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  • 玉藻刈る沖辺は漕がじ・・・巻第1-72

    訓読 >>> 玉藻(たまも)刈る沖辺(おきへ)は漕(こ)がじ敷栲(しきたへ)の枕のあたり忘れかねつも 要旨 >>> 海女たちが玉藻を刈っている沖のあたりには舟を漕いでいくまい。昨夜旅の宿で枕を共にした女のことが、忘れられないから。 鑑賞 >>> 藤原宇合(ふじわらのうまかい)の歌。藤原宇合は不比等の3男で、藤原4家の一つである「式家」の始祖にあたります。若いころは「馬養」という名前でしたが、後に「宇合」の字に改めています。霊亀3年(717年)に遣唐副使として多治比県守 (たじひのあがたもり) らと渡唐。帰国後、常陸守を経て、征夷持節大使として陸奥の蝦夷 (えみし) 征討に従事、のち畿内副惣管、…

  • しかとあらぬ五百代小田を・・・巻第8-1592~1593

    訓読 >>> 1592しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田廬(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ 1593隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山は色づきぬ時雨(しぐれ)の雨は降りにけらしも 要旨 >>> 〈1592〉わずかばかりの五百代の田を、慣れない手つきでうまく刈れずに番小屋にいると、都のことが思い出される。 〈1593〉泊瀬の山は色づいてきたところです。山ではもう時雨が降ったのでしょうね。 鑑賞 >>> 天平11年(739年)9月、大伴坂上郎女が、竹田の庄で作った歌2首。「竹田の庄」は、大伴氏が有していた荘園の一つで、奈良県橿原市東竹田町、耳成山の北東の地にあったとされます…

  • 東歌(34)・・・巻第14-3544

    訓読 >>> 阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも 要旨 >>> 阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。 鑑賞 >>> 女の歌。「阿須可川」は、大和の明日香川か東国の川か未詳。「下濁れる」は、男が不誠実だった喩え。「背なな」は、女性から男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している歌です。

  • 標結ひて我が定めてし・・・巻第3-394

    訓読 >>> 標(しめ)結(ゆ)ひて我(わ)が定めてし住吉(すみのえ)の浜の小松は後(のち)も我(わ)が松 要旨 >>> 標を張って我がものと定めた住吉の浜の小松は、後もずっと私の松なのだ。 鑑賞 >>> 余明軍(よのみょうぐん)は、百済の王族系の人。帰化して大伴旅人の資人(つかいびと)となり、旅人が亡くなった時に詠んだ歌(巻第3-454~458)を残しています。「資人」は、高位の人に公に給される従者のことで、に主人の警固や雑役に従事しました。 「標」は、自分の所有であることを示す印。「住吉」は、大阪市住吉区。「小松」の「小」は、小さい意味ではなく、親しんで添えた語。松を女に喩えており、住吉の…

  • 高御座天の日継と・・・巻第18-4098~4100

    訓読 >>> 4098高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と 天(あめ)の下(した) 知らしめしける 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 畏(かしこ)くも 始めたまひて 貴(たふと)くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通(がよ)ひ 見(め)し給(たま)ふらし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)も 己(おの)が負(お)へる 己(おの)が名(な)負ひて 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに この川の 絶(た)ゆることなく この山の いや継(つ)ぎ継ぎに かくしこそ 仕(つか)へ奉(まつ)らめ いや遠長(とほなが)に 4099いにしへを思ほすらしも我(わ)ご大君(…

  • ゆくへなくありわたるとも霍公鳥・・・巻第18-4089~4092

    訓読 >>> 4089高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 聞こし食(を)す 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥(ももとり)の 来居(きゐ)て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別(わ)きて偲(しの)はむ 卯(う)の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめ草 玉 貫(ぬ)くまでに 昼暮らし 夜(よ)渡し聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし 4090ゆくへなくありわたるとも霍公鳥(ほととぎす)鳴きし渡らばかくや偲(しの)はむ 4091卯(う)の花のともにし鳴けば霍公鳥(ほととぎす…

  • 焼太刀を砺波の関に・・・巻第18-4085

    訓読 >>> 焼太刀(やきたち)を砺波(となみ)の関(せき)に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添へ君を留(とど)めむ 要旨 >>> 焼いて鍛えた太刀、その太刀を研ぐという砺波の関に、明日からは番人を増やして、あなたにゆっくり留まっていただきましょう。 鑑賞 >>> 天平勝宝元年(749年)5月5日、東大寺の占墾地使(せんこんじし)の僧(そう)平栄(へいえい)らをもてなした時、大伴家持が酒を僧に贈った歌。「占墾地使」は、寺院に認められた開墾地(荘園)の所属を確認する使者で、この時期、平栄らは越中に入って活動していました。 東大寺や中央貴族の墾田地(荘園)を占有するため、国守の家持にもそ…

  • 大伴家持が菟原処女の墓の歌に追同した歌・・・巻第19-4211~4212

    訓読 >>> 4211古(いにしへ)に ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継(つ)ぐ 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 妻問(つまど)ひしける 処女(をとめ)らが 聞けば悲しさ 春花(はるはな)の にほえ栄(さか)えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛(さか)りすら ますらをの 言(こと)いたはしみ 父母(ちちはは)に 申(まを)し別れて 家離(いへざか)り 海辺(うみへ)に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮(しほ)の 八重(やへ)波に 靡(なび)く玉藻(たまも)の 節(ふし)の間(ま)も …

  • 山の端のささら愛壮士・・・巻第6-983

    訓読 >>> 山の端(は)のささら愛壮士(えをとこ)天(あま)の原(はら)門(と)渡る光(ひかり)見らくし好(よ)しも 要旨 >>> 山の端に出てきた小さな月の美男子が、天の原を渡りつつ照らす光の何とすばらしい眺めでしょう。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女が詠んだ「月の歌」。「ささら愛壮士」の「ささら」は天上の地名、「愛壮士」は小さく愛らしい男の意で、月を譬えています。左注に、ある人が郎女に、月の別名をささらえ壮子というと話すと、郎女はその名に興味をもち、それを詠み込む形で一首にしようとした、とあります。「ささら愛壮士」を詠んだ歌は、集中この1首しかなく、月の中でも特に上弦の月をいったのではないか…

  • 春の日に張れる柳を取り持ちて・・・巻第19-4142

    訓読 >>> 春の日に張れる柳(やなぎ)を取り持ちて見れば都の大道(おほち)し思ほゆ 要旨 >>> 春の日に、芽吹いてきた柳の小枝を折り取って眺めると、奈良の都の大路が思い起こされてならない。 鑑賞 >>> 天平勝宝2年(750年)の3月2日、大伴家持が、新柳の枝を折り取って都を思う歌。この時33歳の家持は、越中での4度目の春を迎えていました。 「張れる」は、芽が出る、ふくらむ。「大道し」の「し」は強意。この歌から、当時の都大路の並木には柳が植えられていたことが分かります。柳は漢詩的な素材であり、柳葉は化粧をした女性の細い眉に譬えられます。家持は都大路のことを思い出すと同時に、都の美女たちのこ…

  • 春日なる御笠の山に・・・巻第7-1295

    訓読 >>> 春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に月の舟(ふね)出(い)づ遊士(みやびを)の飲む酒杯(さかづき)に影に見えつつ 要旨 >>> 春日の三笠の山に、船のような月が出た。風流な人たちが飲む酒杯の中に映り見えながら。 鑑賞 >>> 巻第7の「旋頭歌」の部の最後におかれたこの一首は、『柿本人麻呂歌集』からの歌や作者未詳歌が多い中にあって異彩を放つ歌となっています。庶民生活の味わいが濃く出ていた人麻呂歌集の歌とは違い、繊細美を愛する貴族趣味が横溢しています。詠まれた時代も奈良時代であり、歌の趣きからも明らかです。大伴家持の周辺の人々を思わせるもので、あるいは家持の作かもしれないといわれて…

  • 朱らひく膚に触れずて・・・巻第11-2399

    訓読 >>> 朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに 要旨 >>> 今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。「心を異しく」は、心が変わって。 男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきり…

  • 忘るやと物語りして・・・巻第12-2844~2847

    訓読 >>> 2844このころの寐(い)の寝(ね)らえぬは敷栲(しきたへ)の手枕(たまくら)まきて寝(ね)まく欲(ほ)りこそ 2845忘るやと物語りして心遣(こころや)り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり 2846夜も寝(ね)ず安くもあらず白栲(しろたへ)の衣(ころも)は脱かじ直(ただ)に逢ふまでに 2847後も逢はむ我(あ)にな恋ひそと妹(いも)は言へど恋ふる間(あひだ)に年は経(へ)につつ 要旨 >>> 〈2844〉このごろ寝るに寝られないのは、妻と手枕を交わして寝たいと思うからだ。 〈2845〉忘れられるかと、人と世間話などして気を紛らせて、物思いを消し去ろうとしたが、いっそう恋心は募るばかり…

