FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
日光東照宮その8神輿舎、神楽殿、祈祷殿(日光東照宮)Mar’2022
神輿舎。日光東照宮陽明門内西側 今日の写真は、陽明門内の 神輿舎、神楽殿、祈祷殿です。 神輿舎。 春秋渡御祭(5月、10月)に使われる、三基の神輿が納められています。 左から源頼朝、徳川家康、豊臣秀吉の神輿。 神輿舎、源頼朝と徳川家康(右)の
日光東照宮その7陽明門東西回廊(日光東照宮)Mar’2022
東西回廊、陽明門、日光東照宮。Mar’2022 陽明門は雨漏りなどが原因で再修理中。 今日の写真は、陽明門南面の東西回廊です。 一枚板の透かし彫りの我が国最大級の花鳥の極彩色彫刻が飾られています。
日光東照宮その6陽明門(日光東照宮)Mar’2022,Jan’2023
陽明門表(南)側、日光東照宮。 40年ぶりの大修理を2017年に終え、陽明門の全体を見れると思って2022年の3月に訪れたら、2021年12月から2022年4月まで今度は「手直し」のため、全体は見ることができませんでした。 そこで2023年初めに再度訪問。 今日の写真は、
日光東照宮その5鐘楼、鼓楼、本地堂(日光山内) Mar’2022
唐銅鳥居の中、奥の階段の上に見えるのが陽明門。鳥居のすぐ前の階段の上の段で、鳥居の右に配置されているのが鐘楼、鳥居の左が輪に配置されているのが鼓楼。今日の写真は、 鐘楼(東、右)と鼓楼(西、左)は陽明門の前に東西に対称的に配置されています。 神仏
日光東照宮その4廻転燈籠、蓮燈籠、釣燈籠、南蛮鉄燈籠、朝鮮鐘(日光山内) Mar’2022
廻転灯籠(逆紋の廻り灯籠)、日光東照宮 今日の写真は、唐銅鳥居を通ってまず最初の階段を上った壇にある燈籠類などです。 まずは、陽明門西側です。 廻転灯籠(逆紋の廻り灯籠)、日光東照宮 釣燈籠 鼓楼(左)と釣燈籠。 続いて、陽明門東側です
日光東照宮その3石畳、唐銅鳥居、御水屋、輪蔵(日光山内) Mar’2022
唐銅鳥居(二の鳥居)、石畳と御水屋(日光東照宮) 今日の写真は。昨日の三神庫、神厩舎と同じ段で、陽明門にあがるためやや西へ向かったところにある石畳、唐銅鳥居、御水屋、輪蔵です。 鳥居から見て陽明門がうまく収まる場所がありますが、このあたりが北辰の
日光東照宮その2三神庫、神厩舎(三猿)(日光山内) Mar’2022
三神庫(左から上中下神庫)、日光東照宮 今日の写真は、日光東照宮の三神庫(上神庫、中神庫、下神庫)、神厩舎(三猿)と高野槙です。 上神庫、日光東照宮 上神庫(北側矢切部分)、日光東照宮 上神庫南側矢切の彫刻(二頭の象)、日光東照宮 中
日光東照宮その1表参道から表門(日光山内)Mar’2022,Jan’2023
東照宮標石柱、渋沢栄一書。 今日から2週間ほど、日光東照宮の写真です。 江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を主祭神として祀る神社です。 誰もがご存じと思いますので説明は一切しません。 今日はまず、表参道の日光山輪王寺を過ぎた地点から石
日光二荒山神社本殿 今日は昨日の続き、日光二荒山神社の神苑です。 本殿。 神苑入り口を入ってすぐ左手にあるのが「日枝神社」。 日枝神社の左前には、弘法大師御手植えの「高野槙」。 日枝神社の前には「化け灯籠」
日光二荒山神社その1 参道から拝殿まで(日光山内) Jan’2023
日光二荒山神社拝殿(日光山内) 今日、明日は、一昨日の神橋も含む日光二荒山神社です。 日光連山の主峰・日光三山(男体山、女峰山、太郎山)を神体山として祀る神社で、境内は三山のほか日光連山を境内地とし、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれ、3千ha以上
日光山輪王寺本坊入り口 今日は、日光山輪王寺の写真です。この時は手直し工事が終わった後の東照宮の陽明門が目的でしたので、参道から撮影した写真だけです。中途半端でごめんなさい。 世界遺産「日光の社寺」は、昨日の神橋をはじめ、国指定の史跡「日光山内」の
