FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
1990年代のタイその8 タイのその他の県とタイ隣接国(1990~92)
FH000027 posted by (C)ピーミィ ローズガーデンのタイボクシングショー、サンプラン、ナコンパトム県 今日の写真は、1990年代のタイその8 タイのその他の県とタイ隣接国の写真です。1.Nakhon Phatom,ナコンパトム県FH040020 posted by (C)ピーミィ ナコンパトム
1990年代のタイその7 バンコク都内の名所旧跡(1990~92)
FH010010 posted by (C)ピーミィ ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)、タイ王宮、ラッタナコーシン島、バンコク 今日の写真は、1990年代のタイその7 バンコク都内の名所旧跡です。1.Royal Palace,ラッタナコーシン島、バンコクFH010004 posted by (C)ピーミィ
1990年代のタイその6ー2アユタヤを除くタイ中部と西部の県②(1990~92)
FH020007 posted by (C)ピーミィ 戦場にかける橋、クワイ川、カンチャナブリ、タイ 今日の写真は、一昨日の続きで1990年代のタイその6ー2、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写②です。8.Khao Kho National Park,ペチャブーン県FH000010 posted by (C)ピーミィ カ
1990年代のタイその6ー1 アユタヤを除くタイ中部と西部の県①(1990~92)
FH010034 posted by (C)ピーミィ Wat Phra Putthabat(仏足石寺),サラブリ県 、タイ 今日の写真は、1990年代のタイその6ー1、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写真①です。1.Sing Buri,シンブリ県FH030016 posted by (C)ピーミィ 黄金大仏、Wat Phikunthong, Tha
1990年代のタイその5 タイ東北地方のクメール遺跡(1990~92)
19910525-18 posted by (C)ピーミィ プラサート・ヒン・ピーマイ, Nakhon Ratchasima 今日の写真は、1990年代のタイその5、タイ東北地方のクメール遺蹟です。1.Prasat Hin Phimai, Nakhon Ratchasima19910525-42 posted by (C)ピーミィ アルバム「Prasat Hin Ph
1990年代のタイその4 Isan(Northeastern Thailand)1992
FH020034 posted by (C)ピーミィ ワット・マハタート ナコンパノム、ナコンパノム 今日の写真は、1990年代のタイでクメール遺蹟以外の遺跡、名所などです。1.Ubon Ratchathani(khaong Chiam, Mae Nam Song Si, Chongmek)FH000014 posted by (C)ピーミィ アルバム
19920620-82 posted by (C)ピーミィ 1992年のゴールデントライアングル(タイ、ビルマ、ラオスの3国国境) 今日の写真は、1990年代のタイその3 Chiang Rai件です。1.Wat Phra Keo, Chiang RaiFH010010 posted by (C)ピーミィ 1434年、チエンライのとある寺の仏塔
1990年代のタイその2 Chiang Mai, Lampang 1991~1996
FH000011 ワット プラタート ドイ ステープ、チェンマイ 今日の写真は、1990年代のタイのその2、「チェンマイ県とランパン県」です。 1991年にチェンマイ県から生の冷凍イチゴを300トン輸入した時のイチゴ畑と冷凍工場の写真も残っていました。 もう35年前で
1990年代のタイその1 アユタヤ朝関連遺跡1990~1992
FH020003 posted by (C)ピーミィ バーンパイン宮殿、アユタヤ県 今日から2週間ほどは、1990年にタイ王国バンコクに初めて海外駐在をした当時撮影していたフィルム写真のネガフィルムから起こしたデジタルスキャンデータです。 10年ほど前に放っておいたネガフィルムを
鐘楼門、金法山浄智寺(じょうちじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する禅宗の「金法山浄智寺(じょうちじ)」と紫陽花の花です。 浄智寺は、鎌倉五山第四位に位置付けられています。 境内は「浄智
総門、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山、「巨福山建長興国禅寺」通称「建長寺」です。鎌倉五山の第一位で、境内は「建長寺境内」として国の
明月院その2紫陽花、鎌倉市山ノ内、神奈川県 Jun'2021
階段参道、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、昨日の続きで明月院の紫陽花の花です。 この寺で紫陽花を植えたのは、第二次世界大戦後に物資や人手が不足し、参道を整備する杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」と
総門、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、あじさい寺として知られる神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院、福源山明月院の境内です。 有名な紫陽花の花は、明日紹介します。 平安時代後期、山内俊通の供
御霊神社(ごりょうじんじゃ)、神奈川県鎌倉市坂ノ下。 今日の写真は、まさしく長谷寺のある山から海側(南側)に下る坂の下にある「御霊神社」、通称「鎌倉権五郎神社」です。 と云っても巻頭の写真に見られるように、神域の境内での撮影が禁止でしたので、神社
