『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
アラ還女のsannigo(さんご)の穏やかな日常の記録です。健康、お金、映画、テレビ、おすすめまで幅広く綴っています。
往古より「見付のお天神様」として親しまれている『矢奈比賣(やなひめ)神社』
『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
浜松市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』
今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、お参りの前に石碑がたくさんある境内で一服することもあります。
『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。過去には教科書に載ったことも・・・。
『只木神明宮』の前身は大田田根子命の子孫と伝わる三輪氏族の奉斎する『弥和山神社』
今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。
細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』無料なのに見る価値満載!
先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。
現在も地名に残る家康にまつわる小豆餅、銭取の逸話。やっと本物の小豆餅食ったどー
今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。
愛知県との県境に広がる三ヶ日みかんの里には伝説で2000年近くの歴史を持つ『濱名惣社神明宮』がある
『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。
三ケ日の『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』で感動のおみくじ体験
先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。
智慧と福徳の仏様「虚空蔵菩薩」を祀る浜松市中央区新橋町の蔵興寺、通称『虚空蔵様』
浜松市内から西のほうへ車を走らせると、遠くからも見える大きな2つの達磨(だるま)に気づいたことはありませんか?これらは蔵興寺本堂の屋根の両脇に安置された全高6メートルもある虚空蔵尊のシンボルのビッグダルマです。
『息(おき)神社』の不思議なモニュメントのような『手水舎』は非常に興味深い
今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
『細江神社』の境内社ー宝暦4年の大震災の復興につとめた近藤用随を讃えた『藺草神社』のほか七社
宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。
500年以上の歴史を刻む遠江の神社『細江神社』のはじまりに迫る
今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。
やっと行けた幕末の下屋敷の山門がみられる『白雲山長泉寺』と歩いてすぐの『須佐之男神社』
今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。
平清盛の長男の重盛が建立したと伝わる遠江の”重盛の三連寺”の一つ『三白山連城寺』
遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。
格式高い遠江二之宮の『鹿宛神社』 すぐ北側の『連福寺』には県内最大の木造閻魔大王像を安置
今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。
遠鉄電車[浜北駅]からすぐそこの徳川家康ゆかりの神社『沼八幡宮』
今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。
浜松市中央区にある由緒ある曹洞宗の『普済寺』は家康公も何度もお参りしたのじゃ!
『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。
袋井市の水に浮かぶ『久野城』は最強武田軍も落とせなかったお城
今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。
胸が痛む2024年の幕開け、地震封じの神として慕われる『曽許乃御立神社』参り
新聞広告で知った災除道開の神として知られる『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、2024の初詣は『曽許乃御立神社』に決めたのでした。
約1000年の歴史を持つ古刹磐田市城之崎にある『風祭山福王寺』
静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』は、真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。
今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興しました。また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそうです。
医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助
奈良時代創建というとんでもない歴史があるのに知らなかった『医王寺』。元亀3年のあの有名な『三方原の戦い』で武田信玄勢の兵火にかかり焼失。兵火による焼失をいたく惜しまれた家康が自ら浄財を出して再興を援助したとは!
『初山宝林寺』は最近地元で金運アップのお寺さんとして有名と聞きます。というのも、叩くと澄んだ音が鳴る『金鳴石』があり、金が鳴る=金が成るというわけで”商売繁盛””金運成就”の石といわれているからなんですって!
『摩訶耶寺』の高麗門は家康が築城した野地城が廃城になった時移築されたもの
今回の家康ゆかりの地は、浜松市北区三ヶ日町の『摩訶耶寺』です。なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した『野地城』が廃城になった時、近藤用高の手配で、山門として移築されたかた。
家康公が大阪夏の陣を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進した『有玉神社』
