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  • 東歌(35)・・・巻第14-3529

    訓読 >>> 等夜(とや)の野に兎(をさぎ)狙(ねら)はりをさをさも寝なへ児(こ)ゆゑに母にころはえ 要旨 >>> 等夜(とや)の野に兎を狙っているわけではないが、ろくすっぽ寝てもいないあの子なのに、母親にこっぴどく叱られてしまった。 鑑賞 >>> 「等夜の野」は、所在未詳。「等夜の野に兎ねらはり」は「をさをさ」を導く序詞。「兎(をさぎ)」は、兎の東語。娘に近づく機会を狙っているのを、兎を狙うことに喩えています。「をさをさ」は下に打消の語をともなう副詞で、ほとんどの意。「寝なへ」は、東語の打消しの助動詞「なふ」が更に訛ったもの。「ころはえ」は、大声で叱られる。兎は狩りなどでも身近な動物だったは…

  • 【為ご参考】賀茂真淵の『万葉考』

    江戸時代中期の国学者・歌人である賀茂真淵(1697~1769年)の著書には多くの歌論書があり、その筆頭が、万葉集の注釈書『万葉考』です。全20巻からなり、真淵が執筆したのは、『万葉集』の巻1、巻2、巻13、巻11、巻12、巻14についてであり、それらの巻を『万葉集』の原型と考えました。また、その総論である「万葉集大考」で、歌風の変遷、歌の調べ、主要歌人について論じています。 真淵の『万葉集』への傾倒は、歌の本質は「まこと」「自然」であり「端的」なところにあるのであって、偽りやこまごまとした技巧のようなわずらわしいところにはないとの考えが柱にあり、そうした実例が『万葉集』や『古事記』『日本書紀』…

  • 宴席の歌(7)・・・巻第18-4066~4069

    訓読 >>> 4066卯(う)の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)来(き)鳴き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも 4067二上(ふたがみ)の山に隠(こも)れる霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか君に聞かせむ 4068居(を)り明かしも今夜(こよひ)は飲まむほととぎす明けむ朝(あした)は鳴き渡らむそ 4069明日(あす)よりは継ぎて聞こえむほととぎす一夜(ひとよ)のからに恋ひ渡るかも 要旨 >>> 〈4066〉卯の花が咲く月がやってきた。ホトトギスよ、やって来て鳴き立てておくれ、花はまだ蕾みであっても。 〈4067〉二上山にこもっているホトトギスよ。今こそ鳴いてくれないか。わが君にお聞かせしたいか…

  • 恋ひ死なむ後は何せむ・・・巻第4-559~562

    訓読 >>> 559事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも 560恋ひ死なむ後(のち)は何せむ生ける日のためこそ妹(いも)を見まく欲(ほ)りすれ 561思はぬを思ふと言はば大野なる御笠(みかさ)の(もり)杜の神し知らさむ 562暇(いとま)なく人の眉根(まよね)をいたづらに掻(か)かしめつつも逢はぬ妹(いも)かも 要旨 >>> 〈559〉これまで何事もなく生きてきたのに、しだいに老いる頃に、何とまあ、こんな苦しい恋に出会ってしまいました。 〈560〉恋い焦がれて死んでしまったら何の意味もありません。生き長らえている今日の日のために、あなたの顔を見たいと思うのに…

  • 虎に乗り古屋を越えて・・・巻第16-3833

    訓読 >>> 虎(とら)に乗り古屋(ふるや)を越えて青淵(あをふち)に蛟龍(みつち)捕(と)り来(こ)む剣太刀(つるぎたち)もが 要旨 >>> 虎に乗って古屋を飛び越えて、青淵に棲む蛟龍(みづち)を生け捕りできる、そんな剣太刀がほしいものよ。 鑑賞 >>> 境部王(さかいべのおおきみ)が数種の物を詠んだ歌。境部王は穂積親王の子とあります。どうやら恐ろしいものを取り合わせた歌のようですが、「虎」は日本にはいませんから、大陸伝来の絵図などから想像したのでしょう。古屋がなぜ恐ろしいのか疑問に思いますが、昔は、人が住まない古屋や廃屋には鬼が住むとして忌避され、「虎や狼より古屋の雨漏りのほうが怖い」とい…

