岡本天明、出口王仁三郎にも多大な影響を与えた言霊学者・山口志道の水穂伝をベースにカタカムナ80首の解読を追求するブログ。真の言霊によりアシアトウアン ウツシマツル カタカムナを解明していくブログ。
磐座の上でのヒトり言 正中の道 ミロクの循環 カタカムナは生命体人類の新たな芽が生まれた
磐座の上での独り言。 地球はこれから新たな局面を迎えてゆく。
男性の意志(火)と女性の魂(水)の二つをつかさどり、森羅万象の理(ことわり)を開く。火は水中に入り、形が見えず、形が無い水(魂)の始めの法則。 火は水を動かし、火は物を分離させ、水は物を接着させる。この法則はカタカムナの原則の中で常に中心にある原理だが、この原理で人間の体と魂を分離させ、それを自在に操り、自分以外の生命体に憑依させることができるという。 64首ではその手法と原理が鮮明に描かれていた。その奥義は男女のまぐわいから起きるという。
カタカムナについて
地球の呼吸、それは人の呼吸と同じように地球も、宇宙も呼吸をしている。 地球の呼吸は幾千年周期で、循環している。 その地球の呼吸により、地上に現れる魂の性質が異なっている。 それは、人の吐く息と、吸う息の違いと同じように。 そして、地球の吐き出される息というのは、現在の物質文明にあたる。 カタカムナの中で、旧人類と新人類が交差し文明が入れ替わる経緯も描写されていたが、旧人類はこの天地自然の息の循環を学んでいたので、その循環に沿ってこの地上から離れ星となって隠れ身となった。 新人類はその後、地上で文明を大きく発展させていくが、地球の吐く息から生み出された新人類はどうしても淀みを含んでしまうのが性質で有る。 混沌とした嘘、自我、殺害、など繰り返され森羅万象の理に睦まずに幾度も同じ過ちを繰り返してゆく。そしてその魂は躰から離れた時に地に沈み業火に焼かれ再び地上に循環している。 旧人類の澄んだ魂は、天をめぐり星になり、再び地球の呼吸が吸う周期に切り替わった時に。現在の人類に変わりこの地上に新たな文明を芽吹かせてゆくことになる。 これも、森羅万象の循環の流れである。 そして、新たに地球の息が切り替わるときに、火、水中に與みて、水は渦巻きその真ん中の穴から新たな地上が生まれ出ることになる。 新たな地上とは、ムー大陸であろう。深い海底と現在の陸地が入れ替わる時、再び地上にムーたいりくが出現し、天をめぐる魂によって新たな地上が創造されてゆく。 人は宇宙の小天地であり。地球もその中で同じように呼吸をし、循環している。 火水(カミ)とは循環であり、万物を生み出す母であり、火とは水を働かせるものである。 人間の領域をはるかに超越した世界も森羅万象の理の基成り立っている。 それはサイズの大か小かの話である。 人類は、真実を知ろうとし、真実を隠すものを非難し、真実をあばこうと躍起になっているが、カタカムナの心理からいうと、真実を知ることよりも、理を学び実行することの方が心理である。 そのことに気づかずに、地をめぐる周期のなかで真実を追いかけているのは本末転倒ということになる。 理を学び実行することが、正中をつかさどるというこだ。 火と水の眼をもち、正中をつかさどる灵こそ、天をめぐる灵となり、新たな世界を開く灵となる。 新た
カタカムナ80首を言靈により読み解き、その内容と禁断の古文書ウエツフミとの符号。 神からの神命が降ろされたその内容をウエツフミ研究家の藤島氏と猿田彦が精査する。 そして、カタカムナの中で明かされた魂を身体から解く秘儀の内容も明かされる。 前代未聞の対談動画。
