酒船石。 なんのために造られたのか、いまだ定説はありません。江戸時代から多くの仮説が唱えられ、酒を造る設備、あるいは薬などを造るための設備ともされ、諸説ありますが定かではありません。1935年(昭和10年)に岡の酒船石から南10メートルほどの箇所で石の樋説
酒船石。 なんのために造られたのか、いまだ定説はありません。江戸時代から多くの仮説が唱えられ、酒を造る設備、あるいは薬などを造るための設備ともされ、諸説ありますが定かではありません。1935年(昭和10年)に岡の酒船石から南10メートルほどの箇所で石の樋説
<17Nov’2020,高松塚古墳> 以下同左 今日の写真は、奈良県明日香村の高松塚古墳、キトラ古墳です。 いずれの古墳とも、藤原京期(694年-710年)に築造されたと考えられる終末期古墳です。 まずは高松塚古墳です。 高松塚古墳は直径23m(下段)及び18m(上
<17Nov’2020,石舞台古墳> 以下同左 露出した最大の石室天井石。 今日の写真は、奈良県明日香村の国の特別史跡「石舞台古墳」です。 6世紀の築造の巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、その規模は日本最大級を誇ります。 先週の堺市百舌鳥古墳群より一世
<17Nov’2020,飛鳥宮跡> 以下同左 宮殿の遺構。 今日の写真は、飛鳥宮跡です。 従来、伝飛鳥板蓋宮跡(でんいたぶきのみやあと)とされ、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で大化の改新(乙巳の変)の舞台であったとされてきました。 乙巳の変で中大兄皇子らに暗殺さ
<17Nov’2020,橘寺> 以下同左 今日の写真は、昨日と同じく奈良県明日香村の国指定史跡、橘寺です。 橘寺は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院です。本尊は聖徳太子で、正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不
<17Nov’2020,飛鳥寺> 以下同左 今日の写真は、奈良県明日香村の国指定史跡、「飛鳥寺跡」です。 6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院です。 創建時の伽藍は、すでに失われていて塔や金堂の礎石だけが残っています。 こ
世界遺産履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)と七観音古墳 in 堺市 Nov'2020
<18Nov’2020,堺市> 以下同左 七観音古墳。 今日の写真は、履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)とその陪塚の一つ七観音古墳です。 いずれも世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- の構成資産の一部として登録されています。 履中天皇陵(上石津
世界遺産反正天皇陵(田出井山古墳)in 堺市 Nov'2020
<18Nov’2020,堺市> 以下同左 反正天皇陵(田出井山古墳)。 今日の写真は、反正天皇陵(田出井山古墳)です。 世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- の構成資産の一部として登録されています。 また、宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみ
世界遺産大仙陵古墳(仁徳天皇陵)in 堺市 Nov'2020
<18Nov’2020,堺市> 以下同左 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。 今日の写真は、日本最大の古墳、『大仙陵古墳(仁徳天皇陵)』です。 朝、堺市役所の展望ロビーに上がった時は、霞が掛かっていてあまり良い天気じゃないなと思ったのですが、すっかり晴れて青空が広が
世界遺産百舌鳥古墳群の堺市役所21階展望ロビーからの眺め in 堺市 Nov'2020
<18Nov’2020,堺市役所21F展望ロビー> 以下同左堺市役所21階展望ロビーから南に見える仁徳天皇陵古墳。手前は永山古墳、丸保山古墳、奥に見えるのがニサンザイ古墳。右端は履中天皇陵。 今日の写真は、2019年にユネスコ世界文化遺産に登録された『百舌鳥・古市古墳
奥の院参道沿いの供養塔その2、(高野山奥の院) May’2017
<03May’2017、高野山> 以下同左 1.石田三成の供養塔。奥の院参道。 今日の写真は、高野山奥の院の戦国武将たちの供養塔その2です。 関ケ原の合戦以降、特に徳川幕府成立後に名前の挙がる武将、大名です。2.前田利長 初代前田利家と妻まつの墓標も奥
奥の院参道沿いの供養塔その1、(高野山奥の院) May’2017
<03May’2017、高野山> 以下同左 豊臣家墓所、高野山奥の院。 今日の写真は、高野山奥の院の戦国武将たちの供養塔その1です。 奥の院の弘法大師の御廟への参道沿いには、20万基にのぼる供養塔が立ち並んでいます。 中には有名な戦国武将や江戸期の藩主一
奥の院3、水向け地蔵、御廟橋周辺(高野山奥の院)May’2017
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左 水向け地蔵、高野山奥の院。 今日の写真は、奥の院の最奥弘法大師御廟へ続く最後の橋、「御廟橋」とその周辺です。 御廟橋から先は撮影禁止となっていました。 奥の奥の弘法大師御廟、御廟の前の「燈籠堂」とその地下ま
奥の院2、その他パワースポット(高野山奥の院)May’2017
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左 大師の腰かけ石、高野山奥の院。 今日の写真は、昨日の続き奥の院のその他パワースポットです。7.大師の腰掛石 弘法大師空海が、ちょっと休憩にと、腰を掛けた石であるとの言い伝えが残されています。 かつては、