山門、行時山光則寺、神奈川県鎌倉市長谷 今日は、鎌倉有数の花の寺として知られる、日蓮宗の行時山光則寺の紫陽花を中心とした写真です。 日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、日蓮の高弟日朗も捕らえ、寺社奉行の宿屋光則邸の土牢に監禁しました。
海光山慈照院長谷寺、鎌倉市長谷。 今日の写真は、紫陽花を中心とした長谷寺の花の写真です。 あじさい路、境内図、長谷寺。
山門。 和み地蔵。 放生池。 地蔵堂。 千体地蔵、地蔵堂の後背。 阿弥陀堂。 本堂(観音堂)。 観音ミュージアム。
鷲子山上神社その3、フクロウの神社のふくろう像達 Feb'2025
鷲子山上神社のふくろう達、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日、一昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きで、境内に120体以上配置されていたふくろう像達の一
境内社の本宮神社の鳥居と大フクロウ、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きです。 本宮神社。 鷲子山上神社の本殿があっ
鷲子山上神社その1、栃木県と茨城県の県境の神社 Feb'2025
鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、栃木県と茨城県を分けている八溝山地の鷲子山(とりのこさん)の山頂、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界に鎮座し、フクロウの神社として有名
記事一覧-日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」
日本遺産認定証、那須野が原博物館、那須塩原市三島。 日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の記事に興味のある方は、下のリストからオレンジ色になった構成文化財の名前をクリックして、記事に飛んでください。本ブログ内の「明治
日本遺産「那須野が原開拓」32.「矢板のリンゴ」、矢板市長井、中地区 Jan'2025
矢板のリンゴ、栃木県矢板市長井、中地区。 今日の写真は、矢板市長井地区、中地区の、日本遺産「那須野が原開拓」No.32「矢板のリンゴ」です。矢板のリンゴ 矢板市は、標高の低い土地でリンゴが生産できる南限といわれ、現在は18のリンゴ園が盛んに生産してい
日本遺産「那須野が原開拓」30.「南ヶ丘牧場」、那須町大字湯本 Jan'2025
南ヶ丘牧場、栃木県那須町大字湯本。 今日の写真は、那須町大字湯本の、日本遺産「那須野が原開拓」No.30「南ヶ丘牧場」です。 南ヶ丘牧場創始者岡部勇雄夫妻の像南ヶ丘牧場 日本遺産「那須野が原」 昭和24 年(1949)、満州からの引揚者が入植した地域で、
日本遺産「那須野が原開拓」29.「千本松牧場」、那須塩原市千本松 Jan'2025
千本松牧場、栃木県那須塩原市千本松。 今日の写真は、那須塩原市千本松の、日本遺産「那須野が原開拓」No.29「千本松牧場」です。千本松牧場 千本松牧場は、総理大臣を務めた松方正義が1893年(明治26年)に那須開墾社よりこの地を譲り受け、大農具を導入して欧
日本遺産「那須野が原開拓」27.「大田原市大野放牧場」、大田原市湯津上 Jan'2025
大田原市大野(おおや)放牧場、大田原市湯津上 Jan'2025 今日の写真は、大田原市湯津上の、日本遺産「那須野が原開拓」No.27「大田原市大野放牧場」です。大田原市大野放牧場 大田原市営牧場で、牧区面積は約27ha あります。明治期には御料地でしたが、後に陸
日本遺産「那須野が原開拓」26.「大田原市歴史民俗資料館収蔵資料」、大田原市湯津上 Jan'2025
大田原市歴史民俗資料館収蔵資料、栃木県大田原市湯津上。 今日の写真は、大田原市湯津上の下侍塚古墳の南向かいに建つ、日本遺産「那須野が原開拓」No.26「大田原市歴史民俗資料館収蔵資料」です。大田原市歴史民俗資料館 展示室休止のお知らせ 大田原市歴史
日本遺産「那須野が原開拓」25.「『開拓』碑」、那須町豊原丙 Jan'2025
「開拓」碑、栃木県那須町豊原丙。 今日の写真は、那須町豊原丙の千振開拓地に建つ、日本遺産「那須野が原開拓」No.25「『開拓』碑」です。「開拓」碑 栃木県北部の那須町・千振(ちふり)開拓は、1946(昭和 21)年、満州開拓引揚者 73 戸が入植。千振の名
日本遺産「那須野が原開拓」24.「『拓魂』碑」、大田原市湯津上 Jan'2025
「拓魂」碑、栃木県大田原市湯津上。 今日の写真は、大田原市湯津上にある、日本遺産「那須野が原開拓」No.24「『拓魂』碑」です。「拓魂」碑「戦後開拓」としての金丸原開拓の歴史と、開拓初代の氏名を記す記念碑で、昭和51年(1976)に金丸原開拓農業協同組合によ
日本遺産「那須野が原開拓」23.「謝恩碑」、那須町寺子乙 Jan'2025
謝恩碑、栃木県那須町寺子乙。 今日の写真は、那須町寺子乙の上の原地区にある、日本遺産「那須野が原開拓」No.23「謝恩碑」です。謝恩碑 明治24年(1891)に山田農場を開いた、山田顕義(伯爵・司法大臣)及び山田家への謝意を記した碑です。昭和30年(1955)建立され
日本遺産「那須野が原開拓」21.那須基線(観象台)南端点、大田原市親園 Jan'2025
那須基線(観象台)南端点、栃木県大田原市親園。 今日の写真は、大田原市親園にある、日本遺産「那須野が原開拓」No.21「那須基線(観象台)南端点」です。 昨日の那須基線北端点との間を結ぶ約10.63の道路は当時「たて道」と呼ばれ、本州一長い南北に走る直線道
日本遺産「那須野が原開拓」20.「那須基線(観象台)北端点」、那須塩原市千本松 Jan'2025
