先回の『羽鳥八幡神社』に続いて、今回もかつて織物に関係した職人が集団で住む町だったと伝わる浜松市中央区豊町に鎮座する『服織神社(はたおりじんじゃ)』を参拝させていただきました。
アラ還女のsannigo(さんご)の穏やかな日常の記録です。健康、お金、映画、テレビ、おすすめまで幅広く綴っています。
『荒鎺(アラハバキ)神社』で感じた不思議な感情をあなたにも感じて欲しい!
浜松市浜名区(旧浜北区)の浜北森林公園のまだ奥の堀谷(ほりや)という山間部に『アラハバキ神社』は鎮座しています。素朴な木の鳥居の奥に社殿はなく、そそり立つ大きな岩が見えます。古の磐座信仰ですね。
【遠江の神社巡り】今回は静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『遠江國 府八幡宮』
歴史の深い磐田市中泉御殿という地に鎮座する『府八幡宮』は、国府の守護神として、天平年間(729年〜748年)に遠江国司であった天武天皇の曽孫桜井王が国府の守護として勧請したと伝えられる神社です。
往古より「見付のお天神様」として親しまれている『矢奈比賣(やなひめ)神社』
『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
浜松市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』
今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、お参りの前に石碑がたくさんある境内で一服することもあります。
『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。過去には教科書に載ったことも・・・。
『只木神明宮』の前身は大田田根子命の子孫と伝わる三輪氏族の奉斎する『弥和山神社』
今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。
細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』無料なのに見る価値満載!
先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。
現在も地名に残る家康にまつわる小豆餅、銭取の逸話。やっと本物の小豆餅食ったどー
今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。
愛知県との県境に広がる三ヶ日みかんの里には伝説で2000年近くの歴史を持つ『濱名惣社神明宮』がある
『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。
三ケ日の『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』で感動のおみくじ体験
先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。
智慧と福徳の仏様「虚空蔵菩薩」を祀る浜松市中央区新橋町の蔵興寺、通称『虚空蔵様』
浜松市内から西のほうへ車を走らせると、遠くからも見える大きな2つの達磨(だるま)に気づいたことはありませんか?これらは蔵興寺本堂の屋根の両脇に安置された全高6メートルもある虚空蔵尊のシンボルのビッグダルマです。
『息(おき)神社』の不思議なモニュメントのような『手水舎』は非常に興味深い
今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
『細江神社』の境内社ー宝暦4年の大震災の復興につとめた近藤用随を讃えた『藺草神社』のほか七社
宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。
500年以上の歴史を刻む遠江の神社『細江神社』のはじまりに迫る
今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。
やっと行けた幕末の下屋敷の山門がみられる『白雲山長泉寺』と歩いてすぐの『須佐之男神社』
今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。
平清盛の長男の重盛が建立したと伝わる遠江の”重盛の三連寺”の一つ『三白山連城寺』
遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。
格式高い遠江二之宮の『鹿宛神社』 すぐ北側の『連福寺』には県内最大の木造閻魔大王像を安置
今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。
遠鉄電車[浜北駅]からすぐそこの徳川家康ゆかりの神社『沼八幡宮』
今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。
浜松市中央区にある由緒ある曹洞宗の『普済寺』は家康公も何度もお参りしたのじゃ!
『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。
袋井市の水に浮かぶ『久野城』は最強武田軍も落とせなかったお城
今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。
胸が痛む2024年の幕開け、地震封じの神として慕われる『曽許乃御立神社』参り
新聞広告で知った災除道開の神として知られる『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、2024の初詣は『曽許乃御立神社』に決めたのでした。
約1000年の歴史を持つ古刹磐田市城之崎にある『風祭山福王寺』
静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』は、真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。
今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興しました。また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそうです。
医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助
奈良時代創建というとんでもない歴史があるのに知らなかった『医王寺』。元亀3年のあの有名な『三方原の戦い』で武田信玄勢の兵火にかかり焼失。兵火による焼失をいたく惜しまれた家康が自ら浄財を出して再興を援助したとは!
『初山宝林寺』は最近地元で金運アップのお寺さんとして有名と聞きます。というのも、叩くと澄んだ音が鳴る『金鳴石』があり、金が鳴る=金が成るというわけで”商売繁盛””金運成就”の石といわれているからなんですって!