神橋(重文、日光二荒山神社神域) 今日から世界文化遺産「日光の社寺」です。 今日はまず日光の社寺の入り口にあり、日光の表玄関とも称される神橋(しんきょう)です。 神橋(しんきょう)は、大谷川(だいやがわ)に架かる朱塗りの橋で世界遺産「日光の社寺」
山本不動尊とその渓谷の紅葉(福島県棚倉町) Nov’2023
山本不動尊参道、Nov’2023 今日は、昨日の山本不動尊とその渓流の昨年秋の紅葉の写真です。
山本不動尊(福島県棚倉町)、Nov’2023 今日は、福島県棚倉町の紅葉の名所、新観光福島三十景「山本不動尊と八溝渓谷」です。 山本不動尊の正式名称は石堂山徳善院明王蜜寺山本不動尊です。 八溝山の麓、久慈川支流の宮川のほとりに有り、130段の石段を上りつめ
鵜戸神宮本殿(日南市)、May’2023 今日は昨日の続き、鵜戸神宮本殿と亀石の写真です。 階段の向こうの洞窟内が本殿です。 鳥居のところから中に入れます。 亀石。 まずは本殿に入る前に運試し。 私も左手で運玉を願いを込めながら投げ、運良く岩の枡
鵜戸神宮(日南市)、May’2023 今日明日は、日南市にある鵜戸神宮の写真です。「鵜戸さん」と親しみを込めて呼ばれる宮崎県南で最も有名な神社。 太平洋に突き出した鵜戸崎岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りの色鮮やかな御本殿を参拝するには崖にそって作られた
青島神社(宮崎市青島)、May’2023 今日の写真は青島神社です。 青島のほぼ中央に鎮座する神社で、周囲1.5kmの青島全島を境内地としています。 いずれも山幸海幸神話に因む神である、天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと。彦火火出見命とも
青島(写真右端)と鬼の洗濯板(隆起波食台)(宮崎市)、May’2023。 今日の写真は、宮崎市の南東部の青島海岸と弥生橋によって結ばれている青島です。 明日投稿予定の青島神社の鎮座地でもあります。 黒潮と逆流の沿岸流により貝殻の破片などが集められ隆起波
天岩戸神社東本宮、May’2023. 今日は、天岩戸神社東本宮の写真です。
天岩戸神社西本宮拝殿(高千穂町)、May’2023. 今日明日は、高千穂町の天岩戸神社です。 岩戸川を挟んで東本宮と西本宮があり、社名は西本宮が拝する天岩戸に由来しています。 西本宮の御祭神は、大日孁尊(おおひるめのみこと)(天照大神の別名)。岩戸川対岸
高千穂神社、May’2023 今日の写真は、高千穂郷八十八社の総社である「高千穂神社」です。 高千穂神社は約1900年前の垂仁天皇時代に創建され、主祭神は高千穂皇神と十社大明神。 本殿と鉄造狛犬一対が国の重文。 手前の狛犬一対が重文の鉄製狛犬。鎌倉幕府
高千穂峡「真名井の滝」、May’2023 今日は、高千穂峡の主役「真名井の滝」、柱状節理、おのころ池などです。 真名井の滝。正面上奥は「御橋」。滝見台から 真名井の滝の対岸の溶結凝灰岩の柱状節理。
高千穂峡(五ヶ瀬川渓谷)、May’2023。 今日、明日の写真は、国の名勝、天然記念物に指定されている「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」、通称「高千穂峡」です。 高千穂大橋近くの五ヶ瀬川西岸にある第3駐車場に車を止め、高千穂大橋脇の遊歩道に入って五ヶ瀬川の岸
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FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
FH000027 posted by (C)ピーミィ ローズガーデンのタイボクシングショー、サンプラン、ナコンパトム県 今日の写真は、1990年代のタイその8 タイのその他の県とタイ隣接国の写真です。1.Nakhon Phatom,ナコンパトム県FH040020 posted by (C)ピーミィ ナコンパトム
