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2021/11/22

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  • 源義経の足跡 in 那須その7 弁慶下駄掛石(那須町睦家)Oct’2022

    弁慶下駄掛石、那須町睦家。 今日の写真は、那須町睦家にある「弁慶下駄掛石」です。 弁慶下駄掛石の伝説は、治承4年(1180年)、義経一行が旧東山道黒川駅家(現伊王野付近と推定される)から、かつて祖先源頼義が軍兵を募った粟野駅家(現大田原市余瀬)に向かう

  • 源義経の足跡 in 那須その6 伊王野山城跡その2(那須町伊王野)Apr’2024

    伊王野城山公園。伊王野山城(霞ヶ城、伊王野城)跡。 今日の写真は、伊王野山城跡を公園にした「伊王野城山公園」です。 伊王野城は室町時代の長享元年(1487)に当時の領主である伊王野資清によって築かれた城郭で、これまで居城として利用した伊王野氏居館

  • 源義経の足跡 in 那須その5 伊王野氏の館、山城跡その1(那須町伊王野)Apr’2024

    伊王野氏居館跡(手間広場)と伊王野氏山城跡、那須町伊王野 今日の写真は、昨日の馬頭観音堂があった、伊王野氏の山城跡その1とそれ以前に約300年間平城として使われた伊王野氏の居館跡です。 1180年に義経一行が鎌倉へ向かう途中で、弁慶が昨日の馬頭観音堂で

  • 源義経の足跡 in 那須その4 馬頭観音堂(那須町伊王野)Apr’2024

    馬頭観音堂、那須町伊王野伊王野氏山城址 今日の写真は、那須町伊王野の「馬頭観音堂」とその境内に湧き出る「判官清水」です。 馬頭観音堂は、那須町伊王野の伊王野山城跡に上る途中にありました。 那須町の義経伝説には、「東山道伊王野を義経一行が進んでいる

  • 源義経の足跡 in 那須その3 沓石、大畑、御幣石(那須町大畑、伊王野)Apr’2024

    沓石。那須町大畑沓石地区 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、大畑地区の「沓石」と「大畑」、伊王野地区の「御幣石(おんべし)」です。 まずは、「沓石」(那須町大畑沓石地区)です。 旧東山道(義経街道)をさらに伊王野方面に向かうと、街道

  • 源義経の足跡 in 那須その2 月夜見山、具足岩・五両沢、矢の根石(那須町簑沢)Oct’2022

    「月夜見山」伝説地(那須町簑沢) 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、簑沢地区の 「月夜見山」、「具足岩・五両沢」、「矢の根石」です。 まずは「月夜見山」。 「陸奥と下野の国境の追分明神に着いたころは、もう夕もやが境内の杉木立に深くたち

  • 源義経の足跡 in 那須その1 追分明神(那須町簑沢)Oct’2022

    追分の明神(住吉玉津島神社)、那須町簑沢追分地区。 今日の写真は、那須町の義経伝説No.1「追分明神」です。 治承4年(1180年)源頼朝が伊豆で平家追討の旗を挙げたことを源義経が奥州平泉で聞き、鎌倉へ駆けつける際に古代の街道である東山道を通ったといわれ、

  • 白河神社その3、巨木と野草の花May May’2017,Mar’2024

    キクザキイチゲ、白河神社(白河市旗宿)Apr’2017 今日の写真は、白河の関跡、白河神社の巨木と山草の花です。 今から50年以上前に初めて訪れた時、子供だったこともあり私の白河の関の思い出に残ったのは、大木に絡みついたり、絡みついた大木を枯らして地面から

  • 白河神社その2 白河神社 Mar’2024

    白河神社拝殿、拝殿、白河市白河市旗宿関の森 今日の写真は、白河神社です。 昨日は、源義経に関わる事跡と白河の関跡の関の森砦跡などの写真を紹介しましたが、今日はそれらを除いた写真です。 白河神社は福島県白河市大字旗宿字関の森に鎮座している神社で、創

  • 白河神社その1、源義経の足跡 Mar’2024

    「白河関跡」の石柱と白河神社一の鳥居。白河市旗宿関ノ森 源義経が兄頼朝の平家討伐の挙兵を聞いて奥州平泉を出発。古代の旧街道東山道を急ぎ鎌倉を目指しました。この時通った道は「義経街道」とも呼ばれ、道沿いには義経にまつわる地名や史跡やエピソードが今に伝わ

  • 佐良土(旧湯津上村)その3 法輪寺と西行桜 Mar'2023

    西行桜、法輪寺(大田原市佐良土) 今日の写真は昨日の記事の続きで、光丸山法輪寺と西行桜です。 昨日の記事の通り、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁によって開山され、本尊は釈迦三尊です。 法輪寺山門(勅額門)。 逆門建造の茅葺屋根で立額は後嵯峨天皇の