那須基線(観象台)北端点、市指定、栃木県那須塩原市千本松。 今日の写真は、那須塩原市千本松にある、日本遺産「那須野が原開拓」No.20「那須基線(観象台)北端点」です。那須基線(観象台)北端点 観象台(北点)は、畜産草地研究所の正門左側(国道400号沿
日本遺産「那須野が原開拓」19.「那須疏水旧取水施設」、那須塩原市西岩崎 Jan'2025
那須疏水旧取水施設(国重文)、那須疏水公園、栃木県那須塩原市西岩崎。 第一次取入口(明治18年(1885)、第三次取入口(大正4年(1915) 今日の写真は、那須塩原市西岩崎の那須疎水公園に残る、日本遺産「那須野が原開拓」No.19「那須疏水旧取水施設」です。
日本遺産「那須野が原開拓」18.「蛇尾川」、那須塩原市、大田原市 2024,2025
蛇尾川(さびがわ)洗い越し、栃木県那須塩原市箕輪。 大雨時以外水がないので車が通れるようjになっています。 今日の写真は、那須塩原市から大田原市にかけて流れる、日本遺産「那須野が原開拓」No.18「蛇尾川」です。蛇尾川 大佐飛山を源流とする大蛇尾川と日
日本遺産「那須野が原開拓」17.「那須野が原公園(県北大規模公園)」、那須塩原市千本松 Jan'2025
那須野が原公園(県北大規模公園)、栃木県那須塩原市千本松。 今日の写真は、那須塩原市千本松にある、日本遺産「那須野が原開拓」No.17「那須野が原公園(県北大規模公園)」です。那須野が原公園(県北大規模公園) 当時の原生林が残る旧千本松牧場、旧三島
日本遺産「那須野が原開拓」16.「御亭山緑地公園」、大田原市北滝 May'2024
御亭山(こてやさん)緑地公園、栃木県大田原市北滝。 今日の写真は、大田原市北滝にある、日本遺産「那須野が原開拓」16.「御亭山緑地公園」です。御亭山緑地公園 御亭山(標高512.9メートル)山頂からの眺望はすばらしいもので、山頂付近には、伝説とロマン
日本遺産「那須野が原開拓」15.「平田東助の墓」、大田原市蛭田 Jan'2025
平田東助の墓、栃木県大田原市蛭田。 今日の写真は、大田原市蛭田にある品川天満宮の境内にある日本遺産「那須野が原開拓」No.15「平田東助の墓」です。平田東助の墓 品川弥二郎から譲渡された傘松農場を経営し、信用組合(今日の農業協同組合の前身)の礎を築
日本遺産「那須野が原開拓」14.「烏ヶ森の丘」、那須塩原市三区町 Jan'2025
烏ヶ森の丘、市史跡、栃木県那須塩原市三区町。 今日の写真は、那須塩原市三区町にある日本遺産「那須野が原開拓」No.14「烏ヶ森の丘」です。烏ヶ森の丘 烏ヶ森は標高297メートルの丘で、かつて那須西原(那須野ヶ原の一部)と呼ばれる原っぱのほぼ中央にあった
日本遺産「那須野が原開拓」12.「西郷神社」、大田原市鍛冶屋 Jan'2025
本殿(市指定有形文化財)、西郷神社、栃木県大田原市鍛冶屋。 今日の写真は、大田原市西部の野崎街道沿いにある日本遺産「那須野が原開拓」No.12「西郷神社」です。西郷神社 西郷隆盛の弟で、加治屋開墾を開いた西郷従道(じゅうどう)を祀る石造の神社です。
日本遺産「那須野が原開拓」11.「山縣農場」、矢板市上伊佐野 Jan'2025
旧山縣農場、栃木県矢板市上伊佐野。 今日の写真は、矢板市の高原山の裾野にある日本遺産「那須野が原開拓」No.11「山縣農場」です。山縣農場 山縣農場は、元来第三種官有地であった天然林約150町歩、草山600余町歩の山野を渋澤栄一氏が牧場経営を計画していた
日本遺産「那須野が原開拓」9.「三島農場事務所跡(那須野が原博物館)」、那須塩原市三島 Jan'2025
三島農場事務所跡(那須野が原博物館)、市史跡、栃木県那須塩原市三島。 今日の写真は、那須塩原市の日本遺産「那須野が原開拓」No.9「三島農場事務所跡(那須野が原博物館)」です。三島農場事務所跡 この地は、肇耕社(ちょうこうしゃ)並びにこれを引き継いだ
日本遺産「那須野が原開拓」8.「山田農場事務所跡(山田資料館)」、那須町寺子丙 Jan'2025
山田農場事務所跡(山田資料館)、栃木県那須町寺子丙 Jan'2025 今日の写真は、那須町の日本遺産「那須野が原開拓」No.8「山田農場事務所跡(山田資料館)」です。山田資料館 山田資料館が建っている黒田原地区は、現在那須町の中心に位置するが、明治20年代初
日本遺産「那須野が原開拓」7ー2.「矢板武旧宅」その2、矢板市本町 Jan'2025
矢板武旧宅、市史跡、栃木県矢板市本町。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.7ー2「矢板武旧宅」その2、建物内と収蔵物の写真です。 勝海舟が明治14年の晩秋に書いた正面玄関奥の「聚薼亭(しゅうじんてい)」と書かれた額。 雲照律
日本遺産「那須野が原開拓」7ー1.「矢板武旧宅」その1、矢板市本町 Jan'2025
矢板武旧宅、市史跡、栃木県矢板市本町。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.7ー1「矢板武旧宅」その1、建物と周囲の写真です。 矢板武旧宅(矢板武記念館)。 那須野が原開拓や那須疏水の開削、国道4号(陸羽街道)や東北本線の開通など、地域の産
日本遺産「那須野が原開拓」6.「乃木希典那須野旧宅」、那須塩原市石林 Jan'2025
乃木希典那須野旧宅、県史跡、栃木県那須塩原市石林。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.6「乃木希典那須野旧宅」です。 乃木希典は長州藩支藩の長府藩出身の陸軍大将・伯爵である。後に、学習院院長なども務めた。明治24年(1891)この地に約14ヘクタ
日本遺産「那須野が原開拓」5-2.「旧塩原御用邸新御座所」その2、那須塩原市塩原 Jan'2025
旧塩原御用邸新御座所、県有形、栃木県那須塩原市塩原 Jan'2025 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.5-2「旧塩原御用邸新御座所(天皇の間記念公園)」その2で、収蔵物や建物内部です。
日本遺産「那須野が原開拓」5-1.「旧塩原御用邸新御座所」その1、那須塩原市塩原 Jan'2025