  • 恋の奴がつかみかかりて・・・巻第16-3816

    訓読 >>> 家に有る櫃(ひつ)に鏁(かぎ)刺し収(おさ)めてし恋の奴(やつこ)がつかみかかりて 要旨 >>> 家にある櫃に鍵をかけ、しまい込んでいたはずの、あの面倒な恋の奴めがつかみかかって来て。 鑑賞 >>> 穂積皇子(ほづみのみこ)の歌。左注に、宴会が盛り上がってきたときに、好んでこの歌を詠み、お定まりの座興となさった、とあります。一説によれば、穂積皇子は「つかみかかりて」と歌いながら、宴席に侍って酒を勧める女性に不意に抱きついて驚かせ、場の座興にしていたのだろうとも言われています。「櫃」は、蓋のついている木箱。「恋の奴」の「奴」は賤民身分の男の使用人のことで、ここでは自分を苦しめる「恋…

  • 海原の道に乗りてや・・・巻第11-2367

    訓読 >>> 海原(うなはら)の道に乗りてや我(あ)が恋ひ居(を)らむ 大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに 要旨 >>> 大海原の船路に乗って行方を託すように、私は苦しんでいなければならないのか。大船に乗ってゆったり構えているだろうあの子のせいで。 鑑賞 >>> 『古歌集』から採ったとある旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。「海原の道」は、海上には船を自然に目的地に運んでくれる道(潮流)があると考えられており、それによる表現。また、恋の状態を「道に乗る」と表現しています。「大船の」は「ゆたに」の枕詞。「ゆたに」はゆったりとして。

  • 駅路に引き舟渡し直乗りに・・・巻第11-2748~2749

    訓読 >>> 2748大船(おほぶね)に葦荷(あしに)刈り積みしみみにも妹(いも)は心に乗りにけるかも 2749駅路(はゆまぢ)に引き舟渡し直(ただ)乗りに妹(いも)は心に乗りにけるかも 要旨 >>> 〈2748〉大船に刈り取った葦をどっさり積んだように、あなたは私の心にどっしりと乗りかかってしまったよ。 〈2749〉宿駅の渡し場から舟を引いて一直線に向こう岸に渡るように、彼女はまっしぐらに私の心に乗りかかってしまった。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2748の上2句は「しみみに」を導く序詞。「しみみに」は密集しているさま。2749の上2句は「直乗り」を導く序詞。「駅…

  • 君に恋ひ萎えうらぶれ・・・巻第10-2298

    訓読 >>> 君に恋ひ萎(しな)えうらぶれ我(あ)が居(を)れば秋風吹きて月かたぶきぬ 要旨 >>> あなたに恋い焦がれ、打ちしおれてしょんぼりしている間に、秋風が吹き、いつの間にか月が西空に傾いてしまいました。 鑑賞 >>> 「月に寄せる」歌。「萎えうらぶれ」の「萎え」は萎(しお)れ、「うらぶれ」は物思いにしおれる意で、同じような意味の語を重ねたもの。男の通いは、月が出ている夜でなければならず、しかも夜が更けてからの通いは禁忌とされました。ここでは「月かたぶきぬ」とあるので、もはや男の訪れは期待できない状況を言っています。

  • 防人の歌(26)・・・巻第20-4352

    訓読 >>> 道の辺(へ)の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆のからまる君をはがれか行かむ 要旨 >>> 道ばたのいばらの先に豆のつるが絡みつくように、私に絡みついて離れない君を残して、別れて行かなければならないのか。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。上3句は「からまる」を導く序詞。「延ほ豆の」の「はほ」は「はふ」の方言。「君」は女が男に呼びかける語ですが、ここでは逆になっています。「はがる」は、離れる、別れる。 窪田空穂はこの歌について、「防人として発足した男を見送りして来た妻が、男がいざ別れようとすると、女は悲しみが極まり、すがりついて離れずにいるので、男は、こうした妻と別れて行くのだ…

  • 布勢の海の沖つ白波・・・巻第17-3991~3992

    訓読 >>> 3991もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)の 思ふどち 心(こころ)遣(や)らむと 馬(うま)並(な)めて うちくちぶりの 白波の 荒磯(ありそ)に寄する 渋谿(しぶたに)の 崎(さき)た廻(もとほ)り 松田江(まつだえ)の 長浜(ながはま)過ぎて 宇奈比川(うなひがは) 清き瀬ごとに 鵜川(うかは)立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽(あ)かにと 布勢(ふせ)海に 船浮け据(す)ゑて 沖辺(おきへ)漕(こ)ぎ 辺(へ)に漕ぎ見れば 渚(なぎさ)には あぢ群(むら)騒(さわ)き 島廻(しまみ)には 木末(こぬれ)花咲き ここばくも 見(み)のさやけきか 玉くしげ 二上…