  • 色に出でて恋ひば・・・巻第11-2566

    訓読 >>> 色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠(こも)り妻はも 要旨 >>> 顔色に出して恋い慕ったなら、人が見咎めて知るだろう、心のうちの隠し妻のことを。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「色に出でて」は、顔色に出して。「知りぬべし」は、知ってしまうだろうの意で、「知るべし」の強調。「隠り妻」は、まだ公表できず人目を避けて隠れている妻。「隠り」は隠れて見えないものを示すことばで、葦などが茂って水面がよく見えない入江は「隠江(こもりえ)」、草木に隠れて見えない沼は「隠沼(こもりぬ)」などといいます。 万葉時代の恋愛は自由で奔放だったと思われがちですが、今も…

  • 防人の歌(25)・・・巻第20-4418

    訓読 >>> 我が門(かど)の片山椿(かたやまつばき)まこと汝(な)れ我が手触れなな土に落ちもかも 要旨 >>> わが家の門の傍らに咲く椿の花よ。まことお前は私が手を触れない間に、地面に落ちてしまうのだろうか。 鑑賞 >>> 武蔵国の防人の歌。「片山椿」は、山の傾斜地に生えている椿のことですが、ここでは夫婦の片一方を残していくことの比喩。「触れなな」は「触れずに」の方言。「地に落ちもかも」は、留守中に周囲の若い男子のものとなりはしないだろうかとの、心配の譬喩。窪田空穂は、「隠喩仕立てにしているのは、若い防人の歌としてはふさわしくないまでの技巧であるが、女との関係がら、また場合がら、気分が複雑し…

  • 誰れそこのわが屋戸来喚ぶ・・・巻第11-2527

    訓読 >>> 誰(た)れそこのわが屋戸(やど)来(き)喚(よ)ぶたらちねの母にころはえ物思(ものも)ふわれを 要旨 >>> 誰なんですか? この家に来て私の名前を呼ぶのは。たった今お母さんに叱られて、物思いにふけっているというのに。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「たらちねの」は「母」の枕詞。「ころはえ」は、大声で叱られて。娘が男と今夜逢おうと母に打ち明けたものの、「あんな男はやめときなさい!」と叱られ、ちょうどその時、タイミング悪くその男がやって来たのでしょうか。この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に…

  • 笠なしと人には言ひて・・・巻第11-2684

    訓読 >>> 笠なしと人には言ひて雨(あま)障(つつ)み留(と)まりし君が姿し思ほゆ 要旨 >>> 笠がないのでと人には言って、雨宿りして泊まっていったあなたの姿が思い出されます。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「人には言ひて」の「人」は家人。「雨障み」は、雨を憚って。まだ家の人には夫婦として認められていなかった関係らしく、笠が無かったので仕方なく泊まったのだと言い訳したのでしょう。妻問い婚ならではの歌であり、実際の会話を彷彿とさせてくれます。

  • 我が恋は千引の石を・・・巻第4-743

    訓読 >>> 我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに 要旨 >>> 私の恋は、千人がかりで引く巨岩を七つも首にかけているほど苦しく重い。それも神の思し召しとあれば耐えなければならない。 鑑賞 >>> 大伴家持が、後に彼の正妻となった坂上大嬢に贈った歌。「千引の石」は、千人で引かないと動かない石で、『古事記』にも登場する、黄泉の国の入り口をふさいで、イザナギとイザナミを隔てた巨大な石のこと。大嬢への重い恋心に喩えていますが、あまりに大仰な表現であるため、歌の解釈として、真剣な訴えなのか、あるいは仲のよい恋人同士がじゃれ合うような遊び心の歌なのか、…

  • 大伴旅人の従者の歌(2)・・・巻第17-3895~3899

    訓読 >>> 3895玉映(たまは)やす武庫(むこ)の渡りに天伝(あまづた)ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ 3896家にてもたゆたふ命(いのち)波の上(へ)に浮きてし居(を)れば奥処(おくか)知らずも [一云 浮きてし居れば] 3897大海(おほうみ)の奥処(おくか)も知らず行く我(わ)れをいつ来まさむと問ひし子らはも 3898大船(おほぶね)の上にし居(を)れば天雲(あまくも)のたどきも知らず歌ひこそ我(わ)が背(せ) 3899海人娘子(あまをとめ)漁(いざ)り焚(た)く火のおほほしく角(つの)の松原(まつばら)思ほゆるかも 要旨 >>> 〈3895〉武庫の渡し場で、あいにく日が暮れていくもの…

  • 大伴旅人の従者の歌(1)・・・巻第17-3890~3894

    訓読 >>> 3890我(わ)が背子(せこ)を我(あ)が松原(まつばら)よ見わたせば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻(たまも)刈る見ゆ 3891荒津(あらつ)の海(うみ)潮(しほ)干(ひ)潮(しほ)満(み)ち時はあれどいづれの時か我(わ)が恋ひざらむ 3892礒(いそ)ごとに海人(あま)の釣舟(つりふね)泊(は)てにけり我(わ)が船(ふね)泊(は)てむ礒(いそ)の知らなく 3893昨日(きのふ)こそ船出(ふなで)はせしか鯨魚取(いさなと)り比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を今日(けふ)見つるかも 3894淡路島(あはぢしま)門(と)渡(わた)る船の楫間(かぢま)にも我(わ)れは忘れず家をしぞ思ふ 要…

  • 東歌(33)・・・巻第14-3491~3493

    訓読 >>> 3491柳(やなぎ)こそ伐(き)れば生(は)えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ 3492小山田(をやまだ)の池の堤(つつみ)にさす柳(やなぎ)成りも成らずも汝(な)と二人はも 3493遅速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向(むか)つ峰(を)の椎(しひ)の小枝(こやで)の逢ひは違(たが)はじ 要旨 >>> 〈3491〉柳は伐れば代わりが生えてもこよう。が、生身のこの世の人が恋い焦がれて死にそうなのに、どうしろというのか。 〈3492〉山あいの田の池の堤に挿し木した柳は、根づくのもあればつかないものもある。そのように、私の恋が成就しようがしまいが問題ではない。お前との仲はいつ…

  • 燈の影に輝ふ・・・巻第11-2642

    訓読 >>> 燈(ともしび)の影に輝(かがよ)ふうつせみの妹(いも)が笑(ゑ)まひし面影(おもかげ)に見ゆ 要旨 >>> 燈火の光りにきらめいていたあの娘の笑顔が、今も面影に現れて見えることだ。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「影」は光。「かがよふ」はきらめく。当時、燈火は貴重なものでしたから、ある程度の身分があった人の歌とみられます。「うつせみの」は現し身ので、「妹」の感を強めるために添えているもの。「笑まひし」の「し」は強意。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。通って行った夜の印象を歌っているとす…

  • 遣新羅使人の歌(14)・・・巻第15-3595~3599

    訓読 >>> 3652志賀(しか)の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く塩のからき恋をも我(あ)れはするかも 3653志賀の浦に漁(いざ)りする海人(あま)家人(いへびと)の待ち恋ふらむに明かし釣(つ)る魚(うを) 3654可之布江(かしふえ)に鶴(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来(く)らしも [一云 満ちし来(き)ぬらし] 3655今よりは秋づきぬらしあしひきの山松(やままつ)かげにひぐらし鳴きぬ 要旨 >>> 〈3652〉志賀島の海人たちが一日も欠かさず焼く塩、その辛さのように、辛く切ない恋に私は落ちてしまった。 〈3653〉志賀の浦で漁をする海人たちは、家で妻が帰りを心待ちし…

  • 柿本人麻呂、泊瀬部皇女と忍坂部皇子に献る歌・・・巻第2-194~195

    訓読 >>> 194飛ぶ鳥の 明日香(あすか)の川の 上(かみ)つ瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)は 下(しも)つ瀬に 流れ触(ふ)らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡(なび)かひし 夫(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔肌(にきはだ)すらを 剣大刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寐(ね)ねば ぬばたまの 夜床(よとこ)も荒(あ)るらむ〈一に云ふ、荒れなむ〉 そこ故(ゆゑ)に 慰(なぐさ)めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて〈一に云ふ、君も逢ふやと〉 玉垂(たまだれ)の 越智(をち)の大野の 朝露(あさつゆ)に 玉裳はひづち 夕霧(ゆふぎり)に 衣(ころも)は濡(ぬ)れて 草枕 旅寝(たびね…

  • もののふの石瀬の社の・・・巻第8-1470

    訓読 >>> もののふの石瀬(いはせ)の社(もり)の霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか山の常蔭(とかげ)に 要旨 >>> 石瀬の社にいるホトトギスが、今の今鳴いた。この山の陰で。 鑑賞 >>> 刀理宣令(とりのせんりょう)の歌。刀理宣令は渡来系の人で、東宮(聖武天皇)に仕えた文学者とされます。官位は正六位上・伊予掾。『万葉集』には2首、『懐風藻』に2首の詩が載っています。「もののふの」は、八十氏と続くのと同じ意で、五十の「い」、すなわち「石瀬」に掛かる枕詞。「石瀬の社」は未詳ながら、奈良県斑鳩町または三郷町という説があります。「今も鳴かぬか」は「今しも鳴きぬ」と訓むものもあります。「常陰」は、い…

