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  • 秋の雨に濡れつつ居れば・・・巻第8-1573

    訓読 >>> 秋の雨に濡(ぬ)れつつ居(を)ればいやしけど我妹(わぎも)が宿(やど)し思ほゆるかも 要旨 >>> 秋の雨に濡れて佇んでいると、粗末ながらも妻の住む家が思われてならない。 鑑賞 >>> 作者は大伴利上(おおとものとしかみ)とあるものの、他には見えず伝未詳。大伴村上(巻第8-1436~1437ほか)の誤りではないかともいわれます。「いやしけど」は、粗末だけれど、むさくるしいけれど。「かも」は詠嘆。遠くない旅先での歌ではないかとされます。 大伴村上は、宝亀2年に従五位下・肥後介となり、同3年従五位上で阿波守となった人。

  • 大伴坂上郎女の「神を祭る歌」・・・巻第3-379~380

    訓読 >>> 379ひさかたの 天(あま)の原より 生(あ)れ来(きた)る 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝に 白香(しらか)付く 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ堀りすゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(ひざ)折り伏して たわやめの 襲(おすひ)取りかけ かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも 380木綿(ゆふ)たたみ手に取り持ちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも 要旨 >>> 〈379〉高天原の神の御代から生まれ出た先祖の神よ。奥山から取ってきた賢木の枝に白香や木綿を取り付けて…

  • 筑紫で妻を亡くし、都に戻った大伴旅人が作った歌・・・巻第3-451~453

    訓読 >>> 451人もなき空しき家は草枕(くさまくら)旅にまさりて苦しくありけり 452妹として二人作りしわが山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも 453我妹子(わぎもこ)が植ゑし梅の木見るごとに心(こころ)咽(む)せつつ涙し流る 要旨 >>> 〈451〉妻のいない空しい我が家は、異郷筑紫にあった時より辛く苦しいものだ。 〈452〉大宰府から京にたどり着いた。亡くなった妻と二人で作り上げたわが家の庭は、木がずいぶん高くなってしまった。 〈453〉我が妻が、庭に植えた梅の木を見るたび、胸が一杯になって涙にむせんでしまう。 鑑賞 >>> 妻を亡くして帰京した作者が、わが家に帰り着いて作った歌。…

  • 宴席の歌(6)・・・巻第6-1024~1027

    訓読 >>> 1024長門(ながと)なる沖つ借島(かりしま)奥(おく)まへて我(あ)が思ふ君は千年(ちとせ)にもがも 1025奥(おく)まへて我(わ)れを思へる我(わ)が背子(せこ)は千年(ちとせ)五百年(いほとせ)ありこせぬかも 1026ももしきの大宮人(おほみやひと)は今日(けふ)もかも暇(いとま)をなみと里に行かずあらむ 1027橘(たちばな)の本(もと)に道(みち)踏(ふ)む八衢(やちまた)に物をぞ思ふ人に知らえず 要旨 >>> 〈1024〉私の任国、長門にある沖の借島のように、心奥深く思い慕っているあなた様は、千年先までご健勝であられますように。 〈1025〉心の奥深くに私を思ってい…

  • 筑紫で妻をなくした大伴旅人が帰京途上に作った歌・・・巻第3-446~450

    訓読 >>> 446吾妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき 447鞆(とも)の浦の磯(いそ)のむろの木見むごとに相(あひ)見し妹(いも)は忘らえめやも 448磯(いそ)の上に根(ね)這(は)ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか 449妹と来(こ)し敏馬(みぬめ)の崎を還(かへ)るさに独りし見れば涙ぐましも 450行くさにはふたり我が見しこの崎をひとり過ぐれば心悲しも 要旨 >>> 〈446〉大宰府に赴任する時には、一緒に見た鞆の浦のむろの木は、そのままに変わらずあるけれど、このたび帰京しようとしてここを通る時には妻は今はもうこの世にいない。…

  • 大伴旅人の帰京時に大宰府の官人たちが作った歌・・・巻第4-568~571

    訓読 >>> 568み崎廻(さきみ)の荒磯(ありそ)に寄する五百重波(いほへなみ)立ちても居(ゐ)ても我(あ)が思へる君 569韓人(からひと)の衣(ころも)染(そ)むといふ紫(むらさき)の心に染(し)みて思ほゆるかも 570大和へに君が発(た)つ日の近づけば野に立つ鹿(しか)も響(とよ)めてぞ鳴く 571月夜(つくよ)よし川の音(おと)清(きよ)しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ 要旨 >>> 〈568〉岬をめぐる荒磯に幾重にも立って寄せてくる波のように、立っても座っても、いつも慕いする我が君です。 〈569〉韓国(からくに)の人が衣を染めるという染料の紫のごとく心に染みて、このお別れが…

  • 大伴旅人が亡き妻を恋い慕って作った歌・・・巻第3-438~440

    訓読 >>> 438愛(うつく)しき人のまきてし敷妙(しきたへ)のわが手枕(たまくら)をまく人あらめや 439帰るべく時はなりけり都にて誰(た)が手本(たもと)をか我が枕(まくら)かむ 440都なる荒れたる家にひとり寝(ね)ば旅にまさりて苦しかるべし 要旨 >>> 〈438〉愛しい妻が枕として寝た、私のこの腕を枕とする人など他にいようか。 〈439〉いよいよ都に帰る時になった。しかし、その都で誰の袖を枕にしたらよいのか。妻はもういない。 〈440〉都にある荒れ果てた我が家で一人寝をするなら、今の旅寝よりもっと苦しいだろう。 鑑賞 >>> 大伴旅人が筑紫に赴任して間もない神亀5年(728年)初夏…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(16)・・・巻第15-3779~3781

    訓読 >>> 3779我(わ)が宿(やど)の花橘(はなたちばな)はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに 3780恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥(ほととぎす)物思(ものも)ふ時に来(き)鳴き響(とよ)むる 3781旅にして物思(ものも)ふ時に霍公鳥(ほととぎす)もとなな鳴きそ我(あ)が恋まさる 要旨 >>> 〈3779〉家の庭の花橘は、いたずらに散っていくままになっているのだろうか、誰も見る人もなく。 〈3780〉恋い死にしたいなら、そのまま死んでしまったらとでもいうのか、ホトトギスよ。物思いに沈んでいる時にやってきて鳴き立てるとは。 〈3781〉旅先にあって物思う時に、ホトトギスよ。わけもなく…

  • 倭姫大后の歌・・・巻第2-153

    訓読 >>> 鯨魚(いさな)取り 近江(あふみ)の海を 沖 放(さ)けて 漕ぎ来る船 辺(へ)付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かい) いたくな撥(は)ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ 要旨 >>> 鯨を取るような大きな近江の海、その沖遠くから漕ぎ来る船よ、岸近くに漕ぎ来る船よ、沖船の櫂よ、ひどく波を立てないで、岸船の櫂よ、ひどく波を立てないで、夫がいとしんだ水鳥が飛び立ってしまうではないか。 鑑賞 >>> 夫、天智天皇の死後、「殯(もがり)」の期間に倭姫(やまとひめ)大后が作った挽歌です。まだ墓も定まっていない時期で、琵琶湖上をひろく展望し、沖からこなたへ向かって来る…

  • 天智天皇崩御を悼む歌・・・巻第2-150~152ほか

    訓読 >>> 150うつせみし 神に堪(あ)へねば 離(さか)り居て 朝嘆く君 放(さか)り居て わが恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣(きぬ)ならば 脱(ぬ)く時もなく わが恋ふる 君そ昨(きぞ)の夜 夢に見えつる 151かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊(とま)りに標(しめ)結(ゆ)はましを 152やすみしし我ご大君(おほきみ)の大御船(おほみふね)待ちか恋ふらむ志賀(しが)の唐崎(からさき) 154楽浪(ささなみ)の大山守(おほやまもり)は誰(た)がためか山に標(しめ)結(ゆ)ふ君もあらなくに 要旨 >>> 〈150〉生身の体は神のお力には逆らえないので、遠く…

  • 大伴家持と紀女郎の歌(6)・・・巻第8-1510

    訓読 >>> なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我(わ)が標(し)めし野の花にあらめやも 要旨 >>> なでしこは咲いて散ったと人は言いますが、私が標をした野のなでしこでしょうか、そんなはずはない。 鑑賞 >>> 大伴家持が、紀女郎に贈った歌。「標め」は、自分のものとしてつける目印。「あらめやも」の「やも」は、反語。あるはずがない。なでしこを女郎に譬え、「他人は心変わりのことを色々と言うけれど、あなたは心変わりするはずはないですよね」との意味が込められています。女郎の答えた歌は載っていません。 詩人の大岡信は、家持と紀女郎の関係を歌から推測し(とくに1460・1461)、笠女郎などの場合とは違…

  • 防人の歌(19)・・・巻第20-4426~4428

    訓読 >>> 4426天地(あめつし)の神に幣(ぬさ)置き斎(いは)ひつついませ我(わ)が背(せ)な我(あ)れをし思はば 4427家(いは)の妹(いも)ろ我を偲ふらし真結(まゆす)ひに結(ゆす)ひし紐(ひも)の解くらく思へば 4428我が背(せ)なを筑紫(つくし)は遣(や)りて愛(うつくし)しみえひは解かななあやにかも寝(ね)む 要旨 >>> 〈4426〉天地の神々にお供え物をして、お祈りしながらいらっしゃい、あなた。私のことを思って下さるならば。 〈4427〉家にいる妻は私のことをしきりに偲んでいるらしい、しっかり結んだ着物の紐が解けてくるのを思うと。 〈4428〉うちの人を筑紫へ遣って、い…