FH010010 posted by (C)ピーミィ ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)、タイ王宮、ラッタナコーシン島、バンコク 今日の写真は、1990年代のタイその7 バンコク都内の名所旧跡です。1.Royal Palace,ラッタナコーシン島、バンコクFH010004 posted by (C)ピーミィ
FH020007 posted by (C)ピーミィ 戦場にかける橋、クワイ川、カンチャナブリ、タイ 今日の写真は、一昨日の続きで1990年代のタイその6ー2、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写②です。8.Khao Kho National Park,ペチャブーン県FH000010 posted by (C)ピーミィ カ
FH010034 posted by (C)ピーミィ Wat Phra Putthabat(仏足石寺),サラブリ県 、タイ 今日の写真は、1990年代のタイその6ー1、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写真①です。1.Sing Buri,シンブリ県FH030016 posted by (C)ピーミィ 黄金大仏、Wat Phikunthong, Tha
19910525-18 posted by (C)ピーミィ プラサート・ヒン・ピーマイ, Nakhon Ratchasima 今日の写真は、1990年代のタイその5、タイ東北地方のクメール遺蹟です。1.Prasat Hin Phimai, Nakhon Ratchasima19910525-42 posted by (C)ピーミィ アルバム「Prasat Hin Ph
FH020034 posted by (C)ピーミィ ワット・マハタート ナコンパノム、ナコンパノム 今日の写真は、1990年代のタイでクメール遺蹟以外の遺跡、名所などです。1.Ubon Ratchathani(khaong Chiam, Mae Nam Song Si, Chongmek)FH000014 posted by (C)ピーミィ アルバム
19920620-82 posted by (C)ピーミィ 1992年のゴールデントライアングル(タイ、ビルマ、ラオスの3国国境) 今日の写真は、1990年代のタイその3 Chiang Rai件です。1.Wat Phra Keo, Chiang RaiFH010010 posted by (C)ピーミィ 1434年、チエンライのとある寺の仏塔
FH000011 ワット プラタート ドイ ステープ、チェンマイ 今日の写真は、1990年代のタイのその2、「チェンマイ県とランパン県」です。 1991年にチェンマイ県から生の冷凍イチゴを300トン輸入した時のイチゴ畑と冷凍工場の写真も残っていました。 もう35年前で
FH020003 posted by (C)ピーミィ バーンパイン宮殿、アユタヤ県 今日から2週間ほどは、1990年にタイ王国バンコクに初めて海外駐在をした当時撮影していたフィルム写真のネガフィルムから起こしたデジタルスキャンデータです。 10年ほど前に放っておいたネガフィルムを
鐘楼門、金法山浄智寺(じょうちじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する禅宗の「金法山浄智寺(じょうちじ)」と紫陽花の花です。 浄智寺は、鎌倉五山第四位に位置付けられています。 境内は「浄智
総門、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山、「巨福山建長興国禅寺」通称「建長寺」です。鎌倉五山の第一位で、境内は「建長寺境内」として国の