  • 若草の新手枕をまきそめて・・・巻第11-2542

    訓読 >>> 若草の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜(よ)をや隔てむ憎くあらなくに 要旨 >>> 新妻の手枕をまき始めて、これから幾夜も逢わずにいられようか、可愛くて仕方ないのに。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「若草の」は「新手枕」の枕詞。なお、結句の「憎くあらなくに」の原文は「二八十一不在國」と書かれており、「二八十一」の「八十一」を、九九=八十一であることから「くく」と読ませています。それで「に・くく」。まるでとんちクイズのようですが、このように本来の意味とは異なる意味の漢字をあてて読ませることを「戯書(ぎしょ)」といいます。また、この時代から掛け算の九九…

  • 夜のほどろ我が出でて来れば・・・巻第4-754

    訓読 >>> 夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影(おもかげ)に見ゆ 要旨 >>> 夜がほのぼのと明けるころ、別れて私が出てくるとき、名残惜しそうにしていたあなたの姿が面影に見えてなりません。 鑑賞 >>> 若かりし大伴家持が、のちに正妻となる坂上大嬢に贈った歌。「夜のほどろ」の「ほどろ」は、ほどく・ほとばしるの「ほと」と同根で、緊密な状態が散じて緩むことを表す語。『万葉集』では雪が完全に解けていない状態を表現していますが、ここでは、夜がほのぼのと明けるころ。「思へりしく」は「思へりし」に「く」を添えて名詞形にしたもの。次の「し」は強意。「面影」は、…

  • 幸くあらばまたかへり見む・・・巻第13-3240~3241

    訓読 >>> 3240大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木(まき)積む 泉(いずみ)の川の 早き瀬を 棹(さを)さし渡り ちはやぶる 宇治(うぢ)の渡りの 激(たき)つ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けして 我(わ)が越え行けば 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあらば またかへり見む 道の隈(くま) 八十隈(やそくま)ごとに 嘆きつつ 我(わ)が過ぎ行けば いや遠(とほ)に 里(さと)離(さか)り来(き)ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 剣大刀(つるぎたち) 鞘(さや)…

  • 入唐使に贈る歌・・・巻第19-4245~4246

    訓読 >>> 4245そらみつ 大和(やまと)の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波(なには)に下(くだ)り 住吉(すみのえ)の 御津(みつ)に船乗(ふなの)り 直(ただ)渡り 日の入る国に 任(ま)けらゆる 我(わ)が背(せ)の君を かけまくの ゆゆし畏(かしこ)き 住吉の 我(わ)が大御神(おほみかみ) 船(ふな)の舳(へ)に うしはきいまし 船艫(ふなども)に 立たしいまして さし寄らむ 磯の崎々 漕(こ)ぎ泊(は)てむ 泊(とま)り泊(とま)りに 荒き風 波にあはせず 平(たひら)けく 率(ゐ)て帰りませ もとの国家(みかど)に 4246沖つ波(なみ)辺波(へなみ)な越(こ)しそ…

  • うち靡く春来るらし・・・巻第8-1422

    訓読 >>> うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば 要旨 >>> どうやら春がやってきたらしい。遠い山際の木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山の稜線。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木…

  • 射ゆ鹿を認ぐ川辺の・・・巻第16-3874

    訓読 >>> 射(い)ゆ鹿(しし)を認(つな)ぐ川辺(かはへ)のにこ草(ぐさ)の身の若(わか)かへにさ寝(ね)し子らはも 要旨 >>> 射られた手負い鹿の跡を追っていくと、川辺ににこ草が生えていた。そのにこ草のように若かった日に、あの子と寝たのが忘れられない。 鑑賞 >>> 年配の男の歌。上3句は「身の若かへに」を導く序詞。「射ゆ鹿」は、弓で射られた手負いの鹿。この時代、鹿狩りは、天皇から狩人まで上下の身分を問わず好まれた狩猟でした。「認ぐ」は、足跡を追っていく。「にこ草」は、若くてやわらかい草。「若かへ」は、語義未詳ながら、若いころの意か。「子らはも」の「子ら」は複数形ではなく、男性が女性を…

  • うち靡く春来るらし・・・巻第8-1422

    訓読 >>> うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば 要旨 >>> どうやら春がやってきたらしい。遠い山際の木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山の稜線。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木…

  • 春山の咲きのをゐりに・・・巻第8-1421

    訓読 >>> 春山の咲きのをゐりに春菜(はるな)摘(つ)む妹(いも)が白紐(しらひも)見らくしよしも 要旨 >>> 春の山の花が咲き乱れているあたりで菜を摘んでいる子、その子のくっきりした白い紐を見るのはいいものだ。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「をゐり」は「ををり」とも。花が多く咲いて枝がたわむさま。咲いているのは桜とみられます。但し、賀茂真淵は「岬(さき)の撓…

  • 足柄の箱根飛び越え・・・巻第7-1175

    訓読 >>> 足柄(あしがら)の箱根(はこね)飛び越え行く鶴(たづ)の羨(とも)しき見れば大和し思ほゆ 要旨 >>> 足柄の箱根の山を飛び越えて行く鶴の、その羨ましいのを見ると、大和が恋しく思われる。 鑑賞 >>> 「覊旅(旅情を詠む)」歌。「足柄」は、神奈川県と静岡県の県境にある足柄山や足柄峠付近の地。「箱根」は足柄の地に属し、険阻で、難所とされました。当時は、険しい箱根山を迂回するため、その北側にある足柄峠越えの道が使われ、そこには「荒ぶる神が住む」といって恐れたといいます。『万葉集』には、足柄・箱根の歌が17首収められており、峠の恐ろしい神を詠んだ歌や、行き倒れになって死んだ人を悼む長歌…

  • 天の原振り放け見れば・・・巻第3-289~290

    訓読 >>> 289天(あま)の原(はら)振(ふ)り放(さ)け見れば白真弓(しらまゆみ)張りて懸(か)けたり夜道(よみち)はよけむ 290倉橋(くらはし)の山を高みか夜隠(よごもり)に出で来(く)る月の光(ひかり)乏(とも)しき 要旨 >>> 〈289〉大空を遠く振り仰いで見ると、三日月が白い立派な弓を張って輝いている。この分なら、夜道は大丈夫だろう。 〈290〉倉橋の山が高いゆえか、夜遅くなってから出てくる月の光の乏しいことよ。 鑑賞 >>> 題詞に「間人宿祢大浦(はしひとのすくねおおうら:伝未詳)の初月(みかづき)の歌」とあります。「初月」は、新月(陰暦3日の夜の月、三日月)。289の「白…

  • 春柳葛城山に立つ雲の・・・巻第11-2453

    訓読 >>> 春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ 要旨 >>> 春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「春柳」は「葛城山」の枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境の連山。上3句が「立ち」を導く序詞。訳文中の「かずらにする」とは、柳で輪を作って髪飾りにすること。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。まるで漢詩のようです。

  • はしきやし栄えし君のいましせば・・・巻第3-454~458

    訓読 >>> 454はしきやし栄(さか)えし君のいましせば昨日(きのう)も今日(きょう)も我(わ)を召さましを 455かくのみにありけるものを萩(はぎ)の花咲きてありやと問ひし君はも 456君に恋ひいたもすべなみ蘆鶴(あしたづ)の音(ね)のみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして 457遠長(とほなが)く仕(つか)へむものと思へりし君しまさねば心どもなし 458みどり子の這(は)ひた廻(もとほ)り朝夕(あさよひ)に音(ね)のみそ我(あ)が泣く君なしにして 要旨 >>> 〈454〉ああ、お慕わしい、あれほどに栄えたわが君がご健在でおられたら、昨日も今日も私をお呼びになったはずなのに。 〈455〉こんなに…

  • 桜花咲きかも散ると見るまでに・・・巻第12-3129

    訓読 >>> 桜花(さくらばな)咲きかも散ると見るまでに誰(た)れかも此所(ここ)に見えて散り行く 要旨 >>> まるで桜の花が咲いてすぐに散っていくように、誰も彼も、現れたかと思うとすぐまた散り散りになっていく。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。「咲きかも」「誰れかも」の「かも」は疑問の係助詞。旅先の往来に現れては消えていく人の中に妻の幻影を見ている歌、あるいは旅先での出会いと別れを歌ったもので、若い人麻呂の歌だろうとされます。この歌は、のちに蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(『後撰集』)に引き継がれています。

  • 山部赤人が真間の娘子の墓に立ち寄ったときに作った歌・・・巻第3-431~433

    訓読 >>> 431古(いにしえ)に ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯(おび)解(と)き替へて 伏屋(ふせや)立て 妻問(つまど)ひしけむ 葛飾(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てごな)が 奥(おく)つ城(き)を こことは聞けど 真木(まき)の葉や 茂(しげ)りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみも我(わ)れは 忘らゆましじ 432我(わ)も見つ人にも告げむ葛飾(かつしか)の真間(まま)の手児名(てごな)が奥(おく)つ城(き)ところ 433葛飾(かつしか)の真間(まま)の入江(いりえ)にうち靡く(なび)く玉藻(たまも)刈りけむ手児名(てごな)し思ほゆ 要旨 >>>…