  • 大伴家持と紀女郎の歌(5)・・・巻第8-1460~1463

    訓読 >>> 1460戯奴(わけ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(ちばな)そ食(を)して肥えませ 1461昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花(はな)君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ 1462我が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(ちばな)を喫(ほ)めどいや痩(や)せに痩(や)す 1463我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実にならじかも 要旨 >>> 〈1460〉あなたのために私がせっせと春の野で摘んだ茅花です。心して食べておふとりなさい。 〈1461〉昼に咲いて、夜は恋いつつ眠る合歓(ねむ)の木の花を、家のあるじだけが見て…

  • 大伴家持と紀女郎の歌(4)・・・巻第4-777~781

    訓読 >>> 777我妹子(わぎもこ)がやどの籬(まがき)を見に行かばけだし門(かど)より帰してむかも 778うつたへに籬(まがき)の姿(すがた)見まく欲(ほ)り行かむと言へや君を見にこ 779板葺(いたぶき)の黒木(くろき)の屋根は山近し明日(あす)の日取りて持ちて参(まゐ)り来(こ)む 780黒木(くろき)取り草も刈りつつ仕(つか)へめどいそしきわけとほめむともあらず [一云 仕ふとも] 781ぬばたまの昨夜(きぞ)は帰しつ今夜(こよひ)さへ我(わ)れを帰すな道の長手(ながて)を 要旨 >>> 〈777〉あなたの家の今造っているという垣根を見に行ったら、たぶん家へは上げず、門の所で追い返さ…

  • 大伴家持と紀女郎の歌(3)・・・巻第4-775~776

    訓読 >>> 775鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし郷(さと)ゆ思へどもなにそも妹(いも)に逢ふよしもなき 776言出(ことで)しは誰(た)が言(こと)なるか小山田(をやまだ)の苗代水(なわしろみづ)の中淀(なかよど)にして 要旨 >>> 〈775〉古さびた奈良の里にいた頃からあなたに恋焦がれていたのに、なぜお逢いする機会がないのでしょう。 〈776〉先に言い寄ったのはどこのどなただったかしら。山あいの苗代の水が淀んでいるように、途中で途絶えてしまって。 鑑賞 >>> 775は、大伴家持が紀女郎に贈った歌、776が、それに答えた紀女郎の歌です。775は、奈良にいた紀女郎が家持のいる恭仁京へ移り住…

  • 大伴家持と紀女郎の歌(2)・・・巻第4-769

    訓読 >>> ひさかたの雨の降る日をただひとり山辺(やまへ)に居(を)ればいぶせかりけり 要旨 >>> 雨が降る中、あなたのいない山裾でひとり過ごしていると、何とも心が晴れません。 鑑賞 >>> 大伴家持が紀女郎に答えて贈った歌とありますが、紀女郎から贈られた歌は載っていません。家持は、いまだ整わない新都の恭仁京にいて、奈良にいた女郎に贈った歌のようです。「ひさかたの」は「雨」の枕詞。「山辺」は、恭仁京における家持の宅があった場所ですが、どの山かは不明です。「いぶせかりけり」は、心が晴れない、うっとうしいことだ。 斎藤茂吉は、この歌について「もっと上代の歌のように、蒼古(そうこ)というわけには…

  • 大伴家持と紀女郎の歌(1)・・・巻第4-762~764

    訓読 >>> 762神(かむ)さぶと否(いな)にはあらずはたやはたかくして後(のち)に寂(さぶ)しけむかも 763玉の緒(を)を沫緒(あわを)に搓(よ)りて結(むす)べらばありて後(のち)にも逢はざらめやも 764百年(ももとせ)に老舌(おいした)出(い)でてよよむとも我れはいとはじ恋ひは増すとも 要旨 >>> 〈762〉もう年を取ったからって受け入れたくないわけではありません。でもひょっとして、拒んだ後になって寂しく思うのかも。 〈763〉お互いの玉の緒を、沫緒(あわお)のように縒り合わせて結んでおいたなら、生き永らえて、いつかお逢いできるかもしれないではありませんか。 〈764〉あなたが百…

  • 我が岡にさを鹿来鳴く・・・巻第8-1541~1542

    訓読 >>> 1541我(わ)が岡(をか)にさを鹿(しか)来鳴(きな)く初萩(はつはぎ)の花妻(はなづま)どひに来鳴くさを鹿 1542我(わ)が岡(をか)の秋萩(あきはぎ)の花(はな)風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも 要旨 >>> 〈1541〉我が家の岡に壮鹿が来て鳴いている。初萩の花を妻として訪ね来て鳴いている牡鹿よ。 〈1542〉我が家の岡の秋萩の花は、風が強いので今にも散りそうになっている。その前に来て見る人があればいいのにな。 鑑賞 >>> 大宰府に赴任している大伴旅人が詠んだ歌。1541の「我が岡」は、旅人が住んでいる岡の意で、大宰府の近くにある岡。「花妻」は、新婚時の妻の称で、…

  • 剣太刀身に取り副ふと・・・巻第4-604~606

    訓読 >>> 604剣(つるぎ)太刀(たち)身に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ何の兆(さが)そも君に逢はむため 605天地(あめつち)の神の理(ことわり)なくはこそ我(あ)が思ふ君に逢はず死にせめ 606我(わ)れも思ふ人もな忘れおほなわに浦(うら)吹く風のやむ時もなし 要旨 >>> 〈604〉昨夜、剣太刀を帯びる夢を見ました。何の兆しでしょうか。あなたに逢える兆しでしょうか。 〈605〉天地の神々に正しい道理がなければ、結局私は、あなたに逢えないまま死んでしまうでしょう。 〈606〉私もあなたを思っていますから、あなたも私のことを忘れないで下さい。浦にいつも吹いている風のように止む時もなく…

  • さざれ波浮きて流るる泊瀬川・・・巻第13-3225~3226

    訓読 >>> 3225天雲(あまくも)の 影さへ見ゆる 隠(こも)くりの 泊瀬(はつせ)の川は 浦なみか 舟の寄り来(こ)ぬ 磯(いそ)なみか 海人(あま)の釣(つり)せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 磯はなくとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕入(こぎ)り来(こ) 海人の釣船(つりぶね) 3226さざれ波(なみ)浮きて流るる泊瀬川(はつせがわ)寄るべき磯のなきがさぶしさ 要旨 >>> 〈3225〉空に浮かぶ雲の影までくっきり映し出す泊瀬の川は、よい浦がないので舟が来ないのか、それともよい磯がないので海人が釣りをしないのか。たとえよい浦がなくてもかまわない、よい磯がなくてもかまわない。沖から…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(15)・・・巻第15-3775~3778

    訓読 >>> 3779我(わ)が宿(やど)の花橘(はなたちばな)はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに 3780恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥(ほととぎす)物思(ものも)ふ時に来(き)鳴き響(とよ)むる 3781旅にして物思(ものも)ふ時に霍公鳥(ほととぎす)もとなな鳴きそ我(あ)が恋まさる 要旨 >>> 〈3779〉家の庭の花橘は、いたずらに散っていくままになっているのだろうか、誰も見る人もなく。 〈3780〉恋い死にしたいなら、そのまま死んでしまったらとでもいうのか、ホトトギスよ。物思いに沈んでいる時にやってきて鳴き立てるとは。 〈3781〉旅先にあって物思う時に、ホトトギスよ。わけもなく…

  • いつもいつも来ませわが背子・・・巻第4-490~491

    訓読 >>> 490真野(まの)の浦の淀(よど)の継橋(つぎはし)心ゆも思へや妹(いも)が夢(いめ)にし見ゆる 491川の上(へ)のいつ藻(も)の花のいつもいつも来(き)ませわが背子(せこ)時じけめやも 要旨 >>> 〈490〉真野の浦の継橋のように、絶えず私を思ってくれているからだろうか、夢にあなたが現れるのは。 〈491〉川のほとりのいつ藻の花のように、いつもいつも来てください、あなた。私に都合が悪いなどということがあるものですか。 鑑賞 >>> 題詞に「吹黄刀自(ふふきのとじ)が歌2首」とあるものの、490は男の歌で、491が刀自の答えた歌とされます。490の「真野の浦」は、神戸市長田区…

  • 隼人の薩摩の瀬戸を・・・巻第3-248

    訓読 >>> 隼人(はやひと)の薩摩(さつま)の瀬戸を雲居(くもゐ)なす遠くも我(わ)れは今日(けふ)見つるかも 要旨 >>> 隼人の住む薩摩の瀬戸よ、その瀬戸を、空の彼方の雲のように遙か遠くだが、私は今この目に見納めた。 鑑賞 >>> 長田王が筑紫に派遣され、薩摩国に赴いたときに作った歌。『万葉集』の歌のなかで、最も南の地で詠まれた歌とされ、船中にあって、海上遠く薩摩の瀬戸を眺望して詠んだ趣きです。当時の薩摩は、朝廷の影響力がなかなか及ばず、問題の多い所だったといいます。「隼人」は、大隅・薩摩地方の精悍な部族。「薩摩の瀬戸」は、鹿児島県阿久根市黒之浜と天草諸島の長島との間の海峡。 なお、巻第…

  • 神さびをるかこれの水島・・・巻第3-245~247

    訓読 >>> 245聞きしごとまこと尊(たふと)く奇(くす)しくも神(かむ)さびをるかこれの水島(みづしま) 246芦北(あしきた)の野坂(のさか)の浦ゆ船出(ふなで)して水島に行かむ波立つなゆめ 247沖つ波辺波(へなみ)立つともわが背子(せこ)がみ船(ふね)の泊(とま)り波立ためやも 要旨 >>> 〈245〉かねて話に聞いていたとおり、尊くて霊妙で神々しく見えることか、この水島は。 〈246〉芦北の野坂の浦から船出して、水島に行こうと思う。波よ、決して立ってくれるなよ。 〈247〉沖の波や岸の波が立とうとも、あなたの御船の着く所に、波が立ちましょうか、立ちはしません。 鑑賞 >>> 245…