息の根が尽き、灵がカラダから離れたときに、その灵の本質があらわになり、灵は天地自然の王法によって行き先が別れる。 森羅万象の理に沿って循環している灵は天に昇り星に住むようになり、また理から曲がった灵は地に降り業火に焼かれ新たに生まれ変わる。 輪廻転生は同じようにするが、その天をめぐり転生するものと、地に降り業火に焼かれ転生するものとでは神灵があるかないのかで大きく隔てられている。 輝き輝く物を、確かに見分け、朧(おぼろ)なく 息の終わりには 和らぐか、他に並ばぬ時は、和らがずに己ばかりに凝るのかを別ち、澄んだものは昇り、濁るものは降る。これも天地自然の王法により森羅万象の理の仕組みとして循環している。 天が地に交わるゆえに全てが◯輪となり 火水の息に逆らわずして、共に循環する。 このリが違う故に、病起こり、愚痴にして盲語を吐き、他の物を盗み非業をなす。 是、火のリ明らかならざる故なり。 また、火の氣強くして、水のリなきときは、水の和(やわらぎ)順なき(理にかなっていないこと)が故に、慈悲心を損し、殺生を好み、ものを悩ます真意強く、息息二つ行われず。 これを天地のリにかなわずと云う。そのリに違はざるように、水火の過不及無きように、悲智当分にすべし。 カタカムナ80首では、天国と地獄が示されていた。これまで、過去、現在、未来、生命誕生、人類誕生、万物創生、生命活動、火水の教え、ヤマト、森羅万象の理、天地自然の王法とありとあらゆる世界をカタカムナの原理原則のもと見事に網羅して、全て理にかなっていた。 現代人類の人智を遥かに超越した理をまざまざと感得できたのではないだろうか。結論としては、人はいかに理に従って生きて行くべきなのかと云うことだ。 永いようで短く、短いようで永い人類の歴史はこれからも続いてゆくだろう。現代の人間はいかに森羅万象の理に逆らって生きているのかをここで学ぶことができた、しかしここで学んだことを実践して行くのは安易なことではない。 我々は一般常識という森羅万象に逆らった強い固定概念をどれだけ解きほぐすことができるのか。己の御灵を洗い直し、スイチにたち帰らなければ、息の根が尽きた時に地に降り、業火に焼かれまた生まれ、幾度も地をめぐることになる。 そうしたことを知らずに、また興味もなく幾度と同じ事を繰り返していることに気づくきっ
カタカムナ79首を読み解く 生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死んで死の終りに冥しを備える神秘なり。
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カタカムナ78首を読み解く 万物生々をつかさどるヤマト そしてアメノウズメ
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カタカムナの実態がここで明らかになってきた。 カタカムナとは、常にめぐりめくり、ついに吹き出る天之御中主、高美産巣日の神、神産巣日の神、永き世回りて、尽きること無き循環する理也。 造化三神の森羅万象の理、火水の教えは永き世めぐり、人類の火水が新たな局面を迎える際に出現し導いてゆくもの。 サルタヒコとは、去る灵の息の本の器也。 常に循環し、人類の始まりと終わりに正中をつかさどる道導をカタカムナを通してその理を与えてくれている。カタカムナの80首を読み解く中で魂が果てしない時空を共に旅をした感覚になった。 謎に包まれてきたサルタヒコは真の火であり、形無き実態である。そしてその真の火は時に人と融合し影を動かしある時は、モーゼと呼ばれ、ある時は釈迦と呼ばれ、ある時はキリストと呼ばれ、ある時は弘法大師空海と呼ばれていた。 それらを動かしていた実態はサルタヒコの真の火であり、そのサルタヒコを動かしていたものは天之御中主、高美産巣日の神、神産巣日の神、永き世回りて、尽きること無き循環する理ということになる。 77首までの読み解きの中で確信を持ったことは、このカタカムナとは、火水の始まりと終わりの局面にメシアを育てることだ。 メシアとは、芽(メ)、始(シ)、◯(ア) ㊉ 也。 火と水を和し、正中をつかさどるもの。今の人類の文明の形が終わるとも、それは新たな文明の始まりになる。その際に立ち上がり、火水の教えをもち、正中をつかさどり人々を導く者のことになる。 それは、今、これを読んでいるあなたのことを指している。素の心にまどかに睦むことで、サルタヒコはあなたの心にも真の火を灯してくれるだろう。そしてあなたは動き、導き、新たな道を開いてゆく。それが森羅万象の理也。
