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松尾芭蕉所縁の地その30黒塚(観世寺、二本松市安達ケ原)Apr’2024
観世寺 黒塚、二本松市安達ケ原。 今日の写真は、昨日の真弓山観世寺領にある鬼婆の墓と伝わる塚です。 黒塚(くろづか)は、福島県二本松市(旧安達郡大平村)にある鬼婆の墓、及びその鬼婆にまつわる伝説。安達ヶ原(阿武隈川東岸の称。安達太良山東麓とも)に棲
2024/07/30 19:00
松尾芭蕉所縁の地その29真弓山観世寺(二本松市安達ケ原)Apr’2024
真弓山観世寺(二本松市安達ケ原) 今日の写真は、芭蕉主従が元禄2年 5月1日に郡山から福島に向かう途中に立ち寄った、二本松の安達ケ原の昔鬼婆が棲んでいたという伝説の有った岩屋が境内にある真弓山観世寺です。 笠石。 鬼婆が棲んだと伝わる岩屋。 笠石
2024/07/29 19:00
松尾芭蕉所縁の地その28亀谷観音堂(二本松市亀谷)Apr’2024
亀谷観音堂(二本松市亀谷) 今日の写真は、亀谷観音堂(二本松)です。元禄2年4月29日、須賀川を後にする。快晴。石河の滝を見物。途中、本実坊・善法寺などに立ち寄 って、夕方郡山に到着して一泊。 5月1日 浅香山(福島県郡山市)
2024/07/27 19:00
松尾芭蕉所縁の地その27可伸庵跡(須賀川)Apr’2024
可伸庵跡(軒の栗跡) 今日の写真は、松尾芭蕉と交友のあった俳人・相楽等躬(さがらとうきゅう)の屋敷の一隅に住んでいた僧・可伸(かしん)の庵跡です。 松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅路の際、等躬の屋敷に8日間滞在し、栗の木の下にある可伸の庵で等躬らと歌仙
2024/07/25 19:00
松尾芭蕉所縁の地その26神炊館神社(須賀川)Apr’2024
神炊館神社(おたきやじんじゃ)、須賀川市諏訪町。 慶長3年(1598年)に現在の諏訪町に遷宮。 石鳥居は上杉景勝が寄進。 門柱は山岡鉄舟揮毫。 今日の写真は、奥州須賀川の総鎮守である神炊館神社(おたきやじんじゃ)です。 奥の細道の途次、元禄2年4月28日に
2024/07/24 19:00
松尾芭蕉所縁の地その25十念寺(須賀川)Apr’2024
十念寺。須賀川市池上町。 今日の写真は、元禄2年4月28日に松尾芭蕉が訪れた「十念寺(須賀川市池上町)」です。 現在は、松尾芭蕉が須賀川を訪れた時によんだ「田植え歌」の碑があります。建立したのは、時代が下って江戸末期の女流俳人市原多代女です。 松尾芭
2024/07/23 19:00
松尾芭蕉所縁の地その24長松院(須賀川)Apr’2024
長松院。 須賀川で芭蕉主従が世話になった門弟の相良等躬の菩提寺で墓のある寺院。 今日から数日間は福島県須賀川での芭蕉主従が訪れた場所や、今も残る句碑などです。 芭蕉主従は、黒羽ほど(13泊14日)長くはありませんでしたが、須賀川でも門弟の相良等躬宅(現
2024/07/22 19:00
松尾芭蕉所縁の地その23関山(白河市関辺関山)Mar’2024
関山登り口の石碑 「心もとなき日數かさなるまゝに 白川のせきにかゝりて旅心定りぬ 奥の細道 芭蕉」 「 卯の花を かざしに関の 晴着かな 曾良」 今日の写真は、曾良の日記に「元禄2年4月21日。霧雨。昼過ぎからは快晴。朝9時ごろ宿を出て、古関の明神で
2024/07/20 19:00
松尾芭蕉所縁の地その22白河の関跡(白河市旗宿)Mar’2024
今日の写真は、白河の古関跡のうち松尾芭蕉に所縁の写真です。 「風流の 初やおくの 田植えうた 芭蕉」 「卯の花を かざしに関の 晴着かな 曾良」 白河の関は平安末に廃止されその機能を失ってからも、みちのくの玄関口都の文化人たちの北行きの憧れの
2024/07/19 19:00
松尾芭蕉所縁の地その21白坂宿境の明神周辺、白河二所ノ関址碑(白河市白坂)Mar’2024
白河二所ノ関址碑 今日の写真は、白坂宿境の明神周辺、白河二所ノ関址碑の写真です。 白河二所ノ関址碑、白河市白坂。
2024/07/17 19:00
松尾芭蕉所縁の地その20境の明神(陸奥側、白河市白坂)Mar’2024
境神社(陸奥側、白河市白坂) 今日の写真は、境の明神(陸奥側、白河市白坂)です。 芭蕉の句碑。実際には元禄2年4月22日に須賀川の相良等躬邸で詠んだ歌を曾良が記載。 「風流の 初やおくの 田植うた 芭蕉」
