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  • 大伴旅人の従者の歌(2)・・・巻第17-3895~3899

    訓読 >>> 3895玉映(たまは)やす武庫(むこ)の渡りに天伝(あまづた)ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ 3896家にてもたゆたふ命(いのち)波の上(へ)に浮きてし居(を)れば奥処(おくか)知らずも [一云 浮きてし居れば] 3897大海(おほうみ)の奥処(おくか)も知らず行く我(わ)れをいつ来まさむと問ひし子らはも 3898大船(おほぶね)の上にし居(を)れば天雲(あまくも)のたどきも知らず歌ひこそ我(わ)が背(せ) 3899海人娘子(あまをとめ)漁(いざ)り焚(た)く火のおほほしく角(つの)の松原(まつばら)思ほゆるかも 要旨 >>> 〈3895〉武庫の渡し場で、あいにく日が暮れていくもの…

  • 大伴旅人の従者の歌(1)・・・巻第17-3890~3894

    訓読 >>> 3890我(わ)が背子(せこ)を我(あ)が松原(まつばら)よ見わたせば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻(たまも)刈る見ゆ 3891荒津(あらつ)の海(うみ)潮(しほ)干(ひ)潮(しほ)満(み)ち時はあれどいづれの時か我(わ)が恋ひざらむ 3892礒(いそ)ごとに海人(あま)の釣舟(つりふね)泊(は)てにけり我(わ)が船(ふね)泊(は)てむ礒(いそ)の知らなく 3893昨日(きのふ)こそ船出(ふなで)はせしか鯨魚取(いさなと)り比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を今日(けふ)見つるかも 3894淡路島(あはぢしま)門(と)渡(わた)る船の楫間(かぢま)にも我(わ)れは忘れず家をしぞ思ふ 要…

  • 東歌(33)・・・巻第14-3491~3493

    訓読 >>> 3491柳(やなぎ)こそ伐(き)れば生(は)えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ 3492小山田(をやまだ)の池の堤(つつみ)にさす柳(やなぎ)成りも成らずも汝(な)と二人はも 3493遅速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向(むか)つ峰(を)の椎(しひ)の小枝(こやで)の逢ひは違(たが)はじ 要旨 >>> 〈3491〉柳は伐れば代わりが生えてもこよう。が、生身のこの世の人が恋い焦がれて死にそうなのに、どうしろというのか。 〈3492〉山あいの田の池の堤に挿し木した柳は、根づくのもあればつかないものもある。そのように、私の恋が成就しようがしまいが問題ではない。お前との仲はいつ…

  • 燈の影に輝ふ・・・巻第11-2642

    訓読 >>> 燈(ともしび)の影に輝(かがよ)ふうつせみの妹(いも)が笑(ゑ)まひし面影(おもかげ)に見ゆ 要旨 >>> 燈火の光りにきらめいていたあの娘の笑顔が、今も面影に現れて見えることだ。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「影」は光。「かがよふ」はきらめく。当時、燈火は貴重なものでしたから、ある程度の身分があった人の歌とみられます。「うつせみの」は現し身ので、「妹」の感を強めるために添えているもの。「笑まひし」の「し」は強意。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。通って行った夜の印象を歌っているとす…

  • 遣新羅使人の歌(14)・・・巻第15-3595~3599

    訓読 >>> 3652志賀(しか)の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く塩のからき恋をも我(あ)れはするかも 3653志賀の浦に漁(いざ)りする海人(あま)家人(いへびと)の待ち恋ふらむに明かし釣(つ)る魚(うを) 3654可之布江(かしふえ)に鶴(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来(く)らしも [一云 満ちし来(き)ぬらし] 3655今よりは秋づきぬらしあしひきの山松(やままつ)かげにひぐらし鳴きぬ 要旨 >>> 〈3652〉志賀島の海人たちが一日も欠かさず焼く塩、その辛さのように、辛く切ない恋に私は落ちてしまった。 〈3653〉志賀の浦で漁をする海人たちは、家で妻が帰りを心待ちし…