今回の徳川家康ゆかりの神社は浜松市東区有玉南町の『有玉神社』です。秋の例大祭で現在も行われている流鏑馬は、およそ400年前、家康公が『大阪夏の陣』を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進したことに始まるといわれます。
『先照山心造寺』の開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局で天正8年開山の浄土宗寺院
『五社神社』が遷座された時に北側に開かれたのが『心造寺』で、家康から最も愛された側室と伝わり、徳川二代将軍徳川秀忠公の生母の「西郷の局」が開いたお寺だそうです。
令和6年は干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年で『金運降臨の年』
令和6年は『金運降臨の年』ということで、これまで以上に金運アップを目指す人々、もちろん私を含む欲深き人々にとって最高の年になるといわれています。なぜなら干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年だから・・・。
浜松市有玉北町の良縁がかなうお寺『宝玉山龍秀院』が家康公にゆかりがあるとは知らなんだ
今回の「家康公ゆかりの地」は、普段ウォーキングする範囲にあるお寺さんなのに、徳川家康とのつながりがあるなんて知らなかったため立ち寄ることのなかった遠州三十三観音霊場28番札所の『龍秀院』さん。
『高天神城』攻略の起点とされた『横須賀城跡』で全国的に珍しい『玉石積み』の石垣を見てきた
静岡県掛川市にある『横須賀城跡』は、レトロな街並みや、三熊野神社大祭で知られる遠州横須賀に残されています。徳川家康が『高天神城』攻略の起点とした『横須賀城』は、現在当時が偲ばれる石垣、堀、土塁なども残り、公園として整備されています。
家康公が浜松城にいた頃に弓の稽古に励んだという『宗源院』は今川義元と関係が深い
今回の徳川家康ゆかりのお寺は、38歳で生涯を閉じた築山御前が眠る『西来院』から歩いて約5分と近い『宗源院』です。こちら『宗源院』の東南一帯にある的場で、浜松城にいた頃の家康公は弓の稽古に励んだといいます。
氏真が境目城を築き、後に家康も陣を置いたという歴史ある浜名湖西の『妙立寺』
今回の徳川家康ゆかりのお寺は、静岡では最も西の湖西市にある『妙立寺』です。三河統一を果たした家康の来攻に備えるため、1567年(永禄10年)、今川氏真は宇津山城の南方に『境目城』の築城を始めます。この『境目城』こそが、『妙立寺』の寺域を接収して作られたお城なんです。
湖西の『本興寺』は文化財の宝庫、家康最初の側室”西郡局”のお墓もあります
湖西市にある文晁寺(ぶんちょうじ)とも呼ばれる『本興寺(ほんこうじ)』はとにかく広くて静かできれい。山門までの参道はまっすぐと伸び、参道脇に植えられたツツジや公園の桜などのシーズンは、お花見のために訪れる人々も多く賑わいが増えると聞きます。
出たぁ!さわやかウォーキングで立ち寄った『白岩寺』に残る「幽霊の掛け軸」の怖ーい話
なんということでしょう。ここ『白岩寺』には、「白岩寺の幽霊軸」という民話が残されています。この掛け軸には画に精魂が宿っているのか、掛け軸の代々の持ち主に不思議な出来事が起きました。転々とした後、この白岩寺に納められたそうです。
「旧東海道」金谷坂の石畳は、江戸幕府が旅人たちが歩きやすいようにと作らせた愛のある道
金谷坂の石畳は、文政年間(1818~1829)、近隣の住民が滑り止めの山石を敷き並べた坂で、幕府が歩きやすいようにと命じ作らせたといいます。実際に坂道を登ってみた現代人の私には、坂道だから当たり前ですが、かなりしんどく感じられました。
御朱印がめっちゃかわいい『鬼岩寺』の境内小社「黒犬神社」、黒犬物語は実に興味深い!
『鬼岩寺』の読み方は『きがんじ』、境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置され、「黒犬伝説」と、神犬「クロ」を祀る『黒犬神社』があります。ここの御朱印がかわいいと評判です。
お茶畑が広がる牧之原台地の丘陵地、急勾配の坂を登れば堅固な守りの『勝間田城跡』
勝手に「徳川家康ゆかりの城」の一つと思いこんで、今回この「勝間田城」を訪ねてみました。駐車場からの登り坂はけっこう勾配がきついですけど、ほんの10分~15分で戦国時代を思わせる城跡に立てるんですから、本当に良いところだと思います。
三ケ野坂を上り大日堂がある高台で本多忠勝のように武田軍が布陣した木原をながめてみた
今回は、1572年(元亀元年]武田信玄が木原(袋井市)、西島(磐田市)に約3万5千の軍を敷き、三ケ野大日堂まで偵察に来た3千の徳川家康軍を攻撃した「三ケ野坂の戦い」が行われた『三ケ野坂古戦場』です。
磐田見付にある三河で一番の色男「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』
今回ご案内する「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』は、こま犬ではなく子うさぎを添えるように上を向いたかわいい「こま兎(うさぎ)」が出迎えてくれるんです。その理由は神社に祀られているのが、「因幡の白兎」で知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)だからです。
偵察に出ていた本多忠勝らが武田軍と遭遇して戦いになったと伝わる『木原畷の戦い』
「木原畷の戦い」後に「三ケ野坂の戦い」があり、「一言坂の戦い」「提燈野の戦い」から浜松城に逃げ帰り、そしてのちの「三方ヶ原の戦い」と続くと伝えられています。「一言坂の戦い」は1572年(元亀3年)10月に遠江に侵攻した武田軍と、それを迎え撃つべく出陣した徳川家康が初めて直接対決したとされます。
ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印の磐田御殿遺跡公園、御殿の門が移築された西光寺、西願寺
現在は市街地に没している、徳川家康が鷹狩りのおりに休憩・宿泊施設として築いた「中泉御殿」の表門は西光寺に、裏門は西願寺にと、付近のお寺に移築され現存しており、市指定文化財に指定されています。
高根城は信濃との国境にほど近く、国衆奥山氏が街道を押さえる拠点として築いた城
大河ドラマ『おんな城主直虎』でロケ地になり有名になった遠州最北端の山城『高根城』、武田軍が遠江に進出した際には武田信玄と徳川家康による戦国時代の攻防の地で実は”二重掘切”がすばらしいのです。
秋葉神社上社といえば火まつりですが、ニノのお手植えの梅ともみじ、天狗の皿投げも忘れずに!