  • 佐良土(旧湯津上村)その2 光丸山法輪寺 Mar'2023

    光丸山大日堂、大田原市佐良土(旧湯津上村)。 今日の写真は、「光丸山」です。 昨日の記事でも言及した光丸山法輪寺ですが、正式には「光丸山並びに正覚山実相院法輪寺」です。 大日如来を本尊とする光丸山と釈迦三尊を本尊とする正覚山実相院法輪寺からな

  • 佐良土(旧湯津上村)その1 佐良土屋号宿 Apr'2024

    光丸山法輪寺の入り口(写真正面)と「佐良土」交差点。 旧湯津上村(大田原市)に佐良土(さらど)という地区があります。国内最大の複合扇状地「那須野ヶ原」を作った那珂川と箒川が合流する那須野が原の南東側の頂点に当たります。 今日の写真は、この佐良土地

  • 日本考古学発祥の地その3「侍塚古墳群」、大田原市湯津上 Mar’2022

    侍塚古墳群、大田原市湯津上地区 今日の写真は、昨日の古墳と同じ大田原市湯津上地区にある侍塚古墳群です。 侍塚古墳群は下侍塚古墳(国指定史跡)のすぐ北側の国道294号線と那珂川にはさまれた約200m四方のエリアに展開する8基で構成された古墳群です。かつては10

  • 日本考古学発祥の地その2「上侍塚古墳」と「下侍塚古墳」、大田原市湯津上 Mar’2022、May’2024

    上侍塚古墳、大田原市湯津上 今日の写真は、国の史跡に「侍塚古墳」として指定されている「上侍塚古墳」と「下侍塚古墳」の2つの古墳です。 ともに江戸時代に徳川光圀(水戸黄門)の命で日本で最初の学術的発掘調査が行われた古墳として知られます。徳川光圀は、昨日

  • 日本考古学発祥の地その1「那須国造碑」、湯津上笠石神社 Mar’2022

    那須野国造(なすのくにのみやつこ)笠石神社、大田原市湯津上。 今日の写真は、日本三古碑である国宝、那須国造碑を祀っている大田原市湯津上の笠岡神社です。 那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)は、飛鳥時代(西暦700年前後)当時の那須国(郡)を治めてい

  • 日光東照宮その13武徳殿、御仮殿(日光東照宮)Mar’2022

    御仮殿、日光東照宮 今日の写真は、日光東照宮の境内外にある武徳殿と御仮殿です。 いずれも、東照宮表参道の東側に位置しています。 今日の記事で3週間弱続いた世界遺産「日光の社寺」の最後になります。 御仮殿(重文)、日光東照宮 御仮殿(重文)

  • 日光東照宮その12奥社唐門、宝塔、叶杉など(日光東照宮奥社)Mar’2022

    唐門(射抜門)、日光東照宮奥社 今日の写真は、奥社の徳川家康公御墓所です。 唐門(鋳抜門、重文)徳川家康公御墓所、日光東照宮奥社 唐門から始まり墓所を囲う奥社石玉垣も重文。 唐門 唐門 奥社宝塔(家康公の御墓、重文)と叶杉(左、御神木)

  • 日光東照宮その11奥社参道、銅鳥居、拝殿など(日光東照宮奥社)Mar’2022

    奥社参道、右側に続く石柵は重文。日光東照宮奥社 今日の写真は、 日光東照宮の中でも最も高い位置する奥社への参道と鳥居、銅神庫、拝殿です。 東照宮本社境内から昨日の眠猫のある潜門から坂下門を通り、杉が茂る石畳の道と旧な石段を上ると、鳥居が見えます。その鳥

  • 日光東照宮その10眠猫(日光東照宮)Mar’2022

    眠猫(東回廊・潜門西側)、日光東照宮 今日の写真は、東照宮本社から奥社参道の坂下門へ向かう陽明門東回廊の潜門にある左甚五郎作と云われる「眠猫」の彫刻などです。 眠猫(東回廊・潜門西側) 雀の戯れる様子の彫刻(東回廊・潜門東側)。 西側の眠る

  • 日光東照宮その9唐門と本社拝殿、本殿(日光東照宮)Mar’2022

    東照宮本社唐門と拝殿(日光東照宮) 今日の写真は、東照宮本社の唐門と唐門越しに見える拝殿、奥社参道からちらっと見える本殿です。 唐門、門の奥に見えるのは拝殿 唐門東翼と拝殿 拝殿、本殿(奥社参道から)、日光東照宮 拝殿、本殿(奥社参道か

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