  • 山辺の御井を見がてり・・・巻第1-81~83

    訓読 >>> 81山辺(やまのへ)の御井(みゐ)を見がてり神風(かむかぜ)の伊勢娘子(いせをとめ)どもあひ見つるかも 82うらさぶる心さまねしひさかたの天(あま)のしぐれの流らふ見れば 83海(わた)の底(そこ)沖つ白波(しらなみ)龍田山(たつたやま)いつか越えなむ妹(いも)があたり見む 要旨 >>> 〈81〉山辺の御井を見に訪ねると、はからずも、伊勢の美しい乙女たちに出逢うことができた。 〈82〉うら寂しい思いでいっぱいになる。天からしぐれが流れるように降ってくるのを見ると。 〈83〉海の沖に白波が立つ、その立つという名の竜田山、あの山をいつ越えられるのだろうか。早くこの山を越えて彼女の家の…

  • 我が背子は相思はずとも・・・巻第4-613~617

    訓読 >>> 613もの思(も)ふと人に見えじとなまじひに常(つね)に思へり在(あ)りぞかねつる 614相思(あひおも)はぬ人をやもとな白栲(しろたへ)の袖(そで)漬(ひ)つまでに音(ね)のみし泣くも 615我(わ)が背子(せこ)は相思(あふおも)はずとも敷栲(しきたへ)の君が枕(まくら)は夢(いめ)に見えこそ 616剣大刀(つるぎたち)名の惜(を)しけくも我(わ)れはなし君に逢はずて年の経(へ)ぬれば 617葦辺(あしへ)より満ち来る潮(しほ)のいや増しに思へか君が忘れかねつる 要旨 >>> 〈613〉物思いをしているのを人に気づかれまいと、無理に平気を装っています。でも本当は生きていられぬ…

  • 秋風の清き夕に天の川・・・巻第10-2042~2044

    訓読 >>> 2042しばしばも相(あひ)見ぬ君を天の川 舟出(ふなで)早(はや)せよ夜(よ)の更けぬ間に 2043秋風の清き夕(ゆふへ)に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士(つきひとをとこ) 2044天の川 霧(きり)立ちわたり彦星(ひこほし)の楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ夜(よ)の更けゆけば 要旨 >>> 〈2042〉たびたび逢えないあなたですのに、天の川に早く舟出して下さい。夜が更ける前に。 〈2043〉秋風がすがすがしい今夜、天の川に舟を出して漕ぎ渡っている、月人壮士が。 〈2044〉天の川に霧がたちこめてきて、彦星が舟を漕ぐ楫の音が聞こえる。次第に夜が更けてゆくと。 鑑賞 >>> 七夕の歌。2…

  • 柿本人麻呂、妻が亡くなった後に作った歌(3)・・・巻第2-213~216

    訓読 >>> 213うつそみと 思ひし時に 携(たづさ)はり 我(わ)が二人見し 出で立ちの 百枝槻(ももえつき)の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど たのめりし 妹にはあれど 世の中を 背(そむ)きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白たへの 天領巾隠(あまひれがく)り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入り日なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり子の 乞(こ)ひ泣くごとに 取り委(まか)す 物しなければ 男じもの 腋(わき)ばさみ持ち 我妹子と 二人わが寝し 枕づく 嬬屋(つまや)のうちに 昼は う…

  • 柿本人麻呂、妻が亡くなった後に作った歌(2)・・・巻第2-210~212

    訓読 >>> 210うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走出(はしりで)の 堤(つつみ)に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背(そむ)きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白妙(しろたへ)の 天(あま)領巾(ひれ)隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 吾妹子が 形見に置ける みどり児の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物し無ければ 男じもの 腋(わき)ばさみ持ち 吾妹子と 二人わが宿(ね)し 枕づく 嬬屋(つまや)の内に 昼はもうらさび暮し 夜はも 息づき明(あか)…

  • 柿本人麻呂、妻が亡くなった後に作った歌(1)・・・巻第2-207~209

    訓読 >>> 207天(あま)飛ぶや 軽(かる)の路(みち)は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ 狭根葛(さねかづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ憑(たの)みて 玉かぎる 磐垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くが如(ごと) 照る月の 雲隠る如(ごと) 沖つ藻の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみちば)の 過ぎて去にきと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あづさゆみ) 音に聞きて 言はむ術(すべ) 為(せ)むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば …

  • あぢさはふ妹が目離れて・・・巻第6-942~945

    訓読 >>> 942あぢさはふ 妹が目(め)離(か)れて しきたへの 枕も巻かず 桜皮(かには)巻き 作れる舟に 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き 我(わ)が榜(こ)ぎ来れば 淡路の 野島(のしま)も過ぎ 印南都麻(いなみつま) 辛荷(からに)の島の 島の際(ま)ゆ 我家(わぎへ)を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重(ちへ)になり来ぬ 榜(こ)ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈(くま)も置かず 思ひぞ我(わ)が来る 旅の日(け)長み 943玉藻(たまも)刈る辛荷(からに)の島に島廻(しまみ)する鵜(う)にしもあれや家思はざらむ 944島隠(しまがく)り吾(わ)が榜(こ)ぎ来れば羨…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(14)・・・巻第15-3775~3778

    訓読 >>> 3775あらたまの年の緒(を)長く逢はざれど異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに3776今日(けふ)もかも都なりせば見まく欲(ほ)り西の御馬屋(みまや)の外(と)に立てらまし 3777昨日(きのふ)今日(けふ)君に逢はずてする術(すべ)のたどきを知らに音(ね)のみしぞ泣く3778白栲(しろたへ)の我(あ)が衣手(ころもで)を取り持ちて斎(いは)へ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢ふまでに 要旨 >>> 〈3775〉長い間逢わないでいるけれど、不実な心など私は抱いたことなどありません。 〈3776〉都にいたなら、今日もまたあなたに逢いたくて、西の御馬屋の外に佇んでいることだ…

  • かくばかり雨の降らくに・・・巻第10-1963

    訓読 >>> かくばかり雨の降らくに霍公鳥(ほととぎす)卯(う)の花山(はなやま)になほか鳴くらむ 要旨 >>> こんなにも雨が降り続くのに、ホトトギスは、卯の花が咲きにおう山辺で、今もなお鳴いているのだろうか。 鑑賞 >>> 鳥を詠む歌。「雨の降らくに」は、雨の降ることであるのに。「卯の花山」は、卯の花の咲いている山。「なほか鳴くらむ」は、それでも鳴いているのであろうか。 花が「卯の花」と呼ばれるウツギは、日本と中国に分布するアジサイ科の落葉低木です。 花が旧暦の4月「卯月」に咲くのでその名が付いたと言われる一方、卯の花が咲く季節だから旧暦の4月を卯月と言うようになったとする説もあり、どちら…

  • 彦星と織女と今夜逢ふ・・・巻第10-2039~2041

    訓読 >>> 2039恋しけく日(け)長きものを逢ふべくある宵(よひ)だに君が来まさずあるらむ 2040彦星(ひこほし)と織女(たなばたつめ)と今夜逢ふ天の川門(かはと)に波立つなゆめ 2041秋風の吹きただよはす白雲(しらくも)は織女(たなばたつめ)の天(あま)つ領巾(ひれ)かも 要旨 >>> 〈2039〉恋しく思う日々は長かったのに、お逢いできるはずの今宵さえ、どうしてあの人はおいでにならないのだろうか。 〈2040〉彦星と織女星とが今夜逢う、天の川の渡りに、波よ決して立たないで。 〈2041〉秋風が吹き漂わせている白雲は、織女の領巾ではないでしょうか。 鑑賞 >>> 七夕の歌。2040の…

  • 雨降らずとの曇る夜の・・・巻第3-370

    訓読 >>> 雨降らずとの曇(ぐも)る夜(よ)のしめじめと恋ひつつ居(を)りき君待ちがてり 要旨 >>> 雨は降らないが、空一面に曇っている夜に、しみじみと恋い焦がれておりました。あなたをお待ちしながら。 鑑賞 >>> 中納言阿倍広庭卿の歌。阿倍広庭(あべのひろにわ)は、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)の子。聖武天皇即位の前後に従三位に叙せられ、神亀4年(727年)に中納言に任ぜられた人で、長屋王政権下で順調に昇進を果たしました。『万葉集』には4首の歌があります。 「との曇る」は、一面に曇る。「しめじめと」の原文「潤濕跡」とあるのは難訓で、「ぬるぬると」「潤(ぬ)れ湿(ひ)づと」などと訓むも…

  • 孝謙天皇の御製歌・・・巻第19-4264~4265

    訓読 >>> 4264そらみつ 大和(やまと)の国は 水の上(うへ)は 地(つち)行くごとく 船の上(うへ)は 床(とこ)に居(を)るごと 大神(おほかみ)の 斎(いは)へる国そ 四(よ)つの船 船(ふな)の舳(へ)並べ 平(たひ)らけく 早(はや)渡り来て 返り言(こと) 奏(まを)さむ日に 相(あひ)飲まむ酒(き)そ この豊御酒(とよみき)は 4265四(よ)つの船(ふね)早(はや)帰り来(こ)と白香(しらか)付く我(わ)が裳(も)の裾(すそ)に斎(いは)ひて待たむ 要旨 >>> 〈4264〉大和の国は、水上にあっては地上を行く如く、船上にあっては床にいる如く、大神が慎み守りたまう国である…