旧塩原御用邸新御座所、県有形、栃木県那須塩原市塩原 Jan'2025 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.5-1「旧塩原御用邸新御座所(天皇の間記念公園)」その1で、建物やお庭です。 塩原御用邸は、明治17年(1884)、時の県令三島通庸(みしまみちつね)が塩
日本遺産「那須野が原開拓」4.「山縣有朋記念館」、矢板市上伊佐野 Jan'2025
山縣有朋記念館、県有形、栃木県矢板市上伊佐野 Jan'2025 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.4「山縣有朋記念館(旧・山縣有朋別邸)」です。 山縣有朋記念館は、明治42(1909)年、山縣有朋晩年の別荘として知られる小田原の古稀こき庵あん内に建てられ
日本遺産「那須野が原開拓」3.「松方別邸」、那須塩原市千本松 Jan'2025
松方別邸(萬歳閣)、栃木県那須塩原市千本松。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.3「松方別邸(萬歳閣)」です。 萬歳閣は、1903年(明治36年)に総理大臣を務めた松方正義の別邸の別称です。千本松牧場内にあるこの建物は、床面積334平方メートルの洋
日本遺産「那須野が原開拓」2.「大山別邸」那須塩原市下永田 Jan'2025
大山別邸、県有形、栃木県那須塩原市下永田。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.2「大山別邸」です。 大山別邸は、明治の元勲(げんくん)大山巌(いわお)が、自身の農場内に建てた和館と洋館からなる建物です。和館は、大山の郷里鹿児島で見られる台
日本遺産「那須野が原開拓」1ー2.「旧青木家那須別邸」その2Jan’2025
青木周蔵の馬車。黒磯駅と別邸間で使用。旧青木家那須別邸、栃木県那須塩原市青木。 今日の写真はNo.1「旧青木家那須別邸」その2で、室内と収蔵物です。 ワードローブ、1924年(大正13年)ルイ・ヴィトン社製。
日本遺産「那須野が原開拓」1ー1.「旧青木家那須別邸」その1Jan’2025
旧青木家那須別邸(重文)、栃木県那須塩原市青木。 昨日の記事のリストの順に、今日から1ヶ月ほど、日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の写真をアップします。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.1「旧青木家那須
日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」認定証、那須野が原博物館、那須塩原市三島。 今日から1ヶ月ほど、日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の写真をアップします。 指定構成文化財全32か所のうち、今年の1
拝殿本殿、烏森神社(からすがもりじんじゃ)、栃木県那須塩原市三区町。 今日の写真は、来週から紹介の日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の一つ「烏ヶ森の丘」の上に建つ「烏森神社」です。 平安時代の延喜2年(西暦902年
澤観音(補陀落山観音寺)、矢板市沢鷲峰、栃木県 Mar’2024
本堂(山門越し)、補陀落山観音寺、栃木県矢板市沢鷲峰。 今日の写真は、矢板市沢にある真言宗智山派の補陀落山観音寺、通称「澤観音寺」です。 下野三十三観音札所のひとつで、9世紀初頭に開山されたと伝えられています。 那須与一の兄・那須満隆が築いた澤村城
牛久阿弥陀大佛、牛久浄苑(浄土真宗東本願寺派本山東本願寺)茨城県牛久市久野町。 今日の写真は、茨城県牛久市にあるある巨大なブロンズ(青銅)製大仏立像で、全高120メートル(像高100メートル、台座20メートル)あり、立像の高さは世界で6番目。ブロンズ立像とし
高崎白衣大観音(観音山慈眼院)、高崎市石原町 Mar'2019
高崎白衣大観音、観音山慈眼院、群馬県高崎市石原町。 今日の写真は、群馬県高崎市の高崎観音山の山頂、標高190mの地点(高野山真言宗慈眼院の境内)にあり、高崎観音や 高崎白衣大観音として知られる観音山慈眼院の大観音です。 有名な群馬県の群馬県の郷土かるた「
大鳥居(総鉄製)、京濱伏見稲荷神社、神奈川県川崎市中原区新丸子東。 今日の写真は、川崎市中原区の東急東横線新丸子駅近くの京濱伏見稲荷神社(けいひんふしみいなりじんじゃ)です。 1951年(昭和26年)初代宮司、冨澤冠受大人之命(とみざわかんじゅうしのみこ
十三佛説明。 今日の写真は一昨日、昨日の圓福寺の続きで、本堂東側の丘の上の十三佛です。 本堂東の高台の薬師堂の西前から三重塔とその南の鐘楼を囲むように高台の西に5体、南に3体、東に5体と反時計回りに1~13まで並んでいました。
薬師堂、「びわかけの松」へ登る階段。 今日の写真は昨日の圓福寺の続きで、本堂東側の丘の上の薬師堂、琵琶懸の松(びわかけのまつ)などです。 薬師堂北側に生える「琵琶懸の松」の子孫。 数代目の松と伝わる。 薬師堂。中に祀られる十二神将は清瀬市文
曹洞宗大醫山圓福寺、東京都清瀬市野塩 今日の写真は、昨日までの清瀬市野塩の空堀川の東の高台に建つ、曹洞宗大醫山圓福寺です。 曹洞宗寺院の円福寺は、大醫山と号し、陽岳春和大和尚(寛永11年1634年寂)が開山となり創建、薬師堂の十二神将は清瀬市文化財に指定
左からカワセミ、コサギ、ダイサギ、空堀川、清瀬市野塩 今日の写真は昨日の続きで、空堀川の白さぎとカワセミです。
カワセミ、空堀川、清瀬市野塩 今日の写真は、先週毎朝行っていた空堀川の遊歩道の散歩の時に撮影したカワセミです。 現在(2025年)、東京の北西部の武蔵野台地にあたる東村山市、清瀬市、東久留米市にある狭山公園、北山公園の池、北川、空堀川、柳瀬川、野火止用