  • 柿本人麻呂、泊瀬部皇女と忍坂部皇子に献る歌・・・巻第2-194~195

    訓読 >>> 194飛ぶ鳥の 明日香(あすか)の川の 上(かみ)つ瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)は 下(しも)つ瀬に 流れ触(ふ)らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡(なび)かひし 夫(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔肌(にきはだ)すらを 剣大刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寐(ね)ねば ぬばたまの 夜床(よとこ)も荒(あ)るらむ〈一に云ふ、荒れなむ〉 そこ故(ゆゑ)に 慰(なぐさ)めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて〈一に云ふ、君も逢ふやと〉 玉垂(たまだれ)の 越智(をち)の大野の 朝露(あさつゆ)に 玉裳はひづち 夕霧(ゆふぎり)に 衣(ころも)は濡(ぬ)れて 草枕 旅寝(たびね…

  • もののふの石瀬の社の・・・巻第8-1470

    訓読 >>> もののふの石瀬(いはせ)の社(もり)の霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか山の常蔭(とかげ)に 要旨 >>> 石瀬の社にいるホトトギスが、今の今鳴いた。この山の陰で。 鑑賞 >>> 刀理宣令(とりのせんりょう)の歌。刀理宣令は渡来系の人で、東宮(聖武天皇)に仕えた文学者とされます。官位は正六位上・伊予掾。『万葉集』には2首、『懐風藻』に2首の詩が載っています。「もののふの」は、八十氏と続くのと同じ意で、五十の「い」、すなわち「石瀬」に掛かる枕詞。「石瀬の社」は未詳ながら、奈良県斑鳩町または三郷町という説があります。「今も鳴かぬか」は「今しも鳴きぬ」と訓むものもあります。「常陰」は、い…

  • 若草の新手枕をまきそめて・・・巻第11-2542

    訓読 >>> 若草の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜(よ)をや隔てむ憎くあらなくに 要旨 >>> 新妻の手枕をまき始めて、これから幾夜も逢わずにいられようか、可愛くて仕方ないのに。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「若草の」は「新手枕」の枕詞。なお、結句の「憎くあらなくに」の原文は「二八十一不在國」と書かれており、「二八十一」の「八十一」を、九九=八十一であることから「くく」と読ませています。それで「に・くく」。まるでとんちクイズのようですが、このように本来の意味とは異なる意味の漢字をあてて読ませることを「戯書(ぎしょ)」といいます。また、この時代から掛け算の九九…

  • 夜のほどろ我が出でて来れば・・・巻第4-754

    訓読 >>> 夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影(おもかげ)に見ゆ 要旨 >>> 夜がほのぼのと明けるころ、別れて私が出てくるとき、名残惜しそうにしていたあなたの姿が面影に見えてなりません。 鑑賞 >>> 若かりし大伴家持が、のちに正妻となる坂上大嬢に贈った歌。「夜のほどろ」の「ほどろ」は、ほどく・ほとばしるの「ほと」と同根で、緊密な状態が散じて緩むことを表す語。『万葉集』では雪が完全に解けていない状態を表現していますが、ここでは、夜がほのぼのと明けるころ。「思へりしく」は「思へりし」に「く」を添えて名詞形にしたもの。次の「し」は強意。「面影」は、…

  • 幸くあらばまたかへり見む・・・巻第13-3240~3241

    訓読 >>> 3240大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木(まき)積む 泉(いずみ)の川の 早き瀬を 棹(さを)さし渡り ちはやぶる 宇治(うぢ)の渡りの 激(たき)つ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けして 我(わ)が越え行けば 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあらば またかへり見む 道の隈(くま) 八十隈(やそくま)ごとに 嘆きつつ 我(わ)が過ぎ行けば いや遠(とほ)に 里(さと)離(さか)り来(き)ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 剣大刀(つるぎたち) 鞘(さや)…