  • 語り継ぐからにもここだ恋しきを・・・巻第9-1801~1803

    訓読 >>> 1801古(いにしへ)の ますら壮士(をとこ)の 相競(あひきほ)ひ 妻問(つまど)ひしけむ 葦屋(あしのや)の 菟原処女(うなひをとめ)の 奥(おく)つ城(き)を 我(わ)が立ち見れば 永(なが)き世の 語りにしつつ 後人(のちひと)の 偲(しの)ひにせむと 玉桙(たまほこ)の 道の辺(へ)近く 岩(いは)構(かま)へ 作れる塚(つか)を 天雲(あまくも)の そきへの極(きは)み この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ 或る人は 音(ね)にも泣きつつ 語り継ぎ 偲ひ継ぎ来る 処女(をとめ)らが 奥(おく)つ城(き)所(ところ) 我(わ)れさへに 見れば悲しも 古(いに…

  • あり通ふ難波の宮は・・・巻第6-1062~1064

    訓読 >>> 1062やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の あり通(がよ)ふ 難波(なには)の宮は いさなとり 海(うみ)片付(かたづ)きて 玉(たま)拾(ひり)ふ 浜辺(はまへ)を近み 朝(あさ)羽振(はふ)る 波の音(おと)騒(さわ)き 夕なぎに 楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ 暁(あかとき)の 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)の 潮干(しほひ)の共(むた) 浦渚(うらす)には 千鳥(ちどり)妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)が音(ね)響(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲(ほ)りする 御食(みけ)向(むか)ふ 味経(あじふ)の宮は 見れど飽(あ)かぬかも 1…

  • 荒墟となった恭仁京を悲しむ歌・・・巻第6-1059~1061

    訓読 >>> 1059三香原(みかのはら) 久邇(くに)の都は 山高く 川の瀬清み 住み良しと 人は言へども あり良しと 我(わ)れは思へど 古(ふ)りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか 三諸(みもろ)つく 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 咲く花の 色めづらしく 百鳥(ももとり)の 声なつかしき ありが欲(ほ)し 住みよき里の 荒るらく惜(を)しも 1060三香(みか)の原(はら)久邇(くに)の京(みやこ)は荒れにけり大宮人(おほみやひと)の移ろひぬれば 1061咲く花の色は変はらずももしきの大宮人(おほみやひと)ぞ立ちかはりける 要旨…

  • 逢はなくは然もありなむ・・・巻第12-3103~3104

    訓読 >>> 3103逢はなくは然(しか)もありなむ玉梓(たまづさ)の使(つかひ)をだにも待ちやかねてむ 3104逢はむとは千度(ちたび)思へどあり通(がよ)ふ人目(ひとめ)を多み恋つつぞ居(を)る 要旨 >>> 〈3103〉逢えないことがあるのは仕方ないでしょう。だけど、お便りを運ぶ使いさえも待ちわびなければならないのでしょうか。 〈3104〉逢いたいとは何度も思っていますが、ひっきりなしに往き来する人の目が多いので、ただ恋いつついることです。 鑑賞 >>> 問答歌。3103は、男の疎遠を恨んだ女の歌、3104はそれに返した男の歌。3103の「然もありなむ」は、それも仕方がない。「玉梓の」は…

  • 東歌(29)・・・巻第14-3358~3360

    訓読 >>> 3358さ寝(ぬ)らくは玉の緒(を)ばかり恋ふらくは富士の高嶺(たかね)の鳴沢(なるさは)のごと 3359駿河(するが)の海おし辺(へ)に生(お)ふる浜つづら汝(いまし)を頼み母に違(たが)ひぬ [一云 親に違ひぬ] 3360伊豆(いづ)の海に立つ白波(しらなみ)のありつつも継(つ)ぎなむものを乱れしめめや[或本の歌には「白雲の絶えつつも継がむと思へや乱れそめけむ」といふ] 要旨 >>> 〈3358〉共寝をするのは玉の緒ほどに短く、逢えずに恋うる心は、富士の高嶺の鳴沢のように深く激しい。 〈3359〉駿河の海の磯辺に生えて延び続ける浜のつる草のように、末長くあなたを頼りにしようと…

  • 菟原処女(うなひをとめ)伝説・・・巻第9-1809~1811

    訓読 >>> 1809葦屋(あしのや)の 菟原処女(うなひをとめ)の 八年子(やとせこ)の 片生(かたお)ひの時ゆ 小放(をばな)りに 髪たくまでに 並び居(を)る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 隠(こも)りて居(を)れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の 伏屋(ふせや)焚(た)き すすし競(きほ)ひ 相よばひ しける時は 焼太刀(やきたち)の 手かみ押しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負ひて 水に入(い)り 火にも入(い)らむと 立ち向ひ 競ひし時に 我妹子(わぎもこ)が 母に語らく しつたまき いやしき我が故…

  • 織女の五百機立てて織る布の・・・巻第10-2034~2036

    訓読 >>> 2034織女(たなばた)の五百機(いほはた)立てて織(お)る布の秋さり衣(ごろも)誰(た)れか取り見む 2035年にありて今か巻くらむぬばたまの夜霧隠(よぎりごも)れる遠妻(とほづま)の手を 2036我(あ)が待ちし秋は来(きた)りぬ妹(いも)と我(あ)れと何事あれぞ紐(ひも)解かずあらむ 要旨 >>> 〈2034〉織姫がたくさんの機(はた)を立てて織る布、その布で縫う秋の衣は、誰が着るのだろうか。 〈2035〉一年ぶりに今ごろは、腕を枕に寝ているだろうか、夜霧に隠れて、遠方にいた妻の腕を。 〈2036〉私が待ちに待った秋がついにやってきた。わが妻と私は、何事があろうとも紐を解か…

  • 思ふにし死にするものにあらませば・・・巻第4-603

    訓読 >>> 思ふにし死にするものにあらませば千(ち)たびぞ我(わ)れは死に返(かへ)らまし 要旨 >>> 人が恋焦がれて死ぬというのでしたら、私は千度でも死んでまた生き返ることでしょう。 鑑賞 >>> 笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌。「思ふにし」の「し」は、強意。「ませば~まし」は、反実仮想。「死に返る」は「生き返る」の反対の言い方になっていますが、ここでは恋死にすることに強い意味を置いているためで、誇張した表現になっています。この歌は、『人麻呂歌集』にある「恋するに死にするものにあらませば我が身は千たび死に返らまし」(巻第11-2390)の歌を原拠としているようです。

  • ますらをの弓末振り起し射つる矢を・・・巻第3-364~365

    訓読 >>> 364ますらをの弓末(ゆずゑ)振り起(おこ)し射(い)つる矢を後(のち)見む人は語り継(つ)ぐがね 365塩津山(しほつやま)打ち越え行けば我(あ)が乗れる馬ぞつまづく家(いへ)恋ふらしも 要旨 >>> 〈364〉立派な男子たる私が弓の先端を振り起こして射かけた矢、その矢の見事さは後の世の人が語り継いでいくだろう。 〈365〉塩津山を越えていくとき、私の乗っている馬がつまづいた。家で妻が私を恋しがっているからだろう。 鑑賞 >>> 笠金村が塩津山で作った歌。「塩津山」は、琵琶湖北端の地、長浜市西浅井町塩津浜から敦賀に越えて行く塩津越えの山。越前から運ばれてきた塩をここから都に湖上…

  • うち鼻ひ鼻をぞひつる・・・巻第11-2637

    訓読 >>> うち鼻(はな)ひ鼻をぞひつる剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹(いも)し思ひけらしも 要旨 >>> くしゃみが出る、またくしゃみが出る。どうやら、腰に帯びる剣大刀のようにいつも寄り添ってくれている妻が、私のことを思ってくれているらしい。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「鼻ふ」は。くしゃみをする意。くしゃみは恋人に逢える前兆とされました。「剣太刀」は「身に添ふ」の枕詞。「けらし」は「ける・らし」の転。「らし」は根拠に基づく推定。

  • 浅緑染め懸けたりと見るまでに・・・巻第10-1846~1849

    訓読 >>> 1846霜(しも)枯(が)れの冬の柳(やなぎ)は見る人のかづらにすべく萌(も)えにけるかも 1847浅緑(あさみどり)染め懸けたりと見るまでに春の柳(やなぎ)は萌(も)えにけるかも 1848山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川柳(かはやぎ)は萌(も)えにけるかも 1849山の際(ま)の雪の消(け)ざるをみなぎらふ川の沿ひには萌(も)えにけるかも 要旨 >>> 〈1846〉霜で枯れた冬の柳は、見る人の髪飾りにしたらよいほどに、芽が出ていることだ。 〈1847〉まるで浅緑色に染めた糸をかけたように、春の柳が芽吹いていることだ。 〈1848〉山間には雪が降っているけれども、この川…

  • 防人の歌(18)・・・巻第20-4401~4403

    訓読 >>> 4401韓衣(からころむ)裾(すそ)に取り付き泣く子らを置きてぞ来(き)ぬや母(おも)なしにして4402ちはやぶる神の御坂(みさか)に幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ふ命(いのち)は母父(おもちち)がため4403大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み青雲(あをくむ)のとのびく山を越よて来(き)ぬかむ 要旨 >>> 〈4401〉私の裾に取りすがって泣く子らを置いて来た。子には母親もいないというのに。 〈4402〉神様のいらっしゃる御坂にお供えをし、わが命の無事をお祈りするのは母と父のためなのだ。 〈4403〉大君のご命令を畏んで、青雲のたなびく山を越えてやって来た。 鑑賞 >…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(13)・・・巻第15-3771~3774

    訓読 >>> 3771宮人(みやひと)の安寐(やすい)も寝(ね)ずて今日今日(けふけふ)と待つらむものを見えぬ君かも 3772帰りける人(ひと)来(きた)れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて 3773君が共(むた)行かましものを同じこと後(おく)れて居(お)れど良きこともなし 3774我(わ)が背子(せこ)が帰り来まさむ時のため命(いのち)残さむ忘れたまふな 要旨 >>> 〈3771〉宮廷に仕える私は安眠もできず、お帰りを今日か今日かとお待ちしているのですが、お姿を見ることはありません。 〈3772〉赦されて帰ってきた人たちが着いたと聞いて、もうほとんど死ぬところでした。もしやあなたと思…