『摩訶耶寺』の高麗門は家康が築城した野地城が廃城になった時移築されたもの
今回の家康ゆかりの地は、浜松市北区三ヶ日町の『摩訶耶寺』です。なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した『野地城』が廃城になった時、近藤用高の手配で、山門として移築されたかた。
家康公が大阪夏の陣を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進した『有玉神社』
今回の徳川家康ゆかりの神社は浜松市東区有玉南町の『有玉神社』です。秋の例大祭で現在も行われている流鏑馬は、およそ400年前、家康公が『大阪夏の陣』を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進したことに始まるといわれます。
『先照山心造寺』の開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局で天正8年開山の浄土宗寺院
『五社神社』が遷座された時に北側に開かれたのが『心造寺』で、家康から最も愛された側室と伝わり、徳川二代将軍徳川秀忠公の生母の「西郷の局」が開いたお寺だそうです。
令和6年は干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年で『金運降臨の年』
令和6年は『金運降臨の年』ということで、これまで以上に金運アップを目指す人々、もちろん私を含む欲深き人々にとって最高の年になるといわれています。なぜなら干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年だから・・・。
浜松市有玉北町の良縁がかなうお寺『宝玉山龍秀院』が家康公にゆかりがあるとは知らなんだ
今回の「家康公ゆかりの地」は、普段ウォーキングする範囲にあるお寺さんなのに、徳川家康とのつながりがあるなんて知らなかったため立ち寄ることのなかった遠州三十三観音霊場28番札所の『龍秀院』さん。
『高天神城』攻略の起点とされた『横須賀城跡』で全国的に珍しい『玉石積み』の石垣を見てきた
静岡県掛川市にある『横須賀城跡』は、レトロな街並みや、三熊野神社大祭で知られる遠州横須賀に残されています。徳川家康が『高天神城』攻略の起点とした『横須賀城』は、現在当時が偲ばれる石垣、堀、土塁なども残り、公園として整備されています。
家康公が浜松城にいた頃に弓の稽古に励んだという『宗源院』は今川義元と関係が深い
今回の徳川家康ゆかりのお寺は、38歳で生涯を閉じた築山御前が眠る『西来院』から歩いて約5分と近い『宗源院』です。こちら『宗源院』の東南一帯にある的場で、浜松城にいた頃の家康公は弓の稽古に励んだといいます。
氏真が境目城を築き、後に家康も陣を置いたという歴史ある浜名湖西の『妙立寺』
今回の徳川家康ゆかりのお寺は、静岡では最も西の湖西市にある『妙立寺』です。三河統一を果たした家康の来攻に備えるため、1567年(永禄10年)、今川氏真は宇津山城の南方に『境目城』の築城を始めます。この『境目城』こそが、『妙立寺』の寺域を接収して作られたお城なんです。
湖西の『本興寺』は文化財の宝庫、家康最初の側室”西郡局”のお墓もあります
湖西市にある文晁寺(ぶんちょうじ)とも呼ばれる『本興寺(ほんこうじ)』はとにかく広くて静かできれい。山門までの参道はまっすぐと伸び、参道脇に植えられたツツジや公園の桜などのシーズンは、お花見のために訪れる人々も多く賑わいが増えると聞きます。
出たぁ!さわやかウォーキングで立ち寄った『白岩寺』に残る「幽霊の掛け軸」の怖ーい話
なんということでしょう。ここ『白岩寺』には、「白岩寺の幽霊軸」という民話が残されています。この掛け軸には画に精魂が宿っているのか、掛け軸の代々の持ち主に不思議な出来事が起きました。転々とした後、この白岩寺に納められたそうです。
「旧東海道」金谷坂の石畳は、江戸幕府が旅人たちが歩きやすいようにと作らせた愛のある道
金谷坂の石畳は、文政年間(1818~1829)、近隣の住民が滑り止めの山石を敷き並べた坂で、幕府が歩きやすいようにと命じ作らせたといいます。実際に坂道を登ってみた現代人の私には、坂道だから当たり前ですが、かなりしんどく感じられました。
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先回の『羽鳥八幡神社』に続いて、今回もかつて織物に関係した職人が集団で住む町だったと伝わる浜松市中央区豊町に鎮座する『服織神社(はたおりじんじゃ)』を参拝させていただきました。
『天白紀行』山田宗睦著では、天白の起源を伊勢神宮の神麻続機殿神社の祭神「天ノ白羽神」に求めるとされています。「天ノ白羽神」=「長白羽神」ならば、機織、紡績に強い神徳のある神。ならば遠江の織物の歴史が知りたい!