  • 立山に降り置ける雪の常夏に・・・巻第17-4003~4005

    訓読 >>> 4003朝日さし そがひに見ゆる 神(かむ)ながら 御名(みな)に帯(お)ばせる 白雲(しらくも)の 千重(しへ)を押し分け 天(あま)そそり 高き立山(たちやま) 冬夏と 別(わ)くこともなく 白たへに 雪は降り置きて 古(いにしへ)ゆ あり来(き)にければ こごしかも 岩の神(かむ)さび たまきはる 幾代(いくよ)経(へ)にけむ 立ちて居(ゐ)て 見れども異(あや)し 嶺(みね)高(だか)み 谷を深みと 落ち激(たぎ)つ 清き河内(かふち)に 朝去らず 霧(きり)立ち渡り 夕されば 雲居(くもゐ)たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく …

  • 玉藻刈る沖辺は漕がじ・・・巻第1-72

    訓読 >>> 玉藻(たまも)刈る沖辺(おきへ)は漕(こ)がじ敷栲(しきたへ)の枕のあたり忘れかねつも 要旨 >>> 海女たちが玉藻を刈っている沖のあたりには舟を漕いでいくまい。昨夜旅の宿で枕を共にした女のことが、忘れられないから。 鑑賞 >>> 藤原宇合(ふじわらのうまかい)の歌。藤原宇合は不比等の3男で、藤原4家の一つである「式家」の始祖にあたります。若いころは「馬養」という名前でしたが、後に「宇合」の字に改めています。霊亀3年(717年)に遣唐副使として多治比県守 (たじひのあがたもり) らと渡唐。帰国後、常陸守を経て、征夷持節大使として陸奥の蝦夷 (えみし) 征討に従事、のち畿内副惣管、…

  • しかとあらぬ五百代小田を・・・巻第8-1592~1593

    訓読 >>> 1592しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田廬(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ 1593隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山は色づきぬ時雨(しぐれ)の雨は降りにけらしも 要旨 >>> 〈1592〉わずかばかりの五百代の田を、慣れない手つきでうまく刈れずに番小屋にいると、都のことが思い出される。 〈1593〉泊瀬の山は色づいてきたところです。山ではもう時雨が降ったのでしょうね。 鑑賞 >>> 天平11年(739年)9月、大伴坂上郎女が、竹田の庄で作った歌2首。「竹田の庄」は、大伴氏が有していた荘園の一つで、奈良県橿原市東竹田町、耳成山の北東の地にあったとされます…

  • 東歌(34)・・・巻第14-3544

    訓読 >>> 阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも 要旨 >>> 阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。 鑑賞 >>> 女の歌。「阿須可川」は、大和の明日香川か東国の川か未詳。「下濁れる」は、男が不誠実だった喩え。「背なな」は、女性から男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している歌です。

  • 標結ひて我が定めてし・・・巻第3-394

    訓読 >>> 標(しめ)結(ゆ)ひて我(わ)が定めてし住吉(すみのえ)の浜の小松は後(のち)も我(わ)が松 要旨 >>> 標を張って我がものと定めた住吉の浜の小松は、後もずっと私の松なのだ。 鑑賞 >>> 余明軍(よのみょうぐん)は、百済の王族系の人。帰化して大伴旅人の資人(つかいびと)となり、旅人が亡くなった時に詠んだ歌(巻第3-454~458)を残しています。「資人」は、高位の人に公に給される従者のことで、に主人の警固や雑役に従事しました。 「標」は、自分の所有であることを示す印。「住吉」は、大阪市住吉区。「小松」の「小」は、小さい意味ではなく、親しんで添えた語。松を女に喩えており、住吉の…

  • 高御座天の日継と・・・巻第18-4098~4100

    訓読 >>> 4098高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と 天(あめ)の下(した) 知らしめしける 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 畏(かしこ)くも 始めたまひて 貴(たふと)くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通(がよ)ひ 見(め)し給(たま)ふらし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)も 己(おの)が負(お)へる 己(おの)が名(な)負ひて 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに この川の 絶(た)ゆることなく この山の いや継(つ)ぎ継ぎに かくしこそ 仕(つか)へ奉(まつ)らめ いや遠長(とほなが)に 4099いにしへを思ほすらしも我(わ)ご大君(…

