ホテルに戻った相馬は、自分の部屋には寄らずに薫が宿泊している部屋を訪れた。 ここ数日、相馬はむつ警察署で事件の捜査を手伝っていたため ―― というより薫の言ったことを全てきちんと調べるか監視する意味合いのほうが強く、それ故にむつ警察署員、ひいては青森県警から来ている刑事たちにひたすら煙たがられることになったのだが ―― このホテルにはまともに帰ってきていなかったし、薫に連絡もしていなかった。 だが薫は久...
どのくらいの間、湖のほとりで呆然と座り込んでいただろうか ―― 目の前を一組の老夫婦が行き過ぎたことで、相馬ははっとして慌ててスマートフォン取り出す。 時刻は7時を少し過ぎたところで、ほっとした。 ノロノロと顔を上げると、目の前の景色は相変わらず絵画か葉書かというほど明るく、美しい。 湖のほとりにはいつの間にかやってきていた家族連れの姿があった。 小学生に上がりたてくらいの少女が真剣なようすで水辺に...
「・・・っ、そ、その割にあんた、福島へは来るなって、言ってきただろうが!」 相馬は喚きながら、薫から距離をとるために後ずさろうとした。が、忌々しいことにベンチには金属製の肘かけがついており、端に座っていた相馬が逃げるスペースはなかった。「仕事をする上では、あなたは来ない方が良いと感じましたから。でもそう言ったところであなたは来るだろうと予想していましたし・・・実際来たのを見てかなりイラッとはしまし...
「・・・調子狂うな」 東京で凄惨な事件が起きていることを忘れてしまいそうなほどのどかな、鳥のさえずりだけが聞こえる沈黙の後、相馬は言った。「・・・はい?」 頭を下げ続けていた薫が、顔を上げる。「一番年下とは思えないくらい、誰よりも偉そうにしてるだろう、いつも。突然頭なんか下げられても、かえって調子が狂うって言ってんだよ」 薫は答えずに俯いた。 おいおい、本気で調子が狂うし、やり辛すぎるだろ・・・...
レオンとの話を終えて部屋に戻ると、時刻は12時近かった。 箕輪は既に夢の中で、全くこいつは完全に旅行気分だな・・・と思いつつ、相馬は東京の本部から送られてきたメールをチェックし、必要なものには返信をしてから、殺害現場ホテルの防犯カメラを再度見直してゆく。 箕輪には「何度見ても同じじゃないですか?」と言われるくらいに繰り返し見ているので、犯人の一挙手一投足、足の出し方から手の動きまで自ら体現できるく...
「以前、府警の田沼刑事から聞きました」 と、相馬は言った。「CIA内部でトラブルがあって、神無月さんが何ヵ月も入院していたと」「そういえば大阪の刑事が薫について、あれこれ嗅ぎ回っていましたね」 と、レオンは小さく笑って言った。「そう、その、田沼刑事の言うところの“トラブル”により、薫は一度死んだ ―― とある現場で名前を呼ばれて、振り返ったところにタオルケットを押し付けられたんです」「え?タオルケット?」...
それから、5分ほど経っただろうか。 奥の方の特別室のドアが開き、そこからアランが姿を現した。 彼は相馬の存在が見えていないかのように、相馬の横を通って薫がいる特別室へと入ってゆく。 入れ違いに、レオンが部屋から出てきた。「お待たせしました。 相馬さんには、ご理解頂いておいたほうが宜しいかと思われるお話があるのですが・・・お時間、頂けますか」 レオンに訊かれ、相馬は頷く。 レオンも頷き、相馬を奥の...
断定的な薫の言葉に対し、相馬は何も言えなかった。 薫は淡々と続ける。「今回の被害者、野間ひかり ―― 彼女は生への執着が非常に薄い。自ら死ぬことすら望めないほどに。死の間際に抵抗したのは、実家にいた頃に義父からされていた虐待の記憶に囚われたからです。彼女が抵抗していたのは、“あの瞬間”ですら義父にだった。そんな彼女が終始執着していたのが・・・いえ、あれは執着というより懇願のようなものですが、それがドア...
相馬も刑事なので、武道の心得は人並み以上にある。 学生時代にやっていた剣道では都大会に出場した経験があるし、柔道も有段者だ。 だがアランの攻撃を、相馬は全く防げなかった。防ぐどころか、身構えることすら出来なかった。 それにも驚いたが、それより驚いたのは相馬が吹っ飛ばされたのと同時に、薫が廊下に倒れたことだ。 その倒れ方は“くずおれる”とかいうものではなく、ある程度重量のある木の柱が突かれて倒れる時...