松潤で湧く街中からは少し離れ、車で2時間程度北へ走り、かねてから死ぬまでに一度はお参りしなくちゃ!と思っていた『秋葉神社上社』で、「ニノ」こと二宮和也氏が若かりし頃植えたという「梅」と「もみじ」を見てきました。
生涯で1,000回以上も鷹狩りを楽しみ、孫の家光も練薬で治すほどの薬をつくる家康
大河ドラマ『どうする家康』が好調だからなの?最近は歴史番組はもちろん、普段から放送しているクイズ番組まで”徳川家康関連”が多くてうれしい限り。ところで、家康の銅像は鷹狩りスタイルが多くない?どんだけ鷹狩りが好きだったの?それから「薬作り」もね。
家康が鯛の天ぷらで食あたりを起こしたという藤枝の『田中城』の下屋敷を訪れてみた
家康好きが止まらないアラ還は、今度は浜松を飛び出し藤枝市の『田中城跡』を訪ねてきました。『田中城』といえば、一説では徳川家康の死因ともいわれる鯛の天ぷらを食したお城としてよく知られ、小説やドラマでも何回となく描かれています。
鍛冶屋や金工職人、鋳物屋の篤信を集める『金山神社』はまるでオアシス
今回の徳川家康ゆかりの神社は『金山神社』です。徳川家康をはじめ、歴代の浜松城主からも崇敬されていたといいます。家康が美濃国(岐阜県)南宮大社より御分霊を勧請し祀ったことが始まりとされます。
家康が天竜川の渡船権利を与え保護した『池田の渡し』と、長さ1.5m以上の『熊野の長藤』
今回の徳川家康ゆかりの地”磐田”で訪ねたのは、天竜川の河川敷にある家康が天竜川の渡船権利を与え保護した『池田の渡し』を再現した公園と、最大長さ1.5m以上にもなる見事な長藤『熊野の長藤』が見られる行興寺です。
浜松まつりは5/3~5/5、家康公騎馬武者行列だけでなく『舘山寺温泉』も楽しんで♪
浜松まつりといえば、まずは「熱気と興奮の凧揚げ合戦」がまっさきに浮かぶイメージですが、今年に限っては「浜松まつり」の最終日5日、午後2時~4時、市の中心地で行なわれる『家康公騎馬武者行列』が注目を浴びそうです。コースは浜松駅周辺の800m。
遠江侵攻を始めた徳川家康が最初に攻めた『宇津山城』は正太寺からの宇津山城跡散策コースがおすすめ
今回の徳川家康ゆかりの城は、遠江侵攻を始めた家康が最初に攻めたという湖西市の正太寺鼻にある『宇津山城跡』、ちょうどツツジがきれいな今なら城跡までの険しい山道も楽しいのでは?と考え思い切って訪ねてみました。
家康の伝承が残る樹齢1000年を迎える雲立の楠、『浜松八幡宮』に浜松の名前の起源があるの?
今回の徳川家康ゆかりの神社は、浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する『浜松八幡宮』です。家康が三方ヶ原の戦いでの敗走時に逃げ込み身を隠した『雲立の楠(くもだてのくす)』が今も残る神社で、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。
浜松の小学生、中学生諸君。君たちが大好きであろう『浜名湖遊園地パルパル』は、もともとはお城だったことをご存知だろうか?観覧車の下にひっそりと佇む堀江城の案内板に気付いていますか?
武田勝頼が築いた武田流築城術を駆使した大規模な山城『諏訪原城跡』
今回は、武田勝頼が遠江攻略のために築いた、武田流築城術を駆使した大規模な山城『諏訪原城跡』です。こちらを訪れたら、きっと誰もがそれまで想像していた「お城」そのものの印象がガラッと変わるのではないでしょうか。なんとなくですが、私的には「戦(いくさ)」を感じることができたんです。
家康公から天竜川の材木流運の特権を与えられた『筏問屋 旧田代家住宅』
先回JRと天浜線、さらに遠州鉄道がコラボした『さわやかウォーキング』で、家康の支城として知られる二俣城と鳥羽山城、そして戦国の悲劇信康が眠る清瀧寺を訪ねました。今回は、その際、立ち寄った家康公ゆかりの『筏問屋 旧田代家住宅』をご紹介しましょう。
かわいい『金運を連れてくる子猫』をお部屋・玄関に飾って金運・幸運をGET!