奥の院1、各種地蔵、その他パワースポット(高野山奥の院)May’2017
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左 奥の院入口、高野山奥の院中の橋駐車場前参道入口。 今日の写真は、高野山奥の院のお地蔵さんや不思議スポット、パワースポットなどです。 金剛峯寺からバスで「奥の院前」バス停まで行き、奥の院に入りました。 ですか
<03May’2017、高野山> 以下同左 二重釜、金剛峯寺主殿厨房。 今日の写真は、金剛峯寺の最後です。 寺側で示される参拝路に従うと主殿内の最後が「厨房」、その後の伽藍からの出口が「絵下門」です。 まずは厨房。江戸期以降、実際に使用され大勢の僧侶の食
<03May’2017、高野山> 以下同左 蟠龍庭と奥殿、金剛峯寺。 今日の写真は、金剛峯寺の別殿のさらに奥、奥殿を囲むように広がる蟠龍庭です。 蟠龍庭は1984年(昭和59年)弘法大師御入定1150年御遠忌大法会記念事業として造園された日本最大級の2,340平方メート
<03May’2017、高野山> 以下同左 枯山水小庭、金剛峯寺。 今日は、金剛峯寺の主殿から別殿へ行くときの渡り廊下から観られる「枯山水小庭」、「四季の中庭」です。 奥の院の霊木、高野杉、金剛峯寺主殿。直径は2.87mです。 金剛峯寺主殿と大玄関内部と主
<03May’2017、高野山> 以下同左 主殿、金剛峯寺。 今日に写真は、金剛峯寺正門を入った広場にある、主殿、鐘楼、経蔵です。 主殿、金剛峯寺。 正面は主殿、右の紫の幕がついて前に突き出しているのが大玄関。左の白壁の廊下は別殿への渡り廊下。 文久3年
<03May’2017、高野山> 以下同左 正門、金剛峯寺。 今日の写真は、金剛峯寺の正門に和歌山県道53号線(高野天川線)から入る橋の周辺の春(五月初旬)の花と正門です。 シダレザクラ。 金剛峯寺の南を走る高野天川線(県道53号)と正門に登る緩やかな階段参
東塔から六時の鐘(檀上伽藍)、二つの町石道 May’2017
<03May’2017、高野山> 以下同左 東塔、高野山檀上伽藍。 今日の写真は、檀上伽藍最後の(一番東)の「東塔」とそこから金剛峯寺に続く蛇腹道の先にある「六時の鐘」、それと二つの町石道の一番石です。 左から、根本大塔、愛染堂の端っこ、大きな大講堂、小
不動堂、蓮池、善女竜王社、愛染堂、大会堂、三昧堂(檀上伽藍) May’2017
<03May’2017、高野山壇上伽藍> 以下同左 愛染堂、高野山檀上伽藍。 今日の写真は、根本大塔のさらに東、階段を十段弱下りて金堂や根本大塔がある段より低いところにある、「不動堂(国宝)」、「蓮池と善女竜王社」、「愛染堂」、「大会堂」、「三昧堂」、「不動
<03May’2017、高野山壇上伽藍> 以下同左 根本大塔、檀上伽藍。 今日に写真は、檀上伽藍に真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立された大塔である「根本大塔」とその真南に位置する珍しい白い鐘楼「高野四郎(大塔の鐘、白鐘楼)」です。 空海、真然
山王院、登天の松、孔雀堂、准胝堂、御影堂(檀上伽藍) May'2017
<03May’2017、高野山壇上伽藍> 以下同左 金堂(総本堂)西側、「山王院」、檀上伽藍。 今日の写真は、檀上伽藍の金堂の西側と北西にある、「山王院」、「登天の松・杓子の芝」、「鐘楼」、「孔雀堂」、「准胝堂(じゅんていどう)」、「御影堂(みえどう)」です。
<03May’2017、高野山壇上伽藍> 以下同左 金堂(総本堂)南面、高野山檀上伽藍。 今日の写真は、高野山檀上伽藍の金堂、「金堂(総本堂)」のすぐ北側の「三鈷の松」、西側の「六角経蔵」です。 金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわま
<03May’2017、高野山壇上伽藍> 以下同左 中門、高野山檀上伽藍。 今日の写真は、ユネスコ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成遺産、「高野山檀上伽藍」の中門と四天王像です。 中門は、木造2階建て、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を持つ入り母屋造りの楼門
金剛峯寺大門(高野山大門)、和歌山県高野町 May ’2017
<03May’2017、高野町> 以下同左 金剛峯寺大門(重文)。 今日の写真は、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成遺産の一つ金剛峯寺大門(高野山大門、重文)です。 まず大門まで行き、その後壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院と回りました。 今週から、約三週間こ
世界遺産:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 Dec’2019
<10Dec'2019、新上五島町> 頭ヶ島天主堂(重文)。 今日の写真は、ユネスコ世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(登録2018年)のうち、この時の旅行で訪れた長崎県の、・長崎市・新上五島町・南島原市の遺産です。 長崎と天草地方の潜伏キリシ
<09Dec'2019、長崎市> 竜馬通り(長崎市)。 今日の写真は、長崎県内の坂本龍馬ゆかりの地です。・長崎市 <09Dec'2019、長崎市>・新上五島町<10Dec'2019、新上五島町> ・島原市 <12Dec'2019、島原市>のゆかりの地を社お買いします。 竜馬通り(
<12Dec'2019、島原市> 以下同左 島原「鯉の泳ぐまち」、島原市新町。 今日の写真は、島原市新町地区の「鯉の泳ぐまち」です。 島原市内には至る所に湧水があり、昭和60年1月環境庁から「島原湧水群」として日本名水百選に指定されています。 島原市新町一帯は特