宿泊するホテルに関しては事前に薫側から、『我々の宿泊先は自分達で手配・精算します』と連絡が入っていた。 そしてその後、彼らが手配したと連絡してきたのは裏磐梯近辺では最高級レベルのホテルで、しかも最上階に2部屋ある特別室を両方押さえていた。 その部屋の宿泊料金を調べてみて相馬はひっくり返りそうになったのだが、自分達の分は自分達で精算すると言っているのだから、それはそれで、まぁいい。 問題は相馬達が...
東京から福島の猪苗代に着くまで、途中のサービスエリアで2回休憩を取ったが、薫は車から出てこなかった。 助手の猫塚兄弟は車外に出てきていたが、2人ともほとんど車から離れず、終始厳しい表情で額を突き合わせるようにして何やら話をしていた。 羽生サービスエリアでは、“来るなと言ったのを無視して俺が来ているから機嫌が悪いのかもしれない、それに付き合わなきゃならない助手も大変だな”などと相馬は思っていた。 だ...
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ホテルに戻った相馬は、自分の部屋には寄らずに薫が宿泊している部屋を訪れた。 ここ数日、相馬はむつ警察署で事件の捜査を手伝っていたため ―― というより薫の言ったことを全てきちんと調べるか監視する意味合いのほうが強く、それ故にむつ警察署員、ひいては青森県警から来ている刑事たちにひたすら煙たがられることになったのだが ―― このホテルにはまともに帰ってきていなかったし、薫に連絡もしていなかった。 だが薫は久...
薫と猫塚兄弟がむつ警察署を去った直後から本城拓也の事情聴取が始められた。 彼は一貫して“自分は何も知らない、澤部先生とは同僚以上の関係はない”と主張し、澤部あゆ子の自宅照明から指紋が出たことを尋ねられても“ひと月ほど前に生徒が問題を起こして深夜呼び出されたことがあり ―― 確かにむつ第1高校2年生の男子生徒20人以上が深夜、二手に分かれて大喧嘩をしていると通報があり、教師が総出で対応にあたった事実が確認さ...
ここが警視庁管轄の東京都であれば、“神無月薫の超能力による推察のみで、実際の証拠は何もない”という状況でも、薫を日本警察に引き抜いたバックグラウンド(警察庁次長の袴田亨、その派閥の警視庁捜査一課刑事部長の小野山充、警視庁捜査一課長の安東勝弘など)への配慮から捜査員は内心でどう思っているにせよ普段通りきちんと動く。 が、初めてこの状況に置かれ、薫のバックグラウンドの存在をリアルなものとして感じ辛いむ...
「ということは、噂の“水晶玉の君”のオシゴトを目の当たりにできるってわけか。そりゃ、楽しみだな」 澤部あゆ子の遺体が発見された翌日。 正午過ぎから澤部あゆ子の部屋に薫を連れて入れる段取りを付け、それに同行して欲しいと言った相馬に、坂下が憮然とした表情と声で言った。「お前が内心でどう考えていようがそれは勝手だが、言った通り神無月薫が澤部あゆ子の部屋を見ている間は一切口を利くな。彼に触ったり、質問したり...
「それで、明日からのスケジュールはどうなるんだっけ?」 ひとしきり薫をからかった後で、アランが訊いた。「私は女生徒2人の事情聴取に同席することになるのでしょうね」 と、レオンが答える。「相馬さんからOKの返事、きた?」「いや。でもねじ込んでくるでしょう」「確かに。薫さんにああいう挑発のされ方をしたら、何が何でも!って意地になりそうだもんね、あの人」「別に挑発なんかしてない」 寝そべっていたソファから...
相馬は答えなかった。 そんな相馬の顔を、真っ直ぐに、薫が見る。「レオンの力は、本人の意に反した思考や言動を誘導したり、強制したりするものではありません。混乱、激昂している思考を冷まし、本人が元来持っている正常な思考能力を蘇らせる力です。彼は文字通り、その場に存在するだけでいい。 手配してください。出来うる限り最速で。時間がない。たぶん」「たぶん」 と、相馬は繰り返してみた。「そう、たぶん」 と、...
翌朝、相馬はマントルに沈み込むレベルで深く激しく落ち込んでいた。 当然のことながら夜のうちに自室へ帰るつもりだったのだがうっかり寝過ごし ―― いや、正確に言えば深夜と夜明けの狭間あたりで一度目を覚ましたことは覚ましたのだ。 しかしまるで待ち構えていたかのように(こいつは一体いつ寝てるんだよと、その時相馬は思った)横合いから薫の手が伸びてきて ―― 抵抗はした、一応、抵抗はした ―― が、寝起き直後で、なん...
目覚めると相馬は一人、ベッドにいた。 ソファからベッドに移った記憶はぼんやりとあるものの、どの段階でここへきたのかの記憶はあやふやだ。 自制心は強固な方であると自負してきたのだが、薫が関わってくるとなし崩しになるよな・・・と思いつつ視線だけを巡らせると、メインルームの方に行っているのだろうと思っていた薫が、ベッドルームの窓辺に座って外を眺めていた。 月明かりの中での薫の瞳の色はいつも通り濃いめの...
