50キロ、この土地にひまわりが一杯咲いているシーンから始まるこの映画。この映画...私性の句体ふたび(再掲載)
俳句にとって。俳句を書いてゆく行為はアドリブ表現以外にない。感情表現をするとき、感動は、その場、そのとき、思ったままの表現をしなければ二度とそのものずばりの表現はない。生存してゆくための人間生活を続けているかぎり、今日の感動は明日の感度と同じものではないのだ。今日だけの感動である。明日は明日の感動があるだろう。ぼくは必死に思うのだ。生きているよろこびやかなしみをもっともたいせつにしなければならないのは、この純粋感動を出来るだけ長く、出来るだけ強くもちつづけていたいからではなかろうか。生活人としての意識や認識を社会へぶっつけて生きてゆくとき、なんらかの衝撃が起る。起ったときの社会に応じて、ひとびとは自分なりの行動をしてゆくのだが、アドリブは起った行動のなかにあって、いろんなひとたちに意志を示唆する。この示唆...俳句のアドリブ表現とは何なのか
いつしか人に生まれていたわアナタも?池田澄子上記の句を一般の生活人はどのように受けとるであろうか。この句を依光陽子さん(屋根)は総合誌「俳壇」2005年8月号で次のように書いている共生的な存在意識の投げかけは口語文体ゆえにストンと読み手の心に落ちる。「俳壇」の特集号、「時代をとらえた俳句表現」での発言記事である。この発言記事。よく考えてみると、私たちは共生的な存在意識のもとに生存し生活をしているのである。一般的に普通に生活していて誰もが思うことは、俳句など全く生活とは関りはないのだろうと、誰もが思う。そして生きてゆくのには俳句は全く関係ないと思うのが普通だろう。だが、一般生活をしているのに、或いは日々の暮らしの中では俳句的思考は必要なのである。それは何故にそうなのかをテーマーとして書きたいと思う。俳句はビ...現実社会の中で俳句は何故必要なの(再掲載)
そこにあるのだけれど見ようとしなければ見えてはこないもの…それを不可視という。人の心は不可視の中にこそ潜むもの。日常の出来事だけが五・七・五の定形であってはならない。…つぼみの中を表現したいんやけど、まだ咲いてはいない、開いてはいない花の中までわかるように表現しなければならんのや。俳句で表現出きるかね。上記の文言は今は亡き現代俳人伊丹三樹彦の私への問い掛けだった。当時「青玄」大阪支部句会帰りの電車内での会話である。私は一瞬とまどった。びっくりしたというよりも考えるところがあってのことであった。見えていないものまで見えるように表現する。これは批判的リアリズムの基本理念ではなかったか。見方を変えれば、俳句の基本とされている寄物陳思なのではないかとも思った。寄物陳思とは物に寄せて心の在りようとしての思いを述べる...俳句その心表現の基本とは何なのか…
もう何十年も前の話になりますが、ある俳人より私の句が有名人の俳句に似ていて真似ではないかとの意見があったことがありました。そのときのことを思い出したので書くことにしました。私の句は下記の句でした。秋灯下宿題解けぬ子の涙児島庸晃類句または類想句の考えですがいろんなことが言われていますが一般には「言葉の類似」「技術の類似」「主題の類似」です。…ということでこの三つが同時にある句はないと思います。よく問題になるのですが、故意に似せて作る以外はないと思っているのが私の考えです。さて問題の焦点になった句は西東三鬼の句「算術の少年しのびなけり夏」ですが、季節は「夏」。私の句は「秋灯下宿題解けぬ子の涙」。大きなところは季語の扱いの違いがあり、西東三鬼の句には主題のポイントがはっきりしていません。。そして着眼点に曖昧なも...俳句の類句または類想句の考えについて
メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き換えての思考へと、特に若者をはじめ中年層にまで広がろうとしている昨今である。何故だろうと思う。自分たちの理想とする住みやすい場所を求め、現実では不可能な部分を可能にする場所を心に持ちたいと動き出したのだ。言わば幻想である。虚景である。これは目視では見えていない部分なのである。私にとっては、この思考は三樹彦の「隠れているものまでも見えるように書く」と言う俳句思考を呼び覚ますことになった。今回は、この微妙に揺れ動く心の理想が、どうしてメタバース(三次元の仮想空間)に繋がったかを書きたいと思う。何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最...伊丹三樹彦先生が求めたものとは
「滅び逝く美しさかもね」という俳人がいた。これは桂信子の句集「新緑」を読んでの感想を私に語ったときのことである。私も、そう思えるものがいくつもあったと思い出していた。さしかかるひとつの橋の秋の暮…桂信子昭和45年作。句集「月光抄」「女身」「晩春」、そして「新緑」へと渡りゆくなかで益々深みを増すのだが、この川にかかっている橋は人生における接点のようなもの。こちらの岸からあちらの岸へ渡す橋であり、そこにあるのは来し方であり行方である。その橋を秋の暮色が包む。信子は寡黙にその橋を見よ、と指し示す。つるべ落としの秋の陽は今にも暮れようとしている。橋にさしかかるのは信子自身であり、これから先の残された人生の滅びてゆくはかない美しさをここに示そうとしているのだ。ライターを借りてふりむく枯世界…桂信子同じ年の作になるが...「死」へ向かう「生」の美学…俳人…桂信子
汚れのない心中が目視には必要なのである。この時、はじめて目視は可能になる。よく聞く言葉に…俳句が作れないのよ…と言う言葉を聞くが、これは俳句が作れる心にはなっていないからである。心が汚れ切っているから…。物事を見ていても心を空白にしていなければ何も見えてはこないのである。背中から春の時雨に溶けてゆく宮川三保子句集『黄砂』より。この句の作者の素直な心に私が何時の間にか素直になってゆく句心の俳句である。それは作者の心の中が真っ白であるから…。物を目視するのに汚れのない気持ちの心を持っているからである。「溶けてゆく」と言う俳句言葉は、容易には思いつかない言葉なのではなかろうか。物事が強く細かく見えている。普段の日常生活の慣らされた習慣の中で物事をよく見届けるのは、よほど心の中を純白していなけば見えてはこないし、...俳句は心が汚れ切っていると作れない
6月1日、今日は衣更えの日である。だが今年は梅雨入りの日の方が早かった。今日は梅雨の中休みである。曇りだが雨は降ってはいない。家を出て歩くことにした。武庫川河畔は私の癒しの場所である。ここを歩くと心の中に鬱積したもやもやが抜けてゆき、心の中に蓄積した他人の言葉までが抜けてゆく。毎日の他人から受ける言葉の棘が私に付着して、私を暗くすのだが。いまこの河畔は楽しい自然で一杯。眼前には阪神電車の橋上駅が見える。武庫川に架かる武庫川橋上駅である。西宮市と尼崎市を結ぶ川の真ん中が市の境である。この駅の周りには蝶が飛来して今が梅雨とは思えない。この梅雨蝶を見ながら、傍の大きな石に座る。すべては自然のままだった。私の心に積もった棘は抜けたのか。こうして梅雨の晴れ間を私は歩く。以下は私の目に届いた光景を俳句にした。雲退けば...水面渡りの風はシンホニー…梅雨晴間の武庫川河畔
2023年6月
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