階段参道、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、昨日の続きで明月院の紫陽花の花です。 この寺で紫陽花を植えたのは、第二次世界大戦後に物資や人手が不足し、参道を整備する杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」と
総門、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、あじさい寺として知られる神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院、福源山明月院の境内です。 有名な紫陽花の花は、明日紹介します。 平安時代後期、山内俊通の供
御霊神社(ごりょうじんじゃ)、神奈川県鎌倉市坂ノ下。 今日の写真は、まさしく長谷寺のある山から海側(南側)に下る坂の下にある「御霊神社」、通称「鎌倉権五郎神社」です。 と云っても巻頭の写真に見られるように、神域の境内での撮影が禁止でしたので、神社
山門、行時山光則寺、神奈川県鎌倉市長谷 今日は、鎌倉有数の花の寺として知られる、日蓮宗の行時山光則寺の紫陽花を中心とした写真です。 日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、日蓮の高弟日朗も捕らえ、寺社奉行の宿屋光則邸の土牢に監禁しました。
海光山慈照院長谷寺、鎌倉市長谷。 今日の写真は、紫陽花を中心とした長谷寺の花の写真です。 あじさい路、境内図、長谷寺。
山門。 和み地蔵。 放生池。 地蔵堂。 千体地蔵、地蔵堂の後背。 阿弥陀堂。 本堂(観音堂)。 観音ミュージアム。
鷲子山上神社のふくろう達、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日、一昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きで、境内に120体以上配置されていたふくろう像達の一
境内社の本宮神社の鳥居と大フクロウ、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きです。 本宮神社。 鷲子山上神社の本殿があっ
那須殺生石、那須町那須湯本温泉那須温泉神社 かつて九尾の狐が化身したといれる大きな岩の国指定名勝史跡「殺生石」の写真です。 2022年3月二つに割れたことが確認されました。 今日の写真は、那須湯本温泉の那須湯前神社付近に存在する溶岩で、付近一帯に
「湯をむすぶ誓ひも同じ石清水」、松尾芭蕉 『那須湯本の温泉大明神では、京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここに参詣し、その社殿の湯を手ですくう(むすぶ)と、両神社にお参りしたことになるという。これは湯が結ぶ縁である。』 この句は奥の細道にはあり
芭蕉翁塚「杜鵑の墓」、那須町史跡 今日は、那須町高久本郷地区内の芭蕉所縁の地や句碑です。 芭蕉翁塚 芭蕉翁塚 芭蕉翁塚
高福寺楼門、那須町大字高久甲 黒羽を立った4月16日から4月20日に那須湯本から下山し、芦野の遊行柳、白河の古関跡近くの旗宿に投宿するまでの5日間の「奥の細道」はあっさりと、『是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。や
「俳聖松尾芭蕉と黒羽」、浄法寺桃雪邸跡脇の芭蕉の句碑一覧、旧黒羽芭蕉公園(現大田原市前田) 今日は、「芭蕉の里くろば」というキャッチフレーズを掲げている現大田原市の旧黒羽地区の黒羽田町、黒羽向町、余瀬、雲巌寺などに点在する10か所の芭蕉、曾良の句碑の
鍋掛八坂神社(那須塩原市鍋掛)から望む早春の那須連山。 旧鍋掛宿(現那須塩原市鍋掛)「野を横に馬牽きむけよほととぎす」 今日の写真は旧鍋掛宿の八坂神社と芭蕉の句碑です。 鍋掛八坂神社芭蕉句碑(那須塩原市鍋掛) 「黒羽町誌(黒羽町誌編さん委員会