  • 一本のなでしこ植ゑしその心・・・巻第18-4070~4072

    訓読 >>> 4070一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心(こころ)誰(た)れに見せむと思ひそめけむ 4071しなざかる越(こし)の君らとかくしこそ柳(やなぎ)かづらき楽しく遊ばめ 4072ぬばたまの夜(よ)渡る月を幾夜(いくよ)経(ふ)と数(よ)みつつ妹(いも)は我(わ)れ待つらむぞ 要旨 >>> 〈4070〉一株のなでしこを庭に植えたその心は、いったい誰に見せようと思いついてのことだったのでしょう。 〈4071〉都から遠く離れた越の国のあなたがたと、これからもこのように柳を縵(かずら)にして遊ぼうではありませんか。 〈4072〉夜空を渡っていく月を眺めながら、もう幾夜を経たかと数えながら…

  • 防人の歌(24)・・・巻第20-4349

    訓読 >>> 百隈(ももくま)の道は来(き)にしをまた更(さら)に八十島(やそしま)過ぎて別れか行(ゆ)かむ 要旨 >>> 多くの曲がりくねった道をここまではるばる来たのに、さらにまた多くの島をめぐって漕いで別れて行かねばならないのか。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。「百隅」は、多くの曲がり角。長い道のりを具象的に表現しています。「八十島」は、多くの島で、こちらも海路の遠いのを言っています。遥々陸路を辿ってきて、さらに難波から遥か筑紫に向けて船出する時の歌のようです。 防人歌について 防人歌は東歌の中にも数首見られますが、一般には巻第20に収められた84首を指します。これらは天平勝宝7年(7…

  • いにしへの古き堤は年深み・・・巻第3-378

    訓読 >>> いにしへの古き堤(つつみ)は年深み池の渚(なぎさ)に水草(みくさ)生(お)ひにけり 要旨 >>> 昔栄えた邸の庭の古い堤は、長い年月を重ね、池のみぎわには水草が生い繁っている。 鑑賞 >>> 題詞に「故(すぎにし)太政大臣藤原家の山池(しま)を詠む」歌とあり、藤原不比等が没した10年以上の後に山部赤人が詠んだ鎮魂歌です。何かの行事に際しての訪問だったと見られます。不比等が薨じた時(720年)は正二位右大臣でしたが、薨後に正一位太政大臣を賜りました。「藤原家」とあるのは諱(いみな)を書くのを憚った言い方で、尊称です。「山池」は、築山や池のある庭園のこと。 赤人は往時の不比等を目にし…

  • 御食向ふ南淵山の・・・巻第9-1709

    訓読 >>> 御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる 要旨 >>> 南淵山の山肌の巌には、はらはらと降った淡雪がまだ消えずに残っている。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から、「弓削皇子に献上した歌」とある歌。弓削皇子は、天武天皇の第9皇子。「御食向ふ」は「南淵山」の枕詞。「南淵山」は、明日香村稲淵の山。「はだれ」は、薄く降る雪。この歌には何某かの寓意があるのではと指摘されますが、斎藤茂吉は「学者等の一つの迷いである」として、「叙景歌として、しっとりと落ち着いて、重厚にして単純、清厳ともいうべき味わい」と言っており、国文学者の池田彌三郎は、「…

  • 世の常に聞けば苦しき呼子鳥・・・巻第8-1447

    訓読 >>> 世の常(つね)に聞けば苦しき呼子鳥(よぶこどり)声なつかしき時にはなりぬ 要旨 >>> ふだんは切なく苦しく聞こえる呼子鳥の、その鳴き声もなつかしく聞かれる春になってきた。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の歌。「呼子鳥」は、カッコウとされます。左注に3月1日(新暦の4月上旬)とあります。斎藤茂吉はこの歌を評し、奇もなく鋭いところもないが、季節の変化に対する感じも出ており、春の女心に触れることもできるようなところがある、「時にはなりぬ」だけで詠嘆がこもっている、と言っています。

  • 我が背子はいづく行くらむ・・・巻第1-43~44

    訓読 >>> 43我(わ)が背子(せこ)はいづく行くらむ沖つ藻(も)の名張(なばり)の山を今日(けふ)か越ゆらむ 44我妹子(わぎもこ)をいざ見(み)の山を高みかも大和(やまと)の見えぬ国遠みかも 要旨 >>> 〈43〉今ごろ夫はどのあたりを旅しているのだろう。名張の山を今日にでも越えているのだろうか。 〈44〉妻を「いざ見よう」という名のいざみ山が高いせいか、妻のいる大和が見えない。それとも国を遠く隔てて来たせいだろうか。 鑑賞 >>> 43は、持統天皇6年(692年)3月の伊勢行幸の折、従駕した当麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)の妻が、旅路にある夫を案じて作った歌。44は、同じく従駕した石…

  • 朝床に聞けば遥けし・・・巻第19-4150

    訓読 >>> 朝床(あさとこ)に聞けば遥(はる)けし射水川(いみづがは)朝漕ぎしつつ唄(うた)ふ舟人 要旨 >>> うつらうつらとする朝床の中で耳を澄ますと、遙かな射水川を、朝漕ぎしながら唄う舟人の声が聞こえてくる。 鑑賞 >>> 大伴家持が越中の国守時代に詠んだ歌。題詞には「江(かは)を泝(さかのぼ)る舟人の唄を遥かに聞く」とあります。この遥聞・泝江・舟人のいずれもが、中国文学(とくに漢詩)に見られる漢語であり、それらをそのまま取り込んだような歌になっています。漢詩の世界を和歌に置き換えて詠むという家持の和歌の特徴がよくあらわれた作として評価されています。「射水川」は、富山県を流れる小矢部川…

  • 防人の歌(23)・・・巻第20-4369

    訓読 >>> 筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ 要旨 >>> 筑波の嶺に咲くさ百合の花ではないが、夜床(ゆとこ)で可愛くてならない彼女は、昼間でも可愛くてならない。 鑑賞 >>> 常陸国の防人の歌。「筑波嶺」は、茨城県西部の筑波山。上2句は「夜床」を導く序詞。「さ百合(ゆる)」の「さ」は美称、「ゆる」は「ゆり」の方言で山百合の花。「夜床(ゆとこ)」は「よとこ」の方言。「愛しけ」は「愛しき」の方言。妹の可愛さを称えるのに終始しており、斎藤茂吉はこの歌を「言い方が如何にも素朴直截で愛誦するに堪うべきもの」と評しています。

  • 人魂のさ青なる君が・・・巻第16-3887~3889

    訓読 >>> 3887天(あめ)にあるやささらの小野(をの)に茅草(ちがや)刈り草(かや)刈りばかに鶉(うづら)を立つも3888沖つ国うしはく君の塗(ぬ)り屋形(やかた)丹塗(にぬ)りの屋形(やかた)神の門(と)渡る3889人魂(ひとだま)のさ青(を)なる君がただひとり逢へりし雨夜(あまよ)の葉非左し思ほゆ 要旨 >>> 〈3887〉天界のささらの小野で茅草を刈っていたら、私の草刈り場の草陰から、だしぬけにウズラが飛び立った。 〈3888〉沖の果ての冥界をお治めになる大君の、丹塗りの屋形丹、その丹塗りの屋形丹が、神霊のとどまる狭い所をお渡りになる。 〈3889〉人魂である真っ青な顔の君が、ただ…

  • 池神の力士舞かも・・・巻第16-3831

    訓読 >>> 池神(いけがみ)の力士舞(りきしまひ)かも白鷺(しらさぎ)の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛び渡(わた)るらむ 要旨 >>> 池の神が演じる力士舞なのだろうか。白鷺が桙を持つように枝をくわえて飛んでいくよ。 鑑賞 >>> 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の「白鷺が木をくわえて飛ぶのを詠む」歌。「池神」は、池の神のほか、地名や寺の名とする説もあります。「力士舞」は、日本最初の舞楽である伎楽の一つで、仏教と共に伝わったことから仏教儀式に不可欠なものとされ、奈良時代の大仏開眼供養でも上演されました。内容は、美女を追う怪物を金剛力士が討つ様子を演じるもので、力士が怪物のマラ形(男根)を…

  • かくしてやなほや老いなむ・・・巻第7-1349~1352

    訓読 >>> 1349かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野(おひあらきの)の小竹(しの)にあらなくに 1350近江のや八橋(やばせ)の小竹(しの)を矢はがずてまことありえむや恋(こほ)しきものを 1351月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露に濡れての後(のち)はうつろひぬとも 1352我が心ゆたにたゆたに浮蓴(うきぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ 要旨 >>> 〈1349〉私は、雪の降る大荒木野の篠竹(しのだけ)ではないのに、恋を遂げずにこのまま朽ち果てるのは残念だ。 〈1350〉近江のあの八橋の篠竹を刈り取って矢にしないなどということがあるものか、これほど恋しくてなら…

  • 吾が齢し衰へぬれば・・・巻第12-2952

    訓読 >>> 吾が齢(よはひ)し衰(おとろ)へぬれば白細布(しろたへ)の袖のなれにし君をしぞ思ふ 要旨 >>> おれも年を取って体も衰えてしまったが、今しげしげと通わなくても、長年馴れ親しんだお前のことが思い出されてならない。 鑑賞 >>> 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「白細布の」は「袖」の枕詞。「白細布の袖の」は、「なれ」を導く序詞。「なれにし」は「馴れ」と「萎(な)れ」の掛詞になっており、馴れ親しんだ意と、使用して馴染んで皺くちゃになる有様を言っています。年衰えた男が長年連れ添った妻を有り難く思っている歌と解しましたが、「君」とあるので女が男を思う歌とも取れます。