  • ゆくへなくありわたるとも霍公鳥・・・巻第18-4089~4092

    訓読 >>> 4089高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 聞こし食(を)す 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥(ももとり)の 来居(きゐ)て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別(わ)きて偲(しの)はむ 卯(う)の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめ草 玉 貫(ぬ)くまでに 昼暮らし 夜(よ)渡し聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし 4090ゆくへなくありわたるとも霍公鳥(ほととぎす)鳴きし渡らばかくや偲(しの)はむ 4091卯(う)の花のともにし鳴けば霍公鳥(ほととぎす…

  • 焼太刀を砺波の関に・・・巻第18-4085

    訓読 >>> 焼太刀(やきたち)を砺波(となみ)の関(せき)に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添へ君を留(とど)めむ 要旨 >>> 焼いて鍛えた太刀、その太刀を研ぐという砺波の関に、明日からは番人を増やして、あなたにゆっくり留まっていただきましょう。 鑑賞 >>> 天平勝宝元年(749年)5月5日、東大寺の占墾地使(せんこんじし)の僧(そう)平栄(へいえい)らをもてなした時、大伴家持が酒を僧に贈った歌。「占墾地使」は、寺院に認められた開墾地(荘園)の所属を確認する使者で、この時期、平栄らは越中に入って活動していました。 東大寺や中央貴族の墾田地(荘園)を占有するため、国守の家持にもそ…

  • 大伴家持が菟原処女の墓の歌に追同した歌・・・巻第19-4211~4212

    訓読 >>> 4211古(いにしへ)に ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継(つ)ぐ 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 妻問(つまど)ひしける 処女(をとめ)らが 聞けば悲しさ 春花(はるはな)の にほえ栄(さか)えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛(さか)りすら ますらをの 言(こと)いたはしみ 父母(ちちはは)に 申(まを)し別れて 家離(いへざか)り 海辺(うみへ)に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮(しほ)の 八重(やへ)波に 靡(なび)く玉藻(たまも)の 節(ふし)の間(ま)も …

  • 山の端のささら愛壮士・・・巻第6-983

    訓読 >>> 山の端(は)のささら愛壮士(えをとこ)天(あま)の原(はら)門(と)渡る光(ひかり)見らくし好(よ)しも 要旨 >>> 山の端に出てきた小さな月の美男子が、天の原を渡りつつ照らす光の何とすばらしい眺めでしょう。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女が詠んだ「月の歌」。「ささら愛壮士」の「ささら」は天上の地名、「愛壮士」は小さく愛らしい男の意で、月を譬えています。左注に、ある人が郎女に、月の別名をささらえ壮子というと話すと、郎女はその名に興味をもち、それを詠み込む形で一首にしようとした、とあります。「ささら愛壮士」を詠んだ歌は、集中この1首しかなく、月の中でも特に上弦の月をいったのではないか…

  • 春の日に張れる柳を取り持ちて・・・巻第19-4142

    訓読 >>> 春の日に張れる柳(やなぎ)を取り持ちて見れば都の大道(おほち)し思ほゆ 要旨 >>> 春の日に、芽吹いてきた柳の小枝を折り取って眺めると、奈良の都の大路が思い起こされてならない。 鑑賞 >>> 天平勝宝2年(750年)の3月2日、大伴家持が、新柳の枝を折り取って都を思う歌。この時33歳の家持は、越中での4度目の春を迎えていました。 「張れる」は、芽が出る、ふくらむ。「大道し」の「し」は強意。この歌から、当時の都大路の並木には柳が植えられていたことが分かります。柳は漢詩的な素材であり、柳葉は化粧をした女性の細い眉に譬えられます。家持は都大路のことを思い出すと同時に、都の美女たちのこ…

  • 春日なる御笠の山に・・・巻第7-1295

    訓読 >>> 春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に月の舟(ふね)出(い)づ遊士(みやびを)の飲む酒杯(さかづき)に影に見えつつ 要旨 >>> 春日の三笠の山に、船のような月が出た。風流な人たちが飲む酒杯の中に映り見えながら。 鑑賞 >>> 巻第7の「旋頭歌」の部の最後におかれたこの一首は、『柿本人麻呂歌集』からの歌や作者未詳歌が多い中にあって異彩を放つ歌となっています。庶民生活の味わいが濃く出ていた人麻呂歌集の歌とは違い、繊細美を愛する貴族趣味が横溢しています。詠まれた時代も奈良時代であり、歌の趣きからも明らかです。大伴家持の周辺の人々を思わせるもので、あるいは家持の作かもしれないといわれて…

  • 朱らひく膚に触れずて・・・巻第11-2399

    訓読 >>> 朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに 要旨 >>> 今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。「心を異しく」は、心が変わって。 男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきり…