<12Dec'2019、島原市> 以下同左 島原武衛屋敷街。 今日の写真は、島原武家屋敷街です。 島原武家屋敷街は、江戸時代に島原藩徒士が居住していた島原城外郭の西側の当時鉄砲町(鉄砲丁)と呼ばれていた地区の一部で町並み保存地区に指定される「下の丁」中心とした
<12Dec'2019、島原市> 以下同左 島原城、復元天主。 今日の写真は、1616年に大和五条から島原に移封した松倉豊後守重政が、1618年から7年余の歳月を費やして築いた島原城です。 本丸や天守、櫓、長塀は昭和30年代以降の復元ですが、安土・桃山様式の壮麗な面影を
<11Dec'2019、南島原市> 天草四郎像、原城跡。 今日の写真は、天草四郎を総大将として数万人のキリシタンや農民が立て篭った「島原・天草一揆」の舞台となった原城跡ともともとは南島原地区の本白として作られた日野江城跡です。 2018年6月30日に世界遺産登録が決
<12Dec'2019> 以下同左 雲仙岳平成新山、東側の島原市から。正面からの流れは、火砕流、土石流の流れの跡。 今日の写真は、雲仙岳です。 雲仙岳は、妙見岳、国見岳、普賢岳など三峰五岳から成る火山群の総称で、主峰は普賢岳。平成2年(1990)11月に噴火を始めて
<11,12Dec’2019、雲仙市> 以下同左 雲仙地獄、雲仙市小浜町雲仙。 今日の写真は、『雲仙地獄』です。 雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)に覆われた一帯が雲仙地獄地帯です。地獄とは仏教の教えで前世の悪業の苦報を受ける所という意味ですが、至る所か
<08~10Dec'2019> 以下同左 カトリック馬込教会、長崎市伊王島町。 今日の写真は、長崎市、新上五島町の教会です。 昨日までの写真と重なる教会もありますが、ご容赦ください。 まずは長崎湾岸の島の教会です。 カトリック馬込教会、長崎市伊王島町。
<10Dec'2019> 以下同左。 新上五島町頭ヶ島天主堂(重文)。 今日の写真は、長崎県の五島列島の北側の中通島のスポットです。 まず、長崎港から高速フェリーで中通島の鯛の浦港へ。 長崎港ターミナル 高速フェリー。 中通島鯛の浦港まで約1時間40分。
<08Dec'2019、長崎市> 伊佐山からの夜景。 今日の写真は長崎市の夜景です。 長崎の夜景は2012年にモナコ、香港とともに世界新三大夜景に選ばれ、さらに2015年には札幌、神戸とともに日本新三大夜景都市にも認定されています。 <08Dec'2019、長崎市> 伊佐山
<08Dec'2019、長崎市> 以下同左 長崎孔子廟、長崎市大浦町。 今日の写真は、長崎孔子廟です。 江戸時代以降、外国貿易の地と定められ、唐人屋敷があった長崎に、明治26年(1893年)、清国政府と在日華人が協力して、中国の総本山並に伝統美あふれた「孔子廟」が作
<11Dec'2019、長崎市> 以下同左 シーボルト通り(長崎市) 今日の写真は、シーボルト通り沿いにあるシーボルト記念館とシーボルトの邸宅跡です。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、江戸時代の日本に西洋医学や博物学を伝え、科学的な総合調査にもとづ
<09Dec'2019、長崎市> オランダ坂。 今日の写真はオランダ坂などの長崎市の街並みです。 オランダ坂は長崎市東山手の旧居留地時代につくられた石畳の坂道・石段。 長崎市東山手重要伝統的建造物群保存地区を構成する要素の一つ。 長崎竜馬の道(オラン
<09Dec'2019、長崎市> 出島和蘭商館跡、出島表門橋と表門。 今日は、国指定史跡「出島和蘭商館跡」の写真です。 出島は徳川幕府の命により築造され、1636年に完成。 はじめはポルトガル人が居住、1641年にオランダ商館が置かれ、その後約200年間、日本で唯一西
<09Dec'2019、長崎市> 平和祈念像。 今日の写真は、長崎市の平和公園、1945年(昭和20年)8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上とを含めた地域です。 まずは北側の丘です。 折鶴の塔。 平和の鐘。1977年(被爆から33回忌
<08Dec'2019、長崎湾> グラバー園、長崎市。 今日は、一昨日のユネスコ世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(2015年7月登録)の(エリア6 長崎)の構成遺産の一つ、旧グラバー邸のある『グラバー園』です。 トーマス・グラバーについて
<08Dec'2019、長崎湾> 端島(軍艦島)、長崎市。 今日は、一昨日のユネスコ世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(2015年7月登録)の(エリア6 長崎)の構成遺産の一つ、端島炭鉱(軍艦島)です。 残念ながら、この年の台風の影響で端
<08Dec'2019、長崎湾> 以下同左 長崎女神大橋、長崎港湾口部。 今日は、昨日のユネスコ世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(2015年7月登録)の(エリア6 長崎)の構成遺産、長崎の造船所跡がある長崎港と長崎湾です。 三菱重工長
世界遺産:明治日本の産業革命遺産(エリア6 長崎) Dec’2019
長崎編 今日から3週間ほどは長崎県を旅行した時の写真です。 今日の写真は、ユネスコ世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(2015年7月登録)の(エリア6 長崎)のうち、この時の旅行で訪れた、・長崎の造船所跡・高島炭鉱(高島炭鉱、端
<12May’2021、ところざわサクラタウン> 以下同左 武蔵野坐令和神社。 今日は、昨日に続きところざわサクラタウンの隈研吾さんデザイン監修の「武蔵野坐令和神社」です。 「武蔵野坐令和神社」は『むさしのにます うるわしき やまとの みやしろ』と読みます。
