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金生遺跡は天文台 縄文人は太陽暦も太陰暦も作っていた https://blog.goo.ne.jp/johmonkinseistar

金生遺跡は縄文時代の天文台 縄紋土器の突起は太陽暦と太陰暦の完成を示す 金生遺跡では朔旦立春を観測して二十四節気の暦を作成していた

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2021/11/13

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  • 縄文時代の豊かな文化

    新石器時代とは粘土から土器が造られた時代である図文明の比較年表土器は草創期の始から造られていた縄文時代は土器の特性を生かして、初めからその歴史記録が残された、それが縄文土器と呼ばれるものである土器とは、・想念通りに造形できるもの、・造形したものが永遠に残せるもの、・それは情報伝達のメディアである。縄文時代10000年間に造られていた火焔土器、突起付き土器、マメ類練り込み土器などはその典型的姿を示している。縄文模様を持つ土器は新石器時代の始まりを示すものである。図弓の弦の開発からの始まり土器には弓の弦の開発から、鏃の開発、魚釣り漁の開始、網による漁撈の開始などの一連の生業開発の画期的歴史が記録されていた。図マメ類の栽培化の記録縄文時代草創期のマメ類の採取を始め、栽培開始、前期半ばの栽培種の成立が記録されてい...縄文時代の豊かな文化

  • 縄文遺跡で冬至の日の出、日の入り観測会

    縄文遺跡で冬至の日の出、日の入り観測会案内北杜市全域の地形が太陽観測天文台であること、金生遺跡は太陽暦観測施設であることが分ってきました。「4500年前の金生遺跡の冬至祭りに集まった縄文人のように日の出を迎えよう」という祭り!!朝活は冬至日の出12月22日6時半頃から7時半ころまで遺跡現地です夕活は冬至日没12月22日15時半ころから16時半ころまで遺跡現地縄文時代の配石と石棒で、日の出を観測して、日の入りを観測しましょう。同時に月齢観測も行う予定です。主催金生遺跡を世界遺産にしよう会これまでの観測記録の内容は、ブログにありますhttps://blog.goo.ne.jp/johmonkinseistar「金生遺跡を世界遺産にしよう会」というブログがご覧いただけます。縄文時代には、太陽が変らず出ることはこ...縄文遺跡で冬至の日の出、日の入り観測会

  • 月齢観測の方法を考えてみます

    月齢観測は簡単でした。ビングに原始時代の月齢観測方法を聞いてみましたが、はかばかしい返答は得られませんでした。AIが調べ回ってもその方法はなかったようです。仕方がないので、月齢の例から縄文時代の月齢の観測方法を考えて見ました。こんな方法で出来るのではないでしょう。現代人には毎日月の出を見るのは面倒ですが、必要性のあった縄文時代には何でもないことだったのではないでしょうか。日の出を見て、夕日を見て眠る、縄文人には普通のことだったでしょう。現代人はこれをしていません。 図月齢の例示上弦の時期と下弦の時期は知っていたものとします。それは、新月から満月に向かう時期が上弦で、満月から新月に向かう時期が下弦ですから、縄文時代は、日が出たら起き出して、日が沈めば寝る。闇夜にはたき火しかライトはないので、毎日月を見ていた...月齢観測の方法を考えてみます

  • 原始時代の月齢観測の方法をビングに聞いてみました。

    原始時代の月齢観測の方法をビングに聞いてみました。結果は以下のようで、全く役に立ちませんでした。聞くべき天文台も、天文クラブもない情況で、縄文人はどのようにして月齢を観測していたのか、考えるしかないようです。 月齢の観測方法はどうするのか知りたいのでビングに聞いてみました。----ーーーーーーーーーーーー月齢を観測する方法は、天体望遠鏡を使って月の表面の形状を観察し、その形状から月齢を推定する方法が一般的です1。また、国立天文台のウェブサイトでは、正午月齢を計算することができます13。正午月齢とは、その日の正午における月齢であり、直前の朔からその日の正午までに何日経過したかを小数第一位まで示しています?。このページ1には、月齢の計算方法や、月齢を求めるための暦の情報が掲載されています。また、同じく国立天文...原始時代の月齢観測の方法をビングに聞いてみました。

  • 今からは人類、ホモサピエンスの新時代

    今からは人類、ホモサピエンスの新時代にアンラーニングできるでしょうか現代の暦カレンダーは、過去の歴史経緯により、支配者に小突き回された結果、とんでもないものになっている。太陽暦とは似ても似つかないものに変形されてしまっている。今、地球環境の危機にあって、これまでの人類の歴史を一旦切り離して、新しい人類史を考えるときではないだろうか。そのベースとなるのは太陽暦の基本に戻り、カレンダーから考えてみるときではないでしょうか。図縄文時代の太陽暦二十四節気の暦から七十二候の暦に読み替えることが出来る 図立春と立秋を起点としたカレンダー立春を年初1月1日としたカレンダーと年の後半は立秋の月齢を起点とするカレンダー満月と新月が日曜日、土曜日の後に海曜日、海王星の海から仮にしている。今のカレンダーは長く使われてきたが、歴...今からは人類、ホモサピエンスの新時代

  • 現代の暦 カレンダーは疑問点バカリ

    現代の暦カレンダーの疑問点は図立秋観測日の出位置は同じなのに日付が違っている。縄文時代の立秋観測点は、日の出が山のピークに設定されていて、その日の出をノーモンと石棒で正確に観測している。1.太陽と地球の関係位置は、4500年間変化していないのに、現代の暦は日付が年ごとに変動することである。2.曜日とは元々月齢と関係づけるために作られたはずなのに、現代のカレンダーでは、月齢との関係を無視して、曜日は勝手に振られている。それにより月の満月と新月、月齢が分らなくなっている。3.一ヶ月とは、月の周期30日の筈なのに、28、29,30、31日などと勝手な日数にしている。年の始めの1月1日も適当に決められているだけで、これらのことには2000年以上の歴史が関係しているのだが。30日/215日15/27+7+1となるか...現代の暦カレンダーは疑問点バカリ

  • 金生遺跡 配石と石棒の成立経緯の仮説

    金生遺跡配石と石棒の成立経緯の仮説観測開始の順次1.先ず冬至の日の出と日の入り観測点がデザインされた冬至の日の出を先端に置き、ノーモンの影を基本ラインとした次に日の入りのノーモンの影をそのラインに交差させた交差位置が基準となった。2.立春観測二至365日182日+1日二分182日/291日半年四分91日/245日+1日サケ遡上回帰漁と種蒔きを早く知るため、立春観測を行う冬至の日の出ライン上にノーモン位置を置いて立春観測石棒を前後から一日の違いを判別するために石棒の太さと、ノーモンまでの距離を取り、ノーモンの高さを決めた 3.その後の観測二十四節気の暦が造られ、月の暦とのシンクロが完成したそのため一年に立春日の月齢と、半年後、立秋日の月齢を観測することになった。そのため立秋観測の石棒を立てた。観測には立春石...金生遺跡配石と石棒の成立経緯の仮説

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