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東国剣記 https://tougoku-kenki.hatenablog.com/

東国の剣豪、武芸、中世軍記、そのほか日本の合戦諸々について扱うブログです。

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2022/05/07

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  • 【戦国負傷統計を見直す 補】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認 追加

    【島原の乱の宮本武蔵】の記事が終わっていませんが、軍忠状・手負注文類で新たに石による負傷者を見つけましたので【戦国負傷統計を見直す】の補足として紹介しておきます。今回の二つはよくある「石疵」「礫疵」等ではなく、あまり多く使われない「当石」であったので見逃していた類です。ギリシャ文字のナンバリングは【戦国負傷統計を見直す3】からの続きとなります。 永録2年五徳小屋当石衆 ε『佐田隆居手負注文』(※1)石礫傷計:8人分類:攻城戦(五徳小屋) 「当石衆」という本文からわかるようにこの手負注文は全てが石による負傷をした者のリストとなります。五徳小屋の「小屋」も現代人のイメージするような小屋ではなく以下…

  • 【島原の乱の宮本武蔵2】豊前中津藩の出陣者リストでは無傷の宮本武蔵

    tougoku-kenki.hatenablog.com 前回の記事で島原の乱における一揆方の石による攻撃が平地での手ごろな石投げではなく、高所からの石落としという致命傷にもなり兼ねない恐るべき攻撃を含むものであったことはおわかりいただけたかと思います。 今回は手紙では「拙者も石にあたり、すねたちかね申す」(※1)と書いた武蔵が、この合戦で属した豊前中津藩の記録ではどうなっているかというお話です。 宮本武蔵が島原の乱の際に養子伊織を仕えさせた小倉藩小笠原家ではなく分家となる中津藩小笠原家から出陣していたことは『武州伝来記』のようなごく一部の文献に記されていましたが、それが事実であったことが宇都…

  • 【島原の乱の宮本武蔵1】島原の乱の石礫傷について

    この【島原の乱の宮本武蔵】という項目は石礫による負傷を扱っており、【戦国負傷統計を見直す】1・2・3に関連した内容となっています。戦国時代の負傷統計に表れる石礫傷が実際にどういったものだったか詳しく知りたい方はそちらもご覧ください。 さて、島原の乱における宮本武蔵といえば、石による負傷を負って立てなくなったというエピソードが有名です。無敗の有名な剣豪として知られるイメージとのギャップから剣術など実戦では役に立たない証拠などと言われたり、農民の投石に負ける程度の武蔵の兵法は実戦的なものではなかったなどと取る人もいるようです。では、そのエピソードの根拠となる武蔵自身の書簡を紹介することから始めまし…

  • 【戦国負傷統計を見直す3】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認(後)

    tougoku-kenki.hatenablog.com 戦国時代の全石礫傷の内訳を公開する記事の後半です。タイトルで結果は明らかにしてしまっていますが、高低差の確認できない石礫傷の割合が最終的に何%になるかは楽しみにしていてください。 さて、第一回・第二回で扱った石礫傷の採取元は、すべてが中国地方の勢力に申告されたものであるという偏りを持っていました。今回の分はというと、永禄6年を最後に毛利氏や中国地方の勢力での石礫傷の申告はなくなるものの、それに代わって隣接する支配領域を持ち毛利氏と幾度も鉾を交ている大友家中での申告ばかりになります。 結局日本全国の石傷などはデータの上からは確認できず、戦…

  • 【戦国負傷統計を見直す2】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認(前)

    tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は志川滝山城合戦という決して有名とは言えない中国地方の一攻城戦で得られたデータだけで、戦国時代全体の石傷の28パーセントを占めるという著しい偏りについて紹介しました。 今回と次回はそれ以外の戦国合戦における石礫傷の内訳を明らかにしていきますが、タイトルにあらかじめ書いてしまっている通りの結果となります。ただ、結論以上に大事なことはブラックボックスとなってしまっているデータの中身をしっかりと明らかにして見てもらうことだと思っています。したがってあまり面白みのない古文書の文面と人名と統計だけが延々続く項目となりますが、戦国合戦に興味を持…