角川武蔵野ミュージアム(ところざわサクラタウン)May’2021
<12May’2021、ところざわサクラタウン> 以下同左 角川武蔵野ミュージアム。 2020年11月にグランドオープンした「ところざわサクラタウン。 今日明日は、その中でも隈研吾さんが設計あるいはデザイン監修した、「角川武蔵野ミュージアム」と「武蔵野坐令和神社」
<07Jul'2019、バトゥ洞窟> 以下同左 バトゥ洞窟。 今日は、マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地の洞窟とされているセランゴール州のバトゥ洞窟です。 洞窟の入口につながるカラフルな階段の右の黄金の巨像は高さ43mの南インドの土着の神「ムルガン」(後にスカ
Istana Negara(王宮)(クアラルンプール)Jul’2019
<06Jul'2019、王宮> 以下同左 Istana Negara Palace(王宮)の門。 今日はマレーシア国王が居住する王宮、Istana Negaraです。 マレーシアの国王は13州のうち9州にいるスルタンによる互選で選出され、任期は5年。世界でも珍しい、世襲ではなく選挙で選ばれる、任
<06Jul'2019、チャイナタウン> 以下同左 關帝廟。 今日は、クアラルンプールのチャイナタウンです。 關帝廟。 關帝廟。 關帝廟。 關帝廟。
<06Jul'2019、マスジット・ジャメ> 以下同左 マスジット・ジャメ(ジャメ・モスク)。 今日は、1909年に建立されたクアラルンプール最古のモスク『マスジット・ジャメ』です。 マレー語で「マスジット」はモスクの意味ですから、「ジャメ・モスク」ですね。 昨
<06Jul'2019、ムルデカ・スクエア> 以下同左 ムルデカ・スクエア(独立広場)です。 今日はクアラルンプールの中心、1957年8月31日に、英国から独立(ムルデカ)を宣言をした歴史的スポット、『ムルデカ・スクエア(独立広場)』です。 スルタン・アブドゥル・
マラッカ その他のスポット(マラッカ、マレーシア)Jul’2019
<05Jul'2019、マラッカ> 以下同左 フランシスコ・ザビエル教会。 今日はマラッカの最後、マラッカのその他のスポットです。 フランシスコ・ザビエル教会のゴシック様式の礼拝堂。1849年、フランシスコ・ザビエルの功績をたたえて建てられたカトリック教会。
オールドタウン周辺 その2(マラッカ、マレーシア)Jul’2019
<05Jul'2019、マラッカ> 以下同左 チェン・フーン・テン(青雲亭)寺院。 ハーモニー・ストリート(トコン通り/トゥカン・エマス通り)& その周辺です。 中国寺院、モスク、ヒンドゥー寺院と、さまざまな信仰の場が仲良く並んでいます。 チェン・フーン・テ
オールドタウン周辺 その1(マラッカ、マレーシア)Jul’2019
<05Jul'2019、マラッカ> 以下同左 ジョンカー通り(Jalan Hang Jebat)。 今日は、マラッカ川対岸にあるオールドタウンの中でもジョンカー通り(Jalan Hang Jebat)スナップです。 ジョンカー通り(Jalan Hang Jebat)の様子です。 マラッカ名物のチキン
セントポールの丘周辺(マラッカ、マレーシア)Jul’2019
<05Jul'2019、マラッカ> 以下同左 セントポール教会跡。 今日は、マラッカの記事二日目。 セントポールの丘周辺です。 オランダ広場から階段で丘に上ると、1521年にポルトガルによって建てられたセントポール教会跡があります。 マラッカの街や海が一望できま
<05Jul'2019、マラッカ> 以下同左 マラッカキリスト教会とオランダ広場。 マレーシアの世界文化遺産「マラッカ海峡の歴史的都市群:マラッカとジョージタウン(2008年登録)」の写真を続けます。 今日からはマラッカ市内の世界遺産地区です。 今日はまず、「
<04Jul'2019、ジョージタウン> 以下同左 クー・コンシ(龍山堂邱公司) 今日は、昨日のストリートアートたちにごく近い、クー・コンシ(龍山堂邱公司)です。 邱(クー)家の霊廟。外壁や内装はすべて中国から招聘された職人が手がけたもの(1906建立、1950改装)
ストリートアート(ジョージタウン、ペナン島)Jul’2019
<03、04Jul'2019、ジョージタウン> 以下同左 今日は、ジョージタウンのアルメニア・ストリート周辺のストリートアートです。 ここ以外にもジョージタウン市内ではストリートアートを見かけました。
ハーモニーストリート周辺、ジョージタウン(ペナン島)Mar’2019
<03、04Jul'2019、ジョージタウン> 以下同左 ハーモニー通り。 今日は、「カピタン・クリン・モスク」などがあるマスジット・カピタン・クリン通り周辺です。 マスジット・カピタン・クリン通りは、モスク、中国寺院、インド人街が数メートル置きに並んでいるため
チョン・ファッ・ツィー・マンション(ジョージタウン、ペナン島)Jul’2019
<03Jul'2019、ジョージタウン> 以下同左 今日は、ジョージタウンのチョン・ファッ・ツィー・マンション。 古い家並みが風情あるジョージタウンの街中電特に目を引き、別名「ザ・ブルー・マンション」と呼ばれ、かつて中国人実業家の大富豪が住んだ屋敷です。 遠
コーンウォリス要塞周辺、ジョージタウン(ペナン島、マレーシア)Jul’2019
<03Jul'2019、ジョージタウン> 以下同左 ペナン・シティホール(旧植民地政府庁舎)。 今日から、マレーシアの世界文化遺産「マラッカ海峡の歴史的都市群:マラッカとジョージタウン(2008年登録)」の写真です。 まずは、ペナン島のジョージタウンのコーンウォ
<15Jul’2015、岳沢湿原> 以下同左 六百山(標高2,450m)と湧水池の立ち枯れの木。 今日は、上高地シリーズの最後、岳沢湿原の絶景とまだ紹介していなかった上高地の7月の花です。 岳沢湿原は岳沢からの清流が 急峻な谷から 極端な平地である梓川にぶつかること