2024/07/15 19:00
松尾芭蕉所縁の地その19境の明神(下野側、玉津島神社、那須町寄居)Mar’2024
境の明神(下野側、玉津島神社、那須町寄居) 写真真ん中左の「ようこそ福島県」の標識より向こうが福島県白河市です。 松尾芭蕉主従は、元禄2年4月20日に、那須湯本から芦野の遊行柳、境の明神、二所ノ関を過ぎ、白坂から白河の古関跡へ向かいました。 今日の写
2024/07/14 19:00
松尾芭蕉所縁の地その18遊行柳と「上の宮」のオオイチョウ(那須町) Mar’2024
遊行柳(那須町芦野) 今日の写真は、那須町芦野にある「遊行柳」です。 芭蕉は那須野殺生石を訪れた後、いよいよ旅の目的の奥州へ行くため、まず奈良平安期の古道「東山道」の奥州へ関所であった「白河の関」跡へ向かいます。 その那須温泉から白河の関跡へ向か
2024/07/12 19:00
松尾芭蕉所縁の地その17那須殺生石-「那須温泉神社その3」 Mar’2024
那須殺生石、那須町那須湯本温泉那須温泉神社 かつて九尾の狐が化身したといれる大きな岩の国指定名勝史跡「殺生石」の写真です。 2022年3月二つに割れたことが確認されました。 今日の写真は、那須湯本温泉の那須湯前神社付近に存在する溶岩で、付近一帯に
2024/07/10 19:00
松尾芭蕉所縁の地その16「那須温泉神社」その2 Mar’2024
「湯をむすぶ誓ひも同じ石清水」、松尾芭蕉 『那須湯本の温泉大明神では、京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここに参詣し、その社殿の湯を手ですくう(むすぶ)と、両神社にお参りしたことになるという。これは湯が結ぶ縁である。』 この句は奥の細道にはあり
2024/07/09 19:00
松尾芭蕉所縁の地その15 高久その2芭蕉翁塚など Apr’2024
芭蕉翁塚「杜鵑の墓」、那須町史跡 今日は、那須町高久本郷地区内の芭蕉所縁の地や句碑です。 芭蕉翁塚 芭蕉翁塚 芭蕉翁塚
2024/07/08 19:00
松尾芭蕉所縁の地その14 高久 高福寺 Apr’2024
高福寺楼門、那須町大字高久甲 黒羽を立った4月16日から4月20日に那須湯本から下山し、芦野の遊行柳、白河の古関跡近くの旗宿に投宿するまでの5日間の「奥の細道」はあっさりと、『是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。や
2024/07/07 19:00
松尾芭蕉ゆかりの地その13芭蕉公園の句碑ほか
「俳聖松尾芭蕉と黒羽」、浄法寺桃雪邸跡脇の芭蕉の句碑一覧、旧黒羽芭蕉公園(現大田原市前田) 今日は、「芭蕉の里くろば」というキャッチフレーズを掲げている現大田原市の旧黒羽地区の黒羽田町、黒羽向町、余瀬、雲巌寺などに点在する10か所の芭蕉、曾良の句碑の
2024/07/06 19:00
松尾芭蕉所縁の地その12 鍋掛宿の八坂神社(那須塩原市鍋掛) Mar’2024
鍋掛八坂神社(那須塩原市鍋掛)から望む早春の那須連山。 旧鍋掛宿(現那須塩原市鍋掛)「野を横に馬牽きむけよほととぎす」 今日の写真は旧鍋掛宿の八坂神社と芭蕉の句碑です。 鍋掛八坂神社芭蕉句碑(那須塩原市鍋掛) 「黒羽町誌(黒羽町誌編さん委員会
2024/07/05 19:00
松尾芭蕉所縁の地その11 那須野が原その2-那須野の原野
那須連山、那須高原大橋から、那須塩原市西岩崎 那須野ヶ原は山ぎわの部分で標高500メートル、これが南東に緩やかに傾斜して標高100~150メートルまで下っていきます。ところが全体的には緩やかですが、ちょうど那須塩原市と南東の大田原市の境のあたりで5~10m急に下
2024/07/03 19:00
松尾芭蕉所縁の地その10 那須野が原その1-芭蕉の歩いた那須野が原
源実朝の歌碑、玉藻稲荷神社、大田原市蜂須(旧黒羽町蜂巣字篠原) 「武士の矢並つくらふ小手の上に 霰たばしる那須の篠原」(柳営亜槐本金槐和歌集) 『那須の篠原』が那須野を表す歌語として使われるようになった有名な歌。 初めて文献上に「那須野」あるいは「
2024/07/02 19:00
2024年7月 (1件〜100件)
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