  • 【戦国負傷統計を見直す1】戦国時代全体の石礫傷の4分1以上が天文21年7月23日に集中するという異様な偏り

    戦国合戦の負傷の種類別統計があるという話をこの時代に興味をお持ちの方は大抵耳にしたことがあるか、あるいは実際にそのデータを見た機会があるかと思います。その統計は鈴木眞哉氏が『刀と首取り』(2000年3月21日初版第一刷)(※1)『謎とき日本合戦史』(2001年9月20日第一刷)(※2)などで広く一般に向けてセンセーショナルに発表した説の根拠とされたもののことです。 以下に、便宜上縦軸をパーセントではなく人数とした以外『謎とき日本合戦史』P115にあるのと同じ内容にしたグラフを上げます。『刀と首取り』P83にも戦傷の内訳はありますが、一年以上後に出た『謎とき』の方が全体的に傷の数も多くなっている…

  • 【日本の投げ槍2】槍を投げた槍半蔵 ~戦国三河武士たちの投げ槍~ 付足・槍半蔵の太刀打ち

    tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は江戸期軍学文献における犬槍という観念や投げ槍批判と読める箇所について紹介しました。今回は戦国生まれの三河武士たちが残した文献から、投げ槍に対する認識を見て行きましょう。これからの内容は戦国武士は投げ槍を不作法として行わなかったという先入観を極力捨てて、ニュートラルな視点から読まれることをお勧めします。何しろ前回確認したように、江戸期の甲州流軍学でさえテキストによっては槍の投げ突きという行為そのものは問題視していない見解が見えるくらいです(そのケースで問題となるのは投げ突きを勇猛な槍の手柄として誇る場合)。折角戦国生まれで合戦でも活…

  • 【日本の投げ槍1】江戸時代軍学における犬槍の観念・及び投げ槍批判について

    精選版 日本国語大辞典「犬槍」の解説 kotobank.jpいぬ‐やり【犬槍】[名] (「犬」は卑しめていう語) 敵が不意に出て、槍で突くこと。また、柵またはみぞを越えようとする相手を突くこと、槍を投げつけることなどをいうこともあり、いずれも不名誉な行為とされた。※武門要鑑抄(1640)二一「犬鎗は柵越し溝越しの鎗是なり」 こちらのように戦国武士は投げ槍を嫌ったというイメージは根強いようです。一方で当時の武士たち自身が記した覚書類を初め、戦国時代を扱った文献に投げ槍が特に批判的な扱いを受けることなく登場するケースも少なくありません。そのギャップについて考えるのがこの項目【日本の投槍】になります…

  • 【クロスボウ1】第二回ラテラノ公会議カノン原文を見る限り特にクロスボウのみ限定で規制してはいない中世キリスト教会

    とうとう東国や剣どころか完全に日本を離れた話題になりましたが、元々律令時代の弩やクロスボウなどを扱う予定があり、こちらはその関連として用意してあったものです。本題となるはずのそれらの記事が後回しになったのと、おまけのはずのこちらの調査が思った以上に順調だったため先に仕上げることとしました。 さて、中世ヨーロッパにおいて以下のようにキリスト教会がクロスボウの威力を恐れるだとか忌み嫌うだとかで使用を禁止させたような話はよく目にすると思います。 dic.nicovideo.jp 欧州においては、少なくとも古代ギリシャの時代から存在しており、軍事的に利用されていたようだ。 11世紀頃には、「キリスト教…

  • 【薙刀】薙刀の文献上の初出は?(後) 1040年『春記』の例はなぜ不確実な初見とされるのか 及び中世「刀」と呼ばれた短い刀剣と平安時代の「長刀(なががたな)」について