<15Jul’2015、上高地自然探勝路> 以下同左 明神近くの遊歩道。 今日は、梓川左岸(河童橋→明神)、右岸(奥宮→岳沢湿原)の自然探勝路の景色とヒョッコリ出て来た日本ザルです。 梓川左岸(河童橋→明神)の森。・ヤマキマダラヒカゲ (Neope niphonica,
<15Jul’2015、明神池> 以下同左 明神池一之池のマガモ。 今日は、明神池一之池のマガモです。 明神池にはカルガモもいるようですが、この日は会えませんでした。 水草を食べています。
<15Jul’2015、明神池> 以下同左 明神池一之池、鏡池と呼ばれる理由が分かります。 今日は上高地の穂高神社奥宮境内の神域にあり、古くは「鏡池」とも呼ばれていた「明神池」です。 もともとは、明神岳の土砂崩れにより梓川支流の沢がふさがれてできた池です。
<15Jul’2015、明神、明神橋からの眺め> 以下同左 明神橋と明神岳です。 今日は、河童橋から梓川左岸の登山道を上がった「明神」とそこに架かる「明神橋」からの眺め、橋を渡った北側の穂高神社奥宮です。 朝5時に大正池から始めた上高地ウォーキング、ここまで4
<15Jul’2015、河童橋からの眺め> 以下同左 今日は、上高地観光の中心地、梓川に架かる木製の吊橋『河童橋』からの穂高連峰と梓川の眺めです。 中央右の岩稜が「ジャンダルム」「ロバの耳」そして奥穂高岳。その稜線の先が前穂高岳。 中央左の稜線には西穂高
<15Jul’2015、田代池から河童橋> 以下同左 梓川左岸から望む焼岳。 今日は、田代池を後にして(6:32)、梓川左岸→田代橋→穂高橋→梓川右岸→ウェストン碑(7:08)→梓川右岸→河童橋(7:46)と歩いた主に梓川の写真です。 左岸から望む梓川上流と奥穂高、西
<15Jul’2015、田代池、田代湿原> 以下同左 田代池。非常に透明度が高い浅い池。 今日は大正池の北側に広がる田代湿原と田代池です。 田代池は南の梓川本流にある大正池とともに、大正時代の焼岳の噴火により梓川の支流である千丈沢がせき止められてできた浅い池
<15Jul’2015、大正池上流部> 以下同左 焼岳と立ち枯れ。午前6:06。 今日は昨日の続き。 昨日の撮影位置から上流部に移動しました。 大正池上流部は湿地帯で、木道が整備されていました。 このあたりも立ち枯れが残っていましたが、倒れているものが大半
<15Jul’2015、大正池> 以下同左 西穂高、奥穂高と大正池。 今日から上高地最初は早朝の大正池です。やや古い写真ですが、5年間闘病していたのでご容赦ください。 大正池は活火山である焼岳が大正4年(1915年)に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成さ
<02Mar’2015、東大寺> 正倉院(国宝)。 今日は、東大寺大仏殿の北北西に位置する正倉院です。 正倉院は聖武天皇の遺品や、東大寺の年中行事用の仏具等、東大寺にまつわる重要物品を納めていた高床式校倉造りの宝庫。奈良時代に創建されて以来、当時と変わらぬ姿
<02Mar’2015、東大寺> 東大寺法華堂(三月堂、国宝)。 今日は東大寺境内東方の丘陵部、上院エリアに位置する法華堂(三月堂)、二月堂などです。 東大寺法華堂(国宝)です。 東大寺に残る数少ない奈良時代建築の一つ。 若草山。野焼き済みですね。 上
<02Mar’2015、東大寺> 以下同左 東大寺南大門(国宝)、北側(金堂側)から。 今日は、国宝の東大寺南大門と南大門の左右に立つ国宝の金剛力士像(仁王像)です。 南都焼討の兵火で罹災した南大門が復興された(1195年)祭、大仏の両脇侍像、大仏殿の四隅に安置
<02Mar’2015、東大寺金堂> 銅造盧舎那仏坐像(大仏、国宝) 今日は、東大寺大仏殿(金堂)の銅造盧舎那仏坐像(大仏、国宝)を中心に、脇侍の如意輪観音坐像 (重文)虚空蔵菩薩坐像(重文)、その他の仏像です。 治承4年(1181年)の平重衡による南都焼討の兵火
<02Mar’2015、東大寺> 東大寺大仏殿(金堂)(国宝)。 今日は、ユネスコ世界遺産古都奈良の文化財の中核、東大寺大仏殿と中門、南大門の写真です。 大仏殿の大仏その他の仏像は明日。 東大寺も本尊の大仏も奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺と仏像
<02Mar’2015、春日大社> 春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)。 今日は、春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)です。 春日大社に奉納された塩や酒を使用した料理などを提供する、参道沿いにある春日大社直営の茶屋です。 万葉粥と柿の葉ずしを頂きました。 「荷
<02Mar’2015、春日大社> 若宮神社本殿(重文) 今日は、春日大社の摂社、「若宮神社」です。 若宮神社周辺の末社14社も併せて、「若宮十五社めぐり」が勧められていました。 御間道(おあいみち)。 御本社(大宮)と若宮との間にある道なので、「おあい
<02Mar’2015、春日大社> 春日大社南門(外側)。 ユネスコ世界遺産古都奈良の文化財の写真、まだ続きます。 今日は、春日大社です。 社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神
<02Mar’2015、興福寺> 以下同左 興福寺東金堂(国宝)と五重塔(国宝)。 引き続き、奈良県のユネスコ世界遺産古都奈良の文化財の写真です。 今日は、奈良市内登大路町の『興福寺』です。 訪問したのが2015年,2017年で、寺の中心である「中金堂」の再建(2018
<04May’2017、唐招提寺> 以下同左 唐招提寺金堂(国宝)。 今週は同じく、奈良県のユネスコ世界遺産古都奈良の文化財の写真で、奈良市内五条町の『唐招提寺』です。 唐招提寺は南都六宗の一つである律宗の総本山。本尊は盧舎那仏、開基は唐出身の鑑真で、鑑真が
<04May’2017、薬師寺白鳳伽藍> 以下同左 西塔 今週は先週の法隆寺に続き、奈良県の世界遺産『古都奈良の文化財』の写真です。 今日は、薬師寺、白鳳伽藍その2,西塔や東院堂(国宝)です。 西塔。奥は西回廊。 解体修復のためこの時はまだカバーが掛