  • 遣新羅使人の歌(12)・・・巻第15-3605~3609

    訓読 >>> 3605わたつみの海に出(い)でたる飾磨川(しかまがは)絶えむ日にこそ我(あ)が恋やまめ 3606玉藻(たまも)刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)が崎に廬(いほ)りす我(わ)れは 3607白たへの藤江(ふぢゑ)の浦に漁(いざ)りする海人(あま)とや見らむ旅行く我(わ)れを 3608天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)を恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より家のあたり見ゆ 3609武庫(むこ)の海の庭(には)よくあらし漁(いざ)りする海人(あま)の釣舟(つりぶね)波の上ゆ見ゆ 要旨 >>> 〈3605〉大海に流れ出るあの飾磨川の流れが、もし絶えることでもあれば、…

  • 聖武天皇の印南野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-935~937

    訓読 >>> 935名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆(まつほ)の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしほ)焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行(ゆ)かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわやめの 思ひたわみて た廻(もとほ)り 我(あ)れはぞ恋ふる 舟梶(ふなかじ)をなみ 936玉藻(たまも)刈る海人娘子(あまをとめ)ども見に行かむ舟楫(ふなかぢ)もがも波高くとも 937行き廻(めぐ)り見(み)とも飽(あ)かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白波 要旨 >>> 〈935〉名寸隅(なきすみ)の舟着き場か…

  • 四極山うち越え見れば・・・巻第3-272~273

    訓読 >>> 272四極山(しはつやま)うち越え見れば笠縫(かさぬひ)の島(しま)漕(こ)ぎ隠(かく)る棚(たな)なし小舟(をぶね) 273磯(いそ)の崎(さき)漕(こ)ぎ廻(た)み行けば近江(あふみ)の海(み)八十(やそ)の港に鶴(たづ)さはに鳴く 要旨 >>> 〈272〉四極山を越えて、見ると笠縫の島の辺りを漕いで姿を消していった船棚のない小舟よ。 〈273〉出入りの多い琵琶湖の岸を漕ぎ廻っていくと、多くの港ごとに鶴がさかんに鳴いている。 鑑賞 >>> 題詞に「高市連黒人が羈旅の歌八首」とあるうちの2首。272の「四極山」も「笠縫の島」も、所在は不明ですが、前後の歌がすべて東国の地を詠んで…

  • 大原のこの市柴の何時しかと・・・巻第4-513

    訓読 >>> 大原のこの市柴(いちしば)の何時(いつ)しかと我(わ)が思(も)ふ妹(いも)に今夜(こよひ)逢へるかも 要旨 >>> 大原のこの柴の木のようにいつしか逢えると思っていた人に、今夜という今夜はとうとう逢えることができた。 鑑賞 >>> 志貴皇子(しきのみこ)が、ようやく逢うことのできた「妹」と呼ぶ女性に与えた歌。上2句が、類音で「何時しか」を導く序詞。眼前の景色を捉えるとともに、「何時しか」を強め、強く待ち望みながら、逢えた喜びの深さを表しています。「大原」は、奈良県明日香村の小原(おうばら)。「市柴」は、繁った柴のことか。「柴」は、雑木。山野などで男女が逢うのは、人目を避けるため…

  • 朝霧のおほに相見し人故に・・・巻第4-599~601

    訓読 >>> 599朝霧(あさぎり)のおほに相(あひ)見し人(ひと)故(ゆゑ)に命(いのち)死ぬべく恋ひわたるかも 600伊勢の海の磯(いそ)もとどろに寄する波(なみ)畏(かしこ)き人に恋ひわたるかも 601心ゆも我(わ)は思はずき山川(やまかは)も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは 要旨 >>> 〈599〉朝霧の中で見るように、ぼんやりと見ただけの人なのに、私はあなたに死ぬほど恋しています。 〈600〉伊勢の海にとどろく波のように、身も心もおののくような人を恋い続けているのですね。 〈601〉心にも思ってもみませんでした。間が山や川で隔てられているわけではないのに、こんなに恋い焦がれることに…

  • 有馬皇子を偲ぶ歌・・・巻第2143~146

    訓読 >>> 143磐代(いはしろ)の岸の松が枝(え)結びけむ人は帰りてまた見けむかも 144磐代の野中(のなか)に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ 145天(あま)翔(がけ)りあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ 146後(のち)見むと君が結べる磐代の小松がうれをまたも見むかも 要旨 >>> 〈143〉磐代の岸の松の枝を結んだという人は、無事に帰ってきて、再びその枝を見たのだろうか。 〈144〉磐代の野中に立っている結び松よ、お前のように私の心にも結び目ができて解けず、昔のことがしきりと思われる。 〈145〉有間皇子の魂は空を飛び、いつもこの松に通って見続けているだろう。それは…

  • 弓削皇子と額田王の歌・・・巻第2-111~113

    訓読 >>> 111いにしへに恋(こ)ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く 112古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと) 113み吉野の玉(たま)松が枝(え)は愛(は)しきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく 要旨 >>> 〈111〉過ぎ去った昔を恋い慕う鳥なのでしょうか。弓絃葉の御井の上を鳴きながら大和の方へ渡っていきます。 〈112〉あなたが「昔を恋い慕う」とおっしゃる鳥は、ホトトギスでしょう、おそらくそのホトトギスが鳴いたのでしょう、私が昔を恋い慕うように。 〈113〉吉野の松の枝の愛しいこと、あなたのお言葉も…

  • 石見の海角の浦廻を浦なしと・・・巻第2-131~134

    訓読 >>> 131石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来(き)寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹(いも)を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高(た…

  • 軍王の歌・・・巻第1-5~6

    訓読 >>> 5霞(かすみ)立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むら肝(ぎも)の 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き居(を)れば 玉たすき 懸(か)けのよろしく 遠つ神 我が大君(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の ひとり居(を)る 我が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば 大夫(ますらを)と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海人娘子(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心(したごころ) 6山越(やまごし)の風を時(とき)じみ寝(ぬ)る夜(よ)落ちず家なる妹(いも)をかけて偲(しの)びつ 要…

  • 言問はぬ木にもありとも我が背子が・・・巻第5-812

    訓読 >>> 言(こと)問はぬ木にもありとも我が背子が手馴(たな)れの御琴(みこと)地(つち)に置かめやも 要旨 >>> 言葉を語らない木ではあっても、あなたが弾きなれた御琴を地に置くような粗末などいたしましょうか。 鑑賞 >>> 天平元年(729年)10月7日、大宰府にいる大伴旅人から、都の中衛府(ちゅうえいふ)大将・藤原房前(ふじわらのふささき)のもとへ、手紙とともに一面の琴が贈られてきました(巻5-810~811)。この歌は、琴を受け取った房前から旅人への返事に添えられた歌です。 旅人は、なぜ房前に琴を贈ったのでしょうか。そこで、この背景にあった不穏な政情にも触れなければなりません。この…

  • うるはしき君が手馴れの琴にしあるべし・・・巻第5-810~811

    訓読 >>> 810いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)我が枕(まくら)かむ 811言(こと)問はぬ木にはありともうるはしき君が手馴(たな)れの琴(こと)にしあるべし 要旨 >>> 〈810〉何時の日にか、私の音色を分かってくださる方の膝の上に、私は枕するのでしょうか。 〈811〉言葉を言わない木であっても、立派なお方が大切にしてくださる琴となるに違いありません。 鑑賞 >>> 天平元年(729年)10月7日、大宰府にいる大伴旅人から、都の中衛府(ちゅうえいふ)大将・藤原房前(ふじわらのふささき)のもとへ、手紙とともに一面の琴が贈られてきました。藤原房前は不比等(ふひと)の…

  • 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥・・・巻第1-70

    訓読 >>> 大和には鳴きてか来(く)らむ呼子鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山(なかやま)呼びそ越(こ)ゆなる 要旨 >>> 大和には今ごろ呼子鳥が鳴いて来ているのだろうか。象の中山を人を呼びながら鳴き渡っている声が聞こえる。 鑑賞 >>> 高市黒人(たけちのくろひと)が、持統太上天皇の吉野行幸に従駕したときの作。この歌は、作者の正式な宴遊歌として現存する唯一の歌で、「大和」は、藤原京を指しています。「呼子鳥」は、カッコウまたはホトトギス。この名は時代と共に変化しており、「喚子鳥」と書いた字面から「閑古鳥」といわれ、やがて郭公(カッコウ)になったとされ、カッコウを呼子鳥といった例が最も多いよう…

  • 聖武天皇が難波の宮に行幸あったとき、笠金村が作った歌・・・巻第6-928~929

    訓読 >>> 928おしてる 難波(なには)の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし里と 人皆(ひとみな)の 思ひやすみて つれもなく ありし間(あひだ)に 績麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷(し)きて 食(を)す国を 治(をさ)めたまへば 沖つ鳥 味経(あじふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 廬(いほ)りして 都なしたり 旅にはあれども 929荒野(あらの)らに里はあれども大君(おほきみ)の敷きます時は都となりぬ 930海人娘子(あまをとめ)棚(たな)なし小舟(をぶね)漕(こ)ぎ出(づ)らし旅の宿(やど)りに楫(かぢ)の音…

  • 元正天皇の吉野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-910~912

    訓読 >>> 910神(かむ)からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内(かふち)は見れど飽かぬかも 911み吉野の秋津(あきづ)の川の万代(よろづよ)に絶ゆることなくまたかへり見む 912泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふばな)み吉野の滝の水沫(みなわ)に咲きにけらずや 要旨 >>> 〈910〉この地の神様のゆえか、見たいと思う美しい吉野の滝の流れは飽きることがない。 〈911〉美しい吉野の秋津川を、これからずっと絶えることなくまたやって来て眺めたい。 〈912〉泊瀬女(はつせめ)の造った木綿花が 吉野の川面に咲いているよ。 鑑賞 >>> 養老7年(723年)夏の5月、元正天皇が吉野の離宮に行幸…