  • 入唐使に贈る歌・・・巻第19-4245~4246

    訓読 >>> 4245そらみつ 大和(やまと)の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波(なには)に下(くだ)り 住吉(すみのえ)の 御津(みつ)に船乗(ふなの)り 直(ただ)渡り 日の入る国に 任(ま)けらゆる 我(わ)が背(せ)の君を かけまくの ゆゆし畏(かしこ)き 住吉の 我(わ)が大御神(おほみかみ) 船(ふな)の舳(へ)に うしはきいまし 船艫(ふなども)に 立たしいまして さし寄らむ 磯の崎々 漕(こ)ぎ泊(は)てむ 泊(とま)り泊(とま)りに 荒き風 波にあはせず 平(たひら)けく 率(ゐ)て帰りませ もとの国家(みかど)に 4246沖つ波(なみ)辺波(へなみ)な越(こ)しそ…

  • うち靡く春来るらし・・・巻第8-1422

    訓読 >>> うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば 要旨 >>> どうやら春がやってきたらしい。遠い山際の木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山の稜線。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木…

  • 射ゆ鹿を認ぐ川辺の・・・巻第16-3874

    訓読 >>> 射(い)ゆ鹿(しし)を認(つな)ぐ川辺(かはへ)のにこ草(ぐさ)の身の若(わか)かへにさ寝(ね)し子らはも 要旨 >>> 射られた手負い鹿の跡を追っていくと、川辺ににこ草が生えていた。そのにこ草のように若かった日に、あの子と寝たのが忘れられない。 鑑賞 >>> 年配の男の歌。上3句は「身の若かへに」を導く序詞。「射ゆ鹿」は、弓で射られた手負いの鹿。この時代、鹿狩りは、天皇から狩人まで上下の身分を問わず好まれた狩猟でした。「認ぐ」は、足跡を追っていく。「にこ草」は、若くてやわらかい草。「若かへ」は、語義未詳ながら、若いころの意か。「子らはも」の「子ら」は複数形ではなく、男性が女性を…

  • うち靡く春来るらし・・・巻第8-1422

    訓読 >>> うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば 要旨 >>> どうやら春がやってきたらしい。遠い山際の木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山の稜線。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木…

  • 春山の咲きのをゐりに・・・巻第8-1421

    訓読 >>> 春山の咲きのをゐりに春菜(はるな)摘(つ)む妹(いも)が白紐(しらひも)見らくしよしも 要旨 >>> 春の山の花が咲き乱れているあたりで菜を摘んでいる子、その子のくっきりした白い紐を見るのはいいものだ。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「をゐり」は「ををり」とも。花が多く咲いて枝がたわむさま。咲いているのは桜とみられます。但し、賀茂真淵は「岬(さき)の撓…

  • 足柄の箱根飛び越え・・・巻第7-1175

    訓読 >>> 足柄(あしがら)の箱根(はこね)飛び越え行く鶴(たづ)の羨(とも)しき見れば大和し思ほゆ 要旨 >>> 足柄の箱根の山を飛び越えて行く鶴の、その羨ましいのを見ると、大和が恋しく思われる。 鑑賞 >>> 「覊旅(旅情を詠む)」歌。「足柄」は、神奈川県と静岡県の県境にある足柄山や足柄峠付近の地。「箱根」は足柄の地に属し、険阻で、難所とされました。当時は、険しい箱根山を迂回するため、その北側にある足柄峠越えの道が使われ、そこには「荒ぶる神が住む」といって恐れたといいます。『万葉集』には、足柄・箱根の歌が17首収められており、峠の恐ろしい神を詠んだ歌や、行き倒れになって死んだ人を悼む長歌…