白梅とメジロ、東京都清瀬市野塩 昨日の午後から雪も降り、一気に気温が下がり真冬に逆戻りですね。 今夜も雪のようです。 先週の越生の梅、一昨日の狭山公園の河津桜、平七桜、やっと咲いたのに残念ですね。 さて今日の写真は、満開の白梅の花で蜜を吸うメジロ
初春の都立狭山公園と咲き始めた平七桜と万作 Mar'2025
美しい多摩湖の取水塔。都立狭山公園、東村山市多摩湖町。 右奥に西武ライオンズの本拠地球場「ベルーナドーム」の屋根が見えます。 今日の写真は、昨日の河津桜を撮影した時(2025/03/02)に撮影した公園の様子と、やはり早咲きの「平七桜(へいしちざくら)」と万
河津桜 in 都立狭山公園、東村山市多摩湖町 Mar'2025
河津桜、都立狭山公園、東村山市多摩湖町 今日の写真は、咲き始めたばかりの都立狭山公園の河津桜です。 今年は、本籍地の河津町でも2月の寒波の影響で開花が遅れたと聞きましたが、ここ狭山公園でも例年の2月下旬から遅れて、やっとここ2、3日で咲き始めました。
「緋の司(ひのつかさ)」、越生梅林、埼玉県越生町 今日の写真は、大寒波の後の2025年2月26日に訪れた、越生梅林の梅の花です。 今年も、2月15日から「梅まつり」が開かれていましたが、この日はまだ3分咲き程度で、特にこの梅林で7割を占める有名な白梅の「白加賀
本殿、秩父御岳神社、埼玉県飯能市坂石。 今日の写真は、 秩父御嶽神社は、現地(飯能市坂石)の御嶽行者、鴨下清八が創建しました。清八は十六歳のとき、母が重い病にかかり、薬、医術も効が無く、神の力に頼るほかなしと御嶽信仰に入信し、修業を重ねました。その
山門(仁王門)と本堂(門の奥に見える)、曹洞宗補陀山法光寺、埼玉県飯能市坂石町分 今日の写真は、飯能市の西武池袋線吾野駅下にある曹洞宗の古刹、曹洞宗補陀山法光寺です。 寺伝によると、至徳三年(1386)吾野要害山城主岡部新左衛門入道妙高が、父祖の岡
本堂、清流山長念寺、埼玉県飯能市白子。 今日の写真は、飯能市白子の「武蔵野観音長念寺」と呼ばれる、曹洞宗の清流山長念寺です。 長念寺の創建年代等は不詳ながら、正安元年(1299)銘の板碑等から鎌倉時代末期に創建したと推定され、南北朝時代・室町時代に隆
「聖橋」と「子の権現本坊」、 大鱗山雲洞院天龍寺、埼玉県飯能市。 今日の写真は、先週末の竹寺をさらに西へ上り、山頂近くまで行ったところにある 竹寺と同じく鳥居がある神仏習合の寺、「大鱗山雲洞院天龍寺」、通称「子の権現(ねのごんげん)」です。 「子ノ権
竹寺(医王山薬寿院八王寺)その2、飯能市大字南、埼玉県 Jun'2021
牛頭天王社本殿、八王子、埼玉県飯能市 今日の写真は、昨日の続きで八王子境内の神仏習合の象徴、牛頭天王社です。 牛頭天王社へ上がる参道。 鳥居に茅の輪。 牛頭天王社本殿。
竹寺(医王山薬寿院八王寺)その1、飯能市大字南、埼玉県 Jun'2021
竹寺(医王山薬寿院八王寺)、埼玉県飯能市大字南。 今日の写真は、竹寺として知られる埼玉県飯能市の医王山薬寿院八王寺(いおうざんやくじゅいんはちおうじ)です。 神仏習合の寺として知られ、本尊は牛頭天王(本地仏は薬師如来)です。 お寺ですが、神
本堂、高根山藤源院正龍寺、寄居町藤田、埼玉県 今日の写真は、埼玉県寄居町藤田にある曹洞宗の高根山藤源院正龍寺です。 中世に栄えた豪族の藤田氏の菩提寺として創立されました。寺院内墓地には北条氏邦夫妻と、氏邦の養父である藤田康邦夫妻の墓が四基並ぶように
山門と鐘楼(右)、藤田善導寺、埼玉県寄居町末野。 今日の写真は、昨日までの少林寺と花園城跡を挟んでの直ぐ東南側にある、浄土宗の白狐山悟真院善導寺。 「藤田善導寺」とも呼ばれれており、1155年〜1590年に武蔵国に栄えた豪族の藤田氏の菩提寺として1297年に藤
千体荒神、少林寺、寄居町末野、埼玉県 今日は、少林寺の最後、「千体荒神」です。
五百羅漢、少林寺、寄居町末野、埼玉県。 今日の写真は、昨日の続きで少林寺の五百羅漢です。 少林寺の後背の山の五百羅漢は、関東では川越の喜多院、目黒の五百羅漢寺と同様に五百羅漢の名所となっています。 龍神です。
少林寺(あじさい寺)、寄居町末野、埼玉県 今日の写真は、あじさい寺の別名もある寄居町の萬年山少林寺です。 曹洞宗のお寺で1511年の開基は、北条氏康の家臣となった藤田右衛門太夫国村となっているが、康邦であるという説もあるそうです。開山は大洞存奝で、開山
稲荷山(東那須野公園)から望む日光那須国立公園の山々 Feb'2025
日光男体山と女峰山、那須塩原市東那須野公園から 今日の写真は、那須塩原市の東那須野公園の稲荷山から撮影した日光から那須にかけての山々と東北新幹線です。 先週の記録的寒波で山の上は奇麗に冠雪を頂いていました。 左から、男体山、女峰山、高原山、男鹿山
三ケ尻八幡神社、熊谷市三ヶ尻。 今日の写真は、天喜4年(1056)に将軍源頼義・義家父子が奥州出陣の際、当地において戦勝を祈願したことに始まると伝えられている熊谷市三ヶ尻の三ケ尻八幡神社です。 埼玉県から「ふるさとの森」の指定を受けている美しい杜に囲ま
埼玉厄除け開運大師少間山龍泉寺、熊谷市三ヶ尻、埼玉県 Sep'2021
本堂(大師堂)、少間山龍泉寺(埼玉厄除け開運大師)、熊谷市三ヶ尻観音山。 今日の写真は、埼玉県熊谷市唯一の山である観音山のふもとにあり、日本三大厄除け開運大師の一つに数えられる「埼玉厄除け開運大師少間山龍泉寺」 日本三大厄除け開運大師とは、日本の真
本殿(聖天堂)(国宝)、妻沼聖天山歓喜院(めぬましょうでんざんかんぎいん)、熊谷市妻沼。今日の写真は、生駒聖天(奈良県・生駒/宝山寺)、待乳山聖天(東京・浅草/本龍院)と並び、日本三大聖天のひとつに数えられている、埼玉県熊谷市の妻沼聖天山歓喜院です。
蔵殿神社(所澤神明社の第一の摂社)。 今日の写真は、昨日の所澤神明社の摂社、末社についてです。 所澤神明社は所澤総鎮守であり、境内に数多くの摂社や末社も有しています。 特に、鳥船神社(とりふねじんじゃ)は鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)を