  • 遠妻のここにしあらねば・・・巻第5-534~535

    訓読 >>> 534遠妻(とほづま)の ここにしあらねば 玉桙(たまほこ)の 道をた遠(どほ)み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日(あす)行きて 妹(いも)に言問(ことど)ひ 我(あ)がために 妹も事(こと)なく 妹がため 我(あ)れも事なく 今も見るごと たぐひてもがも 535しきたへの手枕(たまくら)まかず間(あひだ)置きて年そ経(へ)にける逢はなく思へば 要旨 >>> 〈534〉妻は遠くの地にいてここにはいない。妻のいる所への道は遠く、逢う手立てのないまま、妻を思って心が休まらず、嘆くばかりで苦しくてならない。大空を流れ行く雲に…

  • 世間の女にしあらば・・・巻第4-643~645

    訓読 >>> 643世間(よのなか)の女(をみな)にしあらば我(わ)が渡る痛背(あなせ)の河を渡りかねめや 644今は吾(あ)は侘(わ)びそしにける息(いき)の緒(を)に思ひし君をゆるさく思へば 645白妙(しろたへ)の袖(そで)別るべき日を近み心にむせび哭(ね)のみし泣かゆ 要旨 >>> 〈643〉私が世間一般の女だったら、恋しい人のもとへ行くため、この痛背川をどんどん渡っていき、渡りかねてためらうなどということは決してないでしょう。 〈644〉今となっては、私は苦しみに沈むばかりです。命のように大切だったあなたと、とうとうお別れすると思えば。 〈645〉白い夜着の袖を引き離してお別れする日…

  • 君が使を待ちし夜のなごりぞ・・・巻第12-2945

    訓読 >>> 玉梓(たまづさ)の君が使(つかひ)を待ちし夜(よ)のなごりぞ今も寐(い)ねぬ夜(よ)の多き 要旨 >>> あなたからのお使いを、いつもお待ちしていた夜の名残に違いありません。今でもなお寝られない夜が多いのは。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「玉梓の」は「使」の枕詞。梓の木などに手紙を結びつけて使者が相手に届けたことから用いられるようになった枕詞です。恋人と別れた後もなお残る生活習慣というのは、なかなかに切ないものです。 この歌は、巻第11-2588の「夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりぞ今も寐寝かてにする」が変化した歌とみられています。窪田空穂は、本…

  • ゆめよ我が背子我が名告らすな・・・巻第4-590~592

    訓読 >>> 590あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはとゆめよ我(わ)が背子我(わ)が名(な)告(の)らすな 591我(わ)が思ひを人に知るれや玉櫛笥(たまくしげ)開(ひら)きあけつと夢(いめ)にし見ゆる 592闇(やみ)の夜(よ)に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに 要旨 >>> 〈590〉お逢いしてから年月が流れ、今なら差し障りはないなどと、気軽に私の名を口になさらないで下さい。 〈591〉私の恋心を、人に知られてしまったのでしょうか。玉櫛笥の蓋が開けられてしまった夢を見ました。 〈592〉闇夜に鳴く鶴が、声ばかりで姿を見せないように、ただ聞いているだけなの…

  • 宴席の歌(5)・・・巻第20-4488~4491

    訓読 >>> 4488み雪降る冬は今日(けふ)のみ鴬(うぐひす)の鳴かむ春へは明日(あす)にしあるらし 4489うち靡(なび)く春を近みかぬばたまの今夜(こよひ)の月夜(つくよ)霞(かす)みたるらむ 4490あらたまの年行き返(がへ)り春立たばまづ我(わ)が宿(やど)に鴬(うぐひす)は鳴け 4491大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引(もび)き平(なら)しし菅原(すがはら)の里 要旨 >>> 〈4488〉雪の降る冬は今日が限り。ウグイスが鳴く春は、もう明日に迫っている。 〈4489〉春が近いからか、今夜の月には霞がかっているようだ。 〈4490〉年が改まって春がやってきたら、まっ先に、我が…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(12)・・・巻第15-3767~3770

    訓読 >>> 3767魂(たましひ)は朝夕(あしたゆふへ)にたまふれど我(あ)が胸(むね)痛し恋の繁(しげ)きに 3768このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音(ね)のみしぞ泣く 3769ぬばたまの夜(よる)見し君を明くる朝(あした)逢はずまにして今ぞ悔(くや)しき 3770味真野(あぢまの)に宿(やど)れる君が帰り来(こ)む時の迎へをいつとか待たむ 要旨>>> 〈3771〉宮廷に仕える私は安眠もできず、お帰りを今日か今日かとお待ちしているのですが、お姿を見ることはありません。 〈3772〉赦されて帰ってきた人たちが着いたと聞いて、もうほとんど死ぬところでした。もしやあなたと思って。 〈…

  • 逢坂をうち出でて見れば・・・巻第13-3236~3238

    訓読 >>> 3236そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山(ならやま)越えて 山背(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡り 岡屋(をかのや)の 阿後尼(あごね)の原を 千歳(ちとせ)に 欠くることなく 万代(よろずよ)に あり通(がよ)はむと 山科(やましな)の 石田(いはた)の社(もり)の 皇神(すめかみ)に 幣(ぬさ)取り向けて 我(わ)れは越え行く 逢坂山(あふさかやま)を 3237(或本歌曰)あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川(うぢがは)渡り 娘子(をとめ)らに 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けくさ 幣(ぬさ)取り置きて 我妹子(わぎもこ)に 近江…

  • うら若み人のかざししなでしこが花・・・巻第8-1610

    訓読 >>> 高円(たかまと)の秋野(あきの)の上(うへ)のなでしこが花 うら若み人のかざししなでしこが花 要旨 >>> 高円の秋野に咲いたナデシコの花。初々しいのでどなたかが挿頭になさった、そのナデシコの花。 鑑賞 >>> 丹生女王(にうのおおきみ)が、大宰帥の大伴旅人に贈った旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌。「高円」は、奈良市の東南の、春日山の南の一帯。「うら若み」は、初々しいので。「人」は、旅人のこと。「かざしし」は、ここでは愛した意。表面的には風雅な便りとなっていますが、女王が若かりしころに、旅人に愛されたことを懐かしみつつ、ナデシコの花を自分自身に譬えています。古風な旋頭歌に…

  • 龍の馬も今も得てしか・・・巻第5-806~809

    訓読 >>> 806龍(たつ)の馬(ま)も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来(こ)むため 807うつつには逢ふよしもなしぬばたまの夜(よる)の夢(いめ)にを継(つ)ぎて見えこそ 808龍(たつ)の馬(ま)を我(あ)れは求めむあをによし奈良の都に来(こ)む人のたに 809直(ただ)に逢はずあらくも多く敷栲(しきたへ)の枕(まくら)去らずて夢(いめ)にし見えむ 要旨 >>> 〈806〉龍の馬でも今すぐにでも手に入れたい。故郷の奈良の都にたちまちに行って、たちまちに帰ってくるために。 〈807〉現実にはお逢いする手だてはありませんが、せめて夢の中にだけでも絶えず見えてください。 〈808〉龍の…

  • 夕されば君来まさむと・・・巻第11-2588

    訓読 >>> 夕(ゆふ)されば君(きみ)来(き)まさむと待ちし夜(よ)のなごりぞ今も寐寝(いね)かてにする 要旨 >>> 夕方になると、あなたがいらっしゃるだろうとお待ちしていた夜の名残なのですね、今もなかなか寝つかれないのは。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。何らかの事情で夫と別れた女の歌です。「夕されば」は、夕方になると。「今も寐寝かてにする」は、今も寝つかれないでいる。もう終わってしまった恋なのに、彼が足しげく通ってきた頃の習慣が身に沁みついてしまっているという、独り言のような、寂しいつぶやきのような歌です。窪田空穂は「鋭敏な感性と、婉曲に物をいう教養とが相俟っ…

  • あぢさはふ目は飽かざらね・・・巻第12-2934

    訓読 >>> あぢさはふ目は飽(あ)かざらね携(たづさは)り言(こと)とはなくも苦しくありけり 要旨 >>> 近くでいつもお見かけしていながら、手を取り合ってお話できないのは苦しいことです。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。女の歌で、いつも近くで見慣れていて憎からず思っている男が、自分に対してまったく懸想の気配を見せないのを、心寂しく思っています。「あぢさはふ」は語義未詳ながら「目」にかかる枕詞。「目は飽かあらね」は、見る目には飽いているが、の意。 作者未詳歌について 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載…

  • 山河の水陰に生ふる山菅の・・・巻第12-2862

    訓読 >>> 山河の水陰(みかげ)に生ふる山菅(やますげ)の止(や)まずも妹(いも)がおもほゆるかも 要旨 >>> 山川の水辺の陰に生えている山菅(やますげ)のように、止まずに私はあなたを思っています。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。上3句は「止まず」を導く序詞。「水陰」は、水辺の物陰。斎藤茂吉は、この「水陰」という語に心を惹かれると言っています。「この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、こういう幽かにして奥深いものに観入していて、それの写生をおろそかにしていない」と。 『柿本人麻呂歌集』について 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌…

  • 愛しみ我が念ふ妹を・・・巻第12-2843

    訓読 >>> 愛(うつく)しみ我(わ)が念(も)ふ妹(いも)を人みなの行く如(ごと)見めや手にまかずして 要旨 >>> おれの恋しい女が今あちらを歩いているが、それを普通の女と同じに平然と見ていられようか、手にまくことなしに。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「人みなの」は、世間の人すべての。「見めや」の「や」は反語。男による求婚の歌で、恋しい女を手にもまかずにいるのが辛いけれど、人目があるのでどうしようもないと言っています。「人みなの行く如見めや」の句を、斎藤茂吉は「強くて情味を湛え、情熱があってもそれを抑えて、傍観しているような趣が、この歌を…