  • 天の原振り放け見れば・・・巻第3-289~290

    訓読 >>> 289天(あま)の原(はら)振(ふ)り放(さ)け見れば白真弓(しらまゆみ)張りて懸(か)けたり夜道(よみち)はよけむ 290倉橋(くらはし)の山を高みか夜隠(よごもり)に出で来(く)る月の光(ひかり)乏(とも)しき 要旨 >>> 〈289〉大空を遠く振り仰いで見ると、三日月が白い立派な弓を張って輝いている。この分なら、夜道は大丈夫だろう。 〈290〉倉橋の山が高いゆえか、夜遅くなってから出てくる月の光の乏しいことよ。 鑑賞 >>> 題詞に「間人宿祢大浦(はしひとのすくねおおうら:伝未詳)の初月(みかづき)の歌」とあります。「初月」は、新月(陰暦3日の夜の月、三日月)。289の「白…

  • 春柳葛城山に立つ雲の・・・巻第11-2453

    訓読 >>> 春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ 要旨 >>> 春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「春柳」は「葛城山」の枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境の連山。上3句が「立ち」を導く序詞。訳文中の「かずらにする」とは、柳で輪を作って髪飾りにすること。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。まるで漢詩のようです。

  • はしきやし栄えし君のいましせば・・・巻第3-454~458

    訓読 >>> 454はしきやし栄(さか)えし君のいましせば昨日(きのう)も今日(きょう)も我(わ)を召さましを 455かくのみにありけるものを萩(はぎ)の花咲きてありやと問ひし君はも 456君に恋ひいたもすべなみ蘆鶴(あしたづ)の音(ね)のみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして 457遠長(とほなが)く仕(つか)へむものと思へりし君しまさねば心どもなし 458みどり子の這(は)ひた廻(もとほ)り朝夕(あさよひ)に音(ね)のみそ我(あ)が泣く君なしにして 要旨 >>> 〈454〉ああ、お慕わしい、あれほどに栄えたわが君がご健在でおられたら、昨日も今日も私をお呼びになったはずなのに。 〈455〉こんなに…

  • 桜花咲きかも散ると見るまでに・・・巻第12-3129

    訓読 >>> 桜花(さくらばな)咲きかも散ると見るまでに誰(た)れかも此所(ここ)に見えて散り行く 要旨 >>> まるで桜の花が咲いてすぐに散っていくように、誰も彼も、現れたかと思うとすぐまた散り散りになっていく。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。「咲きかも」「誰れかも」の「かも」は疑問の係助詞。旅先の往来に現れては消えていく人の中に妻の幻影を見ている歌、あるいは旅先での出会いと別れを歌ったもので、若い人麻呂の歌だろうとされます。この歌は、のちに蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(『後撰集』)に引き継がれています。

  • 山部赤人が真間の娘子の墓に立ち寄ったときに作った歌・・・巻第3-431~433

    訓読 >>> 431古(いにしえ)に ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯(おび)解(と)き替へて 伏屋(ふせや)立て 妻問(つまど)ひしけむ 葛飾(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てごな)が 奥(おく)つ城(き)を こことは聞けど 真木(まき)の葉や 茂(しげ)りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみも我(わ)れは 忘らゆましじ 432我(わ)も見つ人にも告げむ葛飾(かつしか)の真間(まま)の手児名(てごな)が奥(おく)つ城(き)ところ 433葛飾(かつしか)の真間(まま)の入江(いりえ)にうち靡く(なび)く玉藻(たまも)刈りけむ手児名(てごな)し思ほゆ 要旨 >>>…

  • 一本のなでしこ植ゑしその心・・・巻第18-4070~4072

    訓読 >>> 4070一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心(こころ)誰(た)れに見せむと思ひそめけむ 4071しなざかる越(こし)の君らとかくしこそ柳(やなぎ)かづらき楽しく遊ばめ 4072ぬばたまの夜(よ)渡る月を幾夜(いくよ)経(ふ)と数(よ)みつつ妹(いも)は我(わ)れ待つらむぞ 要旨 >>> 〈4070〉一株のなでしこを庭に植えたその心は、いったい誰に見せようと思いついてのことだったのでしょう。 〈4071〉都から遠く離れた越の国のあなたがたと、これからもこのように柳を縵(かずら)にして遊ぼうではありませんか。 〈4072〉夜空を渡っていく月を眺めながら、もう幾夜を経たかと数えながら…