階段参道と拝殿、所澤神明社,所沢市宮本町。 今日の写真は、所澤総鎮守であり「武蔵国のお伊勢さま」としても知られ、日本の航空文化発祥の地としての「所沢」に所縁のある所澤神明社です。 創建年代は不明ですが、日本武尊が東国平定の折にこの付近で休憩をした際
安楽寺(吉見観音)、埼玉県吉見町。 今日の写真は、昨日までお同じく埼玉県の吉見町にある、岩殿山安楽寺です。 岩殿山安楽寺は坂東11番の札所で古くから吉見観音の名で親しまれてきました。本尊は聖観世音菩薩で、吉見観音縁起によると、今から約1200年前に行基菩
岩室観音堂、岩室山龍性院、最多開けん比企郡吉見町 今日の写真は、昨日の吉見百穴から300mほどの岩山にある、岩室観音堂です。 1Kmほど離れたところにある真言宗の岩室山龍性院の境外仏堂です。この観音のはじまりは弘仁年中(810~824年)といわれており、弘法大師
吉見百穴(よしみひゃくあな)、埼玉県比企郡吉見町 今日の写真は、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代後期(6世紀-7世紀代)の横穴墓群の遺跡、「吉見百穴」です。 太平洋戦争下の地下軍需工場建設のために破壊された十数基を除いても、219基が現存しています。
本殿、拝殿。箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)、東松山市箭弓町、埼玉県 今日の写真は、日本三大稲荷や日本五大稲荷の一つとされることもある東松山市の箭弓稲荷神社です。 創建は和銅5年(712年)、平安期に平忠常討伐に向かう源頼信が白狐に乗った神から箭
武藏一宮氷川神社境内案内図。 今日の写真は昨日の続きで、大宮氷川神社の境内の建築物です。 楼門。 氷川神社本殿入口手水舎。 舞殿。 舞殿の干支の大絵馬。 拝殿。 ふくろ絵馬。願い事を書いた絵馬を折りたたんで袋に入れて奉納する絵馬。
神橋と本殿。 武藏一宮氷川神社、さいたま市大宮区。 本殿と神池を結ぶ朱色の橋で、参拝前に穢れを浄化する意味があるとされています。 今日の写真は、日本で最も長い参道と言われる、さいたま新都心駅から徒歩10分ほどの「一の鳥居」から境内手前の「三の鳥居」ま
高麗山聖天院勝楽寺。日高市、埼玉県。 今日の写真は、昨日の高麗神社の数百m南に位置する、高麗山聖天院勝楽寺です。 昨日の高麗神社の主祭神である高麗王若光の菩提寺として創建されました。寺号は若光が高句麗より持参した歓喜天を本尊とすることから名付けられた
将軍標。2005年(平成4年)10月23日に在日本大韓民国民団(民団)から寄贈された花崗岩製の標石中。高麗神社、日高市、埼玉県. 今日の写真は、埼玉県日高市の高麗神社です。 現在の日高市と飯能市にまたがる高麗郡は奈良時代の716年(霊亀2年)に武蔵国高麗郡とし
当ブログ内の日本国内の世界文化遺産関係記事リスト当ブログ内の大韓民国の世界文化遺産関係記事リスト 当ブログ内の東南アジアの世界遺産関係記事リスト当ブログ内の『日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」』関係記事リスト
金剛寺表門(東京都指定有形文化財)、青梅市青梅、東京 今日の写真は、青梅市の名前の元になった「青梅」が植えられている青梅市の青梅山金剛寺です。 承平年間(931年 - 938年)、平将門の開基といわれ、平将門が当地に来たとき、馬の鞭にしていた梅の枝を地に
護摩堂(左)、本坊(右)と塩船平和観音(正面奥)、塩船観音寺、青梅市塩船、東京 今日の写真は、春のツツジで有名な青梅市の塩船観音寺です。 伝説によれば、大化年間(645年 - 650年)に、若狭国の八百比丘尼が、紫金の千手観音像を安置したことに始まるといわ
寒山寺、御岳渓谷(青梅市柚木)、東京 今日の写真は、青梅市の御岳渓谷にある「寒山寺」です。 中国江蘇省蘇州の寒山寺に所縁があり、同じ名前になっています。 蘇州の「寒山寺」といえば、張継作と言われる唐詩「楓橋夜泊」であり、橋と鐘が有名です。1940年の
地蔵堂(国宝)、正福寺、東村山市野口町、東京 今日の写真は、国宝の地蔵堂で有名な東村山市の「正福寺(しょうふくじ)です。 鎌倉街道沿いにあり、鎌倉時代中期に鎌倉の建長寺僧石渓心月の開山により創建されたと伝えられ、開基については執権北条時頼とする説と
高幡山明王院金剛寺(高幡不動尊)その2、日野市、東京 May'2021
弁天池越しに見る五重塔。高幡不動尊、日野市高幡、東京。 今日は、昨日の記事で触れなかった高幡不動尊の境内で撮影したその他の写真です。 弁天池。 山門の板塀の木彫りの彫刻。 山門の板塀の木彫りの彫刻。 山門の板塀の木彫りの彫刻。 山門
高幡山明王院金剛寺(高幡不動尊)その1、日野市、東京 May'2021
仁王門(重文、境内から)。日野市高幡、東京 今日の写真は、高幡不動尊の通称で知られる高幡山明王院金剛寺です。 今日のその1は主に伽藍の主要建築物、明日のその2ではその他の写真を紹介します。 成田山新勝寺などとともに、関東三大不動の一とされ、「高幡
武蔵国分寺境内入口、国分寺市西元町、東京 今日は武蔵国分寺です。 武蔵国分寺東京都国分寺市にある真言宗豊山派の寺院で、山号は医王山。院号は最勝院。本尊は薬師如来。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺
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FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
FH000027 posted by (C)ピーミィ ローズガーデンのタイボクシングショー、サンプラン、ナコンパトム県 今日の写真は、1990年代のタイその8 タイのその他の県とタイ隣接国の写真です。1.Nakhon Phatom,ナコンパトム県FH040020 posted by (C)ピーミィ ナコンパトム
FH010010 posted by (C)ピーミィ ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)、タイ王宮、ラッタナコーシン島、バンコク 今日の写真は、1990年代のタイその7 バンコク都内の名所旧跡です。1.Royal Palace,ラッタナコーシン島、バンコクFH010004 posted by (C)ピーミィ