  • 石麻呂に我れ物申す・・・巻第16-3853~3854

    訓読 >>> 3853石麻呂(いしまろ)に我(わ)れ物申す夏痩(なつや)せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕(と)り食(め)せ 3854痩(や)す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を捕ると川に流るな 要旨 >>> 〈3853〉石麻呂さんにあえて物申しましょう。夏痩せによく効くというウナギを捕ってお食べなさい。 〈3854〉(いや待てよ)いくら痩せていても生きてさえいればいいのだから、万が一にも鰻を捕ろうとして川に流されたりするな。 鑑賞 >>> 吉田連老(よしだのむらじおゆ)、通称、石麻呂という人がおり、生まれつき体がひどく痩せていて、どれほどたくさん食べても、姿は飢饉のときのようであ…

  • 天雲のそきへの極み・・・巻第19-4247

    訓読 >>> 天雲(あまくも)のそきへの極(きは)み我(あ)が思へる君に別れむ日近くなりぬ 要旨 >>> 天雲の果てまでも限りなく思っている母上に、お別れしなければならない日が近くなりました。 鑑賞 >>> 阿倍朝臣老人(あべのあそみおゆひと:伝未詳)が遣唐使の随員として唐に渡る直前に、母にさし上げた悲別の歌。「老人」は名であって、年寄りの意味ではありません。「そきへ」は、遠方。敬愛する母を残して旅立つ子の苦悩であり、シングルマザーの一人っ子の歌のように感じられます。

  • 東歌(32)・・・巻第14-3565

    訓読 >>> かの子ろと寝(ね)ずやなりなむはだすすき宇良野(うらの)の山に月(つく)片寄るも 要旨 >>> 今夜はあの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が傾いてきた。 鑑賞 >>> 「はだすすき」は穂を出した薄で、「宇良野」の枕詞。「宇良野」は、長野県上田市浦野か。「月(つく)」は月の東語。女の許に向かっている男が、月が傾いたのを見て、行き着いたら夜明けになるのではないかと焦っている歌です。万葉の恋人たちはどんなにお熱い中でも、会えるのはひと月に十日くらいがせいぜいだったといいます。その理由はすべて月にあり、三日月の頃から通い、闇夜では会うことができなかったので…

  • 常世にと我が行かなくに・・・巻第4-723~724

    訓読 >>> 723常世(とこよ)にと 我(わ)が行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲(がな)しらに 思へりし 我(あ)が子の刀自(とじ)を ぬばたまの 夜昼(よるひる)といはず 思ふにし 我(あ)が身は痩せ(や)せぬ 嘆くにし 袖(そで)さへ濡(ぬ)れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷(ふるさと)に この月ごろも ありかつましじ 724朝髪(あさかみ)の思ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれそ夢(いめ)に見えける 要旨 >>> 〈723〉あの世に私が行ってしまうわけでもないのに、門口で悲しそうにしていた我が子よ。留守中に私に代わってつとめる刀自(主婦)のことを思うと、夜も昼も心配で私はやせて…

  • うつつにか妹が来ませる・・・巻第12-2917

    訓読 >>> うつつにか妹(いも)が来ませる夢(いめ)にかも我(わ)れか惑(まど)へる恋の繁(しげ)きに 要旨 >>> 実際に彼女がやってきたのか、それとも夢なのか、あるいは私が取り乱しているのか、恋の激しさのために。 鑑賞 >>> 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「うつつ」は、現実。この歌について作家の大嶽洋子は、「後世の伊勢物語の下地ではないかと思われるような物語性のある歌である。妹に対して『来ませる』などと敬語を使っているところは、伊勢物語第69段の斎宮と昔男との月夜の出来事を思わせる。夢に私が迷ったのか、それとも現実に恋人がやって来たのだろうかと複雑な現実と夢の世…

  • 平群女郎が大伴家持に贈った歌(2)・・・巻第17-3937~3942

    訓読 >>> 3937草枕(くさまくら)旅(たび)去(い)にし君が帰り来(こ)む月日を知らむすべの知らなく 3938かくのみや我(あ)が恋ひ居(を)らむぬばたまの夜(よる)の紐(ひも)だに解(と)き放(さ)けずして 3939里近く君が業(な)りなば恋ひめやともとな思ひし我(あ)れぞ悔(くや)しき 3940万代(よろづよ)に心は解けて我が背子(せこ)が捻(つ)みし手見つつ忍(しの)びかねつも 3941うぐひすの鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ 3942松の花(はな)花数(はなかず)にしも我(わ)が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ 要旨 >>> 〈3937〉(越中に)旅立っ…

  • 平群女郎が大伴家持に贈った歌(1)・・・巻第17-3931~3936

    訓読 >>> 3931君により我が名はすでに龍田山(たつたやま)絶えたる恋の繁(しげ)きころかも 3932須磨人(すまひと)の海辺(うみへ)常(つね)去らず焼く塩の辛(から)き恋をも我(あ)れはするかも 3933ありさりて後(のち)も逢(あ)はむと思へこそ露(つゆ)の命(いのち)も継(つ)ぎつつ渡れ 3934なかなかに死なば安(やす)けむ君が目を見ず久(ひさ)ならばすべなかるべし 3935隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ひあまり白波(しらなみ)のいちしろく出でぬ人の知るべく 3936草枕(くさまくら)旅にしばしばかくのみや君を遣(や)りつつ我(あ)が恋ひ居(を)らむ 要旨 >>> 〈393…

  • 忘れ草我が下紐に付けたれど・・・巻第4-727~728

    訓読 >>> 727忘れ草 我(わ)が下紐(したひも)に付けたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)言(こと)にしありけり 728人もなき国もあらぬか我妹子(わぎもこ)とたづさはり行きて副(たぐ)ひて居(を)らむ 要旨 >>> 〈727〉苦しみを忘れるために、忘れ草を着物の下紐につけていたけれど、役立たずのろくでなしの草だ、名ばかりであった。 〈728〉邪魔者のいない所はないものか。あなたと手を取り合って行き、二人一緒にいたいものだ。 鑑賞 >>> 大伴家持が、後に彼の正妻となる大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)に贈った歌。この歌は、二人が離絶してから数年後に再会して詠んだ歌とされま…

  • 山の際に渡る秋沙の・・・巻第7-1122~1124

    訓読 >>> 1122山の際(ま)に渡る秋沙(あきさ)の行きて居(ゐ)むその川の瀬に波立つなゆめ 1123佐保川(さほがは)の清き川原に鳴く千鳥(ちどり)かはづと二つ忘れかねつも 1124佐保川に騒(さは)ける千鳥さ夜(よ)更けて汝(な)が声聞けば寝(い)ねかてなくに 要旨 >>> 〈1122〉山あいを鳴き渡る秋沙鴨が飛んで行って降り立つのだろう。その川瀬に波よ立つな、決して。 〈1123〉佐保川の清らかな川原に鳴く千鳥、そしてカジカガエルの鳴く声は、どちらも忘れられない。 〈1124〉佐保川で飛び跳ねている千鳥よ、夜も更けてきてお前が妻を呼んで鳴く声を聞いたら、寝ようにも寝られない。 鑑賞 …

  • ぬばたまの夜さり来れば・・・巻第7-1101

    訓読 >>> ぬばたまの夜さり来れば巻向(まきむく)の川音(かはと)高しも嵐(あらし)かも疾(と)き 要旨 >>> 暗闇の夜がやってくると、巻向川の川音が高くなった。嵐が来ているのだろうか。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から1首。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「巻向川」は、巻向山から三輪山の北を西流し、初瀬川にそそぐ川。「嵐かも」の「かも」は、疑問の係助詞。「嵐」の原文は「荒足」で、「荒」は、本来は、始原的で霊力が強く発動している状態をあらわす言葉とされ、そういった意味がここにも感じ取られています。 この歌について斎藤茂吉は「無理なくありのままに歌われているが、無理がないといっても、『ぬば…

  • 大海に島もあらなくに・・・巻第7-1089

    訓読 >>> 大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなばら)のたゆたふ波に立てる白雲(しらくも) 要旨 >>> 大海には島一つ見えないことよ、そして漂う波の上には白雲が立っている。 鑑賞 >>> 伊勢従駕の折の、作者未詳歌。「大海に島もあらなくに」の「に」は、詠嘆。島もないことよ。「たゆたふ」は、揺れて定まらないさま、漂う。大和国にばかり住んでいて、雲といえば山に立つものと思っていた人の最初の驚異だったようです。斎藤茂吉はこの歌について、「調子に流動的に大きいところがあって、藤原期の人麿の歌などに感ずると同じような感じを覚える。ウナバラノ・タユタフ・ナミニあたりに、明らかにその特色が見えてい…

  • 春日山おして照らせるこの月は・・・巻第7-1074

    訓読 >>> 春日山(かすがやま)おして照らせるこの月は妹(いも)が庭にも清(さや)けかりけり 要旨 >>> 春日山の一面に照り渡っているこの月は、私の恋人の庭にもさやかに照っていることだよ。 鑑賞 >>> 「月を詠む歌」、作者未詳。「春日山」は、奈良市東部にある山。「おして」は、光が上から押すように強く照らしているさま。一帯を照らす月明かりの中、愛しい女の家にやって来たら、その庭にも月の光がさやかに差し込んでいた、その感慨を詠んだ歌です。女の家は、春日山の裾、春日野のあたりにあったようです。