<04May’2017、薬師寺白鳳伽藍> 以下同左 薬師寺本堂(中央)、西塔(右)。左は当時修復中のカバーをされた東塔(国宝)「。 今週は先週の法隆寺に続き、奈良県の世界遺産『古都奈良の文化財』の写真です。 今日はまず、奈良市内西ノ京町の「薬師寺、白鳳伽藍」
<02Mar’2015、法隆寺東院伽藍> 以下同左 写真最も左は宗源寺四脚門(重文)。奥に続く石畳は東院伽藍西参道。中央奥に見えるのは東院四脚門(重文)と夢殿(国宝)の屋根。 今日は、夢殿で有名な東院伽藍です。 西院伽藍の東大門を潜ると、その先の石畳は東院伽
<02Mar’2015、法隆寺西院伽藍西、西北部> 以下同左 西円堂(国宝)の高台から見下ろした五重塔。 今日は西院伽藍の回廊の外の西部と西北部の建築物です。 西北部は高台になっていました。 西院伽藍の回廊のすぐ西側にあった、三経院(国宝)と西室(国宝)
<02Mar’2015、法隆寺西院伽藍> 以下同左 西院鐘楼です。 金堂の北東側、大講堂の東側にあります。 今日は、その他の回廊内の建築物と回廊東にある建築物です。 西院伽藍、大講堂(国宝)。金堂、五重塔を挟んで山門の反対側にあります。 大講堂の回廊に下
<02Mar’2015、法隆寺西院伽藍> 以下同左 国宝の「金堂」です。 今日は法隆寺西院伽藍その2、西院伽藍の中心「金堂」です。 金堂の前にあるのは「礼拝石」。 入母屋造の二層仏堂。 上層には部屋はなく、外観のみ。 二層目の軒を支える四方の龍の彫刻を刻
<02Mar’2015、法隆寺西院伽藍> 以下同左 今日から斑鳩町のユネスコ世界遺産『法隆寺地域の仏教建造物(登録1993年)』です。 今日は法隆寺西院伽藍のその1です。 かなり古い写真ですが、5年程病院を出たり入った生活でしたのでお許しください。 定石通り南大
佐野厄除け大師(春日岡山転法輪院惣宗官寺) in 佐野市 Mar'2022
<05Mar’2022、> 以下同左 佐野厄除け大師、佐野市。 今日の写真は、佐野厄除け大師の通称で知られる栃木県佐野市の惣宗寺(そうしゅうじ)です。 天慶7年(944年) - 藤原秀郷が春日岡(今の佐野城址の地)に創建したものと伝わり、千年以上の歴史があります。
犬伏の別れ(犬伏新町薬師堂) in 佐野市犬伏新町 Mar'2022
<05Mar’2022、> 以下同左 犬伏新町薬師堂、佐野市。 今日の写真は、戦国時代の武将真田父子の「犬伏の別れ」の舞台です。 慶長5年(1600年)天下分け目の関ヶ原の合戦前に、真田父子3人(真田昌幸・信之・信繁(幸村))が東軍と西軍に分かれて戦うことを決断し
3月初旬の塩原温泉峡と五十里湖 (那須塩原市、日光市) Mar’2022
<05Mar’2022> 以下同左 塩原温泉郷、紅の吊橋。 今日の写真は、昨年11月に美しい紅葉を見せてくれた塩原温泉郷の景色と湖面が凍ってシカなどが渡るので有名な日光市の五十里湖(いかりこ)です。 川は箒川。 杉が植林されていて山全体が黒々として味
<23Mar’2019,鳴門市> 以下同左 鳴門の渦潮。 今日は、鳴門の渦潮です。 徳島県の鳴門市鳴門町土佐泊浦大毛の亀浦観光港発の観光船で見学に行きました。 渦潮の上は、この日の朝大阪から乗った高速バスで通った大鳴門橋。 淡路島(淡路島門崎)と鳴門市
<22Mar’2019,舞鶴市> 以下同左 舞鶴赤レンガパーク。 今日は昨日までの天橋立と同じく若狭湾に面する京都府北東部の、舞鶴市です。 海上自衛隊基地のある舞鶴港周辺の舞鶴赤レンガ倉庫群、舞鶴引揚記念館の周辺を紹介します。 舞鶴は太平洋戦争前は明治から
<21Mar’2019、天橋立> 以下同左 今日は、フェリーで一の宮桟橋から天橋立桟橋にもどる時にフェリーと並走するウミネコです。 嘴の先の色と尾羽の模様がウミネコのものなので間違いないと思います。 成鳥と幼鳥が飛んでいました。 ウミネコの向こうのクロマツ
<21Mar'2019、天橋立桟橋にて> 以下同左 「文殊水道」と開いた「廻旋橋」。 今日は、文殊水道と廻旋橋です。 標題写真の廻旋橋の左のクロマツ林の陸地は、この写真の手前にある文殊の切戸で、大天橋(北砂州)と切り離された小天橋(南砂州)。右側の建物が立ち並
<21Mar'2019、天橋山智恩寺にて> 以下同左 「文殊堂」です。 今日は臨済宗天橋山智恩寺です。 天橋立で宮津湾と隔てられた阿蘇海の南東の外れ、文殊切戸の直ぐ西に突き出た小さな岬が智恩寺です。 寺の住所はなんと「京都府宮津市天橋立文珠小字切戸」です。
<21Mar'2019、成相山成相寺> 以下同左 成相山成相寺の山門です。 今日は橋立真言宗成相山成相寺(なりあいじ)です。 天橋立傘松公園からバスで登りました。 寺は天橋立を一望する鼓ヶ岳(標高569m)の南東山腹の標高328m辺りにありますが、創建時は山のさらに
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酒船石。 なんのために造られたのか、いまだ定説はありません。江戸時代から多くの仮説が唱えられ、酒を造る設備、あるいは薬などを造るための設備ともされ、諸説ありますが定かではありません。1935年(昭和10年)に岡の酒船石から南10メートルほどの箇所で石の樋説
<17Nov’2020,高松塚古墳> 以下同左 今日の写真は、奈良県明日香村の高松塚古墳、キトラ古墳です。 いずれの古墳とも、藤原京期(694年-710年)に築造されたと考えられる終末期古墳です。 まずは高松塚古墳です。 高松塚古墳は直径23m(下段)及び18m(上
<17Nov’2020,石舞台古墳> 以下同左 露出した最大の石室天井石。 今日の写真は、奈良県明日香村の国の特別史跡「石舞台古墳」です。 6世紀の築造の巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、その規模は日本最大級を誇ります。 先週の堺市百舌鳥古墳群より一世