じっとこちらを見つめるかわいいつぶらな瞳、お利口さんに座った健気な姿の猫が、お部屋の一角にあれば明るい未来が訪れそうな気がしてきます。運気の入り口の玄関やリビングに飾ることで、家族やあなたの金運や幸運を見守ってくれそうな『金運を連れてくる子猫』です。
うまくいくという語呂合わせから生まれた金運アクセサリー『九星馬九行久ペンダント 』
新生活をスタートさせる方が多いこの時期、地元では今年も昨年に続いて入学式や入社式などを桜満開の下で迎えられたようで良かったです。スタートに合わせて今回は皆さんの金運・幸運の手助けになれば!ということで、金運縁起がこもった『九星馬九行久ペンダント』をご紹介しましょう。
家康、秀忠、家光が合祀される『三方原神社』は三方原に入植した旧幕臣の名残り
『三方原神社』の御祭神は東照大権現(徳川家康)ですが、秀忠公、家光公も合祀されています。1922年(大正11年)6月25日、旧浜松城内に祀られていた「東照宮」(元城神社)をゆかりの地三方原村へお迎えし、村民の信仰の中心となる神社としました。
今も三方ヶ原合戦を伝える、戦没者を葬った「精鎮塚」が 残されている『三寶山本乗寺』
今回の徳川家康ゆかりの寺は、三方ヶ原合戦の戦没者の墓が残されている『三寶山本乗寺』です。境内には「精鎮塚」と記された1573年(元亀3年)に行なわれた『三方ヶ原の合戦』の戦没者を葬った墓が残されています。
1568年に”井伊三人衆”の案内により侵攻した徳川軍に攻められ落城した『刑部城跡』
今回の徳川家康ゆかりの城は、堀川城と同様三河の家康が遠江に侵攻してくる徳川に備えて、今川方の豪族たちが築いたお城『刑部城』です。 刑部城には悲しい姫様の悲話も残されているということで、興味津々で調べてみました。
1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』は家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地
今回の家康ゆかりの地は、三ヶ日みかんでよく知られる三ヶ日にある1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』です。家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地であり、寺内に多数の文化財があることもご参拝の楽しみです。
『護法山地蔵院』には築山御前が生前携えていたとされる秘伝『腹籠地蔵尊』が祀られている
ドラマですから、松潤と一緒に架純ちゃんも大往生しても良いのでは?とも思うのですが!今回は築山御前が生前肌見離さず携えていたとされる秘伝「腹籠(はらごもり)地蔵尊」が本堂の位牌堂に祀られている『護法山地蔵院』です。
天浜線の『松潤ラッピング列車』が『どうして!?信康』駅(天竜二俣駅)に停まってた!
天浜線の『松潤ラッピング列車』をご存知ですか?しかも、天竜浜名湖鉄道の[天竜二俣駅]には、3月20日から副駅名(愛称)として『どうして!?信康』の看板がホームに誕生したのです。その二俣には苦笑いするほどチャーミングなお顔の『信康くん』もいます。
最近話題の開運・金運アップの待ち受け画面、さらに話題の神社、蛇の抜け殻のご利益など
「最強の金運アップ術を見つけ出したい」とずっと思ってきたアラ還です。今回は、もしそんな思いをお持ちの欲深い方ならきっと参考になるであろう記事になっています。お金持ちの習慣から待ち受け画面、さらに金運アップでおすすの神社、蛇にまつわる伝説まで網羅しています。
戦国時代の悲劇”21歳の若さで切腹した信康”を供養するため家康が建立した『清瀧寺』
天竜二俣で今も愛され続けている武将、家康公の長男でありながら21歳の若さで切腹した信康公が祀られている『清瀧寺』について調べていきます。さらに、家康は、どうして実の息子の信康に自害を命じなければならなかったのでしょうか?その理由についても調べていますので、のんびりご覧になってください。
あなたの干支で選ぶ金財運護符『干支財運亨通符』でもらおう金運財パワー
1700年以上の歴史を誇り、中国江蘇省蘇州旧市街の中心に位置する江南地方最大の道教寺院・玄妙観(げんみょうかん)。この地で1700年もの間伝えられてきた、100年に一度だけ限られた人にご開帳されるのが、道教の「最上位財運秘図」です。
浜松市天竜区にある徳川氏と武田氏が攻防を繰り返した二俣城址と鳥羽山城址
家康が遠江に持っていた城は数多くあります。特に浜松城の支城として知られるのが二俣城と鳥羽山城です。武田信玄との間に2度、3度と大きな戦いが行われた城になります。長男の信康を供養するために、信康の廟所として家康公によって建立されたのが清龍寺です。
薙刀を片手に家康と懸命に戦うも命を落としたお田鶴の方がお祀りされている『椿姫観音』
三河から遠江に侵攻を始めた家康は、夫亡き後代わりに守っていた引間城主今川家臣・飯尾連龍の正室お田鶴の方に開城を求めます。が、今川方への深い忠心から要求を撥ね付けたお田鶴の方は、馬上で薙刀を片手に家康と懸命に戦うものの、命を落とします。
釣鐘には”源家康”の銘文あり「身代わり地蔵」としてよく知られる宣光寺
旧東海道にあり地蔵小路の奥に鎮座する『珠玉山宣光寺(しゅぎょくさんせんこうじ)』は寺伝によると1596年(慶長元年)の開創。豊川稲荷として知られる「妙嚴寺(みょうごんじ)」の25世太淵龍堂和尚によって開山された曹洞宗のお寺です。宣光寺は遠州三十三霊場の17番札所で、延命地蔵菩薩がご本尊です。
家康が初めて手掛けた磐田見付の『城之崎城』ところが幻の城に!どうしたらええんじゃ~
城之崎城跡は現在形を変え、城山球場や城山中学校となっていますから、その遺構は多くはありませんが、土塁は球場のスタンドで、横堀の一部は球場東側で見ることができます。幻の城となってしまったおかげで浜松城が築かれこうして暮らせることに感謝です。
万葉の森公園で見頃のミツマタ、紙の原料として現れる最初の文献は家康の黒印状!