  • 海原の道遠みかも・・・巻第7-1075

    訓読 >>> 海原(うなはら)の道(みち)遠(とほ)みかも月読(つくよみ)の明(あかり)少なき夜(よ)は更けにつつ 要旨 >>> 海原を渡ってくる道が遠いせいか、月の光が少ししか届かない。夜はもう更けてきたというのに。 鑑賞 >>> 「月を詠む歌」、作者未詳。「遠み」は、遠いので。「かも」は疑問。「月読」は、月を神格化した表現。月が遠い海原を渡ってこの国土にやって来るというのは、月は海のものとする上代からの信仰にもとづく表現です。曇ってもいないのに月の光が少ないのであれば、それは潮気のせいでしょうか。

  • 朝戸出の君が足結を・・・巻第11-2357

    訓読 >>> 朝戸出(あさとで)の君が足結(あゆひ)を濡らす露原(つゆはら) 早く起き出でつつ我(わ)れも裳裾(もすそ)濡らさな 要旨 >>> 朝、戸を出てお帰りになるあなたの足許を濡らす露の原。私も早起きして、あなたに連れ添って出て、裳裾を濡らしましょう。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から旋頭歌1首。「足結」は、袴の膝下のあたりをくくる紐のこと。古代では、男が女の家を訪ねて行って、翌朝に出て行く「妻問い婚」が一般的で、その多くは周囲には秘密の関係でした。別れの朝、一夜を共にした女性が見送ります。しかし、戸口までだったら誰にも気づかれないけれど、一緒に外に出てしまうと、皆が気づいてしまう。…

  • 妹も我れも心は同じ・・・巻第17-3978~3980

    訓読 >>> 3978妹(いも)も我(あ)れも 心は同(おや)じ 比(たぐ)へれど いやなつかしく 相(あひ)見れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我()が奥妻(おくづま) 大君(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み あしひきの 山越え野(ぬ)行き 天離(あまざか)る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 別れ来(こ)し その日の極(きは)み あらたまの 年行き反(がへ)り 春花(はるはな)の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ しきたへの 袖(そで)返しつつ 寝(ぬ)る夜(よ)落ちず 夢(いめ)には見れど 現(うつつ)にし 直(ただ)にあらねば うち行きて 妹…

  • 真間娘子(ままのをとめ)伝説・・・巻第9-1807~1808

    訓読 >>> 1807鶏(とり)が鳴く 吾妻(あづま)の国に 古(いにしへ)に ありける事と 今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(あをくび)着け 直(ひた)さ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻きは梳(けづ)らず 履(くつ)をだに 穿(は)かず行けども 錦綾(にしきあや)の 中につつめる 斎(いは)ひ子も 妹(いも)に如(し)かめや 望月(もちづき)の 満(み)れる面(おも)わに 花の如(ごと) 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 水門(みなと)入(いり)に 船漕ぐ如く 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも…

  • 持統天皇の伊勢行幸の折、都に残った柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-40~42

    訓読 >>> 40嗚呼見(あみ)の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳(たまも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか 41釧(くしろ)着く手節(たふし)の崎に今日(けふ)もかも大宮人(おほみやひと)の玉藻(たまも)刈るらむ 42潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまべ)こぐ船に妹(いも)乗るらむか荒(あら)き島廻(しまみ)を 要旨 >>> 〈40〉あみの浦で船乗りをしているだろう若い女官たちの美しい裳の裾に、今ごろ潮が満ち寄せているだろうか。 〈41〉美しい釧(くしろ・腕輪)をつけて、手節の岬に今日もまた、大宮人たちは藻を刈っているのだろう。 〈42〉潮が満ちてきて鳴りさわぐころ、伊良虞の島あ…

  • 防人の歌(23)・・・巻第20-4369

    訓読 >>> 筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ 要旨 >>> 筑波の嶺に咲くさ百合の花ではないが、夜床(ゆとこ)で可愛くてならない彼女は、昼間でも可愛くてならない。 鑑賞 >>> 常陸国の防人の歌。「筑波嶺」は、茨城県西部の筑波山。上2句は「夜床」を導く序詞。「さ百合(ゆる)」の「さ」は美称、「ゆる」は「ゆり」の方言で山百合の花。「夜床(ゆとこ)」は「よとこ」の方言。「愛しけ」は「愛しき」の方言。妹の可愛さを称えるのに終始しており、斎藤茂吉はこの歌を「言い方が如何にも素朴直截で愛誦するに堪うべきもの」と評しています。

  • 吉野なる夏実の川の川淀に・・・巻第3-375

    訓読 >>> 吉野なる夏実(なつみ)の川の川淀(かはよど)に鴨(かも)ぞ鳴くなる山陰(やまかげ)にして 要旨 >>> 吉野の菜摘の川の淀んだあたりで鴨の鳴く声がする。山陰のあたりで、ここから姿は見えないけれども。 鑑賞 >>> 湯原王が吉野で作った歌。湯原王は、天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいます。天平前期の代表的な歌人の一人で、父の透明感のある作風をそのまま継承し、またいっそう優美で繊細であると評価されています。生没年未詳。 「吉野なる」は、吉野にある。「夏実の川」は、奈良県吉野町宮滝の上流、菜摘の地を流れる吉野川。この辺りで川が湾曲し、半島状となった地の…

  • 梅花の歌(5)・・・巻第5-834~839

    訓読 >>> 834梅の花今盛りなり百鳥(ももとり)の声の恋(こほ)しき春 来(きた)るらし 835春さらば逢はむと思(も)ひし梅の花 今日(けふ)の遊びに相(あひ)見つるかも 836梅の花 手折(たを)りかざして遊べども飽(あ)き足らぬ日は今日(けふ)にしありけり 837春の野に鳴くや鴬(うぐひす)馴なつけむと我(わ)が家(へ)の園(その)に梅が花咲く 838梅の花散り乱(まが)ひたる岡(をか)びには鴬(うぐひす)鳴くも春かたまけて 839春の野に霧(きり)立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 要旨 >>> 〈834〉梅の花は今が真っ盛りだ。様々な鳥のさえずる声が恋しくなる春がやって来た…

  • 思はぬに時雨の雨は降りたれど・・・巻第10-2227

    訓読 >>> 思はぬに時雨(しぐれ)の雨は降りたれど天雲(あまぐも)はれて月夜(つくよ)清(さや)けし 要旨 >>> 思いがけず時雨が降ったけれど、いつのまにか雲がなくなって、月明かりとなったよ。 鑑賞 >>> 「月を詠む」作者未詳歌。この歌について斎藤茂吉は次のように言っています。「言葉がいかにも精煉せられているように思う。それも専門家的の苦心惨憺というのではなくて、尋常の言葉で無理なくすらすらと云っていて、これだけ充実したものになるということは時代の賜といわなければならない」。

  • 朝月の日向黄楊櫛・・・巻第11-2500

    訓読 >>> 朝月(あさづき)の日向(ひむか)黄楊櫛(つげくし)古(ふ)りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ 要旨 >>> 朝の月が日に向かうという、日向産の使い古した黄楊櫛(つげぐし)のように、私たちの仲もずいぶん古くなってしまいましたが、どうしてあなたはいくら見ても見飽きないのでしょう。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。上2句は「古りぬれど」を導く序詞。「朝月の」は「日向」の枕詞。「日向」は、国名で今の宮崎県。「何しか」は、どういわけか。夫婦関係が久しくなっている妻が、朝、黄楊の櫛を扱いながら、夫に対して和んで言っている歌です。梳っているのは自分…

  • 楽浪の比良山風の・・・巻第9-1715

    訓読 >>> 楽浪(ささなみ)の比良山風(ひらやまかぜ)の海吹けば釣りする海人(あま)の袖(そで)返る見ゆ 要旨 >>> 比良山から湖上に吹き下ろす風に、釣り人の着物の袖がひらひらと翻っている。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から。題詞に「槐本(えにすのもと)の歌一首」とあるものの、「槐本」は「柿本」の誤写だとして、人麻呂の作とみる説があります。「楽浪」は、琵琶湖の西南沿岸。「比良山風」は、比良山から吹き降ろす風。「比良山」は、京都府と滋賀県との境に立つ山で、伊吹山と相対しています。「海」は琵琶湖。「返る」は、ひるがえる。斎藤茂吉はこの歌を、「張りのある清潔音の連続で、ゆらぎの大きい点も人麻…

  • 大口の真神の原に降る雪は・・・巻第8-1636

    訓読 >>> 大口(おほくち)の真神(まがみ)の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに 要旨 >>> 真神の原に降っている雪よ、そんなにひどく降らないでほしい。ここに我が家はないのだから。 鑑賞 >>> 舎人娘子(とねりのおとめ)の歌。舎人娘子は伝未詳ながら、皇子の傅(ふ)だった舎人氏の娘ではないかともいわれます。舎人氏は帰化人の末とされます。 「大口の」は、口が大きい意で、狼を真神と称したところから「真神」の枕詞。「真神の原」は、明日香村にある飛鳥寺の南方の原。「いたくな降りそ」の「いたく」は、ひどく、「な~そ」は、禁止。真神の原を通っていて、折から降ってきた雪に呼びかけているとみられます…