<17Nov’2020,飛鳥宮跡> 以下同左 宮殿の遺構。 今日の写真は、飛鳥宮跡です。 従来、伝飛鳥板蓋宮跡(でんいたぶきのみやあと)とされ、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で大化の改新(乙巳の変)の舞台であったとされてきました。 乙巳の変で中大兄皇子らに暗殺さ
<17Nov’2020,橘寺> 以下同左 今日の写真は、昨日と同じく奈良県明日香村の国指定史跡、橘寺です。 橘寺は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院です。本尊は聖徳太子で、正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不
<17Nov’2020,飛鳥寺> 以下同左 今日の写真は、奈良県明日香村の国指定史跡、「飛鳥寺跡」です。 6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院です。 創建時の伽藍は、すでに失われていて塔や金堂の礎石だけが残っています。 こ
<18Nov’2020,堺市> 以下同左 七観音古墳。 今日の写真は、履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)とその陪塚の一つ七観音古墳です。 いずれも世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- の構成資産の一部として登録されています。 履中天皇陵(上石津
<18Nov’2020,堺市> 以下同左 反正天皇陵(田出井山古墳)。 今日の写真は、反正天皇陵(田出井山古墳)です。 世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- の構成資産の一部として登録されています。 また、宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみ
<18Nov’2020,堺市> 以下同左 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。 今日の写真は、日本最大の古墳、『大仙陵古墳(仁徳天皇陵)』です。 朝、堺市役所の展望ロビーに上がった時は、霞が掛かっていてあまり良い天気じゃないなと思ったのですが、すっかり晴れて青空が広が
<18Nov’2020,堺市役所21F展望ロビー> 以下同左堺市役所21階展望ロビーから南に見える仁徳天皇陵古墳。手前は永山古墳、丸保山古墳、奥に見えるのがニサンザイ古墳。右端は履中天皇陵。 今日の写真は、2019年にユネスコ世界文化遺産に登録された『百舌鳥・古市古墳
<03May’2017、高野山> 以下同左 1.石田三成の供養塔。奥の院参道。 今日の写真は、高野山奥の院の戦国武将たちの供養塔その2です。 関ケ原の合戦以降、特に徳川幕府成立後に名前の挙がる武将、大名です。2.前田利長 初代前田利家と妻まつの墓標も奥
<03May’2017、高野山> 以下同左 豊臣家墓所、高野山奥の院。 今日の写真は、高野山奥の院の戦国武将たちの供養塔その1です。 奥の院の弘法大師の御廟への参道沿いには、20万基にのぼる供養塔が立ち並んでいます。 中には有名な戦国武将や江戸期の藩主一
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左 水向け地蔵、高野山奥の院。 今日の写真は、奥の院の最奥弘法大師御廟へ続く最後の橋、「御廟橋」とその周辺です。 御廟橋から先は撮影禁止となっていました。 奥の奥の弘法大師御廟、御廟の前の「燈籠堂」とその地下ま
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左 大師の腰かけ石、高野山奥の院。 今日の写真は、昨日の続き奥の院のその他パワースポットです。7.大師の腰掛石 弘法大師空海が、ちょっと休憩にと、腰を掛けた石であるとの言い伝えが残されています。 かつては、
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左 奥の院入口、高野山奥の院中の橋駐車場前参道入口。 今日の写真は、高野山奥の院のお地蔵さんや不思議スポット、パワースポットなどです。 金剛峯寺からバスで「奥の院前」バス停まで行き、奥の院に入りました。 ですか
<03May’2017、高野山> 以下同左 二重釜、金剛峯寺主殿厨房。 今日の写真は、金剛峯寺の最後です。 寺側で示される参拝路に従うと主殿内の最後が「厨房」、その後の伽藍からの出口が「絵下門」です。 まずは厨房。江戸期以降、実際に使用され大勢の僧侶の食
<03May’2017、高野山> 以下同左 蟠龍庭と奥殿、金剛峯寺。 今日の写真は、金剛峯寺の別殿のさらに奥、奥殿を囲むように広がる蟠龍庭です。 蟠龍庭は1984年(昭和59年)弘法大師御入定1150年御遠忌大法会記念事業として造園された日本最大級の2,340平方メート
<03May’2017、高野山> 以下同左 枯山水小庭、金剛峯寺。 今日は、金剛峯寺の主殿から別殿へ行くときの渡り廊下から観られる「枯山水小庭」、「四季の中庭」です。 奥の院の霊木、高野杉、金剛峯寺主殿。直径は2.87mです。 金剛峯寺主殿と大玄関内部と主
<03May’2017、高野山> 以下同左 主殿、金剛峯寺。 今日に写真は、金剛峯寺正門を入った広場にある、主殿、鐘楼、経蔵です。 主殿、金剛峯寺。 正面は主殿、右の紫の幕がついて前に突き出しているのが大玄関。左の白壁の廊下は別殿への渡り廊下。 文久3年
<03May’2017、高野山> 以下同左 正門、金剛峯寺。 今日の写真は、金剛峯寺の正門に和歌山県道53号線(高野天川線)から入る橋の周辺の春(五月初旬)の花と正門です。 シダレザクラ。 金剛峯寺の南を走る高野天川線(県道53号)と正門に登る緩やかな階段参
<24Jan'2022, 山中湖大池湖畔(白鳥の餌場)>以下同左 雪を抱いた富士山と山中湖とコブハクチョウ。 今日は、山中湖のコブハクチョウです。 日本国内のコブハクチョウは、もともと飼育用や観賞用(北海道大沼国定公園)にヨーロッパから移入された個体が野生化した