甘い香りの『ミツマタ』をご存知でしょうか?紙漉きの原料になるとか。ミツマタが紙の原料として現れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の1598年(慶長3年)に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状なんですぞ!
地元で井伊谷宮といえば「節分」南北朝時代に活躍した宗良親王をお祀りしていることも忘れないで!
今回は、地元民として節分には福豆や福餅、お菓子などを拾うために訪れていた『井伊谷宮』を改めて調べてみました。ただただ『節分』を楽しむだけに井伊谷宮を訪れていた自分が情けないです。
春はしだれ梅が咲き乱れ、かつて家康が本陣をおいた龍尾神社や『松ヶ岡』(旧山崎家住宅)
2月下旬~3月上旬に見頃を迎えるしだれ梅、掛川で名所として知られる『龍尾神社』の花庭園を訪ねてみました。龍尾山は城の攻守の要であり、かの天王山の戦では、徳川家康公が本陣をおいた場所としても知られています。
遠江 家康公ゆかりの食べ物 『忍冬酒』と『浜納豆』は共に健康に良さそう
ドラマ館でシニア向けの家康ゆかりの食べ物2点をGETしてきました。1つ目は、健康オタクの家康が薬酒として食後や寝る前に飲んでいたという『忍冬酒』。2つ目はこの納豆を好んだ家康が献上が遅れた年に「浜名の納豆はまだ来ぬか」と言ったとされ、後に『浜納豆』と呼ばれるようになったという塩辛い納豆。
『萬松山龍潭寺』は徳川幕府を支えた井伊家歴代当主の菩提寺でお庭も有名
今回訪ねる『萬松山龍潭寺』は、徳川幕府を支えた井伊家歴代当主の菩提寺です。現在放送中の大河ドラマ『どうする家康』では、板垣李光人さんが演じる24代井伊直政公の墓地も境内にあります。
新しい人生の門出を祝い『縁起物』の腕時計を購入するには良い季節かも?
今回は身につけられる金運力ということでいくつか腕時計をご紹介していきます。シンプルな腕時計で、ちょっと見には『縁起物』に見えないかもしれません。欧州では金運や幸運の象徴とされる馬蹄が文字盤にデザインされていたり、金運には欠かせないといわれるフクロウが時計の裏側にしっかりと刻印されていたりします。
『堀川城の戦い』では城兵約千人、『獄門畷』で女子供を含む約700人の首を討った家康
現在都田川沿いの田園の中にある『堀川城跡』は、家康が堀川城を徹底的に攻め、立て籠もった城兵や領民を全滅させた城跡です。落城後も敗戦兵を探し出し処罰し、その後も近隣に居住していた反徳川の住民を捕らえ、その捕虜の首を都田川の土手に並べたという残虐な話が言い伝えられています。
家康が箱根や新居の関所とともに、東海道の三大関所の一つとして設けたと伝わる『気賀関所』
今回は、徳川家康が箱根や新居の関所とともに、東海道の三大関所の一つとして設けたと伝わる『気賀関所』を詳しく解説していきます。のんびりと散策するのにぴったりな気賀のまちを一度訪ねてみては?
松尾神社で家康公ゆかりのお宝が見つかった!?それはなんと錆びた刀だった!
2023年新年が明けてまもなくのこと、NHKローカル番組で、「松尾神社で家康公ゆかりのお宝が見つかった!?それはなんと錆びた刀だった」という衝撃的な事実を知りました。このお宝の刀は、しっかりと神社の聖なる領域「神域」に祀られていた。なんとボロボロの錆びた姿で!
家康だって残忍なこともしまっせ!佐鳴湖畔にある『龍雲寺』のお庭がすごい!
今回の『徳川家康ゆかりの地 浜松』でご紹介するのは、家康だって残忍なこともしまっせ!というテーマに伴った、佐鳴湖のすぐ近くにある『龍雲寺』。「三方原の戦い」の時武田側の味方をしたばっかりに、家康公に攻められ、御本尊と山門以外を焼失することになったんです。
家康公ゆかりの地浜松のパワースポット『浜松元城町東照宮(引馬城跡)』
みなさんは浜松城天守閣や市観光インフォメーションセンター、各区役所などでいただける『家康公ゆかりの地 出世の街浜松 家康の散歩道』という冊子を御存知でしょうか?家康公のゆかりの地を巡ってみたいと考えている方には絶対に役に立つと思われます。
白蛇の金運パワーが込められた『白蛇四神ブレスレット』を一粒万倍日に!
皆さんは2023年、今年の超ラッキーデーは何回あるかご存知ですか?2023年超ラッキーデーは1月6日(金)、3月21日(火)、8月4日(金)と3回しかありません。すでに1月は過ぎてしまったので残すところあと2回です。今回ラッキーショップからご紹介する縁起物アクセサリーは『白蛇四神ブレスレット』になります。
今川領の遠江へ侵攻を始める途中家康は「奥山方広寺」に立ち寄った!