  • 忘るやと物語りして・・・巻第12-2844~2847

    訓読 >>> 2844このころの寐(い)の寝(ね)らえぬは敷栲(しきたへ)の手枕(たまくら)まきて寝(ね)まく欲(ほ)りこそ 2845忘るやと物語りして心遣(こころや)り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり 2846夜も寝(ね)ず安くもあらず白栲(しろたへ)の衣(ころも)は脱かじ直(ただ)に逢ふまでに 2847後も逢はむ我(あ)にな恋ひそと妹(いも)は言へど恋ふる間(あひだ)に年は経(へ)につつ 要旨 >>> 〈2844〉このごろ寝るに寝られないのは、妻と手枕を交わして寝たいと思うからだ。 〈2845〉忘れられるかと、人と世間話などして気を紛らせて、物思いを消し去ろうとしたが、いっそう恋心は募るばかり…

  • 色に出でて恋ひば・・・巻第11-2566

    訓読 >>> 色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠(こも)り妻はも 要旨 >>> 顔色に出して恋い慕ったなら、人が見咎めて知るだろう、心のうちの隠し妻のことを。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「色に出でて」は、顔色に出して。「知りぬべし」は、知ってしまうだろうの意で、「知るべし」の強調。「隠り妻」は、まだ公表できず人目を避けて隠れている妻。「隠り」は隠れて見えないものを示すことばで、葦などが茂って水面がよく見えない入江は「隠江(こもりえ)」、草木に隠れて見えない沼は「隠沼(こもりぬ)」などといいます。 万葉時代の恋愛は自由で奔放だったと思われがちですが、今も…

  • 防人の歌(25)・・・巻第20-4418

    訓読 >>> 我が門(かど)の片山椿(かたやまつばき)まこと汝(な)れ我が手触れなな土に落ちもかも 要旨 >>> わが家の門の傍らに咲く椿の花よ。まことお前は私が手を触れない間に、地面に落ちてしまうのだろうか。 鑑賞 >>> 武蔵国の防人の歌。「片山椿」は、山の傾斜地に生えている椿のことですが、ここでは夫婦の片一方を残していくことの比喩。「触れなな」は「触れずに」の方言。「地に落ちもかも」は、留守中に周囲の若い男子のものとなりはしないだろうかとの、心配の譬喩。窪田空穂は、「隠喩仕立てにしているのは、若い防人の歌としてはふさわしくないまでの技巧であるが、女との関係がら、また場合がら、気分が複雑し…

  • 誰れそこのわが屋戸来喚ぶ・・・巻第11-2527

    訓読 >>> 誰(た)れそこのわが屋戸(やど)来(き)喚(よ)ぶたらちねの母にころはえ物思(ものも)ふわれを 要旨 >>> 誰なんですか? この家に来て私の名前を呼ぶのは。たった今お母さんに叱られて、物思いにふけっているというのに。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「たらちねの」は「母」の枕詞。「ころはえ」は、大声で叱られて。娘が男と今夜逢おうと母に打ち明けたものの、「あんな男はやめときなさい!」と叱られ、ちょうどその時、タイミング悪くその男がやって来たのでしょうか。この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に…

  • 笠なしと人には言ひて・・・巻第11-2684

    訓読 >>> 笠なしと人には言ひて雨(あま)障(つつ)み留(と)まりし君が姿し思ほゆ 要旨 >>> 笠がないのでと人には言って、雨宿りして泊まっていったあなたの姿が思い出されます。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「人には言ひて」の「人」は家人。「雨障み」は、雨を憚って。まだ家の人には夫婦として認められていなかった関係らしく、笠が無かったので仕方なく泊まったのだと言い訳したのでしょう。妻問い婚ならではの歌であり、実際の会話を彷彿とさせてくれます。

  • 我が恋は千引の石を・・・巻第4-743

    訓読 >>> 我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに 要旨 >>> 私の恋は、千人がかりで引く巨岩を七つも首にかけているほど苦しく重い。それも神の思し召しとあれば耐えなければならない。 鑑賞 >>> 大伴家持が、後に彼の正妻となった坂上大嬢に贈った歌。「千引の石」は、千人で引かないと動かない石で、『古事記』にも登場する、黄泉の国の入り口をふさいで、イザナギとイザナミを隔てた巨大な石のこと。大嬢への重い恋心に喩えていますが、あまりに大仰な表現であるため、歌の解釈として、真剣な訴えなのか、あるいは仲のよい恋人同士がじゃれ合うような遊び心の歌なのか、…

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