    薙刀の初見に関する続きです。前回は久安6年(1150年)~平治元年(1160年)に編纂された『本朝世記』の久安2年(1146年)3月9日の記事を引き、『世界大百科事典』のいう薙刀の初見を確認しました。今回は近藤好和氏の『弓矢と刀剣』にある以下の説を確認します。 ■近藤好和『弓矢と刀剣』(※1)・一方、中世を代表する長柄の武器である長刀は、不確実な例だが、十一世紀には見えている(『春記』長暦四年<一〇四〇>四月十一日条)。 不確実ではあるが『本朝世記』の例を文中の年代から数えても100年以上遡り得る薙刀の初見があるとのことです。では、早速その藤原資房の日記『春記』本文を見てみましょう。藤原定任と…

  • 【薙刀】薙刀の文献上の初出は?(前)

    薙刀と言えば槍が普及する以前の武士の長柄武器の代表格です。その文献上の初出がいつかということについて今回確認してみたいと思います。まずは薙刀の初見についての情報及びその出典を見てみましょう。 https://kotobank.jp/word/%E8%96%99%E5%88%80-857348■世界大百科事典 第2版「薙刀」の解説・《本朝世紀》久安2年(1146)の条に源経光が所持した武器を〈俗に之を奈木奈多と号す〉と記すのが初見とされる。 続いて、その『本朝世記』がどのような史料であるかについてです。 https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E4…

  • 【『平家物語』の二刀流・補】行家や義貞が二刀を用いるとしない『平家物語』『太平記』の異本

    これまでの【『平家物語』の二刀流】では『延慶本』や『覚一本』などの『平家物語』において源行家が二刀流で戦う場面があることや、それに関連して『太平記』において新田義貞が二刀を用いる場面があることを紹介しました。 しかし『平家物語』の一部語り本系では行家が二刀で戦ったと書かないものがあり、また同様に『太平記』古態本の一つには湊川で新田義貞が敵の弓兵に包囲された場面において一刀のみを用いると描くものもあります。今回は【平家物語の二刀流剣術】の補足としてそれらを紹介していきましょう。 ではまずは行家の方から紹介しましょう。以前の記事の通り、『平家物語』の『延慶本』や『覚一本』などにおいては壇ノ浦合戦後…

  • 【『平家物語』の二刀流②】『延慶本平家物語』源行家の二刀流剣術(後)

    前回は『平家物語』諸本の中でも古態を多く残すという評価のある『延慶本平家物語』において、平家滅亡後に鎌倉方から追われる身となった源行家が、捕縛のため派遣された常陸房昌命を相手に右手に三尺一寸の太刀、左手に鍔のない太刀を持つ二刀流剣術で戦い、再三に渡って有利に攻め立てたところまで紹介しました。 しかしやはり正面からの持久戦ともなれば甲冑着用で臨む昌命のほうが平服の二刀に対して有利なのか、ここからは打ち合っているうちに流れが行家不利に傾き、また更に思わぬ展開となって行きます。 ■『延慶本平家物語』「第六末」(※1)・昌明(原文ママ)しばしささへけれども、しらまず(ひるまず)打合すれば、行家こらへず…

  • 【刀剣】『北条五代記』関東長柄刀流行の傍証となる軍役文書?

    後北条氏の遺臣・三浦浄心は『北条五代記』で、かつて戦国時代関東の若い輩の間で、柄を長く拵えた刀が流行したことを記しています。それは書かれた時代でいうところの鍵槍のように流行したものですが、この時代の人々の感覚では珍奇に見えたであろう刀のようです。 ■『北条五代記』寛永本 「三五 関東長柄刀の事 付かぎ鑓の事」(※1)・見しは昔、関東北条氏直時代まで、長柄刀とて、人毎に、刀の柄を長くこしらへ、うでぬき(刀を握った時手から離れないようするための紐)をうて、つかにて人をきるべく体たらくをなせり。当世は、かぎ鑓とて、くろがねを長くのべ、かぎをして、鑓の柄に十文字に入、其先に小じるしを付、柄にて人をつく…