証拠品袋が薫の手によって床に落とされても、相馬は慌てなかった。「“それ”が偽物だと分かっていたのなら、なんであんなに苦しそうにしてたんだ」 床に落ちた証拠品袋を横目で一瞥してから薫に視線を戻し、相馬は訊いた。「苦しそう? ―― ああ、まぁ、苦しいといえば苦しかったですけど。あなたは私に、感謝するべきなんですよ」「感謝?なにを?」「だってあそこで私が爆笑してしまったら、すべてが水の泡だったでしょう?」 ...
ホテルのロビーに置かれたソファーに座っていた一之宮玲子は、相馬と薫がホテルの正面玄関から入ってくるのを見てすっと立ち上がる。 それに気付いた相馬は、心底うんざりとした気持ちになった。 昨日から今日にかけて山道を含めかなり歩き回ったので、今日は速攻で風呂に入って寝ようと思っていたのだ。 坂下たちの姿はなかったが無視するわけにもいかず、相馬は促されるまま一之宮玲子の向かいのソファに腰を下ろす。隣のソ...
青森県立むつ第1高校の校舎を後にしたその足で、相馬は薫を伴い、むつ警察署へと向かった。 薫が口にした東北郷土史研究部の部員名簿、部員たちの関係性や現在の状況についてむつ警察署に問い合わせたところ、ある程度の情報はすでに揃っているとの回答だったので、聞きに行ったのだ。「あの研究部は歴史が長いので、毎年それなりの数の部員が入ってくるそうです」 昨日車で現場を案内してくれた山本巡査が、用意していた資料...
ひたと見上げてくる澤部あゆ子を見下ろした相馬は、表情を変えずに頷き、「ご協力ありがとうございます」 と、言った。 そして本棚に目をやる。「年季の入った資料が多いのですね。中には貴重なものもあるのではないですか?」 相馬が訊ねると、澤部あゆ子は歩いていって相馬の横に並び、同じように本棚を眺めた。「この部は歴史がかなり古いので・・・こちらの資料とか」、と言いながら、澤部あゆ子は伸び上がるようにして本...
山を降りるまで薫は無言だったが、その間、2度立ち止まった。 1度目は事件現場の崖を最後に見渡せる坂の上で、2度目は寺に入る前に立ち寄った神社の鳥居を望める分かれ道で。 そして山を降り、待たせていたタクシーを呼びよせたところで、薫が口を開く。「相馬さん、ひとつお願いがあるのですが・・・ご対応いただけますか」「嫌だ」 即答した相馬を、薫が信じられないものを見るような目で見た。 その視線を受けて、相馬は...
「やっぱりそう思うよな」 と、相馬は言い、さり気なく薫の腕を取って崖際から距離を取らせた。 薫の察知能力があれば、うっかり落下するなどという事故は起きないのかもしれない。が、事件発生当初に一旦刈られたのであろう雑草は事件から一月以上経過した現在、再び崖際が不明瞭になる程度に育っている。 相馬からすればどこから崖になっていて危険なのか分からないため、見ていてヒヤヒヤするのだ。 「しかし坂下のやつはそ...
薫は引き続き相馬の案内を待つことなく、釣鐘堂を越え、その奥にある小さな通用門を通り、寺の裏手の山道を抜け ―― 女子高生が身を投げた現場で足を止めた。 そして振り返る。「それで、一ノ宮さんはなんと?ここまでの現場では、特に事件についての話はされていませんでしたよね」「ああ。結論としては警察の見解を指示する方向だったな。全て自殺だろう、と」 と、相馬は言いながら薫の隣、一連の事件の最後の現場となった崖...
翌日の午後、相馬は薫を伴い、昨日最後に訪れた寺院に再訪していた。 朝一番で行くことを提案したのだが、薫が、「恐らく行動をチェックされるはずですので・・・相馬さん、何かしら用事がありますよね。午前中、先にそちらを片付けていただいて、済んだら連絡をください。待ち合わせ場所はその時にお伝えします」 と言うので、昨夕むつ警察署で聞いた諸々を東京の班員に伝えて情報収集を頼んだり、関係者に直接話を聞きに行っ...
最後の寺の現場を見て回った後、相馬はホテルに戻る一之宮玲子とそれに同行するという坂下たちと別れた。「どこに行く?」 相馬がこの後は別行動をすると言うのを聞いた坂下に訊ねられ、相馬は、「服部さんたちとむつ警察署。捜査資料や物証を一通り見てくる。お前らも来るか?」 と、訊き返す。 警察庁長官サイドから一之宮玲子に失礼のないように、と釘を刺されているであろうことは想像に難くなく、佐谷戸からも“上から何...