  • 大丈夫のさつ矢手挟み・・・巻第1-61

    訓読 >>> 大丈夫(ますらを)のさつ矢(や)手挟(たばさ)み立ち向ひ射(い)る圓方(まとかた)は見るにさやけし 要旨 >>> ますらおが、矢を手挟んで立ち向かい射貫く的、その名の圓方の浜は見るからに清々しい。 鑑賞 >>> 舎人娘子(とねりのおとめ)の歌。大宝2年(702年)の持統天皇三河行幸に従駕したときの作であり、この歌から、舎人娘子は持統天皇に仕えた宮女だったのではないかともいわれます。「大丈夫の~射る」は「圓方」を導く序詞。「圓方」は「的」の意味で続き、地名の「圓方(三重県松坂市)」の「圓」に転じています。「さつ矢」は、神の加護がある幸多き矢の意で、矢のほめ言葉。 土地を讃える歌の場…

  • 山の黄葉今夜もか・・・巻第8-1587

    訓読 >>> あしひきの山の黄葉(もみちば)今夜(こよひ)もか浮かび行くらむ山川(やまがは)の瀬に 要旨 >>> この山の黄葉は今夜にも散って、浮かんで流れていくことだろうか、山川の瀬に。 鑑賞 >>> 天平10年(738年)ころの冬、大伴書持が橘奈良麻呂の宴に出席し、諸詩人と競い合って詠んだ歌。「あしひきの」は「山」の枕詞。 この歌について、斎藤茂吉は次のように言っています。「皆黄葉(もみじ)を内容としているが書持の歌い方が稍やや趣(おもむき)を異(こと)にし、夜なかに川瀬に黄葉の流れてゆく写象を心に浮べて、『今夜こよひもか浮びゆくらむ』と詠歎している。ほかの人々の歌に比して、技巧の足りない…

  • かがよふ玉を取らずはやまじ・・・巻第6-950~953

    訓読 >>> 950大君(おほきみ)の境(さか)ひたまふと山守(やまもり)据(す)ゑ守(も)るといふ山に入(い)らずはやまじ 951見わたせば近きものから岩隠(いはがく)りかがよふ玉を取らずはやまじ 952韓衣(からころも)着(き)奈良(なら)の里(さと)の夫松(つままつ)に玉をし付(つ)けむ好(よ)き人もがも 953さを鹿(しか)の鳴くなる山を越(こ)え行かむ日だにや君がはた逢はざらむ 要旨 >>> 〈950〉大君の御領として境を設けられ、山の番人を置いてまで管理されている山であっても、私は入らずにはいられない。 〈951〉海の上を見渡すと、近くにありながら、岩陰に光り輝いている玉がある。そ…

  • 風交り雪は降るとも・・・巻第8-1445

    訓読 >>> 風(かぜ)交(まじ)り雪は降るとも実にならぬ我家(わぎへ)の梅を花に散らすな 要旨 >>> 風交りの雪が降ることもあろうが、私の家の、まだ実になっていない梅の花を散らさないでおくれ。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の歌。作者の娘(坂上大嬢)のことを喩えた歌といわれます。坂上大嬢は家持の従妹にあたり、のち家持の正妻になった女性です。「実に」は、確かな夫婦関係を喩える語でもあり、この歌は、娘に求婚している者のあるのを知って、それに対して腕曲に警戒を求めたもののようです。

  • 東歌(31)・・・巻第14-3424~3425

    訓読 >>> 3424下(しも)つ毛野(けの)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のす目(ま)ぐはし児(こ)ろは誰(た)が笥(け)か持たむ 3425下(しも)つ毛野(けの)安蘇(あそ)の川原(かはら)よ石踏まず空(そら)ゆと来(き)ぬよ汝(な)が心 告(の)れ 要旨 >>> 〈3424〉下野の三毳の山の小楢のように美しいあの子は、将来いったい誰のために食物の器を差し出すことになるのだろう。 〈3425〉下野の安蘇の川原の石を踏まずに、空を飛ぶ思いでやってきたのだ。さあ、お前の本当の気持ちを言ってくれ。 鑑賞 >>> 下野(しもつけの)の国の歌。下野国は栃木県一帯。3424の「三毳の山」は、栃木県佐…

  • み空行く月の光にただ一目・・・巻第4-710

    訓読 >>> み空行く月の光にただ一目(ひとめ)相(あひ)見し人の夢(いめ)にし見ゆる 要旨 >>> 月明かりの下でたったひと目見かけただけの人、そのお方の姿が夢に出てきます。 鑑賞 >>> 作者の安都扉娘子(あとのとびらのをとめ)は伝未詳ながら、物部氏と同祖の安都氏出身の娘子とされます。「扉」は字(あざな)か。『万葉集』にはこの1首のみ。大伴家持を中心とした贈答歌群中にあるため、家持をとりまく女性の一人だったかもしれません。 「み空」の「み」は美称。「相見し」は、ふつう男女の関係をもったことを言いますが、ここでは「ただ一目」とあるので、視線を交わした、あるいはちょっと逢った程度のこととみられ…

  • 百済野の萩の古枝に・・・巻第8-1431

    訓読 >>> 百済野(くだらの)の萩(はぎ)の古枝(ふるえ)に春待つと居(を)りし鶯(うぐひす)鳴きにけむかも 要旨 >>> 百済野の萩の古枝に春の訪れを待っていたウグイスは、もう鳴き始めているだろうか。 鑑賞 >>> 山部赤人の歌。「百済野」は、奈良県北葛城郡広陵町百済にある野とされますが、「くだら」の名の地は関西には何か所かあり、大阪市天王寺区と見る説もあります。百済国からの帰化人がいたための名だろうとされます。春の光景を眼前にして、まだ冬だった頃に見かけた百済野の萩の古枝にいた鶯を思い出しています。斎藤茂吉はこの歌を評し、「何でもないようであるが、徒に興奮せずに、気品を持たせているのを尊…

  • 木の暗の茂き峰の上を・・・巻第20-4305

    訓読 >>> 木(こ)の暗(くれ)の茂(しげ)き峰(を)の上(へ)を霍公鳥(ほととぎす)鳴きて越ゆなり今し来(く)らしも 要旨 >>> 木々のうっそうと繁る峰の上を、ホトトギスが鳴きながら越えている。今にもこちらまでやって来そうだ。 鑑賞 >>> 4月、大伴家持が霍公鳥を詠んだ歌。「木の暗」は、木が茂って暗いところ。「今し」の「し」は強意。「来らしも」の「らし」は、確かな根拠にもとづく推定。「も」は詠嘆。 4305について斎藤茂吉は、「気軽に作った独詠歌だが、流石に練れていて旨いところがある。それは、『鳴きて越ゆなり』と現在をいって、それに主点を置いたかと思うと、おのずからそれに続くべき、第二…

  • 【為ご参考】「東歌」について

    巻第14には「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。 もっとも、これらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実…

  • 梅花の歌(4)・・・巻第5-828~833

    訓読 >>> 828人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 829梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや 830万代(よろづよ)に年は来(き)経(ふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし 831春なれば宜(うべ)も咲きたる梅の花君を思ふと夜眠(よい)も寝なくに 832梅の花折りてかざせる諸人(もろひと)は今日(けふ)の間(あひだ)は楽しくあるべし 833年のはに春の来(きた)らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ 要旨 >>> 〈828〉人それぞれに手折って髪飾りにして楽しんでいるけれど、何とも素晴らしい梅の花だろう。 〈829〉梅の花が散ると、続いて桜の花が咲…

  • うち日さす宮道を人は・・・巻第11-2382

    訓読 >>> うち日さす宮道(みやぢ)を人は満ち行けど我(あ)が思ふ君はただひとりのみ 要旨 >>> 都大路を人が溢れるほどに往来しているけれど、私が思いを寄せるお方はたったお一人っきりです。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「うち日さす」は「宮」の枕詞。「宮道」は、藤原京の都大路とされます。官人の妻が、朝、出仕して宮道を行く夫を捉えての歌でしょうか。あるいは作家の田辺聖子は、次のように評しています。「愛の不思議にはじめて遭遇しておどろく、そのさまがういういしいので、まだ十代の恋だろうか。素直なおどろきが、忘れがたい思いを残す。『万葉集』には強い…

  • 我れゆ後生まれむ人は・・・巻第11-2375~2376

    訓読 >>> 2375我(わ)れゆ後(のち)生まれむ人は我(あ)がごとく恋する道に逢(あ)ひこすなゆめ2376ますらをの現(うつ)し心(ごころ)も我(わ)れはなし夜昼(よるひる)といはず恋ひしわたれば2377何せむに命(いのち)継ぎけむ我妹子(わぎもこ)に恋ひぬ前(さき)にも死なましものを 要旨 >>> 〈2375〉私より後に生まれてきた人は、この私のように恋に落ちて苦しい目にあってはいけない、決して。 〈2376〉男らしく堂々とした男子だと自分のことを思っていたが、正気さえ失ってしまった。夜となく昼となく、ただただ彼女が恋しいばかりで。 〈2377〉なぜ命を保ち続けてきたのだろう。あの子に恋…