  • 【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦の勝因とする幻想③】 『平家物語』諸本から根拠がないことを確認

    tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は壇ノ浦合戦の基本史料から「『平家物語』以外に水手への攻撃を記す史料は無い」という情報の真偽についての確認を行い、実際その記述がなかったことを確かめました。今回はその水夫への攻撃が唯一記されているという『平家物語』諸本から見ていきます。検証だけでなく、壇ノ浦合戦に関する各本ごとのばらつきや内容の多彩さを見て『平家』諸本比較の面白さを知っていただければ幸いです。 まず『平家物語』及び異本の成立の概略は以下をご参照ください。 平家物語(読み)へいけものがたり日本大百科全書(ニッポニカ)「平家物語」の解説 kotobank.jp・平清盛(…

  • 【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦合戦の勝因とする幻想②】日記・史書・同時代文書などに壇ノ浦合戦の水夫攻撃の記述がないことを確認

    tougoku-kenki.hatenablog.com 前回お話したように壇ノ浦合戦の源氏方による水夫への攻撃は、 ■『延慶本平家物語全注釈 第六本』(※1)・水夫への攻撃は『平家物語』諸本のみに見えるが ■『四部合戦状本平家物語全釈 巻十一』(※2)・『平家物語』以外に水手への攻撃を記す史料は無い。 と『平家物語』以外には見られないことを研究者によって断言されておりますが、実際にそうであることを自分でも確認しておきたいので、今回は壇ノ浦合戦の研究に用いられる諸史料から見ていきたいと思います。 まず、その史料の選定ですが、以下のような参考文献で壇ノ浦合戦に関して活用されている、信用に足る文献…

  • 【みね打ち②】戦国武士・剣豪・居合の達人によるみね打ちの逸話

    前回はみね打ち(棟打ち)が古態を多く残すとされる『延慶本』を含む『平家物語』諸本や『義経記』などに見られるように、意外と古くから知られる攻撃手段であったことをお話しました。今回は近世文献に登場する戦国武士や武芸者たちによるみね打ちの話題を扱います。 まずは旧ブログにおいて塚原卜伝関連でたびたび使用したことで自分にとってもなじみ深く、また近年価値が見直されてきている『甲陽軍鑑』からです。 ■『甲陽軍鑑』品第卅一「浄土宗法花宗論 付於勝間迫合之事」(※1)・然処に、近藤と申牢人名乗て、原美濃守近所へ刀をぬき持てのりよる。原美濃守刀をぬきはづし、みねうちに近藤が甲のしころのはづれ首の骨をたたき、馬よ…

  • 【義経の指示した水夫への攻撃が壇ノ浦合戦の勝因とする幻想①】序論:否定された幻想

    日本史や歴史小説に興味のある方は、以下のように描かれる源義経のイメージや壇ノ浦合戦の展開を何がしかの形でご覧になったことがあるのではないでしょうか。 ■小説 司馬遼太郎・著 『義経』(※1) 1968年単行本刊行 該当回の雑誌掲載は『オール讀物』67年10月号 ・戦いの初動期において敵船の船頭や梶取に矢を集中してかれらを殺してしまえばどうか。かれらさえ殺せば敵船は進退をうしなう。進退をうしなったところでゆるゆると名ある者を狙撃する。卑怯だろうか。「どうであろう」 と、義経は水軍通の船所正利にきいた。正利はおどろいた。「それは水軍の作法ではありませぬ」 はげしくかぶりをふった。陸上の騎射戦におい…

  • 【塚原卜伝 補①】神道流「奥秘の一刀」で多人数を斬り殺した尾張の武芸者 及び 改良されたかもしれない「一つの太刀」

    旧ブログでも反応の多かった神道流系統の奥義「一つの太刀」についての小記事です。そちらでは以下のように「一つの太刀」が松本備前守や塚原卜伝らを開発者とするものだけでなく、神道流の開祖である飯篠長威斎を起源とする説が江戸時代前期の地誌『古今類聚常陸国誌』にあることも紹介してありました。 ■『古今類聚常陸国誌』(※1)「飯篠長意」・長意、下総国香取郡人也、夙(つとに:早くから)好撃剣、未得妙、祈於香取明神、夜夢明神来授一巻書、曰、汝後為天下剣客師、矣、長意夢裡受読・長意晩得奥術、秘而不傳名為一刀、有一弟子能窮其術、長意奇而授之、授受三世、得塚原卜傳、 飯篠長意(長威斎)は会得した奥義の術を誰にも伝え…