『春日神社』の創建は今から約540年前の文明14年(1482年)、室町幕府第九代将軍足利義尚公により創建されたといいます。境内社は12社もあり、もちろん「天白神社」も鎮座し道案内の神「太田命」をお祀りしています。
今回の遠江の天白神社巡り⑯⑰では、「東海道五十三次のど真ん中」の袋井市に鎮座する⑯『天白(てんぱく)神社』と⑰『天伯神社』の2社を参詣(2025/3/9)させていただきました。御祭神は両社とも日本神話で創造神である天之御中主命です。
今回は袋井市浅羽と浅名に鎮座する『天白神社』の周辺の歴史を知るために訪れた『浅羽荘司館跡』と『駿遠線芝駅跡』をご紹介したいと思います。どちらもほぼ同じ場所ですので一気に訪ねることができます。
遠江の天白神社巡り⑮では、旧遠江国の東側に位置する静岡県牧之原市北部の「静谷(しずたに)」に鎮座する『静谷八幡宮』境内社「天白社」?を参詣させていただきました。『静谷八幡宮』は三栗町内会の氏神様ということでした。
浜松市中央区神立町と同区西塚町の境付近に鎮座する『西塚神社』には、天白社が合祀されているとのことですが、確固たる情報は得られませんでした。本殿・拝殿ともにコンクリート造りでモダンだけどしっかりと神明造というのが少し不思議な感じがしました。
今回の『元宮 天白神社』が鎮座する天竜区横山町という街は、天竜川と気田川が合流する傍に位置します。かつては秋葉詣の人々で賑わい、天竜川水運の川湊として木材の商いで繁栄したことで知られています。
今回は浜松市の最北端に位置する水窪町を訪ね、遠江の天白神社巡り⑫として、水窪町地頭方に鎮座する『天白神社』を参詣(2025年3月14日)させていただきました。
遠江には白羽という地名が4ヶ所あり、『白羽神社』は浜松・磐田・御前崎と3カ所に鎮座しています。御前崎の古社『白羽神社』は天白との関わりはないのですが、白羽官牧や神馬などとすごく興味深い神社です。
天白信仰に関係あるの?ということで、先回の記事「磐田の白羽神社」に続き、今回は浜松の『白羽神社』、次回は相良の「白羽神社」とお参りさせていただいた結果を検証していきたいと思っています。
遠江の天白神社巡り⑨で登場した『天白神社(磐田市堀之内)、さらに⑩の『天白神社(磐田市小島)』にほど近い『白羽神社』を参拝。⑩の御祭神が長白羽命(別名天白羽神)とは!天白信仰との関係が気になります。
今回は「延喜式延喜式内社麁玉郡四座の一つである『若倭神社』に比定する説がある宮口の『八幡神社』をご参拝。実は宮口の『六所神社』、笠井に鎮座する『春日神社』も同じく論社とされているんです。
今回の遠江の天白神社巡り⑪では、静岡県の中でも田んぼと茶畑が織りなす里山風景という形容がぴったりの静岡県御前崎市下朝比奈に鎮座する『天白神社』をお参りしました。
『左馬武神社』では、その名の通り、今川氏の一族であり新野舟ヶ谷城の城主で新野村三千石を治めていた新野佐馬助公(にをお祀りしています。新野佐馬助親矩はかの井伊直政の命の恩人として今も慕われています。
『開田院』は、御前崎市の曹洞宗の寺院ですが、寺紋が「葵の御紋」なのでこれはもしかして?と思ったら、やはり家康公ゆかりのお寺でした。なぜに御前崎の地で葵の御紋なの?と思われた方も多いかと思います。
磐田市小島に鎮座する『天白神社』をお参りさせていただきました。鎮座地は江戸時代前まで河川からの土砂の堆積が進まず、排水不良の沼や池が広がっていたといいます。治水と農耕の神天白さまの信仰が広がる土地柄であったと思われます。
今回の『天白神社』が鎮座する磐田市堀之内は、天竜川の「竜」と太平洋の「洋」を合わせた町名の竜洋地区にあり、西側には天竜川、南側は遠州灘の海岸線が広がる川と海に囲まれた水の町に鎮座する神社です。
今回の「遠江の天白神社巡り⑧」は浜松市中央区北島町に鎮座する『天白神社』。鎮座地の北島町は浜松市中央区の東部に位置し、安間郷の北に当たる島状の地形であることから北島と命名された場所です。
いよいよ天白神社巡りも今回からは浜松を離れ、遠江の中心地ともいえる磐田市に入ります。古くは「遠淡海国(とほつあはうみのくに)」と表記された遠江。磐田市内に鎮座する『天白神社』は3社、今回は池田。
浜松市浜名区(旧浜北区)の浜北森林公園のまだ奥の堀谷(ほりや)という山間部に『アラハバキ神社』は鎮座しています。素朴な木の鳥居の奥に社殿はなく、そそり立つ大きな岩が見えます。古の磐座信仰ですね。
歴史の深い磐田市中泉御殿という地に鎮座する『府八幡宮』は、国府の守護神として、天平年間(729年〜748年)に遠江国司であった天武天皇の曽孫桜井王が国府の守護として勧請したと伝えられる神社です。
『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、お参りの前に石碑がたくさんある境内で一服することもあります。
『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。過去には教科書に載ったことも・・・。
今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。
先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。
今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。
『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。
先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。
浜松市内から西のほうへ車を走らせると、遠くからも見える大きな2つの達磨(だるま)に気づいたことはありませんか?これらは蔵興寺本堂の屋根の両脇に安置された全高6メートルもある虚空蔵尊のシンボルのビッグダルマです。
今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。
今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。
今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。
遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。
今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。
今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。
『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。
今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。