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カタカムナの火によって、水が動かされている。 余計な訳はもはや無用。天之御中主のゝの火によって生み出された言葉をどう捉えるかはあなた次第。 『道を別つシルシを顕す』とある。 重くして神命を降す。 火水(カミ)の姿を顕す。 ついに與む、時にすれば、16時申の刻 七月六日時分迄に火盛んになる。 それは、彼(カ)の火水(星)合うなり。 天に在りながら地を呼びて與むのとき。 今、形なきの真の火水(カミ)、初めて形顕す。 高美産巣日の神、神産巣日の神、両神合躰の至り、極まりにして浮き回る。 万物與み究るとき、消失せるもの 盛者必衰の理。 疑うことならず必ず、火(物質文明)も水中(地球)に與み凝れば、火の形を隠す。 天の火の発する始め 山に向かい、又山を背にする 自他の道を道とせず、名をなとせず、自も無く、他も無く、唯自然に住するを、老子虚無の教えと云う。 道に睦むこと無く、名に睦むこと無きが故に、これを虚無とも又むなしとも云う。 列なりわれと一つ並び 或いは生し、或いは四つ時(春夏秋冬)『盛者必衰の理』の常をよく知れ。
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『火水の教え』を説く者は、其の人を顧みて明らかに見分けられる。それは幾たびも輪廻を繰り返してきた魂のこれまでの経緯までも。 そして、天地自他ともに向かい合い、睦み結びて続き魂の中に魂が入り融合する。 魂の氣(イキ)が一つになり生まれるものは ゝ(ホチ)が凝ることで男となる。 常にめぐる灵が氣(イキ)に搦み 子宮におさまるゝ(ホチ)を、開き開き産出する。 猿田彦とは天之御中主のめぐりの輪から、転生を繰り返し衆生を導いていた者を総じて呼ばれていた。 その時代時代に出現し、『火水の教え』を説くものとして男として生まれ続けている。火水の理から、男の役目と女の役目がはっきりと明確にされている。永い歴史の中で、正中の『火水の教え』を解いていた者は皆男であり、その言葉は真の火の魂から吐き出された息に乗って人々の心を動かし、現象化を起こしていた。 72首では『メシア』の降臨とも思える読み解きとなった。 メシアとは、 火、水に與みて、たまをなして降り、ついに吹き開いて出る、芽かひを開くの初めなり。円満にて欠けることなきときは、諸々の物を解きて、解かざることなし。 つまり、『魂を転生させ降臨し、人々の心に芽を開かせ、円満に諸々の物を解く者』ということになる。 今まさに、渾沌の時代に『基本に帰り鎮めよ』と云う天之御中主からのメッセージが世界に轟き始めたのではないだろうか。 真の火によって動かされ吐く息に乗せられ出た言葉は、あらゆる計画を現象化を起こす原理を兼ね備えている。 物質主義で凝り固まった世界であるが精神世界にはただ、無限の可能性がある。カタカムナを言靈によって紐解いてゆく中でこれほどの強烈なメッセージが込められていた。 今、この世に出るべくして出された火水與(カミヨ)からの伝言はあらゆる世界を創造する力がある。過去から善を学びとった者は、現世でも善を理解し、未来でも然りとある。 現世で『火水の教え』に巡り合えたものは永い過ちの因果から解き放たれるチャンスを得たのではないだろうか。人類にもこうして局面を迎えた時に火水(カミ)が道を示している奇跡を私は目の当たりにした。
カタカムナ71首を読み解く 人の一生をうつすことができ、去ることができる。