今回の家康ゆかりの地は、東海地方を代表する禅寺としても有名な『奥山方広寺』です。さて、徳川家康との関係は?といいますと、遠江へ侵攻の途中で井伊の三人衆(菅沼忠久、近藤康用、鈴木成時)に道案内をさせ、こちらの方広寺に立ち寄ったと伝えられています。
その名の由来は「ただ勝つのみ」なのかしら?本多忠勝ってどんな武将なの?
今回は「忠義一徹、信念の勇将」といわれ、徳川四天王の一人として誰もが知る『本多忠勝』のお生まれから、お亡くなりになるまでを色々と調べていきたいと思います。本多忠勝像がある場所も調べましたよ。
目の霊山『油山寺』はまるで公園のような広さで自然にあふれています
まだ初詣にお出かけでないようでしたら、こちらの遠州三山のひとつでもある『油山寺』がおすすめです。目や足腰にご利益があるのはもちろんですが、広くて高低差もあり谷川のせせらぎを聞きながら『油山寺』を散策すれば、身も心も健康的になること間違いなしです。
金色の狛狐が出迎えてくれる家康公ゆかりのお稲荷さん『遠江分器稲荷神社』
今回は浜松市中区田町の住宅地にあるお稲荷さん『遠江分器稲荷神社』を訪ねてみました。もちろんこちらも家康公とのゆかりのある神社です。何よりも興味深かったのは、あの『蜻蛉切』で有名な徳川四天王の一人本多忠勝の屋敷があったと推定される場所が神社のすぐ西側にあることです。
『井伊の赤備え』発祥の地として知られる『浜松秋葉神社』の御朱印はお菓子つき!?
『浜松秋葉神社』はJR浜松駅からも徒歩約22分ですし、浜松城からも約10分とちょっとしたウォーキング気分で出かけられます。途中の登り坂には『浜松城』を眺める絶景ポイントもあります。ドラマ館へお出かけの際に立ち寄ってみてはいかがでしょう。
日本初の本格木造天守閣でその美しさから「東海の名城」とうたわれる掛川城
駿河(静岡県東部)・遠江(静岡県西部)・三河(愛知県西部)を治めていた今川義元が、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られると、これらの地域は徳川氏と武田氏の激しい戦いの場となり、さまざまな城が築かれました。今回は山内一豊が天守閣を築いた「東海の名城」『掛川城』のことを調べていこうと思います。
浜松の『龍禅寺』にある遠州一大梵鐘は江戸時代に作られ奇跡の生還を果たした遺産
中日新聞で週イチくらいで連載中の『浜松 歴史のとびら』で、浜松市中区龍禅寺という町の名前にもなっている『龍禅寺』、ここに遠州一の規模の大梵鐘があって、しかも奇跡の生還を果たしたと知り、いつか必ず訪ねたいとずっと思っていたのが、今回お参りしてきた『龍禅寺』です。
来年こそ!金運大飛躍の新年を迎えたいなら『金持蛙財神』だって
今回ご紹介する金運置物『金持蛙財神』は、黄金の蛙が「変える」金運力ということで、由緒正しい金運招来の地「金持神社」御祈祷済みの縁起物です。特に年が改まって間もないこれからの時期は、蛙の「変える」開運力が、いつにも増して躍動するといわれています。
寒い今年の年末はスカパー!で『韓国年末歌謡祭』を楽しんで暖かく過ごしては!?
帰省やお出かけの際の交通機関や道路の渋滞など、心配なことが多い年越しから年始を迎えることになる予感です。暖かい地方代表の静岡住まいではありますが、おうちで暖かくしてテレビでも見るのが一番!ってことで、スカパーで年末年始に放送される韓国の授賞式のスケジュールをご紹介していきます。
年末はやっぱり『紅白歌合戦』 でも知らない歌手ばかり(泣)そこで出場メンバーを徹底的に調査
大晦日のお楽しみはやっぱり『紅白歌合戦』だよね。と思っていた昭和世代の私にとって、波乱万丈な2022年を締めくくる紅白の出演メンバー発表はかなり楽しみなものでした。だけど「えー知っている歌手が少ない。このグループの名前はなんと読むんだい?」で台無し。
600年の歴史を刻む名刹 禅寺「可睡斎」は家康公との故事により名付けられた?
まさに遠州地方の紅葉の盛りとも思われる12月中旬に、赤や黄色に染まる木々の間から、歴史ある建物を思う存分に楽しむことができる「可睡斎」を訪ねました。「可睡斎」の名は、故事から家康公が名付け親ともいえ、600年の歴史を刻む曹洞宗専門僧堂「禅の寺」として知られています。
家康公は、徳川家ゆかりの長光山妙恩寺を2回も訪れているんですって
年末らしく寒くなってきた今回の家康公ゆかりの浜松は、家康公が2回も訪ねている浜松市東区天龍川町の『長光山妙恩寺』です。浜松市民にとっては、あの「丸に二引き」の寺紋の伝承のお寺と言ったほうがわかるかも!?