<04Jun’2019,根室海峡船上> 以下同左 ハシボソミズナギドリです。 今日は、6月初旬に根室海峡の船上から撮影したハシボソミズナギドリです。・ハシボソミズナギドリ(Puffinus tenuirostris, CN:Short-tailed shearwater)
<24Jan’2022, 山中湖大池湖畔(白鳥餌場)にて> 以下同左 富士山すそ野の自衛隊北富士演習場火災。 今日は、昨日の『ダイヤモンド富士を撮影に山中湖に出かけたら偶然撮影できた自衛隊の北富士演習場の火災です。 重迫撃砲による実弾射撃訓練が行われていて、こ
<04Jun’2019,根室海峡船上> 以下同左 ミンククジラ。 今日は、6月初旬に根室海峡の船上から撮影したミンククジラです。・ミンククジラ(Balaenoptera acutorostrata, CN:Minke whale, みんく鯨) ヒゲクジラ亜目の中では2番目に小さいクジラといっても7~10m近
<2022/01/24 15:54:19, 簗尻湖畔(ホテルマウント富士下)> ダイアモンド富士。 今日は、山中湖湖畔から撮影した、俗に『ダイアモンド富士』です。 富士山の山頂部と太陽が重なって生じる光学現象で、自然に美しい光芒が見える場合も極稀にあるようです。 が、今
<04Jun’2019,根室海峡船上> 以下同左 マッコウクジラの尾 今日は、6月初旬に根室海峡の船上から撮影したマッコウクジラです。・マッコウクジラ( Physeter macrocephalus, CN:Sperm whale, 抹香鯨) マッコウクジラと書きましたが正確にはマッコウクジラの小さ
<04Jun’2019、根室海峡> 以下同左 今日は昨日に続いて根室海峡のシャチです。 今日は、主に知床半島、知床連山を背景にした写真です。 6月でも知床連山はかなり雪渓を残しています。 根室海峡の船上から見た知床連山。 左から、知床連山の主峰で
<04Jun’2019、根室海峡> 以下同左 観察船の上から撮影したシャチです。 今日から1か月ほどは、2019年に撮影した道東の写真です。 今週からは、2019年6月に訪れた女満別から網走、知床、摩周弟子屈エリアです。 まず今日は、根室海峡のシャチ。 羅臼からシャ
<8Dec’2015> 以下同左 和田倉噴水公園前内堀通り。 右から桜田巽櫓、桔梗門、桔梗濠、富士見櫓、富士見多聞 今日は、2015年の「秋季皇居乾通り一般公開」で桜田門から坂下門から入場し、蓮池濠と乾濠沿いを乾門まで歩いた時に撮影した、旧江戸城の櫓、門などで
<02Jan’2022、那須塩原市> 遅くなりましたが、皆さんあけましておめでとうございます。 今年も、とりとめのない写真をご覧いただきありがとうございます。 今日は、年末の雪で化粧をしたお正月の那須連山です。 昨年、同じところで撮影した夕刻に雲海の上にそ
<06May’2017、兵庫県朝来市> 以下同左 今日は但馬街道と山陰街道が通り山陰地方、山陽地方、京都を結ぶ要所、現在の兵庫県朝来市にある竹田城址です。 城下から高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城]とも呼ばれていま
<10Mar’2018、犬山市> 以下同左 今日は国宝の犬山城です。 戦国時代、尾張と美濃の境の木曽川南岸にあり、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いにおける重要拠点となった城です。 木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを中国長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の
<06May’2017、姫路市> 以下同左 昨年11、12月に甲信の6城の記事をアップしましたが、それまでは2017年に白河小峰城しか記事にしていませんでした。 国宝五城も昨年の松本城以外に姫路城や犬山城も撮影しています。 姫路城から始めて、今日から2週間ほど国内の
<19Dec’2021、多摩湖東側堤体から> 「日本で一番美しい取水塔」と解説されたパネルがある多摩湖東南端近くにある、村山下第一取水塔。 今日は、東大和市の狭山丘陵に位置する村山貯水池(西側の村山上貯水池と東側の村山下貯水池を合わせて、俗称『多摩湖』)とその
<07Nov’2021、神栖市> 以下同左 息栖神社社殿です。 今日は東国三社の最後、息栖神社です。 平安時代にはすでに創建されていたようで、古くから香取神宮・鹿島神宮と並んで「東国三社」と称されていたといわれます。 現在の常陸利根川に面しており、息栖の河
<07Ndv’2021,香取市> 以下同左 香取神宮拝殿。 今日は、昨日の鹿島神宮と並び称される東国三社の一つ、香取神宮です。 香取神宮も昨日の鹿島神宮と同じく「神宮」の呼称が多雨買われています。 平安時代の「延喜式」神名帳(平安時代の官社一覧)では、「神宮
<22Oct’2021、笛吹市> 以下同左 浅間神社です。 今日は通称「一宮浅間神社」、甲斐国一宮の浅間神社です。 古代甲斐国の中心地で、付近には甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡が残っている場所に、865年(貞観7年)に遷座されたと伝わっています。 864年(貞観6年)
<22Oct’2021、甲府市> 以下同左 甲斐善光寺金堂(本堂、重文)です。 今日は、武田信玄が第三次川中島の合戦の後、信濃善光寺の焼失を恐れ、1558年(永禄元年)信濃善光寺の本尊の如来像等を奉遷したことに始まった「甲斐善光寺」です。 正式名は定額山浄智院善
<22Oct’2021> 武田神社本殿です。 今日は躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられ、武田信玄を祭神としている甲府市の武田神社です。 本殿です 甲陽武能殿。