  • 防人の歌(24)・・・巻第20-4349

    訓読 >>> 百隈(ももくま)の道は来(き)にしをまた更(さら)に八十島(やそしま)過ぎて別れか行(ゆ)かむ 要旨 >>> 多くの曲がりくねった道をここまではるばる来たのに、さらにまた多くの島をめぐって漕いで別れて行かねばならないのか。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。「百隅」は、多くの曲がり角。長い道のりを具象的に表現しています。「八十島」は、多くの島で、こちらも海路の遠いのを言っています。遥々陸路を辿ってきて、さらに難波から遥か筑紫に向けて船出する時の歌のようです。 防人歌について 防人歌は東歌の中にも数首見られますが、一般には巻第20に収められた84首を指します。これらは天平勝宝7年(7…

  • いにしへの古き堤は年深み・・・巻第3-378

    訓読 >>> いにしへの古き堤(つつみ)は年深み池の渚(なぎさ)に水草(みくさ)生(お)ひにけり 要旨 >>> 昔栄えた邸の庭の古い堤は、長い年月を重ね、池のみぎわには水草が生い繁っている。 鑑賞 >>> 題詞に「故(すぎにし)太政大臣藤原家の山池(しま)を詠む」歌とあり、藤原不比等が没した10年以上の後に山部赤人が詠んだ鎮魂歌です。何かの行事に際しての訪問だったと見られます。不比等が薨じた時(720年)は正二位右大臣でしたが、薨後に正一位太政大臣を賜りました。「藤原家」とあるのは諱(いみな)を書くのを憚った言い方で、尊称です。「山池」は、築山や池のある庭園のこと。 赤人は往時の不比等を目にし…

  • 御食向ふ南淵山の・・・巻第9-1709

    訓読 >>> 御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる 要旨 >>> 南淵山の山肌の巌には、はらはらと降った淡雪がまだ消えずに残っている。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から、「弓削皇子に献上した歌」とある歌。弓削皇子は、天武天皇の第9皇子。「御食向ふ」は「南淵山」の枕詞。「南淵山」は、明日香村稲淵の山。「はだれ」は、薄く降る雪。この歌には何某かの寓意があるのではと指摘されますが、斎藤茂吉は「学者等の一つの迷いである」として、「叙景歌として、しっとりと落ち着いて、重厚にして単純、清厳ともいうべき味わい」と言っており、国文学者の池田彌三郎は、「…

  • 世の常に聞けば苦しき呼子鳥・・・巻第8-1447

    訓読 >>> 世の常(つね)に聞けば苦しき呼子鳥(よぶこどり)声なつかしき時にはなりぬ 要旨 >>> ふだんは切なく苦しく聞こえる呼子鳥の、その鳴き声もなつかしく聞かれる春になってきた。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の歌。「呼子鳥」は、カッコウとされます。左注に3月1日(新暦の4月上旬)とあります。斎藤茂吉はこの歌を評し、奇もなく鋭いところもないが、季節の変化に対する感じも出ており、春の女心に触れることもできるようなところがある、「時にはなりぬ」だけで詠嘆がこもっている、と言っています。