FH020007 posted by (C)ピーミィ 戦場にかける橋、クワイ川、カンチャナブリ、タイ 今日の写真は、一昨日の続きで1990年代のタイその6ー2、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写②です。8.Khao Kho National Park,ペチャブーン県FH000010 posted by (C)ピーミィ カ
FH010034 posted by (C)ピーミィ Wat Phra Putthabat(仏足石寺),サラブリ県 、タイ 今日の写真は、1990年代のタイその6ー1、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写真①です。1.Sing Buri,シンブリ県FH030016 posted by (C)ピーミィ 黄金大仏、Wat Phikunthong, Tha
19910525-18 posted by (C)ピーミィ プラサート・ヒン・ピーマイ, Nakhon Ratchasima 今日の写真は、1990年代のタイその5、タイ東北地方のクメール遺蹟です。1.Prasat Hin Phimai, Nakhon Ratchasima19910525-42 posted by (C)ピーミィ アルバム「Prasat Hin Ph
FH020034 posted by (C)ピーミィ ワット・マハタート ナコンパノム、ナコンパノム 今日の写真は、1990年代のタイでクメール遺蹟以外の遺跡、名所などです。1.Ubon Ratchathani(khaong Chiam, Mae Nam Song Si, Chongmek)FH000014 posted by (C)ピーミィ アルバム
19920620-82 posted by (C)ピーミィ 1992年のゴールデントライアングル(タイ、ビルマ、ラオスの3国国境) 今日の写真は、1990年代のタイその3 Chiang Rai件です。1.Wat Phra Keo, Chiang RaiFH010010 posted by (C)ピーミィ 1434年、チエンライのとある寺の仏塔
FH000011 ワット プラタート ドイ ステープ、チェンマイ 今日の写真は、1990年代のタイのその2、「チェンマイ県とランパン県」です。 1991年にチェンマイ県から生の冷凍イチゴを300トン輸入した時のイチゴ畑と冷凍工場の写真も残っていました。 もう35年前で
FH020003 posted by (C)ピーミィ バーンパイン宮殿、アユタヤ県 今日から2週間ほどは、1990年にタイ王国バンコクに初めて海外駐在をした当時撮影していたフィルム写真のネガフィルムから起こしたデジタルスキャンデータです。 10年ほど前に放っておいたネガフィルムを
鐘楼門、金法山浄智寺(じょうちじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する禅宗の「金法山浄智寺(じょうちじ)」と紫陽花の花です。 浄智寺は、鎌倉五山第四位に位置付けられています。 境内は「浄智
総門、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山、「巨福山建長興国禅寺」通称「建長寺」です。鎌倉五山の第一位で、境内は「建長寺境内」として国の
階段参道、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、昨日の続きで明月院の紫陽花の花です。 この寺で紫陽花を植えたのは、第二次世界大戦後に物資や人手が不足し、参道を整備する杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」と
総門、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、あじさい寺として知られる神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院、福源山明月院の境内です。 有名な紫陽花の花は、明日紹介します。 平安時代後期、山内俊通の供
御霊神社(ごりょうじんじゃ)、神奈川県鎌倉市坂ノ下。 今日の写真は、まさしく長谷寺のある山から海側(南側)に下る坂の下にある「御霊神社」、通称「鎌倉権五郎神社」です。 と云っても巻頭の写真に見られるように、神域の境内での撮影が禁止でしたので、神社
山門、行時山光則寺、神奈川県鎌倉市長谷 今日は、鎌倉有数の花の寺として知られる、日蓮宗の行時山光則寺の紫陽花を中心とした写真です。 日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、日蓮の高弟日朗も捕らえ、寺社奉行の宿屋光則邸の土牢に監禁しました。
海光山慈照院長谷寺、鎌倉市長谷。 今日の写真は、紫陽花を中心とした長谷寺の花の写真です。 あじさい路、境内図、長谷寺。
山門。 和み地蔵。 放生池。 地蔵堂。 千体地蔵、地蔵堂の後背。 阿弥陀堂。 本堂(観音堂)。 観音ミュージアム。
鷲子山上神社のふくろう達、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日、一昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きで、境内に120体以上配置されていたふくろう像達の一
境内社の本宮神社の鳥居と大フクロウ、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きです。 本宮神社。 鷲子山上神社の本殿があっ
稲積稲荷神社(福原)、玄性寺 今日の写真は、玄性寺境内の那須与一の墓の南隣に鎮座する那須一族の守護神稲積稲荷です。 お寺の中にある神社です。那須与一が屋島合戦で扇に向かって矢を放つ際に稲荷明神が白狐と化して守護したという霊験ある稲荷です。主催神は倉