  • 我が背子が朝けの形能く見ずて・・・巻第12-2841

    訓読 >>> 我(わ)が背子(せこ)が朝けの形(すがた)能(よ)く見ずて今日(けふ)の間(あひだ)を恋ひ暮らすかも 要旨 >>> 私の夫が朝早くお帰りになる時の姿をよく見ずにしまって、一日中物足りなく寂しく思い、恋しく暮らしています。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。結婚後間もないころの若い妻が夫に贈った歌で、後の後朝(きぬぎぬ)の歌に類するもの。万葉時代においても、結婚した夫婦は別々に住み、夫が妻の家に通ってくる場合が殆どでした。「朝けの形」は、夜明けに夫は家を出て行く時の姿のこと。斎藤茂吉は「簡潔にこういったのは古語の好い点である」と述べてい…

  • 我が背子がい立たせりけむ・・・巻第1-9

    訓読 >>> 莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと) 要旨 >>> ・・・・・・愛するあなたが立っていた、山麓の神聖な樫の木のもと。 鑑賞 >>> 額田王(ぬかだのおおきみ)の「紀の温泉に幸せる時に、額田王の作る」歌。ただし、原文の「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」の部分は『万葉集』の中でもっとも難読とされ、未だに定訓がありません。従って意味も不明です。 読めない『万葉集』 万葉仮名で書かれた『万葉集』の歌の解読は、天暦5年(951年)に村上天皇の詔により、清原元輔、紀時文、大中臣能宣、坂上望城、源順ら5人(後撰集の撰者)によって始められました。それ以後、研究…

  • 我が恋ひわたるこの月ごろを・・・巻第4-588~589

    訓読 >>> 588白鳥(しらとり)の飛羽山(とばやま)松の待ちつつぞ我(あ)が恋ひわたるこの月ごろを 589衣手(ころもで)を打廻(うちみ)の里にある我(わ)れを知らにぞ人は待てど来(こ)ずける 要旨 >>> 〈588〉白鳥の飛ぶ飛羽山の松ではありませんが、あなたのおいでになるのを待ちながら、ずっと慕い続けています、この何ヶ月間も。 〈589〉打廻の里に私が住んでいることをご存知ないために、いくらお待ちしても来て下さらなかったのですね。 鑑賞 >>> 笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌。588の「白鳥の」は「飛ぶ」と続けて「飛羽山」の枕詞。「飛羽山」は、山城国の鳥羽山か。上2句が「…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(11)・・・巻第15-3763~3766

    訓読 >>> 3763旅と言へば言(こと)にぞやすきすべもなく苦しき旅も言(こと)にまさめやも 3764山川(やまがは)を中に隔(へな)りて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも) 3765まそ鏡(かがみ)懸(か)けて偲(しぬ)へと奉(まつ)り出(だ)す形見(かたみ)のものを人に示すな 3766愛(うるは)しと思ひし思はば下紐(したびも)に結(ゆ)ひつけ持ちてやまず偲(しの)はせ 要旨 >>> 〈3763〉旅と言えば口で言うのはたやすいが、さりとて、どうしようもなく苦しいこの旅は、旅という言葉よりほかに表しようがあろうか、表わせはしない。 〈3764〉山や川を隔てて、身は遠く離れてはいるが、心は近…

  • 遣新羅使人の歌(11)・・・巻第15-3648~3651

    訓読 >>> 3648海原(うなはら)の沖辺(おきへ)に灯(とも)し漁(いざ)る火は明かして灯(とも)せ大和島(やまとしま)見む 3649鴨(かも)じもの浮寝(うきね)をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に露そ置きにける 3650ひさかたの天(あま)照る月は見つれども我(あ)が思(も)ふ妹(いも)に逢はぬころか 3651ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出(い)でぬかも海原(うなはら)の八十島(やそしま)の上(うへ)ゆ妹(いも)があたり見む 要旨 >>> 〈3648〉海原の沖にともる漁船の火よ、もっと明々とともせ。その光で遠くに大和の山々が見えるだろうから。 〈3649〉まるで鴨のように…

  • 何かここだく我が恋ひ渡る・・・巻第4-656~658

    訓読 >>> 656我(わ)れのみぞ君には恋ふる我(わ)が背子(せこ)が恋ふといふことは言(こと)のなぐさぞ657思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも658思へども験(しるし)もなしと知るものを何かここだく我(あ)が恋ひ渡る 要旨 >>> 〈656〉恋しいと思っているのは私ばかり。あなたが恋しいと言うのは口先ばかりです。 〈657〉思うまいと口に出して言ったのに、はねずの花の色のように変わりやすい私の心です。 〈658〉いくら恋しく思っても、何の甲斐もないと知っているのに、どうしてこんなに私はずっと恋し続けているのでしょう。 鑑賞 >>> ここの歌は、「大伴坂上郎女(…

  • 大伴旅人の従者の歌(2)・・・巻第17-3890~3894

    訓読 >>> 3895玉映(たまは)やす武庫(むこ)の渡りに天伝(あまづた)ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ 3896家にてもたゆたふ命(いのち)波の上(へ)に浮きてし居(を)れば奥処(おくか)知らずも [一云 浮きてし居れば] 3897大海(おほうみ)の奥処(おくか)も知らず行く我(わ)れをいつ来まさむと問ひし子らはも 3898大船(おほぶね)の上にし居(を)れば天雲(あまくも)のたどきも知らず歌ひこそ我(わ)が背(せ) 3899海人娘子(あまをとめ)漁(いざ)り焚(た)く火のおほほしく角(つの)の松原(まつばら)思ほゆるかも 要旨 >>> 〈3895〉武庫の渡し場で、あいにく日が暮れていくもの…

  • 大伴旅人の従者の歌(1)・・・巻第17-3890~3894

    訓読 >>> 3890我(わ)が背子(せこ)を我(あ)が松原(まつばら)よ見わたせば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻(たまも)刈る見ゆ 3891荒津(あらつ)の海(うみ)潮(しほ)干(ひ)潮(しほ)満(み)ち時はあれどいづれの時か我(わ)が恋ひざらむ 3892礒(いそ)ごとに海人(あま)の釣舟(つりふね)泊(は)てにけり我(わ)が船(ふね)泊(は)てむ礒(いそ)の知らなく 3893昨日(きのふ)こそ船出(ふなで)はせしか鯨魚取(いさなと)り比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を今日(けふ)見つるかも 3894淡路島(あはぢしま)門(と)渡(わた)る船の楫間(かぢま)にも我(わ)れは忘れず家をしぞ思ふ 要…

  • 波の上ゆ見ゆる小島の雲隠り・・・巻第8-1453~1455

    訓読 >>> 1453玉たすき 懸(か)けぬ時なく 息の緒(を)に 我(あ)が思ふ君は うつせみの 世の人なれば 大君(おほきみ)の 命(みこよ)畏(かしこ)み 夕(ゆふ)されば 鶴(たづ)が妻呼ぶ 難波潟(なにはがた) 御津(みつ)の崎より 大船(おほぶね)に 真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き 白波(しらなみ)の 高き荒海(あるみ)を 島伝ひ い別れ行かば 留(とど)まれる 我れは幣(ぬさ)引き 斎(いは)ひつつ 君をば待たむ 早(はや)帰りませ 1454波の上ゆ見ゆる小島の雲隠(くもがく)りあな息づかし相(あひ)別れなば 1455たまきはる命(いのち)に向ひ恋ひむゆは君が御船(みふね)の楫柄(…

  • 鳴き行くなるは誰れ呼子鳥・・・巻第10-1827~1828

    訓読 >>> 1827春日(かすが)なる羽(は)がひの山ゆ佐保(さほ)の内へ鳴き行くなるは誰(た)れ呼子鳥(よぶこどり)1828答へぬにな呼び響(と)めそ呼子鳥(よぶこどり)佐保(さほ)の山辺(やまへ)を上り下りに 要旨 >>> 〈1827〉春日の羽がいの山から佐保に向かい、鳴きながら飛んでいくのは、誰を呼ぶ呼子鳥なのだろう。 〈1828〉誰も答えないのに、響くほどに鳴くな呼子鳥、佐保の山の辺りを上り下りするにつけて。 鑑賞 >>> 「鳥を詠む」歌。1827の「春日」は、奈良市東部の山地。「羽がひの山」の所在は不明。「山ゆ」の「ゆ」は、~から、~を通って。「佐保の内」は、奈良市北部の佐保山と佐…

  • 中大兄皇子の大和三山の歌・・・巻第1-13~15

    訓読 >>> 13香具山(かぐやま)は 畝火(うねび)を愛(を)しと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき 神代(かみよ)より 斯(か)くにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻(つま)を あらそふらしき 14香具山(かぐやま)と耳梨山(みみなしやま)とあひしとき立ちて見に来(こ)し印南国原(いなみくにはら) 15わたつみの豊旗雲(とよはたぐも)に入日(いりひ)さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)あきらけくこそ 要旨 >>> 〈13〉香具山は、畝火山を愛して耳梨山と争った、神代からそうであったらしい、昔からそうであったのだから、今の世においても人々は妻を争うのだろ…

  • こもりくの泊瀬の山の・・・巻第3-428

    訓読 >>> こもりくの泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ 要旨 >>> 泊瀬の山のあたりに漂っている雲は、亡くなった乙女なのだろうか。 鑑賞 >>> 亡くなった土形娘子(ひじかたのおとめ)を泊瀬山に火葬した時に柿本人麻呂が作った歌。土形娘子は文武朝の宮女ではないかとされます。「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬」は、古代大和朝廷の聖地であると同時に、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。また、火葬の始まりは『続日本紀』では文武4年(700年)、僧道照の死に始まるとされますが、実際はもっと古くから行われて…