  • 我が背子はいづく行くらむ・・・巻第1-43~44

    訓読 >>> 43我(わ)が背子(せこ)はいづく行くらむ沖つ藻(も)の名張(なばり)の山を今日(けふ)か越ゆらむ 44我妹子(わぎもこ)をいざ見(み)の山を高みかも大和(やまと)の見えぬ国遠みかも 要旨 >>> 〈43〉今ごろ夫はどのあたりを旅しているのだろう。名張の山を今日にでも越えているのだろうか。 〈44〉妻を「いざ見よう」という名のいざみ山が高いせいか、妻のいる大和が見えない。それとも国を遠く隔てて来たせいだろうか。 鑑賞 >>> 43は、持統天皇6年(692年)3月の伊勢行幸の折、従駕した当麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)の妻が、旅路にある夫を案じて作った歌。44は、同じく従駕した石…

  • 朝床に聞けば遥けし・・・巻第19-4150

    訓読 >>> 朝床(あさとこ)に聞けば遥(はる)けし射水川(いみづがは)朝漕ぎしつつ唄(うた)ふ舟人 要旨 >>> うつらうつらとする朝床の中で耳を澄ますと、遙かな射水川を、朝漕ぎしながら唄う舟人の声が聞こえてくる。 鑑賞 >>> 大伴家持が越中の国守時代に詠んだ歌。題詞には「江(かは)を泝(さかのぼ)る舟人の唄を遥かに聞く」とあります。この遥聞・泝江・舟人のいずれもが、中国文学(とくに漢詩)に見られる漢語であり、それらをそのまま取り込んだような歌になっています。漢詩の世界を和歌に置き換えて詠むという家持の和歌の特徴がよくあらわれた作として評価されています。「射水川」は、富山県を流れる小矢部川…

  • 防人の歌(23)・・・巻第20-4369

    訓読 >>> 筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ 要旨 >>> 筑波の嶺に咲くさ百合の花ではないが、夜床(ゆとこ)で可愛くてならない彼女は、昼間でも可愛くてならない。 鑑賞 >>> 常陸国の防人の歌。「筑波嶺」は、茨城県西部の筑波山。上2句は「夜床」を導く序詞。「さ百合(ゆる)」の「さ」は美称、「ゆる」は「ゆり」の方言で山百合の花。「夜床(ゆとこ)」は「よとこ」の方言。「愛しけ」は「愛しき」の方言。妹の可愛さを称えるのに終始しており、斎藤茂吉はこの歌を「言い方が如何にも素朴直截で愛誦するに堪うべきもの」と評しています。

  • 人魂のさ青なる君が・・・巻第16-3887~3889

    訓読 >>> 3887天(あめ)にあるやささらの小野(をの)に茅草(ちがや)刈り草(かや)刈りばかに鶉(うづら)を立つも3888沖つ国うしはく君の塗(ぬ)り屋形(やかた)丹塗(にぬ)りの屋形(やかた)神の門(と)渡る3889人魂(ひとだま)のさ青(を)なる君がただひとり逢へりし雨夜(あまよ)の葉非左し思ほゆ 要旨 >>> 〈3887〉天界のささらの小野で茅草を刈っていたら、私の草刈り場の草陰から、だしぬけにウズラが飛び立った。 〈3888〉沖の果ての冥界をお治めになる大君の、丹塗りの屋形丹、その丹塗りの屋形丹が、神霊のとどまる狭い所をお渡りになる。 〈3889〉人魂である真っ青な顔の君が、ただ…

  • 池神の力士舞かも・・・巻第16-3831

    訓読 >>> 池神(いけがみ)の力士舞(りきしまひ)かも白鷺(しらさぎ)の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛び渡(わた)るらむ 要旨 >>> 池の神が演じる力士舞なのだろうか。白鷺が桙を持つように枝をくわえて飛んでいくよ。 鑑賞 >>> 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の「白鷺が木をくわえて飛ぶのを詠む」歌。「池神」は、池の神のほか、地名や寺の名とする説もあります。「力士舞」は、日本最初の舞楽である伎楽の一つで、仏教と共に伝わったことから仏教儀式に不可欠なものとされ、奈良時代の大仏開眼供養でも上演されました。内容は、美女を追う怪物を金剛力士が討つ様子を演じるもので、力士が怪物のマラ形(男根)を…

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