家康公、秀吉公、井伊直政公とも関わりのある『頭陀寺』は浜松有数のパワースポット
今回の家康公ゆかりの地浜松は、『頭陀寺』です。なんて読むの?と思われましたか?これで”ずだじ”と呼びます。なんと、この浜松市南区にある『頭陀寺』ですが、徳川家康公、豊臣秀吉公、井伊直政公とも関わりのあるお寺で、浜松では有数のパワースポットになっています。
家康の側室 阿茶局 が預けられ、家康もたびたび訪れた浜松の『鈴木家』って?
今回は、正室2人、側室は19人にも及んだといわれる家康公、その晩年を支えたといわれる「阿茶局」、さらに阿茶局が預けられていたという、浜松市東区の『旧鈴木家屋敷』についていろいろと調べてみました。
『七五三』で賑わう五社神社・諏訪神社は家康公とゆかりの深い神社です
今回は、家康公ゆかりの地 出世の街浜松『家康の散歩道』というパンフレットに掲載されている《浜松城下ルート》から、初詣や七五三で賑わう「五社神社」、鍛冶屋や金工職人、鋳物屋の篤信を集める「金山神社」、『まつのを神社』と読み、和銅年間(708~715年)の創建と伝わる「松尾神社」を訪ねてみました。
長篠城跡を訪ねて戦国時代最強といわれた武田の滅びを感じてみては?
今回は、戦国時代の流れを大きく変えたといえる大きな戦い『長篠・設楽原の戦い』が行われた『長篠城跡』。さらに「長篠攻防」と「設楽原の決戦」の資料が残されている『長篠城址史跡保存館』を、紅葉のピークの時期に訪ねてみました。
家康公が生まれる際の逸話が残されている『鳳来寺山』今は紅葉が見頃です。
大河ドラマファンで徳川家康公について必死で勉強中の私は、浜松から車で1時間ほどで行けて、しかも家康公が生まれる際の逸話が残されている『鳳来寺山』を満喫してきたこともあり、今回は紅葉の写真と合わせて『鳳来寺山』について解説していきます。
『旧見付学校』に展示されている『酒井の太鼓』から酒井忠次を想う
今回訪れたのは、徳川家康ゆかりの地磐田の『旧見付学校』。実は展示されている『酒井の太鼓』が目的だったりします。家康が人質として今川氏のもとで過ごす頃からそばで見守っていた、家康が最も信頼していた武将酒井忠次を想いながら、その太鼓を眺めてきました。
朝晩冷え込むようになったこの頃は、たわわに色鮮やかな実をつけた柿の木の姿が減り、物寂しい晩秋の景色になりつつあります。でも良く見ると、柿の実が一つ二つ、塀の向こう側に色つやの良い姿を見せてくれています。
今回は、「今年2022年は『五黄の寅年』で、金運奇跡の年だったはずなのに・・・。トホホ 涙。」という方におすすめの『金持干支三合符』をご紹介しました。もしかしたら、来年こそ奇跡が起きて金運の神様が微笑むかもしれません。
磐田の一言坂古戦場と提灯野、三箇野坂古戦場に袋井の木原畷古戦場
今回は「家康は浜松ではなく磐田にお城を構えていたかもしれない」といわれる浜松のおとなりさん「磐田」の、一言坂古戦場跡と提灯野を訪ねました。徳川軍にとって退却戦として、非常に巧妙だったといわれる戦を想像しながら歩くのは非常に楽しいものです。
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『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、お参りの前に石碑がたくさんある境内で一服することもあります。
『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。過去には教科書に載ったことも・・・。
今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。
先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。
今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。
『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。
先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。
浜松市内から西のほうへ車を走らせると、遠くからも見える大きな2つの達磨(だるま)に気づいたことはありませんか?これらは蔵興寺本堂の屋根の両脇に安置された全高6メートルもある虚空蔵尊のシンボルのビッグダルマです。
今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。
今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。
今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。
遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。
今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。
今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。
『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。
今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。
新聞広告で知った災除道開の神として知られる『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、2024の初詣は『曽許乃御立神社』に決めたのでした。
静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』は、真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。
今回の徳川家康ゆかりの城は、遠江侵攻を始めた家康が最初に攻めたという湖西市の正太寺鼻にある『宇津山城跡』、ちょうどツツジがきれいな今なら城跡までの険しい山道も楽しいのでは?と考え思い切って訪ねてみました。
今回の徳川家康ゆかりの神社は、浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する『浜松八幡宮』です。家康が三方ヶ原の戦いでの敗走時に逃げ込み身を隠した『雲立の楠(くもだてのくす)』が今も残る神社で、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。
浜松の小学生、中学生諸君。君たちが大好きであろう『浜名湖遊園地パルパル』は、もともとはお城だったことをご存知だろうか?観覧車の下にひっそりと佇む堀江城の案内板に気付いていますか?