  • 志賀の海女は藻刈り塩焼き・・・巻第3-278

    訓読 >>> 志賀(しか)の海女(あま)は藻(め)刈り塩焼き暇(いとま)なみ櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)取りも見なくに 要旨 >>> 志賀島の海女たちは、藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、櫛笥の小櫛を手に取って見ることもできずにいる。 鑑賞 >>> 「志賀」は、博多湾の志賀島。現在は陸続きになっています。「藻」は、海藻の総称。「櫛笥」は、櫛を入れる箱。「小櫛」の「小」は、接頭語。海人の女がその生業にあまりにも忙しく、女として大切な髪をいたわる暇もないことを嘆き憐れんでいます。『万葉集』で「海人」を詠んだ歌は66首あり、地名を冠して呼ばれることが多く、その大半は海人自身によるのではなく…

  • 防人の歌(22)・・・巻第20-4370

    訓読 >>> 霰(あられ)降り鹿島(かしま)の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に我れは来(き)にしを 要旨 >>> 武神であられる鹿島の神に祈りを捧げながら、天皇の兵士として私はやってきたのだ。 鑑賞 >>> 常陸国の防人の歌。「霰降り」は、あられが降って喧(かしま)しいことから、同音の「鹿島」に続く枕詞。「鹿島の神」は、古来、軍神として崇められた鹿島神宮。常陸の国府を出立し、その道すがら長久を祈願したものと見えます。「皇御軍に」は、天皇の兵士として。

  • 防人の歌(21)・・・巻第20-4407

    訓読 >>> ひな曇(くも)り碓氷(うすひ)の坂を越えしだに妹(いも)が恋しく忘らえぬかも 要旨 >>> 日が曇って薄日がさすという碓氷の坂、まだこの坂を越えたばかりなのに、無性に妻が恋しくて忘れられない。 鑑賞 >>> 上野国の防人の歌。「ひな曇り」は、曇り日の薄日の意味で、同音の「碓氷」にかかる枕詞。「碓氷の坂」は、上野と信濃の国境の碓氷峠。その険しい山道は、東山道随一の難所とされていました。当時は、上野からは碓氷峠を越して信濃に入り、それから美濃へ出たようです。「しだに」は、だけでも、時に。 徴発された防人は、難波津までの道のりを、防人部領使(さきもりのことりづかい)によって引率されます…

  • あしひきの山道も知らず・・・巻第10-2315

    訓読 >>> あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 要旨 >>> どこが山道なのか分からない。白橿の枝がたわむほどに雪が降り積もったので。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「冬の雑歌」1首です。「あしひきの」は「山」の枕詞。「とををに」は、たわみしなうほどに、の意。なお、左注には、「或本には三方沙弥(みかたのさみ)が作といふ」とあります。 窪田空穂はこの歌について、「清らかな拡がりをもった境が、調べに導かれて、ただちに気分となって浮かんで来る歌である。気分本位の詠風となった奈良朝時代の先縦をなしているとみえる歌であるが、それとは異なった趣がある。奈良朝…

  • 我が袖に霰た走る・・・巻第10-2312

    訓読 >>> 我(わ)が袖(そで)に霰(あられ)た走(ばし)る巻き隠(かく)し消(け)たずてあらむ妹(いも)が見むため 要旨 >>> 私の袖にあられが降りかかってきて飛び散る。それを袖をに包み隠し、なくならないようにしよう。妻に見せたいから。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「冬の雑歌」1首です。『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『柿本人麻呂歌集』から採ったという歌が360余首あります。『柿本人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。 ただし、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけ…

  • 敷島の大和の国に人二人・・・巻第13-3248~3249

    訓読 >>> 3248敷島(しきしま)の 大和の国に 人(ひと)多(さは)に 満ちてあれども 藤波(ふぢなみ)の 思ひ纏(まつ)はり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋(こ)ひや明かさむ 長きこの夜(よ)を 3249敷島(しきしま)の大和の国に人(ひと)二人(ふたり)ありとし思はば何か嘆かむ 要旨 >>> 〈3248〉この大和の国に、こんなに多くの人があふれているのに、藤のつるがからまるように心がまつわりつき、萌え出した若草に対するように忘れられないあの人に、逢いたい逢いたいと思いつつ明かすのでしょうか、こんなに長い夜を。 〈3249〉大和の国にあの人がもしも二人いると思うことができるなら、ど…

  • 我が背子が捧げて持てるほほがしは・・・巻第19-4204~4205

    訓読 >>> 4204我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ) 4205皇祖(すめろき)の遠御代御代(とほみよみよ)はい布(し)き折り酒(き)飲みきといふぞこのほほがしは 要旨 >>> 〈4204〉あなた様が捧げ持っていらっしゃるホオノキは、まるで貴人にかざす青い蓋(きぬがさ)のようですね。 〈4205〉遠い昔の天皇の御代御代には、葉を折り重ねて酒を飲んだということですよ、このホオガシワは。 鑑賞 >>> 題詞には「攀(よ)ぢ折れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首」とあり、4204は講師(国分寺の主僧)の恵行(えぎょう:伝未詳)が家持に贈った歌、4205…

  • 橘は実さへ花さへ・・・巻第6-1009

    訓読 >>> 橘(たちばな)は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜(しも)降れどいや常葉(とこは)の木 要旨 >>> 橘という木は、実も花もその葉さえも、冬、枝に霜が降っても枯れることのない常緑の樹である。 鑑賞 >>> 天平8年(736年)11月、葛城王(かずらきのおおきみ=橘諸兄)らが、姓(かばね)と母方の橘の氏(うじ)を賜わったときの聖武天皇の御製歌。左注には「このとき、太上天皇( 元正天皇)、聖武天皇、皇后(光明皇后)が共に皇后宮においでになり、宴を催されて橘を祝う歌をお作りになり、併せて橘宿祢らに御酒を賜った」旨の記載があります。 橘の木そのものを讃えることによって一族を祝おうとする意…

  • 妻もあらば摘みて食げまし・・・巻第2-220~222

    訓読 >>> 220玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)と共に 足り行かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来たる 那珂(なか)の湊(みなと)ゆ 船 浮(う)けて 我が漕(こ)ぎ来れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)とり 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶(かじ)引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 蘆(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺(はまへ)を 敷栲(しきたへ)…

  • 【為ご参考】『万葉集』の時代背景

    『万葉集』の時代である上代の歴史は、一面では宮都の発展の歴史でもありました。大和盆地の東南の飛鳥(あすか)では、6世紀末から約100年間、歴代の皇居が営まれました。持統天皇の時に北上して藤原京が営まれ、元明天皇の時に平城京に遷ります。宮都の規模は拡大され、「百官の府」となり、多くの人々が集まり住む都市となりました。 一方、地方政治の拠点としての国府の整備も行われ、藤原京や平城京から出土した木簡からは、地方に課された租税の内容が知られます。また、「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれた大宰府は、北の多賀城とともに辺境の固めとなりましたが、大陸文化の門戸ともなりました。 この時期は積極的に大陸文化…

  • 遣新羅使人の歌(13)・・・巻第15-3595~3599

    訓読 >>> 3595朝開(あさびら)き漕ぎ出(で)て来れば武庫(むこ)の浦の潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)が声すも 3596我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)に見むを印南都麻(いなみつま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む 3597わたつみの沖つ白波立ち来(く)らし海人娘子(あまをとめ)ども島隠(しまがく)る見ゆ 3598ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり 3599月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の磯廻(いそみ)の浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは 要旨 >>> 〈3595〉朝早くに船を漕ぎ出してきたら、武庫川の河口あたりの干潟に、鶴…

  • 大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(4)・・・巻第5-861~863

    訓読 >>> 861松浦川(まつらがは)川の瀬(せ)速(はや)み紅(くれなゐ)の裳(も)の裾(すそ)濡れて鮎か釣るらむ 862人(ひと)皆(みな)の見らむ松浦(まつら)の玉島を見ずてや我(わ)れは恋ひつつ居(を)らむ 863松浦川(まつらがは)玉島の浦に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)らを見らむ人のともしさ 要旨 >>> 〈861〉松浦川の川瀬の流れが速いので、娘たちは紅の裳裾を濡らしながら、今ごろ鮎を釣っていることだろう。 〈862〉だれもが皆見ているであろう松浦の玉島なのに、一人見ることもかなわず、私はこんなにも恋し続けていなければならないのか。 〈863〉松浦川の玉島の岸で若鮎釣っている娘た…

  • 大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(3)・・・巻第5-858~860

    訓読 >>> 858若鮎(わかゆ)釣る松浦(まつら)の川の川なみの並(なみ)にし思はば我(わ)れ恋ひめやも 859春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに 860松浦川(まつらがは)七瀬(ななせ)の淀(よど)は淀むとも我(わ)れは淀まず君をし待たむ 要旨 >>> 〈858〉若鮎を釣る松浦の川の川波の、なみに(ふつうに)思うだけなら、どうして私が恋などいたしましょうか。 〈859〉春が来ると、私の里の川の渡し場では子鮎が走り回ります。あなたを待ちあぐんで。 〈860〉松浦川の七瀬の淀は淀んで流れないことがあっても、私は淀むことなく、ずっとあなたをお待…

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