形なすの凡情(凡人の情。凡夫らしい低俗な心。つまらない感情。凡心。)の波浪(水面の上下運動。なみ。)の息は、有為(能力があること。役に立つこと。また、そのさま。)にして、四相(物事や生物の移り変わる姿を四つにまとめたもの。 万物の生滅・無常の姿を表す。 生まれる生、存在する住、変化する異、なくなる滅。 また、人の一生にたとえて、生・老・病・死。)うつされ来る有、去る有。 今、此稲荷の古伝に占るに、無生より現るる生、無形より顕すの形、いきは、盛者必衰会者定離しょうじゃひつめつえしゃじょうり(命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。)は、神仏の二道寛狭の異あれども、其法則違ざること、古伝に有りて明らか也。 71首ではとうとう自らの魂を浮き昇らせ時空を超え新たな体へと転生させる内容が明らかにされた。 死からの転生ではなく、自ら転生を行い時空を超えて天之御中主のめぐりの輪から自在にこの世をめぐることができると云う。 かつて、古代人は忽然とその消息を絶った歴史を見ても、このように自ら魂を転生させていたのかもしれない。 この71首を読み解く中で、猿田彦という名が脳裏に浮かんできた。 サルタヒコ・・・去る 列なりまろがる魂 天之御中主のめぐりの輪の正火の灵 在す処 と言靈にて読み解くことができる。 猿田彦とは天之御中主のめぐりの輪から、転生を繰り返し衆生を導いていた存在だとしたら、かつての弘法大使空海もまた連綿と繋がれた猿田彦の魂のひと時の顕現だったということに繋がる。 火水の教え、火水與(カミヨ)の理を世に説く者。それが猿田彦の役目だったのではないだろうか。 人の魂はすべて連綿と列なっており、また体も繋がり続けて今世を人として皆歩んでいる。各々の役割を今世で思い出すためにも森羅万象の理、つまり火水與(カミヨ)の仕組みを今一度学ぶ時ではないだろうか。
カタカムナ70首を読み解く 彼(か)の火水(星)になり輝くこと
天之御中主のめぐりの輪の原理を使い、カラダから魂を浮き出させ、転生させる奥義。憑依の原理と基本的鬼は同じ原理でカラダと魂を離しているが、70首での天之御中主のめぐりの輪は彼(か)の星ほし(火水)になることを目的としている。 彼(か)の星ほし(火水)とは果たしてどこまでの定義なのかはこの首では現されてはいなかったが、この先で明らかになってくるのかもしれない。 言靈による読み解きも今回かなり精査したが、まだまだ改善の余地はある。 70首に入り、カタカムナの生命の神秘の最深部にまで到達してきた感が有る。 魂、カラダ、氣。そして天之御中主のめぐりの輪の無限の可能性がさらに明らかになってゆくのだろう。 そして、これまで決して表の世界には出ることがなく、消えかけていた生命の神秘がこうして再び世に出されてゆくことに感慨深い物を感じてならない。 果たしてカタカムナ80首を読み解き終えた時にどのような景色が見えるのか既に想像の域を超えている。
天を常に回り、生まれ連なり始まり、そして終わる。 めぐりめくる魂と天之御中主。天之御中主はヒトのヘソとして輪廻転生を繰り返し、ヒトの魂も天を常にめぐりヒトに宿る時には天之御中主のヘソに搦みつくことで、魂とカラダと氣(イキ)がひとつに治っている。 ヒトは天之御中主を中心として人を構成している要素がひとつになり人として成り立っている。人とはなんなのか?魂とはなんなのか?その答えがこの69首に現されていた。人生の寿命が尽き果て肉体が滅びた時には魂だけへと再び戻る。 そして天をめぐり次に宿るカラダにめぐり合うまでめぐりめくっている。生命の中心は天之御中主がつかさどっている。人として生命を与えられた以上はこのことをしっかりと理解する必要がある。 さまざまな人種が生まれ最初は異なったものだったが、長い時間を経て薄れたものの天之御中主のゝは地球上全てに咲き別れ花開いている。 濃い時には狭く、薄くなるにつれて広がっていったということになる。薄くなってはいるものの全ての人類に長い時間をかけて広がった天之御中主のゝが一斉に花開くとき、世界は新たな早苗を芽吹くことだろう。人とは何か?この理をまず人類が知る必要がある。
カタカムナ68首を読み解く 自ずから宿る肉体を選び、この世に生まれてきている
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