女生徒たちが亡くなったのは、むつ市内にある6つの寺院、そして彼女たちが通っている青森県立むつ第1高校校舎でのことだった。 寺院敷地内でそれぞれ1人ずつ、高校敷地内で2人の女生徒が投身している。 校長や教師から話を聞いた後、2人の生徒 ―― 5番目に亡くなった町田寿子、7番目に亡くなった森梨沙 ―― が倒れていた現場と、飛び降りた校舎屋上に青森県警の服部たちが案内してくれたが、事件発生両日ともに、その前後に不審...
今回の事件は、青森むつ市 ―― 下北半島のまさかりの根本あたりで起きた。 青森までは新幹線が通っているが、そこからむつ市までは車か電車、またはバスで行くことになる。 どちらにしても、青森からは2時間以上かかる。 地方では当然なのだが、主な公共交通機関は日に数本、片手に余る本数しか走っていないため、青森からは車の手配をしていた。 陰陽師・一之宮玲子(と、高性能な人感センサー付きの薫にも何人来ているのか...
翌日の昼少し前、相馬は東京駅にいた。 青森へ向かう新幹線最後尾、車両中程の指定席に腰を下ろしてメールをチェックしながら売店で購入したボトルコーヒーを一口、口に含んだ直後、そのまま吹き出しそうになる。 必死で飲み込んだもののコーヒーの一部が気管に入り込み、激しく咳き込む。 何とかまともな呼吸が出来るようになってから、隣に腰を下ろした男 ―― 神無月薫をまじまじと見つめた。「あ、あんた、何でここにいるん...
証拠品袋が薫の手によって床に落とされても、相馬は慌てなかった。「“それ”が偽物だと分かっていたのなら、なんであんなに苦しそうにしてたんだ」 床に落ちた証拠品袋を横目で一瞥してから薫に視線を戻し、相馬は訊いた。「苦しそう? ―― ああ、まぁ、苦しいといえば苦しかったですけど。あなたは私に、感謝するべきなんですよ」「感謝?なにを?」「だってあそこで私が爆笑してしまったら、すべてが水の泡だったでしょう?」 ...
ホテルのロビーに置かれたソファーに座っていた一之宮玲子は、相馬と薫がホテルの正面玄関から入ってくるのを見てすっと立ち上がる。 それに気付いた相馬は、心底うんざりとした気持ちになった。 昨日から今日にかけて山道を含めかなり歩き回ったので、今日は速攻で風呂に入って寝ようと思っていたのだ。 坂下たちの姿はなかったが無視するわけにもいかず、相馬は促されるまま一之宮玲子の向かいのソファに腰を下ろす。隣のソ...
青森県立むつ第1高校の校舎を後にしたその足で、相馬は薫を伴い、むつ警察署へと向かった。 薫が口にした東北郷土史研究部の部員名簿、部員たちの関係性や現在の状況についてむつ警察署に問い合わせたところ、ある程度の情報はすでに揃っているとの回答だったので、聞きに行ったのだ。「あの研究部は歴史が長いので、毎年それなりの数の部員が入ってくるそうです」 昨日車で現場を案内してくれた山本巡査が、用意していた資料...
ひたと見上げてくる澤部あゆ子を見下ろした相馬は、表情を変えずに頷き、「ご協力ありがとうございます」 と、言った。 そして本棚に目をやる。「年季の入った資料が多いのですね。中には貴重なものもあるのではないですか?」 相馬が訊ねると、澤部あゆ子は歩いていって相馬の横に並び、同じように本棚を眺めた。「この部は歴史がかなり古いので・・・こちらの資料とか」、と言いながら、澤部あゆ子は伸び上がるようにして本...
山を降りるまで薫は無言だったが、その間、2度立ち止まった。 1度目は事件現場の崖を最後に見渡せる坂の上で、2度目は寺に入る前に立ち寄った神社の鳥居を望める分かれ道で。 そして山を降り、待たせていたタクシーを呼びよせたところで、薫が口を開く。「相馬さん、ひとつお願いがあるのですが・・・ご対応いただけますか」「嫌だ」 即答した相馬を、薫が信じられないものを見るような目で見た。 その視線を受けて、相馬は...
「やっぱりそう思うよな」 と、相馬は言い、さり気なく薫の腕を取って崖際から距離を取らせた。 薫の察知能力があれば、うっかり落下するなどという事故は起きないのかもしれない。が、事件発生当初に一旦刈られたのであろう雑草は事件から一月以上経過した現在、再び崖際が不明瞭になる程度に育っている。 相馬からすればどこから崖になっていて危険なのか分からないため、見ていてヒヤヒヤするのだ。 「しかし坂下のやつはそ...