  • 【みね打ち①】『平家物語』『義経記』のみね打ち

    刀の刃ではなく、その裏側の峰で殴ることで命を奪わずに済ませる「みね打ち(棟打ち)」という攻撃手段ですが、これは近年の芝居や時代劇ドラマなどの都合から生まれたものではなく、中世・近世の文献を調べてみると意外と古い時代から見られるものであることがわかります。今回は源平合戦の時代を舞台とする『平家物語』や『義経記』から紹介しましょう。 まずは後白河院の御所である法住寺殿において文覚上人が狼藉に及んで取り抑えられる場面です。 ■『覚一本平家物語』 巻第五 (※1)・信濃国の住人安藤武者右宗、其比当職の武者所でありけるが、「何事ぞ」とて太刀をぬいてはしりいでたり。文覚よろこ(ン)でかかる所を、き(ッ)て…

  • 【『平家物語』の二刀流①】『延慶本平家物語』源行家の二刀流剣術(前)

    二刀流剣術と言えば一般的にはその代名詞とされる宮本武蔵の例など戦国時代以降の技術とイメージされることが多そうですが、『平家物語』諸本を見る限り、鎌倉時代に遡り得るか、遅くとも室町前期には発想の存在した戦闘方法であることもわかります。その戦国以前の二刀を使用した例としては『太平記』の新田義貞のものも知られていますが、 ■『太平記』巻十六(※1)・ただ十方より矢衾を作って射ける間、その矢雨の如くなりにけり。されども義貞は薄金といふ鎧に、鬼切・鬼丸とて源家累代の重宝を二振帯かれたりけるを抜き持つて、降る矢をば飛び越え、揚る矢をば指しうつぶき、真中に中る矢をば切つて落とされける間、その身は恙もなかりけ…

  • 【武芸用語で読む文献史料①】新当流「薙の太刀」の戦場使用を記した毛利家臣 及び鎧武者に対する足への攻撃について

    戦国時代後期毛利家に仕えた武士・玉木土佐守吉保の自叙伝である『身自鏡』という覚書があります。成立は元和3(1617)年でこの種の覚書の中では比較的早く、また以下のように内容の点でも評価の高い文献史料です。 みのかがみ【身自鏡】毛利家の家臣玉木土佐守吉保(1552‐1633)の自叙伝。1617年(元和3)に作られた。吉保の先祖および自身の誕生から老年に至る事跡を年代順に叙述。年月日付には若干の記憶違いがみられるが,戦国時代を生きぬいた地方武士の生活が生き生きと記されている好史料。とくに,著者の体験に基づく,当時の寺院教育の教授法,教科書などが詳しく記されており,教育史料としても貴重である。【勝俣…

  • 再開のごあいさつ

    以前はyaplogの方で「東国の剣豪たちや日本刀について」というテーマでブログをやっておりましたが、こちらで再開することにしました。 神道流系を中心にした東国の剣豪、剣術、そして日本刀に関しての調査や再検証という元々扱っていたテーマだけでなく、『平家物語』『太平記』等の中世軍記物や古代~近世の日本の戦闘技術・兵器、そしてそれに関連した感状や戦傷など他の話題も扱うことにします。東国も剣も関係ない記事も増えてくるかと思いますがご容赦ください。 以前と同様にできるだけ孫引き情報を頼りにせず史料から直接情報を当たり、出典も明確にするスタイルでやっていきます。なお、記事を読む時の注意点ですが、文中の(※…

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