  • 石橋の間近き君に・・・巻第4-596~598

    訓読 >>> 596八百日(やほか)行く浜の真砂(まなご)も我(あ)が恋にあにまさらじか沖つ島守(しまもり)597うつせみの人目(ひとめ)を繁(しげ)み石橋(いしばし)の間近き君に恋ひわたるかも 598恋にもぞ人は死にする水無瀬川(みなせがは)下(した)ゆ我(わ)れ痩(や)す月に日に異(け)に 要旨 >>> 〈596〉八百日もかかって行くほどの長い浜辺の砂の数だって、私の恋心にまさることがありましょうか、どうでしょう、沖の島守さん。 〈597〉現実の人の目がうるさいので、飛び石を渡って逢いに行けるほど間近にいますのに、あなたに逢えずにただ恋い慕っています。 〈598〉恋によってでも人は死にます…

  • 聖武天皇の吉野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-920~922

    訓読 >>> 920あしひきの み山もさやに 落ち激(たぎ)つ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴く 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人(おおみやひと)も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉かづら 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと 天地(あめつち)の 神をそ祈る 畏(かしこ)くあれども 921万代(よろづよ)に見とも飽(あ)かめやみ吉野の激(たぎ)つ河内(かふち)の大宮所(おおみやところ) 922皆人(みなひと)の命も我(わ)がもみ吉野の滝の常磐(ときは)の常(つね)ならぬかも 要旨 >>> 〈9…

  • 大津皇子と石川郎女の歌・・・巻第2-107~108

    訓読 >>> 107あしひきの山のしづくに妹(いも)待つとわれ立ち濡(ぬ)れぬ山のしづくに 108吾(あ)を待つと君が濡(ぬ)れけむあしひきの山のしづくにならましものを 要旨 >>> 〈107〉あなたを待って立ち続け、山の木々から落ちてくるしずくに濡れてしまいましたよ。 〈108〉私を待って、あなたがお濡れになったというその山のしづくに、私がなれたらいいのに。 鑑賞 >>> 107は大津皇子(おおつのみこ)の歌。108は石川郎女(いしかわのいらつめ)が答えた歌。石川郎女(伝未詳)は草壁皇子の妻の一人であったらしく、大津皇子が山で郎女を待つというのは尋常ではなく、世を憚る関係であることを示してい…

  • この洲崎廻に鶴鳴くべしや・・・巻第1-71

    訓読 >>> 大和(やまと)恋ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに心なくこの洲崎廻(すさきみ)に鶴(たづ)鳴くべしや 要旨 >>> 大和が恋しくて寝るに寝られないのに、思いやりもなく、この洲崎あたりで鶴が鳴いてよいものだろうか。 鑑賞 >>> 忍坂部乙麻呂(おさかべのおとまろ:伝未詳)の歌。題詞に、大行天皇(さきのすめらみこと)が難波宮に行幸されたときの歌とあります。「大行天皇」とは、本来天皇崩御後、御謚号を奉らない間の称であったのが、この頃には、先帝の意味で用いるようになっており、『万葉集』の例ではすべて文武天皇を指しています。行幸の時期は明らかでありません。 「寐の寝らえぬに」は、寝ても眠れないの…

  • いづくにか船泊てすらむ・・・巻第1-58

    訓読 >>> いづくにか船(ふね)泊(はて)すらむ安礼(あれ)の埼(さき)漕(こ)ぎたみ行きし棚(たな)無し小舟(をぶね) 要旨 >>> 今ごろいったい何処で舟どまりしているのだろう、安礼の崎を先ほど漕ぎめぐっていった、船棚のない小さな舟は。 鑑賞 >>> 高市黒人(たけちのくろひと)の歌。大宝2年(702年)10月、持統太上天皇の三河国(今の愛知県東部)行幸に従駕しての作。「太上天皇」は、退位した天皇のこと。「船泊て」は、船どまりする意の熟語。「安礼の崎」は、今の愛知県宝飯郡御馬の南にある岬ではないかとされます。「こぎ回み」は、船を漕いで海岸線に沿って巡る意。この時代の舟行きは、風の危険を防…

  • みもろの神奈備山に五百枝さし・・・巻第3-324~325

    訓読 >>> 324みもろの 神奈備(かむなび)山に 五百枝(いおえ)さし しじに生(お)ひたる 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 玉葛(たまかずら) 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香(あすか)の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜(よ)は 川しさやけし 朝雲(あさぐも)に 鶴(たず)は乱れ 夕霧(ゆうぎり)に かはづはさわく 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ 古(いにしえ)思へば 325明日香河(あすかがは)川淀(かはよど)さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに 要旨 >>> 〈324〉神がおすまいになる山にたくさんの枝を差しのべて盛んに繁…

  • 防人の歌(17)・・・巻第20-4363~4367

    訓読 >>> 4363難波津(なにはつ)に御船(みふね)下(お)ろすゑ八十楫(やそか)貫(ぬ)き今は漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告げこそ4364防人に立たむ騒(さわ)きに家の妹(いむ)が業(な)るべきことを言はず来(き)ぬかも4365押し照るや難波(なには)の津ゆり船装(ふなよそ)ひ我(あ)れは漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告(つ)ぎこそ4366常陸(ひたち)指し行かむ雁(かり)もが我(わ)が恋を記(しる)して付けて妹(いも)に知らせむ4367我(あ)が面(もて)の忘れも時(しだ)は筑波嶺(つくはね)を振り放(さ)け見つつ妹(いも)は偲(しぬ)はね 要旨 >>> 〈4363〉難波の港に御船を引き下ろ…

  • 奥山の菅の葉しのぎ降る雪の・・・巻第3-299

    訓読 >>> 奥山の菅(すが)の葉しのぎ降る雪の消(け)なば惜(を)しけむ雨な降りそね 要旨 >>> 奥山の菅の葉を覆い、降り積もった雪が消えるのは惜しいから、雨よ降らないでおくれ。 鑑賞 >>> 題詞に「大納言大伴卿の歌一首 未だ詳ならず」との記載があり、大伴旅人の作とみる説があるものの、この巻は大体年代順となっており、その比較考証から、作者は旅人の父である大伴安麻呂とされます。大納言であるために、尊んで名を記さず、三位以上の敬称である卿を用いたもので、本巻の撰者にとって問題になることではなかったとみえます。したがって、「未だ詳ならず」の注記は後人が加えたものとわかります。 「菅」は、自生す…

  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(10)・・・巻第15-3759~3762

    訓読 >>> 3759たちかへり泣けども我(あ)れは験(しるし)なみ思ひわぶれて寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多き 3760さ寝(ぬ)る夜(よ)は多くあれども物思(ものも)はず安く寝る夜は実(さね)なきものを 3761世の中の常(つね)の理(ことわり)かくさまになり来(き)にけらしすゑし種(たね)から 3762我妹子(わぎもこ)に逢坂山(あふさかやま)を越えて来て泣きつつ居(を)れど逢ふよしもなし 要旨 >>> 〈3759〉遡って事の始めを思い、悲しんで泣くけれど、何の甲斐もないので、わびしい思いで寝る夜を重ねている。 〈3760〉寝る夜は多くあるけれども、物思わずに安らかに寝る夜は、ほんとうにないこ…

  • 刈り薦の乱れて思ふ君が直香ぞ・・・巻第4-697~699

    訓読 >>> 697我(わ)が聞(き)きに懸(か)けてな言ひそ刈(か)り薦(こも)の乱れて思ふ君が直香(ただか)ぞ698春日野(かすがの)に朝(あさ)居(ゐ)る雲のしくしくに我(あ)れは恋ひ増す月に日に異(け)に699一瀬(ひとせ)には千(ち)たび障(さは)らひ行く水の後(のち)にも逢はむ今にあらずとも 要旨 >>> 〈697〉私の耳に聞こえよがしに言わないでください。心乱れて思っているあなたのことを。 〈698〉春日野の朝に立ちこめている雲が次第に重なってくるように、しきりに恋しさが増すばかりです。月ごとに日ごとに。 〈699〉一つの瀬が、岩や岸辺に幾度も妨げられ分かれながら流れていく水のよ…

  • 石上降るとも雨につつまめや・・・巻第4-664

    訓読 >>> 石上(いそのかみ)降るとも雨につつまめや妹(いも)に逢はむと言ひてしものを 要旨 >>> 石上の布留(ふる)ではないが、いくら降っても、雨に妨げられてなどいようか。妻にに逢おうと約束しているのだから。 鑑賞 >>> 大伴像見(おおとものかたみ)の歌。大伴像見は、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱で功を上げ従五位下を授けられ、後に従五位上に進んだ人。『万葉集』には5首。「石上」は、奈良県天理市石上で、その地にある「布留(ふる)」を転じて「降る」の枕詞にしたもの。「つつまめや」は、妨げられてなどいようか。妻の家へ出かけようとした際、雨模様となってきたのを気にかけつつ、わが心を励…

  • 大伴家持が、別れを悲しむ防人の気持ちを思いやって作った歌・・・巻第20-4331~4333

    訓読 >>> 4331大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国は 賊(あた)守る おさへの城(き)ぞと 聞こし食(を)す 四方(よも)の国には 人(ひと)さはに 満ちてはあれど 鶏(とり)が鳴く 東男(あづまをのこ)は 出(い)で向かひ 顧(かへり)みせずて 勇(いさ)みたる 猛(たけ)き軍士(いくさ)と ねぎたまひ 任(ま)けのまにまに たらちねの 母が目 離(か)れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日 数(よ)みつつ 葦(あし)が散る 難波(なには)の御津(みつ)に 大船(おほぶね)に ま櫂(かい)しじ貫(ぬ)き 朝なぎに 水手(かこ)整へ 夕潮…

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