那須連山、那須高原大橋から、那須塩原市西岩崎 那須野ヶ原は山ぎわの部分で標高500メートル、これが南東に緩やかに傾斜して標高100~150メートルまで下っていきます。ところが全体的には緩やかですが、ちょうど那須塩原市と南東の大田原市の境のあたりで5~10m急に下
源実朝の歌碑、玉藻稲荷神社、大田原市蜂須(旧黒羽町蜂巣字篠原) 「武士の矢並つくらふ小手の上に 霰たばしる那須の篠原」(柳営亜槐本金槐和歌集) 『那須の篠原』が那須野を表す歌語として使われるようになった有名な歌。 初めて文献上に「那須野」あるいは「
那須神社(金丸八幡宮)楼門、重文。 大田原市南金丸。 今日の写真は、「那須神社」その2です。 元禄2年4月13日余瀬に住む津久井翅輪は、芭蕉と曽良を鹿子畑家に見舞った。そして余瀬の西南、約一・五粁のところにある「金丸八幡宮」に参詣すべく誘いました。
玉藻稲荷神社、大田原市蜂須(旧黒羽町蜂巣字篠原) 今日はの写真は、昨日境内にある源実朝の和歌碑と松尾芭蕉の俳句碑を紹介した玉藻稲荷神社です。 境内には句碑の他に、九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がありました。
玉藻稲荷神社、大田原市蜂須篠原地区今日の写真は、大田原市の旧黒羽町エリアの余瀬の修験光明寺跡、蜂巣地区の犬追い物跡、篠原地区の玉藻稲荷神社と狐塚之址の碑です。 芭蕉は元禄2年(1689年)4月5日に雲巌寺まで往復約25Km を歩いた後は、雨降りだったり、休養
雲巌寺。大田原市雲巌寺。 今日の写真は、松尾芭蕉が元禄2年4月5日に訪れた雲巌寺です。 雲巌寺は、江戸深川での芭蕉の禅の師であった仏頂禅師が当時住職をしていました。 雲巌寺は、高峰顕日(仏国国師)が弘安6年(1283年)に復興開山した臨済宗妙心寺派の名
黒羽芭蕉の館、黒羽藩の藩庁だった黒羽城の三の丸跡に建つ。 今日の写真は、「おくのほそ道」で最長の14日間逗留した松尾芭蕉に関する展示や黒羽藩主大関氏に関する展示を行っている黒羽城の三の丸跡の建てられた「芭蕉の館」、句碑などが野外展示してある芭蕉の広場な
本丸跡と本丸廓を囲む城塁とその上に建つ後に物見櫓を模して作られた展望台。大田原市前田黒羽城址。 今日の写真は、元禄2(1689)年4月3日(新暦5月21日)に芭蕉が訪れた門弟の浄法寺桃雪が城代家老をしていた黒羽藩の黒羽城と藩主大関家の菩提寺大雄(だいおう)寺で
旧浄法寺邸、大田原市前田芭蕉公園 黒羽藩城代家老で芭蕉の弟子だった浄法寺高勝(たかかつ/俳号・桃雪〈とうせつ〉)の屋敷跡に改修整備した建物。余瀬の鹿子畑翠桃は浄法寺桃雪の弟。 元禄2(1689)年4月3日(新暦5月21日)、余瀬(大田原市)に宿泊後、翌4日に黒
蛇尾川、遅沢橋(那須塩原市東遅沢)付近。東北新幹線「那須塩原」駅から西に3㎞ 今日の写真は、昨日の記事で松尾芭蕉が日光北街道から奥州街道に入り、大田原宿を過ぎて大田原城(龍城)を右に見ながら渡った蛇尾川です。 記事では、冒頭の水の無い蛇尾川が、どうし
日光北街道標柱、大田原市末広1丁目 今日から1か月近くは、那須野が原(旧大田原、湯津上、黒羽、那須町)、白河、須賀川、二本松の松尾芭蕉の「奥の細道」所縁の地の写真です。 「奥の細道」の日程と道程に従って、芭蕉所縁の地の記事をアップしていきます。
白河神社 文治5年(1189年)源頼朝の義経排除の陰謀に乗って源義経を討ってしまった藤原泰衡は、その直後に「源義経を長らく匿っていたこと」、そして「許可なく源義経を討伐したこと」を理由として逆に鎌倉幕府による征伐の対象とされてしまいます。 源頼朝自身が率
道の駅那須与一の里、大田原市南金丸。 今日の写真は、オマケで道の駅那須与一の里です。場所は那須神社の西隣です。 敷地内には、道の駅の他、那須与一伝承館、昨日の記事にあるように千年前からの竹細工、竹の産地だけあって竹ギャラリーなどもあります。 また現
直箆温泉神社、大田原市余瀬白旗山南端。 今日は、那須与一が源平合戦の後、矢竹を奉賽するために創建したと伝えられる直箆温泉神社です。 最初、鎮座の地は現大田原市北金丸地内の直箆でしたが、享保年間(江戸幕府8代将軍徳川吉宗の頃)に現在の余瀬白旗山南端に