玄性寺、大田原市福原 今日の写真は、那須与一公の墓所がある福原玄性寺です。 那須氏の菩提寺で、伝承によれば、3代那須資之が、京都東山の即成院に埋葬された弟の那須与一(宗隆、のち資隆)の分骨を受けて福原(現大田原市福原)に建立した功照院が始まりといわれ
楼門(重文)、那須神社(大田原市南金丸)。 国指定名勝「おくのほそ道の風景地」 今日の写真は、金丸八幡宮として仁徳天皇の時代に建立されたと伝えられ、中世、近世を通じて那須氏、大関氏(江戸期黒羽城主)の氏神として信仰された「那須神社」です。 一
九尾稲荷神社、那須温泉神社内 今日の写真は、昨日少し説明した本殿の東側に鎮座する「九尾稲荷神社」とその北東奥にある「殺生石」です。 「九尾の狐」(玉藻前)の平安時代の退治については近いうちに、源頼朝の那須の篠原での巻狩り(1193年)か松尾芭蕉の所縁の
那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)、本殿、(那須町湯本) 今日の記事は、「平家物語」の中で那須与一が源平合戦屋島の戦い(1185年)で扇を射る際に「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明、日光権現宇都宮、那須の温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ
高館城址、大田原市大輪、川田 今日の記事は、那須与一の生い立ちと高館城址の写真です。 那須余一の出生から成人するまでに関しては、今なお不明な点が多く、むしろ謎に包まれてます。 私が源義経、那須与一、松尾芭蕉の下野での足跡を調べるのに最も信頼して利
大田原市余瀬の白旗山南東端にあたる、旧東山道沿いの「余瀬の道標」近くの「白旗城跡の説明看板」 今日の写真と記事は、東山道の関東最北の黒川駅家(うまや)の次の駅家である粟野駅家があった、現大田原市余瀬の白旗山です。 余瀬は元は旧東山道(関街道)粟野駅
弁慶下駄掛石、那須町睦家。 今日の写真は、那須町睦家にある「弁慶下駄掛石」です。 弁慶下駄掛石の伝説は、治承4年(1180年)、義経一行が旧東山道黒川駅家(現伊王野付近と推定される)から、かつて祖先源頼義が軍兵を募った粟野駅家(現大田原市余瀬)に向かう
伊王野城山公園。伊王野山城(霞ヶ城、伊王野城)跡。 今日の写真は、伊王野山城跡を公園にした「伊王野城山公園」です。 伊王野城は室町時代の長享元年(1487)に当時の領主である伊王野資清によって築かれた城郭で、これまで居城として利用した伊王野氏居館
伊王野氏居館跡(手間広場)と伊王野氏山城跡、那須町伊王野 今日の写真は、昨日の馬頭観音堂があった、伊王野氏の山城跡その1とそれ以前に約300年間平城として使われた伊王野氏の居館跡です。 1180年に義経一行が鎌倉へ向かう途中で、弁慶が昨日の馬頭観音堂で
馬頭観音堂、那須町伊王野伊王野氏山城址 今日の写真は、那須町伊王野の「馬頭観音堂」とその境内に湧き出る「判官清水」です。 馬頭観音堂は、那須町伊王野の伊王野山城跡に上る途中にありました。 那須町の義経伝説には、「東山道伊王野を義経一行が進んでいる
沓石。那須町大畑沓石地区 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、大畑地区の「沓石」と「大畑」、伊王野地区の「御幣石(おんべし)」です。 まずは、「沓石」(那須町大畑沓石地区)です。 旧東山道(義経街道)をさらに伊王野方面に向かうと、街道
「月夜見山」伝説地(那須町簑沢) 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、簑沢地区の 「月夜見山」、「具足岩・五両沢」、「矢の根石」です。 まずは「月夜見山」。 「陸奥と下野の国境の追分明神に着いたころは、もう夕もやが境内の杉木立に深くたち
追分の明神(住吉玉津島神社)、那須町簑沢追分地区。 今日の写真は、那須町の義経伝説No.1「追分明神」です。 治承4年(1180年)源頼朝が伊豆で平家追討の旗を挙げたことを源義経が奥州平泉で聞き、鎌倉へ駆けつける際に古代の街道である東山道を通ったといわれ、
キクザキイチゲ、白河神社(白河市旗宿)Apr’2017 今日の写真は、白河の関跡、白河神社の巨木と山草の花です。 今から50年以上前に初めて訪れた時、子供だったこともあり私の白河の関の思い出に残ったのは、大木に絡みついたり、絡みついた大木を枯らして地面から
白河神社拝殿、拝殿、白河市白河市旗宿関の森 今日の写真は、白河神社です。 昨日は、源義経に関わる事跡と白河の関跡の関の森砦跡などの写真を紹介しましたが、今日はそれらを除いた写真です。 白河神社は福島県白河市大字旗宿字関の森に鎮座している神社で、創
「白河関跡」の石柱と白河神社一の鳥居。白河市旗宿関ノ森 源義経が兄頼朝の平家討伐の挙兵を聞いて奥州平泉を出発。古代の旧街道東山道を急ぎ鎌倉を目指しました。この時通った道は「義経街道」とも呼ばれ、道沿いには義経にまつわる地名や史跡やエピソードが今に伝わ
西行桜、法輪寺(大田原市佐良土) 今日の写真は昨日の記事の続きで、光丸山法輪寺と西行桜です。 昨日の記事の通り、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁によって開山され、本尊は釈迦三尊です。 法輪寺山門(勅額門)。 逆門建造の茅葺屋根で立額は後嵯峨天皇の
光丸山大日堂、大田原市佐良土(旧湯津上村)。 今日の写真は、「光丸山」です。 昨日の記事でも言及した光丸山法輪寺ですが、正式には「光丸山並びに正覚山実相院法輪寺」です。 大日如来を本尊とする光丸山と釈迦三尊を本尊とする正覚山実相院法輪寺からな
光丸山法輪寺の入り口(写真正面)と「佐良土」交差点。 旧湯津上村(大田原市)に佐良土(さらど)という地区があります。国内最大の複合扇状地「那須野ヶ原」を作った那珂川と箒川が合流する那須野が原の南東側の頂点に当たります。 今日の写真は、この佐良土地