今回は、武田勝頼が遠江攻略のために築いた、武田流築城術を駆使した大規模な山城『諏訪原城跡』です。こちらを訪れたら、きっと誰もがそれまで想像していた「お城」そのものの印象がガラッと変わるのではないでしょうか。なんとなくですが、私的には「戦(いくさ)」を感じることができたんです。
先回JRと天浜線、さらに遠州鉄道がコラボした『さわやかウォーキング』で、家康の支城として知られる二俣城と鳥羽山城、そして戦国の悲劇信康が眠る清瀧寺を訪ねました。今回は、その際、立ち寄った家康公ゆかりの『筏問屋 旧田代家住宅』をご紹介しましょう。
じっとこちらを見つめるかわいいつぶらな瞳、お利口さんに座った健気な姿の猫が、お部屋の一角にあれば明るい未来が訪れそうな気がしてきます。運気の入り口の玄関やリビングに飾ることで、家族やあなたの金運や幸運を見守ってくれそうな『金運を連れてくる子猫』です。
新生活をスタートさせる方が多いこの時期、地元では今年も昨年に続いて入学式や入社式などを桜満開の下で迎えられたようで良かったです。スタートに合わせて今回は皆さんの金運・幸運の手助けになれば!ということで、金運縁起がこもった『九星馬九行久ペンダント』をご紹介しましょう。
『三方原神社』の御祭神は東照大権現(徳川家康)ですが、秀忠公、家光公も合祀されています。1922年(大正11年)6月25日、旧浜松城内に祀られていた「東照宮」(元城神社)をゆかりの地三方原村へお迎えし、村民の信仰の中心となる神社としました。
今回の徳川家康ゆかりの寺は、三方ヶ原合戦の戦没者の墓が残されている『三寶山本乗寺』です。境内には「精鎮塚」と記された1573年(元亀3年)に行なわれた『三方ヶ原の合戦』の戦没者を葬った墓が残されています。
今回の徳川家康ゆかりの城は、堀川城と同様三河の家康が遠江に侵攻してくる徳川に備えて、今川方の豪族たちが築いたお城『刑部城』です。 刑部城には悲しい姫様の悲話も残されているということで、興味津々で調べてみました。
今回の家康ゆかりの地は、三ヶ日みかんでよく知られる三ヶ日にある1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』です。家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地であり、寺内に多数の文化財があることもご参拝の楽しみです。
ドラマですから、松潤と一緒に架純ちゃんも大往生しても良いのでは?とも思うのですが!今回は築山御前が生前肌見離さず携えていたとされる秘伝「腹籠(はらごもり)地蔵尊」が本堂の位牌堂に祀られている『護法山地蔵院』です。
天浜線の『松潤ラッピング列車』をご存知ですか?しかも、天竜浜名湖鉄道の[天竜二俣駅]には、3月20日から副駅名(愛称)として『どうして!?信康』の看板がホームに誕生したのです。その二俣には苦笑いするほどチャーミングなお顔の『信康くん』もいます。
「最強の金運アップ術を見つけ出したい」とずっと思ってきたアラ還です。今回は、もしそんな思いをお持ちの欲深い方ならきっと参考になるであろう記事になっています。お金持ちの習慣から待ち受け画面、さらに金運アップでおすすの神社、蛇にまつわる伝説まで網羅しています。
天竜二俣で今も愛され続けている武将、家康公の長男でありながら21歳の若さで切腹した信康公が祀られている『清瀧寺』について調べていきます。さらに、家康は、どうして実の息子の信康に自害を命じなければならなかったのでしょうか?その理由についても調べていますので、のんびりご覧になってください。
1700年以上の歴史を誇り、中国江蘇省蘇州旧市街の中心に位置する江南地方最大の道教寺院・玄妙観(げんみょうかん)。この地で1700年もの間伝えられてきた、100年に一度だけ限られた人にご開帳されるのが、道教の「最上位財運秘図」です。
家康が遠江に持っていた城は数多くあります。特に浜松城の支城として知られるのが二俣城と鳥羽山城です。武田信玄との間に2度、3度と大きな戦いが行われた城になります。長男の信康を供養するために、信康の廟所として家康公によって建立されたのが清龍寺です。
三河から遠江に侵攻を始めた家康は、夫亡き後代わりに守っていた引間城主今川家臣・飯尾連龍の正室お田鶴の方に開城を求めます。が、今川方への深い忠心から要求を撥ね付けたお田鶴の方は、馬上で薙刀を片手に家康と懸命に戦うものの、命を落とします。
旧東海道にあり地蔵小路の奥に鎮座する『珠玉山宣光寺(しゅぎょくさんせんこうじ)』は寺伝によると1596年(慶長元年)の開創。豊川稲荷として知られる「妙嚴寺(みょうごんじ)」の25世太淵龍堂和尚によって開山された曹洞宗のお寺です。宣光寺は遠州三十三霊場の17番札所で、延命地蔵菩薩がご本尊です。
城之崎城跡は現在形を変え、城山球場や城山中学校となっていますから、その遺構は多くはありませんが、土塁は球場のスタンドで、横堀の一部は球場東側で見ることができます。幻の城となってしまったおかげで浜松城が築かれこうして暮らせることに感謝です。